最初の生命あるいは細胞は、我々が今日考える生物とは大きく異なり、極めて未熟な発展段階にあったと考えられる。恐らく最初の細胞は、細胞膜の中にわずかのDNA断片を持ち、今の生物が行う代謝過程のごく一部分だけ担うようなものだったかも知れない。そして、こうした不完全な原始細胞が多数集合して代謝産物を次々と交換していく事で、初めて1個の独立した生命として機能を果たしていたのだろう。いわば、様々な異なる機能を持ち互いに補い合う原始細胞の集団が、1個の完結した生物であったと見る事もできる。つまり、全生物の共通祖先は「1つの細胞ではなく、共同体的にゆるく連帯した多様な原始細胞」の一群であった。生命は独立した細胞とは言えない様な段階から、一種の生態系を形成する事で生きてきたのである。以後、少しずつ1つの細胞内に必要なDNAを集中させていく事で細胞の機能を拡大し、徐々に生物としての完結性・独立性を高めていったと考えられる。生命が誕生したばかりの原始地球の熱湯の海では、こうして徐々に独立した生物としての体裁を整えつつあった、何種類もの原始細胞が共存していたと思われる。しかし、どの生命も不完全で、独力で生存できるものはいなかった。今日でも、細菌は持てる遺伝子が限られ充分な代謝能力がない為、何種類もの細菌が互いに助け合い補い合って、複雑な生態系を形作る事で生きている。そればかりではなく、細菌間で有用な遺伝子の交換までして、協力して細菌の世界を維持しているのは先に見たとおりである。生まれたばかりの原始生命は、様々な物質が出入りする不完全な細胞膜を通して、互いに必要な遺伝子や物質を交換し、助け合って生きていたと考えられる。隣の細胞から必要な酵素やヌクレオチドを貰い、さらには死んだ細胞から漏れ出たDNAさえ取り込み進化して行った事だろう。これらの不完全な生命は熱水が噴出する海底に棲んでいたが、言わば全体として1つの生命であった。実際、今日ではrRNAの塩基配列から生物の系統関係が調べらているが、異なる遺伝子を用いると全く違った系統樹が得られる場合も多いと言う。生まれたばかりの細胞間では遺伝子の水平移動が高頻度で起こり、単一の系統樹を描けないほど錯綜していたと考えられるのである。その後、周囲の細胞とDNAを交換し取込む事で有効な遺伝情報を蓄積し、必要な高分子を自ら合成できる様になり、細胞膜も必要なものだけを選択的に通す様に改善されて、徐々に生命としての独立性を高めて行ったのである。(4-13)
(注)以下で述べるように、原始真核生物は古細菌の仲間から進化し、それに真正細菌がミトコンドリアや葉緑体として細胞内共生する事で真核細胞が誕生するわけだが、真核生物の核の遺伝子には古細菌由来のものだけではなく、呼吸や光合成に関係がない真正細菌由来のものも多く含まれている。また古細菌がかなりの数の真正細菌の遺伝子を持っていたりする。つまり、最初の真核生物が出現する頃までの生物の初期進化段階では、遺伝子の水平移動が高頻度に起こり、進化に重要な影響を与えていたと考えられる。その結果、生物の共通祖先を示す系統樹の幹部分も1本ではなく、多くの枝の絡まった叢林の様になっているのである。こうした遺伝子の水平移動に制約が加えられるのは、多細胞の真核生物が出現して生殖細胞が隔離される様になってからと思われる。
40億年前、生命が誕生した頃の海の温度は100℃前後、遺伝子の総数は500個程度であったと言う。この生まれたばかりの原始細胞はどのようなものであったのか。今日、細胞は原核細胞と真核細胞とに大きく2分されるが、最初に誕生した生命は、真核細胞より構造の極めて単純な原核細胞であった事は間違いない。昔は原核生物には細菌とラン藻が含められていたが、今ではラン藻も細菌の一種とされ名前もシアノバクテリアと改名されて、原核生物とは細菌(バクテリア)の仲間と言える。ところが近年、この原核生物は性質の大きく異なる2種類に分けられる事が明らかになって来た。普通の細菌の真正細菌(ユーバクテリア)と古細菌(アーキア、アーキバクテリア)である。両者の細胞は非常に良く似ているが、生化学的には差が大きく、細菌と真核生物の違いほどあると言う。そして、この我々に馴染みの薄い古細菌が、生命の初期進化の様相を探る上で鍵となっている事が分かって来たのである。
では、古細菌とはどういう細菌なのだろうか。古細菌発見のきっかけはメタン細菌の研究からである。これは酸素のない所でメタンを発生させる特殊な細菌の総称で、何種類ものメタン細菌が存在するが、酸素の存在する環境では生きられない絶対嫌気性菌である。実験室では水素ガス(H2 )と二酸化炭素ガス(CO2)からメタンを合成し、その時発生するエネルギーで二酸化炭素を糖などの有機物に変換、これを材料に自分の体を作り増殖して行くが、自然界では他の細菌が捨てる酢酸(CH3COOH)などの代謝老廃物を利用してメタンを作っている。どぶや沼地から、ぶくぶくと気泡が出ているのがそれである。
CO2+4H2 → CH4+2H2O
CH3COOH → CH4+CO2
(注)地殻の上層1〜3qに埋蔵されている天然ガスの大部分は、メタン生成細菌が生産したものと言う。
