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これまで見てきた様に、ダーウィン派の進化理論は生物界の現実とは大きくかけ離れたものである。しかし残念ながら、現在なおそれに取って代わるだけの有力な進化理論は存在していない。では何故、理論と現実がこうも乖離してしまったのか。それは進化理論家達が、進化の現実を無視し続けて来たからである。現在では、生物のDNAの中にも進化の足跡が残されている事がわかっているが、それが利用出来る様になったのはつい最近の事で、それまでは化石だけが生物の進化を跡づける唯一の証拠であった。しかるに、ダーウィンが進化論を構築するに当たって、化石はほとんど何の役割も果たしていない。しかも信じられない事だが、ダーウィン以後「1世紀、化石の研究は進化学説にほとんど何もつけ加えてこなかった」のである。そして理論と化石記録が一致しないと、それは地質学上の記録の不完全性に原因があるとされた。つまり、理論よりも現実の方に問題があるというわけだ。こうして、理論に合わない都合の悪い現実は安易に排除され、無視されて来たのである。あるいは「古生物学的なデータがダーウィン学説の予言とは一致していないことが、化石がこのように無視された理由である」(1-1)と言った方が正確かも知れない。しかし現実とは頑固なものである。こうした安易な現実無視は、いつか手痛いしっぺ返しを受ける事になろう。
ダーウィンの自然淘汰説では、わずかな変異が少しずつ蓄積する事によって、徐々に種が変化し進化が起こるとする(漸進説)。変異はランダムに起こる突然変異によって生み出される事から、進化は機械的に一定の速度で漸進的に進む事になる。その結果、ダーウィン派の理論によると、進化過程は単純で特徴のないものとなってしまう。しかし一旦、目を現実の進化に転じると、そこには様々な目立った特徴を持ち、我々を圧倒するような複雑に絡み合い錯綜した進化の現実が存在しているのである。この章では、理論から進化の現実そのものに目を転じて、実際の進化過程でどのように進化が起きているのか、その特徴を見て行く事にしよう。生物の進化というと、すぐに思い浮かぶのは、多様な形態を進化させて来た多細胞生物の進化である。しかし、生物全体としての進化を考えると、多細胞生物の進化はその一部分にすぎない。多細胞生物が存在したよりもはるかに長い期間、単細胞生物しか存在しなかった生命の歴史があったのである。しかも、単細胞生物と多細胞生物の進化ではその様相が異なり、進化のメカニズムの面でも違いが存在する。両者は進化の段階、レベルの異なった生物という事ができよう。ここではまず、我々に馴染みの深い多細胞生物の進化を見て、後に地球自体の進化と関連させて、単細胞段階の生物の進化を見ていく事にしよう。
生物の進化過程を見て最も特徴的な事は、繰返し生物の大量絶滅が起きている点である。例えば、恐竜やアンモナイトの絶滅で知られる中生代末(白亜紀末)の大絶滅では、全ての生物種の60〜80%が絶滅した。また、史上最大と言われる古生代末(ペルム紀末)の絶滅では、種の95%前後が地上から抹殺されたと言う。そしてこの両者ほどの規模ではないが、大規模な同時絶滅が生物の進化史の中で繰返し起こっている。過去5億年間に、全属数の30%以上が絶滅した大量絶滅が15回もあると言う。
そもそも古生代・中生代、あるいはジュラ紀・白亜紀といった地質時代区分は、化石の動物群構成が大きく変化する所を境として決められている。つまり、大規模な同時絶滅を基準にして時代区分がなされて来たのである。最も高い時代区分「代」の下が「紀」で、古生代は6紀、中生代3紀、新生代2紀の合計11紀に分けられている。つまり、化石が多く産出するようになる古生代初めから今日までの5億4500万年間が、10回の大規模な生物の一斉絶滅によって区分されているわけである。この紀を分ける大量絶滅の規模は、科で見ると20%前後の絶滅率になると言う。そして、紀はさらに中生代ジュラ紀の3世11期、白亜紀12期の様に「世」と「期」に分けられ、この期の境界での絶滅率は10%前後という。期は古生代74期、中生代32期、新生代17期の合計123期ある為、この間、平均440万年に1回の割で同時絶滅があった計算になる。さらに期の下には「帯」(化石帯)という地質時代区分もあり、それを考えると小規模な同時絶滅は300〜600回もあった事になると言う。(2-1)
