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第1章 進化と自然淘汰

 


行動生態学と自然淘汰

■ 包括適応度と血縁淘汰

 

  行動生態学では、行動も他の形質と同様に遺伝すると考える。そして、この行動を支配する遺伝子が自然淘汰される事により、適応度の高い行動が進化するとする。こうして生物の行動や社会を、ダーウィン進化論の基礎の上で説明しようというのである。

  ところが、 自然淘汰説を生態学に適用するには、ダーウィンをも悩ませたという難問が存在していた。それは現実の動物社会では、自分を犠牲にしても仲間を助ける利他行動が多く観察される事で、この利他行動が自然淘汰説ではうまく説明できなかったのである。考えればすぐに分かる事だが、自分を犠牲にしてまで他人の利益を図るような個体は、自然淘汰によって排除されてしまうはずだからである。つまり自然淘汰説が正しいとすると、生物界は利己的な個体ばかりになり、利他行動が進化してくる余地などなくなってしまうのである。例えば、社会性昆虫のミツバチでは、産卵に専念する女王とワーカーの働きバチに分化し、働きバチは女王と幼虫の世話をするが自らは繁殖しない。このような子供をつくらない労働カストが、どのようにして自然淘汰にかからずに進化する事ができたのか、うまく説明できないわけである。(1-2)

  この難問に対して、極めて巧妙な方法で答えを出したのがW..ハミルトンであった。その理論が、今日の行動生態学の隆盛を導く発端となる包括適応度と血縁淘汰の説である。現代の進化理論では、生物の適応度を、一匹の親がどれだけ繁殖可能な子を残せるかで表わしている(繁殖成功度)。つまり特定の性質は、適応度が1より大きくなければ進化しないのである。したがって、働きバチのようなワーカーは子をつくらないから適応度はゼロとなり、進化するはずがない事になる。しかし、個々の遺伝子に注目すると、それは1個体だけではなくその血縁者にも存在しているはずである。だから、ある一つの遺伝子の適応度を考えるには、その血縁者も含めた適応度、即ち包括適応度で見なければならないという事になろう。この包括適応度で考えると、働きバチは自分の子を残さなくても、幼虫の世話をして多くの妹を育てあげる事により、自分の遺伝子を自ら繁殖するより多く残す事ができれば、この利他行動は適応的となり自然淘汰によって進化可能になる。

  例えばA・Bの2個体の場合では、(B)をA個体の利他行動の結果B個体が得る適応度の増分、(r)をA・B個体間の血縁度、(C)をA個体が失う適応度とすると、

                            Br−C>0

の時に利他行動が進化する事になる(ハミルトン則)。このように、血縁者の子を残すというバイパスを通じて働く自然淘汰を、血縁淘汰と呼んでいるのである。

 こうして生物の利他行動は、少しでも多くの自分のコピーを残そうとする遺伝子の働きとして、即ち遺伝子の利己的行動として説明される事となった。この新理論によると、我々がよく経験する動物たちの母性愛も、単に遺伝子の利己的行動に過ぎないという訳だ。

 

  包括適応度

              I=WOA−凾v+這凾v

包括適応度

OA

Aの適応度

−凾v

Aが利他行動により失う適応度

凾v

i番目の個体がAの利他行動により増やす適応度

Aとi番目の個体の血縁度

血縁度

2個体が祖先の遺伝子を共有する確率

 

膜翅目に於ける真社会性の進化

 

  ハミルトンによると、昆虫の中でもハチやアリの仲間の膜翅目で、労働カストや繁殖カストの分化した社会を持つ真社会性昆虫が繰返し進化したのは、その独特の遺伝システムによるという(膜翅目で11回、シロアリ目で1回、同翅目のアブラムシで数回進化したとされる)。昆虫の大部分はメスの腹の中に受精嚢という袋を持ち、交尾で得た精子は一旦ここに蓄えられ、産卵時に受精嚢から精子が放出されて受精が起こる。ところが膜翅目では、受精して2倍体となった卵はすべてメスになり、オスは未受精の1倍体の卵から生まれる。つまり膜翅目のメスは、産卵時に受精嚢を開くかどうかで子の性を決定できるのである。この特殊な性決定様式を、半・倍数性を呼んでいる。この結果、ミツバチなどでは兄弟姉妹の血縁度に面白い違いが出て来る。

  血縁度というのは、特定の個体が持つある遺伝子を他の個体も持っている確率である。子の遺伝子の半分は母親または父親に由来する事から、親子で特定の遺伝子を共有する確率は1/2となり、通常は親と子の血縁度は1/2となる。また兄弟姉妹の間では、母親を経由して遺伝子を共有する確率は1/2×/2=1/4、同様に父親経由の確率も1/4あるから、全体としての確率は1/4+1/4=1/2となり血縁度は1/2という事になる。ところがミツバチの様な半倍数性の生物では、オスは不受精卵から生まれるから母親のゲノムの片方だけを持ち、メスの方は母親のゲノムの半分と半数体の父親のゲノム全部を受け取る。その結果、姉妹は母親の遺伝子を1/2の確率で共有し、父親のゲノムは100%共有する事になり、その血縁度は(1/2×/2)+(1/2×1)=3/4となる。他方、母と娘の血縁度は1/2である事から、娘にとっては自分で繁殖して血縁度1/2の娘を産むよりも、巣に残って血縁度3/4の妹をたくさん育てた方が、自分の遺伝子をより多く残すという点では有利となる。これが膜翅目で特に真社会性が進化した原因だと言うのである(3/4-血縁度仮説)。

 

(注) この説が成り立つ為には、女王とワーカーが母娘関係にあり、女王が複数ではなく一匹のみで、しかも一匹のオスとだけ交尾する必要があるが、この条件は必ずしも満たされていない事が分かっている。ミツバチの様に真社会性のハチ類には複数回交尾が普通に見られるし、熱帯や亜熱帯では1つのコロニーに産卵可能なメスが複数存在する多雌創設も普通である(南米のアシナガバチ類22属中、20属が多女王制という)。また、ヒメホソアシナガバチやチビアシナガバチでは、娘が女王を追出して次々と女王が交替する継時的多雌性も普通に発生し、コロニー内の平均血縁度を著しく低下させると言う。

 

[血縁者間の血縁度](1-2) (1-3)

親子

兄弟姉妹

異父母兄弟

祖父母/孫

叔父、叔母/甥、姪

いとこ

またいとこ

/2

/2

/4

/4

/4

/8

/32

 

 

 ESSとゲームの理論

 

  行動生態学のもう一つの理論的支柱になっているものに、ESS(進化的安定戦略: evolutionary stable strategy)の理論がある。これは、生物の各個体が自分の適応度を最大にしようと色々な戦略をとって行動する時に、生物の社会に一定の平衡・安定状態が生まれる事をゲームの理論を使って説明するものである。ゲームの理論というのは、利害の対立する者同士の競争において、相手の行動に対応してどういう行動を採れば良いかを数学的に研究するもので、元々は経済学の研究で発達したものをメイナード・スミスが動物行動の解析に応用したのである。

  良く知られている、ハト派戦略とタカ派戦略を例に説明しよう。2匹の動物が、1つの資源をめぐって争っているとする。各個体が採りうる戦略は2つあり、タカ派戦略は自分が傷つくか相手が逃げ出すまで闘い、ハト派戦略では相手が攻撃して来れば闘わずに逃げる。そしてハト派同士が出会った時は、資源を半分ずつ分け合うとする。ここでハト派ばかりの社会にタカ派が侵入した場合を考えると、ハト派は常に逃げるので、タカ派は容易に資源を奪って個体群中に広まっていく。しかし、この個体群がタカ派ばかりになるとは限らないのである。これを1つのゲームと考えて、対戦ごとに得点を与えて見よう。もし、タカ派が闘いに勝てば資源を獲得して50点(V)、逆に敗れれば傷を負って−100点(C)。ハト派が闘わずに逃げ出した時は0点とする。こうしておいて対戦ごとの得点を計算すると、タカ派とハト派の場合は、タカ派が50点、ハト派が0点。ハト派同士の場合は各25点。そしてタカ派同士の時は、2回に1回の割合で勝つとすると、その平均得点は、

