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第2章 2/2

中生代末の大量絶滅の原因

 

  これまで見て来た様に、生物の大進化は生態系に出来た空地への急速な適応放散として起こっている。これはダーウィン理論とは逆に、生存競争のない所で、あるいはそれが極めて弱まった時にこそ、急激な進化が起こる事を示している。カンブリア紀の多細胞生物の進化、魚の河川への進出による進化、そして恐竜や哺乳類の進化など、主だった大進化は総て生態系に大きな空地が出現した時、そこへの適応放散として起こっているのである。この生物進化にとって極めて重要な生態系の空地を生み出す要因の1つは、空気中の酸素濃度の増大、大陸の移動、海水準の変動などの地球規模の環境変化によって、生物の棲める新たな環境が作り出される事にある。そしてもう1つの要因が、生物の大量絶滅なのである。前の時代に繁栄していた生物が一挙に大量絶滅する事により、生態系に巨大な空隙が突如として出現する。それが前時代には、繁栄を誇っていた生物の陰でひっそりと暮らしていた生物に、大きな進化・発展のチャンスを与える事になる。こうして、短期間に急激な進化が可能となるのである。

  では何故、生物の大量絶滅が繰返し起こっているのだろうか。大規模な大量絶滅が、偶然には生じない事は先に見た通りで、それには何か原因があるはずである。以下その原因を求めて、具体的な絶滅事変について見て行く事にしよう。まず、はじめに恐竜の絶滅と巨大隕石の衝突仮説で有名な、中生代末(白亜紀末)の大量絶滅を取り上げよう。

 

 

 隕石衝突説

 

  白亜紀末の恐竜絶滅の原因については、隕石衝突説があまりに有名である。1980年、この仮説がアルバレス父子によって発表されると大反響が巻き起こった。というのも、それ以前には科学的な証拠に基づく絶滅仮説はほとんど存在せず、種の老衰・ホルモンや卵殻の異常・被子植物によるアルカイド中毒・北極海の氾濫など、憶測的な仮説ばかりが氾濫していたからである。そこへ、イリジウムの濃集という動かぬ証拠を持って、隕石衝突説が登場したのである。しかも、巨大天体の衝突によるカタストロフィーのイメージは、一般にも分かりやすくマスコミ受けのするものだった。その為、マスメディアによって繰返し取り上げられ、広く知られる様になったのである。

  事の起こりは、1977年カリフォルニア大学の地質学教授ウォルター・アルバレスらによる、北イタリアの田舎町グッビオの背後にあるボッタチオ峡谷での調査であった。白亜紀と第三紀の境界の地層は、たいてい海水準の低下による不整合の為に白亜紀上部の地層が欠けているが、ここではデンマークのステブンス・クリント、スペインのツマヤと並んで、中生代の堆積層が柱状に良好な状態で保存されている。アルバレスらはここで、白亜紀最上層部のK-T境界層と呼ばれる白亜紀と第三紀の境界をなす、厚さ10cmほどの赤味がかった粘土層を調べていた。白亜紀の地層は白い。それは当時この地層が温暖な浅海底にあり、そこで大繁栄していた微小なプランクトン(石灰質藻類)の炭酸カルシウムの遺骸が大量に堆積した為で、白亜紀は地質時代の中でも最も石灰岩が堆積した時代として知られている。イギリスのドーバーの海岸に見られる真っ白の絶壁(ホワイトクリフ)は、この時代に堆積した石灰岩を多量に含む地層の露頭なのである。白亜紀の名前は、この特徴的な白い地層から付けられた。この白亜紀の地層からは、厚さ30mにわたり有孔虫やアンモナイトなど海洋生物の化石が豊富に出て来るが、その上の新生代第三紀の地層にはこれらの化石は全く見られない。このように、全く異質な2つの時代を分けているのがK-T境界層で、わずか10cmほどの粘土層を境にして生物界は恐竜の中生代から哺乳類の新生代へと大きく転回したのである。この粘土層が堆積している間に地球の自然界は一変したわけで、彼等は中生代から新生代への交代にかかった時間を明らかにする為に、K-T境界層の堆積に要した年数を求めようと、そこに含まれるイリジウムやオスミウムなどの白金族元素の含有量を調べた。これらの元素は比重が大きくしかも鉄との親和性が高い為、誕生直後の地球がドロドロに溶けていた時代に、大半は鉄と共に地球の中心部へ沈んで核を形成した結果、現在の地殻中にはほとんど含まれていないのである。しかし宇宙では決して希少な元素ではなく、隕石の分析からすると、太陽系には地球の地殻中の数千倍から1万倍のイリジウムが存在すると言う。宇宙から絶間なく地球上に降り注ぐ宇宙塵には、地球生成時と同じ比率で白金族元素が含まれると考えられる為、K-T境界層中の白金族元素の含有量を調べ、それを宇宙塵の蓄積速度で割ればその堆積時間がわかるはずであった。

  ところが、その分析結果は予想外のもので、ボッタチオ峡谷のK-T境界層からは、通常予測される濃度の30倍ものイリジウムが検出されたのである。そればかりではなく世界中のどこのK-T境界層でも、ニュージーランドの120倍、デンマークの160倍、ハイチの300倍、中部太平洋海底の330倍など、その地層だけが異常に高いイリジウムの含有量を示した。しかも、デンマークと太平洋底の試料とで、構成元素の割合が同じであると言う。これら高濃度のイリジウムが、宇宙からやって来たものである事は明らかだった。グッビオでの発見から3年後、アルバレスたちは新しい理論をまとめて発表する。それが巨大隕石衝突説である。それによると約6500万年前、直径10km、質量1兆トンの巨大隕石が秒速20kmで地球に衝突した。そのエネルギーはTNT換算で1億メガトンにもなり、直径200km、深さ30kmのクレーターが形成され、60兆トンもの物質が成層圏にまで巻き上げられたと言う。小惑星由来のイリジウムを含んだ粉塵は、大気上層の対流圏にのって地球全体に広がり、ゆっくりと地上に降下し蓄積した。その間、約3年に渡って粉塵は空を覆い、太陽光は遮られて地上は昼でも満月の夜程度の明るさしかなく、気温は数十度も低下し厳しい寒気が襲って来た。また大気圏突入の際、隕石からの放射熱によって大規模な山火事が起こり、広範囲の植生を焼き膨大な量の煤と灰が放出された。さらに衝突時のショックは、無数の変成鉱物粒子やガラス質の小球を生成し、K-T境界層の中に堆積した。大気中の窒素も強烈な放射熱によって大量の窒素酸化物となり、衝突地点付近に硝酸の雨を降らせ、さらには海に流入して大量の石灰プランクトンを死滅させる事になる。また、暗闇と気温低下は海洋生態系の基盤である植物プランクトンを壊滅させ、中生代の海生生物を絶滅に追い込んで行ったのである。しかし、植物プランクトンへの依存度が低く低温などの環境変動に強い陸水系の生物や、冬眠できる小型の爬虫類、植物の種子などで飢えをしのげた哺乳類などは、この危機を生き延びる事ができた。こうしてわずか3年程の間に、あれほど繁栄を誇っていた恐竜たちの王朝は滅び、哺乳類に道を譲ったと言うのである。

  ところで直径10kmもの巨大隕石が、地球に衝突する可能性は本当にあるのだろうか。太陽系には無数の小天体が存在するが、岩石質の小天体の大半は火星と木星の公転軌道の間にあり、小惑星と呼ばれ登録番号が付けられているものだけでも3千数百個にのぼる。これらは多くのグループに分かれて様々な楕円軌道を回っており、その中にはアポロ群の様に、軌道が地球の公転軌道と交差しているものもある。小惑星起源の比較的大きな隕石が、地球と衝突する可能性は決して低くはないのである。現在、地球には毎年10万トンもの隕石が落下していると言われ、10年当たりで見ると100トン程度のものは数千個、1000トン程度は100個、1万5000トン程度は10個、10万トン程度は1個が落下する計算になると言う。ただ、これらの大半は高速回転しながら秒速1040kmで突入して来る為、大気との摩擦で破砕され、地表には微粒子が降って来るだけなのである。このように、隕石の地球衝突はありふれた現象であるが、隕石が大きくなればなるほど衝突の平均時間間隔は長くなる。直径1mで年に1回、直径100mでは1万年に1回、そして問題の直径10kmのものでは1億年に1回の割合で地球に落下して来るという。(2-33)