このメタン細菌の小サブユニットrRNAの塩基配列を、他の生物のものと比較して系統関係を調べると、大腸菌など他の細菌と似ていない事が分かったのである。もちろん真核細胞のrRNAとも似ていない。そこで古細菌は、原核生物・真核生物に次ぐ第3の生物群(アーキア)と考えられる様になって来た。つまり、生物界はこの3つの超生物界に分けられると言うのである。以後、次々と古細菌が見つかって行ったが、これらの細菌は、今までならとても生物が棲めるとは思えない様な特殊な環境下に棲んでいた。例えば、酸性の温泉・アンモニアに富む汚物・塩濃度の高い水溜り・泥床・堆積物の多い嫌気的な湖底などである。
(注)古細菌の多くは好熱性で極限環境に棲む最も原始的な仲間だが、今日では南極の冷たい海水中や様々な地域の土壌の表土にも、多様な古細菌が発見されている。
現在、古細菌はその生息場所から次の3グループに分けられている。
@ メタン細菌 : 古細菌の最大グループ、偏性嫌気性菌ですべてが古細菌に属す。
A 高度好塩菌 : 飽和に近い食塩濃度の中でしか生きられず、死海などの塩湖や塩田に棲む。なかには塩だけではなく、pHがアルカリでないと生きられない高度好塩性好アルカリ菌もいる。
B 高度好熱菌(高度好熱性イオウ依存古細菌)
: 酸性で高温の環境下に棲みイオウを酸化して硫酸にする高度好酸性古細菌と、高温の嫌気的環境下でイオウを還元して硫化水素に変える超好熱菌が含まれ、いずれもイオウを代謝する。
当初、高度好熱菌は温泉から発見された高温・酸性の環境下に棲む好熱好酸菌が注目され、1970年代の終わりには古細菌の3つの代表的グループの1つとされていたが、その後1980年代に入って、好酸性ではないイオウを還元する好熱性の古細菌が次々と見つかり、このグループは高度好熱菌またはイオウ依存高度好熱菌と呼ばれる様になって来た。高度好酸性古細菌の代表は、テルモプラズマ属(温度60度、pH1.5前後で成育、イオウ依存性ではない)とスルフォロバス属(温度90度、pH2以上)である。一方、イオウを還元する超好熱菌は、90度以上の高い温度で成育できる嫌気性の好熱菌で、温泉の硫気孔や海底の熱水噴出口から分離されている。しかし、イオウ代謝性好熱菌の総てが古細菌ではない。
古細菌は生息場所だけでなく、様々な変わった特徴を持っている。真正細菌は細胞膜の外にペプチドグリカンの細胞壁を持つが、古細菌の細胞壁は未知のタンパク質を含む多様な物質からできている。また細胞膜は、真正細菌も真核細胞もエステル脂質でできているが、古細菌は例外なくエーテル脂質である。光合成に於いても、真正細菌のシアノバクテリアは光エネルギーを捕えるのにバクテリオクロロフィルを使っているが、古細菌のハロバクテリアはバクテリオロドプシンという紫の色素を使う。リボソームやrRNAは真正細菌とほぼ同じ大きさだが、抗生物質に対する感受性は真正細菌・真核生物とも異なる。このように風変わりな特徴を持つ古細菌であるが、その一方でそれまで真核細胞に固有と考えられていた生化学的性質も持っている。例えば、ジフテリア毒素に対する感受性で、ジフテリア菌の生産する毒素は、真核細胞内のペプチド鎖延長因子EF-2の働きと止めてタンパク質合成を阻害する。他方、真正細菌もこれと良く似たペプチド鎖延長因子EF-Gを持つが、これはジフテリア毒素の作用を受けない。つまり、真正細菌のタンパク質合成は阻害されない。ところが古細菌のEF-Gは、真核細胞と同様にジフテリア毒素によって失活してしまうのである。また、遺伝子がイントロンによって分断されている事が真核生物の大きな特徴だったが、古細菌にもこのイントロンが存在している。それに対して真正細菌の遺伝子はイントロンを持っていない。古細菌はタンパク質合成の開始のtRNAに、真核生物と同様ホルミル化していないメチオニルtRNAを使っている。また構造は少し違うが、真核生物の膜の中にも小量ながらエーテル脂質が存在する。さらにゲノムの比較から、真核生物と古細菌で、転写・翻訳に関係する遺伝子の多くがほとんど同じだという事が判明している。
表4-3 古細菌と真正細菌の違い
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古細菌 |
真正細菌 |
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細胞壁 |
多様な物質、タンパク質性が多い |
ペプチドグリカン |
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細胞膜 |
エーテル脂質 |
エステル脂質(真核生物と同じ) |
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DNA |
環状 |
環状 |
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DNA結合タンパク |
ヒストンに類似 |
HUなど |
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イントロン |
有り(真核生物と同じ) |
なし |
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細胞小器官 |
なし |
なし(ある種に見られるメソソームとチラコイドは例外) |
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mRNAのキャップ 構造・ポリA付加 |
有り(真核生物と同じ) |