              (1/2)V−(1/2) 25

点となる。ここで、タカ派ばかりの社会にハト派が侵入した場合を考えると、常に負けるが怪我をしないハト派は0点で、タカ派の平均−25点より大きい為、ハト派は増加する事になる。では、どこまで増える事ができるのか。個体群中のタカ派の比率をP、ハト派の比率を(1−P)とすると、タカ派の平均利得Hは、

              P{(1/2)V−(1/2)C}+(1−P)V V−P{(1/2)V+(1/2)C}

一方、ハト派の平均利得Dは、

              P×0+(1−P)(1/2) =(1−P)(1/2)

H=Dとおくと、

              / /

となり、この例ではタカ派とハト派は1/2ずつ共存する事になる。ただ利得と損失の値によっては、片方しか生存できない場合も出てくる。例えばV≧CならP≧1となり、タカ派が全部を占め、そこにハト派が侵入しても絶滅してしまう。

  このように個体群が一定の戦略を持つ個体で占められ、他のどんな戦略を持つ変異個体の侵入も排除される時、そのような戦略をESS(進化的安定戦略)と呼んでいる。この理論によって従来、群淘汰により説明されていた、儀式的闘争行動・順位制・互恵的利他行動などの動物の社会的行動が、ダーウィン派の主張する個体淘汰の上で説明できるようになったのである。各個体の、自己の適応度上げようとする利己的行動が、一定の社会関係・平衡状態を生み出すわけである。例えば、なわばりの成立がこの理論でうまく説明できる。タカ派とハト派の間に、新たに「自分が先住者の時にはタカ派戦略」、逆に「侵入者の時にはハト派戦略」を採るブルジョワ派という戦略を考える。つまり自分のなわばり内では激しく闘い、逆に相手のなわばりに侵入した時は常に退却するという戦略である。そこで他個体との出会いで半分は先住者、もう半分は侵入者になるとしてゲームをすると、ブルジョワ戦略がESSになると言う。そして、すべての個体がブルジョワ派になると激しい闘争はなくなる。というのも2個体が1つの資源をめぐって争う場合には、必ずどちらか一方が先住者で他方が侵入者となり、侵入者は常に退却する事になっているからである。(1-2) (1-4)

  これは18世紀にアダム・スミスが、個々の経済人の自由な利己的行動が「見えざる手」に導かれて一定の経済秩序を生み出し、社会全体の繁栄を実現するとした、自由放任の主張を思い起こさせる。またダーウィンも、マルサスの『人口の原理』を読んで自然淘汰説を思い付いたと言われている。これは、人口増加が幾何級数的であるのに対して食料が算術級数的にしか増加しないため、貧困と悪徳が必然的に発生するという説であった。ダーウィンは、ここから生物間の生存闘争の必然性を導き出したとされているのである。どうも進化理論は、なぜか経済学とのつながりが深いようである。そう言えば近代経済学も、非現実的な数学モデル作りに熱中してきた。行動生態学の分析手法は、この近代経済学とよく似ているのである。

  それはともかく、ゲームの理論によって従来は種全体の利益を目指した行動と考えられていたものが、個体の生存戦略・利己的行動として説明する事ができるようになった。こうして生物の様々な社会的行動を、個体の利己的行動に還元して分析するのが当たり前になって行ったのである。

 

 

■ 社会生物学と遺伝子中心主義

 

  血縁淘汰とESSの理論により、生物のすべての行動は遺伝子の利己的行動に還元される事になった。それでは何故、遺伝子は利己的なのか。それは利己的でない遺伝子は、自然淘汰で淘汰され生き残れないからである。極力、利己的にふるまい、自己のコピーを少しでも多く残せる遺伝子のみが進化する事ができる。「成功した遺伝子に期待される特質のうちで、最も重要なのは無情な利己主義である」と、『利己的遺伝子』で一躍時代の寵児になったR.ドーキンスは主張する。そしてこの遺伝子の利己主義は、当然の事として個体の利己主義を生み出す。「普遍的な愛とか、種全体の繁栄とかいうものは、進化的には意味をなさない概念にすぎない」。そしてついには、生物とは「遺伝子によって創り出された機械にほかならない」という事になった。それは最初、単に遺伝子を保護するタンパク質の外被として作られたものだと言う。生物とは、遺伝子が自らのために創り出した生存機械、いわば遺伝子の乗り物に過ぎないのである (1-5)。こうして生命はその神秘性をはぎとられ、遺伝子の利己主義にとって代えられる事となった。若き日に自然の豊かさや生命の不思議に畏敬し、様々な生き物が織り成す複雑に絡み合った生態系と、その中で見せる動物たちの巧妙な行動や社会に感動して生物学を目指す人がいるなら、彼らが今日そこに見出すのは、味気ない数式と安っぽい利己主義だけという事になってしまったのである。

  そして、この生物学の理論は当然の事として、人間自身にも適用される事となった。人間の社会行動の生物学的基礎を明らかにするものとして、E..ウイルソンによって命名された社会生物学(sociobiology)である。彼は、人の社会的地位・階級までもが遺伝的に決定されると示唆している。同性愛の遺伝子というのも存在すると言う。そればかりか、文化・宗教・道徳なども遺伝子により決定され、個体や社会(血縁集団)の適応度を高めるものが、自然淘汰によって進化して来たと主張する。「道徳的発展に関する研究は、遺伝的変動の問題の単に複雑で扱いにくい場合にほかならない」のである。そして、今や「道徳を、哲学者の手から一時的に取り去って、生物学に委ねるべき時機が到来した」。こうして彼は「人文科学や社会科学も単に生物学の特殊な研究領域にすぎなくなる」と宣言する。そして新たに、「人類学的遺伝学という学問分野」の設立を要求する。人間の社会的本性も、基本的にはダーウィン的進化の産物であり、それゆえ社会科学もソシオバイオロジーの上に再編されるべきなのだ。(1-6)

  しかし、このような人間行動における遺伝決定論に対しては、当然の事として激しい批判の声が上がった。日本では注意を引かなかったが、社会生物学論争である。当事者の一人であるS..グールドは次のように述べている。「遺伝決定論をめぐって長期の激しい論争が生じたのは、その社会的、政治的メッセージの働きとしてであった。・・・・・遺伝決定論は常に、現存する社会制度を生物学的に不可避のものとして、擁護するために利用されてきた。つまり<お前たちが貧乏なのは、お前たち自身の責任だ>というものから、19世紀の帝国主義や現代の性差別論にまで及ぶ、一連の論議を擁護して来たのである。そうでなければ、これほどまでに事実の裏付けを欠いた一組の思想が、どうして数世紀を通じて、既成のメディアからかくも絶えざる好評を勝ちうるだろうか。しばしば善意の理由から、遺伝決定論を提案する多くの個々の科学者には、このような利用を抑える事ができないのである」。(1-7)

  こうした生物学原理から人間行動や社会を捉えようとする動きは、何もウイルソンに始まった事ではない。ダーウィンの進化論が社会に受け入れられた1870年代に早くも、人間社会もダーウィン原理を通して解釈しようとする試みが現れて来る。19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界的に大流行した社会ダーウィニズムである。これは人種差別や階級制の合理化、戦争の必然性の主張に利用され、優生学、そしてナチズムへとつながっていく。当時、個人の特性は生得的なものとして、劣った遺伝子を広める教育程度の低い犯罪を生む貧困階級、あるいはユダヤ人・スラブ人・黒人などを、社会的害悪の根源、文明の脅威として排斥する優生運動は、ドイツだけではなくイギリス・フランス・アメリカにも広まっていた。1900年代初期のアメリカへの移民割り当ては特定の民族出身者を締め出す様に企図されていたし、1930年代には犯罪者・癲癇患者・精神薄弱者などの強制的断種を規定する法律が、アメリカ・デンマーク・ドイツ・スイス・ノルウェー・スウェーデンで成立していた。国が犯罪者の命を奪えるなら、精神障害者の子供を産む権利も奪えるはずだというわけだ (1-8)。そして、ナチスはこの遺伝学理論を振りかざして、断種手術を施した25万人もの精神病院入院者をガス室へ送り込んだのである。「これまでナチズムは、非合理、反科学だと見なされて来た。確かにナチスは知識人を軽蔑し、大量のユダヤ人科学者を追放した。しかし一方で、人種主義的なナチス・イデオロギーの装いは、表面上恐ろしく論理的で科学的であった。ヒトラーは、しばしば科学という言葉を口にした。ヒトラーの思想を煎じ詰めれば、国家は生物学的人種が構成する民族共同体であり、常に新たな生存圏を求めて他人種と戦闘状態にある。ヒトラーは、生物学的人種概念と国家を結びつけたところに、自らの独創性を感じており、この意味で極めてラジカルな一元論者であった」(1-9)