  この仮説の発表後、全世界の研究者の検証により、隕石衝突説を裏付ける物証が次々と発見されて行く事になる。1981年にはスペインで、マイクロテクタイトと呼ばれるガラス質の小球が大量に発見され、その後、世界各地のK-T境界層でも存在が確認された。84年にはショックド・クォーツと呼ばれる、衝撃で変成した石英の結晶が北米およびヨーロッパ各地で発見され、85年にはニュージーランドとヨーロッパの5ヶ所で隕石衝突時の大規模な山火事によると思われる、黒鉛化した大量の煤と灰がK-T境界層の中から発見された。その炭素の量は、通常の1001000倍に上ると言う。こうしてアルバレスらの予言は、次々と実証されて行ったのである。

  また仮説の問題点も改善されて行った。最初のシナリオでは、成層圏にまで舞い上がったイリジウムを含む塵が全世界に広まるのに要する時間から、暗黒の時期が3年も続くとされていたが、これでは地球上の総ての植物が深刻な被害を受け、哺乳類も生き延びる事は難しかっただろう。しかし、80年代前半に行われた全面核戦争による地球環境変動のシミュレーションから、大きく重い粒子は従来言われていたほど長く成層圏に留まるわけではない事が判明し、「核の冬」と呼ばれたシナリオは「核の秋」に変わり、地球の暗黒は長くても3〜6ヶ月で終わる事がほぼ確実となったのである。

  そして1989年には決定的な物証、即ち6500万年前に地球に衝突した隕石が作ったクレーターが、ユカタン半島北部のカリブ海の海底で発見される。以前から、カリブ海を取り巻く一帯で確認された津波の跡や、周辺で大量に発見される衝突変成鉱物やマイクロテクタイトなどから衝突の有力な候補地と考えられ、また81年には直径180kmの巨大な同心円状の磁場・重力異常地帯も発見されていた。そして、遂にランドサット衛星の赤外線カメラが、直径170kmの円弧上に点々と並ぶセノーテと呼ばれる水没石灰岩洞の撮影に成功する。これは、クレーターによる地質構造の断続によって生じた現象である。クレーター底部のボーリング調査から、その生成年代が白亜紀末である事も確認された。こうして、アルバレスらのほぼ予測通りのクレーターが発見されたのである。今日、これはチチュラブ・クレーターと呼ばれている。さらに、これと年代がぴったり一致するクレーターが、他に少なくとも3つ存在する事もわかった。シベリアのカラ・クレーターとウスト・カラ・クレーター、そしてアメリカのアイオワ州マンソンのクレーターで、しかもこれら4つのクレーターは完全に一直線に並んでいると言う。つまり、この時地球に衝突した隕石は大小4つもしくはそれ以上に細かく割れて、かけらを幾つかばら撒きながら、最後に最大のものがカリブ海に突入したと考えられる。今日、白亜紀末に巨大天体が地球に衝突した事自体は、もはや疑う余地はないのである。(2-34)

 

 

 隕石衝突説への反論

 

  では、これで恐竜絶滅の謎は総て解明されたのだろうか。実は、そうはならなかった。このようにセンセーショナルに登場し、次々と証拠を積み上げ、マスコミにも取り上げられて一世を風靡した巨大隕石衝突説であるが、隕石の衝突そのものは別にして白亜紀末の大量絶滅の原因としては、今日、事実上否定されている。そして、全く別の説明が支持を得つつあるのである。科学界を沸騰させ、生物の大量絶滅に人々の注意を引き付けるきっかけになった隕石衝突説であるが、この仮説は古生物学者の間では当初から疑問視されていた。ただ畑違いの物理学者、しかもノーベル賞学者(ウォルターの父のルイス・アルバレス)に、イリジウムという動かぬ証拠を突きつけられてだんまりを決め込んでいたわけである。

  では、どこに問題があったのだろうか。実は、白亜紀末に実際に起こった絶滅の様相と、隕石衝突によるシナリオが全くと言っていいほど違っているのである。今日では中生代末の大量絶滅は、隕石の衝突といった突発的な出来事によって短時間に起きたものではなく、かなり長期間に渡って段階的に進行した事が明らかになっている。例えば、アンモナイトの多様性の変化を見ると、白亜紀半ばのアルブ期(1億1200万年前〜9700万年前)にはヨーロッパだけで150属以上もいたものが、時代を下がるにつれて減少し、セノマン期(97009000万年前)には80属、サントン期(86608300万年前)には50属、最後のマーストリヒト期(74006500万年前)にはこの期の終わる13万年前に事実上、絶滅しているのである。同様の現象は石灰プランクトンや厚歯二枚貝、その他の海生無脊椎動物でも見られると言う。陸上に於いても事情は同じである。恐竜の多様性の変化を見みると、そのピークは白亜紀後期のカンパニアン期(83007400万年前)で、カナダのジュディス・リバーでは、この時期の地層から30属もの恐竜化石が発見されており、属の多様性という意味では中生代を通じて最高である。しかしこれ以降、恐竜の属の数は次第に減少し、6900万年前マーストリヒト期中頃のカナダのアルバータでは2322属、モンタナ州(米国)のヘル・クリークでは19属にまで減少する。そして、6700万年前のヘル・クリークでは12属、K-T境界層直下ではさらに7属にまで減ってしまう。これからすると、恐竜の絶滅はK-T境界層が堆積する1000万年も前からゆるやかに始まり、200万年前から加速を始め、最後の30万年で大きく進んだ事になる。しかもK-T境界層の1.3m上、隕石衝突後少なくとも4万年が経過した地層から、初期有蹄類や暁新世の植物花粉の化石と共に、最後の7属の恐竜化石が発見されているのである。また南フランスのプロバンス地方では、白亜紀の終わりから200万年も後の新生代第3紀の地層から、竜脚類のヒプセロサウルスの化石と卵が発見されている。そして、隕石の衝突によって恐竜たちが一挙に全滅したとするならば極めて不思議な事に、これまで研究されたK-T境界層の中やその直下からは、恐竜の化石が出ていないのである。それまで繁栄していた恐竜たちが、隕石衝突という突発事件によって全滅したというのなら、K-T境界層から大量の恐竜化石が発見されてしかるべきだろう。

  また、隕石衝突説では説明出来ない重要な現象に海退がある。これは海水準が低下して浅い海が干上がる現象で、白亜紀末のものも含めて大量絶滅のほとんどは、この海退を伴っている事が知られている。実際、大量絶滅の主役はいつの場合も海洋生物であった。古生代ペルム紀末の史上最大と言われる大量絶滅では、海洋生物の種の内、最大で96%が絶滅したと見積もられているが、陸上生物はそれほど極端なダメージを受けなかった。まだ陸上に生物が進出していなかった原生代ヴェンド紀中期やオルドビス紀末は言うに及ばず、すでに両生類が上陸を果たしていたデボン紀末の大量絶滅でも、絶滅したのは海生生物だけであった。この時は、科のレベルで海生生物の21%が死滅したと言われているが、これらの絶滅の犠牲者は、そのほとんどが浅海性の生物だったのである。また中生代のアンモナイト類の繁栄と絶滅が、海水準の上下変動と対応していた事も知られている。現在、大陸棚は全海洋面積の7.6%に過ぎないが、全底生生物の83%がここに棲息している。もしここが干上がる事になれば、海洋生物が大打撃を受けるのは当然であろう。実際、大量絶滅の原因として海退を主張する説が古くから存在している。しかし隕石衝突説では、この海退現象を説明する事が出来ないのである。