なし |
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mRNAへの リボソームの結合 |
mRNAの5´末端に結合して開始コドンまでスキャン(真核生物と同じ) |
シャイン・ダルガーノ配列に結合 |
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リボソーム |
30S、50Sサブユニット、構造が真核生物のものに類似 |
30S、50Sサブユニット、古細菌・真核生物とは似ていない |
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ジフテリア毒素 |
感受性有り(真核生物と同じ) |
感受性なし |
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光合成色素 |
バクテリオロドプシン |
バクテリオクロロフィル (クロロフィルa) |
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翻訳開始のtRNA |
Met-tRNA(真核生物と同じ) |
fMet-tRNA |
こうした事から、古細菌は真核生物の祖先ではないかとする説が早くから現れていた。L.マーグリスも古細菌が発見されると、共生による真核細胞成立に際して宿主となったのは、好酸性好熱性古細菌の一種であるテルモプラズマに近い細菌であったと自説を改めた。テルモプラズマは細菌には珍しく細胞壁を持っていない。古細菌の中でも、メタン細菌・高度好塩菌及び他の好熱性古細菌が、球菌や桿菌・不定形の球菌のいずれかである事が多いのに対し、テルモプラズマ類は細胞壁がなく不規則な不定形で、他の細菌の様に定まった形をしていないのである。そのため、アメーバの様に他の細菌を飲み込むのに適している。こうして飲み込まれたミトコンドリアの祖先が、細胞内共生して真核細胞が誕生するのである。つまりマーグリスの説に従うと、真核細胞は古細菌から進化して来たという事になる。はたして真核細胞・古細菌・真正細菌の系統関係はどうなっているのだろうか。
今日、タンパク質や核酸の分子配列の比較から、生物の系統関係が調べられている。分子系統樹である。しかしこの方法では、試料が手に入る現存の生物間の類縁性が分かるだけで、試料のない共通の祖先については系統樹のどの位置に来るかを決定できない。古細菌の発見以降、多くの生物のリボソームRNAの塩基配列から生物界全体の系統樹が描かれて来たが、これには祖先生物の位置は示されておらず、いわば根のない無根系統樹であった。しかし、生命の起源とその初期進化を解明するには、全生物に共通の祖先の位置を確定する事が不可欠である。
そのためには、基準を祖先生物ではなく遺伝子そのものに求めれば良い。タンパク質には、最初の原始生命から系統樹の根に位置する共通の祖先が進化して来る迄の間に、遺伝子重複によって分化した双子の分子が存在すると考えられる。このような一対のタンパク質を利用するのである。例えば、エタノールを酸化してアルデヒドに変える酵素のアルコールデヒドロゲナーゼと、乳酸を酸化してピルビン酸に変える乳酸デヒドロゲナーゼは、その機能と構造が良く似ており、かっては1つの遺伝子にコードされた同じ酵素であったと思われる。恐らく、最初はどちらの基質にも働く選択能の低い酵素が、ある時、二重に複製され、1つの細胞に同じ遺伝子が2個存在する様になったのである(遺伝子重複)。こうなれば、その一方に変異が起きても生存に支障はない。こうして、アルコールにしか働かない選択能の高い酵素が誕生し、残る一方も乳酸専用に進化したのだろう。これが遺伝子重複による進化と呼ばれるもので、このような進化機構で多くの遺伝子が生み出されて来たと考えられている。古細菌・真正細菌・真核生物のいずれもが両方の酵素を持つ事から、共通の祖先も既に2つの酵素を持っていたと考えられる。つまり、この2つの酵素は原始細胞が3つの超生物界に分かれる以前に分化していたわけで、これを利用すると系統樹に根を付け祖先生物の位置を決める事ができる。まず、一方の酵素を3つの超生物界すべてから取り出し、それに超生物界のどれか1つから取り出した他方の酵素を加えて無根系統樹を作り、2つの酵素が遺伝子重複によって枝分かれした時期を基準に系統樹の根を決めるのである。こうしてできた有根系統樹を見ると、まず最初に真正細菌と古細菌が分かれ、その後、古細菌から真核生物が分岐している。つまり、真核生物は古細菌の仲間から進化して来たという事になるのである。
しかし、ここで注意しなければならない事は、タンパク質やRNAから描かれた分子系統樹は、あくまで解析対象となった分子の系統関係を示すに過ぎないという点である。そのため対象分子が異なると、全く違う結果となる場合も有る。先の脱水素酵素(デヒドロゲナーゼ)と同様の双子型のタンパク質として、膜結合性のプロトン輸送型ATPアーゼがある。ATPアーゼとは、細胞のエネルギー通貨であるATPを加水分解して、ADPとリン酸イオンに変換する酵素の総称で、この加水分解によってエネルギーが放出され、それを使ってイオンを運んだり鞭毛を動かすなどの仕事をする事が可能になる。
ATP+H2O → ADP+Pi+(H+)
