第2章 2/2

中生代末の大量絶滅の原因

 

  これまで見て来た様に、生物の大進化は生態系に出来た空地への急速な適応放散として起こっている。これはダーウィン理論とは逆に、生存競争のない所で、あるいはそれが極めて弱まった時にこそ、急激な進化が起こる事を示している。カンブリア紀の多細胞生物の進化、魚の河川への進出による進化、そして恐竜や哺乳類の進化など、主だった大進化は総て生態系に大きな空地が出現した時、そこへの適応放散として起こっているのである。この生物進化にとって極めて重要な生態系の空地を生み出す要因の1つは、空気中の酸素濃度の増大、大陸の移動、海水準の変動などの地球規模の環境変化によって、生物の棲める新たな環境が作り出される事にある。そしてもう1つの要因が、生物の大量絶滅なのである。前の時代に繁栄していた生物が一挙に大量絶滅する事により、生態系に巨大な空隙が突如として出現する。それが前時代には、繁栄を誇っていた生物の陰でひっそりと暮らしていた生物に、大きな進化・発展のチャンスを与える事になる。こうして、短期間に急激な進化が可能となるのである。

  では何故、生物の大量絶滅が繰返し起こっているのだろうか。大規模な大量絶滅が、偶然には生じない事は先に見た通りで、それには何か原因があるはずである。以下その原因を求めて、具体的な絶滅事変について見て行く事にしよう。まず、はじめに恐竜の絶滅と巨大隕石の衝突仮説で有名な、中生代末(白亜紀末)の大量絶滅を取り上げよう。

 

 

 隕石衝突説

 

  白亜紀末の恐竜絶滅の原因については、隕石衝突説があまりに有名である。1980年、この仮説がアルバレス父子によって発表されると大反響が巻き起こった。というのも、それ以前には科学的な証拠に基づく絶滅仮説はほとんど存在せず、種の老衰・ホルモンや卵殻の異常・被子植物によるアルカイド中毒・北極海の氾濫など、憶測的な仮説ばかりが氾濫していたからである。そこへ、イリジウムの濃集という動かぬ証拠を持って、隕石衝突説が登場したのである。しかも、巨大天体の衝突によるカタストロフィーのイメージは、一般にも分かりやすくマスコミ受けのするものだった。その為、マスメディアによって繰返し取り上げられ、広く知られる様になったのである。

  事の起こりは、1977年カリフォルニア大学の地質学教授ウォルター・アルバレスらによる、北イタリアの田舎町グッビオの背後にあるボッタチオ峡谷での調査であった。白亜紀と第三紀の境界の地層は、たいてい海水準の低下による不整合の為に白亜紀上部の地層が欠けているが、ここではデンマークのステブンス・クリント、スペインのツマヤと並んで、中生代の堆積層が柱状に良好な状態で保存されている。アルバレスらはここで、白亜紀最上層部のK-T境界層と呼ばれる白亜紀と第三紀の境界をなす、厚さ10cmほどの赤味がかった粘土層を調べていた。白亜紀の地層は白い。それは当時この地層が温暖な浅海底にあり、そこで大繁栄していた微小なプランクトン(石灰質藻類)の炭酸カルシウムの遺骸が大量に堆積した為で、白亜紀は地質時代の中でも最も石灰岩が堆積した時代として知られている。イギリスのドーバーの海岸に見られる真っ白の絶壁(ホワイトクリフ)は、この時代に堆積した石灰岩を多量に含む地層の露頭なのである。白亜紀の名前は、この特徴的な白い地層から付けられた。この白亜紀の地層からは、厚さ30mにわたり有孔虫やアンモナイトなど海洋生物の化石が豊富に出て来るが、その上の新生代第三紀の地層にはこれらの化石は全く見られない。このように、全く異質な2つの時代を分けているのがK-T境界層で、わずか10cmほどの粘土層を境にして生物界は恐竜の中生代から哺乳類の新生代へと大きく転回したのである。この粘土層が堆積している間に地球の自然界は一変したわけで、彼等は中生代から新生代への交代にかかった時間を明らかにする為に、K-T境界層の堆積に要した年数を求めようと、そこに含まれるイリジウムやオスミウムなどの白金族元素の含有量を調べた。これらの元素は比重が大きくしかも鉄との親和性が高い為、誕生直後の地球がドロドロに溶けていた時代に、大半は鉄と共に地球の中心部へ沈んで核を形成した結果、現在の地殻中にはほとんど含まれていないのである。しかし宇宙では決して希少な元素ではなく、隕石の分析からすると、太陽系には地球の地殻中の数千倍から1万倍のイリジウムが存在すると言う。宇宙から絶間なく地球上に降り注ぐ宇宙塵には、地球生成時と同じ比率で白金族元素が含まれると考えられる為、K-T境界層中の白金族元素の含有量を調べ、それを宇宙塵の蓄積速度で割ればその堆積時間がわかるはずであった。

  ところが、その分析結果は予想外のもので、ボッタチオ峡谷のK-T境界層からは、通常予測される濃度の30倍ものイリジウムが検出されたのである。そればかりではなく世界中のどこのK-T境界層でも、ニュージーランドの120倍、デンマークの160倍、ハイチの300倍、中部太平洋海底の330倍など、その地層だけが異常に高いイリジウムの含有量を示した。しかも、デンマークと太平洋底の試料とで、構成元素の割合が同じであると言う。これら高濃度のイリジウムが、宇宙からやって来たものである事は明らかだった。グッビオでの発見から3年後、アルバレスたちは新しい理論をまとめて発表する。それが巨大隕石衝突説である。それによると約6500万年前、直径10km、質量1兆トンの巨大隕石が秒速20kmで地球に衝突した。そのエネルギーはTNT換算で1億メガトンにもなり、直径200km、深さ30kmのクレーターが形成され、60兆トンもの物質が成層圏にまで巻き上げられたと言う。小惑星由来のイリジウムを含んだ粉塵は、大気上層の対流圏にのって地球全体に広がり、ゆっくりと地上に降下し蓄積した。その間、約3年に渡って粉塵は空を覆い、太陽光は遮られて地上は昼でも満月の夜程度の明るさしかなく、気温は数十度も低下し厳しい寒気が襲って来た。また大気圏突入の際、隕石からの放射熱によって大規模な山火事が起こり、広範囲の植生を焼き膨大な量の煤と灰が放出された。さらに衝突時のショックは、無数の変成鉱物粒子やガラス質の小球を生成し、K-T境界層の中に堆積した。大気中の窒素も強烈な放射熱によって大量の窒素酸化物となり、衝突地点付近に硝酸の雨を降らせ、さらには海に流入して大量の石灰プランクトンを死滅させる事になる。また、暗闇と気温低下は海洋生態系の基盤である植物プランクトンを壊滅させ、中生代の海生生物を絶滅に追い込んで行ったのである。しかし、植物プランクトンへの依存度が低く低温などの環境変動に強い陸水系の生物や、冬眠できる小型の爬虫類、植物の種子などで飢えをしのげた哺乳類などは、この危機を生き延びる事ができた。こうしてわずか3年程の間に、あれほど繁栄を誇っていた恐竜たちの王朝は滅び、哺乳類に道を譲ったと言うのである。

  ところで直径10kmもの巨大隕石が、地球に衝突する可能性は本当にあるのだろうか。太陽系には無数の小天体が存在するが、岩石質の小天体の大半は火星と木星の公転軌道の間にあり、小惑星と呼ばれ登録番号が付けられているものだけでも3千数百個にのぼる。これらは多くのグループに分かれて様々な楕円軌道を回っており、その中にはアポロ群の様に、軌道が地球の公転軌道と交差しているものもある。小惑星起源の比較的大きな隕石が、地球と衝突する可能性は決して低くはないのである。現在、地球には毎年10万トンもの隕石が落下していると言われ、10年当たりで見ると100トン程度のものは数千個、1000トン程度は100個、1万5000トン程度は10個、10万トン程度は1個が落下する計算になると言う。ただ、これらの大半は高速回転しながら秒速1040kmで突入して来る為、大気との摩擦で破砕され、地表には微粒子が降って来るだけなのである。このように、隕石の地球衝突はありふれた現象であるが、隕石が大きくなればなるほど衝突の平均時間間隔は長くなる。直径1mで年に1回、直径100mでは1万年に1回、そして問題の直径10kmのものでは1億年に1回の割合で地球に落下して来るという。(2-33)

  この仮説の発表後、全世界の研究者の検証により、隕石衝突説を裏付ける物証が次々と発見されて行く事になる。1981年にはスペインで、マイクロテクタイトと呼ばれるガラス質の小球が大量に発見され、その後、世界各地のK-T境界層でも存在が確認された。84年にはショックド・クォーツと呼ばれる、衝撃で変成した石英の結晶が北米およびヨーロッパ各地で発見され、85年にはニュージーランドとヨーロッパの5ヶ所で隕石衝突時の大規模な山火事によると思われる、黒鉛化した大量の煤と灰がK-T境界層の中から発見された。その炭素の量は、通常の1001000倍に上ると言う。こうしてアルバレスらの予言は、次々と実証されて行ったのである。

  また仮説の問題点も改善されて行った。最初のシナリオでは、成層圏にまで舞い上がったイリジウムを含む塵が全世界に広まるのに要する時間から、暗黒の時期が3年も続くとされていたが、これでは地球上の総ての植物が深刻な被害を受け、哺乳類も生き延びる事は難しかっただろう。しかし、80年代前半に行われた全面核戦争による地球環境変動のシミュレーションから、大きく重い粒子は従来言われていたほど長く成層圏に留まるわけではない事が判明し、「核の冬」と呼ばれたシナリオは「核の秋」に変わり、地球の暗黒は長くても3〜6ヶ月で終わる事がほぼ確実となったのである。

  そして1989年には決定的な物証、即ち6500万年前に地球に衝突した隕石が作ったクレーターが、ユカタン半島北部のカリブ海の海底で発見される。以前から、カリブ海を取り巻く一帯で確認された津波の跡や、周辺で大量に発見される衝突変成鉱物やマイクロテクタイトなどから衝突の有力な候補地と考えられ、また81年には直径180kmの巨大な同心円状の磁場・重力異常地帯も発見されていた。そして、遂にランドサット衛星の赤外線カメラが、直径170kmの円弧上に点々と並ぶセノーテと呼ばれる水没石灰岩洞の撮影に成功する。これは、クレーターによる地質構造の断続によって生じた現象である。クレーター底部のボーリング調査から、その生成年代が白亜紀末である事も確認された。こうして、アルバレスらのほぼ予測通りのクレーターが発見されたのである。今日、これはチチュラブ・クレーターと呼ばれている。さらに、これと年代がぴったり一致するクレーターが、他に少なくとも3つ存在する事もわかった。シベリアのカラ・クレーターとウスト・カラ・クレーター、そしてアメリカのアイオワ州マンソンのクレーターで、しかもこれら4つのクレーターは完全に一直線に並んでいると言う。つまり、この時地球に衝突した隕石は大小4つもしくはそれ以上に細かく割れて、かけらを幾つかばら撒きながら、最後に最大のものがカリブ海に突入したと考えられる。今日、白亜紀末に巨大天体が地球に衝突した事自体は、もはや疑う余地はないのである。(2-34)

 

 

 隕石衝突説への反論

 

  では、これで恐竜絶滅の謎は総て解明されたのだろうか。実は、そうはならなかった。このようにセンセーショナルに登場し、次々と証拠を積み上げ、マスコミにも取り上げられて一世を風靡した巨大隕石衝突説であるが、隕石の衝突そのものは別にして白亜紀末の大量絶滅の原因としては、今日、事実上否定されている。そして、全く別の説明が支持を得つつあるのである。科学界を沸騰させ、生物の大量絶滅に人々の注意を引き付けるきっかけになった隕石衝突説であるが、この仮説は古生物学者の間では当初から疑問視されていた。ただ畑違いの物理学者、しかもノーベル賞学者(ウォルターの父のルイス・アルバレス)に、イリジウムという動かぬ証拠を突きつけられてだんまりを決め込んでいたわけである。

  では、どこに問題があったのだろうか。実は、白亜紀末に実際に起こった絶滅の様相と、隕石衝突によるシナリオが全くと言っていいほど違っているのである。今日では中生代末の大量絶滅は、隕石の衝突といった突発的な出来事によって短時間に起きたものではなく、かなり長期間に渡って段階的に進行した事が明らかになっている。例えば、アンモナイトの多様性の変化を見ると、白亜紀半ばのアルブ期(1億1200万年前〜9700万年前)にはヨーロッパだけで150属以上もいたものが、時代を下がるにつれて減少し、セノマン期(97009000万年前)には80属、サントン期(86608300万年前)には50属、最後のマーストリヒト期(74006500万年前)にはこの期の終わる13万年前に事実上、絶滅しているのである。同様の現象は石灰プランクトンや厚歯二枚貝、その他の海生無脊椎動物でも見られると言う。陸上に於いても事情は同じである。恐竜の多様性の変化を見みると、そのピークは白亜紀後期のカンパニアン期(83007400万年前)で、カナダのジュディス・リバーでは、この時期の地層から30属もの恐竜化石が発見されており、属の多様性という意味では中生代を通じて最高である。しかしこれ以降、恐竜の属の数は次第に減少し、6900万年前マーストリヒト期中頃のカナダのアルバータでは2322属、モンタナ州(米国)のヘル・クリークでは19属にまで減少する。そして、6700万年前のヘル・クリークでは12属、K-T境界層直下ではさらに7属にまで減ってしまう。これからすると、恐竜の絶滅はK-T境界層が堆積する1000万年も前からゆるやかに始まり、200万年前から加速を始め、最後の30万年で大きく進んだ事になる。しかもK-T境界層の1.3m上、隕石衝突後少なくとも4万年が経過した地層から、初期有蹄類や暁新世の植物花粉の化石と共に、最後の7属の恐竜化石が発見されているのである。また南フランスのプロバンス地方では、白亜紀の終わりから200万年も後の新生代第3紀の地層から、竜脚類のヒプセロサウルスの化石と卵が発見されている。そして、隕石の衝突によって恐竜たちが一挙に全滅したとするならば極めて不思議な事に、これまで研究されたK-T境界層の中やその直下からは、恐竜の化石が出ていないのである。それまで繁栄していた恐竜たちが、隕石衝突という突発事件によって全滅したというのなら、K-T境界層から大量の恐竜化石が発見されてしかるべきだろう。

  また、隕石衝突説では説明出来ない重要な現象に海退がある。これは海水準が低下して浅い海が干上がる現象で、白亜紀末のものも含めて大量絶滅のほとんどは、この海退を伴っている事が知られている。実際、大量絶滅の主役はいつの場合も海洋生物であった。古生代ペルム紀末の史上最大と言われる大量絶滅では、海洋生物の種の内、最大で96%が絶滅したと見積もられているが、陸上生物はそれほど極端なダメージを受けなかった。まだ陸上に生物が進出していなかった原生代ヴェンド紀中期やオルドビス紀末は言うに及ばず、すでに両生類が上陸を果たしていたデボン紀末の大量絶滅でも、絶滅したのは海生生物だけであった。この時は、科のレベルで海生生物の21%が死滅したと言われているが、これらの絶滅の犠牲者は、そのほとんどが浅海性の生物だったのである。また中生代のアンモナイト類の繁栄と絶滅が、海水準の上下変動と対応していた事も知られている。現在、大陸棚は全海洋面積の7.6%に過ぎないが、全底生生物の83%がここに棲息している。もしここが干上がる事になれば、海洋生物が大打撃を受けるのは当然であろう。実際、大量絶滅の原因として海退を主張する説が古くから存在している。しかし隕石衝突説では、この海退現象を説明する事が出来ないのである。

  もう1つ説明が困難なものとして、地球磁場の消滅・逆転現象がある。これは地球磁場が消滅し、その後N極とS極が入れ代わって現れる現象で、海洋底の観測から過去2億年間の事が良く調べられている。この地球磁場の逆転は何も特別な現象ではなく、最近の500万年間にも30回程度繰返し発生し、しかも逆転の時期に規則性はなく全くランダムに起きている様に見える。ところが大量絶滅の起こる前には、相当長期に渡って地球磁場が完全に消滅するのである。ペルム紀末・三畳紀末・白亜紀末の大絶滅の前には、数百万年から1千万年以上に渡って地球磁場は完全に消滅し、何故か大量絶滅が始まる頃に逆転した磁場が再び現れて来ると言う。この磁場の消滅と逆転現象も、隕石衝突説では説明できない。隕石が衝突する前に、地球がそれを見越して自ら磁場を消滅させるなどという事は考えられないからである。

 さらに巨大隕石が衝突したのはこの時だけではなく、中生代を通じて繰り返し地球に落下しているのである。三畳紀からジュラ紀にかけて3つの巨大クレーターが陸地に出来た事が知られており、海洋ではこの2倍の衝突があったと言う。つまり、中生代には白亜紀末と同程度の大規模な衝突が5〜6回以上あったと考えられるが、それによって恐竜が絶滅の危機に瀕し、その後盛り返したという現象は見られず、多種多様な恐竜が中生代を通じて勢力を維持していたのである。(2-49)