  もう1つ説明が困難なものとして、地球磁場の消滅・逆転現象がある。これは地球磁場が消滅し、その後N極とS極が入れ代わって現れる現象で、海洋底の観測から過去2億年間の事が良く調べられている。この地球磁場の逆転は何も特別な現象ではなく、最近の500万年間にも30回程度繰返し発生し、しかも逆転の時期に規則性はなく全くランダムに起きている様に見える。ところが大量絶滅の起こる前には、相当長期に渡って地球磁場が完全に消滅するのである。ペルム紀末・三畳紀末・白亜紀末の大絶滅の前には、数百万年から1千万年以上に渡って地球磁場は完全に消滅し、何故か大量絶滅が始まる頃に逆転した磁場が再び現れて来ると言う。この磁場の消滅と逆転現象も、隕石衝突説では説明できない。隕石が衝突する前に、地球がそれを見越して自ら磁場を消滅させるなどという事は考えられないからである。

 さらに巨大隕石が衝突したのはこの時だけではなく、中生代を通じて繰り返し地球に落下しているのである。三畳紀からジュラ紀にかけて3つの巨大クレーターが陸地に出来た事が知られており、海洋ではこの2倍の衝突があったと言う。つまり、中生代には白亜紀末と同程度の大規模な衝突が5〜6回以上あったと考えられるが、それによって恐竜が絶滅の危機に瀕し、その後盛り返したという現象は見られず、多種多様な恐竜が中生代を通じて勢力を維持していたのである。(2-49)

  一時は、隕石衝突説の独壇場といった感のあった絶滅論争に、それまで沈黙を守って来た古生物学者や地質学者が反論を開始したのは80年代中頃からである。そして1984年には、シカゴ大学の古生物学者デビット・ラウプとジョン・セプコスキーが、絶滅の周期説を発表する。古生代ペルム紀中期から新生代鮮新世までの2億5000万年間に、海洋生物の大量絶滅が11回起こっているが、それはランダムに起きたのではなく、約2600万年の周期を持っていると言うのである。この発表は科学界に衝撃をもたらした。もし、大量絶滅が外的要因により周期的に起こるのならば、生物の進化は生存闘争と自然淘汰によってではなく、無差別的に作用する外因にしばしば決定的に支配されて来たという事になるからである (2-33)。さらに、この周期説とアルバレスの隕石衝突説を組み合わせると、約2600万年ごとに隕石衝突による大量絶滅が繰り返されて来たという可能性すら出て来る。多くの伝統的な研究者にとって、この2つの仮説は共に受け入れ難いものであった。そして1987年イギリス、バーミンガム大学のアンソニー・ハラムによる隕石衝突説への総括的な反論をきっかっけに、一気に反衝突説陣営の巻き返しが始まる。また同じ87年には、ウォルター・アルバレス自身が大量絶滅の段階的進行を示すデータの増加に抗しきれず、ついに隕石説を放棄し彗星シャワー説に鞍替えしてしまうのである。

  隕石衝突説に対する反論は、まずイリジウム濃集の原因に向けられた。それまでの分析では粘土層中に最大濃集があり、それより上では濃度は徐々に減少して行くとされていた。ところが実際のイリジウムの分布はそれとは異なり、粘土層の上下各2mの範囲に5回ものピークがあり、同様にショックド・クォーツにも5回のピークがあると言う。これが事実とすると、白亜紀末の極めて短期間に大量のイリジウムを含む巨大隕石が、5回も立て続けに地球に衝突した事になり、これは確率的にほとんど有り得ない。では、K-T境界層周辺にイリジウムを供給したのは何だったのだろうか。ここで登場するのが火山噴火説である。ハラムはこの5回のピークを、白亜紀末の大規模な火山活動によるものと考えた。本来、イリジウムは隕石と同程度の存在比で地球にも存在したが、現在ではその大半が核付近まで沈降し、地殻にはほとんど含まれていない。しかし、マントル深層部から上昇して来るマグマの中にはイリジウムを豊富に含むものが有り、ハワイのキラウエア火山ではマグマの起源深度によって、エアロゾルとなり大気中に放出される火山ガス中のイリジウム濃度が地表の10万倍にもなる場合があると言う。また、イリジウムはK-T境界層の一番上の表面だけに集まっている事が知られており、隕石衝突説では説明困難であったが、火山性のエアロゾル経由で空中から降下して来たとすると説明がつく。ショックド・クォーツも、90キロバール以上の超高圧を生じる爆発型の火山なら生成でき、セントヘレンズ山爆発の理論モデルではこれが可能と言う。また火山噴火説なら、隕石衝突説では説明できなかった海退や地磁気の消滅・逆転現象も説明がつく。新しいシナリオでは、通常とは異なるマントル層深部に起因する地球規模の火山活動を想定する。それによると白亜紀末に核とマントルの境界付近で起きた異変で、大量の深層マグマが地表まで噴き上げ全世界的な火山活動が始まり、このマントル深部での異変に合わせて地磁気の消滅・逆転が起こる。そして、噴火により大気中に放出されたイリジウムは世界中に降り積もり、エアロゾルに含まれた亜硫酸ガスや窒素酸化物は、雨に溶けて高濃度の酸性雨として地表に降り注ぐ。またマントルの変動に伴う海底地形の変化は、急速かつ大規模な海退を引き起こし、浅海域の後退とそこに流れ込む硫酸は大量の海生生物を死滅させ、陸上の植物にも大きな被害を与える。こうして全地球的規模で第1次生産層が破壊され、生態系が基礎から崩れて行った。また成層圏まで噴き上げられた粉塵とエアロゾルは、大規模なオゾン層の破壊と日照量の減少をもたらし気温が低下する。このような状態が恐らく数十万年から数百万年にわたって続き、中生代に繁栄した生物相を絶滅に追いやったと言うのである。

 

 

 D層周期浮上説

 

  火山噴火説は中生代末の大量絶滅の原因が、隕石の衝突といった地球外の要因によるのではなく、地球の内部にある事を示したものである。この絶滅が、外部要因ではなく内部要因によって引き起こされたという事は、理論上たいへん重要な意味を持っている。隕石といった地球外の要因に原因を求める事は、絶滅さらには生命の進化が、生物の全く預かり知らぬ外部の偶然的な出来事によって、決定されて来たと認める事を意味する。それは突き詰めると、生命の進化は単なる偶然の積み重ね、幸運な偶然の連鎖によって引き起こされた、極めて稀な現象という事にもなろう。反対に地球の内部要因に原因を求める事は、絶滅そして進化に一定の必然性・法則性を持ち込む事になる。なぜなら、地球内部の変化は地球自身の自律的な進化過程で生み出される、あるいはそれと深く関係していると考えられるからである。現象の深層には、常に複雑に入り組んだ内的連関が存在している。科学とは、それを明らかにするものだと言う事もできよう。ところが外部に原因を求める事は、この内的連関を切り捨てそれを無視する事、あるいはその追求を放棄する事を意味している。それは科学としては余りに安易な態度と言えよう。原因を内部要因に求めて、その内的連関を明らかにして行く事によってはじめて、生命の進化を外部からの何の助けも必要としない、自然の自律的な自己運動として捉える事ができる。隕石衝突説を長々と取り上げて来たのはこの為である。絶滅の外部要因説は、きっちりと否定しておくだけの理論的価値があったわけだ。