 こうした野蛮な行為は、なにも遠い過去の事ではない。自由の国アメリカで、1910年から1935年の間に成立した30以上の州法や連邦法の下で10万人以上の人が断種され、ヴァージニア州では1970年代まで精神障害者の断種措置が続けられて来たのである。社会生物学は、「メンデル遺伝学がより精緻な集団遺伝学と分子生物学的説明に取って代わっただけで、基本的には・・・・・・今世紀初めの頃の社会ダーウィニズムの発想と、うりふたつである。しかも社会ダーウィニズムの実像がほとんど知られていないため、彼らは全く新しい思想だと信じ、使命感すら持ってやっている。しかし人間も生物である以上、生物学の説明対象にしうるという生物学至上主義的な人間解釈をとる点で、この二つは明らかに同型である。例えて言えば、空気は流体だから流体力学を知っていれば天気予報ができると言っているのに近い」(米本昌平)のである。(1-9)

 

 

 自然淘汰説の歩み

 

  多くの成果を生み出した一方で、様々な問題をも合わせ持つこれらの理論は、共通の理論的基礎としてダーウィンの自然淘汰説をもっている。それは、ダーウィンの考えを最後まで推し進めれば、必然的にそこに至る理論的帰結であると言った方がいいかも知れない。ダーウィンによると、生物の種は多産性を原則としている。そのため、必然的に生存競争(闘争)が起こり、環境によりよく適応した変異を持つ個体が生き残る。そして、遺伝を通してその変異が子孫に伝えられる事により、種は長い時間をかけて徐々に進化して行くとした。これが自然淘汰説である。つまり進化が起こる為には、より適応した個体が同種内での生存競争に勝ち残り、より多くの子孫を残す事でその優れた遺伝子を集団内に広めて行かなければならない。これは見方を変えれば、より多くの子孫を残す事ができる個体こそが、より適応した個体という事になる。ダーウィン派の進化論では、適応とより多くの子孫を残すという事(適応度)は同義なのである。そして、それはどのような個体あるいは遺伝子かというと、自分の子孫や遺伝子をより多く残す事を最大の目標として、利己的に行動する個体や遺伝子という事になろう。つまり、自然淘汰説には始めから個体や遺伝子の利己主義が、その論理の中に含まれていたわけである。また進化のためには、優れた遺伝子を持つ個体が繁殖集団中に増えていかなければならない。これは逆に見ると、劣った個体や遺伝子は集団から排除されねばならないという事、少なくとも繁殖可能な子孫を残す確率が、優れた個体よりも小さくなければならないという事を意味している。即ち自然淘汰説は、利己主義と同様に弱者の排除の論理も元から持っていたのである。

  こうした考えは容易に優生学と結び付く。これは結婚制限や断種などによって、人間の遺伝的改善を図ろうというものである。ほとんどの突然変異は有害なものだが、普通は自然淘汰によって除去されている。ところが医学の進歩により、このような遺伝子が淘汰を免れて次世代に伝えられる様になると、人類集団のなかに有害遺伝子が蓄積され人間の持つ遺伝情報が劣化し、ひいては人類そのものの退化を引き起こすという考えは容易に導き出す事ができる。中立説で有名な木村資生も、優生学に強い関心を持っていた事が知られている。彼は、有害遺伝子を持つ人の子供数の制限や受精卵の発育初期での除去、さらには精子銀行やクローン人間の製造までも、人類の長期的な未来を考えると考慮の価値があると言っていたのである (1-10) (1-11)。もっと極端な例では、化学賞と平和賞の2つのノーベル賞を受賞したライナス・ポーリングが、鎌状赤血球貧血やフェニルケトン尿症の遺伝子を1つ持つ人は、互い同士の結婚を避ける為に、目印として額に入れ墨をするよう提案していた事が知られている。こうした優生学的な発想が容易に生まれるという事実は、単に学者の良心の問題ではなく、理論そのものが問題を内包していたと言うべきだろう。

  このように、現代の進化理論の持つ様々な問題の淵源は、自然淘汰説そのものにまで遡る事ができる。では、この自然淘汰説はどのような歩みを経て今日に至ったのか、またそれに対してどのような批判や修正が行われたのか、次にそれを簡単に振り返っておこう。『種の起源』が出版された1859年以降、ダーウィンの理論は徐々に影響力を増し、187080年代には多くの支持を集める様になって行ったが、19世紀末には獲得形質の遺伝を強調するネオ・ラマルキズムや定向進化説が優勢になって来る。化石の形態の時間的変化にはしばしば一定の方向性が認められ、例えば、馬の進化では次第に体が大きくなり、指趾の数が減少し歯も複雑化して来る。定向進化説は、このような進化の傾向を法則として、その原因を生物に内在する力に求めた。中生代のグリフェアというカキの仲間の強く巻いた殻や、オオツノジカの巨大な角、剣歯虎の長く伸び過ぎた犬歯は定向進化の好例とされ、その有用性の限界を越えた器官の過度の発達は、自然淘汰説では説明不能とされたのである。

  こうした状況を一変させるのが、1900年メンデルの法則の再発見に始まる粒子遺伝学の急速な発展、そしてメンデル理論とダーウィン理論の融合である。元々、自然淘汰説の最大の弱点は、遺伝のメカニズムが不明な事にあった。その当時、広く信じられていた遺伝の法則は、両親の遺伝的性質が交配により混合されて子に伝わるという融合説で、それによると変異個体の持つ生存に有利な性質も世代を経るごとに薄められ、ついには消失してしまう事になる。従って、両親の性質が融合する事なく、遺伝子により独立に伝わるというメンデルの法則の再発見は、自然淘汰説にとって大変重要な意味を持っていたのである。しかし、ここにも問題があった。ダーウィンの自然淘汰説では、生物の形質は徐々に連続的に変化して行くと考えられていたのに対し、メンデルの遺伝理論では形質の変化は質的で不連続であったからである。例えば、黄と緑のエンドウマメを掛け合わせてもその中間色が出るわけではなく、第2世代のマメの色は黄か緑のどちらかなのである。さらには、メンデルの遺伝理論とヒューゴー・ド・フリースの突然変異説が結び付き、一時は自然淘汰説を圧倒する迄になる。これは進化を、自然淘汰による微小な変化の積み重ねによってではなく、突然変異により瞬時に新しい種が形成されるというものであった。こうして1920年頃には、進化の説明理論としての自然淘汰説は存続の危機に直面していたのである。

  これを救ったのが生物測定学(生物統計学)派で、個体変異を統計的に調べ、生物の形質には多数の遺伝子が関与し変異は連続的に分布する事を明らかにした。そして、この研究方法がのちに遺伝学に取り入れられ、1930年頃、集団遺伝学が誕生する事になる。これは進化を、繁殖集団の遺伝子構成(遺伝子頻度)の時間的変化と捉えて、それを数理的に扱うものである。即ち、自然淘汰による集団中の遺伝子頻度の変化を、お手玉袋(beanbag)に入った色違いの豆の比率を計算する要領で論じたのである。いうなれば、ダーウィンの自然淘汰説とメンデルの遺伝法則が生物統計学により結合されたもので、自然淘汰説の定量化の試みであった。これによって初めて、自然淘汰を数学的・定量的に論じる事が可能となったのである。

  この集団遺伝学を介した自然淘汰説と遺伝学との融合を基礎に、地理的隔離による種分化の理論などを接木して、1940年代前半に現代的な進化理論である総合説が確立する事になる。これは進化を、遺伝子の突然変異と自然淘汰によるその選別によって説明するもので、この名には自然淘汰説を中心に、遺伝学・古生物学・生態学などの成果を総合したものという自負が込められていた。

 

 

 分子進化の中立説

 