  一時は、隕石衝突説の独壇場といった感のあった絶滅論争に、それまで沈黙を守って来た古生物学者や地質学者が反論を開始したのは80年代中頃からである。そして1984年には、シカゴ大学の古生物学者デビット・ラウプとジョン・セプコスキーが、絶滅の周期説を発表する。古生代ペルム紀中期から新生代鮮新世までの2億5000万年間に、海洋生物の大量絶滅が11回起こっているが、それはランダムに起きたのではなく、約2600万年の周期を持っていると言うのである。この発表は科学界に衝撃をもたらした。もし、大量絶滅が外的要因により周期的に起こるのならば、生物の進化は生存闘争と自然淘汰によってではなく、無差別的に作用する外因にしばしば決定的に支配されて来たという事になるからである (2-33)。さらに、この周期説とアルバレスの隕石衝突説を組み合わせると、約2600万年ごとに隕石衝突による大量絶滅が繰り返されて来たという可能性すら出て来る。多くの伝統的な研究者にとって、この2つの仮説は共に受け入れ難いものであった。そして1987年イギリス、バーミンガム大学のアンソニー・ハラムによる隕石衝突説への総括的な反論をきっかっけに、一気に反衝突説陣営の巻き返しが始まる。また同じ87年には、ウォルター・アルバレス自身が大量絶滅の段階的進行を示すデータの増加に抗しきれず、ついに隕石説を放棄し彗星シャワー説に鞍替えしてしまうのである。

  隕石衝突説に対する反論は、まずイリジウム濃集の原因に向けられた。それまでの分析では粘土層中に最大濃集があり、それより上では濃度は徐々に減少して行くとされていた。ところが実際のイリジウムの分布はそれとは異なり、粘土層の上下各2mの範囲に5回ものピークがあり、同様にショックド・クォーツにも5回のピークがあると言う。これが事実とすると、白亜紀末の極めて短期間に大量のイリジウムを含む巨大隕石が、5回も立て続けに地球に衝突した事になり、これは確率的にほとんど有り得ない。では、K-T境界層周辺にイリジウムを供給したのは何だったのだろうか。ここで登場するのが火山噴火説である。ハラムはこの5回のピークを、白亜紀末の大規模な火山活動によるものと考えた。本来、イリジウムは隕石と同程度の存在比で地球にも存在したが、現在ではその大半が核付近まで沈降し、地殻にはほとんど含まれていない。しかし、マントル深層部から上昇して来るマグマの中にはイリジウムを豊富に含むものが有り、ハワイのキラウエア火山ではマグマの起源深度によって、エアロゾルとなり大気中に放出される火山ガス中のイリジウム濃度が地表の10万倍にもなる場合があると言う。また、イリジウムはK-T境界層の一番上の表面だけに集まっている事が知られており、隕石衝突説では説明困難であったが、火山性のエアロゾル経由で空中から降下して来たとすると説明がつく。ショックド・クォーツも、90キロバール以上の超高圧を生じる爆発型の火山なら生成でき、セントヘレンズ山爆発の理論モデルではこれが可能と言う。また火山噴火説なら、隕石衝突説では説明できなかった海退や地磁気の消滅・逆転現象も説明がつく。新しいシナリオでは、通常とは異なるマントル層深部に起因する地球規模の火山活動を想定する。それによると白亜紀末に核とマントルの境界付近で起きた異変で、大量の深層マグマが地表まで噴き上げ全世界的な火山活動が始まり、このマントル深部での異変に合わせて地磁気の消滅・逆転が起こる。そして、噴火により大気中に放出されたイリジウムは世界中に降り積もり、エアロゾルに含まれた亜硫酸ガスや窒素酸化物は、雨に溶けて高濃度の酸性雨として地表に降り注ぐ。またマントルの変動に伴う海底地形の変化は、急速かつ大規模な海退を引き起こし、浅海域の後退とそこに流れ込む硫酸は大量の海生生物を死滅させ、陸上の植物にも大きな被害を与える。こうして全地球的規模で第1次生産層が破壊され、生態系が基礎から崩れて行った。また成層圏まで噴き上げられた粉塵とエアロゾルは、大規模なオゾン層の破壊と日照量の減少をもたらし気温が低下する。このような状態が恐らく数十万年から数百万年にわたって続き、中生代に繁栄した生物相を絶滅に追いやったと言うのである。

 

 

 D層周期浮上説

 

  火山噴火説は中生代末の大量絶滅の原因が、隕石の衝突といった地球外の要因によるのではなく、地球の内部にある事を示したものである。この絶滅が、外部要因ではなく内部要因によって引き起こされたという事は、理論上たいへん重要な意味を持っている。隕石といった地球外の要因に原因を求める事は、絶滅さらには生命の進化が、生物の全く預かり知らぬ外部の偶然的な出来事によって、決定されて来たと認める事を意味する。それは突き詰めると、生命の進化は単なる偶然の積み重ね、幸運な偶然の連鎖によって引き起こされた、極めて稀な現象という事にもなろう。反対に地球の内部要因に原因を求める事は、絶滅そして進化に一定の必然性・法則性を持ち込む事になる。なぜなら、地球内部の変化は地球自身の自律的な進化過程で生み出される、あるいはそれと深く関係していると考えられるからである。現象の深層には、常に複雑に入り組んだ内的連関が存在している。科学とは、それを明らかにするものだと言う事もできよう。ところが外部に原因を求める事は、この内的連関を切り捨てそれを無視する事、あるいはその追求を放棄する事を意味している。それは科学としては余りに安易な態度と言えよう。原因を内部要因に求めて、その内的連関を明らかにして行く事によってはじめて、生命の進化を外部からの何の助けも必要としない、自然の自律的な自己運動として捉える事ができる。隕石衝突説を長々と取り上げて来たのはこの為である。絶滅の外部要因説は、きっちりと否定しておくだけの理論的価値があったわけだ。

  この地球内部の要因に絶滅の原因を求めるという流れの延長線上で、隕石衝突説を陵駕するだけの整合性を備えた新しい大量絶滅理論が登場する。それが1988年にフロリダ州立大学のデヴィッド・ローパーらによって発表された、D層周期浮上説である。この説明をする前に、地球の内部構造を簡単に見ておこう。地球の内部は、鉄でできた中心部の核(コア)と、それを取り巻く岩石でできた地殻・マントルから構成されている。地球半径6370kmの内、地殻とマントルの厚みは2900kmあり、地球の体積の80%以上、質量の2/3を占める。マントルはさらに温度の違いから深さ670kmで上部マントルと下部マントルに分けられる(境界面の温度約1600℃)。一方、地殻は表面のごく薄い層で、厚さは大陸で平均 30km、海洋で5km程度しかなく、マントル最上部と合わせて厚さ約100kmのプレートを形成している(下面の温度約1000℃)。地球の中心部にあるコアは半径3400km、地球半径の1/2以上で月の倍に近い。コアは外核と内核に分かれ、外核は鉄を主成分とする液体で、酸素などの不純物が10%程度混ざっている。一方、内核は半径 1200km程の小さな球で、ほとんどが純粋な鉄でできた固体である。コアは、地球誕生時にドロドロに溶けた鉄が地球の中心部に落下する事によって形成され、当初はコア全体が液体で、固体の内核はコアの冷却と共に液体から固体の鉄が析出する事で形成されて来たものである。内核と外核の境界面の温度は6000℃で、コア全体が固体になる迄には、さらに1000億年程かかると言われている。このコアとマントルの境界が厚さ約300kmのD層で、この中には大きな温度勾配があり、底面は4000℃、上面は2000℃程度である。また、D層は存在する所と存在しない場所があると言う。

 

(注)D層は巨大なマントルの上昇流の下は50q以下と薄く、底面でマントルは部分的に溶けている。逆に大規模な下降流のあるアジア大陸の底では500qと厚くなっている。

 

  地表近くの大気や海洋の活動は、そのほとんどが太陽エネルギーにより駆動されている。しかし岩石は熱を伝え難い為、太陽エネルギーはほとんど地球内部には入り込まず、地震・火山・大陸移動といった地球の活動は、地球内部に蓄えられた熱と内部で発生した熱エネルギーに依存している。そして、この熱は最終的には地表から宇宙空間に放出され、地球は徐々にその表面から冷やされて行く事になる。この地球内部から地表そして宇宙空間へと向かう熱の流れがマントル対流を生み、地表のプレート運動とそれに付随する様々な現象を引き起こしているのである。つまり地球は、内部に蓄えられた熱によって駆動される一種の熱機関と見る事もできよう。ただ、地球内部の対流運動は下から温められて生じたものではなく、お椀に入れられた味噌汁の対流の様に、表面から冷却される事によって引き起こされている。さて、ここで問題のD層が関係するのは、コアからマントルへの熱の移動である。地球内部で唯一の熱発生源である放射性元素は主に岩石に含まれており、鉄が主成分のコアにはほとんど存在しない。したがって、コアのエネルギー源は地球誕生時に蓄積された熱という事になる。高温で誕生したコアは、地球が表面から冷えて行くに従い、周囲のマントルに熱を奪われて行く。このコアからマントルへの熱の移動が、液体の鉄でできた外核に対流運動(時速1m程度)を引き起こす。この伝導性流体の対流運動に地球の自転の影響が加わり、渦動運動する事によって電流が流れ、そのダイナモ効果で地球の磁場が発生するのである。この渦動運動はそれぞれ隣の渦動と相互に電流を規制し合っており(力武ダイナモ構造)、このように幾つもの良導体の渦が相互に電磁的に干渉し合う系では、一方の渦に少しでもブレーキがかかると負のフィードバックが働き、系全体の電流と磁場の向きが逆転する事になる。このように、地球磁場はコアの対流運動によって生み出されているわけだが、この対流はコアとマントルの間に温度差が存在して初めて起こる。そのため外核に対流の渦を作り出すには、コアから熱を受け取り外核の流体を効果的に冷却する排熱システムが必要で、その熱のアブソーバーの役割を果たしているのがD層なのである。長期間、コアからの熱を吸収・蓄積するとD層は次第に融解して来る。そうなると上下の温度差はなくなり、外核の対流運動が止まって地磁気は消滅する。一方、融解して比重が小さくなり粘性抵抗の減少したD層は、巨大なブロッブ(しずく)となってマントルの中を上昇して行く。このような垂直方向の岩石の流れがプルームで、上昇する高温の塊をホットプルーム、逆に沈んで行く低温の塊をコールドプルームと呼んでいる。その上昇速度は年に1〜4m、ブロッブが地殻の直下にたどり着くまでに300400万年の時間がかかると考えられている。そしてブロッブが上昇すると、マントル基底部には新たな熱を吸収する余地ができ、再び外核の対流が開始し磁場が復活する。こうして地球磁場の周期的な消滅・逆転現象が起きるのである。

  さて上昇したホットプルームは、地殻の直下まで来ると周囲の圧力の急低下により大爆発を起こし、膨大な量の溶岩を地上に噴出する事になる。世界最大の溶岩大地であるデカン高原は、今から6500万年前、まさに白亜紀末の大絶滅の前後2030万年の間に形成された事がわかっている。何段階にも分かれて噴出した玄武岩質の溶岩の容積は、200km3以上に達すると言う。これだけ大量の溶岩の噴出は通常の火山活動では考えられず、惑星物理レベルの現象である。そして、これこそ白亜紀末の大量絶滅を引き起こした大噴火の跡だというのである。こうした噴火では、玄武岩質溶岩1000km3につき16kgの二酸化炭素、3兆kgの硫黄、300kgの各種ハロゲンが大気中に放出され、これを実際の火成岩石区に当てはめると、どんな巨大隕石よりも徹底的な環境破壊をもたらし得る規模になると言う。白亜紀末、インド洋のはるか南、現在のモーリシャス付近をプレートに乗って北上中であったインド亜大陸に、真下からホットプルームが突き上げ、デカン高原が形成される事になったわけである。このプルーム噴出口のホットスポットは、その後も間欠的に活動を繰返し、インドプレートの北上につれ次々と噴出して、モルジブ・チャゴス・サヤデマーハ・モーリシャスと、南から北へ順次古くなって連なる火山列島を形成した。現在でもレユニオン島のはるか下には、恐らくD層まで続くホットスポットが存在し、細々と活動を続けていると言う。

 

(注)ホットスポットに端を発する火山列(ホットスポットトラック)を辿っていくと、巨大な玄武岩体(海台や洪水玄武岩)に到達する事が多いと言う。最初にコア・マントル境界で発生したホットプルームは、地表に到達すると大量のマグマを放出して洪水玄武岩や巨大な海台を形成する。その後もプルームのしっぽ部分は生き続け、マグマを少しずつ放出してホットスポット火山となると考えられている。2-50

 

このようなホットプルームに起因する巨大な溶岩台地、火成岩石区が、デカン高原以外にも世界中で確認されている。これらは数百万〜数千万km3もの容積の玄武岩から成り、その規模に反して極めて短期間に形成されている。しかもその生成年代が、いずれも過去の大量絶滅の時期と一致しているのである。例えば、陸上では最大の火成岩石区であるシベリアン・トラップは2億4500万年前のペルム紀末に、北米のコロンビア川台地は1600万年前の中新世中頃の、いずれも大量絶滅の時代に形成されている。1億年前の白亜紀前期に形成された中部太平洋のオントン・ジャワ海台は、総容積3600km3、最大長2000km、面積は日本の5倍にもなる海・陸を問わず地球最大の火成岩石区で、大噴火が海中で起こったせいか陸上生態系には大きな変化はないが、三畳紀前期から世界の海に君臨して来た魚竜の仲間がこの時に絶滅している。そして、大気中に放出された膨大な量の二酸化炭素の温室効果により平均気温が大きく上昇し、陸上では高温化への適応と見られる大きな背ビレを持つ恐竜が世界各地に出現する。また、この時噴出した溶岩によって全世界の海面が10m上昇したとも言われる。

  これらの火成岩石区を形成したと思われるD層の周期上昇による大規模な火山活動が、地球環境を大幅に破壊し、大量絶滅を引き起こす事になったと言うのである。D層周期浮上説は大量絶滅の周期性とも符合している。D層が完全に融解して浮上してから、次に再び溶けて浮上するまでの周期は、D層の熱キャパシティーによって決まり、26003200万年と計算されている。この仮説は今のところ、様々な観測事実に対してとりわけ整合性の高い説明を与えているのである。(2-34)

 

 

 気候の寒冷化

 

  D層周期浮上説は、確かに今までの理論の中では絶滅時の複合した現象を良く説明できる。ところが隕石衝突説が衝突という一瞬の出来事で絶滅を説明するのに対して、数十万年間続く地球規模の火山活動の激化によるという違いはあるものの、どちらも地球を突然襲ったカタストロフィーにより大量絶滅を説明しようとする点では全く同じである。しかし、恐竜などの例で見たように、絶滅する生物の衰退は既に数百万年も前から始まっている。それはいわばD層が地球の奥深くで融解し始めた頃であって、地上には地磁気などの変化を除いて大きな影響の出ていない時期である。つまり、大量絶滅を考えるにはもっと長期の地球環境の変化を見るべきであって、繁栄を続けて来た生物を突然カタストロフィーが襲うといったシナリオでは説明困難なのである。また火成岩石区は玄武岩質溶岩でできているが、これはハワイのキラウェア火山に見られる様に粘性が低くさらさらと流れる溶岩であり、決して大爆発を起こす事はない。したがってこの時の火山噴火は、火山ガスなどによる環境破壊を別にすると、巨大隕石の衝突といった大カタストロフィーとは異なったものだったと思われる。

  このように生物の大量絶滅は、数百万年にも及ぶ長期的な地球環境の変動と関連していると考えられるのであるが、実は地球はその長い歴史の中で繰返し長期に渡る大規模な環境変化、即ち気候変動を経験して来ている。しかも、こうした地球規模の気候変動は、地球内部の活動と深く結び付いて起きているらしいのである。気候変動と大量絶滅との間に深い関係がある事は、以前から指摘されて来た。では恐竜が大繁栄した中生代とは、どのような時代だったのだろうか。実は、恐竜が繁栄したジュラ紀と白亜紀は、現在とはたいへん異なる気候だったのである。ジュラ紀(2億800万年〜1億3200万年前)は、地球全体が高温多湿で常夏の時代であった。当時の植生の主体は針葉樹だったが、そのゼノザイロン属とメセンブリオザイロン属の分布を見ると、北緯10度から80度の範囲にまで及んでいると言う。今日、熱帯で見られる植物が、シベリア最北の地点でも繁殖している事など考えられないであろう。つまり、ジュラ紀は温暖で温度の緯度勾配が小さく、今日の様な明確な気候帯が存在せず、赤道から極地方に向かって移動してもあまり気温の低下しない時代だったのである。この事は、酸素同位体比を用いた古気温の復元からも確かめられ、当時の海水温がたいへん高かった事もわかっている。また、ジュラ紀中期と後期には極地氷や氷河はなく、地球規模の高い海水準と合わせて暖かい気候を示している。恐竜たちは、この温暖なジュラ紀を通して全地球的に分布を広げ、多様化し大型化して行ったのである。