表2-1 地質年代区分と地質系統
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地質年代 区分 |
地質系統 層序区分 |
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代 紀 世 期 |
界 系 統 階 |
この様に見て来ると、生物進化の歴史は繰り返す大量絶滅の歴史であったとも言える。事実、顕生代の生命の記録は、そのほとんど総てが絶滅した種から成り立っており、これまで地球上に現れた生物種の99%は絶滅したとも言われる。生物の進化史は、絶滅の歴史でもあったのである。そうであれば、進化理論は生物の大量絶滅の意義とその必然性を、自己の理論の内に含むものでなければ現実的とは言えないだろう。
また大規模な大量絶滅は、偶然には起こり得ない事も明らかにされている。種の分化・平衡・衰退を同じ確率で生じる様にして、コンピュータに乱数を与え偶数が出たら種が増加し、奇数なら減少するといった簡単なルールで進化のシミュレーションを行うと、化石記録に基づく系統図と良く似たパターンが得られる。しかし、コンピュータの描くランダムな生物興亡のパターンには、古生代末や中生代末に実際に起こった様な大規模な同時絶滅は生じないと言う。つまり、小規模なものを別にすると、系統の50%とか70%が一度に絶滅してしまう様な大量絶滅は、偶然には起こり得ないのである。(2-2)
表2-2 地質時代区分
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顕 生 代 |
新生代 |
×100万年前 1.75
23.0
65.0 132 200 251 290 360 410 440 500 545 2500 4000 |
第四紀 |
完新世 更新世 |
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新第三紀 |
鮮新世 中新世 |
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古第三紀 |
漸新世 始新世 暁新世 |
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中生代 |
白亜紀 |
後期 初期 |
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ジュラ紀 |
後期 中期 初期 |
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三畳紀 |
後期 中期 初期 |
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古生代 |
ペルム紀 |
後期 初期 |
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石炭紀 |
後期 初期 |
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デボン紀 |
後期 中期 初期 |
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シルル紀 |
後期 初期 |
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オルドビス紀 |
後期 初期 |
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カンブリア紀 |
後期 中期 初期 |
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先カンブリア時代 |
原生代 |
後期 |
VENDIAN STURTIAN CRYOGENIAN TONIAN |
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中期 |
YURMATIAN BURZYAN |
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初期 |
ANIMIKIAN HURONIAN |
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太古代 |