  この総合説は分子生物学の進展に伴い、1960年代には進化理論の主流派としての地位を確立する。しかし1970年代から80年代にかけて、総合説に対する批判も出てくるようになった。その一つが1968年、木村資生によって提唱された分子進化の中立説である。タンパク質のアミノ酸配列の比較や電気泳動法による酵素の変異性の検出法の発展により、生物の種内変異が分子レベルで解析される様になると、個体間の変異パターンが予想以上に多様(遺伝的多型)である事が明らかになってきた。しかし、そのように多くの変異が同一種内に保存されている事は、自然淘汰説ではうまく説明できない。そこで考え出されたのが中立説(中立突然変異浮動仮説)で、これは分子レベルの進化では、自然淘汰に有利でも不利でもない、中立な突然変異の偶然的浮動が主役を演じているというものである。

 従来の総合説は、こうした大部分の生物の遺伝子座で高頻度に見られる分子多型現象を、ヘテロ接合体の適応度がホモ接合体より高くなる超優性や異質な環境への適応戦略として、つまり正の淘汰によって説明しようとしたのに対し、中立説は自然淘汰には関係のない突然変異遺伝子の偶然的な固定が酵素多型の原因だとした。そしてこの説によると、自然淘汰を受けにくい分子進化ほど急速に進化する1-31。つまり分子進化では自然淘汰は機能していないというわけである。

このように中立説は、有利な突然変異が淘汰を通じて集団内に固定するという、従来のダーウィン派の自然淘汰説とは明らかに異質な考え方であり、世界的に激しい論争を巻き起こす事になった。今日では、分子レベルでは中立説の有効性は認められているが、これで表現型の進化を説明する事は難しく、結局分子レベルの進化は中立説、表現型レベルでは自然淘汰説と使い分けているのが現状である。いわばどちらの説も進化理論としては不完全で、互いに欠点を補完し合う事でなんとか体裁を取り繕っているとも言えよう。中立説は、有利な変異が自然淘汰で広まる事まで否定しているわけではなく、木村自身、自然淘汰説そのものを否定したのでは決してなく、分子レベルの進化では中立説が適用されるが、形態や行動など大きなレベルでの外見的進化については自然淘汰説がふさわしいと強調している様に、ダーウィン理論の欠点を補完・補強するダーウィン進化論の枠内の理論と見る事ができる。彼が批判したのは、当時の総合説に見られた自然淘汰万能主義であった。しかしこの中立説によって、少なくとも分子レベルの進化では自然淘汰の機能が明確に否定されたわけで、従来の自然淘汰説が大きな修正を迫られた事も明らかな事実なのである。

 

 

 断続平衡説

 

  1972年には、現代進化論におけるもう一つの重要な仮説が提出された。N.エルドリッジとJ.グールドによる断続平衡説(区切り平衡説)である。エルドリッジは、北部ニューヨーク州やアメリカ中西部から大量に産出する三葉虫の研究から、化石の形態に進化上の目立った変化がほとんどない事に気付いたのである。実際、中西部では600万年に渡って、複眼の内部のレンズ列が18から17に減少した事を除くと解剖学的変化は全く見られず、三葉虫の化石記録は圧倒的な静止状態を示していたのである。ダーウィン理論では、進化はわずかな変異が長い時間をかけて蓄積する事で、徐々に種が変化して行くと考える。ところが三葉虫の進化過程はそれとは全く異なるパターン、つまり極めて短期間に新種の分化が起こり、その後、時にはその種が絶滅するまで長期間に渡って変化しないというパターンを示していたのである。また、氷河期のバーミューダのカタツムリを研究していたグールドも、同様の事実を見出していた。この事から、進化は一定の速度で徐々に連続的に進行するものではなく断続的に起こる、即ち短期間の急激な変化(種分化の時期)と、その後の長期間の静止(平衡)状態とからなると主張したのである。

 こうしたパターンは、三葉虫やカタツムリ以外にも多くの化石記録に認められる。例えば、ケニアのトルカナ湖で発見された13種の淡水産の貝化石は、その生息した新生代後期の数百万年の期間ほとんど何の形態変化も示さず、200万年前と70万年前の2回だけ大きな変化をしている。この時には湖の水位が下がり、貝の新種が爆発的に出現したのである。しかも、ここではその移行を示す中間種が保存されており、短期間に驚くべき形態変化を示していると言う。ところが、この不安定な状態は5千年から5万年ほどしか続かず、その後は再び永続的な種が出現して平衡状態に落ち着いたのである。また「生きた化石」と呼ばれる様な、地質時代の長い期間に渡ってほとんど形態を変化させずに存続して来た生物の存在も、この仮説を支持する様に見える。例えば、肺魚類はデボン紀に多様性が最大になった後、急激に種分化を止め進化を停止しているのである。さらに、新生代における哺乳類の進化も、ほとんど総ての基本的な適応を初期の約2000万年間で発展させている。暁新世と始新世の初めに哺乳類の多くの新しい目が出現して劇的な進化を遂げ、わずか約1200万年の間に、コウモリやクジラほども異なる生物が原始的な祖先グループから誕生したのである。

  この断続平衡説は、ダーウィン派の進化観に修正を迫まる事になった。ただ、この説が批判しているのは進化の漸進的モデルであって、自然淘汰そのものではない。このように総合説に対しては様々な批判が出て来ているわけだが、自然淘汰そのものを否定しようとする動きは少なく、また力も持っていないと言えよう。グールドは「総合説は・・・・教科書の正説としては生きながらえているものの、実質的には死んでいる」と述べている。しかし今日なお、総合説に取って代わるだけの進化理論は存在していないのである。

  さて、もう一つ忘れてはならない重要な説に、1967年にリン・マーグリスにより提唱された連続共生説がある。これは原核細胞から真核細胞へという、生命の長い進化史の中でも最も重要な進化の一つが、自然淘汰とは全く関係のない、細胞内共生というメカニズムで起こった事を明らかにしたものである。自然淘汰とは全く異なる進化のメカニズムが実際に存在する事、しかも自然淘汰説を構成する基本概念の生存競争とは全く正反対の、生物間の共生が進化の原動力となり得る事を現実に起こった進化で示した点で、従来の進化理論に極めて深刻なインパクトを与えたと言う事ができる。次に、この生命の驚くべき実態を明らかにした共生説を、少し詳しく取り上げる事にしよう。

 

 

共生による真核細胞の進化

 原核細胞と真核細胞

 

  昔は原則として、生物を動物か植物のどちらかに分類していた(二界説)。そして光合成バクテリアから藻類が進化し、その藻類のあるものから植物が進化、また葉緑体を失ったものから菌類や動物が生まれて来たと考えられていたのである(内生説)。しかし、このアリストテレス以来続いて来た生物の2分割法は、今では全くすたれてしまった。それに代わって今日では、生物は極めて異質な2種類の細胞(原核細胞と真核細胞)から成る生物群に2分されている。生物界は動物か植物かではなく、原核生物か真核生物という基本的な2大陣営に分けられるのである。そして真核生物はさらに、植物・動物・菌類・原生生物に区分される(五界説)。

  近代生物学の中心概念である細胞説によれば、生物は細胞から生じ細胞から成るのであって、細胞こそ生命の基本単位という事になっている。ところが同じ細胞といっても、原核細胞と真核細胞では、単一の定義には収まり切れないほど異質なものなのである。真核と原核という区分は、遺伝物質であるDNAを収める細胞核が明確な形で存在するかどうか、つまり膜で仕切られた核の存在の有無によっている。原核細胞というのは核を持たない、らん藻(シアノバクテリア)も含めたバクテリア(細菌)の細胞の事で、DNAは凝縮して細胞のほぼ中央部に存在する。ただこの部分は、膜(核膜)によって細胞の他の部分から隔離されてはいないので、核ではなく核様体と呼ばれている。一方、バクテリア以外のすべての生物は、真核細胞から成る真核生物である。真核細胞は2層の核膜で包まれた核を持ち、DNAはヒストンというタンパク質のコアに巻き付き凝縮した状態で核内に閉じ込められ、細胞質から隔離されている。一方、細胞のほとんどの代謝反応は細胞質で行われており、遺伝情報を担う核との間にはっきりした役割分担ができているのである。

 

