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これまで見てきた様に、ダーウィン派の進化理論は生物界の現実とは大きくかけ離れたものである。しかし残念ながら、現在なおそれに取って代わるだけの有力な進化理論は存在していない。では何故、理論と現実がこうも乖離してしまったのか。それは進化理論家達が、進化の現実を無視し続けて来たからである。現在では、生物のDNAの中にも進化の足跡が残されている事がわかっているが、それが利用出来る様になったのはつい最近の事で、それまでは化石だけが生物の進化を跡づける唯一の証拠であった。しかるに、ダーウィンが進化論を構築するに当たって、化石はほとんど何の役割も果たしていない。しかも信じられない事だが、ダーウィン以後「1世紀、化石の研究は進化学説にほとんど何もつけ加えてこなかった」のである。そして理論と化石記録が一致しないと、それは地質学上の記録の不完全性に原因があるとされた。つまり、理論よりも現実の方に問題があるというわけだ。こうして、理論に合わない都合の悪い現実は安易に排除され、無視されて来たのである。あるいは「古生物学的なデータがダーウィン学説の予言とは一致していないことが、化石がこのように無視された理由である」(1-1)と言った方が正確かも知れない。しかし現実とは頑固なものである。こうした安易な現実無視は、いつか手痛いしっぺ返しを受ける事になろう。
ダーウィンの自然淘汰説では、わずかな変異が少しずつ蓄積する事によって、徐々に種が変化し進化が起こるとする(漸進説)。変異はランダムに起こる突然変異によって生み出される事から、進化は機械的に一定の速度で漸進的に進む事になる。その結果、ダーウィン派の理論によると、進化過程は単純で特徴のないものとなってしまう。しかし一旦、目を現実の進化に転じると、そこには様々な目立った特徴を持ち、我々を圧倒するような複雑に絡み合い錯綜した進化の現実が存在しているのである。この章では、理論から進化の現実そのものに目を転じて、実際の進化過程でどのように進化が起きているのか、その特徴を見て行く事にしよう。生物の進化というと、すぐに思い浮かぶのは、多様な形態を進化させて来た多細胞生物の進化である。しかし、生物全体としての進化を考えると、多細胞生物の進化はその一部分にすぎない。多細胞生物が存在したよりもはるかに長い期間、単細胞生物しか存在しなかった生命の歴史があったのである。しかも、単細胞生物と多細胞生物の進化ではその様相が異なり、進化のメカニズムの面でも違いが存在する。両者は進化の段階、レベルの異なった生物という事ができよう。ここではまず、我々に馴染みの深い多細胞生物の進化を見て、後に地球自体の進化と関連させて、単細胞段階の生物の進化を見ていく事にしよう。
生物の進化過程を見て最も特徴的な事は、繰返し生物の大量絶滅が起きている点である。例えば、恐竜やアンモナイトの絶滅で知られる中生代末(白亜紀末)の大絶滅では、全ての生物種の60〜80%が絶滅した。また、史上最大と言われる古生代末(ペルム紀末)の絶滅では、種の95%前後が地上から抹殺されたと言う。そしてこの両者ほどの規模ではないが、大規模な同時絶滅が生物の進化史の中で繰返し起こっている。過去5億年間に、全属数の30%以上が絶滅した大量絶滅が15回もあると言う。
そもそも古生代・中生代、あるいはジュラ紀・白亜紀といった地質時代区分は、化石の動物群構成が大きく変化する所を境として決められている。つまり、大規模な同時絶滅を基準にして時代区分がなされて来たのである。最も高い時代区分「代」の下が「紀」で、古生代は6紀、中生代3紀、新生代2紀の合計11紀に分けられている。つまり、化石が多く産出するようになる古生代初めから今日までの5億4500万年間が、10回の大規模な生物の一斉絶滅によって区分されているわけである。この紀を分ける大量絶滅の規模は、科で見ると20%前後の絶滅率になると言う。そして、紀はさらに中生代ジュラ紀の3世11期、白亜紀12期の様に「世」と「期」に分けられ、この期の境界での絶滅率は10%前後という。期は古生代74期、中生代32期、新生代17期の合計123期ある為、この間、平均440万年に1回の割で同時絶滅があった計算になる。さらに期の下には「帯」(化石帯)という地質時代区分もあり、それを考えると小規模な同時絶滅は300〜600回もあった事になると言う。(2-1)
表2-1 地質年代区分と地質系統
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地質年代 区分 |
地質系統 層序区分 |
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代 紀 世 期 |
界 系 統 階 |
この様に見て来ると、生物進化の歴史は繰り返す大量絶滅の歴史であったとも言える。事実、顕生代の生命の記録は、そのほとんど総てが絶滅した種から成り立っており、これまで地球上に現れた生物種の99%は絶滅したとも言われる。生物の進化史は、絶滅の歴史でもあったのである。そうであれば、進化理論は生物の大量絶滅の意義とその必然性を、自己の理論の内に含むものでなければ現実的とは言えないだろう。
また大規模な大量絶滅は、偶然には起こり得ない事も明らかにされている。種の分化・平衡・衰退を同じ確率で生じる様にして、コンピュータに乱数を与え偶数が出たら種が増加し、奇数なら減少するといった簡単なルールで進化のシミュレーションを行うと、化石記録に基づく系統図と良く似たパターンが得られる。しかし、コンピュータの描くランダムな生物興亡のパターンには、古生代末や中生代末に実際に起こった様な大規模な同時絶滅は生じないと言う。つまり、小規模なものを別にすると、系統の50%とか70%が一度に絶滅してしまう様な大量絶滅は、偶然には起こり得ないのである。(2-2)
表2-2 地質時代区分
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顕 生 代 |
新生代 |
×100万年前 1.75
23.0
65.0 132 200 251 290 360 410 440 500 545 2500 4000 |
第四紀 |
完新世 更新世 |
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新第三紀 |
鮮新世 中新世 |
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古第三紀 |
漸新世 始新世 暁新世 |
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中生代 |
白亜紀 |
後期 初期 |
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ジュラ紀 |
後期 中期 初期 |
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三畳紀 |
後期 中期 初期 |
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古生代 |
ペルム紀 |
後期 初期 |
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石炭紀 |
後期 初期 |
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デボン紀 |
後期 中期 初期 |
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シルル紀 |
後期 初期 |
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オルドビス紀 |
後期 初期 |
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カンブリア紀 |
後期 中期 初期 |
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先カンブリア時代 |
原生代 |
後期 |
VENDIAN STURTIAN CRYOGENIAN TONIAN |
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中期 |
YURMATIAN BURZYAN |
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初期 |
ANIMIKIAN HURONIAN |
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太古代 |
後期 中期 初期 |
RANDIAN SUAZIAN ISUAN |
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冥王代 |
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こうした点から考えると、生物の進化が史上幾度となく繰り返された大量絶滅と深く関りながら進行して来たという事、そして進化理論上でも大量絶滅が欠く事の出来ない重要な地位を占める事は間違いないと思われる。では大量絶滅は、進化理論上どのような意味を持っているのだろうか。それを考える時、注意すべき極めて重要な点がある。それは、絶滅した生物は劣っていたから滅んだのではないという事。また、より優れた生物が登場し、その生物との生存競争に敗れて絶滅したのでもないという事である。以外な事だが、大量絶滅は生存競争や自然淘汰とは無関係なのである。つまり、ダーウィン理論では大量絶滅は説明出来ない、あるいは理論の守備範囲外と言った方が良いかも知れない。
例えば、大量絶滅の代名詞ともなった中生代末の恐竜の絶滅を考えてみよう。以前は、恐竜というのは図体ばかり大きく、その体に比べ極めて小さな脳しか持たない、動きの遅い鈍感な変温動物の爬虫類と考えられていた。そして彼等より進んだ生物、即ち大きな脳を持ち、動きの敏捷な恒温動物の哺乳類が進化するに及んで、彼等との生存競争に敗れて絶滅したのだと。しかし、この考えは2つの点で決定的に間違っている。まず第1に、恐竜は絶滅して当然と言える様な劣った生物ではなかった点。第2に、恐竜は哺乳類との生存競争に敗れて絶滅したのではない事である。白亜紀末に恐竜が先に絶滅し、その後しばらくしてから哺乳類の大適応放散、即ち進化が起きているのである。次にこの点について、すこし詳しく見ておこう。
普通、爬虫類というと、トカゲ・ヘビ・ワニ・カメなどの様に腹を地面につけて、のそのそと地面を這う生物を思い浮かべる事だろう。しかし恐竜は、現生の爬虫類とは全く異なった生物だった。彼等は、トカゲの様に4本足を左右に広げて地上を這っていたのではなく、我々哺乳類と同様に足を体の下にまっすぐ伸ばし直立歩行していたのである。元々、足は魚の胸ビレと腹ビレから進化したもので、これら対ヒレは体の側面から横に出ている。その結果、魚から進化した両生類の足は、体から横方向に出て肘と膝の関節で下に曲げ、肘と膝を張った状態で体を支える構造になっている。このため、彼等は腹を地面に擦りつけてよたよたとしか歩けないのである (2-3)。そして走る時には、体を大きく左右にくねらせて歩幅を広げる。この様な体の構造は、体重を支えるにも走るにもロスが大きく不経済だが、この不効率な方式を初期の爬虫類は両生類からそのまま受け継いだのである (2-4)。これが今日、トカゲなどに見られる歩き方である。
(注) 魚が胴体をS字状にくねらせて泳ぐ時、体側ではそれに合わせて対角位置のヒレがほぼ同時に動く。海底を歩く魚類やシーラカンス・肺魚はこの動きを利用して、トロット歩行の様な動作を見せる。主に水中で生活していたと考えられる初期の四肢動物も、この魚類の動きをそのまま採り入れる事で、脳神経系の大きな配線替えの必要もなく、容易に歩行が可能になったと思われる。(2-5)
しかし、中生代の三畳紀(2億5100万年〜2億年前)になって、爬虫類の2つのグループが足の改良に成功する。1つは我々哺乳類の祖先である単弓類の中の獣弓類で、4本足をすべて体の下に引き込み、立ち上がって走る4足歩行者になった。もう1つが、後ろ足2本だけを改良して2足歩行者となった双弓類の主竜類、つまり恐竜の祖先である。4足歩行の恐竜は、主に体重の増加により2足歩行から2次的に4足歩行に戻ったと考えられている。このように恐竜は、哺乳類と同様に足を体の真下に伸ばし、活発に運動する事が出来る生物であった。つまり恐竜は、哺乳類なみの運動能力を持つ進化した生物だったのである。ロバート・バッカーは、3トン以上もある肉食恐竜のティラノサウルスが、時速30 km近くのスピードで走る事が出来たと述べている(2-6)。そして今日、その進化した足を引き継いでいるのは、トカゲなどの現生爬虫類ではなく、恐竜の子孫と考えられている鳥類なのである。
(注)恐竜が直立した事に関連して、胸郭はトカゲや両生類の平べったい形から、縦長の奥行きの有るものに変化した。恐竜は横から見ると巨大だが、前や後ろからでは意外に幅が狭く、長い首と尾を持つ関係で全体的にはかなり細長い生物であった。また、頭も同様に両生類の平たい形から、鳥類に似た細く高さのあるものに変わっている。ところで、ヒトが前後に平たい胸を持つのは、上体を直立させた事による二次的な適応である。
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三畳紀初めに現れた、主竜類の祖先型である槽歯目のユーパルケリア(全長1m程の爬虫類)が、初めて不完全ながら後ろ足だけで体を支え2足歩行を行ったと言う。ただ槽歯目では足の構造が未完成で、大腿骨の付け根は骨盤の関節(寛骨臼)の窪みに浅くはまっているだけで、体重を垂直方向に真っ直ぐ支える事は出来ず、中途半端に腰を落としたガニマタの姿勢だったと考えられている。ちょうどエリマキトカゲの走る様子を思い浮かべるとよいだろう。
しかし、槽歯目がさらに進化した恐竜(竜盤目・鳥盤目)になると、脚と腰の構造に革命的変化が起こる。まず、寛骨臼の上に唇状突起が張り出して大腿骨をしっかりと受け止められる様になり、今日のウマやイヌの様に脚を胴体の下にまっすぐ伸ばして直立出来る様になったのである。これと平行して、足首にも重要な変化が生じる。槽歯目では脚が地面と斜めに接触するため、脛の骨と足の骨の中間にある横に並んだ足首の骨、距骨と踵骨の間に関節ができ、距骨の下−距骨・踵骨間の関節部−踵骨の上、というクランク状に折れ曲がった不自然な線で足首が曲がる様になっていた。これに対して、恐竜では距骨と踵骨が一体化して下肢の骨(脛骨、腓骨)の先端をキャップ状に覆い、この先で横一直線に折れ曲がる様になった。こうした脚全体の構造改造のおかげで、恐竜は直立したまま巨大な体を支え、効率良く移動する事が可能になったのである。これこそ彼等が他の爬虫類を抑えて、中生代の覇者として地上に君臨する事が出来た最大の理由であった。(2-4)
(注)槽歯類(テコドント)は、三畳紀に大いに繁栄したワニに似た体型の初期の主竜類で、歯が顎骨の歯槽にはまっていた事からこの名がある。この仲間から、三畳紀中期に後ろ足で立ちあがり二足歩行する様になったのが恐竜である。
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爬虫類は、頭蓋の眼窩の後ろに開く側頭窓という大きな穴の開き方から、3つのグループに分けられる。最も原始的な爬虫類の頭蓋には、骨鼻口・眼窩、それに第3の目と言われる頭頂孔の3種類の穴しかあいていない。ところが進化と共に、頭蓋の内側からおこる顎を閉じる筋肉が発達し、より広い付着点を求めて頭の骨の壁に中から窓を開ける事になる(特に肉食のもので良く発達)。この時、眼窩の後ろの後眼窩骨と鱗状骨の下だけ開くものと、上下に2つ開くものに分かれた。頭蓋の壁に窓が開くとその下に桟が残り、それが前後にアーチを架けた様に見える事から弓と呼ばれている。側頭窓のないものがこの弓もない無弓類(亜綱)で、原始爬虫類の他、カメの仲間が含まれる(両生類にも側頭窓はない)。下の窓(下部側頭窓)だけ開いたものは一本の弓が出来るので単弓類と呼び、この仲間から哺乳類が進化して来る。そして、側頭窓が上下2つ(上部と下部側頭窓)とも開口したのが弓も2段になった双弓類で、これには他のすべての爬虫類が含まれるが、その内トカゲやヘビなどを除いた主流派が主竜類(祖竜類)である。主竜類では、さらに眼窩の前にも前眼窩窓という大きな窓が開く。この主竜類から、ワニや翼竜などを除いた残りが恐竜という事になる。上部側頭窓が1つ開いた海生爬虫類の広弓類は、かっては無弓類・単弓類・双弓類と並ぶ同じランクの亜綱とされていたが、今日では下部側頭窓が退化して失われた双弓類の仲間と考えられている。また、無弓亜綱は様々な系統の寄せ集めの様になっており、今日では分類単位としては使われなくなって来ている。