後期 中期 初期 |
RANDIAN SUAZIAN ISUAN |
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冥王代 |
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こうした点から考えると、生物の進化が史上幾度となく繰り返された大量絶滅と深く関りながら進行して来たという事、そして進化理論上でも大量絶滅が欠く事の出来ない重要な地位を占める事は間違いないと思われる。では大量絶滅は、進化理論上どのような意味を持っているのだろうか。それを考える時、注意すべき極めて重要な点がある。それは、絶滅した生物は劣っていたから滅んだのではないという事。また、より優れた生物が登場し、その生物との生存競争に敗れて絶滅したのでもないという事である。以外な事だが、大量絶滅は生存競争や自然淘汰とは無関係なのである。つまり、ダーウィン理論では大量絶滅は説明出来ない、あるいは理論の守備範囲外と言った方が良いかも知れない。
例えば、大量絶滅の代名詞ともなった中生代末の恐竜の絶滅を考えてみよう。以前は、恐竜というのは図体ばかり大きく、その体に比べ極めて小さな脳しか持たない、動きの遅い鈍感な変温動物の爬虫類と考えられていた。そして彼等より進んだ生物、即ち大きな脳を持ち、動きの敏捷な恒温動物の哺乳類が進化するに及んで、彼等との生存競争に敗れて絶滅したのだと。しかし、この考えは2つの点で決定的に間違っている。まず第1に、恐竜は絶滅して当然と言える様な劣った生物ではなかった点。第2に、恐竜は哺乳類との生存競争に敗れて絶滅したのではない事である。白亜紀末に恐竜が先に絶滅し、その後しばらくしてから哺乳類の大適応放散、即ち進化が起きているのである。次にこの点について、すこし詳しく見ておこう。
普通、爬虫類というと、トカゲ・ヘビ・ワニ・カメなどの様に腹を地面につけて、のそのそと地面を這う生物を思い浮かべる事だろう。しかし恐竜は、現生の爬虫類とは全く異なった生物だった。彼等は、トカゲの様に4本足を左右に広げて地上を這っていたのではなく、我々哺乳類と同様に足を体の下にまっすぐ伸ばし直立歩行していたのである。元々、足は魚の胸ビレと腹ビレから進化したもので、これら対ヒレは体の側面から横に出ている。その結果、魚から進化した両生類の足は、体から横方向に出て肘と膝の関節で下に曲げ、肘と膝を張った状態で体を支える構造になっている。このため、彼等は腹を地面に擦りつけてよたよたとしか歩けないのである (2-3)。そして走る時には、体を大きく左右にくねらせて歩幅を広げる。この様な体の構造は、体重を支えるにも走るにもロスが大きく不経済だが、この不効率な方式を初期の爬虫類は両生類からそのまま受け継いだのである (2-4)。これが今日、トカゲなどに見られる歩き方である。
(注) 魚が胴体をS字状にくねらせて泳ぐ時、体側ではそれに合わせて対角位置のヒレがほぼ同時に動く。海底を歩く魚類やシーラカンス・肺魚はこの動きを利用して、トロット歩行の様な動作を見せる。主に水中で生活していたと考えられる初期の四肢動物も、この魚類の動きをそのまま採り入れる事で、脳神経系の大きな配線替えの必要もなく、容易に歩行が可能になったと思われる。(2-5)
しかし、中生代の三畳紀(2億5100万年〜2億年前)になって、爬虫類の2つのグループが足の改良に成功する。1つは我々哺乳類の祖先である単弓類の中の獣弓類で、4本足をすべて体の下に引き込み、立ち上がって走る4足歩行者になった。もう1つが、後ろ足2本だけを改良して2足歩行者となった双弓類の主竜類、つまり恐竜の祖先である。4足歩行の恐竜は、主に体重の増加により2足歩行から2次的に4足歩行に戻ったと考えられている。このように恐竜は、哺乳類と同様に足を体の真下に伸ばし、活発に運動する事が出来る生物であった。つまり恐竜は、哺乳類なみの運動能力を持つ進化した生物だったのである。ロバート・バッカーは、3トン以上もある肉食恐竜のティラノサウルスが、時速30 km近くのスピードで走る事が出来たと述べている(2-6)。そして今日、その進化した足を引き継いでいるのは、トカゲなどの現生爬虫類ではなく、恐竜の子孫と考えられている鳥類なのである。