  この地球内部の要因に絶滅の原因を求めるという流れの延長線上で、隕石衝突説を陵駕するだけの整合性を備えた新しい大量絶滅理論が登場する。それが1988年にフロリダ州立大学のデヴィッド・ローパーらによって発表された、D層周期浮上説である。この説明をする前に、地球の内部構造を簡単に見ておこう。地球の内部は、鉄でできた中心部の核(コア)と、それを取り巻く岩石でできた地殻・マントルから構成されている。地球半径6370kmの内、地殻とマントルの厚みは2900kmあり、地球の体積の80%以上、質量の2/3を占める。マントルはさらに温度の違いから深さ670kmで上部マントルと下部マントルに分けられる(境界面の温度約1600℃)。一方、地殻は表面のごく薄い層で、厚さは大陸で平均 30km、海洋で5km程度しかなく、マントル最上部と合わせて厚さ約100kmのプレートを形成している(下面の温度約1000℃)。地球の中心部にあるコアは半径3400km、地球半径の1/2以上で月の倍に近い。コアは外核と内核に分かれ、外核は鉄を主成分とする液体で、酸素などの不純物が10%程度混ざっている。一方、内核は半径 1200km程の小さな球で、ほとんどが純粋な鉄でできた固体である。コアは、地球誕生時にドロドロに溶けた鉄が地球の中心部に落下する事によって形成され、当初はコア全体が液体で、固体の内核はコアの冷却と共に液体から固体の鉄が析出する事で形成されて来たものである。内核と外核の境界面の温度は6000℃で、コア全体が固体になる迄には、さらに1000億年程かかると言われている。このコアとマントルの境界が厚さ約300kmのD層で、この中には大きな温度勾配があり、底面は4000℃、上面は2000℃程度である。また、D層は存在する所と存在しない場所があると言う。

 

(注)D層は巨大なマントルの上昇流の下は50q以下と薄く、底面でマントルは部分的に溶けている。逆に大規模な下降流のあるアジア大陸の底では500qと厚くなっている。

 

  地表近くの大気や海洋の活動は、そのほとんどが太陽エネルギーにより駆動されている。しかし岩石は熱を伝え難い為、太陽エネルギーはほとんど地球内部には入り込まず、地震・火山・大陸移動といった地球の活動は、地球内部に蓄えられた熱と内部で発生した熱エネルギーに依存している。そして、この熱は最終的には地表から宇宙空間に放出され、地球は徐々にその表面から冷やされて行く事になる。この地球内部から地表そして宇宙空間へと向かう熱の流れがマントル対流を生み、地表のプレート運動とそれに付随する様々な現象を引き起こしているのである。つまり地球は、内部に蓄えられた熱によって駆動される一種の熱機関と見る事もできよう。ただ、地球内部の対流運動は下から温められて生じたものではなく、お椀に入れられた味噌汁の対流の様に、表面から冷却される事によって引き起こされている。さて、ここで問題のD層が関係するのは、コアからマントルへの熱の移動である。地球内部で唯一の熱発生源である放射性元素は主に岩石に含まれており、鉄が主成分のコアにはほとんど存在しない。したがって、コアのエネルギー源は地球誕生時に蓄積された熱という事になる。高温で誕生したコアは、地球が表面から冷えて行くに従い、周囲のマントルに熱を奪われて行く。このコアからマントルへの熱の移動が、液体の鉄でできた外核に対流運動(時速1m程度)を引き起こす。この伝導性流体の対流運動に地球の自転の影響が加わり、渦動運動する事によって電流が流れ、そのダイナモ効果で地球の磁場が発生するのである。この渦動運動はそれぞれ隣の渦動と相互に電流を規制し合っており(力武ダイナモ構造)、このように幾つもの良導体の渦が相互に電磁的に干渉し合う系では、一方の渦に少しでもブレーキがかかると負のフィードバックが働き、系全体の電流と磁場の向きが逆転する事になる。このように、地球磁場はコアの対流運動によって生み出されているわけだが、この対流はコアとマントルの間に温度差が存在して初めて起こる。そのため外核に対流の渦を作り出すには、コアから熱を受け取り外核の流体を効果的に冷却する排熱システムが必要で、その熱のアブソーバーの役割を果たしているのがD層なのである。長期間、コアからの熱を吸収・蓄積するとD層は次第に融解して来る。そうなると上下の温度差はなくなり、外核の対流運動が止まって地磁気は消滅する。一方、融解して比重が小さくなり粘性抵抗の減少したD層は、巨大なブロッブ(しずく)となってマントルの中を上昇して行く。このような垂直方向の岩石の流れがプルームで、上昇する高温の塊をホットプルーム、逆に沈んで行く低温の塊をコールドプルームと呼んでいる。その上昇速度は年に1〜4m、ブロッブが地殻の直下にたどり着くまでに300400万年の時間がかかると考えられている。そしてブロッブが上昇すると、マントル基底部には新たな熱を吸収する余地ができ、再び外核の対流が開始し磁場が復活する。こうして地球磁場の周期的な消滅・逆転現象が起きるのである。

  さて上昇したホットプルームは、地殻の直下まで来ると周囲の圧力の急低下により大爆発を起こし、膨大な量の溶岩を地上に噴出する事になる。世界最大の溶岩大地であるデカン高原は、今から6500万年前、まさに白亜紀末の大絶滅の前後2030万年の間に形成された事がわかっている。何段階にも分かれて噴出した玄武岩質の溶岩の容積は、200km3以上に達すると言う。これだけ大量の溶岩の噴出は通常の火山活動では考えられず、惑星物理レベルの現象である。そして、これこそ白亜紀末の大量絶滅を引き起こした大噴火の跡だというのである。こうした噴火では、玄武岩質溶岩1000km3につき16kgの二酸化炭素、3兆kgの硫黄、300kgの各種ハロゲンが大気中に放出され、これを実際の火成岩石区に当てはめると、どんな巨大隕石よりも徹底的な環境破壊をもたらし得る規模になると言う。白亜紀末、インド洋のはるか南、現在のモーリシャス付近をプレートに乗って北上中であったインド亜大陸に、真下からホットプルームが突き上げ、デカン高原が形成される事になったわけである。このプルーム噴出口のホットスポットは、その後も間欠的に活動を繰返し、インドプレートの北上につれ次々と噴出して、モルジブ・チャゴス・サヤデマーハ・モーリシャスと、南から北へ順次古くなって連なる火山列島を形成した。現在でもレユニオン島のはるか下には、恐らくD層まで続くホットスポットが存在し、細々と活動を続けていると言う。

 

(注)ホットスポットに端を発する火山列(ホットスポットトラック)を辿っていくと、巨大な玄武岩体(海台や洪水玄武岩)に到達する事が多いと言う。最初にコア・マントル境界で発生したホットプルームは、地表に到達すると大量のマグマを放出して洪水玄武岩や巨大な海台を形成する。その後もプルームのしっぽ部分は生き続け、マグマを少しずつ放出してホットスポット火山となると考えられている。2-50

 

このようなホットプルームに起因する巨大な溶岩台地、火成岩石区が、デカン高原以外にも世界中で確認されている。これらは数百万〜数千万km3もの容積の玄武岩から成り、その規模に反して極めて短期間に形成されている。しかもその生成年代が、いずれも過去の大量絶滅の時期と一致しているのである。例えば、陸上では最大の火成岩石区であるシベリアン・トラップは2億4500万年前のペルム紀末に、北米のコロンビア川台地は1600万年前の中新世中頃の、いずれも大量絶滅の時代に形成されている。1億年前の白亜紀前期に形成された中部太平洋のオントン・ジャワ海台は、総容積3600km3、最大長2000km、面積は日本の5倍にもなる海・陸を問わず地球最大の火成岩石区で、大噴火が海中で起こったせいか陸上生態系には大きな変化はないが、三畳紀前期から世界の海に君臨して来た魚竜の仲間がこの時に絶滅している。そして、大気中に放出された膨大な量の二酸化炭素の温室効果により平均気温が大きく上昇し、陸上では高温化への適応と見られる大きな背ビレを持つ恐竜が世界各地に出現する。また、この時噴出した溶岩によって全世界の海面が10m上昇したとも言われる。

  これらの火成岩石区を形成したと思われるD層の周期上昇による大規模な火山活動が、地球環境を大幅に破壊し、大量絶滅を引き起こす事になったと言うのである。D層周期浮上説は大量絶滅の周期性とも符合している。D層が完全に融解して浮上してから、次に再び溶けて浮上するまでの周期は、D層の熱キャパシティーによって決まり、26003200万年と計算されている。この仮説は今のところ、様々な観測事実に対してとりわけ整合性の高い説明を与えているのである。(2-34)