 次の白亜紀半ばになると、中国大陸の南から満州に向かって北上すると植物群が変わる事が知られており、南北方向の温度差・気候差が大きくなり気候帯が形成されて来た事を示している。しかし、白亜紀(1億年3200万年〜6500万年前)も現在の地球環境とは大きく異なり、ジュラ紀同様たいへん温暖な時代であった。大気中の二酸化炭素量は今の4〜8倍もあり、著しい温室効果を引き起こしていた。現在15℃の地球の年平均気温が、白亜紀中期には23℃もあったと見積もられている。そして白亜紀を通して大陸氷河の痕跡は全くなく、現在ほぼ0℃近くの深海底の海水温が14℃もあったと言う。また、白亜紀の極地の気温は0〜15℃で、今は41℃もある極地と赤道近辺との温度差も1726℃しかなく、珊瑚礁などの熱帯性生物も現在より1600kmも極に近い所まで進出していた。実際、北緯45度と南緯70度という高緯度で熱帯性と亜熱帯性の気候が復元されている。植物化石からするとワイオミング州は亜熱帯で、グリーンランドでパンノキが生育し、イギリス東南部は熱帯のジャングルに覆われていたのである。さらに白亜紀後期には、北緯80度以北にまでシダ・マツ・スギ・プラタナス類などの、多様性の高い落葉広葉樹・針葉樹の混交林が発達し、白亜紀から第三紀始新世まで極域には温暖湿潤な森林が形成されていた。そして、この時の極域での光合成がほとんどできない長い冬の夜に対する適応が、広葉樹・針葉樹に落葉性を獲得させたと言う。また、白亜紀は海の水位が現在より300mも高く、大陸の約60%が浅い海の下にあった(白亜紀の大海進時代)。このように白亜紀中期の海水準が著しく上昇した原因は、白亜紀に地球のコアとマントルとの境界で生じた巨大なマグマの塊、即ちスーパープルーム(南太平洋スーパープルーム)が太平洋底に向かって上昇して来た事にあると言う。この時のスーパープルームは西赤道太平洋を中心に4000×5000kmの面積、約4000万年もの長期間にわたって活動し、中央海嶺での海洋地殻の生産量が50100%も増加したと言う。これによって海嶺は肥大化し、さらに海洋地殻の供給速度の増大は海洋底の温度低下を遅らせて、温度上昇と密度の低下で軽くなった海洋底が持ち上がり、その結果、海洋(海盆)の容積は減少して海水準が大きく上昇したのである。この時の広域的玄武岩質火成活動の跡は、西太平洋の長さ1000km、幅4000km、海盆底からの高さ2kmという巨大なダーウィン海膨として残っている。現在、海洋底にある海山や海台の多くが白亜紀に噴出した玄武岩溶岩から出来ており、アラスカ州ほどの面積が有るオントンジャワ海台をはじめ、中央太平洋海山群・マーカス海山群・ケルゲレン海台などは、約1億年前の100万年というごく短期間に同時噴出したものだと言う。また、このスーパープルームの上昇により、海嶺および海洋火山の活動が活発化して大量の二酸化炭素が放出され、その温室効果が気温を大幅に上昇させたと考えられる。こうしてみると白亜紀の気候の目立った特徴である高い平均気温と海水準は、共にスーパープルームによってもたらされたものと見る事ができよう。

  白亜紀はまた、現在地殻中にある石油の60%が形成された時代でもあった。石油は温暖な時代の産物である。寒冷な氷河時代には高緯度地方の海水が氷床の先端で冷やされ、重くなって深海底に向かって沈み込み全海洋を循環する。その結果、氷河時代には酸素を多く含む底層水が強く循環して海洋全体が酸化的となる。逆に、温暖な時代には海洋の深層と表層、高緯度と低緯度の水温差が小さく、また氷床も存在しないので冷たい海水の生産がなく、深海での海洋循環が弱まって海洋内部は酸素不足に陥り還元的となる。一方、海洋の表面では温暖な気候の下、豊富な生物が繁茂するが、これら大量の生物の死骸は還元的な海洋内部では分解されず、海底に堆積する事になる。これが有機物を多量に含んだ黒色の泥で、熟成して石油となるのである。現在、世界各地の海底から1億年前の黒色泥岩の地層が発見されている。そして当時、多量に堆積した石灰岩が隙間の多いスポンジのような地層を形成し、石油を吸い上げ濃縮して石油貯蔵層となった。中近東をはじめとする世界の石油資源の大半は、この時代に形成されたものなのである。

 

(注) 白亜紀の黒色泥岩の窒素同位体比から、この有機物を作ったのは窒素固定を行うシアノバクテリアと考えられている。しかも黒色泥岩中には、その上下の地層には含まれる有孔虫・石灰質ナンノプランクトン・放散虫などのプランクトンの遺骸が含まれず、これは現在の赤道や亜熱帯の貧栄養海域で時々発生するシアノバクテリアによる赤潮に状況が良く似ていると言う (2-22)。また、黒色泥岩の中には黄鉄鉱が多量に含まれる事から、当時、貧酸素環境下の海底で有機物の堆積と硫酸還元バクテリアの活動があったものと思われる。つまり、白亜紀の海表面ではシアノバクテリアが大発生して赤潮を引き起こし、貧酸素の海底では大量に降り積もる有機物を利用して硫酸還元バクテリアが繁殖していたわけで、これは熱水活動の活発だった原生代初めの海で起こっていた事と同じである。

(注) 古生代から中生代にかけての大陸分布を見ると、中東だけが長い間赤道域に位置していた。その結果、中東には空隙がたくさん有り石油の貯留に最適なサンゴ礁からなる石灰岩と、石油の流出を防ぐ岩塩などの蒸発岩が蓄積され、さらに第三紀にはアジアとの衝突によって褶曲構造が形成されるなど、石油資源の埋蔵に必要なすべての条件が整っていたのである。(2-22)

 

  このように、恐竜の繁栄した中生代のジュラ紀・白亜紀は極めて温暖な時代であった。白亜紀がこのように温暖な時代であったからこそ、極地方にも恐竜が棲む事ができたわけである。ところが、白亜紀中期には高かった海洋地殻の生産量が、白亜紀後期から末にかけて急減する。それに合わせて気温も急低下し、白亜紀末には現在に近い16℃にまで下がってしまう。これは年平均気温が7℃も低下した事で、とんでもない気候変動である。また、海生動物の殻の酸素同位体比の研究から、白亜紀末の500万年間に海水温が5℃下がった事もわかっている。年平均気温が17.6℃の鹿児島を基準にすると、5℃低い所というと12.6℃の福島、7℃の差となると盛岡あたりまで北上しなければならない。7℃の低下という事が、いかに大変な事かわかるだろう。また海も後退して浅海は干上がり、気候は季節性を増して赤道から極への気温勾配も現在と似たものになって行った。白亜紀末に起こったこの気候の急激な寒冷化が、生物界に大きな影響を与えた事は想像に難くないのである。

 

(注) アラスカ、ノーススロープから白亜紀後期のハドロサウルスやティラノサウルスなど恐竜化石が出土し、南極からも鳥脚類の骨が見つかっている。当時、アラスカは植物の種類が非常に豊富で、中には亜熱帯性のものも含まれていたと言う。恐らく、ハドロサウルスなどはこの豊かな食料を求めて、夏の間だけ極地に移動して来たものと考えられている。

 

 

 熱帯に適応した爬虫類

 

  中生代に大繁栄した爬虫類は、実は熱帯に適応した生物であった。実際、大型の変温性四足類のほとんどは赤道の上下20度以内に集中して生息している。爬虫類は白亜紀末の大絶滅の後、地上の主導権を哺乳類に明け渡し、今日ではあまり重要でない衰退しつつあるグループだと見られやすい。しかし一歩熱帯雨林に入ると、そこはカエル・ヘビ・トカゲなどの両生類・爬虫類の天下であって、彼等はそこらじゅうを這い回り、その数は高等なはずの哺乳類よりもはるかに多いのである。例えば、熱帯雨林のコンゴ盆地では、1000エーカーにリス・トガリネズミ・サル・ジャコウネコ・アンテロープ・ゾウなど、50種のコウモリ以外の哺乳類が存在し、温帯地域のニューイングランドの森林がせいぜい20種程度なのと比べると豊富である。しかし、同じコンゴ盆地で爬虫類の種数は180種に登り、哺乳類の3倍以上にもなる。これはビルマやタイでも同じで、熱帯雨林には恒温動物の2倍から3倍の変温動物の種が生息している。今日、熱帯では哺乳類よりも両生類・爬虫類の方が種数も多く、また様々な環境に適応し繁栄しているのである。(2-6)

  先に、中生代の恐竜の王朝が出現する以前に哺乳類型爬虫類の王朝が存在した事を述べたが、この哺乳類の直系の祖先である獣弓類は、古生代ペルム紀初期の終わりのドワイカ氷期を契機として温血化の道を辿って来たと考えられている。恐竜の繁栄した中生代は温暖な時代で、約2億5000万年〜5000万年前の間は地球上に大きな氷床は存在せず、いわゆる無氷河時代が続いていた。しかし、その前の約3億4000万年〜2億7000万年前、石炭紀からペルム紀にかけて地球上には大きな氷床が存在していたのである。その痕跡は、南アメリカ・アフリカ・南極・インド・マダガスカル・オーストラリアなどに残され、当時はこれらが一つになってゴンドワナ大陸を形成し、極地方にあったこの大陸に大氷床が発達していたのである。この大陸の氷河をゴンドワナ氷床、そしてこの時代をゴンドワナ氷河時代と呼んでいる。当時、すでに温血を獲得していたとされる哺乳類型爬虫類は、この氷河時代に進化し勢力を伸ばして行ったのである。一方、恐竜が登場する中生代三畳紀は、それよりずっと温暖な無氷河時代であった。

  このような古気候の変遷は、当時の植物群の分布からもわかる。両生類が出現し、脊椎動物が初めて陸上に進出した古生代デボン紀は高温・乾燥の気候で、ヨーロッパ・グリーンランド・北アメリカは結合して広大な赤色砂岩大陸を作っていた。この名前の由来は、当時の堆積岩が砂漠に発達した赤色の砂岩から成っている事による。赤っぽく見えるのは、砂岩中の石英の粒子が酸化鉄に覆われている為で、これは高温・乾燥した気候の証拠である。赤色砂岩は中生代三畳紀にも見られる事から、このデボン紀のものを旧赤砂岩と呼んで区別している。またこの時代の植物は、古生マツバラン類(プシロフィトン類)と呼ばれる初期のシダ植物で、下草程度の小型の草本性植物であったが、当時は同じ様な植物が全世界的に分布し、世界全体を一つの植物区と見なす事ができる。この時代は、地球全体が熱帯あるいは亜熱帯で気候帯は認められず、その後、時代の進行と共に気候帯が分かれて来る事になるのである。

  石炭紀に入るとゴンドワナ大陸は南極点の上を移動し、ペルム紀にかけて巨大な氷床が発達する。こうして石炭紀には南半球のゴンドワナ大陸は寒冷な気候になり、反対に北半球は熱帯性の気候で大陸の沼地に木性のシダ植物が繁茂して大森林を形成した。この時代、石炭を作った大森林のほとんどは北半球に位置していたのである。先に、油田が無氷河時代の産物である事を述べたが、石炭は反対に氷河時代の産物である。氷河時代には高緯度地方に大規模な氷床が発達し、その拡大・縮小によって氷期・間氷期が交互に繰り返される為、無氷河時代よりも海水準は低く、しかもその変動が激しい。この結果、浅い陸棚ではサイクロセムと呼ばれる、規則正しい順序で岩石が重なった地層が形成される。ゴンドワナ氷河時代には、北アメリカやヨーロッパ大陸でサイクロセムが形成され、その厚さは0.530mにも達した。この地層の重なりは下から上へ、@石炭層を挟んだ平野の堆積物、A浅い海の石灰岩、B沖合いの細かい泥から成る頁岩、C浅い海の石灰岩の順に規則正しく並んでいる。これは大陸に海が進入して、それまでの平野の堆積物の上に浅い海でできた石灰岩が堆積、さらに海が進入して沖合いの堆積物がその上に重なり、次に海が退いて再び浅い海の堆積物となり、遂には平野に戻った事を示している。石炭層は、平野の樹木や草が海水の進入によって枯れ、それが埋もれて出来たものなのである。このサイクロセムが作られた時代が石炭紀で、何回もの海進によって作られた厚い豊富な石炭を含んでいる。北アメリカ大陸ではおよそ800万〜1200万年間に、大きなサイクルだけで55回以上の海進・海退が繰り返されたと言う。単純計算すると、ゴンドワナ氷河時代の7000万年間に380回以上となる。世界の大きな炭田は、この氷河時代の産物なのである。

  このように石炭紀には南・北半球で気候の違いを生じていたが、次のペルム紀に入ると違いは一層明確なものになる。当時の植物は、ゴンドワナ大陸で見られたゴンドワナ植物群、中国・朝鮮・東南アジアで繁茂した熱帯性のカタイシア植物群、ゴンドワナ植物群に似たアンガラ植物群(シベリア)、ローレンシア大陸に見られた熱帯性の欧米植物群の4植物区に明瞭に分けられる。これはペルム紀に、地域による気候の差がより明確になって来た事を示している。またペルム紀後期には、ローレンシア大陸にユーラシア(アジア)が結合してローラシア大陸ができ、ペルム紀末にはこれとゴンドワナ大陸が合体して巨大な超大陸パンゲアが形成される。ただ、このパンゲアは短期間しか存在せず、中生代初めには分裂を始め、中生代中頃には地中海とメキシコ湾を結ぶ線に沿って分裂する事になる。以後は大陸分断の歴史である。

  さて、ペルム紀には4つの植物区に分かれていたわけたが、中生代の三畳紀に入ると4植物区は解消し、世界は再び均一な植物群に戻ってしまう。この時代、世界的に広い分布を示すのは、現在の熱帯に残されているヤブレガサウラボシ科のシダ類の祖先系のものである。またペルム紀末から三畳紀にかけて、新赤砂岩と呼ばれる赤色の砂岩層が世界各地に見られる事から、当時の気候は高温・乾燥したものであったと考えられている。

  以上の気候の変遷をまとめると、デボン紀は地球全体が熱帯もしくは亜熱帯で、気候帯は認められない。以後、徐々に気候帯が分化し、石炭紀には北半球で高温・多雨、南半球で寒冷気候と違いが生じ、次のペルム紀には南半球のゴンドワナ氷床の影響もあり、熱帯・温帯・寒帯の3帯に分かれた。しかし、中生代の三畳紀に入ると氷床が融け温暖化と共に気候帯も解消し、再び熱帯・温帯のみの気候に戻る。ジュラ紀も高温・乾燥気候で世界各地にサンゴ礁が見られる。しかし、白亜紀末になると急速に寒冷化が進み、以後は徐々に気候帯も分化し、新生代第三紀に入ると気候帯はいよいよ明瞭になって行った。また、世界の炭田の多くは古生代の石炭紀に作られたのだが、その時代の樹木には年輪がなかった事が知られている。年輪が明瞭に形成されるのは中生代ジュラ紀に入ってからで、この事から考えると、それまでの気候変動には四季は存在せず、年間を通して高温か寒冷か、多雨か小雨かといった均一な気候が支配していた事になる。

  このように地球規模での気候の長期的な変化を見て来ると、何故、哺乳類型爬虫類の方が最初の爬虫類の王国を作る事になったのか。そして反対に中生代には、より進化しているはずの哺乳類型爬虫類を押しのけて、爬虫類の恐竜が支配権を確立する事になったのか理解できる。哺乳類型爬虫類の進化したペルム紀の氷河時代には、体温の変動による制約の為に低温の場所や時間には活動できない冷血の爬虫類に比べて、温血であったと思われる哺乳類型爬虫類の方がはるかに有利で、彼等以外には地上の支配権を獲得できるものはいなかったのである。しかし次の中生代に入り、氷河が融け気候が温暖化し、常夏の熱帯性気候が地球全体に及ぶ様になると、今度は逆に爬虫類の方がだんぜん有利となった。恒温動物の哺乳類は、活動していない時でも、常に体内で熱を発生させる為に大量のエネルギーを消費している。暑くも寒くもない状態で、安静にしている時のエネルギー消費量を標準代謝量と呼んでいるが、同じサイズであれば恒温動物の標準代謝量は変温動物の29.3倍にもなると言う。つまり恒温動物は、何もしなくても変温動物の約30倍ものエネルギーを消費しているのである。そのため、熱帯の様に気温が高く体温を上げる必要のない所では、恒温動物の哺乳類は無駄に熱を発生させる、エネルギー多消費型の極めて不効率な生物なのである。それ以上に、熱の発散に関係する体表面積と体積の比が小さい大型動物は、運動すると体温が上がりすぎ生きて行く事ができなかっただろう。温暖だった中生代に、哺乳類がネズミやネコ程度の小型動物しかいなかったのは、体温の面からも当然だったのである。反対に、気温が高く体温の低下によって活動が制限される事がない環境では、変温動物は極めて効率的な生物となる。彼等は体温を上げる為に無駄なエネルギーを使う必要がないので、恒温動物に比べてわずかなエネルギーで生命を維持して行く事ができる。このため同じ食物を食べても変温動物の方が早く成長する事が可能なのである。食物から吸収されたエネルギー(同化エネルギー)は、その一部が生命維持に使われ、残りが自己の組織を作る事、つまり成長にまわされる。恒温動物では同化エネルギーの 97.5%が生命維持に使われ、成長に充当されるのはわずか 2.5%に過ぎないが、変温動物では 30%が成長に当てられている。同量の食物をとっても、変温動物では恒温動物の10倍もの組織が生産されるのである。(2-35)