(注)恐竜が直立した事に関連して、胸郭はトカゲや両生類の平べったい形から、縦長の奥行きの有るものに変化した。恐竜は横から見ると巨大だが、前や後ろからでは意外に幅が狭く、長い首と尾を持つ関係で全体的にはかなり細長い生物であった。また、頭も同様に両生類の平たい形から、鳥類に似た細く高さのあるものに変わっている。ところで、ヒトが前後に平たい胸を持つのは、上体を直立させた事による二次的な適応である。
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三畳紀初めに現れた、主竜類の祖先型である槽歯目のユーパルケリア(全長1m程の爬虫類)が、初めて不完全ながら後ろ足だけで体を支え2足歩行を行ったと言う。ただ槽歯目では足の構造が未完成で、大腿骨の付け根は骨盤の関節(寛骨臼)の窪みに浅くはまっているだけで、体重を垂直方向に真っ直ぐ支える事は出来ず、中途半端に腰を落としたガニマタの姿勢だったと考えられている。ちょうどエリマキトカゲの走る様子を思い浮かべるとよいだろう。
しかし、槽歯目がさらに進化した恐竜(竜盤目・鳥盤目)になると、脚と腰の構造に革命的変化が起こる。まず、寛骨臼の上に唇状突起が張り出して大腿骨をしっかりと受け止められる様になり、今日のウマやイヌの様に脚を胴体の下にまっすぐ伸ばして直立出来る様になったのである。これと平行して、足首にも重要な変化が生じる。槽歯目では脚が地面と斜めに接触するため、脛の骨と足の骨の中間にある横に並んだ足首の骨、距骨と踵骨の間に関節ができ、距骨の下−距骨・踵骨間の関節部−踵骨の上、というクランク状に折れ曲がった不自然な線で足首が曲がる様になっていた。これに対して、恐竜では距骨と踵骨が一体化して下肢の骨(脛骨、腓骨)の先端をキャップ状に覆い、この先で横一直線に折れ曲がる様になった。こうした脚全体の構造改造のおかげで、恐竜は直立したまま巨大な体を支え、効率良く移動する事が可能になったのである。これこそ彼等が他の爬虫類を抑えて、中生代の覇者として地上に君臨する事が出来た最大の理由であった。(2-4)
(注)槽歯類(テコドント)は、三畳紀に大いに繁栄したワニに似た体型の初期の主竜類で、歯が顎骨の歯槽にはまっていた事からこの名がある。この仲間から、三畳紀中期に後ろ足で立ちあがり二足歩行する様になったのが恐竜である。
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爬虫類は、頭蓋の眼窩の後ろに開く側頭窓という大きな穴の開き方から、3つのグループに分けられる。最も原始的な爬虫類の頭蓋には、骨鼻口・眼窩、それに第3の目と言われる頭頂孔の3種類の穴しかあいていない。ところが進化と共に、頭蓋の内側からおこる顎を閉じる筋肉が発達し、より広い付着点を求めて頭の骨の壁に中から窓を開ける事になる(特に肉食のもので良く発達)。この時、眼窩の後ろの後眼窩骨と鱗状骨の下だけ開くものと、上下に2つ開くものに分かれた。頭蓋の壁に窓が開くとその下に桟が残り、それが前後にアーチを架けた様に見える事から弓と呼ばれている。側頭窓のないものがこの弓もない無弓類(亜綱)で、原始爬虫類の他、カメの仲間が含まれる(両生類にも側頭窓はない)。下の窓(下部側頭窓)だけ開いたものは一本の弓が出来るので単弓類と呼び、この仲間から哺乳類が進化して来る。そして、側頭窓が上下2つ(上部と下部側頭窓)とも開口したのが弓も2段になった双弓類で、これには他のすべての爬虫類が含まれるが、その内トカゲやヘビなどを除いた主流派が主竜類(祖竜類)である。主竜類では、さらに眼窩の前にも前眼窩窓という大きな窓が開く。この主竜類から、ワニや翼竜などを除いた残りが恐竜という事になる。上部側頭窓が1つ開いた海生爬虫類の広弓類は、かっては無弓類・単弓類・双弓類と並ぶ同じランクの亜綱とされていたが、今日では下部側頭窓が退化して失われた双弓類の仲間と考えられている。また、無弓亜綱は様々な系統の寄せ集めの様になっており、今日では分類単位としては使われなくなって来ている。