 

 

 気候の寒冷化

 

  D層周期浮上説は、確かに今までの理論の中では絶滅時の複合した現象を良く説明できる。ところが隕石衝突説が衝突という一瞬の出来事で絶滅を説明するのに対して、数十万年間続く地球規模の火山活動の激化によるという違いはあるものの、どちらも地球を突然襲ったカタストロフィーにより大量絶滅を説明しようとする点では全く同じである。しかし、恐竜などの例で見たように、絶滅する生物の衰退は既に数百万年も前から始まっている。それはいわばD層が地球の奥深くで融解し始めた頃であって、地上には地磁気などの変化を除いて大きな影響の出ていない時期である。つまり、大量絶滅を考えるにはもっと長期の地球環境の変化を見るべきであって、繁栄を続けて来た生物を突然カタストロフィーが襲うといったシナリオでは説明困難なのである。また火成岩石区は玄武岩質溶岩でできているが、これはハワイのキラウェア火山に見られる様に粘性が低くさらさらと流れる溶岩であり、決して大爆発を起こす事はない。したがってこの時の火山噴火は、火山ガスなどによる環境破壊を別にすると、巨大隕石の衝突といった大カタストロフィーとは異なったものだったと思われる。

  このように生物の大量絶滅は、数百万年にも及ぶ長期的な地球環境の変動と関連していると考えられるのであるが、実は地球はその長い歴史の中で繰返し長期に渡る大規模な環境変化、即ち気候変動を経験して来ている。しかも、こうした地球規模の気候変動は、地球内部の活動と深く結び付いて起きているらしいのである。気候変動と大量絶滅との間に深い関係がある事は、以前から指摘されて来た。では恐竜が大繁栄した中生代とは、どのような時代だったのだろうか。実は、恐竜が繁栄したジュラ紀と白亜紀は、現在とはたいへん異なる気候だったのである。ジュラ紀(2億800万年〜1億3200万年前)は、地球全体が高温多湿で常夏の時代であった。当時の植生の主体は針葉樹だったが、そのゼノザイロン属とメセンブリオザイロン属の分布を見ると、北緯10度から80度の範囲にまで及んでいると言う。今日、熱帯で見られる植物が、シベリア最北の地点でも繁殖している事など考えられないであろう。つまり、ジュラ紀は温暖で温度の緯度勾配が小さく、今日の様な明確な気候帯が存在せず、赤道から極地方に向かって移動してもあまり気温の低下しない時代だったのである。この事は、酸素同位体比を用いた古気温の復元からも確かめられ、当時の海水温がたいへん高かった事もわかっている。また、ジュラ紀中期と後期には極地氷や氷河はなく、地球規模の高い海水準と合わせて暖かい気候を示している。恐竜たちは、この温暖なジュラ紀を通して全地球的に分布を広げ、多様化し大型化して行ったのである。

 次の白亜紀半ばになると、中国大陸の南から満州に向かって北上すると植物群が変わる事が知られており、南北方向の温度差・気候差が大きくなり気候帯が形成されて来た事を示している。しかし、白亜紀(1億年3200万年〜6500万年前)も現在の地球環境とは大きく異なり、ジュラ紀同様たいへん温暖な時代であった。大気中の二酸化炭素量は今の4〜8倍もあり、著しい温室効果を引き起こしていた。現在15℃の地球の年平均気温が、白亜紀中期には23℃もあったと見積もられている。そして白亜紀を通して大陸氷河の痕跡は全くなく、現在ほぼ0℃近くの深海底の海水温が14℃もあったと言う。また、白亜紀の極地の気温は0〜15℃で、今は41℃もある極地と赤道近辺との温度差も1726℃しかなく、珊瑚礁などの熱帯性生物も現在より1600kmも極に近い所まで進出していた。実際、北緯45度と南緯70度という高緯度で熱帯性と亜熱帯性の気候が復元されている。植物化石からするとワイオミング州は亜熱帯で、グリーンランドでパンノキが生育し、イギリス東南部は熱帯のジャングルに覆われていたのである。さらに白亜紀後期には、北緯80度以北にまでシダ・マツ・スギ・プラタナス類などの、多様性の高い落葉広葉樹・針葉樹の混交林が発達し、白亜紀から第三紀始新世まで極域には温暖湿潤な森林が形成されていた。そして、この時の極域での光合成がほとんどできない長い冬の夜に対する適応が、広葉樹・針葉樹に落葉性を獲得させたと言う。また、白亜紀は海の水位が現在より300mも高く、大陸の約60%が浅い海の下にあった(白亜紀の大海進時代)。このように白亜紀中期の海水準が著しく上昇した原因は、白亜紀に地球のコアとマントルとの境界で生じた巨大なマグマの塊、即ちスーパープルーム(南太平洋スーパープルーム)が太平洋底に向かって上昇して来た事にあると言う。この時のスーパープルームは西赤道太平洋を中心に4000×5000kmの面積、約4000万年もの長期間にわたって活動し、中央海嶺での海洋地殻の生産量が50100%も増加したと言う。これによって海嶺は肥大化し、さらに海洋地殻の供給速度の増大は海洋底の温度低下を遅らせて、温度上昇と密度の低下で軽くなった海洋底が持ち上がり、その結果、海洋(海盆)の容積は減少して海水準が大きく上昇したのである。この時の広域的玄武岩質火成活動の跡は、西太平洋の長さ1000km、幅4000km、海盆底からの高さ2kmという巨大なダーウィン海膨として残っている。現在、海洋底にある海山や海台の多くが白亜紀に噴出した玄武岩溶岩から出来ており、アラスカ州ほどの面積が有るオントンジャワ海台をはじめ、中央太平洋海山群・マーカス海山群・ケルゲレン海台などは、約1億年前の100万年というごく短期間に同時噴出したものだと言う。また、このスーパープルームの上昇により、海嶺および海洋火山の活動が活発化して大量の二酸化炭素が放出され、その温室効果が気温を大幅に上昇させたと考えられる。こうしてみると白亜紀の気候の目立った特徴である高い平均気温と海水準は、共にスーパープルームによってもたらされたものと見る事ができよう。

  白亜紀はまた、現在地殻中にある石油の60%が形成された時代でもあった。石油は温暖な時代の産物である。寒冷な氷河時代には高緯度地方の海水が氷床の先端で冷やされ、重くなって深海底に向かって沈み込み全海洋を循環する。その結果、氷河時代には酸素を多く含む底層水が強く循環して海洋全体が酸化的となる。逆に、温暖な時代には海洋の深層と表層、高緯度と低緯度の水温差が小さく、また氷床も存在しないので冷たい海水の生産がなく、深海での海洋循環が弱まって海洋内部は酸素不足に陥り還元的となる。一方、海洋の表面では温暖な気候の下、豊富な生物が繁茂するが、これら大量の生物の死骸は還元的な海洋内部では分解されず、海底に堆積する事になる。これが有機物を多量に含んだ黒色の泥で、熟成して石油となるのである。現在、世界各地の海底から1億年前の黒色泥岩の地層が発見されている。そして当時、多量に堆積した石灰岩が隙間の多いスポンジのような地層を形成し、石油を吸い上げ濃縮して石油貯蔵層となった。中近東をはじめとする世界の石油資源の大半は、この時代に形成されたものなのである。

 

(注) 白亜紀の黒色泥岩の窒素同位体比から、この有機物を作ったのは窒素固定を行うシアノバクテリアと考えられている。しかも黒色泥岩中には、その上下の地層には含まれる有孔虫・石灰質ナンノプランクトン・放散虫などのプランクトンの遺骸が含まれず、これは現在の赤道や亜熱帯の貧栄養海域で時々発生するシアノバクテリアによる赤潮に状況が良く似ていると言う (2-22)。また、黒色泥岩の中には黄鉄鉱が多量に含まれる事から、当時、貧酸素環境下の海底で有機物の堆積と硫酸還元バクテリアの活動があったものと思われる。つまり、白亜紀の海表面ではシアノバクテリアが大発生して赤潮を引き起こし、貧酸素の海底では大量に降り積もる有機物を利用して硫酸還元バクテリアが繁殖していたわけで、これは熱水活動の活発だった原生代初めの海で起こっていた事と同じである。