(注) 細菌も真核生物のものとは構造が異なるが、DNAはタンパク質と結合・凝縮して核様体を形成している。大腸菌では、環状DNAの二重らせんに余分の巻きが加わったり逆に解けて超らせんを形成し、こうして出来た約100kbの超らせんループが4050本、中心のタンパク質コアから放射状に伸びていると言う。核様体の構成タンパク質には、超らせんを維持する2種類の酵素と4つのDNAの折りたたみに働くタンパク質が有り、そのうち最も多いのがHUで、構造はかなり異なるがヒストンと同様に四量体を形成してDNAを巻き付けている。一方、古細菌にはHUの様な折りたたみに働くタンパク質はなく、代わりにヒストンに非常に良く似たタンパク質を持つと言う。(1-12)

 

  この核の有無は2つの細胞を区分する時の目安になっているわけだが、原核細胞と真核細胞の間には、これ以外にも際立った違いが幾つもある。まず両者では、細胞のサイズが全く違う。原核細胞が普通1〜10マイクロメートル(μm=10−6)なのに対し、真核細胞は5100μmで実際には10μm以下のものはほとんどなく、多くの植物細胞や動物細胞は直径が90μmもある。つまり原核細胞と真核細胞では、その大きさが1ケタ違うのである。その結果、真核細胞は原核細胞に比べて容積がはるかに大きく、一般に1000倍かそれ以上あり、様々な物質を大量に保持している。

  また原核細胞がほとんどはっきりした内部構造を持たず、極めて単純な造りになっているのに対して、真核細胞はサイズが1ケタ大きくなった事とも関連して、極めて複雑な内部構造を発達させている。その1つが複雑な細胞内膜系で、真核細胞の目立った特徴の1つになっている。細胞膜で囲まれた区画を1つしか持たない細菌に対して、真核細胞は、膜で囲まれそれぞれ異なる機能を持つ小区画に複雑に分割されているのである。これらの小区画は細胞小器官とも呼ばれ、おのおの特有の酵素群や分子を持ち、複雑な輸送系によって区画から区画へと物質が整然と輸送されている。ミトコンドリアや葉緑体(この2つは上記の輸送系には含まれない)は、そうした細胞小器官の代表例で、膜で包まれていないリボソーム(タンパク質の合成工場)などは原核細胞にも存在するが、これらの膜に包まれた細胞小器官は総て真核細胞に特有のものなのである。この細胞内に発達した膜構造の約半分を占めるのが小胞体で、細胞の隅々にまで張り巡らされ複雑に入り組んだ管状の膜構造で細胞質の大部分を占め、タンパク質の合成や輸送を行っている。また、平たい袋を積み重ねたような形のゴルジ体も膜でできた構造体で、小胞体で作られたタンパク質の修飾や輸送に関わっている。そして、実は核も細胞内膜系の一部であり、外側の核膜は小胞体膜とつながっているのである。

  こうした細胞内膜系の発達と関連して、真核細胞はエンドサイトーシスとエキソサイトーシスという独特の機能を持つ。エンドサイトーシスというのは外部に面する細胞膜の一部が陥入し、引きちぎれて細胞外の物質を取り込んだ細胞質小胞を作る現象で、その特殊な形態が、アメーバやマクロファージ(大食細胞)が大きな粒子や細胞を丸ごと飲み込む時に見られる食作用である。エキソサイトーシスはこの逆で、細胞内の膜に包まれた小胞が細胞膜と融合して、その中身を細胞の外に放出する。真核細胞は、このエンドサイトーシスとエキソサイトーシスを使って小胞体とゴルジ体の間、そしてゴルジ体と細胞膜の間で複雑な物質の輸送系を形成しているのである。実は、この機能が真核細胞の進化に決定的な役割をするのだが、それについては後の章で取り上げる事にしよう。

  また、細胞が巨大で精巧な特殊化した内部構造を持つ真核細胞では、それらの構造を正しい位置に保ち動きを調節する必要から内部骨格、即ち細胞骨格を発達させている。細胞骨格は、アクチン・フィラメント、微小管、中間径フィラメントの3種類のタンパク質繊維からできた網目構造から成り、それが細胞に形や運動能力を与え、細胞小器官の位置を決めたり配置替えを行っている。ミトコンドリアや小胞体・ゴルジ体などの細胞小器官は、ただ漫然と細胞質中に浮かんでいるわけではなく、細胞骨格によってその配置を決められているのである。この事は、簡単な実験で確かめる事ができる。微小管は、核の近くにある中心体から周辺部へ向かって数百本が放射状に伸び、小胞体の管状の膜はこの微小管に沿って細胞の端近くまで伸張し、一方ゴルジ体は中心体の近くに位置している。そこで、微小管のタンパク質を脱重合させる薬剤で細胞を処理すると、これらの細胞小器官の配置が変わり、小胞体は分散して細胞の端から中心に向かって移動し、ゴルジ体は断片化して小さな小胞となり細胞質全体に分散してしまう。さらに驚いた事に、この薬剤を取り除くと、細胞小器官は再形成された微小管上をモーター・タンパクによって引っ張られ、自然に元の位置に戻ると言う。また、細胞質には微小柱格子と呼ばれる独特な網目構造が細胞中に広がっており、その3次元構造の中に細胞小器官を絡めて支えている。そして、この網目構造には酵素も保持されているらしい。特定の反応に関与する酵素群を近くに空間的配置する事によって、酵素が細胞中に無秩序に散在している場合よりも、効率的に反応を進める事ができると考えられるのである。

  細胞骨格フィラメントは、構造的な支持体としてだけでなく輸送の道筋としても機能している。脊椎動物の生細胞を光学顕微鏡で観察すると、細胞質が連続的に動いているのが見える。数分の間に、ミトコンドリアや膜で囲まれたもっと小さな細胞小器官は、周期的な跳躍運動を行って移動を繰り返している。この運動は、アクチン・フィラメントや微小管に結合したモーター・タンパクにより、ATP加水分解のエネルギーを使って引き起こされている。こうした細胞質流動も真核細胞に特有のものである。さらに先に述べた細胞内の物質輸送も、張り巡らされた微小管に沿ってキネシンやダイニンといったモーター・タンパクが、積荷を閉じ込めた小胞を運ぶ事によって行われている。また、細胞骨格は真核細胞特有の細胞分裂である有糸分裂においても、不可欠の重要な役割を果たしている。原核細胞では、DNAは環状のものが1つ存在するだけだが、真核細胞ではタンパク質と複合体を作った線状のDNAが複数存在している。そして、この線状DNAは細胞分裂が始まるとさらに凝集して、光学顕微鏡でもはっきり見える染色体となる。有糸分裂の名称は、この染色体からきているのである。そして、真核細胞の細胞分裂時には微小管から成る紡錘体が形成され、複製されて2倍になった染色体はこの紡錘体の中央に整列し、その後、微小管に引っ張られて両極に分離する事で有糸分裂が行われる(正確には染色体のキネトコアが微小管を分解しながら手繰り寄せる)。

 

(注) 中間径フィラメント:多様な繊維状タンパク質から構成される直径10nmのロープ状繊維で、ほとんどの動物細胞の細胞質に存在する。細胞骨格繊維中最も丈夫で、核を取り囲んで周辺まで網目状に広がり、細胞膜に有るデスモソームと呼ばれる細胞間結合を介して隣の細胞と繋がり、細胞に構造強度を与えている。また、核膜内膜直下に網目構造の核ラミナを形成する。

微小管:チューブリンでできた直径25nmの中空の管で、細胞の中心部にある中心体から真っ直ぐ放射状に細胞周辺部まで広がり、モータータンパクと共同で細胞内の輸送網を形成している。また真核細胞の紡錘体や繊毛・鞭毛を作る。細胞内では、チューブリン分子は重合と解離を繰り返しており、微小管はそれに応じて伸びたり縮んだりしている(動的不安定性)。

アクチンフィラメント:直径7nmのアクチンタンパクのらせん状重合体で、細胞質全体に分布するが、特に細胞膜直下に集中して細胞皮層を形成し、様々な運動、特に細胞表面の関係する運動に関わっている。また、アクチン結合タンパクによって連結され粗い三次元の網目構造を作っているが、重合と脱重合を繰り返して皮層のアクチンを並べ替へ、細胞の形状変化やアメーバ運動を生み出している。モータータンパクのミオシンと共に、筋肉の収縮装置を形成する。

 