恐竜を特徴づけているのは骨盤の形で、足が胴体の真下に伸びる事と関連して、はいつくばったトカゲやワニと比べ恥骨や坐骨の幅が狭く棒状で下方に突出している。そして、この骨盤の恥骨の走り方から恐竜は2つのグループに分類される。1つは恥骨が前下方に伸びるトカゲに似た骨盤の形の竜盤目(爬虫類形恐竜)、もう1つは恥骨が坐骨と平行して後下方に伸びる、鳥類に似たタイプの鳥盤目(鳥類形恐竜)である。もともと恐竜は肉食の足の速い2足歩行者で、恥骨は前下方に伸びていたと考えられている。それが植物食に適応する時、植物の消化のために腸を長く伸ばす必要に迫られるが、そのために胴を長くすると重心が前に移って2足歩行の姿勢がとりにくくなる。そこで、腹腔の後端を限っている恥骨を後ろに傾ける事によって、腸を入れる空間を確保する様に進化したのが鳥盤類と考えられる。これに対して2足歩行をあきらめ、4足性に戻って植物食に適応して行ったのが竜脚類である。鳥盤類もその後、鳥脚類を除いて4足歩行に戻って行くが(剣竜類・曲竜類・角竜類)、彼等はすべて草食性である。他方、竜盤類は肉食性で2足歩行の獣脚類と、草食で4足歩行の竜脚類に分けられる。(2-7)
また現生鳥類は、その頭蓋が上部・下部側頭窓と前眼窩窓を持つ事から双弓類の中の主竜類に属す事になる。そして鳥類は椎骨と脚や腕の骨が中空になっているが、これは獣脚類に共通の特徴である事から、今日では竜盤目の獣脚亜目(鳥盤目ではない事に注意)の仲間で、デイノニクスやべロキラプトルなどの活発で捕食性の強いドロマエオサウルス類に近いと考えられている。鳥類の骨盤の恥骨は、その胚発生が示す様に前方から後方に二次的に回転したものである。
(注)最初に現れたのは足指が4本で二足歩行の小型の肉食恐竜だが、あまり繁栄する間も無く、すぐに獣脚類が登場して三畳紀から中生代末まで長期にわたって大繁栄する事になる。獣脚類は鳥類に良く似た仲間で、大小様々なグループがいたが基本的な体型はあまり変わらず、3本指の鳥にそっくりな後肢で二足歩行し、鳥の様なS字状に伸びた首と、ほとんどが鋭い歯を持つ捕食動物だった(くちばしを持つ草食恐竜もいた)。そして、この仲間から鳥類が進化して来る事になるのである。
(注)鳥の羽は、鳥類が出現する以前に獣脚類恐竜の仲間に現れ、多様化していった事が明らかになって来ている。シノサウロプテリクス(中華竜鳥)、カウディプテリクス(尾羽鳥)、ドロマエオサウルス、ベイピアオサウルス、ミクロラプトル、シノルニトサウルス(中国鳥竜)など10数種類の獣脚類恐竜に羽が有った事が知られているのである。もしかすると、ティラノサウルスやベロキラプトルに羽が生えていた可能性も考えられる。鳥類とは、「飛翔能力のある羽の生えた獣脚類恐竜の1グループ」と見る事もできるのである。
表2-3 恐竜の分類
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竜盤目 |
獣脚類 |
ベロキラプトル ティラノサウルス (鳥類の祖先) |
(肉食) |
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竜脚類 |
ブラキオサウルス アパトサウルス |
草食 |
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鳥盤目 |
鳥脚類 |
イグアノドン ハドロサウルス |
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剣竜類(ステゴサウルス類) |
ケントロサウルス |
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堅頭竜類(パキケファロサウルス類) |
ステゴケラス |
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曲竜類類(アンキロサウルス類) |
ノドサウルス |
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角竜類(ケラトプス類) |
トリケラトプス |
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最も恐竜らしい恐竜といえる獣脚類は、どのような姿勢をしていたのだろうか。四肢と関節の関係については、巨大なティラノサウルスから小型のダチョウもどき恐竜に至るまで、驚くほど良く似ていた。まず重要なのは、腰部が水平に近かったという点である。大腿骨の骨頭が股関節窩の背面と正しく連結されるのは骨盤が水平の時に限られ、腰部を直立させると股関節窩から大腿骨頭が外れてしまうと言う。つまり恐竜は体を水平にし、前に倒した上体と後ろに伸ばした巨大な尾でやじろべいの様にバランスを取って、後足で二足歩行していたのである。