(注) 古生代から中生代にかけての大陸分布を見ると、中東だけが長い間赤道域に位置していた。その結果、中東には空隙がたくさん有り石油の貯留に最適なサンゴ礁からなる石灰岩と、石油の流出を防ぐ岩塩などの蒸発岩が蓄積され、さらに第三紀にはアジアとの衝突によって褶曲構造が形成されるなど、石油資源の埋蔵に必要なすべての条件が整っていたのである。(2-22)

 

  このように、恐竜の繁栄した中生代のジュラ紀・白亜紀は極めて温暖な時代であった。白亜紀がこのように温暖な時代であったからこそ、極地方にも恐竜が棲む事ができたわけである。ところが、白亜紀中期には高かった海洋地殻の生産量が、白亜紀後期から末にかけて急減する。それに合わせて気温も急低下し、白亜紀末には現在に近い16℃にまで下がってしまう。これは年平均気温が7℃も低下した事で、とんでもない気候変動である。また、海生動物の殻の酸素同位体比の研究から、白亜紀末の500万年間に海水温が5℃下がった事もわかっている。年平均気温が17.6℃の鹿児島を基準にすると、5℃低い所というと12.6℃の福島、7℃の差となると盛岡あたりまで北上しなければならない。7℃の低下という事が、いかに大変な事かわかるだろう。また海も後退して浅海は干上がり、気候は季節性を増して赤道から極への気温勾配も現在と似たものになって行った。白亜紀末に起こったこの気候の急激な寒冷化が、生物界に大きな影響を与えた事は想像に難くないのである。

 

(注) アラスカ、ノーススロープから白亜紀後期のハドロサウルスやティラノサウルスなど恐竜化石が出土し、南極からも鳥脚類の骨が見つかっている。当時、アラスカは植物の種類が非常に豊富で、中には亜熱帯性のものも含まれていたと言う。恐らく、ハドロサウルスなどはこの豊かな食料を求めて、夏の間だけ極地に移動して来たものと考えられている。

 

 

 熱帯に適応した爬虫類

 

  中生代に大繁栄した爬虫類は、実は熱帯に適応した生物であった。実際、大型の変温性四足類のほとんどは赤道の上下20度以内に集中して生息している。爬虫類は白亜紀末の大絶滅の後、地上の主導権を哺乳類に明け渡し、今日ではあまり重要でない衰退しつつあるグループだと見られやすい。しかし一歩熱帯雨林に入ると、そこはカエル・ヘビ・トカゲなどの両生類・爬虫類の天下であって、彼等はそこらじゅうを這い回り、その数は高等なはずの哺乳類よりもはるかに多いのである。例えば、熱帯雨林のコンゴ盆地では、1000エーカーにリス・トガリネズミ・サル・ジャコウネコ・アンテロープ・ゾウなど、50種のコウモリ以外の哺乳類が存在し、温帯地域のニューイングランドの森林がせいぜい20種程度なのと比べると豊富である。しかし、同じコンゴ盆地で爬虫類の種数は180種に登り、哺乳類の3倍以上にもなる。これはビルマやタイでも同じで、熱帯雨林には恒温動物の2倍から3倍の変温動物の種が生息している。今日、熱帯では哺乳類よりも両生類・爬虫類の方が種数も多く、また様々な環境に適応し繁栄しているのである。(2-6)

  先に、中生代の恐竜の王朝が出現する以前に哺乳類型爬虫類の王朝が存在した事を述べたが、この哺乳類の直系の祖先である獣弓類は、古生代ペルム紀初期の終わりのドワイカ氷期を契機として温血化の道を辿って来たと考えられている。恐竜の繁栄した中生代は温暖な時代で、約2億5000万年〜5000万年前の間は地球上に大きな氷床は存在せず、いわゆる無氷河時代が続いていた。しかし、その前の約3億4000万年〜2億7000万年前、石炭紀からペルム紀にかけて地球上には大きな氷床が存在していたのである。その痕跡は、南アメリカ・アフリカ・南極・インド・マダガスカル・オーストラリアなどに残され、当時はこれらが一つになってゴンドワナ大陸を形成し、極地方にあったこの大陸に大氷床が発達していたのである。この大陸の氷河をゴンドワナ氷床、そしてこの時代をゴンドワナ氷河時代と呼んでいる。当時、すでに温血を獲得していたとされる哺乳類型爬虫類は、この氷河時代に進化し勢力を伸ばして行ったのである。一方、恐竜が登場する中生代三畳紀は、それよりずっと温暖な無氷河時代であった。

  このような古気候の変遷は、当時の植物群の分布からもわかる。両生類が出現し、脊椎動物が初めて陸上に進出した古生代デボン紀は高温・乾燥の気候で、ヨーロッパ・グリーンランド・北アメリカは結合して広大な赤色砂岩大陸を作っていた。この名前の由来は、当時の堆積岩が砂漠に発達した赤色の砂岩から成っている事による。赤っぽく見えるのは、砂岩中の石英の粒子が酸化鉄に覆われている為で、これは高温・乾燥した気候の証拠である。赤色砂岩は中生代三畳紀にも見られる事から、このデボン紀のものを旧赤砂岩と呼んで区別している。またこの時代の植物は、古生マツバラン類(プシロフィトン類)と呼ばれる初期のシダ植物で、下草程度の小型の草本性植物であったが、当時は同じ様な植物が全世界的に分布し、世界全体を一つの植物区と見なす事ができる。この時代は、地球全体が熱帯あるいは亜熱帯で気候帯は認められず、その後、時代の進行と共に気候帯が分かれて来る事になるのである。

  石炭紀に入るとゴンドワナ大陸は南極点の上を移動し、ペルム紀にかけて巨大な氷床が発達する。こうして石炭紀には南半球のゴンドワナ大陸は寒冷な気候になり、反対に北半球は熱帯性の気候で大陸の沼地に木性のシダ植物が繁茂して大森林を形成した。この時代、石炭を作った大森林のほとんどは北半球に位置していたのである。先に、油田が無氷河時代の産物である事を述べたが、石炭は反対に氷河時代の産物である。氷河時代には高緯度地方に大規模な氷床が発達し、その拡大・縮小によって氷期・間氷期が交互に繰り返される為、無氷河時代よりも海水準は低く、しかもその変動が激しい。この結果、浅い陸棚ではサイクロセムと呼ばれる、規則正しい順序で岩石が重なった地層が形成される。ゴンドワナ氷河時代には、北アメリカやヨーロッパ大陸でサイクロセムが形成され、その厚さは0.530mにも達した。この地層の重なりは下から上へ、@石炭層を挟んだ平野の堆積物、A浅い海の石灰岩、B沖合いの細かい泥から成る頁岩、C浅い海の石灰岩の順に規則正しく並んでいる。これは大陸に海が進入して、それまでの平野の堆積物の上に浅い海でできた石灰岩が堆積、さらに海が進入して沖合いの堆積物がその上に重なり、次に海が退いて再び浅い海の堆積物となり、遂には平野に戻った事を示している。石炭層は、平野の樹木や草が海水の進入によって枯れ、それが埋もれて出来たものなのである。このサイクロセムが作られた時代が石炭紀で、何回もの海進によって作られた厚い豊富な石炭を含んでいる。北アメリカ大陸ではおよそ800万〜1200万年間に、大きなサイクルだけで55回以上の海進・海退が繰り返されたと言う。単純計算すると、ゴンドワナ氷河時代の7000万年間に380回以上となる。世界の大きな炭田は、この氷河時代の産物なのである。