  さらに原核細胞と真核細胞では、遺伝子の構造も異なっている。実は、真核細胞の遺伝子には、イントロンと呼ばれる遺伝情報として意味を持たない配列が数多く含まれているのである。このイントロンは一部の例外を除き原核細胞には存在せず、真核細胞特有の構造と考えられている。

  以上見て来たように、真核細胞は原核細胞に比べると格段に進歩した複雑な構造とシステムを進化させており、同じ細胞といっても両者は極めて異質なものなのである。

 

 

 真核細胞の起源

 

  今日、化石として確認されている最古の生物は、原核生物のバクテリアで35億年前のものである。一方、真核生物が出現するのは21億年前とされている。従って、初めに構造が単純な原核細胞が最初の生命として誕生し、その後、高度に発達した内部構造を持つ真核細胞が原核細胞から進化して来たと考えられる。しかし、先に見たように両者は極めて異質な細胞でその内部構造の複雑度に大きな格差のある事、また我々も含めて高等な多細胞生物が総て真核生物である点などを考えると、原核細胞から真核細胞への進化は生命の進化史上最も大きな飛躍であると共に、最も重要な進化の1つであったと言う事ができよう。この事は生命誕生後、最初の真核細胞が進化するまでに20億年近い時間を要した点にも表れている。このように重要な意味を持つ真核細胞の起源を明らかにしたのが、L.マーグリスの共生説なのである。それによると、真核細胞は原核細胞の世界が十分多様化した後、異なる系統の原核細胞が何度か細胞内共生する事で生まれたと言う。真核細胞の著しい特徴の1つは、ミトコンドリア・葉緑体などの細胞小器官を持つ事であったが、こうした細胞小器官の幾つかは外から原始真核細胞に入り込み、細胞内共生した異なる系統の原核生物だと言うのが共生説なのである。つまり共生説によると、我々真核生物は様々なバクテリアの共生体という事になる。

  実は共生説の萌芽的な考えは、すでに100年以上も前に登場していると言う。19世紀末期はパスツール学派の影響の下、次々とバクテリアが発見され、その働きが明らかにされて行った時代であった。こうした時代背景の下、ミトコンドリアと葉緑体が細胞内で自律的に分裂・増殖する事から、バクテリアが細胞内共生したものではないかと考えられたのである。両者は、その大きさもバクテリアと同じサイズである。しかし当時は、まじめに受け入れられる事はなかった。共生説が現在のように強い支持を得る様になったのは、1950年代末から60年代初めにかけて、ミトコンドリアや葉緑体の中に、核内のDNAとは別に独立したDNAが発見されてからである。しかも、これらのDNAは核のDNAとは異なる塩基組成を持ち、その遺伝子系はバクテリアのものに良く似ていた。つまりミトコンドリアと葉緑体は共に、細胞の核・細胞質系とは別の遺伝子とその発現系を備えた、独立性を持つ系である事が明らかになったのである。これによって共生説は強力な根拠を得る事になった。

  ただ、ミトコンドリアや葉緑体はゲノム・サイズ(生物の遺伝情報全体のサイズ)が小さく、自らの増殖や機能に必要な遺伝子の一部しか持っていない。その結果、自分の遺伝子発現や複製に必要な酵素など、タンパク質因子のほとんどを核の遺伝子産物に頼っている。つまり、これらの細胞小器官は、細胞自体からの助けがなければその構造と機能を維持できないのである。この事は、これらの細胞小器官が核・細胞質系のコントロール下にある事を意味している。実際、細胞から単離されたミトコンドリアや葉緑体は分裂も増殖もできない。共生説を復活させたマーグリスは、細胞小器官の遺伝子が少ないのは、その大部分を宿主の核のゲノムへと譲渡した結果だと考えた。今日、細胞小器官は多くのタンパク質の供給を核・細胞質系に頼っているが、それらも元々は細胞小器官で合成され、そこで働いていた。つまり現在、細胞質で合成され細胞小器官へ送り込まれているタンパク質の遺伝子は、細胞小器官から核へ移されたものだと言うのである。このような遺伝子転移は何も突飛な事ではない。バクテリアにおける動く遺伝因子、トランスポゾン(転移性遺伝因子)の発見は、ゲノムDNAが従来考えられていたように安定した静的なものではなく、ダイナミックに変動する事を明らかにした。今日では、ゲノムを構成するDNA断片が、空間的にも移動可能な事が明らかになっているのである。

  また、ミトコンドリアのリボソームの性質が、バクテリアのリボソームに似ている事も分かっている。これらはどちらも、抗生物質のクロラムフェニコールによって、そのタンパク質合成活性が阻害される。しかし、細胞質のリボソームのタンパク質合成を阻害するシクロヘキシミドに対しては、非感受的なのである。しかも、ミトコンドリアのリボソーム・タンパク質は総て、核ゲノムの遺伝子産物である。つまり、核・細胞質系は自ら使うリボソーム・タンパク質の他に、ミトコンドリア向けのものを別に合成しており、それがバクテリアのリボソーム・タンパク質に似ているわけである。この現象は、細胞内共生による遺伝子転移を仮定する事によって、はじめてうまく説明できる。

  こうした遺伝子転移を考える上で、興味深い事実も知られている。いくつかの生物で、ミトコンドリアの遺伝子と相同性の高い塩基配列が、核ゲノム中にも見出されているのである。遺伝子の転移で良くあるのは、まずある配列が元の場所で増幅し、その後コピーの1つが転移を起こす事である(複製型転移)。それを考えると、ミトコンドリアと核ゲノムが共通の塩基配列を持つ事実は、遺伝子転移の有力な状況証拠と言う事ができるだろう。さらに、もっと直接的な証拠もある。糸状菌というカビは、若い時にはミトコンドリアのゲノム中に含まれていた特定の塩基配列が、年老いた菌では小さな環状DNAとして切り出される事があり、こうしたものの中には何時の間にか細胞の核ゲノムの中に潜り込むものがあると言う (1-13) (1-14)。実は、こうした遺伝子転移は極めて頻繁に起きている事が明らかにされている。例えば、トウモロコシでは葉緑体のrRNAやtRNAの遺伝子がミトコンドリアに転移し、アカパンカビやタマカビではミトコンドリアの持つ酵素遺伝子の一部が核に、また同様にほうれん草では葉緑体と核に転移し、哺乳類の染色体にもミトコンドリアDNA由来の配列が有ると言う。驚いた事に、細胞内では遺伝子がミトコンドリアから核へ、あるいは葉緑体へと細胞小器官の間を自由に飛び回っている様なのである。これを、ごたまぜDNA(Promiscuous DNA)と呼んでいる。

 

(注) こうした遺伝子転移は、DNAが直接移行したというより、RNAを介して行われた可能性が高い。核に移行したと思われる酵素の遺伝子に、ミトコンドリアDNAにあるイントロンがない、スプライシング後のmRNAと相同な配列が見つかったのである。恐らく、逆転写酵素によりプロセッシング後のmRNAからcDNAが逆転写され、それが核ゲノムに取り込まれたと考えられる。

(注) DNA・RNAなど分子生物学関連の用語については第4章の説明を参照して下さい。

 

ミトコンドリア・葉緑体のタンパク質合成系

 

  ミトコンドリアと葉緑体のゲノムは小数のタンパク質しかコードしていないが、独自にDNAの複写・転写・タンパク質合成を行い、しかもその合成系は真核生物よりもバクテリアの系によく似ている。特に、葉緑体でバクテリアとの類似が著しい。葉緑体のリボソームは、構造や抗生物質に対する感受性、さらにはその塩基配列も大腸菌のものと驚くほど似ており、バクテリアのtRNAを用いてタンパク質合成ができると言う。また、真核細胞はタンパク質合成をメチオニンから始めるが、葉緑体ではバクテリアと同じくN.ホルミルメチオニンから開始する。さらに葉緑体DNAは、大腸菌のRNAポリメラーゼ(RNA合成酵素)により転写する事が可能で、できた葉緑体mRNAは大腸菌のタンパク質合成系によって効率的に翻訳されると言う。このように小器官の遺伝子系は、バクテリアのものに極めて良く似ているのである。(1-15)

 

 

 マーグリスの連続共生説

 