恐竜を特徴づけているのは骨盤の形で、足が胴体の真下に伸びる事と関連して、はいつくばったトカゲやワニと比べ恥骨や坐骨の幅が狭く棒状で下方に突出している。そして、この骨盤の恥骨の走り方から恐竜は2つのグループに分類される。1つは恥骨が前下方に伸びるトカゲに似た骨盤の形の竜盤目(爬虫類形恐竜)、もう1つは恥骨が坐骨と平行して後下方に伸びる、鳥類に似たタイプの鳥盤目(鳥類形恐竜)である。もともと恐竜は肉食の足の速い2足歩行者で、恥骨は前下方に伸びていたと考えられている。それが植物食に適応する時、植物の消化のために腸を長く伸ばす必要に迫られるが、そのために胴を長くすると重心が前に移って2足歩行の姿勢がとりにくくなる。そこで、腹腔の後端を限っている恥骨を後ろに傾ける事によって、腸を入れる空間を確保する様に進化したのが鳥盤類と考えられる。これに対して2足歩行をあきらめ、4足性に戻って植物食に適応して行ったのが竜脚類である。鳥盤類もその後、鳥脚類を除いて4足歩行に戻って行くが(剣竜類・曲竜類・角竜類)、彼等はすべて草食性である。他方、竜盤類は肉食性で2足歩行の獣脚類と、草食で4足歩行の竜脚類に分けられる。(2-7)
また現生鳥類は、その頭蓋が上部・下部側頭窓と前眼窩窓を持つ事から双弓類の中の主竜類に属す事になる。そして鳥類は椎骨と脚や腕の骨が中空になっているが、これは獣脚類に共通の特徴である事から、今日では竜盤目の獣脚亜目(鳥盤目ではない事に注意)の仲間で、デイノニクスやべロキラプトルなどの活発で捕食性の強いドロマエオサウルス類に近いと考えられている。鳥類の骨盤の恥骨は、その胚発生が示す様に前方から後方に二次的に回転したものである。
(注)最初に現れたのは足指が4本で二足歩行の小型の肉食恐竜だが、あまり繁栄する間も無く、すぐに獣脚類が登場して三畳紀から中生代末まで長期にわたって大繁栄する事になる。獣脚類は鳥類に良く似た仲間で、大小様々なグループがいたが基本的な体型はあまり変わらず、3本指の鳥にそっくりな後肢で二足歩行し、鳥の様なS字状に伸びた首と、ほとんどが鋭い歯を持つ捕食動物だった(くちばしを持つ草食恐竜もいた)。そして、この仲間から鳥類が進化して来る事になるのである。
(注)鳥の羽は、鳥類が出現する以前に獣脚類恐竜の仲間に現れ、多様化していった事が明らかになって来ている。シノサウロプテリクス(中華竜鳥)、カウディプテリクス(尾羽鳥)、ドロマエオサウルス、ベイピアオサウルス、ミクロラプトル、シノルニトサウルス(中国鳥竜)など10数種類の獣脚類恐竜に羽が有った事が知られているのである。もしかすると、ティラノサウルスやベロキラプトルに羽が生えていた可能性も考えられる。鳥類とは、「飛翔能力のある羽の生えた獣脚類恐竜の1グループ」と見る事もできるのである。
表2-3 恐竜の分類
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竜盤目 |
獣脚類 |
ベロキラプトル ティラノサウルス (鳥類の祖先) |
(肉食) |
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竜脚類 |
ブラキオサウルス アパトサウルス |
草食 |
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鳥盤目 |
鳥脚類 |
イグアノドン ハドロサウルス |
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剣竜類(ステゴサウルス類) |
ケントロサウルス |
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堅頭竜類(パキケファロサウルス類) |
ステゴケラス |
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曲竜類類(アンキロサウルス類) |
ノドサウルス |
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角竜類(ケラトプス類) |
トリケラトプス |
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最も恐竜らしい恐竜といえる獣脚類は、どのような姿勢をしていたのだろうか。四肢と関節の関係については、巨大なティラノサウルスから小型のダチョウもどき恐竜に至るまで、驚くほど良く似ていた。まず重要なのは、腰部が水平に近かったという点である。大腿骨の骨頭が股関節窩の背面と正しく連結されるのは骨盤が水平の時に限られ、腰部を直立させると股関節窩から大腿骨頭が外れてしまうと言う。つまり恐竜は体を水平にし、前に倒した上体と後ろに伸ばした巨大な尾でやじろべいの様にバランスを取って、後足で二足歩行していたのである。実際、彼等は尾を地面につけずに歩いた事が足跡の化石から分かっている。恐竜のトレードマークとも言うべき巨大な尾には、このような意味があったのである。一方、尾のない鳥では短い大腿骨を水平に近い状態で固定して膝を出来るだけ前に出し、後肢が身体の重心の下に来る様にしている。鳥では膝がヒトとは反対に後ろ側に折れ曲がっている様に見えるが、実はあれは膝ではなく足首に相当し、普通に歩く時には大腿骨はほとんど使っていないのである。さらに鳥類は、獣脚類のシンボルでもあった前下方へ突き出した恥骨を後ろに回転させて坐骨と平行にするが、これも内臓を下げ体の重心を後ろに移動させる工夫であった。つまり、鳥類とは空を飛ぶ為に重い尾をなくし、後足2本でバランスをとる様に進化した獣脚類なのである。
さて姿勢でもう一つ重要なのは、膝が鳥類と同様に曲がったままだった事である。獣脚類と鳥類の膝では大腿骨の内側の大きな骨端が荷重を支え、外側の細い楔状の骨端は脛骨と腓骨の骨頭の間にある溝の中を動き膝がねじれない様になっているが、膝をまっすぐ伸ばすと溝からはずれて脱臼する恐れがあり、膝は常に曲げて歩いていたと考えられるのである。従来、ゾウの様な巨大な動物はその体重を支える為に大腿骨を垂直にして、柱状の四肢で歩くと思われがちであるが、捕食恐竜は走鳥類や有蹄類と同様の四肢の動かし方をしていたわけである。さらに、彼等は鳥類と同じく足指を使って歩く素早い移動に適した趾行動物で、足首は地面から完全に離していた(ヒトやクマは足裏を地面につけて歩く蹠行動物)。また、ゾウやカメの足首が平たく固定した構造になっているのに対し、獣脚類は走る事のできる大型動物の目立った特徴である、鳥類そっくりの柔軟性に富む足首を持っていた。これらの事から、6〜12トンもあったティラノサウルスも含めて、獣脚類はダチョウの様にすばやく走る事のできる捕食者だったと考えられるのである。(2-49)
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直立歩行以外にも、恐竜は様々な優れたシステムを進化させていた。R.バッカーによると、化石から恐竜が強力な心臓と肺を持っていた事がわかると言う。イグアナの様な小さな心臓しか持たない動物は、胸郭の先端が極端に狭くなっている。というのも、胸郭で囲まれている体内器官は心臓だけだからである。しかし恐竜の胸郭は非常に深く、前方の肋骨も厚く長く、そこには大きく強力な心臓が有ったはずだと言う。また、現生の爬虫類では頭と心臓はほぼ同じ高さにあるが、竜脚類の様に長い首を持つ恐竜では頭の位置が心臓よりもずっと高く、脳に血液を送るには非常に高い血圧を必要とした。しかし、肺の毛細血管は非常に薄くてもろく高い血圧がかかると内部で出血してしまうので、これを避ける為に肺循環系と体・頭部循環系が分離されていなければならない。つまり、首の長い恐竜には哺乳類・鳥類と同様に、完全に2つに分割された4室の心臓(2心房2心室)が必要なのである。実際、最近発見された鳥盤目の草食恐竜の心臓化石は、CTスキャンから哺乳類と同じ代謝率の高い4室構造をしていたと言う(現生の爬虫類は3室だが、ワニはほぼ4室)。
恐竜の肺も、鳥類に見られる様な複雑な気嚢システムを持つ、極めて効率的なものだった可能性が高い。気嚢システムとは空気を気嚢の中に吸い込み、そこから肺の組織へ血流と逆の一方向に通過させる(向流交換)というもので、哺乳類の様に出口のない盲管構造の肺に空気を吸い込み、再び吐き出すという往復運動をする方式に比べて、ずっと効率の良いシステムとなっている。鳥類は空を飛ぶという激しい運動に対応するため、この効率的な肺を必要としているのである。恐竜の脊椎骨の各所には、鳥類のものと非常に良く似た凹みが存在し、ここに管で肺とつながった気嚢が詰まっていたと思われるのである。(2-6) (2-8)
恐竜の消化システムも、我々哺乳類とは異なるが、極めて効率的なものだったと考えられる。現生爬虫類の中で最も恐竜に近いワニと恐竜の子孫とされる鳥類は、共に消化器官として砂嚢を持ち、その中には大型鳥類では両手にいっぱい程の量になると言う大量の胃石が入っている。胃石は砂嚢の厚い筋肉壁の収縮で揺り動かされ、食物を粉々に砕き、すり潰す。哺乳類は反芻類を除くと、食物をまず歯でよく噛み砕き、それから胃に送り消化する。そのため、哺乳類は複雑に分化した歯を進化させて来たのである。しかし、この消化器系では歯に大きな負担をかける事になる。歯の表面の最も硬いエナメル質でさえ、砂に比べるとはるかに軟らかく、砂混じりの食物を食べる事で歯は激しく磨耗してしまう。例えば、古代ニューメキシコのアナサジインディアンなどは、歯肉の所まで歯がすり減っていたと言われる。硬く消化の悪い草を大量に食べなければならない草食性真獣類にとって、二度と生えない永久歯の磨耗は死活問題である。そこで彼等は、様々な歯の磨耗対策を進化させて来た。ウマは小臼歯を大臼歯なみに大きくして上下の顎にずらりと並べ、また1つ1つの歯を高くして磨耗に備えている。そのため、ウマの顔はあのように長くなったのである。また、ゾウは巨体を維持するために夜も寝ずに食べ続けると言われるが、その激しい歯の磨耗に対応するため、他の哺乳類のように乳歯を永久歯で垂直方向に交換するのではなく、独特の水平交換という方式をあみ出した。ゾウの歯の数は、上顎に切歯1対・小臼歯3対・大臼歯3対、下顎に小臼歯3対・大臼歯3対で、臼歯は全部で上下6対ずつあるはずだが、実際には1対か2対しか使われていない。ゾウの大きな臼歯は咀嚼作用により前の方から磨耗し、使えなくなると歯は浮き上がって脱落、代わりに後方の歯胚で作られた新しい臼歯が前方に移動して脱落した臼歯と交代する。こうしてゾウは、臼歯を次々に入れ代える事で磨耗に対応している (2-9)。このように哺乳類は歯の磨耗に悩まされ続け、様々な対策を進化させて来たのである。
ところが、砂嚢を持つワニや鳥類では歯で咀嚼する必要はなく、食物は直接飲み込んで前胃に送り込み、そこで胃液で化学的に消化し軟らかくしてから砂嚢に送られ初めて噛み砕かれる。このため歯の磨耗の心配もなく、極めて効率的な消化システムとなっている。ただ、このような消化器系はトカゲ・ヘビ・カメなど他の爬虫類には見られず、また鳥類とワニの砂嚢の基本構造の一致は、両者が系統的に近い生物である事も示している。
これと良く似た消化システムに、哺乳類が進化させた最高の器官の1つである反芻胃がある。反芻動物は、食物を胃液に浸し軟らかくしてから咀嚼する。ウシやシカは、砂混じりの草を口いっぱいに引きちぎると、噛まずにそのまま飲み込み一連の胃の部屋に送り込む。そして熟成桶の様な胃の中で、胃液やバクテリアによって固い繊維が分解され軟らかくなってから口に戻し、そこで初めて歯で咀嚼する。現生の大型草食哺乳類の大部分がこうした反芻類で、ウシ・ヤギ・ヒツジ・アンテロープ・シカ・キリンなどがその仲間である。今日、有蹄類の中でも偶蹄類が圧倒的に優位に立っている理由の1つは、この反芻胃を進化させた事による。その利点は、歯の負担が軽いというだけでなく、捕食者に狙われやすい開けた草原ですばやく草を取り込み、咀嚼は後でゆっくり安全な場所で出来るという点にもある。他方、砂嚢も反芻胃も持たず固い草を直接歯で噛みつぶさなければならない草食動物、例えばシマウマは、活動時間のほとんどを食物のある草原で草をはみ咀嚼する事に費やさねばならず、常に肉食獣に狙われる危険に身をさらす事になる。胃の容積が小さい奇蹄類では、食物の貯留が困難なのである。反芻をしない奇蹄類は現在バク・ウマ・サイの3種類だけであり、飼育されて多くの品種に分かれたウマを除くと、いずれも細々と生存しているに過ぎないのである。
(注)反芻獣は、第一胃・第二胃の内部にセルロース分解菌を共生させて可溶性炭水化物を生成し、それで多くの細菌・原生生物を飼育・培養する。そして第三胃で脱水した後、最後の第四胃で胃液のタンパク質分解酵素によりこれらの微生物を分解している。つまり反芻獣は、植物繊維を使って培養した細菌・原生生物を食べているわけである。
このように、砂嚢は反芻胃にも匹敵する優れた消化システムという事が出来るが、それだけではなく特殊な効用も持っている。砂嚢が食物の咀嚼を引き受けた事により、歯は食物をはみ続ける必要がなくなり、口に他の活動をする余裕が生まれたのである。例えば求愛活動。実は、小鳥たちが長時間さえずり続ける事が出来るのは、彼等が口で食物を咀嚼する必要がないからである。小鳥が歌を歌っている間も、砂嚢は食物を咀嚼し続けている。草食性の哺乳類が1日中、口をもぐもぐさせて草を咀嚼し続けなければならないのとは大違いである。もし恐竜が砂嚢を進化させなかったならば、今日我々が小鳥のさえずりを聞く事も出来なかったわけである。(2-6)
骨も、恐竜が高い物質代謝能力を持っていた事を示している。骨は外側の緻密骨質と内側の海綿骨質と大きく2つの部分に分けられ、緻密骨質は血管の通路であるハバース管と、その周囲を同心円状に取り巻く層板という石灰化した骨から成る、円柱状の微細構造(ハバース管系、骨単位)の繰返しで構成されている。骨がベニヤ板の様に頑丈で弾力に富むのは、この層板構造の為である。層板中には、骨小腔(裂腔)と呼ばれる小さな隙間が骨層板に沿って点々と配列し、その中の骨細胞がカルシウムの沈着や溶出を行っている。そして、各骨小腔は細い管(骨細管)でつながり、骨細胞はその中に長い突起を伸ばして互いに結合し、また突起の一部は中心のハバース管にまで達して循環系との物質交換も行っている。つまり、骨細胞の突起は細胞に養分を補給するパイプラインにもなっているわけで、その数は骨細胞の代謝能に比例する事がわかっている。哺乳類では1つの骨細胞が100本前後の突起を持ち、カルシウムやリンの代謝能がずば抜けて高いが、恐竜の骨細胞もほぼ同数の突起を持ち、その様子は現生の哺乳類のものと少しも変わらないと言う。これは草食性・肉食性の恐竜共に認められ、恐竜の骨細胞が哺乳類並みの高い代謝能力を持っていた証拠と考えられるのである。
また、いくつかの恐竜の骨には膨大な数のハバース管が見られ、その数は典型的な爬虫類よりはるかに多く、大型の哺乳類に匹敵すると言う。このハバース管の密集は、恐竜温血説の根拠の1つとされ、これも高い物質代謝と関係があると考えられている。
(注) 骨の内部構造からは、単純に恒温性かどうかの結論は出せない様である。現生の変温性の爬虫類から脈管系が高度に発達した骨が見つかり、逆に小型哺乳類や鳥類から脈管系の非常に少ない骨が発見されたりしているのである。
恐竜の中には集団生活をして社会性を発達させ、子育てをしたものもいた事が知られている。コロラド州パガトゥア峡谷で発見された大型竜脚類の足跡からは、彼等が群れをなして移動していた様子が明らかにされた。11頭からなる群れのうち、大型の個体は当時の湖の水際を、小型の個体は少なくとも1頭の大人に脇を固められて陸側を歩いていた。竜脚類は現在のゾウの様に、子供を守りながら移動していたのである。また、北極圏で発見される恐竜化石の約5%は集団状態を示していると言われ、群れはかなり一般的な現象だったようだ。しかも、草食恐竜だけではなく肉食恐竜も同じ方向に群れをなして進む足跡とか、複数の化石が同一箇所から発見されており、群れで行動し狩りをしていた可能性が高い。実際、獣脚類の足跡は一列ではなく、歩行の跡が何本も平行についている事が非常に多く、そのほとんどは群れを成していた事によるものだと言う。こうした歩行跡は、小さい種から2トン前後ある獣脚類のものまであった。モンゴルでは、80頭以上の七面鳥ぐらいの小型肉食恐竜が、同時に進行方向を変えながら時速30kmで移動した事を示す足跡化石も発見されている。