  爬虫類の恐竜は、熱帯の様な一年中温暖な中生代の気候に極めて良く適応した生物であった。本来が熱帯の生物であった彼等は、白亜紀末の気候の寒冷化によって種の多様性を急速に失い、衰退への道を進んで行ったのである。恐竜たちにとって最も困難だったのは、単なる平均気温の低下ではなく四季の出現であったろう。つまり夏と冬の気温差が拡大し、寒い冬が出現した事である。常夏の中生代の気候に慣れた彼等にとって、寒い冬を生き抜く事は困難だったのである。このように中生代末の恐竜の大絶滅は、スーパープルームという地球内部のダイナミックな活動に起因する、気候の長期変動に原因があったと考えられる。気候の寒冷化によって、恐竜たちが絶滅へと突き進んでいたまさにその時、偶然に巨大隕石が地球に衝突したわけである。それは既に絶滅しつつあった恐竜たちに、とどめの一撃を与えたという程度のものであった。

 

 

気候変動と大量絶滅

 寒冷化と絶滅

 

  中生代末の絶滅だけでなく、多くの大量絶滅において気候の寒冷化が重要な要因になっている事が指摘されている。アメリカのジョンズ・ポプキンス大学のS..スタンレーによると、海洋生物の大量絶滅は地球規模で冷却が生じた時に起きており、主として熱帯域の生物に絶滅が多く見られると言う。生命史上、幾度となく繰り返された大量絶滅の内、特に規模の大きなものが11回存在する。@先カンブリア時代後期、Aカンブリア紀後期、Bオルドビス紀末、Cデボン紀後期、Dペルム紀末、E三畳紀後期、Fジュラ紀プリーンスバキアン期末、Gジュラ紀末、H白亜紀セノマニアン期末、I白亜紀末、J始新世後期である。スタンレーは、これらの同時絶滅に見られる特徴として

  1)   絶滅は陸上生物と海洋生物の両方に同時に生じた。

  2)   動物は繰返し絶滅したが、植物には抵抗力があった。

  3)   熱帯生物が選択的に絶滅している。

  4)   特定の動物群が繰返し絶滅している。

の4点を挙げている。また上記11回の大量絶滅の内、先カンブリア時代後期・オルドビス紀末・デボン紀後期・白亜紀末・始新世後期の5回については、気候の寒冷化が確認されていると言う。次にそれぞれの絶滅について見ておこう。

 

 

 先カンブリア時代末の大量絶滅

 

  最古の大量絶滅は5億9000万年前、先カンブリア時代末のヴェンディア紀に、地球上に最初に現れた多細胞生物たちを襲った。かって、古生代カンブリア紀以前は先カンブリア時代として一纏めにされていたが、現在では先カンブリア時代末期近くになると、特定の生物化石によって特徴づけられる地質区分が存在する事がわかって来た。ヴェンディア紀(6億2000万年〜5億4500万年前)はその最後の時代で、この当時、地球上ではまだ多細胞生物の大規模な適応放散は起きておらず、南オーストラリアのエディアカラ丘陵を模式産地とする、エディアカラ動物群だけが世界の浅海域に広く分布していた。その際立った特徴は、薄いペラペラのシート状の体制である。例えばディキンソニアは、大きなものでは体長1mにもなるが厚さは3mm程に過ぎず、シート状の体を波打たせて、空飛ぶ絨毯の様に海底近くを泳いでいたらしい。また、海底に生えた相撲の軍配の様なチャルニオディスクスも、最大長は1.2mにもなるが厚さは数mm程度であった。これらの特徴的な2次元の生物たちは、ヴェンディア紀の終わりと共に完全に姿を消す。それと入れ代わる様にして、エディアカラ動物群に混じって出現し始めていた、長さ数mmから十数mmの円錐形の殻で知られる有殻動物や、海底の泥に這い跡だけを残していた節足動物などが数を増やして行く。そしてカンブリア紀中頃、カンブリア爆発として知られる多細胞生物の大適応放散につながって行くのである。

  このエディアカラ動物群は、かっては現生の動物の分類群に当てはめて理解されていた。例えば、円形で表面に同心円や放射状の構造を持つシクロメデューサやルゴコニテスはクラゲ・イソギンチャクの仲間の腔腸動物、チャルニオディスクスやフィロゾーンなど葉状のものはウミエラ・ウミトサカなどのソフトコーラル類(腔腸動物)、そしてディキンソニアやヴェンディアなど左右対称で体節構造らしきものを持つのは環形動物や節足動物と見られていたのである。しかし今日では、現生生物のどの系統とも無縁の独自に進化したグループだと考えられる様になってきた。普通、クラゲの化石には円周側に筋肉が収縮してできた同心円状の構造、中心部には消化管の痕跡が放射状に配列するが、シクロメデューサではこれが逆になっている。環形動物とされるディキンソニアには、口や肛門もなく頭部らしきものも見当たらない。ヴェンディアは三葉虫に似た形から節足動物とされるが、付属肢らしきものは全く見つかっていない (2-36)。また、サンゴ(コーラル)は何千という小さな個体(ポリプ)が集合したコロニーだが、ソフトコーラル類では水流に運ばれて来る食物粒子を捕らえる為に分離した個々のポリプの枝が、樹状やうちわ状に並んでいる。ところが、エディアカラ動物では枝とおぼしきものは互いに接合し、たくさんの体節が隙間のないキルト状に縫い合わされ、エアマットの様な平面構造を形成しているのである。しかも、このデザインは現生のどの多細胞生物の設計プランとも一致せず、全く別個の進化実験だったと考えられる。これは十分な表面積を確保しながらサイズを増加させるという問題に対する、もう1つの解決法なのかも知れない。生物は、酸素呼吸や栄養分の吸収などそのほとんどの機能を体や器官の表面を介して行っているが、サイズが増加すると体積は長さの3乗に比例して増大するのに対し、表面積は2乗に比例するに過ぎない。そのため、現生の大型生物は必要な表面積を確保する為に、肺や小腸など複雑に入り組んだ体内器官を進化させて来たのである。これに代わる第2の解決法がエディアカラ動物の採用した、全体の形状を糸状・リボン状・布状・パンケーキ状に変える事で、体表面積を増加させるという方法であった。こう考えると、彼等の特徴的なつぎはぎ構造は不安定な形状を強化する為の工夫と見る事ができよう。このエディアカラ動物が先カンブリア時代末に絶滅し、次のカンブリア紀に大発展する生物たちに道を譲らなかったならば、その後に進化する生物が複雑な内部構造や、さらには自意識に近いものを獲得する事ができたかという疑問も沸いて来る。もしかすると、動物の形状は永遠に布状かパンケーキ状のままだったかも知れないのである。(2-23)

  また19億年前以降の地層からは、アクリタークスと呼ばれる微化石が多く産出する。これは丈夫な有機質壁を持つ泡状の構造体で、多数の棘や複雑な構造を持つものがあり、真核生物のプラシノ藻類か渦鞭毛藻の仲間と考えられている。初期の真核細胞のほとんどはこのアクリタークスという藻類群に分類され、多数の種に分化するが多様化は6億5000万年前に突然停止し、5億9000万年前の同じ時期に絶滅する事になる。スカンジナビアでは、アクリタークスの約70%が死滅、アフリカとオーストラリアでも同様に化石が減少しているのである。

  アクリタークスの絶滅が起こったのは、地球史上最も大陸氷河が発達した時期(バランガー氷河期)であった。当時の氷河の跡は、グリーンランド・スコットランド・スカンジナビア・ロシア・中国・オーストラリアなど、驚くほど多くの地域で氷河による砂礫の堆積として確認されている。しかも当時、これらの地域の幾つかは明らかに低緯度にあった事がわかっている。約300万年前に始まった最終氷期では、巨大な大陸氷河はカナダ・グリーンランド・スカンジナビア・南極大陸に集中し、高緯度地域にのみ限られていた。ところが6億5000万年前には、赤道近くにあったオーストラリアにまで氷河が広がっていたのである。当時が、いかに寒冷で厳しい時代だったかわかるだろう。この直後に登場したエディアカラ動物群が先カンブリア時代末に絶滅して後、気候が温暖化する中で、史上初の多細胞生物の大適応放散であるカンブリア爆発が起こるのである。

 

(注) これと良く似た事は以前にも起こっている。2927億年前にかけても氷河期があったとされるが、ちょうどその終わり頃がシアノバクテリアの急激な繁殖が始まった時期と一致している。また、27億年前は地球史の中でも火成活動が著しく高まった時代で、温暖化と大陸地殻の急激な成長による海岸域の拡大が、シアノバクテリアの大繁殖を生んだと考えられるのである。21億年前の真核生物の出現も、2422億年前のヒューロニアン氷河期の終わりに位置し、19億年前には激しい火成活動が起こり、それに伴って最初の超大陸が分裂を開始している。また最初のエディアカラ動物も、約6億年前のヴァランガー氷河期の直後に出現しており、その後からだを急激に大きくしていると言う (2-37)。巨大氷床の後退による大規模な海進は浅海域を飛躍的に広げ、新しく出現した暖かく浅い大陸棚で生まれたばかりの多細胞生物は放散し多様性を拡大して行ったのである。そして、この流れの中で次にカンブリア爆発が起こるのである。

 

 

 古生代の大量絶滅に共通する特徴

 

  カンブリア紀後期の大量絶滅で生物の歴史は大きく転回する。オルドビス紀に入ると、カンブリア紀に出現したカンブリア紀型動物群(三葉虫・棘皮動物のエオクリノイド・腕足類のシャミセンガイ・軟体動物に近縁のヒオリテスなど)は急速に多様性を減らし、代わって古生代型動物群(オウムガイ・二枚貝・ウミユリ・腕足類・貝形虫類など)が急激に多様性を増して行く。例えば、カンブリア紀を代表する生物の三葉虫はこの大絶滅以後あまり繁栄する事なく、古生代末に絶滅するまで生態系の中で大きな比重を占める事もなかった。一方、カンブリア紀には脇役に過ぎなかった海生生物がオルドビス紀に大適応放散を開始し、古生代を通じて繁栄する新しい動物群を生み出して行ったのである。こうして現生の無脊椎動物の祖先は、この時期にほぼ出揃う事になる。

  古生代に現れたこの豊富な動物相は、その後3回の大量絶滅を経験する。オルドビス紀末(4億3900万年前)、デボン紀後期(3億6800万年〜3億6500万年前)、ペルム紀末(2億5000万年前)で、このペルム紀末の絶滅で古生代が終了する事になる。これらは地球史上海洋で起こった5回の大量絶滅の3回に当たり、各絶滅で消滅した海生生物の科の割合は恐竜の絶滅した白亜紀末を上回っている。また、この3回の大量絶滅では絶滅のパターンが良く似ており、共通する特徴は寒冷化と海水準の低下であると言う。絶滅の原因が気候の寒冷化にあった事を示す事実として、絶滅が熱帯で繰返し起こった事があげられる。その目立った現象が熱帯での礁の壊滅で、3回の大量絶滅では、暖海にのみ生息する種類の石灰藻が大きな被害を受けている。また、オルドビス紀とペルム紀の絶滅では、高緯度に棲んでいた生物の分布が次第に熱帯域に狭められて行った事がわかっている。熱帯域の縮小は、大量絶滅の後、異常に少数の種と属が広い緯度範囲に分布した事、つまり海生生物の汎世界的分布からもうかがえる。もう1つ顕著な事は、古生代の3回の大量絶滅が共に氷河期の進行中に起こった事である。初めの2回の氷河期が大陸規模のものであった事は良く知られており、氷河の粗い堆積物が広範囲に分布している。3回目は、もっと地域が狭く山岳域に限られていた様であるが、氷河がかって石灰岩が堆積した熱帯の海域に移動し、以前に温暖だった海域が寒冷化した事がわかっている。スタンレーによると、古生代のこれらの氷河の発達は、超大陸が地球のどちらかの極を3回通過した時期に起きているという。(2-38)

 

 

 オルドビス紀末の大量絶滅

 

  ペルム紀末の史上最大の大量絶滅では海洋生物の科の50%が消滅したが、オルドビス紀末の絶滅はこれに次ぎ、22%の科が死滅した。海生生物は全地球的規模で絶滅し、腕足類のほぼ1/3の科が消滅し、コノドント・三葉虫・コケムシ・その他多くの造礁動物も絶滅しているのである。

  オルドビス紀後期の海洋の目立った特徴の1つに、石灰岩の累積率の低下がある。サンゴと石灰岩は暖海の産物で、その主な構成要素の炭酸カルシウムは暖海で容易に生産できる。そして現在、暖海にしか分布しない石灰質の緑藻の主なグループもこの時に絶滅している事と合わせて、当時の気温低下を反映したものと考えられるのである。さらに、この時期の気候の寒冷化を示すものとして、筆石の種類の減少とその絶滅パターンが挙げられる。オルドビス紀前期には通常の地理的分布をしていた筆石が、オルドビス紀の経過と共に特定の種の分布域が赤道方向に狭められ、数も減少する様になる。そしてオルドビス紀末には、低緯度に分布する種しか生存しなくなるのである。また三葉虫では、それまで極地方にしか生息しなかったものが突如として低緯度地方にまで進出すると言う。これらは寒冷な水域が、極方向から赤道に向かって広がって来た事を示唆している。同様の事は、海底での腕足類の分布にも現れている。オルドビス紀末には、深海と高緯度の寒冷な環境に適応した動物相が、赤道近くの浅海にまで広がって来るのである。生物分布のこうした変化は、高緯度から低温域が拡大して来た事を示している。そしてこの原因は、オルドビス紀後期の大陸氷河の発達にあると考えられる。この時代の氷河堆積物が北アフリカのサハラ砂漠で発見され、またこの時期には、ゴンドワナ大陸が南極点の上を移動していた事が岩石磁気から明らかにされている。そして当時は全地球的に海面が低下し、現在より100mも低かったと言う。氷河期には、大量の水が極地に氷として捕らえられる為、海水面が大きく低下するのである。

 

(注)筆石:カンブリア紀中期から石炭紀後期まで栄えた半索動物で、キチン質の骨格を持ち、数cm10cmの長さになる群体が羽ペンに似ている事からこの名がある。

(注)オルドビス紀末には、目の細かい粘土質の中に大小の礫が詰まった奇妙な地層が見られる。これは気温が上昇して氷河が後退した時、巨礫から泥まで氷河の運搬していたすべてが溶け出されそこに堆積して出来たものである。当時の南極はアフリカ大陸北部にあり、そこに巨大な氷床が発達していたと考えられている。。

 

 

 デボン紀後期の大量絶滅

 

  デボン紀後期の大量絶滅では、海洋生物の科の21%が消滅したと言う。これはオルドビス紀末の22%に次ぐ、史上3番目の大量絶滅である。またこの時の特徴は、絶滅のピークが200400万年とかなり長期に渡って続いた点にあり、そのため天体の衝突といった現象では絶滅の説明が困難で、早くから大規模な環境悪化との関連が指摘されて来た。またこの時代には、地球規模の寒冷化が起こっていた事も明らかにされている。

  デボン紀末に起こった様々な生物の絶滅パターンは、いずれも地球の寒冷化によって説明できると言う。例えば、ストロマトポーラと呼ばれる海綿動物は、デボン紀後期の前半(フラスヌ期)には低緯度の熱帯海域を中心に広く分布していたが、後半(ファメヌ期)になるとその数を激減し、熱帯海域の外では高緯度の低温水域に適応したごく一部の種類だけになってしまった。これと同様の事が、腕足類ではもっとはっきりしている。熱帯海域に生息する腕足類は、この時期を通して91%の科が絶滅したが、高緯度の低温の海水域に適応したグループは27%の絶滅で済んだのである。しかし、腕足類は温かい海域を好む為、フラスヌ期に生きていてファメヌ期まで存続できたものは、わずか14%に過ぎなかった。

  また当時の寒冷化の影響は、魚類の絶滅パターンにも現れている。この時代、魚類はすでに大適応放散期に入り、甲胄魚の仲間がその全盛期を迎え、そしてサメの仲間の軟骨魚類や真正の魚である硬骨魚類もすでに登場していた。このうち、デボン紀の魚類を代表する甲胄魚の仲間で初めて顎を持った板皮魚類は、温かい浅海に棲むものの65%が絶滅したが、淡水に棲むものは23%の絶滅だけで済んだ。同じくこの時代に栄えた棘魚類も、海洋性のものは88%が絶滅したが、淡水性のものは30%の絶滅に留まっている。この違いの原因は、水温にあったと考えられる。一般に淡水性の魚は日周的・季節的な水温変化に十分適応しているが、海洋性の魚は周囲の海水が熱バッファーとして働く為、水温変化に慣れておらず極めて弱いのである。

  また、デボン紀後期の最も顕著な出来事が気候の寒冷化を明瞭に示している。それはデボン紀中頃まで、数億年に渡って繁栄して来た造礁生物の減少である。造礁生物はオルドビス紀の絶滅の後に回復し、高い生態的地位を獲得して来た。中でも特に繁栄したのが床板サンゴや層孔虫で、シルル紀とデボン紀の巨大な礁は世界各地に分布している。しかし、デボン紀の絶滅の後には、床板サンゴも層孔虫も大きな礁を作る生物としては、再びかっての繁栄を取り戻す事はなかった。実際、古生代の残りの1億年以上もの間、礁の成長は悪く現生のサンゴが進化して大繁栄する中生代初期まで、礁を発達させた生物はいなかったのである。礁社会の崩壊は、カナダ西部とオーストラリア西部の岩石が良く示している。そこでは膨大な礁がデボン紀中頃に成長したが、その内どれ一つとしてデボン紀が終わるまで生存したものはいないのである。