実際、彼等は尾を地面につけずに歩いた事が足跡の化石から分かっている。恐竜のトレードマークとも言うべき巨大な尾には、このような意味があったのである。一方、尾のない鳥では短い大腿骨を水平に近い状態で固定して膝を出来るだけ前に出し、後肢が身体の重心の下に来る様にしている。鳥では膝がヒトとは反対に後ろ側に折れ曲がっている様に見えるが、実はあれは膝ではなく足首に相当し、普通に歩く時には大腿骨はほとんど使っていないのである。さらに鳥類は、獣脚類のシンボルでもあった前下方へ突き出した恥骨を後ろに回転させて坐骨と平行にするが、これも内臓を下げ体の重心を後ろに移動させる工夫であった。つまり、鳥類とは空を飛ぶ為に重い尾をなくし、後足2本でバランスをとる様に進化した獣脚類なのである。
さて姿勢でもう一つ重要なのは、膝が鳥類と同様に曲がったままだった事である。獣脚類と鳥類の膝では大腿骨の内側の大きな骨端が荷重を支え、外側の細い楔状の骨端は脛骨と腓骨の骨頭の間にある溝の中を動き膝がねじれない様になっているが、膝をまっすぐ伸ばすと溝からはずれて脱臼する恐れがあり、膝は常に曲げて歩いていたと考えられるのである。従来、ゾウの様な巨大な動物はその体重を支える為に大腿骨を垂直にして、柱状の四肢で歩くと思われがちであるが、捕食恐竜は走鳥類や有蹄類と同様の四肢の動かし方をしていたわけである。さらに、彼等は鳥類と同じく足指を使って歩く素早い移動に適した趾行動物で、足首は地面から完全に離していた(ヒトやクマは足裏を地面につけて歩く蹠行動物)。また、ゾウやカメの足首が平たく固定した構造になっているのに対し、獣脚類は走る事のできる大型動物の目立った特徴である、鳥類そっくりの柔軟性に富む足首を持っていた。これらの事から、6〜12トンもあったティラノサウルスも含めて、獣脚類はダチョウの様にすばやく走る事のできる捕食者だったと考えられるのである。(2-49)
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直立歩行以外にも、恐竜は様々な優れたシステムを進化させていた。R.バッカーによると、化石から恐竜が強力な心臓と肺を持っていた事がわかると言う。イグアナの様な小さな心臓しか持たない動物は、胸郭の先端が極端に狭くなっている。というのも、胸郭で囲まれている体内器官は心臓だけだからである。しかし恐竜の胸郭は非常に深く、前方の肋骨も厚く長く、そこには大きく強力な心臓が有ったはずだと言う。また、現生の爬虫類では頭と心臓はほぼ同じ高さにあるが、竜脚類の様に長い首を持つ恐竜では頭の位置が心臓よりもずっと高く、脳に血液を送るには非常に高い血圧を必要とした。しかし、肺の毛細血管は非常に薄くてもろく高い血圧がかかると内部で出血してしまうので、これを避ける為に肺循環系と体・頭部循環系が分離されていなければならない。つまり、首の長い恐竜には哺乳類・鳥類と同様に、完全に2つに分割された4室の心臓(2心房2心室)が必要なのである。実際、最近発見された鳥盤目の草食恐竜の心臓化石は、CTスキャンから哺乳類と同じ代謝率の高い4室構造をしていたと言う(現生の爬虫類は3室だが、ワニはほぼ4室)。
恐竜の肺も、鳥類に見られる様な複雑な気嚢システムを持つ、極めて効率的なものだった可能性が高い。気嚢システムとは空気を気嚢の中に吸い込み、そこから肺の組織へ血流と逆の一方向に通過させる(向流交換)というもので、哺乳類の様に出口のない盲管構造の肺に空気を吸い込み、再び吐き出すという往復運動をする方式に比べて、ずっと効率の良いシステムとなっている。鳥類は空を飛ぶという激しい運動に対応するため、この効率的な肺を必要としているのである。恐竜の脊椎骨の各所には、鳥類のものと非常に良く似た凹みが存在し、ここに管で肺とつながった気嚢が詰まっていたと思われるのである。(2-6) (2-8)