白亜紀後期に北米で生息していた、体長8〜10mの大型カモノハシ竜のマイアサウラ(よい母親トカゲの意)は、大きなコロニーの中で巣作りし子育てをしていた事で有名である。アメリカ北西部のモンタナ州の丘陵地帯では、カモノハシ竜の大規模な集団営巣地が発見されており、土盛りした地面に直径2m、深さ1mの皿状の穴を掘って中に20個程の卵を同心円状に生み、その巣の中で子供を育てていたと考えられている。子供は数十cmで卵から孵化し、体長が1.5mになるまで巣に留まっている事から、2〜3ヶ月間母親が餌を運んで育児したものと思われる。マイアサウラの子供は孵化直前になっても骨が十分に骨化せず、体長1mの子供でも脚の関節部分の骨が完成していないが、歯の方はひどく磨り減っていると言う。つまり、彼等は生まれてすぐには歩いたり出来ず、親に面倒を見てもらう必要があったわけである。この他にも、同じ鳥盤目のプロトケラトプスで巣と卵が発見されており、小型獣脚類のオビラプトルが鳥の様に卵を抱いて巣ごもる形の化石も見つかっている。またマイアサウラは、渡り鳥のように毎年大きな群れを作って季節的な大移動をしていたようだ。渡りの途中で火山噴火に巻き込まれたのであろう、数万頭にも及ぶ骨格が一ヶ所からまとまって発見されている。彼等は毎年モンタナ州北部で営巣して卵を生み、夏になるとエサを求めて4600kmも北上し、北極圏まで足を伸ばしていたのである。
中国の河南省南陽では、カモノハシ竜の膨大な数の卵が発見されている。300km2以上もの面積に渡って1万個を超える卵の化石が出土し、あとどれくらい埋まっているのか検討もつかない程だと言う。恐竜卵は、アヒルの卵くらいから長径64cmのものまで10種類程度あり、大部分が割れずに無秩序に重なっていた。当時、このあたりは恐竜の集団繁殖地で、今日の海鳥がする様に集合して産卵繁殖していたのだろう。恐竜達は群れをなしてこの繁殖地にやって来て砂州に卵を生み、ウミガメ類の様に砂に埋めて太陽熱で孵化させていた。ところが、突然の洪水で卵は深く埋められてしまったのである。(2-10)
また、鋭いオウムの様なクチバシと襟飾りをもつ角竜類も、単一種が100頭以上もまとまって堆積した例が9つの種で知られており、彼等も大きな群れで生活していたと考えられている。このように恐竜は、哺乳類にも匹敵する社会性をも進化させていたのである。
以上見て来た事からわかる様に、恐竜は極めて優れた能力を持つ進化した生物であった。温血性については今日否定的に見られているが、それを除けば哺乳類に優るとも劣らない優れた生物だった。進化のレベルから言えば、恐竜は現生の爬虫類よりも哺乳類の方に近いと言えるかも知れない。従って、彼等が劣った生物であったから絶滅したという議論は決して成り立たないのである。この恐竜の大絶滅に関してたいへん奇妙で不思議な点は、爬虫類の中でも最も進化した生物、しかも三畳紀後期から白亜紀末まで1億7000万年もの長きにわたり、地上を支配して来た恐竜が1つ残らず絶滅してしまった一方で、反対にトカゲ・ヘビ・カメといった恐竜から見れば進化の遅れた、あるいは劣った爬虫類が今日まで生き残った事である。ここでは進化理論とは逆の事が起こっている。つまり優れた生物が死に絶え、劣った生物が生き残る。
また、恐竜が中生代の環境に良く適応していた事もまぎれもない事実である。恐竜は1億7000万年に渡って繁栄したと言ったが、それは同じ種がそれだけ続いたという事ではない。その間、環境の変化に合わせて次々と新しい種類の恐竜が出現し、交代して行ったのである。この新しい種を生み出す進化速度の点でも、恐竜は哺乳類と同じくらい速い生物であった。科の平均寿命で見ると、他の爬虫類が5500万年なのに対し、恐竜は2500万年で哺乳類とほぼ同じと言う。特に草食恐竜は進化速度が速く、200〜300万年で新種との交替が起こったと言われる。肉食恐竜、例えば史上最強の肉食動物として有名な白亜紀のティラノサウルスは、1億年も前の三畳紀後期に出現した祖先の肉食恐竜から、その基本的な構造はほとんど変わっていない。ところが、トリケラトプス・アンキロサウルス・エドモントサウルスなどの草食恐竜では、頭骨や顎骨の構造が三畳紀の祖先のものからは想像もつかないくらい変化しているのである。また、中生代の植物の進化速度は800万年であるから、進化の速さの点では草食恐竜は植物より優っていたと言う事もできる。(2-6)
恐竜がいかに適応力のある生物であったかは、草食恐竜の進化を見ると良くわかる。彼等は植物界の変化に合わせて、急速に適応し進化して行ったのである。
被子植物が登場する以前の地球の植物界は、今のマツ・スギ・ヒノキなどの仲間の針葉樹類(球果植物綱)と、シダ植物が支配的だった。古生代デボン紀末に出現した針葉樹類は、中生代の三畳紀に入るとたちまち陸上を席巻し、大陸を広大な森林で埋め尽くした。そして次のジュラ紀には繁栄の頂点に達し、高さ100mを越す巨大な針葉樹の森が広がり、そこを竜脚類の巨大恐竜がのし歩いたのである。植物の垂直方向の階層構造は、地表層にコケや小型のシダが生え、中位層には木生シダやソテツ類、そして最上層では針葉樹が林冠を形成していた。ただ、当時の針葉樹はメタセコイアの様な柔らかい羽毛状の葉を持つもので、現在のスギやマツの様に固い針状の葉や防御物質の樹脂を持つ新しい種類が出現するのは、白亜紀後半になってからである。また、当時の地球の植生は緑一色の単調な世界で、鬱蒼とした森には色鮮やかな花はどこにも見られず、花に依存するチョウやハナバチなどもまだ登場していなかった。地球が、色とりどりの花で覆われる様になるのは、白亜紀に入り被子植物が急激に進化して以降の事である。白亜紀初めに赤道付近から分布を広げ始めた被子植物は、白亜紀末期には極地方まで到達し、種数も裸子植物の半分ほどになって行く。
(注) 種子で繁殖する種子植物(裸子植物と被子植物)は、古生代デボン紀にシダ植物から分かれて進化するが、最初に登場したのが種子(胚珠)がむき出しの裸子植物で、進化的には胞子で繁殖するシダ植物と、胚珠が心皮で包まれた被子植物とをつなぐ位置にある。しかし裸子植物は極めて多様で、ソテツ綱・イチョウ綱・球果綱・マオウ綱に分類され、その中にはソテツやイチョウの様に精子で有性生殖をするシダ植物に近い原始的なものから、マオウの様に被子植物に近い進化したものまで含まれる。つまり、裸子植物は1つの系統群というよりは、被子植物を除く種子植物の寄せ集めと言った性格を持っているのである。
針葉樹類は、デボン紀末頃にシダ状の葉を持つシダ種子類から進化してきた球果をつける球果綱で、裸子植物と言うとすぐに針葉樹が思い浮かぶが、実は多様な系統を含むその仲間の一つというわけである。針葉樹の厚い耐水性のクチクラを持つ細く頑丈な針葉は、乾燥への適応と思われる。また、広葉が光合成で直射光の利用に適しているのに対し、針葉は散光利用型だとも言われ、これは先のとがった円錐形の樹形にも表われている。つまり針葉樹の葉形と樹形は、散光成分の多い高緯度に適したものなのである。
恐竜と共に中生代を支配した裸子植物は、中生代の終わりにかけて針葉樹も含めてその数を激減し、次の新生代は被子植物の時代となる。そして、被子植物が熱帯から温帯にかけて繁栄したのに対し、針葉樹類は北の寒冷地域で生き残り、氷河時代の第四紀更新世に入ると復活をとげて、地理的分布域と個体数を著しく増大させる事になる。ただこの時、種数を増やす事はなかった。
こうした植物界の変動と深く関連しながら進んで来た草食恐竜の進化は、植物の進化に合わせて大きく3つの段階に分ける事ができる。まず、三畳紀に草食を主とする古竜脚類が出現、またそれと共に肉食の獣脚類も進化して来る。古竜脚下目は名前の通り、旧式構造の脚を持つ最古の草食恐竜グループで、大腿骨はS字型に湾曲して、その末端が直接寛骨臼にはまり込んでいた。さらに寛骨臼そのものも楕円形で、大腿骨を後ろに引っ張る筋肉の付着点も大腿骨後縁中央より内側に寄っており、槽歯目のガニマタ歩行の名残を引きずっていた。その代表が、三畳紀後期からジュラ紀初期にかけて繁栄したアンキサウルスの仲間で、長い首とビヤ樽の様な胴体を持つ大型の4足歩行動物、いわば雷竜の小型版であった。当時の植物界は原始的な針葉樹類やソテツ類で、彼等はイグアナの様な単純な歯で木の枝をしごいて葉をむしり取り、そのまま丸呑みにして砂嚢ですり潰していたものと思われる。三畳紀後期には初期鳥盤目も進化し数を増やして来るが、彼等は小型の2足歩行者で、主に地上近くの背の低い植物を食べていた。それに対し、手付かずのまま残されていた膨大な植物資源の、針葉樹類の樹冠部を食べる方向に進化して行ったのが、アンキサウルスの仲間だったのである。つまり、高い樹冠部に届く様に首を長く伸ばし、またその長い首を支えられる様に体も大型化して行ったわけである。しかし、この時代には哺乳類型爬虫類をはじめ様々な爬虫類がひしめき、恐竜はまだ小数派にすぎなかった。三畳紀末の大量絶滅の後、次のジュラ紀になって恐竜の大適応放散が起こり、白亜紀と合わせて恐竜の黄金時代を現出する様になるのである。
次のジュラ紀は、今日でもメタセコイアの様な巨木にその片鱗を見せる、巨大な針葉樹類が大繁栄した時代である。当時の植生はシダ・ソテツ・トクサなど、胞子や裸の種子で殖える裸子植物ばかりで被子植物はまだ存在せず、針葉樹類は最も巨大で豊富な植物資源であった。大きな木になると高さは数十mから100m以上に達し、ジュラ紀を通じて森の樹冠部はすべて針葉樹類で構成されていたのである。こうした高所の植物資源の利用に適応し、進化して行ったのが竜脚類の恐竜であった。彼等は首を高く伸ばし、体も巨大化して行く。その代表が、雷竜の名で親しまれたアパトサウルス(旧名ブロントサウルス、名前変更の経緯については『がんばれカミナリ竜』(2-11) に詳しい)で、その名前の由来は、これほど巨大な動物が地上を歩けば雷の様な地響きを立てるだろうという所から来ている。ジュラ紀は、裸子植物の巨木の森と、高所の採食に適応した竜脚類の巨大恐竜の時代であった。一方、鳥盤類は背中に五角形の骨性の突起を持つ剣竜類(ステゴザウルス類)を進化させた。彼等は、低中層の植物を常食としていたと考えられる。長い首と尾を持つ雷竜は大きなものでは全長40mにも達し、このように巨大化する事によって高所の木の葉を食べる事ができたわけである。しかもバッカーによると、ステゴザウルスや雷竜の仲間のアパトサウルスとディプロドクスは、脊椎の腰の部分に非常に高い棘突起が発達し、これに背中の筋肉と靱帯が付着して1本の支柱で支えられた吊り橋の様に、胴体の全重量を後肢で支える構造になっていると言う。これによって彼等は後ろ足と尾で立ち上がり、より高い所の葉を食べる事ができたのである。そして短い前肢は、体の前方の体重を減らし上体を持ち上げ易くしていた。ステゴザウルスは、前肢で反動をつけて腰を中心に上体を持ち上げる事で、4mの高さまで伸び上がる事ができた。ディプロドクスが立ち上がると15mの高さになり、その近縁のバロサウルスなら17〜18mまで届いたと言う。現生のキリンでも、せいぜい6m程度しか伸び上がれない。ブラキオサウルスは立ち上がる事はできなかったが首が長く12〜13mの高さまで、最も首の短い雷竜のカマラサウルスでも8mまで届く事ができた。ジュラ紀の大型恐竜はいずれも高い木の葉を食べる動物で、後にも先にも、ジュラ紀後期の草食恐竜ほど高所の木の葉を食べたものはいないのである。しかし、これらの恐竜はジュラ紀末から白亜紀にかけて姿を消してしまう。ほとんどの草食恐竜が絶滅の憂き目に合い、剣竜は完全に雷竜もほとんどが姿を消し、これによって高い木の葉を食べるタイプは永遠に失われ、以後二度とこのような動物は進化してこなかったのである (2-6)。ごくわずかの雷竜が新しく出現したが、ジュラ紀後期の繁栄には及びもつかなかった。しかし、絶滅の嵐が通り過ぎると、新しいタイプの恐竜が大挙して現れて来る事になる。新しい時代の幕開けである。
次の白亜紀には、陸上のあらゆる所が巨大なくちばしを持つ恐竜で占められる様になった。イグアノドン・カモノハシ竜(ハドロサウルス)などの鳥脚類、アンキロサウルスなどの曲竜(鎧竜)類、そしてトリケラトプスなどの角竜の仲間である。これら白亜紀の鳥盤目の草食恐竜は、すべて地表近くの植物を食べるグループで、この大変動の背景には植物界の大変革があった。それは被子植物、即ち花を咲かせる植物の進化である。被子植物の出現はまだ謎に包まれているが、最古の化石とされる事もあるサンミゲリアは、コロラド州の三畳紀後期の地層から発見されている。しかし、ジュラ紀までの地球の植生はほとんど緑一色の世界で、それが変化しだすのは白亜紀に入ってからの事である。約1億1000万年前頃から、被子植物が突如、爆発的に適応放散を開始し、裸子植物と交替して行ったのである。これによって地球の植生は、がらっと変貌していく事になる。それは最初、低緯度地方から発生し、徐々に高緯度地方に広がって行った。
そして、それに合せて恐竜の世界も変化して行く。ジュラ紀末期に大型の竜脚類が衰退して行く一方、それまで下生えの中を走り回って、シダ類や少数の被子植物を食べていた小型の鳥脚類の中から、大型化の傾向を見せるグループが出現するのである。そして、ジュラ紀末から白亜紀初頭にかけて全世界に広がり、カンプトサウルスを生み出す。この仲間は体長5〜6m、2足歩行と4足歩行を使い分け、高所の植物を食べる時は後ろ足で立ち上がったと言う。この恐竜からさらに進化したのが、白亜紀前期の代表的大型鳥脚類のイグアノドンである。彼等は体長10m、低層から中層の植物を食べていた。ジュラ紀の竜脚類が、葉を引きちぎって丸呑みするだけで歯で咀嚼する事がなかったのに対し、鳥盤目は一般に口の中に密に並んだ多数の歯を持ち、口の中で植物を咀嚼する消化システムを進化させた恐竜だったのである。カンプトサウルスの仲間は、顔が祖先に比べてずっと長くなり、長い歯列のたくさんの歯で大量の植物を効率良く咀嚼できる様になった。また顎の先には角質のくちばしが生じ、植物を摘み取り易くなった。さらにイグアノドン類は、磨耗した歯を次々に抜け替らせる能力も発達させ、使用中の歯列の下には次の歯列が顔を覗かせる様になる。また、彼等のアゴの両側には深い袋状のへこみが有り、その端にわずかの筋肉の跡がある事から、頬を持っていたと考えられている。今日、頬を持つのは哺乳類だけで、現生の爬虫類にはいない。口の中で咀嚼する生物にとって、頬は食物がこぼれ落ちるのを防ぐ為に不可欠で、これは鳥盤目の恐竜だけが持つ爬虫類らしくない珍しい特徴なのである。白亜紀中頃になると被子植物の急速な繁栄が始まり、白亜紀後期には大適応放散が起こる。そして、白亜紀末には植生全体の80%が被子植物になってしまう。こうした変化に歩調を合わせて、ハドロサウルス類(カモノハシ竜)や角竜類など、新しいタイプの草食恐竜たちが急速に勢力を伸ばして行ったのである。カモノハシ竜は、カンプトサウルスやイグアノドンの系統の進化の流れを極限にまで推し進めた仲間で、名前の通りカモの様な幅広のくちばしを持ち、地面に口をつけて植物を食べるのに適応した恐竜であった。顎の先端にあるくちばしの後ろには、多数の予備の歯(最大2000本)が何列にも並んで、抜け落ちた歯を次々と補填できる様になっていた(デンタルバッテリー)。また角竜は、植物を引き抜くための鋭いくちばしと頑丈な歯を持ち、トリケラトプスなどの巨大な襟飾りは強力な咀嚼筋で覆われていたと言う。このように、口・歯・顎の構造を進化させた彼等は、丸呑みした植物を砂嚢ですり潰した竜脚類とは異なり、口の中で咀嚼する別の消化システムを完成させたという事ができるだろう。竜脚類化石の周辺からしばしば発見される胃石が、新型恐竜の化石からは消失している。また鎧竜やハドロザウルス類は、発達した二次口蓋を持ち、これによって食物を咬みながら呼吸する事ができる様になった (2-18)。こうして、ジュラ紀の巨大恐竜が高所の柔らかい植物を食べていたのに対し、白亜紀の鳥盤類は歯による咀嚼システムを発展させ、地表近くの繊維質に富む植物を常食とする様になっていたのである。
(注) 我々、哺乳類は下顎を左右に動かす事で食物を咀嚼しているが、イグアノドンなどの鳥脚類は独特の咀嚼方法を編み出した。イグアノドンの頭骨には、くちばしの後ろから眼窩沿いに後頭部まで顔の側面を斜めに延びる関節が有り、顎を閉じると上顎は外側に開き、上顎の歯が下顎の歯の外側にスライドして植物をすり潰す構造になっている。このため、上下の歯のかみ合わせ部分が敷石状に磨耗している。こうした独特の機構は、イグアノドンの直系の恐竜やハドロサウルス類にも見られると言う。一方、角竜類では、幅の狭いくちばしの奥に刃の様に鋭くとがった何百本もの歯がぎっしりと並び、筋肉の頬で覆われた口の中で植物を細かく切り刻んでいた。(2-12)