  オルドビス紀の大適応放散後、古生代の海で繁栄した動物に皺皮サンゴがある。現生の造礁性のサンゴとは異なり、多くはコロニーを作らず単体性で、各個体は円錐形のコップ状をしている。この皺皮サンゴは古生代末に絶滅してしまうが、それ以前のデボン紀後期の大量絶滅でも、その造礁性および非造礁性のものが共に激減している。世界各地のフラスヌ期後期の地層から、浅海性の皺皮サンゴが148種発見されているが、そのうちファメヌ期まで生存できたのはわずか6種だけであった。ところが深海性の種はうまく生き延び、フラスヌ期に生存した10種のうち3〜4種がファメヌ期まで生き残ったのである。話しはそれだけではない。絶滅で大きな被害を受けた浅海性の皺皮サンゴは、約10001200万年後に再び繁栄を回復し、新たな適応放散により少なくとも14の新科と数十の新種を生み出しているのである。実は、このように大量絶滅で大きな被害を受けた動物群が、その後の適応放散で繁栄を取り戻す例は良く見られる事である。そして、絶滅とその後の劇的な復活が温かい浅海に棲む種に集中していた一方で、深海の冷たい海水に適応したサンゴが大きな影響を受けなかった事は、デボン紀後期の大量絶滅が主に熱帯の生態系を破壊したという観察と一致している。

  多くの海生生物が絶滅して行った同じ時期に、逆に繁栄し多様化して行ったものもいる。それは冷たい海水を好むガラス海綿で、珪質の骨格を持ち、現在でも深海の冷水中で多く生息している。多くの生物が絶滅したこの時期に、彼等は浅海域にまで分布を広げ、一気に適応放散期に入ったのである。この事も、当時の海水温が低かった事を示している。

  このようにデボン紀後期の大量絶滅は、気候の寒冷化が原因である可能性が高い。実際、この時期に地球は再び氷河期に入り、ゴンドワナ大陸では氷河が発達していた。ブラジルには当時の氷河の痕跡が残されている。オルドビス紀後期と同様、デボン紀後期にゴンドワナ大陸は再び南極点の上を移動、新たな大陸氷河の時代が始まっていたのである。(2-38)

 

 

 ペルム紀末の大量絶滅

 

  ペルム紀末の大量絶滅は海洋生物の大半を絶滅させた史上最大のもので、海洋の科の49%、属の72%、種で見ると8095%までもが地上から消滅したと言う。特に海底で付着生活をする濾過食者の海生無脊椎動物が際立った影響を受け、サンゴ・腕足類・ウミユリ類は多様性を激減させた。また有孔虫の紡錘虫類・四方サンゴ・三葉虫は完全に絶滅し、アンモナイト類も絶滅寸前にまで追い込まれた。また陸上でも爬虫類の78%の科、両生類の67%の科が絶滅、昆虫も目の30%が消失した。この結果、次の三畳紀初めには、海と陸は奇妙な程からっぽな空間となってしまった。大陸棚では200300万年前まで存在していた複雑な階層社会が消失し、代わりに二枚貝や少数の腕足類がたった1つの低い階層を占める、単純な生態系に変わったのである。かっての複雑な生物社会が再生するには、それから1000万年後の三畳紀中頃まで待たねばならなかった。またこの絶滅は、恐らく200300万年の時間を掛けてゆっくりと進行したと考えられている。

 

(注)ペルム紀末には2回の大量絶滅があった事が明らかになってきた。26000万年前のペルム紀中期末(グアダルピアン期)と2億5140万年前の後期末(チェンシンギアン期)で、ほぼ同じ規模の大量絶滅であったと言う。

 

  ペルム紀末の大量絶滅でも、オルドビス紀後期やデボン紀後期と良く似たパターンが見られる。この時も熱帯の生物が最も大きな被害を受け、熱帯で石灰岩の累積率の低下傾向が認められる。さらに特徴的なのは海生生物の分布域の縮小で、ペルム紀初期には南北の広い範囲に分布していたフリズナ類・コケムシ類・皺皮サンゴが、ペルム紀最後のズールフィア期には、テーチス海の赤道域のみに分布域を狭めているのである。そして大量絶滅の後、次の三畳紀前期になると、今度は少数の種が異常に汎世界的な分布をする傾向が出て来る。これらの事は、絶滅が全地球的な寒冷化によって引き起こされた事を示唆している。

 

(注) テーチス海:古生代末から新生代初めにかけて、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸を分けていた赤道付近にあった大海で、今日の地中海や黒海はその名残り。ペルム紀末の大量絶滅では、この熱帯の温暖なテーチス海の海生生物が徹底的な被害を受けたのである。

 

  オルドビス紀末とデボン紀後期の絶滅に共通するパターンとして、もう1つ熱帯海域でしか生じない石灰岩の堆積と礁の成長が減退した後に、大量絶滅が起きている事があった。ペルム紀の造礁生物である石灰藻と石灰海綿も、絶滅期に成長が中断した後、次の三畳紀には再び造礁生物として復活している。しかも現在、熱帯域にのみ生息する石灰藻が、三畳紀前期の岩石中からはほとんど発見されていないのである。これらの事実は、三畳紀前期までかなり寒冷な気候が続いた事を示している。

  ところが、これまでペルム紀末には気候の寒冷化はないと考えられて来た。氷河はデボン紀後期に南半球で発達し始め、ペルム紀中頃まで続いた事が知られている。ゴンドワナ大陸の南アメリカに当たる部分が、南極点を通過している時に氷河期が始まり、南極大陸の周辺がまだ極地にある時に氷河期は終わった(この時期にはパンゲア超大陸の一部になっていた)。オルドビス紀末とデボン紀後期の大量絶滅では、ゴンドワナ大陸の南極点通過により起こった氷河期の開始と一致していたわけであるが、ペルム紀末の場合は絶滅の始まる以前のペルム紀中期に既にゴンドワナ大陸は南極点から遠ざかり、氷河期は終わっていたのである。ペルム紀初めのゴンドワナ大陸には、カンブリア紀から今日迄の5億4500万年間を通して最大の氷河が発達していた。しかしペルム紀中期に氷河時代が終わると今度は温暖化が始まり、その傾向はパンゲアが北上して熱帯域に移動し、内陸部に乾燥地域が拡大する事により助長された。当時、大部分の陸塊が南極点から北極点にまで広がる巨大な超大陸パンゲアに結合していた事と、海水準の大幅な低下と相まって、広大な大陸内部は暑く乾燥した砂漠だらけの世界となっていたのである。ペルム紀後期の地層中に、異常に広範囲な砂丘の堆積と蒸発塩類が存在する事も、当時の内陸部の気候が温暖で乾燥していた事を示している。この時代に、今日工業用に広く使われている岩塩が世界的規模で形成され、その量は 500兆トン、過去2億年間の浸食を考えると最初の沈殿は1000兆トンにもなると言う。このため海水の塩分濃度が1015%も減少したと言われ、それが絶滅の原因だという説もあるほどである。

  このように従来、ペルム紀後期は温暖な時代で、氷河は存在せず寒冷化の証拠はないとされて来た。しかし、ペルム紀中期に南極点を離れたパンゲアは北に移動し、ペルム紀後期には北極点に近づきつつあった。実際、シベリア北東部から氷河の痕跡が発見されている。それは氷河によって運ばれて来た小石・漂石などが海面で氷が融けて沈み、泥質の海底に堆積したもので、これらの岩石片の中には、それがかって移動する氷河の底にあった事を示す平行な溝の刻まれた石(砕屑物)も混じっている。この海洋堆積物の量は極めて膨大で、約 50km2の広さと約1kmの厚さがあると言い、当時、膨大な量の氷河が浅海に到達した事がわかる。もう1つ重要な事実は、海洋起源の石灰岩が氷河起源の海洋堆積物の直下にある事である。この異常な位置関係は、石灰岩が堆積する様な暖かい海域の水温が急激に低下した事を意味している。またペルム紀後期の海氷堆積物は、オーストラリア南部の浅海底からも発見されている。南極大陸の氷河が海まで移動し、そこで壊れてできた氷山によって粗い岩屑が運ばれて来たのである。これらの氷河の堆積物は、ペルム紀後期の両極が寒冷であった事の証拠であり、ペルム紀末に気候の寒冷化がなかったと簡単には言い切れないのである。(2-38)

  しかもペルム紀末は、地球史上でも異常といえる事態が幾つも重なった時代で、短期間に様々な地質学的出来事が集中した。その1つは海水準の史上最大規模の低下である。ペルム紀前期の終わりにも約1000万年に渡って海面が低下した。その後、水位はいくらか回復するが、ペルム紀末にかけて再び急速に下降して行ったのである。この下降は200万年に渡って続き、水位は100m下がった。結局これらの時期を合わせて210mの海水準の低下が生じたと言う。ところが次の三畳紀に入ると、逆に水位は220mも急上昇するのである。この激しい海水準の変動は、絶滅要因論としての種面積仮説を生み出すきっかけともなった。これは海水準の低下が浅海を減少させ、そこに棲む海生生物を絶滅させたというものである。この時の海面の低下によって大陸棚の面積はペルム紀前期に57%、後期には87%も減少し、この後期の海水準低下の間に海生生物の科の半分が絶滅しているのである。特に、ペルム紀最後の800万年間は海水準が最も低下した時期で、この時に最大規模の絶滅が起きていると言う。このように海水準の低下と大量絶滅の相関は高いのであるが、この説に対する反対もある。最近の数百万年間にも激しい海面の上昇・下降があったが、それによる海生生物の絶滅は起きていないと言われているのである。

  またペルム紀末は、シベリアン・トラップス(トラップはスウェーデン語で階段の意味)に代表される、火山活動が極めて活発化した時代でもあった。このシベリアで見られる階段地形は、今から2億4800万年前のわずか60万年間に地球史上でも最大規模の溶岩流によって形成されたもので、溶岩で覆われた面積は150km2、その流出量は200300km3にも上ると言う。この激しい火山活動と大量絶滅を結び付けたい所だが、実際にはこの火山活動が始まる以前に、すでに絶滅は始まっていた。とにかく、史上最大の大量絶滅の起こったペルム紀末は、地球規模の大変動に見舞われた大変な時代だったのである。

 

 

 始新世後期の大量絶滅

 

  新生代は第三紀と第四紀から成り、第三紀は古い方から、暁新世・始新世・漸新世・中新世・鮮新世の5世に分けられる。このうち始新世後期から漸新世にかけて、約1000万年間に渡って5回のピークを持つ一連の絶滅事変が起こっている。

  第1回目は、始新世中頃のルテシャン期とバルトニアン期の境界で起こったルテシャン・バルトニアン事変(4300万年前)で、この時、有孔虫のうち少数の温暖指標種が絶滅あるいは衰退した。これはそれまでの温暖期が終わり、寒冷化が始まった事を示している。さらにこの時期には、低温化のため深海の底層流が活発になり、これが海底の堆積物を削剥してできた地層の欠如が見られると言う。また海水準の低下も認められる。このように小規模の絶滅事変であるが、温暖化指標種の絶滅、海洋循環の活発化、海水準の低下と、寒冷化を示す要素が一通り判明しているのである。2回目のバルトニアン・プリアボニアン事変(4100万年前)でも、同様に熱帯性の浮遊性有孔虫が滅亡し、中緯度にいた有孔虫群は赤道域に移住した。また、微小な藻類の石灰質ナンノプランクトンは種の50%が絶滅した。そして海底堆積物には削剥があり、海水準も低下、酸素同位体分析でも気温の低下が示され、総ての証拠が気候の寒冷化を示している。3回目のプリアボニアン期後期の事変(3800万年前)、4回目の始新世末事変(3650万年前)、5回目の中期漸新世事変(3250万年前)でも、ほぼ同様に寒冷化した事がわかっている。

  北海の軟体動物化石の殻体の酸素同位体分析からも、始新世中頃から漸新世初めにかけて温度低下が起こった事が分かると言う。さらに、南極のウェッデル海では漸新世初期に氷河が発達していた。また植物の葉の形状からも気候の推定が可能で、葉の縁辺が鋸歯状(ギザギザ)でなく平滑な全縁の葉を持つ被子植物の割合は、年平均気温に比例する事が知られている。それからすると、バルトニアン・プリアボニアン事変の時と漸新世中期には、年平均気温が10℃も低下した事になると言う。さらに植物化石によると、始新世中期にはオーストラリア・南極・ニュージーランドは熱帯雨林であったが、始新世後期までには衰え、漸新世には多様性の乏しい冷温帯植物群に変わってしまったと言う。このように、始新世後期から漸新世にかけて約1000万年に渡って繰り返された絶滅は、総ての証拠が気候の寒冷化が原因であった事を示している。そしてこの寒冷化は、南極に氷冠ができ、寒冷な底層水塊が発達した事によると考えられているのである。(2-38)

  以上見て来た様に、多くの大量絶滅事変において、気候の寒冷化が絶滅と深く関係している事が明らかになっている。確かに寒冷化の認められない絶滅事変も存在するが、気候の寒冷化が絶滅の重要な原因の1つである事はほぼ間違いないのである。

 

 

気候の周期変動と地球内部の活動

 周期的な寒冷化

 

  大量絶滅と気候の寒冷化の時期が重なる事が多く、両者が深い関係にある事を見て来たわけだが、実はこの寒冷化は周期的に起こっている様なのである。アメリカのプリンストン大学のアルフレッド・フィッシャーとマイケル・アーサーによると、海洋では生物種が豊富な時期と少ない時期が、3200万年周期で訪れていると言う。浮遊性有孔虫のグロビゲリナの種数とアンモナイト類の属数は、3200万年ごとに増減を繰返し、2億2200万年前・1億9000万年前・6200万年前には、その種類が減っているのである。さらに、海洋環境が好転し生物種が最も多くなる時期には、体長10mを越す様な大型の捕食動物が現れると言う。恐竜時代のモササウルス・イクチオサウルスといった魚竜や首長竜、それ以降の大型のクジラやサメの出現である。例えば、2000万年前にはカルカロクレス・メガロドンと呼ばれる体長13mもの巨大なサメが出現し、むかし日本で天狗の爪と呼ばれて珍重されていた長さ10cmにもなる三角形のサメの歯が世界各地から出土している。この巨大サメも、3200万年周期の海洋環境変動の産物という事になる。一方、環境の悪化した時期には、浮遊性のプランクトンのある1種類だけが異常発生を起こすと言う。

  また化石の殻の酸素同位体比にも、3200万年周期の変動が認められる。一般に、陸から遠く離れた海洋底の堆積物は海洋のプランクトンの殻や細かい粘土から成るが、海中を雪の降る様に(マリンスノー)ゆっくり沈む炭酸カルシウム(CaCO3)の殻の量は予想外に多く、水深 30004000mより浅い所では海水に溶けず海底に堆積する。外洋に生息する炭酸カルシウムの殻を持つプランクトンの代表が有孔虫で、酸素同位体分析は大洋底に堆積したその殻を使って行われる。酸素には質量数161718の同位体(16O、17O、18O)があり、海水中にはそれぞれ 99.76%、0.04%、0.20%の割合で含まれるが、有孔虫が作る殻の炭酸カルシウム中の酸素同位体比(18O/16O)は、海水温と海水中の酸素同位体比によって決まる事がわかっている。海水温が高いほど軽い酸素(16O)が取り込まれ易く、殻の酸素同位体比は小さくなるのである。また海水中の同位体比は、氷床の発達によって変化する。海洋から蒸発する水蒸気は軽い酸素を多く含み、雨や雪そして河川水や地下水は海水よりも軽い酸素に富む為、大規模な大陸氷河(氷床)が発達する時期には軽い酸素を多く含む水が大量に取り除かれる事になり、海水の酸素同位体比は大きくなる。逆に氷床が縮小する時には、酸素同位体比は小さくなるのである。このように、有孔虫の殻の酸素同位体比は海水温と氷床の発達によって支配されているわけだが、この両者は気候変動に対して同方向に働く結果、氷河期になって海水温が低下すると酸素同位体比は大きくなり、逆に温暖な間氷期には小さくなる。こうして有孔虫化石の酸素同位体比は、当時の気候の指標、寒暖計の役割を果たす事になるのである。ただ一般には、有孔虫の酸素同位体比は海水温よりも海水中の同位体比の影響を多く受ける為、その変化は氷床の体積変化を直接反映していると考えられる。さて、この酸素同位体比のデータと海洋生物種数の変動を比べると、海洋生物種が少なくなった時期と酸素同位体比の大きい時期、即ち寒冷な時期が例外なく一致すると言う (2-39)。この事から、3200万年周期の海洋生物の豊富な時期と少ない時期の交互の訪れは、気候の変動に支配されていると推測できる。つまり、生物種が多くなるのは気候の温暖な時期で海水面は高く、逆に寒冷な時期には生物種が少なくなり、氷床が発達し海水面は低くなるのである。

 

(注)酸素同位体比(δ18O)は標準試料(標準平均海水)との比較で表される。

δ18O ={(18O/16O)サンプル (18O/16O)標準}/ (18O/16O)標準 × 1000(‰、パーミル)

 