  このように石炭紀には南・北半球で気候の違いを生じていたが、次のペルム紀に入ると違いは一層明確なものになる。当時の植物は、ゴンドワナ大陸で見られたゴンドワナ植物群、中国・朝鮮・東南アジアで繁茂した熱帯性のカタイシア植物群、ゴンドワナ植物群に似たアンガラ植物群(シベリア)、ローレンシア大陸に見られた熱帯性の欧米植物群の4植物区に明瞭に分けられる。これはペルム紀に、地域による気候の差がより明確になって来た事を示している。またペルム紀後期には、ローレンシア大陸にユーラシア(アジア)が結合してローラシア大陸ができ、ペルム紀末にはこれとゴンドワナ大陸が合体して巨大な超大陸パンゲアが形成される。ただ、このパンゲアは短期間しか存在せず、中生代初めには分裂を始め、中生代中頃には地中海とメキシコ湾を結ぶ線に沿って分裂する事になる。以後は大陸分断の歴史である。

  さて、ペルム紀には4つの植物区に分かれていたわけたが、中生代の三畳紀に入ると4植物区は解消し、世界は再び均一な植物群に戻ってしまう。この時代、世界的に広い分布を示すのは、現在の熱帯に残されているヤブレガサウラボシ科のシダ類の祖先系のものである。またペルム紀末から三畳紀にかけて、新赤砂岩と呼ばれる赤色の砂岩層が世界各地に見られる事から、当時の気候は高温・乾燥したものであったと考えられている。

  以上の気候の変遷をまとめると、デボン紀は地球全体が熱帯もしくは亜熱帯で、気候帯は認められない。以後、徐々に気候帯が分化し、石炭紀には北半球で高温・多雨、南半球で寒冷気候と違いが生じ、次のペルム紀には南半球のゴンドワナ氷床の影響もあり、熱帯・温帯・寒帯の3帯に分かれた。しかし、中生代の三畳紀に入ると氷床が融け温暖化と共に気候帯も解消し、再び熱帯・温帯のみの気候に戻る。ジュラ紀も高温・乾燥気候で世界各地にサンゴ礁が見られる。しかし、白亜紀末になると急速に寒冷化が進み、以後は徐々に気候帯も分化し、新生代第三紀に入ると気候帯はいよいよ明瞭になって行った。また、世界の炭田の多くは古生代の石炭紀に作られたのだが、その時代の樹木には年輪がなかった事が知られている。年輪が明瞭に形成されるのは中生代ジュラ紀に入ってからで、この事から考えると、それまでの気候変動には四季は存在せず、年間を通して高温か寒冷か、多雨か小雨かといった均一な気候が支配していた事になる。

  このように地球規模での気候の長期的な変化を見て来ると、何故、哺乳類型爬虫類の方が最初の爬虫類の王国を作る事になったのか。そして反対に中生代には、より進化しているはずの哺乳類型爬虫類を押しのけて、爬虫類の恐竜が支配権を確立する事になったのか理解できる。哺乳類型爬虫類の進化したペルム紀の氷河時代には、体温の変動による制約の為に低温の場所や時間には活動できない冷血の爬虫類に比べて、温血であったと思われる哺乳類型爬虫類の方がはるかに有利で、彼等以外には地上の支配権を獲得できるものはいなかったのである。しかし次の中生代に入り、氷河が融け気候が温暖化し、常夏の熱帯性気候が地球全体に及ぶ様になると、今度は逆に爬虫類の方がだんぜん有利となった。恒温動物の哺乳類は、活動していない時でも、常に体内で熱を発生させる為に大量のエネルギーを消費している。暑くも寒くもない状態で、安静にしている時のエネルギー消費量を標準代謝量と呼んでいるが、同じサイズであれば恒温動物の標準代謝量は変温動物の29.3倍にもなると言う。つまり恒温動物は、何もしなくても変温動物の約30倍ものエネルギーを消費しているのである。そのため、熱帯の様に気温が高く体温を上げる必要のない所では、恒温動物の哺乳類は無駄に熱を発生させる、エネルギー多消費型の極めて不効率な生物なのである。それ以上に、熱の発散に関係する体表面積と体積の比が小さい大型動物は、運動すると体温が上がりすぎ生きて行く事ができなかっただろう。温暖だった中生代に、哺乳類がネズミやネコ程度の小型動物しかいなかったのは、体温の面からも当然だったのである。反対に、気温が高く体温の低下によって活動が制限される事がない環境では、変温動物は極めて効率的な生物となる。彼等は体温を上げる為に無駄なエネルギーを使う必要がないので、恒温動物に比べてわずかなエネルギーで生命を維持して行く事ができる。このため同じ食物を食べても変温動物の方が早く成長する事が可能なのである。食物から吸収されたエネルギー(同化エネルギー)は、その一部が生命維持に使われ、残りが自己の組織を作る事、つまり成長にまわされる。恒温動物では同化エネルギーの 97.5%が生命維持に使われ、成長に充当されるのはわずか 2.5%に過ぎないが、変温動物では 30%が成長に当てられている。同量の食物をとっても、変温動物では恒温動物の10倍もの組織が生産されるのである。(2-35)

  爬虫類の恐竜は、熱帯の様な一年中温暖な中生代の気候に極めて良く適応した生物であった。本来が熱帯の生物であった彼等は、白亜紀末の気候の寒冷化によって種の多様性を急速に失い、衰退への道を進んで行ったのである。恐竜たちにとって最も困難だったのは、単なる平均気温の低下ではなく四季の出現であったろう。つまり夏と冬の気温差が拡大し、寒い冬が出現した事である。常夏の中生代の気候に慣れた彼等にとって、寒い冬を生き抜く事は困難だったのである。このように中生代末の恐竜の大絶滅は、スーパープルームという地球内部のダイナミックな活動に起因する、気候の長期変動に原因があったと考えられる。気候の寒冷化によって、恐竜たちが絶滅へと突き進んでいたまさにその時、偶然に巨大隕石が地球に衝突したわけである。それは既に絶滅しつつあった恐竜たちに、とどめの一撃を与えたという程度のものであった。

 

 

気候変動と大量絶滅

 寒冷化と絶滅

 

  中生代末の絶滅だけでなく、多くの大量絶滅において気候の寒冷化が重要な要因になっている事が指摘されている。アメリカのジョンズ・ポプキンス大学のS..スタンレーによると、海洋生物の大量絶滅は地球規模で冷却が生じた時に起きており、主として熱帯域の生物に絶滅が多く見られると言う。生命史上、幾度となく繰り返された大量絶滅の内、特に規模の大きなものが11回存在する。@先カンブリア時代後期、Aカンブリア紀後期、Bオルドビス紀末、Cデボン紀後期、Dペルム紀末、E三畳紀後期、Fジュラ紀プリーンスバキアン期末、Gジュラ紀末、H白亜紀セノマニアン期末、I白亜紀末、J始新世後期である。スタンレーは、これらの同時絶滅に見られる特徴として

  1)   絶滅は陸上生物と海洋生物の両方に同時に生じた。

  2)   動物は繰返し絶滅したが、植物には抵抗力があった。

  3)   熱帯生物が選択的に絶滅している。

  4)   特定の動物群が繰返し絶滅している。

の4点を挙げている。また上記11回の大量絶滅の内、先カンブリア時代後期・オルドビス紀末・デボン紀後期・白亜紀末・始新世後期の5回については、気候の寒冷化が確認されていると言う。次にそれぞれの絶滅について見ておこう。

 

 

 先カンブリア時代末の大量絶滅

 