つまりATPアーゼは、ATPの化学的エネルギーを浸透的位置エネルギーや力学的エネルギーに変換する、エネルギー変換酵素なのである。細胞には様々なATPアーゼが存在するが、ここで取り上げるのは、膜に結合してATPを分解すると同時に水素イオン(プロトン)を運ぶもので、この型のATPアーゼはプロトンを細胞の内側から外側へと運び出して、細胞内のpH(水素イオン濃度:酸性度を示す、pH=−log10[H+])の調節に働いている。また反対に、プロトンを細胞内へ汲み入れる逆反応によって、リン酸イオンとADPからATPを合成する事もできる。我々が呼吸によってエネルギーを獲得できるのは、呼吸により細胞外に汲み出したプロトンを、細胞膜にあるATPアーゼが汲み戻す事でATPを合成しているからである。従って、プロトン輸送型膜結合性ATPアーゼはどんな生物でも持っていると考えられる。好気性の呼吸をする生物ならATP合成の為に、嫌気性の生物でも細胞内のpHを調節する為に。この酵素は、サブユニットと呼ばれるタンパク質の塊が十数個結合して出来ているが、膜を貫通してプロトンを通す運河の役割をしている部分と、膜の内側でATPの分解と合成をする部分の2つに大きく分けられる。この分解・合成反応を触媒する部分は5種9本のポリペプチドから成り、そのうち一番外側のαとβの2種類のポリペプチドが、各3分子ずつ交互に組み合って酵素としての機能を担っている。αとβサブユニットはアミノ酸配列に似た所があり、元は同じポリペプチドから遺伝子重複で2種類に分化したと考えられる。しかもこの膜結合型ATPアーゼは、その活性中心が古細菌・真正細菌・真核生物で同じα3β3構造をとっており、分化が古細菌と真正細菌の分岐以前に起こった事を暗示している。従って、α・βサブユニットから同じ様に有根系統樹が描けるはずである。
真核生物ではプロトン輸送型ATPアーゼは細胞内小器官の膜にも存在し、ミトコンドリアの内膜のものは呼吸で汲み出したプロトンを使い、また葉緑体では太陽光のエネルギーで内膜の外に汲み出したプロトンを汲み戻してATPを合成している。そして、これら細胞内小器官のプロトン輸送型ATPアーゼは、大腸菌など真正細菌の膜に結合しているものとアミノ酸配列が似ている。しかも、ATPの分解を触媒する部分はミトコンドリアと葉緑体の内膜の内側に位置しており、これは共生説の言うように、これらの小器官が細菌の細胞内共生によって誕生したとするとうまく説明がつく。実際、この細胞内小器官のATPアーゼのアミノ酸配列から有根系統樹を描くと、先程とは逆に真核生物は真正細菌との共通の祖先から分かれて来たという結果になると言う。結論が正反対になるのは系統樹が分子の系統関係を示している為で、この結果は、ミトコンドリアのATPアーゼが真正細菌から分かれて来た事を意味しているのである。また、ミトコンドリア・葉緑体の様な二重膜の細胞小器官だけでなく、リソソームや液胞などの単膜の小器官にも膜結合型のATPアーゼが存在するが、両者ではその性質が異なっている。まずアミノ酸配列の相同性が低く、硝酸イオンは液胞など単膜系小器官のATPアーゼの活性を止めるが、ミトコンドリアには影響しないなど、酵素の働きを止める薬剤も違う。実は、真正細菌のATPアーゼはミトコンドリアや葉緑体のものと、そして古細菌のATPアーゼはリソソームや液胞のものと良く似ているのである。この事実は、真核生物の細胞成分には古細菌に近縁のものと、真正細菌に近縁のものの両方が混ざっている事を示している。つまり、真核生物はその構成要素のタンパク質や核酸の系譜から言うと、古細菌と真正細菌の合いの子であって、その細胞成分はこの2つの家系のどちらかに由来するのである。真核生物は、古細菌と真正細菌との共生によって誕生した事がここでも確認されるわけである。
(注) 現実は、ここで述べた程すっきりとはしていない。普通、分子系統樹の作成には、rRNA遺伝子の塩基配列が用いられるが、他の遺伝子を使うと全く異なった系統樹が出来てしまう事が良くある。ここで挙げた様に、真正細菌の方が真核生物に近縁になったり、真正細菌のグループの中に古細菌が混じったり、その逆になる事も良くあると言う。どうも、誕生したばかりの原始細胞の間では、遺伝子のやり取りが高頻度で行われていた様なのである。例えば、超好熱菌のテルモトーガは真正細菌であるが、そのゲノム遺伝子の24%は古細菌タイプであると言う。これが、古細菌と真正細菌という超界を超えたものである事を考えると、両者が分岐する以前には、さらに頻繁に遺伝子の水平転移が行われていたと思われる。生まれたばかりの原始生命は、その内部で遺伝子を自由にやり取りし、全体として1つの有機体のように一体となって進化しつつあったのである。