  海水準の変動と大量絶滅が高い相関を示す事は先に見た通りである。この海水準の変動については、大陸棚の地下の地層や堆積物から、過去6億年間の変動曲線(ヴェイル曲線)が推定されている。ところで、この変動の原因として良く知られているのが氷床の増減で、氷河期には大量の水が氷床として固定されるため海水準は低下し、これによって氷期と間氷期では80150mも海水準が変化すると言う。過去の地球上に氷河の存在しなかった時代には、現在より100m以上も海面が高かったのである。しかし、ヴェイル曲線に見られる様な長い時間での海水準の変動は、大規模な海底の隆起や沈降によると考えられる。中央海嶺の下で作られる海洋プレートは、新しいものほど暖かく厚さも薄く軽いために浮き上がり、そして古くなるほど冷えて厚く重くなり沈み込む。そのため古い海底ほど深くなるのである。海洋プレートの生産が活発な時期は、若い海底の占める面積が大きく海底が盛り上がって海水準は上昇し、反対にプレートの生産速度が遅い時期には、古い海底が多くなり海水準は低下する。こうした海底の動きによる海水準の変動は300m程度と推定され、氷床の消長による変化量よりも大きいのである。

  このヴェイル曲線とフィッシャー・アーサーの3200万年周期とを比べると、海水準が次第に上昇しそこで急激に下がった所が、海洋生物種が少なくなる時期とほぼ一致すると言う。ヴェイル曲線の海水準変動は海嶺でのプレート生産、つまりマグマ活動が原因なのだから、それが3200万年周期で盛衰を繰り返して来た事になる。事実、過去2億年間に世界で起こった大陸の分裂時のマグマ活動は約3000万年の周期で発生し、特に大規模なものは、3000万年前、6000万年前、1億2000万年前、1億7000万〜1億9000万年前であった。花崗岩類の年代測定値の頻度分布から分かる日本列島のマグマ活動の周期変動も、この3200万年周期に一致すると言う。また、海洋底にはそれが作られた時の地磁気によって、中央海嶺から両側に対称的に分布する地磁気の正逆の縞模様が印されているが、所々で乱れが生じている。この乱れは海洋底の生産速度や方向など、中央海嶺でのマグマ活動の変化を示すと考えられるが、この磁気縞模様の不連続にも3400万年の周期が認められると言う。そして、過去1億6500万年間の地磁気の逆転の頻度にも3000万年の周期が存在する。さらに、ダイヤモンドを含む事で知られるキンバーライトという岩石が、地下深くから上昇して来た年代にも3500万年の周期があり、過去6億年間に起こった地殻変動にも3300万年の周期があると言う (2-39)。これらに見られる約3200万年程度の周期は、先にD層周期浮上説の所で見た、マントルと核との境界付近で数千万年の周期で発生する巨大な柱状の熱塊の上昇、つまりホットプルームにその共通の原因を求める事ができよう。大量絶滅と深く関連する、地球規模の寒冷化、海水準の低下、地磁気の変動といった現象、しかも周期性を持つこれらの現象は、地球内部でのプルームの周期的発生により引き起こされている可能性が極めて高いのである。

 

 

 氷河時代と無氷河時代

 

  地球には、3200万年周期で寒冷な時期が訪れていたわけだが、この寒冷化にはさらに周期の長い大規模な変動がある事が知られている。それは氷河時代と無氷河時代の交替である。地質時代の大規模な氷床は、地球にその痕跡を留めている。氷床が移動すると、下の岩盤に引きずられたり削られた跡が残り、また氷床の末端では運んで来た砂が落とされる。こうした痕跡から、過去の氷床の分布やその流動方向などが分かるのである。そして地球上に大規模な氷床が存在していた時代を氷河時代、ほとんど氷床が存在しないか、あっても小さかった時代を無氷河時代と呼んでいる。

  現在の南極やグリーンランドの氷床は、過去にもずっと存在し続けていたわけではない。グリーンランドや氷期には存在したスカンジナビア・北アメリカの氷床は、約300万年前に初めて出現したに過ぎない。ただ南極大陸には、少なくとも1500万年前から現在の大きさに近い氷床が存在し、約4200万年前からは小さいながらも氷床が存在し続けて来たと言われている。しかし、それ以前の2億5000万〜5000万年前の期間には、地球上に大きな氷床は存在しなかったのである。したがって最近の1500万年間、長く採ると4000万年間が氷河時代に当たり、その前は3億4000万〜2億7000万年前のゴンドワナ氷河時代という事になる。さらに1つ前の氷河時代は先カンブリア時代末期、6億年前のヴァランガー(マリアノン)氷河期、7.67億年前のスターチアン氷河期、それ以前にも2422億年前のヒューロニアン氷河時代、2927億年前にも氷河の痕跡が知られている。このように地球は過去29億年間に渡って、氷河時代と無氷河時代とを繰り返して来たのである。

  多細胞生物が急速な進化を見せた過去6億年間は、氷河時代と無氷河時代が2回づつ繰返し、現在は再び氷河時代に入った所に当たる。おおざっぱに言うと、先カンブリア時代末期と古生代末期そして新生代が寒冷な氷河時代で、その間の古生代と中生代が温暖な無氷河時代に当たり、約3億年周期で気候変動の大きなうねりが有った事になる。しかも、この気候の変動には海水準と火成活動の変動も良く対応していた事が分かっている(どちらも高い所が温暖期に当たる)。また、このサイクルを現在に当てはめると、今後5000万年程度は大きな氷床が存在し、氷期と間氷期を交互に繰り返す事になると言う。

 

 

 氷河時代と無氷河時代の環境

 

  現在の様な氷河時代と、恐竜の繁栄していた無氷河時代では、気候や海洋のシステムが大きく異なっている。氷河時代には大規模な氷床が存在し、その消長によって氷期と間氷期が繰り返される為、無氷河時代よりも海水準が低くしかもその変動が激しい。その結果、浅い大陸棚ではサイクロセムが形成され石炭層が堆積する。大きな炭田は氷河時代の産物であった。また氷河時代には、高緯度地方の海水が氷床で冷やされ重くなって深海底へ沈み込み、全海洋を強く循環する様になる。海洋の3000mよりも深い所の底層水は、こうしてできた摂氏2度の重い海水から成っている。このように氷河時代の底層水は冷たく、赤道海域では表層水との間に2526℃もの水温差ができ、また表層水温も高緯度海域ではより冷たくなり、緯度で大きく異なる様になる。熱容量の大きい海洋のこのような温度構造の変化は気候に反映し、高緯度地方はより寒冷になり低緯度地方との気温差が拡大、こうして氷河時代には気候帯の区分が明瞭になり、熱帯・温帯・寒帯と細分化される事になる。この寒帯の形成が氷河時代の大きな特徴なのである。そして大気の大循環も複雑化し、夏と冬の気温差が大きくなり寒い冬が出現する。また、酸素を多く含む表層水が氷床で冷やされ沈み込んで海底を循環する結果、海洋全体が酸化的となり、海底では酸化的な状態で形成されるマンガン鉱床ができる。また、氷河時代にはマグマ活動が不活発だった事が、アメリカ大陸の花崗岩の年代測定からも明らかにされている。氷河時代には中央海嶺のマグマ活動が静穏で、そこでのプレートの生産速度も遅く、氷床の存在と相まって海水準は低くなり、そして地磁気の逆転の頻度も高く造山活動も弱い。

  無氷河時代は氷河時代とは反対で、高緯度地方にも氷床はなく、気候帯は単純で熱帯と温帯しかなく夏と冬の気温差が小さい。海水準は高く、海が大陸に進入して広くて浅い大陸棚ができる。そして海洋では深層と表層、高緯度と低緯度との水温差が小さく、また海水が氷床で冷やされて沈み込む事もなく深海での海洋循環が弱まる。その結果、海水が攪拌されず、海洋内部は酸素不足で還元的になる。一方、海洋表面では温暖な気候によりプランクトンが大繁殖するが、その大量の死骸は酸素不足の海洋内部では微生物によって分解されず、無氷河時代に特徴的な有機物を多量に含んだ黒色の泥となって海底に堆積、これが石油となる。地層中の大油田は無氷河時代の産物なのである。酸素の乏しい深海底では還元的な硫化物の鉱床ができ、浅海の広がった陸棚では酸化的なマンガン鉱床が形成される。また無氷河時代はマグマ活動が活発で、海嶺ではプレートが急速に生産され、その移動速度も大きい為、海洋底が盛り上がり海水準が高くなる。そして、活発化したマグマ活動は多量の二酸化炭素を放出し、その温室効果で温暖化がさらに進行する事になるのである。(2-39)

  生物から見ると氷河時代は棲みにくい環境であり、反対に温暖な無氷河時代は生物種が豊富な事からも分かる様に、生物には適した環境という事ができよう。これは化石種の消長からも明らかで、海洋生物の科の数は氷河時代に入ると減少し、逆に無氷河時代には増加しているのである。

 

 

 超大陸の形成とプルーム・テクトニクス

 

  この氷河時代と無氷河時代の周期変動に対応する様に見える、驚くべき現象が知られている。それは地球史上、何度か繰り返された超大陸の形成と分裂で、大陸は移動して1つの超大陸にまとまったり、個々の大陸に分裂したりを繰り返して来たのである。最も新しい超大陸は約2億7000万〜2億年前、古生代末から中生代初めに存在したパンゲア超大陸で、分裂していた諸大陸が次々と衝突集合して形成され(カレドニアン・アパラチアン造山運動、バリスカン造山運動)、その大きな湾入部にはテーチス海が、それを取り巻いて超海洋パンサラサも出現した。北アメリカ大陸東部のアパラチア山脈は、パンゲアが形成される時の衝突によってできた大山脈の跡と考えられている。その前の先カンブリア時代末期に存在した超大陸は10億年前に誕生したロディニアで、約7億年前にローレンシア大陸(北米大陸)・東ゴンドワナ大陸(東南極、オーストラリア)・西ゴンドワナ大陸(アマゾニア(南米)、カラハリ地塊、コンゴ地塊)の3つの大陸に分裂して古太平洋が形成され、その後、ローレンシア大陸からバルチカ(北欧大陸)が分離する。また、6億年前には東・西ゴンドワナ大陸が合体してゴンドワナ大陸が誕生した。この時のパンアフリカン造山運動に合わせて原生代末期には地球史上最大規模の氷床が発達し(スターティアン氷河期・バランガー氷河期)、バルチカの分裂過程の中で氷床が融けて温暖化が始まり、生物の爆発的進化であるカンブリア大爆発が起こったわけである。最初の超大陸は19億年前のヌーナで、27億年前にも超大陸が存在したとも言われる。このように地球は、大陸が分裂したり合体したり、あるいは巨大な大洋が開いたり閉じたりを繰り返して来たのである。そして、約4億年周期で大陸が1つに合体して超大陸を形成すると考えられ、これをウイルソン・サイクルと呼んでいる。

 

(注) 大陸の離合集散は造山運動として記録されるが、それを示す岩石の生成年代の頻度分布を見ると、過去30億年間に7回のピーク、つまり造山運動があった事になると言う。(2-40)

 

  実は、このウイルソン・サイクルが、少なくとも過去7〜8億年間は氷河時代と無氷河時代の交替と良く対応しているのである。超大陸の存在している時期が氷河時代で、超大陸が分裂する時が氷河時代から無氷河時代へと変わる時期に当たる。では何故、超大陸の形成サイクルが、氷河時代と無氷河時代の交替に対応しているのだろうか。その前に、そもそもなぜ超大陸は周期的に形成されるのだろうか。この問題に答える為には、地球内部で何が起きているのかを知らなければならない。

  従来、大陸移動はプレート・テクトニクスによって説明されて来た。地球の表層は、約10枚のプレートと呼ばれる厚さ約60100kmの板状の剛体によって覆われ、これが年間数cmのゆっくりした速度で移動する事により、その上に乗っている大陸も移動するというわけである。プレート自身は、地球内部の熱を宇宙空間に逃がす熱対流のマントル対流によって、水平移動すると考えられている。ただ、最近はプレート自体が持つ重力的不安定性が、プレート移動の原動力であるとも考えられる様になって来た(能動的プレート運動論)。プレートはその下のマントルよりも重い為、一旦、沈み込みが始まるとそのまま沈み続ける事になる。そして、沈み込みの背後では隙間ができ、それを埋める様に中央海嶺で火成活動が活発化して、新しいプレートが生産されると考えるのである。このプレート・テクトニクスは自然科学史に残る科学革命を引き起こし、それによって地質学の体系が大きく書き換えられたわけであるが、1990年代に入るとそれ自体を体系の一部に含むより包括的な理論体系、全地球テクトニクスとも呼ぶべき新しい理論が登場する。東京工業大学の丸山茂徳が提唱するプルーム・テクトニクスである。基礎科学の分野で、この様に独創的でスケールの大きな理論が、日本人の研究者によって創られる事は極めて異例の事である。かって、革新的な理論であったプレート・テクトニクスはアメリカから輸入されたわけだが、今日では日米の立場は逆転してしまった。地球科学は、日本がアメリカをそして世界をリードする、数少ない基礎科学の分野の1つに成っているのである。

  プルーム・テクトニクス誕生のきっかけは、地球内部をスキャンする地震波トモグラフィーの発展にあった。医療で使われるCTスキャンと同じ要領で、地震波の解析から地球内部の様子を見る事ができる様になったのである。これは地震波の縦波(P波)の伝播速度の異常領域を調べる事で可能となった。地震波は冷えた硬い物資ほど速く伝わり、温かく柔らかい物質ほど遅く伝わる。従って、高速度異常域はそこに周囲より密度の高い物質(冷えた硬い物質)、つまりスラブや下降流が存在する事を示し、反対に低速度異常域には密度の低い物質(温かい柔らかな物質)、つまり上昇流の存在を示しているのである。名古屋大学の深尾良夫らのグループはこの技術を改良して、地球内部のマントル全域を断層写真の様に3次元的に映し出すトモグラフィー(名古屋大学トモグラフィー)を開発し、これによってマントルのほとんどを支配しているのは従来信じられて来たようなプレート(板)ではなく、プルーム(柱)である事を明らかにした。そこには、深さ2900kmの核とマントルの境界から地殻まで上昇する巨大なプルームの流れ、さらには衝突したプレートが沈み込み核に向かって落下し、核とマントルの境界上に大量のスラブとして滞留している様子まで、明瞭に捉えられていたのである。地球の内部は、全マントルを巻き込んで激しく活動している事が判明した。プレートの厚さは約60100kmで、6400kmの地球半径から見れば2%にも満たない、いわばリンゴの皮の様なものに過ぎない。プレート・テクトニクスが支配しているのは、地球半径の1/10以下のわずかな領域で、地球内部の大部分はプルームによって支配されていたのである。

 

(注)トモグラフィーは地球内部を多数のブロックに分け、地震波速度(観測走時)の地球の球殻構造モデルから予想される理論走時からのズレを、断面図として視角的に表したものである。したがって、使う理論モデルが違うと異なるトモグラフィー像が得られる可能性もある。また、プリュームテクトニスでは低速度域と高速度域をそれぞれ高温域と低温域と解釈しているが、組成の違いが影響している可能性もある。名古屋大学トモグラフィーではマントルを16の層に分け、各層を緯度方向に32分割、経度方向に64分割して合計32768個のブロックに分けて計算し画像化したと言う。

(注)プレート・テクトニクスが支配する領域は、プレートが沈み込む所で深さ670km、プレートの生まれる所で150kmまでとされる。

 

  ここで対流について考えてみよう。水の層を下から熱すると対流運動が起き、反対に上から冷やしても同じ事が起こる。下側から熱すると、熱せられた部分の温度が高くなって膨張し、周囲よりも密度が小さくなり上昇する。逆に上側から冷却すると、冷やされた部分は温度が低下し、密度が大きくなって下に沈む。こうして温度差が密度の違いとなり、上昇・下降運動が生じて熱対流が起こるのである。今、上下を平面で囲まれた層で、下面の温度の方が高い場合を考えて見よう。流体中で熱を運ぶ手段としては、熱放射・熱伝導・熱対流があるが、熱放射は光を通さない地球内部では無効なので無視する。上下の温度差が小さい時は運ぶ熱量も小さく、熱は主に熱伝導によって運ばれ対流は起きない。この状態から少し温度差が拡大すると、ゆっくりとした対流運動が始まる。熱対流が起こると下で温められ軽くなった物質は上昇し、上からは冷たく重い物質が下降するので、熱伝導よりも効率的に熱の移動が可能となる。この時の対流運動のパターンは一定しており、上昇域と下降域はほぼ同じ場所に定常的に存在する。ところが、さらに温度差が大きくなると定常的な対流では下からの熱を充分に運搬できず、下面のいたる所で上昇流が発生、上昇域の一定しない非定常な対流が始まる。この時の上昇流がプルームなのである。ここからさらに温度差が拡大すると、層内部で運動が変化する空間スケールが小さくなり、遂には乱流状態となってしまう。(2-51)

  マントル・プルームとは、滴状をしたマントル層内の周囲より高温または低温のマントル塊の事で、地表に向かって上昇しているのがホット・プルーム、核に向かって下降しているのがコールド・プルームである。そして、プルームという滴が次々と上がり、あるいは落ちて行く場所に上昇流や下降流ができる。この内、特に太い流れを超プルームと呼び、マントル底からプレートにまで及ぶ直径5000kmもの地球的規模の巨大な流れとなる。超プルームは現在、2つの巨大なホット・プルームと1つのコールド・プルームの存在が知られている。ホット超プルームの1つは南太平洋超プルームで、底面は北西・南東方向に伸びた3000×5000kmの楕円形、茎は深さ2000kmで直径1500kmの円柱に絞られ、上部で再び広がったきのこ型をしている。そして北方に伸びたプルームはハワイのホット・スポットへと連なり、南方は南極大陸のエレバス火山に連続している。約7億年前に地球表層に突き上げ、先カンブリア時代末のロディニア超大陸を分裂させたのが、この南太平洋超プルームである。この超大陸の裂け目に中央海嶺ができ、そこで生産されたプレートによって海底が押し広げられる事で太平洋が誕生した。7億年も前にできた超プルームがいまだに残っているわけである。ところで地球は球面だから、新しいプレートに押されて互いに離れて行った大陸は、今度は地球の反対側でぶつかり合体して新たな超大陸を形成する事になる。こうして次の超大陸パンゲアが出現するのだが、すると今度はパンゲアのアフリカと南米がくっついた辺りに向けてもう1つの超プルーム、アフリカ超プルームが突き上げて来た。今から約2億年前の事である。これによって大西洋が生まれ、今日の諸大陸への分裂が始まった。そして大西洋の拡大とそれによる太平洋の縮小は、現在もなお続いているのである。