(注) 角竜類の襟飾りは本来、下顎の骨にかけて垂直に走る強大な側頭筋の付着面として機能し、ハドロサウルス類と同様に列をなして並び絶えず生え変わる歯に、強力な咀嚼力を与えていた。また襟飾りは、頭部を動かす強大な頚筋群の付着面にもなっていたが、これがディスプレーや体温調節の為の構造だった可能性もある。
ここで見られた草食恐竜の進化や交替は、植物界の変動に原因を求める事ができる。つまり白亜紀の植物界での大変動、裸子植物から被子植物への交替が、ジュラ紀に裸子植物を食糧としていた巨大恐竜の雷竜を絶滅に追いやり、代わって地表近くの被子植物を食べる新型の恐竜を進化させる事になったのである。また、これを裏付ける事実も知られている。南米やアジアでは、この植物界の変化が北米大陸よりもかなり遅れていた。例えば、南米のアルゼンチンでは、北米のほとんどが被子植物で覆われた時代にも大量の針葉樹の化石が見つかるが、その同じ場所からは、北米大陸ではすでに絶滅していた巨大恐竜の化石も発見されているのである。このように恐竜は、植物界の変化に合わせて次々と新しい種類の草食恐竜を進化させて来たのである。恐竜は環境の変化に対して、高い適応力を持った生物だったと言う事ができよう。
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被子植物は裸子植物に比べ極めて生産性が高く、その種子や果実は栄養に富み、環境への適応力も優れている。今日、地球上に棲息する動物のほとんどは被子植物に依存し、少なくとも高等哺乳類の中で裸子植物だけを食糧にしているものはいない。こうした被子植物の登場は、その後の地球生態系の多様性を飛躍的に増大させる事となった。被子植物の優れた点はそれだけでなく、繁殖と成長のスピードが速い事である。裸子植物はゆっくり成長し繁殖も遅い。例えば、スギやマツなどの裸子植物は、花粉がめしべに届いてから受精が完了するまでに、半年から1年という気の遠くなる様な時間がかかる。ところが被子植物では同じ作業を早いものは3分程度、遅いものでも1日あれば完了してしまう。また風媒の裸子植物は、その多くが無駄になる大量の花粉を作る為に多量のエネルギーを浪費する事になるが、花を咲かせる被子植物では昆虫が運んでくれるので少量の花粉で間に合う。被子植物はこうして節約したエネルギーを、花や果実そして成長のスピードを上げる為に使える様になったのである。
成長スピードが速いという事は、重要な意味を持っている。白亜紀に登場した新型恐竜たちは、地表近くの植物を食べていた。これは植物の側から見ると、生まれたばかりの若木を食い荒らされるという事で、重大な脅威なのである。それに対抗する手段としては、1つには出来るだけ速く成長して、草食動物に食べられる心配のない高さまで到達する事。2つ目は、十分な量の種子を散布してすばやく灌木を生やし、再び草食動物が戻って来て食い尽くす前に、新たな種子を蒔く事である。つまり、地表近くを食い荒らす草食動物に対抗するには、速く広がり、速く成長して、速く受粉する事が植物に求められたのである。そして、それを達成したのが被子植物であった。白亜紀に、地表近くの植物を採食する多様な恐竜が進化する事ができたのは、被子植物のきわめて高い成長力のおかげだったのである。もし被子植物が進化して来なかったならば、地球は彼等を維持する事などとても出来なかっただろう。(2-6)
(2-13) (2-14)
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これまで見て来た事からわかる様に、恐竜は哺乳類に匹敵するほど進化し、優れた能力を持つ生物であった。そして高い進化速度を持ち、激しく変化する環境にすばやく適応して次々と新種を生み出し、1億7000万年の長きに渡って未曾有の繁栄を誇って来たのである。ところが不思議な事に中生代末の大量絶滅では、最も進化し、環境に最も良く適応し、そして最も繁栄した生物である恐竜が狙い撃ちにされた様に絶滅している (2-3)。中生代の終わりに生存していた爬虫類は、陸上の竜盤目・鳥盤目・ワニ目・翼竜目・有鱗目・喙頭目・カメ目・始鰐目、そして海中の長頸竜目と魚竜目の10目だが、このうち生き残ったのは、ワニ目・有鱗目(ヘビ、トカゲ類)・喙頭目(ムカシトカゲ)・カメ目・始鰐目(新生代初期に絶滅)の5目である。つまり中生代末の大量絶滅は、爬虫類の中でも最も進化していた恐竜たちを絶滅させる一方で、恐竜と比べると進化の遅れていたと思われる原始的な爬虫類を生き残らせているのである。
(注) 恐竜の命名者として知られるリチャード・オーエンは、恐竜が今日の爬虫類より解剖学的にはるかに優れている事から、現在の爬虫類は中生代の恐竜が退化したものとして進化論に反対したと言う。(2-12)
ここではダーウィン理論が主張する様に、優れた形質を進化させ環境に最も良く適応した生物が生き残るのではなく、反対に最も進化の進んだ時代を代表する様な生物が滅び、逆に繁栄を誇る生物の陰でひっそりと暮らしていた進化の程度の低い、その時代にはほとんど注目される事もなかった日陰者・落ちこぼれの様な生物の方が生き残っている。つまり、ダーウィンの言う「最適者の生存」ではなく、「最適者の絶滅」が起こっているのである。このことは、絶滅した生物と生き残ったものとの体のサイズの違いにも表れている。進化と体のサイズとの間には、コープの法則と呼ばれる経験則が知られている。これは、進化は体の小さいものからスタートし、徐々にサイズが大きくなって行くというものである。実際、ある系統の動物化石を時間を追って調べてみると、初めは小さなサイズの祖先から始まり、だんだんと大きなものに進化して行く例がよくある。ゾウやウマの例は有名である。恐竜の場合もそうで、その祖先はアルゼンチンの三畳紀中期の地層から発見された、2億3500万年前のラゴスクスという体長40〜50cm、体重90〜180gのイタチ程度の二足性の肉食者か昆虫食者であると考えられている。また哺乳類も、中生代にはネズミ程度の大きさだったものが、新生代に入ってから急速に進化し大型化して行ったのである。このように、新しい系統の祖先となるものは多くの場合サイズの小さい動物で、その後生物が進化し、環境により適応することによって体が大型化して行く。そして、絶滅するのはこうした大型化した生物なのである。また環境に適応するという事は、体がその棲息環境にあったものに特殊化するという事も意味している。以上をまとめると次の様に言う事ができるだろう。大量絶滅で絶滅するのは、生存競争に勝ち残れない劣った生物ではなく、環境に良く適応し優れた形質を進化させ体も大型化した、その時代を代表する最も優れた生物、最も繁栄した生物だという事。逆に、生き残る事ができるのは、進化のレベルが低くあまり特殊化していない小型の生物、繁栄を誇る進化した大型動物の足元でこそこそと暮らしていた様な、その時代の落ちこぼれの生物の方だという事である。このようなパターンは、恐竜の絶滅だけに固有な特徴ではなく、史上幾度となく繰り返されて来た大量絶滅に共通して見られるものである。そして、大絶滅を生き残った小型の動物が、前の時代に繁栄を誇った大型動物の大量絶滅後、空き家だらけになった生態系に大適応放散を行い、急速に進化して新しい系統を大量に生み出して行く事になる。このように大進化は、大量絶滅後に生態系にできた空白への急激な適応放散が引き金になって起こるのである。
(注)ラゴスクスは槽歯類とされる事もあるが(‐スクスは槽歯類を表す)、S字状の首と中足根骨性の足首を持ち、趾行性の直立歩行を行う事から最初の捕食恐竜と考えられる。恐竜も最初は肉食者として登場して来るわけである。また、これは地球の歴史上初めて直立歩行を行った動物でもある。ところで、ラゴスクスは最古であると同時に最小の恐竜だが、一方、最も新しいティラノサウルス・レックスは同時に6〜12トンもある最大の捕食恐竜で、両者のサイズには6万倍もの開きがあった。
恐竜の絶滅が彼等より優れた生物、即ち哺乳類が進化して来てそれとの生存競争に敗れた結果、起こったものではない事も明白な事実である。実は、恐竜も哺乳類もほぼ同時期、三畳紀中期から後期にかけて出現しているのである。しかし巨大化し大繁栄した恐竜に対して、中生代の哺乳類は多丘歯類を除き夜行性で、大きさもネズミ程の昆虫食者にすぎなかった。また、植物食だった多丘歯類は白亜紀には様々に分化し、白亜紀末にはウサギ大に迄なったものもいるが、臼歯の形から彼等は大きさや形だけでなく生活も現在のネズミに良く似ていたと言われる。そして、北アメリカやモンゴルの白亜紀末の地層から発見される、食虫類のトガリネズミに似た動物の化石が、現生哺乳類の大半を含む真獣類の祖先だと考えられている。このように哺乳類は、中生代を通じて巨大化した恐竜の足元で夜陰に隠れてこそこそ生活していたネズミ程の生物であり、繁栄を極めた恐竜たちの競争相手などでは決してなかったのである。ましてや生存競争で恐竜を打ち負かし、絶滅させるなどは以ての外の事であった。我々の祖先たちは、草かげから恐竜たちの凄まじい闘いや、その壮絶な最後を盗み見していたに過ぎないのである。こうした当時の生活のなごりは、哺乳類の色覚に今も残っている。恐竜の全盛時代、夜行性だった哺乳類は、恐竜の絶滅後に初めて光の世界に出て来るわけだが、当時のなごりとして彼等の多くは網膜に色を感じる感覚細胞を持たず色盲なのである。
このような日陰者にすぎなかった哺乳類が新生代に入って大発展し、地上の支配権を獲得する事が出来たのは、中生代の支配者であった恐竜たちが白亜紀末に絶滅してしまったからに他ならない。これによって哺乳類は、支配者のいなくなった地上で、だれに邪魔される事もなく急速に適応放散する事ができたのである。もし、中生代末に恐竜が絶滅していなかったならば、今日の哺乳類そして人類の発展は決してなかったであろう。
ところで、ネズミ程の大きさに過ぎなかった哺乳類が、大適応放散を開始して急速に進化し大型化するのは、実は白亜紀末に恐竜が絶滅してからしばらく後の事である。つまり、哺乳類との生存競争説は時間的にも成り立たないのである。恐竜の絶滅により、新生代初めの地上には目立つ大型動物はいなくなってしまった。哺乳類はまだ大きいものでもネコ程度で、生き残っていた爬虫類のワニは水辺を離れる事なく、広大な大陸は小さな脊椎動物と昆虫だけの世界となっていたのである。このがら空きの生態系に最初に進出したのが、白亜紀に充分成長していた鳥類であった。彼等は、競争相手のいなくなった地上に次々と舞降り、空を飛ぶ事を見限って巨大化して行った。鳥類は空を飛ぶ必要から大きくなれなかったが、元をただせば恐竜である。暁新世のディアトリマは高さ2m、大きな鋭い爪の付いた太い脚と先の曲がった巨大なくちばしを持つ強力な捕食者であった。始新世、哺乳類の成長と共に彼等は姿を消すが、哺乳類の来なかった離れ島で鳥類王国の子孫は生き残った。マダガスカル島の象鳥エピオルニスは体高2.7m体重450kg、ニュージーランドの恐鳥モアは体高3.9m体重230kgで、共にごく最近まで生存していたのである。(2-3)
そして、地上に下り立った鳥たちの後を追って、この巨大な生態系の空白に適応放散を開始したのが我々真獣類の祖先なのである。真獣類は様々なグループを生み出し、目の数は28にもなった。その内12目が絶滅し現生は18目である。真獣類の適応放散は暁新世と中新世の2回に渡って行われ、第2次放散の行われた中新世には現代のほぼ総てのグループが出揃い、真獣類の全盛時代を迎える事になる。次の鮮新世には、今日の有蹄類の主流である偶蹄類が爆発的に分化し、それに合わせて肉食獣もライオンからイタチまであらゆる種類が出揃う。こうして現在、我々の見慣れた真獣類の世界が誕生するのである。しかし、この鮮新世を頂点に真獣類の王国もかげりを見せはじめ、氷河時代として知られる次の第四紀更新世に入るとこの傾向は一層強まり、特に奇蹄類と長鼻類が著しく衰退する。あれほど繁栄したゾウはマンモスをはじめとしてそのほとんどが絶滅し、サイは5種に減少、ウマもその進化の中心地であった北米では絶滅して、アジア・アフリカに逃れたウマ・シマウマ・ロバが生き残っただけである。一方、この時代にはヒトが急速に進化し、人類の時代へと入って行く事になる。
このように、恐竜の絶滅は哺乳類との生存競争に敗れた為ではなく、逆に哺乳類の進化の方が恐竜絶滅の結果として生じている。つまり、中生代の支配者であった恐竜が絶滅した事により生態系に大きな空白が生まれ、その結果そこに哺乳類が適応放散する事が可能となったのである。こうして哺乳類は競争相手のほとんどいない所で、急速に進化する事になる。即ち、生存競争が進化を生み出すのではなく、反対に生存競争のない所、あるいは生存競争の弱まった時にこそ進化は起きているのである。言うなれば、哺乳類の進化は恐竜の絶滅のおかげなのであって、もし中生代末に恐竜が絶滅しなかったならば、哺乳類は適応放散の機会を与えられず、未だに恐竜の足元をこそこそ動きまわるネズミ程度の生物に過ぎなかっただろう。逆説的だが、生物の大絶滅こそが急激な進化を可能にしているのである。史上幾度となく繰り返された大量絶滅がなければ、生物はこれほどまでに急速に進化する事はできなかっただろう。
これと良く似た事が、熱帯雨林でのギャップ形成の時に見られる。ギャップというのは、ハリケーンや落雷、立ち木の倒壊、または人間活動などによって、熱帯雨林が部分的に被害を受けた時にできる林内の空き地の事である。
熱帯雨林というと、つる植物や低木が絡まり合い、山刀を振るって道を切り開かなければ通り抜けられない、緑のジャングルを思い浮かべるかも知れない。しかし本当の熱帯雨林は、根元から張り出した板根に支えられた巨木が太陽の光を求めてより上へと伸び上がり、地上数十mで傘を広げた様に枝を伸ばして鬱蒼と繁った緑の林冠部を形成する為、日光は遮られてほとんど林床まで届かない。この結果、林内は驚くほど暗く、小さな木漏れ日が林床の所々を照らしているに過ぎない。この暗さが下生えの密生を妨げ、林床には下生えや薮は少なく、熱帯雨林の巨木の間を歩き回るのは意外に簡単なのである (2-15)。つまり、熱帯雨林では日光が地上まで充分に届かず、新しい植物が種から芽吹き、若木に成長する事が抑制されているのである。これは安定した熱帯雨林では生態系の中に空き地がなく、そのため新しい植物が進出する余地がないと考える事もできよう。
ところが、熱帯雨林の樹木は周期的に倒壊する。人間や風による事もあれば、シロアリの食害や着生植物の重さ、老齢によって倒れる事もある。こうして熱帯雨林の樹木が倒れると、林冠部に隙間ができてギャップが形成されるのである。このギャップには様々な大きさのものがあり、超高木が倒れると木生つる植物で結び付けられた何本もの木が道連れになり、あるいはハリケーンによって数百エーカーもの熱帯雨林が破壊され、巨大なギャップができる事もある。ギャップには太陽光が降り注ぎ、気温や土壌の温度・湿度の変動幅も大きくなり、林冠部の塞がった場所とは異なる局地的な気候条件が生み出される。こうしたギャップの形成は、それ迄成長を抑制されて来た、日当たりの良い場所で急速に成長・繁殖する植物に絶好の機会を与え、これらの植物が新たにできた生態系の空隙に向かって一斉に進出して来る事になる。彼等は普通日陰では生育が困難で、ギャップが形成されるまでは若木の状態、あるいはパイオニア種の様に種子のまま地中で長期間耐え忍んで来た。そのため林冠部を覆う巨木が倒れ、林内に太陽光が差し込むと、少しでも日当たりの良い場所を求めて一斉に発芽・成長を開始するのである。こうしてギャップでは種の多様性が著しく高くなり、林床部に幹の細い樹木や低木、つる植物の絡まり合った植生が形成される事になる。これがいわゆるジャングルで、ギャップは緑の絨毯ですばやく覆われてしまう。そして、このジャングルを通り抜けるのに山刀が必要となるのである。
しかし、パイオニア種は強い光の下では急速に成長するが日陰には弱い。そのため後からギャップで発芽し、ゆっくり成長する2次林種が出てくると、ジャングルを形成した植物はこれと競合して駆逐されてしまう。こうしてジャングルはいずれ、再び元の薄暗い森林に戻る事になる。つまりジャングルとは、極相へ向かう遷移の途中にできる一時的な植生に過ぎず、普通は人為的な伐採により熱帯雨林が切り開かれた結果、生態的遷移が始まった地域の事をさしている。