恐竜の消化システムも、我々哺乳類とは異なるが、極めて効率的なものだったと考えられる。現生爬虫類の中で最も恐竜に近いワニと恐竜の子孫とされる鳥類は、共に消化器官として砂嚢を持ち、その中には大型鳥類では両手にいっぱい程の量になると言う大量の胃石が入っている。胃石は砂嚢の厚い筋肉壁の収縮で揺り動かされ、食物を粉々に砕き、すり潰す。哺乳類は反芻類を除くと、食物をまず歯でよく噛み砕き、それから胃に送り消化する。そのため、哺乳類は複雑に分化した歯を進化させて来たのである。しかし、この消化器系では歯に大きな負担をかける事になる。歯の表面の最も硬いエナメル質でさえ、砂に比べるとはるかに軟らかく、砂混じりの食物を食べる事で歯は激しく磨耗してしまう。例えば、古代ニューメキシコのアナサジインディアンなどは、歯肉の所まで歯がすり減っていたと言われる。硬く消化の悪い草を大量に食べなければならない草食性真獣類にとって、二度と生えない永久歯の磨耗は死活問題である。そこで彼等は、様々な歯の磨耗対策を進化させて来た。ウマは小臼歯を大臼歯なみに大きくして上下の顎にずらりと並べ、また1つ1つの歯を高くして磨耗に備えている。そのため、ウマの顔はあのように長くなったのである。また、ゾウは巨体を維持するために夜も寝ずに食べ続けると言われるが、その激しい歯の磨耗に対応するため、他の哺乳類のように乳歯を永久歯で垂直方向に交換するのではなく、独特の水平交換という方式をあみ出した。ゾウの歯の数は、上顎に切歯1対・小臼歯3対・大臼歯3対、下顎に小臼歯3対・大臼歯3対で、臼歯は全部で上下6対ずつあるはずだが、実際には1対か2対しか使われていない。ゾウの大きな臼歯は咀嚼作用により前の方から磨耗し、使えなくなると歯は浮き上がって脱落、代わりに後方の歯胚で作られた新しい臼歯が前方に移動して脱落した臼歯と交代する。こうしてゾウは、臼歯を次々に入れ代える事で磨耗に対応している (2-9)。このように哺乳類は歯の磨耗に悩まされ続け、様々な対策を進化させて来たのである。
ところが、砂嚢を持つワニや鳥類では歯で咀嚼する必要はなく、食物は直接飲み込んで前胃に送り込み、そこで胃液で化学的に消化し軟らかくしてから砂嚢に送られ初めて噛み砕かれる。このため歯の磨耗の心配もなく、極めて効率的な消化システムとなっている。ただ、このような消化器系はトカゲ・ヘビ・カメなど他の爬虫類には見られず、また鳥類とワニの砂嚢の基本構造の一致は、両者が系統的に近い生物である事も示している。
これと良く似た消化システムに、哺乳類が進化させた最高の器官の1つである反芻胃がある。反芻動物は、食物を胃液に浸し軟らかくしてから咀嚼する。ウシやシカは、砂混じりの草を口いっぱいに引きちぎると、噛まずにそのまま飲み込み一連の胃の部屋に送り込む。そして熟成桶の様な胃の中で、胃液やバクテリアによって固い繊維が分解され軟らかくなってから口に戻し、そこで初めて歯で咀嚼する。現生の大型草食哺乳類の大部分がこうした反芻類で、ウシ・ヤギ・ヒツジ・アンテロープ・シカ・キリンなどがその仲間である。今日、有蹄類の中でも偶蹄類が圧倒的に優位に立っている理由の1つは、この反芻胃を進化させた事による。その利点は、歯の負担が軽いというだけでなく、捕食者に狙われやすい開けた草原ですばやく草を取り込み、咀嚼は後でゆっくり安全な場所で出来るという点にもある。他方、砂嚢も反芻胃も持たず固い草を直接歯で噛みつぶさなければならない草食動物、例えばシマウマは、活動時間のほとんどを食物のある草原で草をはみ咀嚼する事に費やさねばならず、常に肉食獣に狙われる危険に身をさらす事になる。胃の容積が小さい奇蹄類では、食物の貯留が困難なのである。反芻をしない奇蹄類は現在バク・ウマ・サイの3種類だけであり、飼育されて多くの品種に分かれたウマを除くと、いずれも細々と生存しているに過ぎないのである。
(注)反芻獣は、第一胃・第二胃の内部にセルロース分解菌を共生させて可溶性炭水化物を生成し、それで多くの細菌・原生生物を飼育・培養する。そして第三胃で脱水した後、最後の第四胃で胃液のタンパク質分解酵素によりこれらの微生物を分解している。つまり反芻獣は、植物繊維を使って培養した細菌・原生生物を食べているわけである。
このように、砂嚢は反芻胃にも匹敵する優れた消化システムという事が出来るが、それだけではなく特殊な効用も持っている。砂嚢が食物の咀嚼を引き受けた事により、歯は食物をはみ続ける必要がなくなり、口に他の活動をする余裕が生まれたのである。例えば求愛活動。実は、小鳥たちが長時間さえずり続ける事が出来るのは、彼等が口で食物を咀嚼する必要がないからである。小鳥が歌を歌っている間も、砂嚢は食物を咀嚼し続けている。草食性の哺乳類が1日中、口をもぐもぐさせて草を咀嚼し続けなければならないのとは大違いである。もし恐竜が砂嚢を進化させなかったならば、今日我々が小鳥のさえずりを聞く事も出来なかったわけである。(2-6)