  最古の大量絶滅は5億9000万年前、先カンブリア時代末のヴェンディア紀に、地球上に最初に現れた多細胞生物たちを襲った。かって、古生代カンブリア紀以前は先カンブリア時代として一纏めにされていたが、現在では先カンブリア時代末期近くになると、特定の生物化石によって特徴づけられる地質区分が存在する事がわかって来た。ヴェンディア紀(6億2000万年〜5億4500万年前)はその最後の時代で、この当時、地球上ではまだ多細胞生物の大規模な適応放散は起きておらず、南オーストラリアのエディアカラ丘陵を模式産地とする、エディアカラ動物群だけが世界の浅海域に広く分布していた。その際立った特徴は、薄いペラペラのシート状の体制である。例えばディキンソニアは、大きなものでは体長1mにもなるが厚さは3mm程に過ぎず、シート状の体を波打たせて、空飛ぶ絨毯の様に海底近くを泳いでいたらしい。また、海底に生えた相撲の軍配の様なチャルニオディスクスも、最大長は1.2mにもなるが厚さは数mm程度であった。これらの特徴的な2次元の生物たちは、ヴェンディア紀の終わりと共に完全に姿を消す。それと入れ代わる様にして、エディアカラ動物群に混じって出現し始めていた、長さ数mmから十数mmの円錐形の殻で知られる有殻動物や、海底の泥に這い跡だけを残していた節足動物などが数を増やして行く。そしてカンブリア紀中頃、カンブリア爆発として知られる多細胞生物の大適応放散につながって行くのである。

  このエディアカラ動物群は、かっては現生の動物の分類群に当てはめて理解されていた。例えば、円形で表面に同心円や放射状の構造を持つシクロメデューサやルゴコニテスはクラゲ・イソギンチャクの仲間の腔腸動物、チャルニオディスクスやフィロゾーンなど葉状のものはウミエラ・ウミトサカなどのソフトコーラル類(腔腸動物)、そしてディキンソニアやヴェンディアなど左右対称で体節構造らしきものを持つのは環形動物や節足動物と見られていたのである。しかし今日では、現生生物のどの系統とも無縁の独自に進化したグループだと考えられる様になってきた。普通、クラゲの化石には円周側に筋肉が収縮してできた同心円状の構造、中心部には消化管の痕跡が放射状に配列するが、シクロメデューサではこれが逆になっている。環形動物とされるディキンソニアには、口や肛門もなく頭部らしきものも見当たらない。ヴェンディアは三葉虫に似た形から節足動物とされるが、付属肢らしきものは全く見つかっていない (2-36)。また、サンゴ(コーラル)は何千という小さな個体(ポリプ)が集合したコロニーだが、ソフトコーラル類では水流に運ばれて来る食物粒子を捕らえる為に分離した個々のポリプの枝が、樹状やうちわ状に並んでいる。ところが、エディアカラ動物では枝とおぼしきものは互いに接合し、たくさんの体節が隙間のないキルト状に縫い合わされ、エアマットの様な平面構造を形成しているのである。しかも、このデザインは現生のどの多細胞生物の設計プランとも一致せず、全く別個の進化実験だったと考えられる。これは十分な表面積を確保しながらサイズを増加させるという問題に対する、もう1つの解決法なのかも知れない。生物は、酸素呼吸や栄養分の吸収などそのほとんどの機能を体や器官の表面を介して行っているが、サイズが増加すると体積は長さの3乗に比例して増大するのに対し、表面積は2乗に比例するに過ぎない。そのため、現生の大型生物は必要な表面積を確保する為に、肺や小腸など複雑に入り組んだ体内器官を進化させて来たのである。これに代わる第2の解決法がエディアカラ動物の採用した、全体の形状を糸状・リボン状・布状・パンケーキ状に変える事で、体表面積を増加させるという方法であった。こう考えると、彼等の特徴的なつぎはぎ構造は不安定な形状を強化する為の工夫と見る事ができよう。このエディアカラ動物が先カンブリア時代末に絶滅し、次のカンブリア紀に大発展する生物たちに道を譲らなかったならば、その後に進化する生物が複雑な内部構造や、さらには自意識に近いものを獲得する事ができたかという疑問も沸いて来る。もしかすると、動物の形状は永遠に布状かパンケーキ状のままだったかも知れないのである。(2-23)

  また19億年前以降の地層からは、アクリタークスと呼ばれる微化石が多く産出する。これは丈夫な有機質壁を持つ泡状の構造体で、多数の棘や複雑な構造を持つものがあり、真核生物のプラシノ藻類か渦鞭毛藻の仲間と考えられている。初期の真核細胞のほとんどはこのアクリタークスという藻類群に分類され、多数の種に分化するが多様化は6億5000万年前に突然停止し、5億9000万年前の同じ時期に絶滅する事になる。スカンジナビアでは、アクリタークスの約70%が死滅、アフリカとオーストラリアでも同様に化石が減少しているのである。

  アクリタークスの絶滅が起こったのは、地球史上最も大陸氷河が発達した時期(バランガー氷河期)であった。当時の氷河の跡は、グリーンランド・スコットランド・スカンジナビア・ロシア・中国・オーストラリアなど、驚くほど多くの地域で氷河による砂礫の堆積として確認されている。しかも当時、これらの地域の幾つかは明らかに低緯度にあった事がわかっている。約300万年前に始まった最終氷期では、巨大な大陸氷河はカナダ・グリーンランド・スカンジナビア・南極大陸に集中し、高緯度地域にのみ限られていた。ところが6億5000万年前には、赤道近くにあったオーストラリアにまで氷河が広がっていたのである。当時が、いかに寒冷で厳しい時代だったかわかるだろう。この直後に登場したエディアカラ動物群が先カンブリア時代末に絶滅して後、気候が温暖化する中で、史上初の多細胞生物の大適応放散であるカンブリア爆発が起こるのである。

 

(注) これと良く似た事は以前にも起こっている。2927億年前にかけても氷河期があったとされるが、ちょうどその終わり頃がシアノバクテリアの急激な繁殖が始まった時期と一致している。また、27億年前は地球史の中でも火成活動が著しく高まった時代で、温暖化と大陸地殻の急激な成長による海岸域の拡大が、シアノバクテリアの大繁殖を生んだと考えられるのである。21億年前の真核生物の出現も、2422億年前のヒューロニアン氷河期の終わりに位置し、19億年前には激しい火成活動が起こり、それに伴って最初の超大陸が分裂を開始している。また最初のエディアカラ動物も、約6億年前のヴァランガー氷河期の直後に出現しており、その後からだを急激に大きくしていると言う (2-37)。巨大氷床の後退による大規模な海進は浅海域を飛躍的に広げ、新しく出現した暖かく浅い大陸棚で生まれたばかりの多細胞生物は放散し多様性を拡大して行ったのである。そして、この流れの中で次にカンブリア爆発が起こるのである。

 

 

 古生代の大量絶滅に共通する特徴

 

  カンブリア紀後期の大量絶滅で生物の歴史は大きく転回する。オルドビス紀に入ると、カンブリア紀に出現したカンブリア紀型動物群(三葉虫・棘皮動物のエオクリノイド・腕足類のシャミセンガイ・軟体動物に近縁のヒオリテスなど)は急速に多様性を減らし、代わって古生代型動物群(オウムガイ・二枚貝・ウミユリ・腕足類・貝形虫類など)が急激に多様性を増して行く。例えば、カンブリア紀を代表する生物の三葉虫はこの大絶滅以後あまり繁栄する事なく、古生代末に絶滅するまで生態系の中で大きな比重を占める事もなかった。一方、カンブリア紀には脇役に過ぎなかった海生生物がオルドビス紀に大適応放散を開始し、古生代を通じて繁栄する新しい動物群を生み出して行ったのである。こうして現生の無脊椎動物の祖先は、この時期にほぼ出揃う事になる。

  古生代に現れたこの豊富な動物相は、その後3回の大量絶滅を経験する。オルドビス紀末(4億3900万年前)、デボン紀後期(3億6800万年〜3億6500万年前)、ペルム紀末(2億5000万年前)で、このペルム紀末の絶滅で古生代が終了する事になる。これらは地球史上海洋で起こった5回の大量絶滅の3回に当たり、各絶滅で消滅した海生生物の科の割合は恐竜の絶滅した白亜紀末を上回っている。また、この3回の大量絶滅では絶滅のパターンが良く似ており、共通する特徴は寒冷化と海水準の低下であると言う。絶滅の原因が気候の寒冷化にあった事を示す事実として、絶滅が熱帯で繰返し起こった事があげられる。その目