こうしたギャップ形成は、熱帯雨林では普遍的に見られる現象で、そのため多くの植物がそれに依存した生活を送っている。熱帯雨林の樹木の約半数は、その生活史の1段階をギャップに依存しているとも言われる。その中には、ギャップができるまで芽生えや若木で待機する高木種や、攪乱によってできた荒れ地にいち早く進出するパイオニア植物も含まれる。彼等はギャップという生態系の乱れ、生態系の小さな空き地の出現がなければ、決して先住者を押しのけてまで進出し成長する事は出来ないのである。もし攪乱が生じず、生態系が静止した安定状態にあるとするならば、これらの植物の出番は全くない事になる。しかし、それは原理的にあり得ない。安定状態にあるように見える熱帯雨林でも、植物は太陽光を取り入れ光合成をして常に成長している。ところが成長には、物理的・空間的にも自ずと限界が存在するのであって、生態系は自らその安定性を破る原因を作り出していると言う事もできる。つまり生態系は、本質的にその攪乱要因を自己の中に内包しているのである。攪乱や変動は、生態系本来の在り方なのであって、攪乱を内包した動的安定こそ生態系の本質と言う事ができよう。生物の進化も、大量絶滅といった生態系の変動が繰返し起こる事によって、可能となっているのである。
恐竜の絶滅とその後の哺乳類の進化に見られたパターン、即ち、環境によく適応し繁栄した生物つまり適者が滅び、その大量絶滅後に生き残った小型の進化程度の低い、前の時代には落ちこぼれの日陰者に過ぎなかった生物が、絶滅の結果生じた生態系の空白に、競争相手のいない中で急速に適応放散して進化するというパターンは、中生代末の恐竜の絶滅に限った事ではない。それは史上幾度となく起こった大量絶滅の度ごとに、繰り返されて来たのである。
先に恐竜の絶滅時の状況を見たわけだが、実は同じ事が恐竜の登場時にも起きているのである。新生代は哺乳類の時代で、その前の中生代が恐竜の時代であった事は良く知られている。つまり、進化は爬虫類から哺乳類へと進んで来たわけで、これは進歩した哺乳類が遅れた爬虫類に取って代わったという事で我々にも理解しやすい。しかし、実は恐竜の王国の成立以前に、獣弓類として知られる哺乳類型爬虫類の王国が存在していたのである。しかも、三畳紀末に絶滅する頃までには、ほとんど哺乳類と変わらない所まで進化していたと言われる。以外な事だが、より進化しているはずの哺乳類が爬虫類に取って代わられる事によって、中生代の恐竜王国は誕生したのである。
最初の両生類が現れるのは、古生代のデボン紀後期の事である。当時、気候は次第に寒冷化し、乾燥と海退の後に氷河期がやって来たことが分かっている。この乾燥化の進展の中で魚が上陸を果たしたと考えられる。両生類には草食性の種がいないので、昆虫などの無脊椎動物を追って陸に上がったのであろう。次の石炭紀(3億6000万年〜2億9000万年前)前期には、この両生類が陸性脊椎動物として初めての適応放散を開始、多種多様なものを生み出して両生類時代が始まる。そして、ほぼ同時期に最初の爬虫類も出現している。適応放散した両生類の中に初めから陸を目指す仲間がいたわけである。こうして誕生した爬虫類だが、分化・放散を始めるのは次のペルム紀(2億9000万年〜2億5100万年前)に入ってからである。石炭紀には低い陸地しかなく、地球全体が地形的・気候的にも均一で、高緯度まで熱帯的な環境が広がり、至る所に沼沢が存在していた。こうした環境の下で両生類の大規模な適応放散が起こり、陸上動物相のほとんどを両生類で占め、爬虫類はまだ取るに足らない存在に過ぎなかった。ところが、次のペルム紀に入ると大陸地域が隆起を始め、石炭紀の一様性に代わって多様な気候条件と生活環境が出現し、こうした変化に富む環境条件の中で爬虫類が急速に適応放散し勢力を伸ばして行く。爬虫類時代の始まりである。そして、ペルム紀後期には爬虫類が圧倒的に優勢となる一方、両生類は数を減らし、中生代の三畳紀には多くが再び水(淡水)の中に戻って行くのである。ところで我々の先祖の単弓類(亜綱)は、カメや双弓類が分岐する以前に有羊膜類の基部から分岐しており、進化の極初期の段階で他の爬虫類と分かれていた様である。つまり、恐竜などの爬虫類と哺乳類は、爬虫類の起源の頃から早くも袂を分かっていた事になる。
(注) スコットランドで発見された石炭紀前期のウエストロシアーナ(体長15cm)が、最古の爬虫類である可能性が高いと言う。すると、デボン紀後期の両生類の進化から有羊膜卵を生む爬虫類の誕生まで、ごくわずかの時間しかかかっていない事になる。(2-16)
(注) 石炭紀前期は広大な地域に海が広がった時代で、当時の陸成層はほとんど残っていない。しかし、石炭紀後期になると広大な大陸地域が出現して沼沢地や森林が発達、その陸成層から初期の陸生脊椎動物の化石が産出する。当時、北アメリカとヨーロッパ中部のつながった赤道地帯には多くの低湿地があり、初期の両生類・爬虫類の生息地となっていたのである。(2-17)
(注) 古生代後期から三畳紀の両生類には海生のものはほとんどいず、最初に海生四肢動物として大発展したのは爬虫類であった。
(注) こうした爬虫類や単弓類の出現にも、進化で繰り返し現れるパターンを見る事ができる。つまり、初期の進化でその時代の主な分類群が一挙に出揃ってしまい、この生物相の絶滅までは大きな進化は起こらない。そして、絶滅を生き残った少数の分類群が再び急激な適応放散をして、次の新たな生物相を短期間に生み出すのである。
最古の単弓類は、石炭紀後期に現れた体長60〜70cmのイグアナに似たアーケオシリスで、すべての哺乳類の共通祖先に当たる。これは背中に高い帆を持つ帆かけ竜の盤竜類(目)の仲間(帆のないものもいた)で、この帆には大量の血液が供給される様になっており、体温調節に利用されたものと考えられる。盤竜類はペルム紀に最も繁栄した爬虫類で、ペルム紀初期に陸上の支配者となったディメトロドンは、体長 3.5m、帆の高さ1m、体重 200〜300kgで、我々哺乳類と同様に門歯・犬歯・臼歯と分化した歯を持つ当時最強の肉食動物であった。しかし、盤竜類の脚は体側に突き出た関節がくの字型に曲がった構造で、これでは身体を地面から高く持ち上げる事は出来ず、体をくねらせて這いまわり、よたよた歩くのがせいぜいであったと思われる。また彼等は進化速度が遅く、種分化の率も低く、ディメトロドンやその草食性の仲間のエダフォサウルスなど主な属は2000万年も生き続けた。恐竜や哺乳類の属の寿命と比べると、はるかに長寿命である。その結果、大型草食動物はディアデクテスの1属のみ、大型肉食動物もディメトロドン1種類だけという様に、極めて貧弱な生態系を形成していたのである。
(注) 最初に地上に現れた爬虫類は、歯の構造や顎の筋肉系などから昆虫や節足動物を食べていたと考えられる。現生の昆虫食の動物は一般に多数の小さい円錐形の歯を持つが、石炭紀の両生類や爬虫類も皆このような歯を持っているのである。つまり、陸への進出は肉食動物によって行われたわけだが、一方、地上で最初に植物食という新しい食性を開拓した脊椎動物が、独自の顎と歯の構造を進化させたエダフォサウルスなのである。(2-16)
ところが、ペルム紀中のカザン期に大変革が起こる (2-6)。初期の哺乳類型爬虫類が猛烈な勢いで進化し、陸生動物の爆発的な適応放散が起こるのである。彼等が単弓類のもう1つの仲間の獣弓類(目)で、最初はオオカミ程度の大きさの肉食動物であったが、急速に版図を拡大し様々な生態系のニッチに進出して行った。大型から小型まですべての肉食動物、そして草食動物もほとんどがこの哺乳類型爬虫類の仲間で占められ、非常に多くの小型の食虫性の種も進化させた。この時代以前の生態系では、1つの科の中にこれほど多くの新種が分化して来た例はないと言う。当時の哺乳類型爬虫類の化石を大量に産出する南アフリカのカルー赤色砂岩層からは、4科8〜10種の肉食動物と5科20種以上の草食動物が発見されている。この獣弓類は、数百万年で新種に置き換わるという我々哺乳類と変わらないほど進化速度が速く、また成長の速い事を示す骨の微細構造を持つ最初の脊椎動物でもあった。しかも彼等は、四肢の構造の改良にも成功する。石炭紀の動物は、腰の関節が非常に浅く大腿骨からの圧力を充分に受け止められず、また脛前面の骨の稜の発達が弱く、膝を伸ばす筋肉の付着部として充分機能していなかった。そのため、よたよた歩くのが精一杯だったのである。ところが、カザン期の獣弓類は肩と腰の関節をより深く、そして膝の筋肉を支える骨の稜を巨大化させる事によって、早く跳ぶように走る事ができる様になった。石炭紀のよたよた歩きから、トロットで走る時代へと変わったのである。こうして肉食性の盤竜類から進化して来た獣弓類は、ペルム紀後半から三畳紀(2億5100万年〜2億年前)にかけて、アジア・北アメリカ・ヨーロッパなど広範な地域で大発展をする。恐竜が登場するよりずっと以前に、哺乳類型爬虫類の王国が誕生したのである。そして、ペルム紀末には草食性のディキノドン(2本の牙を持つ動物の意)の仲間だけで、地上の動物人口の大半を占めるまでに繁栄する事になる。
(注) カルー盆地南西のペルム紀後期の地層では、全脊椎動物化石の48%が小型のディキノドンのディイクトドンだけで占められ、ディキノドンの仲間だけで当時の陸上四足動物の70%を占めていたと言う。また、小型のディキノドンは地面にらせん状の穴を掘って生活し、子供の化石が固まって発見される事から巣の中で育児行動をしていたらしい。
しかし彼等も、ペルム紀末の大量絶滅で大きな被害を受ける。ペルム紀前期の覇者あった盤竜目に代わり中期以降大繁栄した獣弓目の多くが、この時に絶滅するのである。ペルム紀末には50属にまで分化、繁栄したディキノドン類も、ほとんどが絶滅した。大量絶滅直後の三畳紀初期の動物相は極めて貧弱で、ごくわずかの哺乳類型爬虫類しか存在せず、生き残った動物相はこの時代に最も多く産出する動物にちなんで、リストロサウルス動物相と呼ばれる。中型ディキノドンの仲間のリストロサウルスは体長約1mのずんぐりした草食動物で、当時、超大陸パンゲアが形成されていた関係で、中国・インド・アフリカ・南極大陸など多くの大陸から化石が発見されている。絶滅で2属にまで減ったディキノドン類も、三畳紀前期には再び8科83属まで多様化し、個体数と分布域を拡大して地球上で最も成功した植物食爬虫類として繁栄を取り戻すが、三畳紀後期には他の爬虫類のグループが進出し、哺乳類型爬虫類は徐々に衰退して行く事になるのである。
三畳紀初期には、ペルム紀末の大量絶滅によって生じた生態系の空白に乗じて、2つの新しいグループが適応放散を開始する。1つは、オオカミ程の大きさの肉食性でイヌに似た顔つきのキノドン類(下目)。これは総ての真性哺乳類の直接の祖先となるグループで、ずんぐりしたディキノドン類と違い細身のスマートな体形で早く走れる様に四肢も細く、オオカミそっくりな歯を持っていた。キノドンは、体毛や直立歩行・内耳構造など哺乳類を特徴づける様々な形質を進化させ、恒温動物への階段を確実に上りつつあった、ほとんど哺乳類と変わらない程に進化した優れた動物だったのである。もう1つ、勢力を拡大したグループが、後にワニや翼竜・恐竜を進化させる事になる初期の主竜類の槽歯目である。その代表がベニイロワニ(エリスロスクス科)で、体重 500kg、1m近くもある頭にはノコギリの様な歯を持つ、当時最強の肉食動物であった。ペルム紀とはうって変わり、三畳紀の温暖で乾燥した気候の中で初期主竜類は徐々に版図を拡大し、キツネ程度からホッキョクグマサイズまで、中・小型の肉食動物の地位を確立して、体重も1kgから 500kgに及ぶいろんな種類を生み出して行った。一方、キノドン類は主竜類の勢力拡大と共に衰退し、三畳紀中期までに小型の肉食動物と草食動物に後退してしまうのである。
しかし三畳紀後期の時点では、地上には哺乳類型爬虫類のディキノドン・キノドン、それにワニに似た槽歯類など様々な爬虫類がひしめき、恐竜はまだ地上動物のわずか6%程を占める少数派にすぎなかった。恐竜が他の爬虫類を圧倒して支配権を確立するのは、前後2回にわたって起きた三畳紀後期の大量絶滅によって、ほとんどの哺乳類型爬虫類や槽歯類が絶滅して後の事である。その結果、生じた生態系の空白に急速に適応放散する事により、恐竜はごく短期間で地上の支配権の獲得に成功する。それは生存競争で体制のより進んだ恐竜が勝ち残った結果ではなく、単に他の爬虫類の絶滅のすきをついた乗っ取りに過ぎなかったのである。三畳紀末の大量絶滅の結果、ジュラ紀が始まった時には陸生の生態系は四肢動物が異常に乏しく、占めるものが誰もいない空き家だらけになっていた。そういう絶好の生態系の空隙に、新種が群がって押し寄せたのである。恐竜は三畳紀後期には少数派に過ぎなかったが、次のジュラ紀には地上の大型の肉食性・草食性動物の地位は、どれも恐竜の仲間によって占められる様になった。こうしてジュラ紀には、ワニ・翼竜・恐竜・長頸竜といった新型の爬虫類が爆発的に発展を始めるのである。哺乳類の急激な進化が、中生代末に恐竜が大量絶滅した後の生態系の空白への適応放散により起こったのと同じ様に、恐竜の進化も三畳紀末の大量絶滅で、哺乳類型爬虫類や初期の主竜類がその占めていた生態地位(ニッチ)を解放する事によって、初めて可能となったのである。
(注) ジュラ紀の始まりと共に海進が起こり、三畳紀後期に一旦広がっていた大陸地域の上にも浅海が侵入して来た。ジュラ紀は現在より季節性が弱く、安定した暖かい時代だった事が分かっている。こうした地球規模の高い海水準と温暖な気候の下、熱帯性低地や湿地が広がりを見せる中で恐竜が適応放散し、その支配権を確立して行くのである。
(注) 約2億2500万年前に起きたこの大量絶滅により、植物界もシダ種子植物植物相(シダ種子植物・トクサ・ソテツ類・イチョウ類・針葉樹で構成)のほとんどが絶滅し、他の針葉樹やベネティテス類(大型のソテツに似た植物)に置き換わった。
生態系にできた巨大な空白への適応放散によって、急激な進化が起こった例としては、有名なカンブリア爆発を忘れるわけにはいかない。
地質年代は古生代・中生代・新生代と分けられるが、5億4500万年前に始まる古生代以前は、先カンブリア時代(Precambrian)として一括してまとめられて来た。これは古生代最初のカンブリア紀以前の時代という意味で、地球の年齢は約46億年だから、地球の歴史の88%が先カンブリア時代という事になる。これは40億年もの長さで、古生代3億年、中生代1億8000万年、新生代 6500万年と比べると桁外れに長い期間である。このような事になったのは、地質年代が地層に含まれる化石によって区分されている事による。以前には、先カンブリア時代の地層からは生物化石が見つからず、古生代に入って突如として大量の多細胞生物の化石が出現していた。従って、かっては古生代の一番古い多細胞生物の化石が、地球最古の生物化石だったのである。こうして先カンブリア時代は、地球の歴史の大半を占める生物の存在しない時代として、ひとまとめにされていたのである。そして、古生代に入るやいなや突如として完成した複雑な形態を持つ多細胞生物が出現する事は、進化論に対する有力な反証とも考えられていた。ダーウィンも、これを自分を最も悩ませた問題の1つとして『種の起源』の中で取り上げ、化石記録の不完全性といういつもの論拠を持ち出しているが、最後には「現時点では説明不能」(2-20) と認めざるを得なかった。
(注) 先カンブリア時代の地層は、化石に乏しいだけでなく変形・変性が著しい。また、鉄・マンガン・鉛・亜鉛・ニッケル・コバルト・金・白金・ダイヤモンド・ウランなどの重要資源の多くは、この時代の地層に埋蔵されている。(2-22)
現在、最古の生物化石は、西オーストラリアのノースポールの、チャートと呼ばれる深海底で堆積する硬い堆積岩の中から発見された、35億年前の球状あるいはフィラメント状の微化石で、その大きさと形からバクテリアの化石とされている。フィラメントの長さは0.1mm程度で、外壁に多くのくびれが発達したサナダムシの様な節構造が認められ、こうした外部形態からかなり進化した生物であったと思われる。また、サイズも現生のバクテリアとほぼ同じである。
(注) かって、この化石は酸素発生型光合成をするシアノバクテリア(ラン藻)のものと考えられていた。というのは、化石産地の近くからストロマトライトと呼ばれる、シアノバクテリアのコロニーの作る堆積構造が発見された為である。ところが近年になって、このストロマトライト様の構造は、深海底の熱水が噴出する環境下で無機的に沈積した結晶の集合体と判明し、その結果、シアノバクテリアの作った最古のストロマトライトは27億年前のものという事になった (2-21)。しかし、遅くとも35億年前頃にはすでに光合成が始まっていたと推定され、シアノバクテリアの出現もその頃と考えた方が良いだろう。
35億年前からさらに遡る生命の痕跡としては、グリーンランド南西のイスア地方にある38億年前の最古の堆積岩から、細菌(バクテリア)とおぼしき微小化石が発見されている。そしてこの最古の地層には、生命活動の化学的痕跡も残されている。ここの堆積岩は生物起源のリン酸塩鉱物を普遍的に包含し、チャートに含まれる炭化水素化合物の炭素同位体比は生物の存在を示唆している。生物の行う光合成では炭素の同位体の中でも軽い炭素12が特異的に利用され為、光合成が行われると堆積物中の炭素13に対する炭素12の比率が高くなるが、イスア統の岩石はこの生命活動の産物と考えられる炭素12を高い割合で含んでいると言うのである。以上の事を考え合わせると、生命の誕生は地球表層部の環境が安定化する、約40億年前頃と推定してもよいだろう。