骨も、恐竜が高い物質代謝能力を持っていた事を示している。骨は外側の緻密骨質と内側の海綿骨質と大きく2つの部分に分けられ、緻密骨質は血管の通路であるハバース管と、その周囲を同心円状に取り巻く層板という石灰化した骨から成る、円柱状の微細構造(ハバース管系、骨単位)の繰返しで構成されている。骨がベニヤ板の様に頑丈で弾力に富むのは、この層板構造の為である。層板中には、骨小腔(裂腔)と呼ばれる小さな隙間が骨層板に沿って点々と配列し、その中の骨細胞がカルシウムの沈着や溶出を行っている。そして、各骨小腔は細い管(骨細管)でつながり、骨細胞はその中に長い突起を伸ばして互いに結合し、また突起の一部は中心のハバース管にまで達して循環系との物質交換も行っている。つまり、骨細胞の突起は細胞に養分を補給するパイプラインにもなっているわけで、その数は骨細胞の代謝能に比例する事がわかっている。哺乳類では1つの骨細胞が100本前後の突起を持ち、カルシウムやリンの代謝能がずば抜けて高いが、恐竜の骨細胞もほぼ同数の突起を持ち、その様子は現生の哺乳類のものと少しも変わらないと言う。これは草食性・肉食性の恐竜共に認められ、恐竜の骨細胞が哺乳類並みの高い代謝能力を持っていた証拠と考えられるのである。
また、いくつかの恐竜の骨には膨大な数のハバース管が見られ、その数は典型的な爬虫類よりはるかに多く、大型の哺乳類に匹敵すると言う。このハバース管の密集は、恐竜温血説の根拠の1つとされ、これも高い物質代謝と関係があると考えられている。
(注) 骨の内部構造からは、単純に恒温性かどうかの結論は出せない様である。現生の変温性の爬虫類から脈管系が高度に発達した骨が見つかり、逆に小型哺乳類や鳥類から脈管系の非常に少ない骨が発見されたりしているのである。
恐竜の中には集団生活をして社会性を発達させ、子育てをしたものもいた事が知られている。コロラド州パガトゥア峡谷で発見された大型竜脚類の足跡からは、彼等が群れをなして移動していた様子が明らかにされた。11頭からなる群れのうち、大型の個体は当時の湖の水際を、小型の個体は少なくとも1頭の大人に脇を固められて陸側を歩いていた。竜脚類は現在のゾウの様に、子供を守りながら移動していたのである。また、北極圏で発見される恐竜化石の約5%は集団状態を示していると言われ、群れはかなり一般的な現象だったようだ。しかも、草食恐竜だけではなく肉食恐竜も同じ方向に群れをなして進む足跡とか、複数の化石が同一箇所から発見されており、群れで行動し狩りをしていた可能性が高い。実際、獣脚類の足跡は一列ではなく、歩行の跡が何本も平行についている事が非常に多く、そのほとんどは群れを成していた事によるものだと言う。こうした歩行跡は、小さい種から2トン前後ある獣脚類のものまであった。モンゴルでは、80頭以上の七面鳥ぐらいの小型肉食恐竜が、同時に進行方向を変えながら時速30kmで移動した事を示す足跡化石も発見されている。
白亜紀後期に北米で生息していた、体長8〜10mの大型カモノハシ竜のマイアサウラ(よい母親トカゲの意)は、大きなコロニーの中で巣作りし子育てをしていた事で有名である。アメリカ北西部のモンタナ州の丘陵地帯では、カモノハシ竜の大規模な集団営巣地が発見されており、土盛りした地面に直径2m、深さ1mの皿状の穴を掘って中に20個程の卵を同心円状に生み、その巣の中で子供を育てていたと考えられている。子供は数十cmで卵から孵化し、体長が1.5mになるまで巣に留まっている事から、2〜3ヶ月間母親が餌を運んで育児したものと思われる。マイアサウラの子供は孵化直前になっても骨が十分に骨化せず、体長1mの子供でも脚の関節部分の骨が完成していないが、歯の方はひどく磨り減っていると言う。つまり、彼等は生まれてすぐには歩いたり出来ず、親に面倒を見てもらう必要があったわけである。この他にも、同じ鳥盤目のプロトケラトプスで巣と卵が発見されており、小型獣脚類のオビラプトルが鳥の様に卵を抱いて巣ごもる形の化石も見つかっている。またマイアサウラは、渡り鳥のように毎年大きな群れを作って季節的な大移動をしていたようだ。渡りの途中で火山噴火に巻き込まれたのであろう、数万頭にも及ぶ骨格が一ヶ所からまとまって発見されている。彼等は毎年モンタナ州北部で営巣して卵を生み、夏になるとエサを求めて4600kmも北上し、北極圏まで足を伸ばしていたのである。
中国の河南省南陽では、カモノハシ竜の膨大な数の卵が発見されている。300km