これらの事から、次の様に考える事ができるだろう。誕生まもない原始生物は、まず真正細菌と古細菌の2つのグループに分かれた。そして真正細菌の中からシアノバクテリアが進化し、大量の酸素を発生させる事になる。すると、この酸素を利用して効率的なエネルギー代謝をする好気性細菌が出現、次に現在のテルモプラズマ属に近い古細菌が、この好気性細菌を飲み込んで両者の細胞内共生が始まる。この時、古細菌は飲み込んだ好気性細菌を自分の細胞膜で包み込んだ為、好気性細菌の膜の外側に古細菌の膜が重なり、二重の膜に包まれた細胞小器官が誕生したのである。従って、この2つの膜の間は、元々は細胞の外側つまり外界に対応する。この共生した真正細菌が退化して、ミトコンドリアとなるのである。一方、古細菌の細胞膜自身も内側に陥入し、これが液胞やリソソームなどの単膜系小器官となる。そして、元々細胞膜の内側にあったATPアーゼは、膜が陥入して閉じた時、自然に単膜系小器官の外側に位置する様になった。この結果、ミトコンドリアなど二重膜の細胞小器官のATPアーゼは真正細菌のものに似て、単膜系のATPアーゼは古細菌のものと似ているわけである。このように真核細胞は、古細菌と真正細菌の2つの家系が混ざったものであり、その構成成分は両者のいずれかに由来すると見る事ができる。「生物界は生化学から見ると、真正細菌型か古細菌型のいずれかに分類される。・・・・・・高等動物に固有とみえる高度な生物機能であっても、それを担う素子は古細菌か真正細菌のいずれかに由来しているのである」(4-13)。この事から考えると、生物進化の歴史の中で最初の重要な出来事は、原始生命が古細菌と真正細菌の2つの道に分かれた事と言えよう。そして次の大事件は、再びこの2つが合流して全く新しい細胞、つまり真核細胞が誕生した事である。この真核生物の出現が、今日の多様な多細胞生物の繁栄へと繋がって行くわけである。
では生まれたばかりの原始生命は、どのような生物だったのだろうか。それに近い現生生物とは、先程の有根系統樹の根元に近い生物という事になるが、そのほとんどは好酸性で高濃度の硫黄の嫌気的環境に生息し、しかも驚いた事に総て90℃以上の高温環境下でしか生きられない超好熱菌なのである。例えば、真正細菌のグループでは系統樹の根元に近い方から、アクイフェックス属・テルモトーガ属・緑色非硫黄細菌・テルムス属の順であるが、その生育温度はそれぞれ 95℃・90℃・75℃・85℃で、原始生命に近いものほど高温性が高くなる。そして根元から離れるに従い、高温では増殖できない細菌が位置していると言う。これは古細菌でも同様で、系統樹の根元の生物、そして地球上最初の生命も超好熱菌であった可能性が極めて高いのである (4-13) (4-14)。このことは、16SrRNAの塩基対を形成したステム領域のGC含量(グアニンとシトシン塩基の占める割合)からも示される。GC塩基対はAT塩基対よりも水素結合が多く熱的に安定で、高温菌ほどGC含量が多いが、共通の祖先も高いGC含量を持っていたと推測できるのである。生命は熱湯の海の中で始まり、そして約35億年前の嫌気的世界で、まだかなり熱い頃に古細菌と真正細菌に分かれたと考えられる。これは先に見た、地球科学からの推定とも一致している。
グリーンランドのイスアの岩石中に残された化学化石から、生命は38億年前には既に始まっていたと考えられるが、30億年前以前の海水温は酸素同位体比からの推定では、60〜120℃もあったと言う。原始生命は超好熱菌だったと思われる事から、38億年前には海水温は彼等が生存可能な100℃前後にまで冷えて来ていたのだろう。現在確認されている最古の生物化石は、ノースポールの35億年前の微化石で、熱水噴出口の周辺で生息する好熱菌の仲間であった。また酸素発生型の光合成を進化させたシアノバクテリアは、光合成をする生物の中では好熱性が高く、75℃でも育つ種が知られている。温泉の泉源付近やその熱湯の流れる溝などに緑色の藻が生えている事があるが、これが好熱性シアノバクテリアである。このシアノバクテリアの化石は27億年前までさかのぼる事ができる。また最古の真核生物の化石は21億年前のものだが、真核生物の中で最も高い生育温度はカビや酵母の55℃である。さらに、昆虫など高等動物の生育温度の限界は45℃くらいと言われるが、最初の多細胞生物の出現は約10億年前、エディアカラ動物群が繁栄するのは先カンブリア時代末期の約6億年前の事であった。このように見て来ると、地球の生物はその誕生以来、時代を経るごとに生育温度の低い生物が進化して来た事がわかる。そしてそれと同時に、生物はより複雑なもの、より高度なものへと進化して行ったのである。この事は、地球が熱湯の海に覆われて時代に生命が誕生して以来、その海水温の低下に合わせて、次々と低い温度で生育する生物が出現して来た事を物語っている。生命は、地球全体の長期的な温度の低下と深く結び付きながら進化して来たのである。
(注)温泉ではしばしば大きな微生物のバイオマットが形成されるが、硫化水素泉では特徴的な温度による生物相の遷移が見られると言う。80℃以上の源泉付近では大きなバイオマットの形成はないが、70℃前後になると化学合成細菌の黒色マットや白色の硫黄芝が出現し、60〜50℃では光合成細菌や従属栄養細菌のマットが主流となる。この光合成細菌のマットの構成は、60℃前後では好熱性細菌の酸素を発生しないクロロフレクサス属、その下流域に中温性で酸素発生型のシアノバクテリアが生育する。さらに温度が下がると紅藻や珪藻など真核生物の微細藻類が混じる様になると言う。こうした温度勾配に沿った生物相遷移は、原核生物の進化の跡を示しているとも言えよう。(2-50)
(注) 好熱性古細菌は約30属60種にのぼり、高温で増殖可能な微生物のほとんどは古細菌で占められている。また、現在確認されている最も高温での生育は、ピロロブス・フマリイ(Pyrolobus fumarii)の113℃で、121℃で1時間の加圧滅菌にも耐える。反対に沸点以下の温度では成長が鈍り、91℃以下では凍死し始めると言う。一方、真正細菌では沸点以上の高温で生育できるものは無い。