しかし、地球の歴史のほとんどを占める先カンブリア時代の地層から出て来るのは、細菌や藻類の化石ばかりで、多細胞生物の化石は世界的にもごくまれにしか発見されていない。約40億年前の生命誕生後、真核生物が出現するのが21億年前、そして多細胞生物が現れるのは10億年前と考えられている。つまり生命の歴史の内、最初の19億年間、約1/2は原核生物であるバクテリアだけが棲息していたのであり、30億年間、3/4は単細胞生物のみの世界だったのである。ところが5億4500万年前、カンブリア紀が始まると様相は一変する。多種多様な海洋生物が突如出現し、今日地球上に見られる動物の「門」、即ち生物の体の基本構造プランのほとんど総てが、このカンブリア紀のほんの2000〜3000万年間に出揃ってしまう。この中には我々脊椎動物の祖先も含まれている(最近、中国の雲南省で5億3000万年前の原始的な魚の無顎類の化石が発見された)。カンブリア紀以前にはほんの数十種類に過ぎなかった生物の種類が、この時代に一気に1万種類近くにまで拡大するのである。現在、世界中のこの時代の地層からは大量の化石が発見されている。そればかりでなく、現在では全くそれに類するものが存在しない完全に絶滅した門も、この時期には多数出現していた。このカンブリア紀初めに起こった空前絶後の進化の爆発現象を、カンブリア爆発と呼んでいるのである。
このカンブリア爆発の当時の状況を最も良く保存しているのが、スティーブン・J・グールドの『ワンダフル・ライフ』で広く知られる様になった、バージェス頁岩動物群である。現生の多細胞生物のグループが化石記録中にはっきりと現れるのは5億年4500万年前の事であるが、その出現の仕方は徐々に数を増して行ったのではなくごく短期間に爆発的に起こったのであり、このカンブリア爆発によって現生する主要動物グループの事実上の総てが、地質学的にはあっという間に出現したのであった。これほど多様な生物の分類群が一時に出現するには、それ以前に長い初期進化の時期が必要と思われるが、不思議な事に先カンブリア時代の地層からは、これらの動物との類縁関係を示す様な化石は全くと言っていいほど見つかっていない。しかも注目すべきは、単に短期間で集中的に起こったという事だけではなく、出現した生物の驚くべき多様性である。カナディアン・ロッキー山中で発見されたバージェス頁岩層(5億3000万年前、カンブリア紀中期)は、カンブリア爆発が終了した直後の時代に地球の海に棲息していた動物達を今に伝えているが、そこには海綿動物から脊索動物まで119属140種もの極めて多様な生物が含まれている。グールドによると、このブリティッシュ・コロンビア州のたった一ヶ所の化石発掘場から出土した生物の多様性は、現在の海洋に棲息する無脊椎動物すべてを合わせた解剖学的デザインの幅をも凌駕していると言う。全部で30の門に区分された動物群のうち、約2/3の19は既知のどの門にも属さない、まったく別個のグループであった。また既知の動物門に分類できる種でも、その解剖学的デザインは現生種の枠組みをはるかに越えている。例えば、バージェス頁岩からは、今日の節足動物門の主要な4グループを代表する初期の種が見つかっている。三葉虫類・甲殻類(カニ、エビなど)・鋏角類(クモ、サソリなど)・単枝類(昆虫など)で、今日100万種あまり知られている節足動物の総ては、この4主要グループに収まっている。ところがバージェス頁岩からは、このいずれにも入らない節足動物が20〜30種類も見つかっているのである。さらに119属に分類されたほとんどが1属1種からなり、高次の分類単位で現在より多様性に富んでいた事が分かっている。バージェスの時代にはユニークな解剖学的デザインが極めて多数存在し、また現在の地球でお馴染みのグループも、今の枠組みを越える多様なデザインを実験中であった。生命の進化史の中で「解剖学上の多様さの幅が最大に達したのは、多細胞生物が最初の多様化を終えた直後の事だったのである。………なるほど現在の地球は、かってなかったほど多数の種を擁しているかもしれない。しかしその大半は、解剖学的に見ると少数の基本的デザインの繰返しである。分類学者は50万種以上の甲虫を記載しているが、そのほとんどすべてはただ1つの基本設計図に最小限の変更を加えたコピーにすぎない。………バージェスの海にくらべると、今日の海洋に生息する動物は、種数こそ多いものの、それらの土台となっている解剖学的な設計プランの種類ははるかに少ないのだ」。(2-23)
カンブリア爆発で一気に出現し、カンブリア紀だけで絶滅し消えて行った奇妙な動物たちと同時に、カンブリア紀には現在の動物界につながるほとんど総ての門、つまり生物の基本型も生み出されている。例えば、カナダスピスはエビやカニの仲間の甲殻類、サンクタカリスはサソリやクモ、アユシュアイアは昆虫、ゴジアはヒトデやウニ、そしてピカイアは現在のナメクジウオに似た脊索動物で、脊椎動物の祖先に近い生物と考えられている。これらの生物の子孫たちは、その後の進化により外見上の形は変わって行くが、基になる基本構造は驚くほど変わっていない。そういう意味では、このカンブリア紀以後の進化はマイナーチェンジでしかなかったのである。
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バージェス動物群には現生生物の祖先型だけではなく、現生種との類縁関係もはっきりしない、奇想天外な形態を持つ奇天烈動物たちが数多く含まれていた。例えば、体長5〜6cmのオパビニアは、多数の体節に分かれた胴体の両側に葉状の遊泳肢を持ち、これで海底近くを泳いでいたのだろう。頭にはドアのノブ状の5つの飛び出した目を持ち、さらに頭の先からは胴体の長さの半分近くもある象の鼻の様な器官が伸び、その先端に付いたハサミで食物をつかみ口に運んでいたと考えられている。また、カンブリア紀中期最大の捕食動物であったアノマロカリス(「奇妙なエビ」の意)も、分類不能動物の1つである。体長約60cm、大きな頭部と尻すぼみの胴体から成る水滴を縦割りにした様な形で、明白な体節はなく、胴体の両側にずらりと並んだ三角形のヒレを波打たせて遊泳していたらしい。頭部の下側にはパイナップルを輪切りにした様な丸い口を持ち、頭部の先端に有る2本のエビの尻尾の様な付属肢を使って獲物を捕らえて食べていたと考えられている。「幻覚が生んだ動物」と言う意味のハルキゲニアは、体長3cmに満たない底生生物で、背中に7対の細長い針の様なトゲを持ち、棒状の胴体から伸びる8対の足で海底を歩いていた。オドントグリフス(「歯の生えた謎」の意)も分類不明の奇妙な生物である。体長6cm、体全体が薄っぺらい草履の様な形で、この体全体を波打たせて泳いでいたらしい。そして、小さな丸い口の周りには長さ0.5mmほどの歯の様なものが約25本生えているが、これは歯というより触手を支えるための支柱だったと考えられている。エビの様な形の頭と魚の様な胴体を持つネクトカリスも分類不明生物で、節足動物の頭と脊索動物の胴体が合体してできた様な不思議な生物なのである。胴体は40余りの体節で構成され、背中と腹にはヒレの様な帯状のものが付いている。
これ以外にもバージェス動物群には、まだまだ得体の知れない奇妙な生物が数多く存在する。これらの生物は現生生物との系統関係が全く不明で、当時無数に現れた進化の試行錯誤の産物だと考えられている。カンブリア紀初めから中期にかけて、全世界で多様な進化の実験が繰り返され、膨大な数の科や属が出現しそして消えて行った。今日、バージェス動物群と同時期もしくはその前後の化石を集中的に産出する地域が、アメリカ・スペイン・ポーランド・南オーストラリア・シベリア・中国など、世界中に40ヶ所近くも知られている。それらは、当時この様な進化の大実験が、地球上の至る所で行われていた事を物語っている。(2-24)
(2-19) (2-23) (2-24)
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(注)カンブリア紀初期の生物化石は、中国の雲南省からもバージェスよりもさらに古い澄江(チェンジャン)動物群が発見されている。
では何故、この時期に進化史上最大の試行錯誤と言われるほど、多様な生物が短期間に爆発的に出現したのだろうか。まずこの背景には27億年前以降、シアノバクテリアの光合成によって大量の分子状酸素が放出され、海洋に酸素が蓄積して来た事があげられる。生物誕生以前の地球では、大気中の酸素濃度は紫外線による光分解によるものだけで、現在の1万分の1以下であったと言われる。今日、大気中に大量に存在する分子状酸素は、生物の光合成によって生み出されて来たものなのである。
古代の海に、この酸素が蓄積して行った事を示す証拠として有名なのが縞状鉄鉱層である。これは鉄に富む暗い層と、シリカに富む明るい層が何万回も繰り返し堆積して縞状になった地層で、世界の大陸の中核部を作る楯状地に広く分布している。この縞状鉄鉱層は、厚さ 200m、幅数百kmにも及ぶ大規模なもので、世界の鉄鉱石の60%以上を供給していると言われる。そして不思議な事に、この縞状鉄鉱層が形成されたのは、原生代初めの38億年前から19億年前の時代に限られているのである。これは、シアノバクテリアによる分子状酸素の発生と、その海洋への蓄積に関係している。鉄には2価と3価のものが有り、2価の鉄は水に良く溶けるが、酸化されて3価になると不溶性となり沈殿してしまう。縞状鉄鉱層は、シアノバクテリアの生み出した酸素が、海洋に溶けていた2価の鉄を酸化、沈殿させる事によって形成されたものなのである。ところが19億年前になると、海洋に溶けていた鉄のほとんどは沈殿してしまい、その結果、縞状鉄鉱層の形成も終わる。そしてこの時、海は黒色から現在のような青い海へと大きく変貌したと言う(鉄の晴れ上がり)。これ以後、海洋で消費されなくなった酸素は、大気中に放出され急速に蓄積して行く事になるのである。
大気中に放出された酸素は、陸上の鉄も酸化する。古生代デボン紀(4億1000万年〜3億6000万年前)の旧赤色砂岩や中生代の新赤色砂岩は、砂の粒子が酸化鉄で覆われて赤色に見えるもので、これは乾燥気候の下で酸素に富んだ大気によって鉄が酸化された結果なのである。つまり赤色の地層は、大気中に酸素が存在していた証拠と言えるわけだが、先カンブリア時代の地層を調べると、始生代には赤色層は稀にしか存在しないが、原生代に入った20億年前以降になると急速に増加して来るという。こうした事から、分子状酸素が大気中に蓄積され始めたのは、原生代の初期と考えられる。そして、この赤色砂岩の堆積と歩調を合わせる様に、21億年前に真核生物が進化して来るのである。
(注) 先カンブリア時代は、岩石記録のない40億年前以前を冥王代(Hadean)、40〜25億年前を太古代(Archean)または始生代、25〜5.4億年前を原生代(Proterozoic)と3つに分けている。そして古生代以降をまとめて顕生代(Phanerozoic)と呼んでいる。
こうした海洋や大気中への酸素の急速な蓄積は、生物の進化に極めて重大な影響を及ぼす事になる。まず海洋での酸素の蓄積は、酸素呼吸をする生物を可能にした。これは、それ以前の酸素を使わない発酵に比べると極めて効率的な代謝で、グルコース1分子の代謝では発酵が生物のエネルギー源であるATPを2分子合成するのに対し、酸素呼吸では38分子ものATPが合成できる。つまり酸素呼吸は、発酵に比べて19倍もの大量のエネルギーを生産する事ができるわけである。この効率的な代謝が可能になる酸素濃度は現在の大気の1/100で、これをパスツール・ポイントと呼んでいる。真核生物は酸素呼吸でエネルギーを得ているが、原核生物との大きな違いの1つはそのサイズで、原核細胞の1〜10μmに対し、真核細胞は5〜100μmと1桁大きかった。そこで、先カンブリア時代の微化石の大きさを統計的に調べると、14〜15億年前にかけてサイズが急激に大きくなると言う。つまり、この時期に酸素量が増加してパスツール・ポイントを越え、真核生物が急激に繁栄する様になったと考えられるのである。
また、生物が上陸して陸上で生活するには紫外線を遮蔽するオゾン層が必要だが、このオゾン層の形成には、大気中の酸素濃度が現在の1/10以上になる事が必要と言われる。最古の陸上維管束植物の化石は、古生代シルル紀中期のクックソニア(リニア綱)で約4億1000万年前のものである。従って今から約4億年前には、大気中の酸素濃度が現在の1/10以上になっていた事になる。生物誕生以前の酸素濃度は現在の1/10000であったから、これらの数値を片対数グラフ上に記すとほぼ直線となる。即ち、地球上の酸素濃度は生命誕生以後、指数関数的に増加して来たという事ができるのである (2-25)。そして、この急速な酸素濃度の増大が生物のエネルギー生産効率を飛躍的に高める事を通して、原核細胞からはるかに巨大化・複雑化した真核細胞の進化を可能にし、さらにはその真核細胞が多数集まり分業化して1つの個体を形成する、多細胞生物をも誕生させる事になったのである。
(注) 細胞による紫外線の吸収は、2630Å付近を中心とする核酸の吸収に起因し2600〜2700Åで最大、タンパク質で2700〜2900Åで最大となる。(2-22)
(注)約4.7億年前のオルドビス紀中期から減数性の胞子の化石が見つかっており、その頃には既に陸上植物が出現していたと考えられる。また、最初の陸上植物はコケ植物であった可能性が高く、シルル紀前期の胞子は構造が現生のタイ類ダンゴゴケ目に似ていると言う。
(注) 東京工業大学の丸山茂徳によると、7.5億年前頃から地球の内部温度の低下によって大量の海水がマントル内に流入し、その結果、海水の量が減少して陸地面積が急増、巨大河川が誕生して堆積岩が大量に作られ、そこに有機物が閉じ込められて酸素分解しなくなり大気・海洋中の酸素濃度が急激に増加したと言う。(2-26)
確かに、酸素濃度の増大は多細胞生物が進化して来る前提条件ではあるが、それだけでは何故このカンブリア紀に爆発的な多細胞生物の適応放散、多様化が起こったのかの説明には不十分である。では何故、5億4500万年前にカンブリア爆発は起こらなければならなかったのか。実はこの時期、地球は環境の大変動に見舞われていたのである。
今から10〜7億年前の地球では、諸大陸が1つに集まりロディニアと呼ばれる巨大な超大陸が形成されていた。そして約7億年前、超大陸が分裂を始める頃には、史上最大規模の氷河が地球を覆っていたのである。この時の氷河は赤道近くにまで及び、超大陸のほとんどを覆っていたと言う。この地球46億年の歴史の中でも最大と言われる氷河時代は、10〜6億年の間、何度も氷河期と温暖期を繰り返したらしい。しかし約6億年前、再び超大陸が分裂を開始すると地球環境は急変する。氷河は急速に解けて海水面が上昇、そして分裂して散らばった大陸の間に、広大な浅い海が出現したのである。この浅海には大陸から大量のミネラル分が流れ込み、富栄養化が急速に進行した。そして、太陽の光が降り注ぐ温かく栄養に富んだ浅海では植物プランクトンが大増殖し、また光合成活動の活発化により海中の酸素濃度も上昇して行ったと考えられる。この時、生物の爆発的進化、カンブリア爆発が起こったのである。
(注) 7.5億年前頃のスターティアン氷期と6億年前頃のバランガー氷期。また原生代末期には、炭素同位体比の急激な低下が5回確認されており、それに対応して氷河期が5回訪れたとも言う。
(注) 最近、アフリカ南西部のナミビアでの海洋堆積物の炭素同位体の調査から、7億5000万年前から5億8000万年前までの4つの堆積層で、炭素13と光合成で主に使われる軽い炭素12の比率(炭素同位体比)が急低下している事がわかった。これは光合成がほぼ完全に停止した事を示し、この期間、地球は雪玉のようにほぼ完全に氷河に覆われ(スノーボール・アース(雪玉地球)理論)、太陽光が遮断された為に食物連鎖の基礎となる1次生産者が死滅したのだと言う。そして全球凍結の融解は、火山活動からの二酸化炭素の蓄積によるとされる。
また気候のエネルギーバランスモデル(EBM)では日射量の6〜7%の低下で全球凍結するとされ、当時の低かった太陽放射量の推測と適合する。しかし大気と海洋の循環を取入れた大気海洋結合大循環モデル(GCM)では、現在より約15%の日射量の低下が必要で、10〜6億年前の6〜7%低下という日射量では全球凍結状態にはならないと言う。(2-50)