  マーグリスの「真核細胞の起源に関する連続共生説」は、生物の世界を5つに分ける五界説と表裏の関係にある。五界とは原核生物・原生生物・菌類・動物・植物の事で、連続共生説は4つの異なる原核生物の系統が、少なくとも3回連続的に共生する事により、真核生物の四界が形成されたという仮説なのである。この4つの原核生物とは、古細菌のテルモプラズマ、好気性(酸素を好む)の真正細菌、スピロヘータ、そしてシアノバクテリアである。

  最初に共生を受け入れた宿主細胞、即ち原始真核細胞は、現在のテルモプラズマに似たファゴサイトーシス(食作用)により食物を取り入れる能力を持つ、大型の嫌気性(酸素を嫌う)の古細菌であったと考えられている。古細菌というのは、メタン細菌・高度好塩菌・高度好酸性好熱菌・超好熱菌など、生物にとって極めて厳しい環境に棲む嫌気性のバクテリアである。原始真核細胞の候補とされたテルモプラズマは、原核生物でありながら、DNAはヒストンに似たタンパク質と複合体を作っている。また古細菌は一般に真核細胞と同様、遺伝子にイントロンを持つ事もテルモプラズマ説を支持している。古細菌には、好気性細菌のような硬い殻(細胞壁)を持つものは少なく、膜の構造も独特で真核細胞の細胞膜に近いと言う。好熱菌の中には、アメーバのような柔らかい細胞膜を持ち、触手を伸ばして隣のバクテリアと盛んに接触し融合するものもある。

 最初、このような柔らかい細胞膜を持った嫌気性の古細菌に、らせん形の運動性を持つスピロヘータが共生したと考えられる。こうして、真核細胞に特有の波動毛(鞭毛と繊毛)が誕生したと言う。この波動毛は原核細胞の鞭毛と見た目は良く似ているが、両者はその構成タンパク質も運動メカニズムも全く異なり、基本的に異質なものである。波動毛はチューブリンと呼ばれるタンパク質が重合してできた微小管から成るが、原核細胞の鞭毛はチューブリンを持たず、フラジェリンと呼ばれるタンパク質で構成されている。また波打つように動く波動毛に対して、原核細胞の鞭毛はS字形で、それをプロペラのように回転させる事で推進力を作り出している。つまり、原核細胞の鞭毛が直接進化して、波動毛になったとは考えられないのである。波動毛の起源をスピロヘータに求める根拠の1つは、実際に自然界にはスピロヘータと共生している真核生物が存在する事である。シロアリの消化管内に棲む、ミクソトリカ・パラドクサという原生生物の細胞表面には無数のスピロヘータが共生し、むち打つ様に波動毛と良く似た運動をしていると言う。第2は、原核生物であるにもかかわらず、スピロヘータの中にチューブリン様のタンパク質を持つものが存在する事である。

 さて、波動毛を獲得して自由に運動できるようになった原始真核細胞に、次は硬い細胞壁を持つ好気性細菌が共生する。そして、この細胞内共生した好気性細菌がミトコンドリアになるのである。このミトコンドリアの祖先候補が、酸素呼吸によってエネルギー効率を飛躍的に高めたリケッチア類に近いαプロテオ細菌で、現生のある種のものはピーナツ形で細胞膜の所々が陥入してクリステ状になっていると言う。このαプロテオ細菌が侵入した古細菌の中に、食い殺される事なく両者が共存するものが出現したのである。この共生によって宿主の嫌気性細菌は、一挙に高性能の酸素呼吸能力を手に入れる事になった。そして宿主の原始真核細胞は、共生した好気性細菌の遺伝子のほとんど(約90%)を、自己の核に転移させて共生細菌の自律性を奪い、核ゲノムのコントロール下に置く事に成功するのである。

 

(注) ミトコンドリアに最も近い現生細菌は発疹チフス・リケッチアで、土壌細菌の根粒菌・アグロバクテリウムなどと同じ仲間の、α族プロテオ細菌に属するグラム陰性菌である。リケッチアは、他の細胞内寄生細菌と同様にアミノ酸やヌクレオチド生合成系の遺伝子の大部分を失っているが、その一方でクエン酸回路・電子伝達系・ATP合成系の遺伝子を完全な形で保持し、さらにATPの細胞外輸送に必要な酵素の遺伝子も持っている。しかも、ゲノムDNAの約25%にもなるA/T含量の高い不安定な非コード領域を持ち、かってミトコンドリアの祖先がたどった様に、ゲノムサイズが減少傾向にあると言う。(1-16)

(注) 細胞小器官に残った遺伝子が作るタンパク質の幾つかは極端に疎水性が強く、細胞質から小器官への膜輸送が困難で、それが核に転移されなかった理由とも考えられる。

 

  このように古細菌に、まずスピロヘータ様細菌が共生して波動毛が生まれ、次に好気性細菌が共生してミトコンドリアとなる事によって、真核細胞の基本形が出来たと言う。そして、これに光合成の能力を持つシアノバクテリアが共生する事で葉緑体ができ、植物が誕生したと考える。つまり、原始真核細胞は様々なバクテリアを自らの細胞内に共生させる事によって、運動・酸素呼吸・光合成の能力を一挙に手に入れ進化したというのである。

 

 

 広く見られる細胞内共生

 

  さて、この連続共生説の基礎になっている細胞内共生であるが、実は自然界にはかなり頻繁に見られる現象なのである。またその事自体、共生説の根拠の1つにもなっている。例えば、昆虫類の少なくとも10%は、定常的に何等かの細胞内共生者を保有していると言う。なかには共生体が既存の細胞器官と競合したり、その代わりをする事もある。原生生物の渦鞭毛虫類は葉緑体を持っているが、これに単細胞緑藻類が細胞内共生すると、共生が長引くにつれ元々あった葉緑体は退化し痕跡程度になってしまうと言う。また、哺乳類の生殖管内などに寄生するトリコモナス類は、酸素を利用できないためミトコンドリアは退化し、それに代わってハイドロジェノソームと呼ばれる細胞内共生体由来の構造体が、無機的な代謝によってATP合成を行っている。

  このように、共生体が細胞器官の機能を代替できるという事実は、細胞器官自体が共生体から進化したという共生説の正当性を示しているとも言えよう。

 

 

 共生は新生物を生み出す

 

  共生は、単に異なる機能を持つ生物が、能力を補完し合って一緒に生活をしているといった単純なものではない。一旦、細胞内共生が始まると、宿主と共生者間の複雑な相互作用により両者共その性格が変わり、それまでとは異なった生物に変化しまうのである。そして、単独生活の時には働いていなかった遺伝子が発現し、新しいタンパク質が合成されるといった事が起こる。つまり共生体を獲得した生物は、今までにない新しい機能や能力を持った、新生物に生れ変わると言う事もできるだろう。(1-14)

  例えば、細胞内共生として古くから良く知られている、マメ科植物と根粒菌の共生を見てみよう。窒素は生物にとって極めて重要な元素で、これがなければアミノ酸やタンパク質、遺伝子の核酸も作る事ができない。大気の78%は窒素であるが、植物は空気中の窒素を直接利用する事はできず、硝酸塩のかたちで土壌中から吸収しなければならない。この土壌中の窒素化合物を、常に補給しているのが窒素固定菌なのである。彼らが大気中の窒素を固定してアンモニアにし、他のバクテリアがそれを亜硝酸塩や硝酸塩に変え、植物はそれを根から吸収して再びアンモニアに戻した後、様々な化合物の合成に使っているのである。根粒菌はこの窒素固定菌の仲間で、エンドウ・ダイズ・クローバー・アルファルファなどのマメ科植物の細胞内に共生し、ニトロゲナーゼという酵素を合成して窒素固定を行っている。このバクテリアが植物の根に共生すると、小さなこぶ状の構造を作る事から、根粒菌と呼ばれているのである。宿主のマメ科植物は、ある発育段階で環境からの刺激があるとフラボノイドという特別な化合物の生産を始める。これが根からしみ出すと根粒菌を引き寄せ、さらには細菌の根粒化遺伝子のスイッチを入れて複雑な糖類の生産が始まる。この糖類は植物の根毛を縮らせ、細菌が根毛細胞に侵入する為のトンネルの様なものを作らせる。根毛の先端にこの根粒菌が感染すると、そこから感染糸を根の内部に伸ばし、その中を分裂しながら目的の細胞に向かう。枝分かれしながら伸びて行く感染糸の先端が到達した細胞は、急激に細胞分裂して数を増し、その部分がこぶ状に膨らんで根粒となるのである。感染糸の先端から細胞の中へ放出された根粒菌は根の細胞内で増殖し、時には細胞質全体をびっしり占めるまでになると言う。さて共生が始まると、菌は単独生活の頃とは全く違う形となり、その生理・生化学的状態も著しく異なってくる。このような状態の菌をバクテロイドと呼んでいる。実は、根粒菌は単独生活時には、ほとんど窒素固定を行っていないのである。特殊な条件下では少しはするが、その効率は極めて低い。それはニトロゲナーゼがほとんどない為で、根粒菌は細胞内共生をして初めて、この酵素を本格的に合成し始めるのである。実際、バクテロイドの持つこの酵素の活性は感染後数日で1000倍以上にも増大し、またその量も全タンパク質の1012%を占めるまでに増加すると言う。根粒菌はニトロゲナーゼを作る遺伝子を持っているが、単独生活時にはその働きが抑えられており、マメ科植物の細胞内に共生して初めてその抑制が外される。つまり、共生によってニトロゲナーゼ遺伝子の発現が誘導されるのである。