原始生命は熱水の中で誕生したわけだが、ではどうして彼等は我々が手も入れられないほど熱い、熱湯の中で生育する事が出来たのだろうか。卵をゆでるとタンパク質は変性して固まり、ゆで卵となる。これは高温ではタンパク質固有の立体構造が変化してしまう為である。しかし、超好熱菌は90〜110℃といった高温で生育し、酵素やタンパク質も変性しない。ところが、これらの好熱菌の生産する耐熱性タンパク質を調べても、特別に変わった点は見当たらないと言う。常温の生物と同じ20種類のアミノ酸から出来ており、その立体構造も普通のタンパク質と変わらない。ただ常温菌のタンパク質に比べて、表面や内部に電荷を持つアミノ酸の数を増やしてその間の電気的引力を強め、水素結合や疎水結合の数も増やしている。しかし、こうしたものは普通のタンパク質の内部にも多く存在し、好熱菌ではそれがわずかに増加しているだけで注意しないと気付かないと言う。また好熱菌のタンパク質は、大きさも幾分か小さめだと言う。その他、内部に隙間を作らないとか、緩みやすいループ部分に水素結合を加えるなど、わずかな改良を積み重ねて分子全体を頑丈に作っているのである。しかし、進化の流れから考えるとこの表現は逆で、タンパク質は本来このように頑丈なものとして誕生したと言える。それが「地表の温度が下がるに従い、タンパク質はだんだんだらしない構造へと堕落していったのだろう。生化学で、タンパク質は熱変性すると教えているのは、正確ではない。もともと、タンパク質は熱変性しない。温度が下がり、それに伴い進化が進み、軟弱なタンパク質でよいから、その代わりより複雑な機能を果たせるタンパク質が選択されるようになった結果、加熱により変性するようになったのである。熱変性はタンパク質本来の性質ではない」(4-13) のである。例えば、常温微生物の各種のカビが生産するリボヌクレアーゼ(RNAを加水分解する酵素)はとても安定で、100℃に加熱しても室温に戻せば活性を取り戻す。自然環境では、こんな高温にさらされる事のないカビが、わざわざこのように安定な酵素を作る必要はないはずで、恐らく、この酵素は昔の性質をそのまま引き継いで来たのだろう。また高度好熱菌や超好熱菌の酵素タンパク質は、揃って90℃とか100℃まで安定で変性温度にあまり差がないが、常温菌では安定なものから不安定なものまで様々なタンパク質が混じっており、変性温度のばらつきが大きくなっている。tRNAの場合も同じで、好熱菌のtRNAはどれも同じ様な温度で変性するが、大腸菌では変性温度がばらばらであると言う。こうした事は、原始生命が超好熱菌として誕生し、すべての生体高分子が安定で耐熱性を持っていたものが、進化と共に変異が起こり不安定化して来たと考えるとうまく説明できる。
原始生命の耐熱性の秘密は、タンパク質以外にもう1つ細胞膜にもある。実は、真正細菌・真核生物と古細菌では細胞膜の化学構造が全く異なり、この為、脂質の化学分析から古細菌か真正細菌かをすぐに判別できる。真正細菌や真核生物では細胞膜を作る脂質は、グリセロール分子に2分子の脂肪酸と1分子のリン酸基を含む原子団が結合して出来たリン脂質で、リン酸を含む原子団が親水性、脂肪酸の部分が疎水性の性質を持ち、この疎水性部分を向き合わす形で脂質二分子膜を形成する。脂肪酸とグリセロールとの間が、エステル結合(酸とアルコールが脱水縮合してできる、R−COO−R')で結ばれている事から、このような脂質をエステル脂質と呼んでいる。これに対して古細菌の細胞膜では、脂肪酸の代わりにフィタノールと呼ばれる、枝分かれの多い構造のアルコール2分子がグリセロールに結合している。フィタノールは炭素数の多いアルコールで、エタノールなどの炭素鎖の短いアルコールと違って水に溶けにくく、その為このような脂質分子からも脂質二分子膜が作れるのである。アルコールとグリセロールの間の結合はエーテル結合(アルコール同士が結合する時にできる、R−O−R')で、このような脂質をエーテル脂質と呼んでいる。古細菌の細胞膜は、例外なくこのエーテル脂質からできているのである。さらに、テルモプラズマやスルフォロバス属など多くの好熱性古細菌や一部のメタン細菌では、向き合った2分子のエーテル脂質が炭化水素部分の末端同士で結合した、テトラエーテル脂質で細胞膜を作っている。真正細菌と真核生物の細胞膜を作るエステル脂質は柔軟で、二重層の2つの層は自由にスライドできるが熱には弱い。他方、古細菌の使っているエーテル脂質は強固な二重層を形成し、特にテトラエーテル脂質ではその構造がさらに頑丈になっている。エーテル脂質の膜は、熱水に棲む好熱菌に相応しい細胞膜なのである。事実、真正細菌の中でも最も原始的で超好熱性のアクイフェックス属の細胞膜は、古細菌と同じエーテル脂質からできていると言う。熱に弱いエステル脂質は、地球の海水温が低下してから進化して来たものと考えられる。反対に海水温が下がって来ると、エーテル脂質、特にテトラエーテル脂質では硬すぎて、その頑丈さが生物にとっては却って障害になって来るのである。この事は、ラード・バター・サラダ油を例に考えて見れば良く分かる。このどれもが一定の温度で固体から液体に変化するが、その溶融温度はそれぞれ異なっている。サラダ油は室温では液体である。バターは固体だが、気温の高い日には溶けてしまう。ラードはさらに高い温度でないと溶けない。