(注) 超大陸ロディニアの分裂によって、古生代初期にはイアペタス海(古大西洋)をはさんで3つの大きな大陸塊が存在していたと言う。ゴンドワナ(アフリカ、南アメリカ、インド、オーストラリア、南極)、ローレンシア(北アメリカ、グリーンランド、北西スコットランド)、バルチカ(ウラル西方の北西ヨーロッパ)である。
それまで存在していた生物のほとんどは、単細胞のらん藻類や細菌類で、新たに登場した多細胞生物の前に競争相手となる様な先住者は存在しなかった。彼等の前には、肥沃で広大な未開拓の処女地が広がっていたのである。この空っぽの生態系に向かって、誕生したばかりの多細胞生物は急激な適応放散を開始し、生物史上未曾有の進化の大実験を行ったのである。そして、この時わずか数千万年の間に、その後の進化の基礎となる様々な生物グループの基本構造パターンのほとんどが一気に決定された。それが可能だったのは、生物に適した地球環境の出現と、空っぽの生態系の存在であった。彼等は、競争相手となる先住者がいなかったからこそ、伸び伸びと自己の可能性を試す事ができ、急激な進化が可能となったのである。生存競争が存在しなかったからこそ、生命は持てる能力を100%発揮して、短期間に多様な形態を進化させる事ができたわけだ。
カンブリア爆発が空っぽの生態系の中で起こった事は、その進化のパターンからも明らかである。今日、カンブリア紀における生物の爆発的多様化のパターンは、成長の一般法則に従うものである事が明らかにされている。先カンブリア時代後期からカンブリア爆発の終わりまで、生物の多様性の増大をグラフに描くと、最も一般的な成長モデルのジグモイド曲線に一致する。これは偏平なS字状をした曲線で、培養中のバクテリアの増殖などに見られるものである。例えば、大腸菌は20分で分裂して2つの娘細胞となり、分裂を繰り返す事で急速に数をふやして行く。最初の細菌の数は少ないので初めの増加はゆっくりしているが、個体数がある限度を超えると指数関数的・爆発的に増大する様になる。しかし、この増大は無限には続かない。与えられたスペースや栄養分の枯渇、あるいは排泄物による汚染などによって、ある一定の個体数に落ちつき増殖は止まるのである。こうして成長のジグモイド曲線は完結する。バクテリアのコロニーの成長と生物の進化とは全く異質なものだが、細胞分裂を進化における種形成と置き換えると、カンブリア爆発はジグモイド曲線に一致するのである。ささやかな動物相を持つ先カンブリア時代末期は、生物進化の誘導段階で初期の上昇に当たる。そして次の指数関数的増大の段階が、カンブリア爆発に相当するのである。しかし、様々な生物の急速な進化によって生態系の空白が満たされると、種の爆発的増加は止み進化も停止する。カンブリア紀以降、生物の基本構造に変化がない事は、海中の様々な生態的位置がこの時に充足された事を示している。ここで注意すべき点は、ジグモイド型の成長は自然界の中では決して普遍的なものではない事である。ジグモイド状のパターンは、食物と空間に充分な余裕が有り、当面はその増加を抑制するものが何もないという特殊な状況下においてのみ生じる。実験室のバクテリアも、培養基が既に高い棲息密度にあったり栄養が不足していたら、ジグモイド状には増殖しなかっただろう。先カンブリア時代の海洋は、まさにこのような特別な環境、即ち空の生態系を形成していたのである。そこは競争相手のいない、広大な空間と豊富な食物の存在する未開拓の処女地だった。カンブリア爆発は、ジグモイド曲線の指数関数的な成長段階として、必然的に訪れるはずのものであったと言えよう。「これは拘束されない生態系における進化として予測可能なパターン」だったのである。(1-7)
気候の温暖化と広大な浅海の出現が、カンブリア爆発のきっかけとなったわけだが、ここで浅海が生物にとってどういう意味を持っているのか見ておく事にしよう。海洋の生態系は、陸上の生態系とは大きく異なっている。水は空気に比べて透明度が低く、太陽光は内湾の海水なら数m、外洋水でも数十m潜れば、大気圏全体を通過した時と同じだけ弱まってしまう。そのため光合成する植物の生活圏は、最大でも水深200mを越える事はない。これは全海洋の平均水深 3800mのわずか5%に過ぎず、残りの95%では植物は生きて行けないのである。つまり、海洋の植物にとって沈むという事は死を意味し、その為、海の生物の90%以上は表層から10%以内の深さに住んでいると言われている (2-27)。
また、水は空気と比べて1000倍も粘度が高く混合しにくい。海の表層は太陽によって温められ波浪や海流で混ぜ合わされが、ある深さから海水温は急激に低下し、冷たく密度の高い深海水となる。この表層水と深海水とは混ざり合う事がなく、その境界は比較的浅い所にあり、サーモクライン(水温躍層)と呼ばれている。こうして海洋では、低温で密度の高い深層水の上に高温で密度の低い表層水が載る、極めて安定な海水の成層構造が形成されているのである。ところが、これは生物にとっては困った事で、生物の死骸や糞などの有機物は下層の海底に沈降するが、それが分解され栄養塩となった時に、表層で光合成する植物には補給されない事になるからである。実際、海洋では表層水の栄養塩の濃度が非常に低い。海洋植物は、光合成をする為に光の届く表層にとどまらないと生きられないが、そこは栄養塩が不足した貧栄養の環境なのである。反対に栄養豊富な下層では太陽光が届かない。つまり「植物にとっては、海はディレンマの世界なのである」(谷口旭)(2-13)。
表層水と深層水が混合しないと、深層水はますます肥沃になる一方だが、海流の影響で深層水の一部がかき乱され表層水と混ざり合う事がある。アップウェリング(湧昇)と呼ばれる現象である。ふつう海流は海の表層部をかき混ぜるが、深層水までは混合しない。しかし、沿岸部では陸から吹く風やコリオリの力で沿岸流が沖合いに持ち去られ、数百mから1000m以深の深層水が大陸棚に沿って上昇する場合があるのである。北半球では海流の流れの左側に位置する海岸沿いで、逆に南半球では右側で良く見られる。こうしたアップウェリングが起こっている所では深層から栄養分が表層にもたらされ、海の肥沃度が高く世界的な漁場となっている。日本・ペルー・エクアドル・西アフリカ近海などが良い例である。また、沿岸域では河川からも栄養塩類が供給される為、河川が流入する沿岸域の生産力(プランクトン量)は外洋に比べて著しく高い。その生産力は400g炭素/m2年程度で、生産力が高いと言われる親潮水域の約3倍にもなると言う (2-28)。
このように、全体として見ると海洋は決して豊かな環境ではない。しかしその中で、大陸棚の浅海域は例外的に栄養分に富む豊かで生産力の高い場所なのである。大陸棚が良い漁場になっている事は昔からよく知られている。また浅海域には、大きな海藻が繁茂して海中林となっている所もある。そこではコンブやワカメといった植物をアワビやウニが食べ、それらを肉食性のカニやヒトデ・タコが捕食するといった、陸上と良く似た生態系が形成されている。しかし、海洋の中で海中林が存在し得る浅海域の面積はごくわずかに過ぎず、そのほとんどは海藻の繁茂を許さない深海なのである。大陸棚の浅海に見られるこのように豊かな生態系は、海洋の中ではむしろ例外と言う事ができる。そのため浅海域で繁栄する海生生物にとって、海水準の上下によって浅海域が拡大・縮小する事は、たいへん重要な意味を持っているのである。
さて先に見た様に、海洋植物は太陽光の届く表層に浮遊していなければならず、同時に表層水中の希薄な栄養塩を効果的に摂取する必要もある。この2つの条件を同時に満たすにはどうすれば良いのだろうか。ふつう細胞は海水より密度が大きく、海中では必ず沈む。その沈降速度は重量に比例して大きくなると考えられる為、細胞の組成が同じとすると、それは体積に比例する事になる。また、沈降を妨げる海水との摩擦は細胞の表面で生じるから、沈降速度は表面積に逆比例する。これらの事から、表面積Sの体積Vに対する比(S/V)が沈み難さの指標となる。表面積Sはサイズの2乗に、体積Vは3乗に比例する為、細胞のサイズ反比例して沈み難いという事になる。つまり小さければ小さいほど沈み難く、浮遊生活に有利なのである。では栄養の摂取効率の方はどうか。栄養塩は海水中から細胞の表面を通して摂取される為、摂取量は表面積に比例し、そして細胞が必要な栄養塩の量(消費要求量)は体積に比例する。したがって摂取効率は、先と同様に表面積と体積の比(S/V)に比例する事になる。以上の事から、海洋の植物が環境のディレンマを克服する為、表層に浮遊しながら効率的に栄養を摂取するには、サイズを小さくする事が最良の方法であるのがわかる。そして、それを実現したのが植物プランクトンなのである。(2-13)
植物プランクトンは1μm以下から1mm程度のものまであるが、平均的には数十μm である。このように小さな植物プランクトンを1つ1つ捕えて食べるのは効率が悪いので、動物はプランクトンを海水からこし取って食べる、濾過摂食の方法を編み出した。そのため、海の植物食者は植物プランクトンよりも大きい。自分より大きい植物を食べる、陸上の動物や海中林の藻食動物とは反対である。しかし、微細なプランクトンを濾過して食べるには、それ自体が小型でないと難しい。そこで動物プランクトンが登場する。数μm の植物プランクトンを食べる動物プランクトンは数10〜100μm 、数十μm のプランクトンを摂食するものはミリメートル(mm)のサイズで、前者の多くは原生生物の繊毛虫類であり、後者はふつう小型の甲殻類である。動物プランクトンも数mm 程度になると小型魚のエサになる。そして、小型魚は大型魚に捕食されるという具合に、海洋の食物連鎖ができあがる。こうして海では、小さなプランクトンが生態系食物連鎖の基礎となっているのである。
先カンブリア時代からカンブリア紀(5億4500万年〜5億年前)に入ると、生物の多様性が激増するわけだが、化石記録はこの時期、生物の個体数も非常に増えた事を示している。つまり、生物体量(バイオマス:生物の現存量)もこの時に飛躍的に増大し、地球の歴史始まって以来、初めて生命は大層ありふれたものとなったのである。このような生物界の大変化の基礎には、海洋生態系で起きた重要な出来事があった。即ち、食物連鎖の基礎となるプランクトンが、多様性においてもバイオマスにおいても増加したと考えられるのである。そして、この生態系の基礎資源量の増加が、進化に新しい機会と刺激を与える事になった。
(注) 顕生代の始まる直前には、海洋で地球史上稀に見る大量のリン酸塩が堆積したと言う。こうした栄養塩の豊富な供給は、プランクトンの大繁殖を可能にしたと考えられる。また海洋の過剰なリン酸は、多細胞動物がリン酸カルシウムの骨格を生み出すきっかけとなったかも知れない。ただカンブリア紀には、炭酸カルシウムの骨格の方が主流になる。(2-22)
カンブリア紀、海水準の上昇により出現した広大な大陸棚の温暖な浅海で、プランクトンが大繁殖する。そして海底には、彼等の大量の死骸が沈み堆積して行った事だろう。このような環境は、2つのタイプの大型底生生物を進化させる事になった。1つは生きたプランクトンを周りの海水中から濾し取って捕らえる濾過食者、もう1つは死んで海底に降り積もったプランクトンを堆積物と一緒に摂取する堆積物食者である。「カンブリア紀の最初の大型後生動物はこれらふたつのどちらかの種類だった」(2-29)。多くの生物は、まず有機物がずば抜けて多い堆積物表面をかき回して濁らせ、そこから有機物を摂取する方法を発達させた。堆積物食者にとって、海底に堆積したプランクトンを利用するのに必要な解剖学的な構造の進化は、簡単な事だったと思われる。彼等は単に堆積物を摂取して、それが消化管の中を通過する間に有機物を抽出すれば良いからである。他方、生きたプランクトンを利用するのはこれより難しかった。水中での生物の含有量は、ふつう堆積物上の死んだプランクトンの濃度よりずっと低いからである。そのため、海中のプランクトンを直接食糧源として利用する濾過食者は、何等かの濾過装置を進化させて行く事になる。その後、これらのプランクトン食者を捕食する肉食者も進化して来る。こうしてカンブリア紀には、プランクトンが大繁殖する豊かな浅海域で、大型底生生物の大適応放散が繰り広げられて行ったのである。
現在のように海水準の比較的低い時代には、浅海といえばせいぜい大陸と海洋の間の漸移帯、即ち大陸棚ほどの場所に過ぎない。ところが古生代や中生代の白亜紀には、今日の状態からは想像もつかないほど広大な浅海が存在し、大陸や深海と同様に重要な環境条件の1つになっていたのである。古生代は湿潤な世界で海が大陸の中に湾入し、この広大な浅海の中で多くの生物が進化して行った。このように浅海は、海洋生物の進化にとってなくてはならない重要な役割を果たして来たのである。
生態系にできた空隙への適応放散により起こった進化の例として、魚の進化もあげる事ができる。脊椎動物の祖先としては、ナメクジウオに似たピカイアや、中国南部の雲南省澄江で発見された脊索動物のユンナンノゾーンが考えられるが、彼等はまだ脊椎動物の特徴であるリン酸カルシウムの骨は持っていない。この骨を持つ最古の脊椎動物は、約5億年前のカンブリア紀末からオルドビス紀初めにかけて出現した顎のない魚の無顎類である。オーストラリア大陸の中央部で発見された、その初期の仲間のアランダスピス(「アランダ族の楯」の意味)は、体長15cm程で頭部が楯状の2枚の骨板で覆われたヒレのないオタマジャクシの様な形で、海底をゆっくり泳いでいたと思われる。そして顎のない口で海底の泥を吸い込み、鰓孔から出す事で有機物を濾し取っていたのだろう。これら無顎類の魚は、体が扁平なものが多く泳ぎも不得手で、もっぱら海底で底生生活をしていた考えられる。
(注)魚の体型は生息深度や泳法と関連がある。マグロやカツオのような紡錘型や流線型の魚は高速遊泳型。ウナギやアナゴのように細長い魚は全身を波状にくねらせて泳ぐ。トビウオのように水面近くを泳ぐ魚は背側が腹側より幅広い。そしてナマズのような底生魚は扁平で腹側の方が幅広くなっている。(2-48)
しかし生まれたばかりの魚類の前には、すでに強敵が存在していた。オルドビス紀(5億年〜4億4000万年前)の海の覇者、オウムガイである。イカやタコと同じ軟体動物門の頭足類に属すオウムガイは、カンブリア紀の終わりに登場し、約5億年前には新たな海中の主役となっていた。今日、生きた化石として南太平洋のパラオ諸島に数種棲息するオウムガイは渦を巻いた殻を持つが、初期のものはイカを連想させる様なまっすぐな円錐状やサイの角状の殻で、直角貝とも呼ばれる。彼等は殻の内部を隔壁で仕切って多くの気室を作り、内部のガスや液体の量を変える事で浮力を調節して水中に浮き、イカの様に口のそばの漏斗状の器官から水を勢い良く噴出してすばやく移動した。オウムガイは、当時の魚類に比べると格段に進歩した遊泳能力を持っていたのである。そして、鋭い眼と口の周囲にある60〜90本の細い触手を使って獲物を捕らえ、イカと同様な鋭い歯のからすのとんびで食べていた。このオウムガイの餌食になったのは主に三葉虫だが、無顎類の初期の魚も襲われていたと思われる。カンブリア紀末に登場した魚類は、以後こうしたオウムガイから始まる頭足類と海の支配権を競う関係にあるが、初期の段階では遊泳能力ではるかに劣る魚類はオウムガイの敵ではなかったのである。こうしてデボン紀に魚類が制海権を握るまで、海ではオウムガイの天下が続く事になる。その全盛時代には総計3500種を数え、殻の長さが10mという巨大なものも登場した。オウムガイに古代の海での発展の可能性を阻まれた初期の魚類は、その活路を新天地に求める事になる。即ち、海を捨てて川に向かったのである。そしてこの川での試練が、その後の脊椎動物の海と陸での大発展を生む事になる。
当時、地球は大規模な環境の変化に見舞われていた。5億年前には小さな塊に分裂していた大陸が、4億年前には再び合体を始め、2つの巨大な大陸(ゴンドワナとローレンシア)を形成したのである。そしてシルル紀に北アメリカ大陸と北ヨーロッパが衝突した部分にはヒマラヤ級の大山脈が出現し、当時赤道直下に位置していたこの巨大山脈に大量の雨が降り、そこに巨大河川が流れる様になった。このカレドニア造山運動と呼ばれる広範な隆起によって、初期の脊椎動物が出現する淡水環境が作り出されたのである。4億2000万年前から4億年前には、スカンジナビア・グリーンランドに大山脈があり、そこからスコットランドに向けて、今日のアマゾン川に匹敵する大河が流れていたと考えられている。現在の東部グリーンランドからノルウェーにかけて大山脈の跡が、そしてイギリスのグラスゴー郊外には当時の古代大河の跡が残されているのである。そこにはキラキラと光る雲母が含まれているが、それは当時ノルウェーからスコットランドにかけて流れていた大河が運んで来たものと言う。こうして出現した古代大河は、生物に新たな活躍の場を、そして新たな進化の機会を与える事になる。この海でも陸でもない新たに地球上に出現した環境、従って競争相手となる先住者のいない生態系の空白に進出し、急速に適応放散し進化して行ったのが魚類だったのである。そして河川で進化し、飛躍的に遊泳能力を向上させた魚類は後に再び海に戻り、オウムガイに代わって制海権を握る事になる。(2-14)