  このように、超大陸を分裂させ大洋を生み出すホット・プルームは、地球史の主役と言う事もできるが、実はもう一人の主役が存在する。それがコールド・プルームである。大西洋地域では、マントル深部から上昇するホット・プルームが地表に現れる地点に中央海嶺が存在するが、太平洋地域ではこの対応関係が全く認められない。太平洋の中央には世界最大の南太平洋超プルームが存在するが、その中心が地表に突き当たる地点に海嶺はなく、逆に現実の中央海嶺の下にはたいした高温領域は存在しないのである。では何故、大西洋と太平洋で超プルームと中央海嶺の位置関係が異なっているのだろうか。丸山によると、ホット・プルームはプレート・テクトニクスの前半の主役なのだと言う。つまり、プレートが中央海嶺から生まれどんどん広がって行く段階では、ホット・プルームによる湧き出しが主役となる。しかし、地球の反対側でプレート同士が衝突し、沈みこみが始まりコールド・プルームが誕生すると、プレート全体がこれに引きずられ、中央海嶺からずるずると新しいプレートが受け身的に引っ張り出される様になる。つまり、海洋が縮小する段階では主役がコールド・プルームに交替するのである。これはテーブルクロスを引っ張った時に、ある所から先は自重で勝手にずり落ちて行くのに似ている。プレートは中央海嶺から移動する間にどんどん冷えて重くなる為、重力的に不安定となっており、何かのきっかけさえあれば沈み込み始める。その機会がプレート同士の衝突なのである。大陸プレートと海洋プレートが衝突すると、密度の大きい海洋プレートの方が大陸プレートの下に沈みこむ。また海洋プレート同士の場合は、長い旅の間に冷やされ密度が大きくなった古いプレートの方が、若いプレートの下に沈みこむ事になる。大西洋の両岸には海溝はほとんど見られないが、太平洋の周りには南極を除くほぼ全域に海溝が発達している。拡大を続ける大西洋ではプレートはまだ若く、プルームの湧き出しが主力となっているが、縮小しつつある太平洋では、すでに沈み込みが主力の段階に入っているのである。太平洋地域では、冷却した重いプレートがマントル深部に沈み込んでプレートを引っ張る結果、プレート拡大速度が大西洋に比べて約4〜5倍も速くなっている(東太平洋海嶺 17cm/年、中央大西洋海嶺4cm/年)。そして太平洋の中央海嶺は沈み込むプレートに引っ張られて東側に移動し、太平洋超プルームの位置とズレてしまった。一方、大西洋の両岸には海溝がなくプレートを引っ張る力がない為、中央海嶺の位置は超プルームに対して2億年間ほとんど変化していないのである。(2-42)

  さて、沈み込んだプレート(スラブ)はどうなるのだろうか。マントルは主にカンラン岩から成るが、地球の中心に近づき温度と圧力が増すにつれ、途中で何度かマントル鉱物の結晶構造がよりコンパクトな形へと変化(相転移)する。そのうち最大の変化が、深さ670kmの上部マントルと下部マントルの境で起きる。上部マントルは粘性が低くさらさらしている為、周囲のマントルより冷たく重いプレートはこの境界付近まで板状のまま沈んで行くが、密度が高くどろっとした下部マントルには入り込めずそこで塞き止められる。しかも、ここでの相転移は熱を必要とする為、低温のプレートは密度の高い状態に相転移しにくく、また相転移で熱が吸収されるのでプレートの温度は何時までも上がらない。結局、沈み込んだプレート物質は地下670kmのラインをなかなか抜けられず、長期間ここに滞留する事になる。そして、相転移が終わると周囲のマントルと物質的には同じになるが、温度は周囲より低く密度が大きい為、スラブの滞留が一定の許容量を越えると冷たい塊として一気にマントル底まで落ちて行く。これがコールド・プルームなのである。

  コンピュータ・シミュレーションによると、核とマントルとの境界面のちょっとした温度の不均一からホット・プルームが発生すると言う。大陸の下に溜まった低温のスラブの落下は、そうした熱構造の擾乱には最適の原因で、これがホット・プルーム上昇のきっかけとなると考えられる。つまりホット・プルームの発生は、それ以前のプレートの沈み込みに起源があると言えよう。例えば、パンゲアを分裂させ大西洋を生み出したアフリカ超プルームの発生場所は、超大陸の下に最も大量のスラブが落下・蓄積した所に対応している。パンゲア超大陸の西岸から沈み込んだプレートが、コールド・プルームとしてマントル底に落下した場所に近く、南米とアフリカ、北米とヨーロッパとがくっ付いた所に、アフリカ超プルームなど一連のパンゲア中央プルーム鎖が湧き上がったのである。また、7〜6億年前に太平洋を生み出した南太平洋超プルームも、当時の超大陸の中心と同じ南緯30度付近にあり、超プルームはロディニア超大陸の中心に向かって上昇して来たものと考えられる。そして現在、ハワイ諸島の真下のマントル底には、当時の超大陸の下に溜まっていた大量のスラブの残骸と思われる、P波の伝播速度の異常に速い領域(低温物質)が1ケ所存在しているのである。これらの事から、ホット・プルームが生まれる場所は、それに先立つ時代にコールド・プルームが存在した所と言う事になる。

  また滞留したスラブの落下は、地表の地形にも大きな影響を及ぼす。ユーラシア大陸の中心部は2億年前頃からずっと地形的な窪地で、タクラマカン砂漠の北方には海水準よりも低い地域が存在するが、こうした大陸内部の広大な堆積盆地の発達は、滞留したスラブの下部マントルへの落下につれて地表が引きずり込まれた結果と考えられる。日本海などの縁海の成因も、同様にスラブの崩壊による地表の陥没と解釈できる。実際、日本列島の真下の核表面には、落下、蓄積したスラブが観察される。そして現在、スラブが沈降中の北米では、それに対応する地表がミシシッピ川流域の低地帯となっているのである。

  では今日、コールド・プルームはどこに存在するのだろうか。先に述べた様に、現在3つの超プルームが存在するが、実はその内の1つが約3〜2億年前に誕生した巨大コールド・プルームで、ユーラシア大陸の下に存在する。世界で最も若い複合大陸のユーラシア大陸は、その頃に約10個の大陸が次々と衝突・融合を繰り返して誕生した。その際、大陸と大陸の間にあった海洋プレートが、マントル内に沈み込んでコールド超プルームとなったのである。同じ時期に、パンゲアは分裂を開始し小さくなって行った。このような時代に、ユーラシア大陸にだけ陸地が集まったのは、その下にブラックホールの様に大陸を飲み込むマントル吸入口があり、そこをめがけて大陸が次々と集合・合体して行ったからである。この巨大な下降流の為、今日の地球では全ての大陸がアジアに向かって吸い寄せられつつあり、あと2億年もすればアジアを中心に超大陸ができあがると言う。その時には太平洋は消滅し、大西洋が唯一の超海洋となる。つまり、地球の長い歴史を宇宙から眺めると、太平洋と大西洋が交互に閉じたり開いたりを繰り返して来たわけである。こうして何故、超大陸が周期的に誕生し、また分裂するのかが分かる。超大陸ができるわけは、地球内部に巨大なコールド・プルームがただ1つ存在するからで、その結果、地球上の大陸は時と共にブラックホールの様なコールド超プルームに引き寄せられ、最後には全ての大陸が合体して単一の超大陸が形成されるのである。しかしこうしてできた超大陸も、それを生み出した原因そのものが、次にはこの超大陸を分裂させる事になる。コールド・プルームの核表面への落下は、直上のマントルの熱構造を擾乱し、これがホット・プルームを生み出す。そして今度は、ホット超プルームの上昇が超大陸を分裂させるわけである。分裂した大陸の間には、太平洋や大西洋の様な巨大海洋が出現し広がって行く。大陸は、最初はホット超プルームによって押し広げられる形で離れて行くが、後にはプレートの沈み込み領域にできたコールド・プルームに引き込まれる形で移動する様になる。そして、最後には地球の反対側で再び合体し超大陸が形成される。こうして超大陸の形成と分裂が周期的に繰り返される事になるのである。(2-21) (2-42) (2-43)

 

 

 超大陸の形成サイクルと氷河時代

 

  ではこの超大陸形成のサイクルは、氷河時代や無氷河時代、海水準の変動などとどういう関係にあるのだろうか。約19億年前に最初の超大陸が誕生して以降、その分裂から次の出現までの周期の間に、海洋プレートの生産速度、海水準の変動、氷河の成長と縮小、生物の大量絶滅などの出来事が、一定の法則性を持って進行する事が経験的に知られている。超大陸ができる頃には巨大氷河が地球を覆い、海水準は著しく低下、そして気候の寒冷化と共に気候帯が明瞭となり寒い冬が出現、生物の大絶滅が起こる。ところが、超大陸が分裂を始めると氷河は急速に融け海水面が上昇、気候は温暖化して気候帯も寒帯のない温帯と熱帯だけの単純なものとなる。そして大量絶滅を生き残った生物の中から、好転した環境の下で大適応放散をするものが出現、一斉に急激な進化が起こり、再び地球は多様な生物によって満たされる様になるのである。(2-42)

  海水準の変動がプレートの生産速度と関係している事は先にも述べたが、もう一度まとめておこう。中央海嶺で生まれて間もない若いプレートは、温度が高く膨張して浮力を持つ為、古いプレートに比べて地形的に高くなる。その結果、地球規模でプレートの生産速度が速くなると、地球表面を覆う若いプレートの面積が増大して海水準は上昇し、反対にプレートの生産速度が遅くなると古いプレートが多くなり海水準は低下するのである。従って、新しいホット超プルームが上昇する超大陸の分裂時には、若いプレートが活発に生産されて海水準は高くなり、逆に超大陸の形成時にはプレートの生産速度が鈍り海水準は低下する事になる。7億年前、超大陸ロディニアが分裂を始めた頃には、地球史上でも最大規模の氷河が地表を覆っていた。その当時は、赤道付近の海岸地帯まで氷河に覆われていたと言う。そして、この超大陸が2度目の分裂を開始すると共に、氷河は急速に融けて海水面が上昇、あのカンブリア大爆発が起こったのである。また2億5000万年前、次の超大陸パンゲアの分裂直前にも氷河が発達し、史上最大規模の海水準の低下と生物の大量絶滅が起きている。

  では、超大陸の形成・分裂のサイクルと、氷河の消長との関連はどうか。超大陸の下には、その周囲から沈み込んだプレート(スラブ)が深度670kmに滞留している。ところが、約4億年間に渡ってその場所に溜まり続けると滞留できる許容限度量を越え、スラブは一気に崩壊してマントル底までコールド・プルームとなって落下する事になる。すると今度は、核に向かうこの下降流に対応して上昇流、つまりホット超プルームが発生し、それによって超大陸は分裂を始めるのである。またこの時、特徴的に活動するキンバーライト・カーボナイトなどの超深部特殊マグマに含まれる大量の炭酸ガスが、中央海嶺から大気中に放出される事になる。その温室効果によって地球の気温は急速に上昇し、超大陸を覆っていた巨大氷河も融けて消えて行くのである。また、ホット超プルームの上昇は中央海嶺での高温のプレートの生産を活発化させ、中央海嶺の膨張と高温で浮力のある若いプレート面積の増大により、海洋底が浅くなり海水準が上昇する。これには氷河の融解による効果も加わる。こうして超大陸の分裂から1〜2億年後には気温と海水準は最高となり、パンゲア超大陸の分裂後の白亜紀の様に、地球全体が熱帯という常夏の世界となるのである。

  しかし、超大陸を分裂させる原動力となった中央海嶺からの湧き出しも徐々に衰え、マグマ活動も不活発になって行く。そして、分裂した大陸が地球の反対側で再び集まる頃になると、狭められる海洋の側ではプレート同士の衝突による沈み込みが始まり、これがコールド・プルームを発生させる事になる。また、そこではプレートの沈み込みに引きずられる形で、中央海嶺から新しいプレートが受動的に引き出される。つまりプレート運動の主役が、前半のホット・プルームから後半のコールド・プルームへと交代するのである。大陸が集合し、プレートの沈み込みが深さ670kmまで進むと、下部マントルに遮られてそこで滞留する様になる。こうなると先頭がつかえてプレートは進みにくくなり、中央海嶺でのプレート生産は益々衰えて海洋底の拡大速度も低下、海溝に向けてゆっくりと移動する間に充分に冷やされ重くなった海洋底は垂れ下がって深くなり、海水準は低下する。また、マグマ活動の低下と共に中央海嶺から放出される炭酸ガスも減少し、温室効果が弱まり気温も低下して来る。そして超大陸ができる頃には、再び巨大氷河が地球を覆う様になるのである。この氷河の形成は海水準をさらに引き下げる事になる。そして気候の寒冷化と共に、生物の大絶滅が進行して行く。こうして約4億年周期の超大陸の形成に同調して、海水準の変動や生物の大量絶滅、そして氷河時代が襲来する事になるのである。

 

 

 地球の自転速度の変動

 

  周期的に超大陸が形成されたり分裂する事を見たわけだが、意外な変化がこの周期に同調している。それは1年の日数の変動である。実は過去10億年間、1年の日数は減少し続けて来たのである。それが分かったのは、浅い海底に生息する単体サンゴ化石の成長線の解析からで、その骨格の表面にある成長線は昼と夜の水温や光の強さの違いなどから1日に1本できるが、季節ごとの成長速度の違いから密な部分と粗な部分が繰り返している。水温が低く成長の遅い冬には間隔が密になり、この成長線の粗密のリズムと本数から1年の日数を推定する事ができる。それによると、3億年5000万年前の1年は400日弱になるという。地球の公転周期はほぼ一定であったと考えられるので、当時は自転速度が今より大きかった事になる。この地球の自転速度の減少傾向は、西オーストラリアの縞状鉄鉱床や、ストロマトライトの成長線の解析結果からも読み取れると言う。

  また地球の自転の減速は、自転速度が急激に減少する時期と、あまり減衰しない、あるいはやや速くなる時期とを交互に繰り返しながら、波打つように減速して来た事がわかっている。そして、この変動曲線が海水準の変動と良く一致するのである。減速が著しいのは海水準が徐々に低下して行く時期で、分裂していた諸大陸が合体して超大陸を形成し、マグマ活動が鎮静化する時期に相当する。反対に、自転速度が減衰せずやや加速するのは海水準が上昇する時期で、超大陸が分裂しマグマ活動が活発化する時期に当たると言う。

  自転減衰の原因としては、月が地球に及ぼす潮汐摩擦が良く知られている。海洋潮汐により移動する海水が、海底との間で摩擦を生じるのである。つまり、月が地球の自転にブレーキをかけているわけで、逆に月はその反動で地球から次第に遠ざかっている。この潮汐摩擦が原因なら、海陸分布や浅海の広がりの変化によって摩擦の大きさが変わり、自転速度の変動が生じると考えられる。実際、地質時代の海陸分布の変化を考えて計算すると、確かに1日の長さは徐々に長くなると同時にゆらいでいるという結果になるが、この力学計算ではサンゴ化石の解析結果よりもはるかに小さい変動しか出て来ないと言う。従って、自転速度の変動には他の原因が必要だが、今日、最も有力視されているのがマントル超プルームの上昇・下降で、地球内部の密度分布の変化は自転を最も効果的に変える事になると思われる。プルームの運動は、地球の自転にさえも大きな影響を与えていたのである。(2-39)

 

 

 地球の周期変動と絶滅

 

  ここで、これまでの所をまとめておこう。地球を周期的に襲った気候の寒冷化は、地球内部の活動であるホット・プルームの周期的上昇に起因していた。そして、このホット・プルームの上昇には、約3000万年周期の小さな波と、約4億年周期の大きな波との2つの周期が存在する。このうち4億年周期のホット・プルームは、巨大な超プルームで超大陸の分裂を引き起こし、超大陸の形成・分裂、及び氷河時代と無氷河時代の周期変動を生み出している。この4億年の周期は、超大陸直下の深度670kmの上部マントルと下部マントルとの境界上に滞留しているプレート物質が、その最大許容限度量まで蓄積するのに必要な時間によって規定されている。そして、この許容限度を越えると、滞留していたスラブは一気にマントル底にまで落ち込むのである。3000万年周期の方は、マントルと核との境界のD層が溶けて浮上してから、次に再びD層が融解して浮上するまでの時間に相当し、これはD層の熱キャパシティーによって決まっている。

 

注)     この2つの周期以外に、スーパープルームは1億年周期で活性化のパルスを繰り返して来たと言う。白亜紀に起きた大規模な温暖化は、このパルスによるもので約4000万年間続き、大量の二酸化炭素が放出されて北極と南極に広大な森林地帯が発達し、海洋では有孔虫が大繁殖した。また、27億年前と19億年前には、マントルオーバーターンという、さらに大規模な下部マントルと上部マントル物質の広域的な入れ替えが起きていると言う。(2-18) (2-26)