この3種類の脂肪は、どれもトリグリセリドという似た物質から出来ているが、その化学組成の違いで溶融温度が異なるのである。細胞膜を構成する脂質も同じで、その化学組成の違いから溶融温度に大きな差が出て来る。そして、脂質の溶融温度とその細胞が生息する環境の温度との間には明らかな相関関係が存在し、細胞膜が機能を果たす為には脂質二重層が流動的でなければならないが、反対に流動的過ぎると細胞の安定性が損なわれる。その為、細胞膜を構成する脂質は「その細胞の生息する通常の温度の中では流動的であるが、それよりも10〜15℃くらい低くなると凝固する様に出来ているのである」(4-12)。従って、超好熱性の原始細胞にとって、海水温度の低下は大きな危機だったはずである。海水温の低下によってエーテル脂質は固まり、細胞の活動は鈍くなり外界との物質代謝は止まってしまう。我々から見れば火傷をする程の熱水中で、原始細胞は文字どおり凍え死ぬ危機に直面したのである。この時、より低い温度に適応したエステル脂質の細胞膜を持つ細菌が進化して来る。これが真正細菌の仲間である。彼等はより低い温度に適応する代償として、煮えたぎる熱水の中で生活する能力を失った。しかし彼等が得たものは、それを補って余りあるものであった。彼等は全世界を得たのである。
真正細菌のあるものは高温の環境に留まり、あるいは進化の後の段階で再びその様な環境に戻る者もいた。しかし、ほとんどの真正細菌はより低い温度に適応し、そしてこの低温への適応によって生息域を飛躍的に拡大、地球上のあらゆる場所へ進出して行ったのである。彼等の仲間には、極地の凍る様な水の中で繁殖するものさえいる。今日、真正細菌はどこにでも生息し、バクテリアの中では圧倒的な繁栄を誇っている。一部の例外を除き、元の高温の住処や数えるほどしかない特殊な環境の中で、ひっそりと暮らしている古細菌とは対照的である。その後、この真正細菌の中から光合成をするシアノバクテリアが進化して来る。そして、シアノバクテリアは太古の海で大繁殖し、原始の地球環境を激変させる事になるのである。
地球上に最初に出現した原始細胞は、どのような生命だったのだろうか。これまで見て来た様に、最初の原始生命は熱水中に生育する超好熱菌の仲間であり、それが後に真正細菌と古細菌の2大グループに分かれたと考えられる。したがって真正細菌と古細菌、特にその超好熱菌に共通の性質があれば、祖先も同じ性質を持っていた可能性が高い。以下、原始細胞はどのような特徴を持っていたのか探って見よう。
まず染色体はどうだったのだろう。真核生物には棒状の染色体が複数存在するが、ほとんどの真正細菌と古細菌では輪ゴムの様な環状の染色体を1本持つだけである。このように染色体が環状になっているのには理由がある。先にも述べた様に、DNAポリメラーゼがDNAを複製するにはRNAプライマーを必要とする。これは単鎖のRNA(真核生物では約10塩基長)で、DNAを鋳型にして合成され、そこから複製が開始されるのである。しかし、複製が終わるとRNAプライマーは分解される為、新たに合成されたDNA鎖は元のものより、5′端がRNAプライマーの結合していた分だけ短くなってしまう。その結果、DNAは複製を繰り返すたびに長さが短くなり、最後には消滅してしまう事にもなる。真核生物ではこの問題(末端複製問題)を解決する為に、DNAの両端にテロメアと呼ばれる、GとTの多い単純な反復配列(20〜100回繰返し並んでいる)を付けている。これはテロメラーゼという酵素によって周期的に延長されるので、複製ごとに若干の末端塩基が失われても、線状DNAの完全な複製が可能なのである。この末端複製問題のもう一つの単純な解決方法が、DNAを環状にする事だった。こうすればDNAの失われるべき末端そのものがなくなり、いくら複製を繰り返してもDNAが短くなる事はない。ただ、現在の環状染色体は完成されたものであるし、初めはDNAの複製精度が低く大きなゲノムサイズは変異の蓄積の面から無理である事などを考えると、最初期の原始細胞は複数コピーの断片化した環状あるいは直鎖状のゲノムを持っていた可能性が高い。実際、細菌の中にも線状のゲノムを持つものも見つかり、その数も増えて来ている。また、細菌は染色体とは別に独立した小さな環状DNAのプラスミドを持ち、普通は抗生物質耐性など生存に不可欠ではない遺伝子を細胞から細胞へと運んでいるが、なかには膜タンパク質やプリン生合成などゲノムに必須な遺伝子を含む、複数の線状および環状プラスミドを持ち、ゲノム構成が真核生物に近い細菌も発見されている。もしかすると、生命誕生の初期には小さな複数の線状や環状DNAなど様々なゲノム構成を持つ原始細胞が存在し、それが細菌では進化と共に主要な遺伝子が1つの環状染色体に集められ、そして複数の線状DNAを持つ仲間から真核細胞の祖先が出現して来たのかも知れない。
(注) ミトコンドリアや葉緑体の中には、本来のゲノムDNAの他に1個の遺伝子を載せたミニサークルDNAを幾つか持つものが有ると言う。
次に、遺伝暗号についても古細菌と真正細菌で変わりはなく、原始細胞も同じ遺伝暗号を使っていたものと考えられる。これも遺伝暗号が、tRNA分子とアミノ酸分子の立体構造間の相互作用から生まれた事を考えれば当然であろう。生命は誕生以来、一部の例外を除き一貫して同じ遺伝暗号を使って来たのである。