(注) 古生代初めに3つに分裂していた大陸の内、ローレンシアとバルチカが衝突、さらに小大陸の東アバロニアが衝突してカレドニア造山帯が形成され、この時イアペタス海が閉じる。この造山運動は、オルドビス紀初期からデボン紀初期に終わるまで、アパラチア造山帯と連なる全長6000kmに渡って大陸塊の衝突帯を形成し、アルプス・ヒマラヤに勝るとも劣らない大造山帯を作ったのである。これによって、諸大陸はゴンドワナとローレンシアの2大大陸に集約され、その後この両者が衝突して超大陸パンゲアが形成される事になる(バリスカン造山運動)。(2-22)
(注) 最初の脊椎動物はカンブリア紀末に現れるが、良く知られた最も早い脊椎動物相はシルル紀後期のもので、その化石はヨーロッパ北部、特にイングランド・スカンジナビア・スピッツベルゲンなどで最も豊富に産出する。カレドニア造山運動の結果、イングランドではシルル紀のルドロウ期に堆積層が海成から陸成に変化するが、脊椎動物の化石が現れるのは新しい陸成層の方からなのである。そして、次のダウントン期には大陸の隆起がさらに進展し、広大な淡水堆積物が形成され、脊椎動物の分布も大きく拡大する事になる。(2-17)
河川に進出した初期の魚の化石が、カリフォルニア州東部デスバレーの約4億年前の地層から発見されている。アランダスピスと同じ無顎綱異甲目に属す、全長20cmのプテラスピスである。当時この付近には幅 500mの広大な川が流れており、化石はその河口付近で見つかった。プテラスピス化石の大半は、海水と淡水が混じるこうした気水域で発見されると言う。また、頭部装甲の後ろから飛び出した背ビレの様な長いトゲと、胸部の翼の様な突起が水中での安定を高め、流線型をした体形で、同じ仲間のアランダスピスよりも活発に泳ぐ事ができた。これは河口の流れの中を泳ぐ必要が、こうした体形と優れた遊泳能力を進化させたものと考えられている。
生物にとって海と淡水の川では、同じ水の中といっても全く異なる環境で、魚の海から川への進出には多くの障害が存在していた。しかし、この川という全く異質な環境への適応が、脊椎動物のその後の進化に極めて重要な役割を果たす事になる。極端な言い方をすれば、川への適応がなければ、その後の脊椎動物の発展はなかったのである。では川への進出にどのような困難が存在し、またその克服が脊椎動物の進化に何をもたらしたのか、見て行く事にしよう。
最大の困難の1つは浸透圧の問題であった。赤血球などの細胞を淡水の中に入れると、細胞内に水が侵入し、遂には破裂してしまう。逆に、海水と同じ3.5%の塩分濃度の液だと、細胞から水が出て行き小さく縮んでしまう。これは水が細胞膜を通して、溶液濃度の薄い方から濃い方へと移動する性質を持っている為で、この水の移動を引き起こす力を浸透圧と呼んでいる。従って海から川に進出した魚も、そのままだと水ぶくれになって死んでしまう。この浸透圧の問題を、彼等は腎臓の働きによって解決した。淡水魚は水をほとんど飲まず、えらで必要な酸素と塩分を吸収し、体内に入って来た水は腎臓で濾し出し大量の尿として排水する。こうして体液の浸透圧を海水の1/3程度に調節しているのである。他方、海に棲む無脊椎動物は、このような浸透圧の調節は行っておらず、体液は海水と同じ浸透圧濃度を持っている。というより、体液組成自身が海水そのものなのである。しかし、細胞の内液は普通の硬骨魚と変わらない。つまり、細胞膜のナトリウムポンプだけで、海水の3.5%から細胞液の0.7%まで一気に減塩しているわけである。さらに、細胞内のアミノ酸や糖の濃度を高くする事で、海水との浸透圧差を少なくする様に努めている。無脊椎動物では、個々の細胞が各自で浸透圧に対処しているわけである。彼等も海で生活する限りあまり問題はないが、大洋や深海に棲む生物は常に一定の塩濃度の下で生活している為、浸透圧の変化に弱く、海水の塩濃度が通常の80%に低下するともはや生きて行けない。クラゲやヒトデなどの無脊椎動物の中に、こうしたものが多いと言う。イカやタコなどの頭足類の体液も海水と同じ濃度であり、オウムガイの時代以来、彼等が淡水に進出したという証拠は一切ないのである。ところで脊椎動物は浸透圧を一定に調節しているわけだが、脊椎動物でも最も原始的な魚類である無顎類のメクラウナギは、海生の無脊椎動物と同じく体液の浸透圧が海水と変わらない。しかし、同じ無顎類でもヤツメウナギは、進化した魚類と同様に体液の浸透圧を調節している。つまり脊椎動物の浸透圧調節能力は、初期の脊椎動物の無顎類が海から淡水の川に進出し、進化して行く中で獲得されたものと考えられるのである。地球上に新たに誕生した環境である川に進出し、そこで適応放散して急速に進化した魚類は後に再び海に戻って行くが、その時、川で獲得した浸透圧調節能力に少し変更加えてそのまま海に持ち込む事になる。海水魚は、口から海水を入れるとえらの塩類細胞で塩分を排出し、塩分の少なくなった水を腸で吸収する。そして腎臓でさらに血液中の塩分を排出し、小量の塩分濃度の濃い尿を出す。つまり「海水魚では、細胞に必要な真水を自身で製造しているのである」(2-30) 。また、サケやアユなど海と川の間を回遊する魚は、海水魚と淡水魚が行う浸透圧調節を環境に応じて切り替えて、2つの異なる環境に適応している。こうして、最初の脊椎動物である魚類が川に進出する過程で獲得した、体液濃度を一定に保つ浸透圧調節能力は、その後、陸に進出した脊椎動物にも受け継がれて行く事になる。
川への進出でもう1つ重大な問題は、カルシウムやリン等のミネラルの不足である。細胞の新陳代謝や筋肉・心臓の運動と密接に関係するカルシウムは動物の生存に不可欠であり、またリン酸はDNAやRNAそして生物のエネルギー源であるATPの成分にもなっている。海水中にはカルシウムが大量に存在し、その濃度は魚や人間の体液の4倍にもなるが、河川では海の1/10〜1/100しか存在せず、しかも濃度がいつも変動している。また、リン酸は食物を通して動物に取り込まれる為、その摂取量は季節的に変化する。これら不足すると生物にとって致命的となる重要なミネラルの安定供給の為に、魚がその貯蔵庫として作ったのが、脊椎動物のシンボルであるリン酸カルシウムの背骨なのである。以外な事だが、我々脊椎動物が持つリン酸カルシウムの骨は、生物界では特殊なものである。骨と貝殻は共にカルシウムを主体とした硬い組織であるが、貝殻は炭酸カルシウムで作られ、骨はリン酸カルシウムで出来ている。同じカルシウムを使いながら、一方は炭酸で、他方はリン酸で化合物を作った。その違いは、炭酸カルシウムの貝殻の方は一度硬い殻になると溶けにくい性質を持つが、リン酸カルシウムは硬い骨組織になっても再び血液中に溶かす事ができる点にある。つまり、硬い組織を炭酸カルシウムで作ったのでは再利用できないが、リン酸カルシウムなら再利用が可能なのである。事実、我々の骨格を形成する骨の大部分は3年とたたぬ内に消失し、新しい骨と置き換えられる (2-31)。その岩の様な外観とは異なり、骨は生生流転を繰り返しているのである。骨をカルシウムとリン酸の貯蔵庫とする事で、環境の変動から来るその過不足をコントロールする事に成功した脊椎動物は、陸上へ進出後も、不足しやすいカルシウムの濃度を一定に保つ仕組みとしてこの骨を利用する事になる。
河川に進出した魚には、これ以外にも、海とは異なり河川の速い水の流れの中を泳ぐ優れた遊泳能力が要求された。そして、それは発達した神経系をも必要とした。また脊椎動物の上陸に不可欠の肺も、川に進出した魚が進化させた器官である。魚類が繁栄したデボン紀は雨季と乾季が交代で訪れ、乾季には川や池が干上がり、そこにいた魚たちは次の雨季が来て再び水で満たされる迄、泥の中で堪え忍ばなければならなかった。こうした乾季を生き抜く必要から肺が進化したのである。原始硬骨魚類は、そのほとんどが肺を持っていたと考えられている。現在でも、アフリカでは数ヶ月にも渡って乾季が続き広大な湖も干上がってしまうが、そこに棲む肺魚は干上がる前に泥の中にもぐり、体表から粘液を出して乾燥を防ぎながら、乾季が過ぎるまで肺で呼吸して水のない湖底で生き延びる。そして、雨季に水がたまると再び泳ぎ出すのである。肺魚は水のない所で数年間も生き続ける事ができるが、逆に肺呼吸が出来ない様にすると水中で窒息して溺れてしまうと言う。この肺の進化は、それほど困難な事ではない。乾季に池や沼の水量が減って水温が上がると水中の溶存酸素が急激に減少し、さらに魚が死ぬとバクテリアが死体の分解に酸素を消費する為、溶存酸素は加速度的に減少して行く。こうして酸素不足で呼吸困難に陥った魚は、水槽の金魚が良くする様に水面に口を出してぱくぱく空気を飲み込み、えらの周囲の水に酸素を溶け込ませて吸収し易くしようする。こうした事を続けている内に、のどから胃に通じる食道の一部にふくらみが生じて袋となり、その周りに血管が集中して、飲み込まれた空気から直接酸素を取り込む事ができる様になったのが肺なのである。実際、有羊膜類(哺乳類・爬虫類・鳥類)の多くは肋骨を使って呼吸しているが、初期の四肢動物の大半は、扁平で幅広い口を大きく開けて空気を飲み込んでいたと考えられている(口腔のポンプ運動)。こうして川に進出した魚は、肺を進化させてデボン紀の厳しい乾季を生き抜いて来たのである。
しかし、小さな池や沼が次々と干上がってしまうほど激しいデボン紀の旱魃に直面した魚は、3つの異なる道を模索して行く事になる。1つは、現在のアフリカの肺魚がしている様に、乾季が過ぎるのを泥の中でじっと耐えて待つ事。2つ目は、水中から陸に上がる事。空気呼吸をする肺を持ち、泥の中を這いまわっていたデボン紀の魚にとって、上陸はそれほど困難な事ではなかったはずである。デボン紀後期には、上陸を果たした最初の脊椎動物である両生類が誕生している。この時の魚の上陸が、その後の脊椎動物の大発展をもたらす事になるわけである。3つ目は、川から干上がる事のない海へ戻る事である。川で進化した硬骨魚類は、後に大挙して海に戻って行く。そして、それが今日の魚類の繁栄の基礎を築く事になった。現在の淡水魚も、その多くは海から2次的に移って来たもので、デボン紀以来ずっと淡水に棲み続けた魚はわずかしかいないのである。
(注) オルドビス紀からデボン紀までの脊椎動物の歴史は、主として大陸の淡水域、つまり河川や湖沼に生息した動物の歴史であった。脊椎動物の祖先は海生だったと考えられるが、淡水域で適応放散して後は、デボン紀が過ぎるまで海洋へ進出する事はなかった様である。(2-17)
さて海に戻った魚にとって、川で獲得した肺は無用の長物となった。そこで彼等は、この肺を浮力調節器官のうきぶくろに作り変える。「原始肺の喉とのつながりを切り、閉じた袋として残しただけで、うきぶくろは出来上がる。元は肺だから血液とのガス交換はお手のもの」(2-3) である。魚は血液とうきぶくろの間のガス交換によって、うきぶくろ中のガス量を変え浮力を調節している。魚類の成功の秘密の一つは、このうきぶくろを持った事にある。魚は何もしないと水中では沈んでしまう。例えば、うきぶくろを持たないサメは泳がなければ沈んでしまう為、外洋性のサメは死ぬまで泳ぎ続けなければならず、一方、沿岸性のサメは昼間はたいてい海底に寝転がっている。ところが、うきぶくろを持つ硬骨魚はどんな深さにでも静止できる。海に棲む魚にとって、これほど便利な器官はないのである。このように海から川に進出した魚は、新しい環境で様々な器官を進化させ、その後の陸上と海での脊椎動物の大発展の基礎を築く事になったのである。
海から河川に進出した初期の魚は多くの困難に直面したわけだが、その障害を乗り越えた魚たちを待っていたのは、競争相手となる先住者のいない栄養分に富んだ新世界であった。約5億年前、カンブリア紀末に現れた最初の魚類は、口に顎のない無顎類だが、彼等の多くは頭や胸を骨質の装甲で覆っており、甲皮魚類または甲胄魚と呼ばれている。これら顎のない初期の魚は、底生生活をして水底の泥や砂を水と一緒に吸い込み、小さな虫や有機物を濾し分けて食べていたものと思われる。そして彼等、甲皮魚類が河川に進出してくる頃には、すでに植物も河川に進出し、その一部は上陸を果たしていたのである。コケ植物は、水生から陸生に進化した最初の植物と考えられているが、その胞子と見られる化石が、アジア各地のカンブリア紀(5.45〜5億年前)の地層から発見されている。そして現在、コケ植物は総て淡水性で海生のものは存在しない事から、植物の上陸は海ではなく川や淡水の湿地から行われたと考えられる。カンブリア紀からシルル紀(4.4〜4.1億年前)前期頃までには、川岸や湖岸などの水辺にはコケ植物が生え、水生の藻類が打ち上げられていた事であろう。そしてシルル紀後期になると、真の陸上植物と言えるシダ植物が出現する。古生マツバラン類である。大きさは数十cm、下草程度の小型の草本性植物であったが、次のデボン紀(4.1〜3.6億年前)には大繁栄する事になる。そしてデボン紀後期には、水辺に森林が形成される様になる。このように魚が河川に進出した頃には、植物はすでに川そしてその水辺に進出しており、そこに海とは全く異なる環境、新しい世界が生まれつつあったのである。川に進出した魚たちは、先住者のいない誕生したばかりの新しい環境、即ち生態系に突如現れた広大な空地の中で、何者にも邪魔される事なく自由に、その進化の可能性を試す事ができたのである。彼等は、競争相手のいない新天地で急速に適応放散し、進化して行く。
顎を持たない甲皮魚類は最初は底生生活をしていたものと考えられるが、次第に生活の場を広げ、欠甲類の様に甲胄を脱ぎ捨て、水中を自由に泳ぎ回る遊泳生活を始めるものも現れた。こうして世界最初の脊椎動物である甲皮魚類は、川や池の中で多くの種類に分化し数を増やして行った。底生の頭甲類、遊泳性の欠甲類、中間型の翼甲類という様に、生活の場や仕方を微妙にずらせて、その生態的地位を拡大して行ったのである。翼甲類の中には1mを越すものもわずかにいたが、甲皮魚類の大半は30cm以下で顎のない、おとなしく平和的な魚であった。しかし、シルル紀に入ると初めて顎を持った魚、棘魚類と板皮類が出現する。そして、この顎の発明は魚の生活を一変させる事になる。それまで水底で小さな虫やコケ、プランクトンなどをおとなしく食べていた魚が、今度は獲物を追いかけ強力な顎で捕食する狂暴な肉食者に変貌したのである。そして、甲皮魚類では顎のない口が遠慮がちに下側に付いていたのとは異なり、大きな歯を備えた凶暴な口が体の一番前にくる様になる。さらに鋭い感覚器官、強力な運動能力、そして脳・神経系が発達して行く事になるのである。シルル紀後期からデボン紀にかけて繁栄した板皮類の中には、故郷の海に戻って巨大化する者も現れた。例えば、節頸目のディニクティス(恐魚)は、上下に開く巨大な口を持ち全長10mにも達した。次のデボン紀になると、棘魚類から軟骨魚類と硬骨魚類が誕生し大繁栄する。魚類の時代の到来である。そして、オウムガイに代わって魚類が制海権を獲得、以後今日に至るまで水界を支配し続ける事になるのである。
硬骨魚綱には大変性質の異なる2つの亜綱、肉鰭亜綱と条鰭亜綱が含まれている。条鰭類というのは、私達が普通魚と呼んでいる仲間で、条と膜から出来たヒレを持っている。それに対して肉鰭類は、骨と筋肉から成る柄の先に条鰭が付く、泳ぐ為というより水底を歩くのに適した様なヒレを持つ仲間である。肉鰭類は現在、世界中に7種しか存在せず、うち6種が肺魚でアフリカに4種、南アメリカとオーストラリアに各1種、いずれも淡水域に棲息している。残る1種が、コモロ諸島近海に棲む総鰭類のシーラカンスで、この総鰭類の仲間がデボン紀に陸に上がり、陸上脊椎動物の歴史を開拓するのである。条鰭類の繁栄と比べると、肺魚類や総鰭類は今日では少数派で例外的な魚に過ぎないが、「硬骨魚類の歴史のごく初期のデボン紀には、原始条鰭類の数は総鰭類や肺魚類の数に及ばなかった」(2-32)。ところが、古生代後期になると条鰭類はこれらの肉鰭類を圧倒し、湖や川の中におびただしい数と種類が群がる様になる。そして後に、この条鰭類が大挙して海へ進入して行き、今日の魚類の繁栄を築く事になるのである。ジュラ紀以降における条鰭類の進化の場は、主として海であった。
硬骨魚類は今日最も繁栄している脊椎動物で、その種数は2万を越え、脊椎動物全体の約半分にもなる。今日のこの大繁栄の基礎には、川という新しい環境への進出による、急速な適応放散と進化があったのである。