丸山はマントル対流の活動を次の4つの階層に区分している。@通常のプレートテクトニクスが支配する通常期、A約1億年周期でスーパープルームが活性化するパルス期、Bウイルソンサイクルに対応する4〜8億年周期の超大陸分裂期(スーパープルーム誕生期)C27億年前と19億年前に起きたマントルオーバーターンである。2-50

 

  地球の気候変動及び生物の大量絶滅を引き起こすメカニズムは、次の様に考える事ができよう。ホット・プルームの上昇は、中央海嶺でのマグマ活動を活発化させ海洋プレートの生産速度が増大、高温の若いプレートが海洋底を覆って海底が浮き上がる。それに中央海嶺自体の膨張も加わり、海盆の容量が減少して海水準は上昇する。そして、中央海嶺からは大量の二酸化炭素が噴出し、その温室効果によって気温が上昇、氷河も急速に融けて消えて行く。また、ホット・プルームが上昇を開始する直前にD層が完全に融解すると外核との温度差はなくなり、外核からマントルへの熱の排出がストップして外核の対流運動が止まり地磁気は消滅する。次に、融解して比重が軽くなり粘性抵抗の減少したD層がホット・プルームとして上昇し始めると、D層には再び外核からの熱を吸収する余地が生まれ、外核の対流が再開して地磁気は復活する。さてホット・プルームの上昇によって引き起こされた気候の温暖化は、生物にとって棲みやすい環境を作り出す事になる。寒冷期には生物の種類も少なく単調だった生態系に、環境の好転と共に生き残った生物が急速に適応放散し、生物種数も増大して豊かな生態系が再建される。また、海水準の上昇は大陸の周囲に広大な浅海域を出現させ、この温暖な浅海で植物プランクトンが大繁殖し、その基礎の上に豊かな海洋生態系が出現するのである。

  しかし時と共に中央海嶺の活動は衰え、プレートの生産速度も低下して来る。すると海洋プレートはゆっくり移動する間に冷却されて沈下し、海盆容積が増大して海水準は低下する。また、中央海嶺のマグマ活動も衰え放出される二酸化炭素量が減少、気温は徐々に低下する。気候の寒冷化と共に、高緯度地域から低緯度地域への生物の移動が始まり、さらには熱帯性の生物の絶滅が始まる。そして生物の種数が減少し、単調な生態系へと変化して行く。夜明け前が最も寒いのと同様に、この場合もホット・プルームが上昇して来る直前に最も寒冷な気候になるものと思われる。そして生物の絶滅も、その頃ようやくピークを迎える事になる。ここまで生物の大量絶滅は、数百万年に渡って続いて来たわけである。寒冷化と共に氷河も拡大し、海水準はさらに低下、大陸棚の上の広大な浅海は干上がり、そこにあった豊かな生態系も崩壊して行く。こうしてホット・プルームの周期的上昇が、気候の寒冷化、海水準の変動、地磁気の消滅等の周期的現象を発生させ、さらには周期的な生物の大量絶滅を引き起こしているわけである。

 

 

 容易に起こる気候変動

 

  生物の大量絶滅は地球の気候変動と深く関係しているわけだが、ここで気候変動が容易に引き起こされる事を見ておこう。特に今日では、氷河期はごく短期間で突然に襲って来る可能性のある事が分かっている。

  現在、地球の表層に供給されるエネルギーには、太陽からと地球内部からの2種類がある。地球に注がれる太陽エネルギーの総量は、1.8×1017ワットである。一方、地球は中心に行くほど高温で、地球内部からも外に向かって熱が放出(地殻熱流量)されている。地球内部からの熱放出のほとんどがこの地殻熱流量で、その量は地球全体で3.5×1013ワット、地球に届く太陽の放射エネルギーのわずか0.02%に過ぎない。従って地球の気象活動、即ち大気や海洋活動のエネルギー源としては、太陽エネルギーのみを考えれば良い。太陽から地球に注がれるエネルギーの内、30%は大気・雲・地表面で反射され直に宇宙空間に戻される。この地球全体の反射率が惑星アルベドで、地球は0.3という事になる。さらに、地表面から赤外線として宇宙に再放出されるものもある為、結局、太陽放射の64%が大気・海洋・生物の活動のエネルギー源となっている。つまり、約1017ワットが地球表層の活動を支えているわけである。太陽からの入射エネルギーは、平方センチ・分当たり約1.96カロリーで、今世紀初めに測定されて以来ほとんど変わっておらず、太陽定数と呼ばれている。しかし、太陽定数も長期的には太陽活動の変動に伴って変化する事が知られており、これが1%変わると地表の平均気温は1〜2度変化すると言う。

  今から1万年前に終わったウルム期と呼ばれる氷河期の後、地球は急激に温暖化し、約3000年に渡って現在よりも気温の高い時代が続いた。その後、今日に至るまで気温は下がり続けている。なかでも、小氷河期と呼ばれる14世紀中頃から19世紀中頃にかけては気候の寒冷化が続き、特に17世紀中頃からの数十年間は気温が最も低下して多くの年が短い夏のままに過ぎた。イギリスではテームズ河が結氷し、氷上でパーティーや蚤の市が開かれ、河の上を馬車が行き交ったと言われる。この氷はなかなか融けず、7月頃まで残る年もあった。またオランダでも運河がすっかり凍り付いて、その上で人々がスケートをしたと言う。小氷河期の時代、ヨーロッパの農業生産は低下し、人々は飢餓とペストに悩まされる事となった。ところで、この小氷河期は太陽活動の長期変動によって引き起こされた事が今日では分かっている。1645年から1715年までの半世紀以上もの期間、マウンダー極小期と呼ばれる、太陽黒点のほとんどない無黒点期が存在したのである。黒点というのは太陽の光球面上の黒いしみの様に見える斑点で、光球面が6000℃(摂氏)なのに対し、黒点は磁場により熱対流が妨げられて温度が4500℃程度と低い為、周囲に比べて暗く見えるのである。この黒点の数は太陽活動と関係しており、活動の活発な時期ほど多くの黒点が現れる事が知られている。つまり無黒点のマウンダー極小期は、太陽活動が著しく低下した時代だったのである。さらに、14501550年にも太陽活動が低下した時期(シュペーラー極小期)が有り、逆に11001300年にかけては太陽活動が活発化(中世極大期)したと言う。このように人類にとっては苦難の小氷河期であったが、平均気温で見るとわずか1℃程度しか低くなっていない事は、記憶に留めておいて良いだろう。こうした太陽黒点の変動には、11年周期が良く知られているが、その他にも約88年、200年、2300年の周期性が認められると言う。 (2-44) (2-45) (2-46)

 さて太陽活動自体には変化がなくても、太陽エネルギーの受け手である地球の状況によっても気候は大きく変動する。有名な例にミランコヴィッチの周期がある。地球の自転や公転は、長い時間で見るとわずかに揺らぎながら周期変動をしている。例えば、地球の自転軸はコマが首を振る様に揺らぎ(歳差)、軌道面の歳差運動などと合わせて日射量に2.3万年と1.9万年の周期を生み出す。また地球の自転軸は現在、公転面に対して平均23.7度傾いているが、この傾きも21.5度と24.5度の間を4.1万年周期で変動している。さらに、地球が太陽の周りを回る公転軌道の形も、ほぼ円に近い時とやや偏平な楕円の時とを約10万年周期と41万年周期で繰り返し、その結果、地球と太陽との距離は最大で1827kmも変動すると言う。このような地球の自転・公転に伴う周期変動を、ミランコヴィッチ周期と呼んでいるのである。彼は、大きな氷河の発達は地球の歳差運動、地軸の傾き、公転軌道の離心率の変動に伴って日射量が変化した為に起こると考え、高緯度地方の日射量は4.1万年の地軸の傾きの周期に、また低緯度地方では2.3万年の歳差運動の周期に強く影響されて変動する事を計算で示した。さらに氷河が拡大するには、温帯地域で夏に日射量が減少する事が重要と考え、北緯5565度の夏の日射量の変化を計算し、その変動曲線で過去の氷河の消長を説明できるとした。現在の氷期・間氷期の特徴である北半球での氷床の発達のためには、北半球の夏を低温にして越年する雪を多くすれば良い。それには地球軌道の離心率が大きく、地軸の傾きの小さい(つまり季節差の小さい)、そして歳差運動の関係で遠日点で夏になる様な組み合わせを作り出せば良い。こうしてミランコヴィッチ周期の組み合わせで、氷期や間氷期が出現する事になる。今日、氷床の消長を示すとされる有孔虫化石の酸素同位体比が、41万年、10万年、4.1万年、2.3万年、1.9万年というミランコヴィッチ周期で変動している事が明らかにされている。このようにわずかな日射量の変化で、氷床の発達が引き起こされるのである。ただ、気候変動にこの周期が認められたからといって、氷河時代そのものの原因がそこにあると言うわけではない。大規模な氷床が存在しなかった1〜2億年前の無氷河時代時代にも、ミランコヴィッチ周期は存していた事が分かっている。地球に氷河時代をもたらすには他に別の原因が必要で、氷床が発達する条件が整った時に、気候変動にこの周期がはっきりと現れると考えられる。ミランコヴィッチ周期は、氷期・間氷期のリズムを作るペースメーカーの様なものなのである。

  先に述べた様に太陽放射の一部は地球表面で反射され、この反射能をアルベドと呼んでいるが、これが変化しても気候に大きな影響を及ぼす事になる。地球全体で0.3、そのうちの8割が雲で 0.245と最も大きく、次が氷の 0.022だが反射率自体は氷が最も大きい。その為、わずかの気温の低下により夏期の融雪が進まず白銀の大地が多く残ると、アルベドが増大して熱が反射され、さらに気温が低下する事になる。こうしたポジティブ・フィードバック(アイス・アルベド・フィードバック)が働くと、急速に寒冷化が進行する事になる。氷床の発達は、それ自体がさらに大きな氷床を生み出す傾向があるわけである。事実、1960年代に北半球の年平均気温が0.5℃下がっただけで、高緯度地方の万年雪の領域は大きく成長した。また1971年アメリカの「悲劇の夏」の後、万年雪に覆われる面積が20%も増え、その影響は数年後まで尾を引いたと言われる。地表の気温が2℃下がると、氷床の面積が拡大してアルベドが増加、この相乗効果で海洋は全域に渡って結氷してしまうとも言われる。氷河時代は、高緯度地方に大規模な氷床が存在するというだけではなく、その消長によって氷期と間氷期が交互に繰り返される、気候変動の激しい時代でもあった。また、それに合わせて海水準の変動も激しく、氷期と間氷期では80100mも変化したと言われている。これも氷床の拡大によるアルベドの変化が引き起こす、ポジティブ・フィードバックの影響かも知れない。

  今日、緩慢な環境変化によっても、突然に急激で全般的な気候の大変動が引き起こされる可能性のある事が、理論的に明らかにされている。隕石の衝突といった突発事件がなくても、背景となる環境のゆるやかな変化の結果として不連続な反応が起こり、ある気候状態から別の状態へと一足飛びに移行する事で、突然の環境変化が起こり得るのである。これはカタストロフィー理論と呼ばれるもので、ある系が同じ外的条件の下で2つ以上の安定状態を取り得る場合に生じる。コンピューター・シミュレーションによると、地球の地形によっては氷冠なしで気候は安定するが、一旦、氷冠が形成されると太陽熱を反射する事で氷冠は自らを維持する事ができる。このような状況下では、わずかの環境変化で系はもう一方の安定状態に移行する。この種の変化は、太陽エネルギーのわずか0.0002%の変化によって起こり得ると言う。この程度の気温変化は、二酸化炭素濃度や海流の変化などによっても簡単に起こす事ができ、氷河期はささいな変化が原因で突然に襲って来る可能性があるのである。

  さて、地球の気温に最も大きな影響を与えて来たものは、何と言っても二酸化炭素による温室効果だと思われる。地表面へのエネルギー供給は、そのほとんどが太陽放射で1m2当たり約 1380W(ワット)になる。このうち30%は直に反射され、地球に吸収されたものもいずれは地表面から赤外放射として宇宙空間に放出される。この入射エネルギーと、反射や赤外放射として出て行くエネルギーが釣り合って地球の温度が決まる(放射平衡温度)。入射エネルギーは1m2当たりの太陽放射と地球の断面積(πr2)の積に、地球からの赤外放射はその表面積(4πr2)に比例する為、1m2当たりの赤外放射は反射分を引いた入射エネルギーの1/4の 240Wとなる。これは−18℃の完全黒体放射エネルギーに等しいが、地表の平均気温は15℃で放射平衡温度より30℃以上も高い。これは太陽からの入射光に対しては透明な二酸化炭素や水蒸気を含む大気が、赤外部に極大がある地表からの放射には不透明となって吸収が起こる為で、これが温室効果である。地球型惑星である金星・地球・火星の計算で求めた放射平衡温度と、観測された地表温度を比べると、金星と地球ではその差が大きく(金星では約500℃)、火星では差が小さい。これは金星には二酸化炭素を主成分とする大気が約90気圧も存在し、地球にも1気圧の大気が存在するのに対して、火星はほとんど大気を持たない為で、ここに大気の温室効果の差が良く表れている。

  また、地球の気候を決定する重要な要因として太陽が考えられるが、その放射エネルギーは過去ずっと一定だったのではなく、太陽系が誕生したばかりの頃には現在より24%も少なかった事が分かっている。太陽が主系列に入って以降、太陽定数は425000万年前の1m2当たり1039Wから、現在の1367Wまで徐々に増加して来たのである。つまり地球の草創期には、太陽は今の76%のエネルギーしか供給していなかった事になる。太陽定数が1%変化すると、地表の平均気温が1〜2℃変わるという事からすると、24%というのは異常に大きな変化である。これが本当だとすると、初期の地球は氷河で覆われた氷づけの世界だったという事にもなろう。しかし、氷河の痕跡は28億年前以前には存在せず、また、38億年前から地球に存在する海洋が結氷したという証拠もない。初期の地球に氷河が存在しなかった事は、ほぼ間違いがないのである。これは「暗い太陽のパラドックス」と呼ばれている問題だが、これを解く鍵は当時の大気組成にあった。つまり初期の地球大気には、二酸化炭素などの温室効果をもつ気体が多く含まれていたのである。大気中の二酸化炭素濃度と気温が、深い関係にある事は良く知られている。例えば、恐竜が栄えた白亜紀は地球史の中でも気温の高い温暖な時代であったが、当時の二酸化炭素濃度は現在の4〜8倍もあった事が分かっている。また極地の氷床にも、気温をはじめとする過去の環境変化の記録が残されている。南極大陸東部にある旧ソビエトのヴォストーク基地で得られた、地下2546mに達する氷のコアからは、過去22万年間の気温の変化と共に、氷に閉じ込められた気泡から過去の大気組成まで明らかにされた。それによると、11万年前から1万年前まで続いた最終氷期には大気中の二酸化炭素濃度がわずか 200ppmしかなく、それが氷期が終わり間氷期が始まる頃には 270ppmまで増加し、以後20世紀に至るまであまり変わっていないと言う。現在この濃度は、人間活動によって350ppmまで押し上げられている。さらに、この1つ前の氷期の終わりにも同じ現象が起きていた。14万年前に氷期が終わり、世界は突然暖かくなり間氷期を迎えたが、この時も大気中の二酸化炭素濃度が、200ppm以下から300ppm近くまで急上昇していたのである。こうして22万年の全期間に渡って、二酸化炭素濃度と気温の変化が一致している事が明らかにされた。

  また二酸化炭素は、大気・陸地・海洋の間を循環している事が知られている。大気中の二酸化炭素は海洋に溶け、浸食作用により大陸から供給されるカルシウムやマグネシウムと結合、炭酸カルシウム(石灰岩)や炭酸マグネシウムなどの炭酸塩鉱物を作って海底に沈殿し、大気中から取り除かれる。現在、ほとんどの二酸化炭素は石灰岩として固定され、ごく一部が大気中に存在するに過ぎない。さらに大気中の二酸化炭素量を一定にする様な、フィードバック機構の存在も考えられている。大気中の二酸化炭素量が増えると、温室効果によって大気に供給される熱エネルギーが増大し、これが大気活動を活発化させ風化・浸食作用を促進、その結果、炭酸塩鉱物として固定される量が増大して大気中の二酸化炭素量は減少する。逆に二酸化炭素量が減ると、大気活動が不活発となり風化・浸食作用が弱まり、固定される量が減少して大気中の二酸化炭素量は増えるという仕組みである。一方、海底に堆積した炭酸カルシウムは、海洋プレートの沈み込みによって地球内部に取り込まれ、二酸化炭素と珪酸塩鉱物に分解され、二酸化炭素は火山活動によって再び大気中に放出される。従って、マントル活動が活発化し火山活動が盛んになると、地球内部に取り込まれていた二酸化炭素が大量に逃げ出し、大気中の濃度が増大する事になる。地球内部のマントル活動は、大気・海洋システムにおける二酸化炭素のバランスを崩し、地球の気温や気候を大きく変化させるのである。マントル活動は、二酸化炭素の循環を通して大気中の二酸化炭素濃度を変化させ、地球の気候に周期的な変動を引き起こして来たわけである。(2-36) (2-41) (2-47)