  同様の事が、宿主であるマメ科植物の細胞でも起こっている。ニトロゲナーゼは酸素に触れると不活性化する為、この酵素を十分に働かせるには酸素から保護する必要がある。しかし、窒素固定には大量のエネルギーが必要で、宿主はATPを多量にバクテロイドに供給しなければならないが、このATPの効率的生成には酸素が不可欠なのである。この難問を解決するために、マメ科植物は細胞内で酸素濃度の高い所と低い所をつくり、ATP合成と窒素固定の場を分けるという方法をあみ出した。脊椎動物は赤血球中のヘモグロビンを使って酸素を体の隅々にまで運搬しているが、マメ科植物もこれと良く似たレグヘモグロビンを使い、酸素をあっては困るバクテロイドの周辺から、それが必要なミトコンドリアの近くへと運んでいるのである。この遺伝子は宿主のマメ科植物が持っているが、根粒菌が共生していない時にはレグヘモグロビンは全く合成されず、共生によって初めて遺伝子が発現される。レグヘモグロビンもニトロゲナーゼと同様に、共生によって初めて合成が開始されるのである。さらに驚いた事に、そのヘム部分はバクテロイドの方で合成していると言う。つまりレグヘモグロビンは、宿主と共生者との協同作業によって合成されているのである。

  共生者の有無によって合成されるタンパク質が異なる事は、アリマキの細胞内共生微生物についても知られている。共生者は宿主の細胞内ではただ1種類のタンパク質、シンビオニンだけを合成しているが、細胞外に取り出されると数百種類のタンパク質を合成し始め、しかもその中にはシンビオニンは含まれていないのである。このように共生によって宿主と共生者は互いに遺伝子の発現状態まで変化させ、共生以前に単独生活していた頃とは異なったものとして、複雑な相互依存関係を結び一体化する。これは共生によって、新たな遺伝情報を持つ新生物が誕生したのと同じ事であろう。(1-14)

 

 

 容易に成立する細胞内共生

 

  このように生命の進化において、重要な役割を果たして来たと思われる共生であるが、こうした複雑な細胞内共生も、ごく短期間で容易に成立する事がわかっている。偶然、培養中のアメーバに、バクテリアが細胞内共生する様子が観察されているのである。ある日、培養中のアメーバに未知のバクテリアが感染して、次々と死んでいくという事件が起こった。普通バクテリアは、アメーバに食べられると食胞の中に取り込まれ、リソソーム(加水分解酵素を持ち消化作用を営む細胞小器官)の酵素によって消化されてしまう。ところが、このバクテリアは何等かの方法で消化を免れ、細胞内で増殖してアメーバを殺してしまうのである。生き残ったアメーバを集めて洗浄し、培養を繰り返すと2週間程で次第に死ななくなり、それと共に培養液中のバクテリアもいなくなった。見た目には感染前と変わりはないが、良く調べると細胞内にバクテリアが住み着いてアメーバの分裂の度に分配され、適正な数まではその中で増殖している事がわかった。つまり、2種類の生物の付き合い方がうまくなり、アメーバは中に住み着いたバクテリアを消化する事なく、バクテリアの方も殖えすぎてアメーバを殺してしまう事もない、一種の調和的な関係に到達したのである。これが細胞内共生の始まりであった。

  さらに偶然から面白い事がわかった。このバクテリアの共生したアメーバから、共生バクテリアがいなくなると、アメーバ自身が死んでしまうのである。共生バクテリアを持つアメーバの核を抜き取り、感染していないアメーバの核と入れ替えると、核を植えられたアメーバはすぐ死んでしまう。一方、共生者を持つアメーバは、核移植後も通常どおり分裂と増殖を行う。ところが、こうして数回分裂をしたアメーバの核を、再び共生者を持たないアメーバに移植すると、また死んでしまう。つまりこのアメーバは、バクテリアが細胞内共生する事によって遺伝子の発現様式が変わり、もはやこの共生者なしには生きて行けない様になっていたのである。バクテリアが作り出すタンパク質が、アメーバにとって不可欠なものになってしまったのだろう。一方、アメーバの作り出すタンパク質の一部を、バクテリアが利用している事もわかった。一旦、アメーバの中で共生を始めたバクテリアを、再び細胞の外に戻して培養してもすぐに死んでしまう。バクテリアとアメーバの間には、密接な相互依存関係ができ上がっていたのである。

  ここで注意してほしいのは、わずか2週間とか細胞が数回分裂するといった極めて短い間に、遺伝子発現の変更を伴う様な複雑な相互依存関係ができてしまうという点である。驚くほど短期間に、しかも容易に細胞内共生は成立するのである。こうした事実は、我々に生命とは一体何なのかと深く考させる事になる。個々の生物というのは、今まで我々が無意識の内に漠然と考えて来た程、独立した存在ではないのかも知れない。生命は、元から周囲の様々な生命と相互作用し合いながら、複雑に絡み合った相互依存関係を作り上げる事によって初めて生存する事ができる。どのような生物も、他の生物と関りを持たずに単独で生きて行く事はできないのである。いうなれば、共生や共存こそ生命の本来の在り方、本性と言う事もできよう。そう考えて初めて、生物間の複雑な共生関係が、驚くほど短期間に成立する事の意味を理解できる。何故なら、共生こそが生物間に形成される本来の関係だからである。

 この点に関して興味深いのは、藻類と葉緑体の進化の有り方である。実は、葉緑体の起源は今まで述べてきたよりもっと錯綜しており、シアノバクテリアが細胞内共生して誕生した藻類が、再び原生生物に2次3次と細胞内共生する事で、新たな葉緑体そして新たな藻類を進化させているのである。まず、シアノバクテリアの共生で葉緑体を持つ灰色植物・紅色植物・緑色植物が生まれ、次にこれらの真核藻類がさらに原生生物に次々と細胞内共生を繰返して行った。例えば、緑色植物がキネトプラスト類(眠り病のトリパノソーマなど)に共生してユーグレナ藻が、アメーバ類に共生してクロララクニオン藻が進化して来る。そして、紅藻が卵菌類に共生して褐藻・ラフィド藻・黄金色藻などの褐色植物が、ゴニオモナスに共生してクリプト藻が発生する。さらに紅藻の共生で生まれた珪藻が、繊毛虫類に3次細胞内共生して誕生した渦鞭毛藻類の一群もある。また、2次共生の現在進行中のものがミドリゾウリムシで、緑藻類のクロレラを共生させているが、クロレラは細胞としての自律性を失い葉緑体化する一歩手前にあると言う。こうして、2次3次共生した藻類のミトコンドリアや核その他の細胞内小器官は時間と共に消失し、葉緑体らしくなって行く。ただ、こうした高次共生の結果として葉緑体の包膜が、ユーグレナでは3重に、褐藻類・珪藻類や黄金色藻類などの黄色植物では4重膜になっている。このように、繰返し細胞内共生が行われて来た事は、それが生物にとっては極めてありふれた事、ごく普通で自然な行為である事を物語っている。(1-17) (1-18)(1-29)