真核生物の遺伝子の目立った特徴に、イントロンの存在があった。遺伝子のタンパク質をコードするエキソンと呼ばれるコード配列が、非コード配列のイントロンによって分断されているのである。しかも、何故か必要のないイントロンの方が長く、比較的短いエキソンと交互に並んでいる。大きな遺伝子では、大部分がイントロンといった状態なのである。古細菌もイントロンを持つ事が知られているが、原核生物の大部分を占める真正細菌では、タンパク質は連続した一続きの塩基配列によってコードされておりイントロンは存在しない。そのため、1977年のイントロンで分断された遺伝子の発見は、全く予想外の事であった。というのも、それまで解析されていた遺伝子は総て真正細菌の遺伝子だったからである。そして、真核生物より原始的な原核生物の細菌がイントロンを持たない事から、最初はイントロンを進化の結果、真核生物のDNAに付加された奇妙なものと考えられていた。しかし今日では反対に、イントロンを持つ分断された遺伝子の方が古く、真正細菌はほとんどのタンパク質を進化させた後にイントロンを失ったと考えられる様になって来た。というのも、生命が最初から全く無駄のない遺伝子を持っていたとは考え難いからである。原始細胞は様々なDNAを取り込み、遺伝子には多くの無駄な配列が存在したと思われる。古細菌は、この原始細胞の遺伝子の原始性をそのまま持ち続けて来たと言えよう。ところが古細菌から分かれた真正細菌は、祖先と袂を分かって遺伝子にある無駄を徹底的に省き、効率化を推し進めて行ったのである。細菌の様に小さな単細胞生物は持てる遺伝情報も限られ、環境への適応能力にも限界がある。そこで、成育に適さない環境下ではじっと我慢し、環境が好転すると栄養分の許す最大速度で分裂・増殖して行くという戦略を採っている。このため、細胞分裂ごとに合成される不要なDNA量を最小限にする必要があった。真正細菌はこの効率化を極限にまで推し進め、必要最小限のDNAで生存できる様に進化した生物なのである。さらに彼等は、DNAの複製を停止する事なく遺伝子を転写し、成長に必要なRNAとタンパク質の合成を続ける。最初の複製が終わらない内に、次の複製を開始するものもいる。そして複製が終わるとすぐに分裂する。こうして、彼等は驚異的な速度で増殖する事ができる。動物や植物の細胞では平均20時間かかる成長と分裂のサイクルが、条件さえ整えば大腸菌ではわずか20分で可能なのである。それに対し、体が大きいと有利な捕食型の生物や多細胞生物では、ゲノムから余分なDNAを除く必要はあまりなかったのだろう。彼等は分裂・増殖のスピードを上げる事ではなく、細胞を大きくして持てる遺伝情報を増やし、個体の環境への適応力を増す事によって繁栄する道を選んだのである。実際、酵母など増殖の速い単純な真核生物ではイントロンの数が比較的少なく、その長さも複雑な生物に比べるとずっと短い。真正細菌と古細菌が分岐して後、原始細胞の原始的な特徴であったイントロンを受け継いだ古細菌から、真核生物が分かれて進化して来る。この時、イントロンも真核生物に引き継がれたのである。しかし、真核生物はそれを遺伝子の単なる無駄とはせず、逆に進化のメカニズムの中に組み込んでしまう。これによって真核生物は進化速度を飛躍的に増大させる事に成功し、今日の繁栄を築く事になるのである。この点に関しては、進化の分子メカニズムについて述べる時に再び取り上げる事にしよう。
(注) アデノウイルスの遺伝子DNAと感染細胞から抽出した成熟mRNAをアニーリング(相補的塩基対形成)させると、対合できない余分のDNA、つまりイントロン部分がループを形成(Rループ法)するのが電子顕微鏡で観察された。
(注) 細菌と真核生物との大きな違いの一つは転写産物の長さで、細菌の最も長い遺伝子でも2〜3kbしかなく、毎分数百塩基の重合速度を持つ細菌ポリメラーゼが数分間で転写してしまう。一方、真核生物のRNAポリメラーゼUは最大毎分2000塩基を合成できるにも関わらず、1つの遺伝子の転写に数時間を要する。これは、真核生物の遺伝子の多くが複数のイントロンを含み、莫大な量のDNAをコピーしなければならないからである。(1-12)
では、原始細胞のゲノムはどのくらいの大きさだったのだろうか。ゲノムサイズは生物によって様々であるが、一般的には高等生物のほうが大きい。例えば、ヒトのゲノムは約3.3×109塩基対(bp)、3〜4万の遺伝子を持つとされる。これに対し、真正細菌の大腸菌は4.6×106塩基対、約4300個の遺伝子を持つに過ぎない。古細菌では好熱性イオウ細菌が約2.2×106塩基対、約2400個の遺伝子を持ち、メタン細菌では約1.7×106塩基対、約1700個の遺伝子となる。さらに動植物に寄生するマイコプラズマは、約0.58×106塩基対、470個の遺伝子しか持っていない。また、理論的には最低256個の遺伝子があれば良いともされるが、マイコプラズマの遺伝子に変異を導入して行く実験からは300個必要と言う。また、古細菌・真正細菌・真核生物の3つのドメインは、800〜1000個の共通する遺伝子を持つとされる。恐らく最初の原始細胞は、数百個の遺伝子で誕生したものと考えられる。
最後に細胞膜である。原始細胞は、熱水の中で誕生した超好熱菌の仲間であったと考えられる事から、細胞膜は古細菌のエーテル脂質、それも恐らく特別に頑丈なテトラエーテル脂質(2分子のエーテル脂質が結合)であったと思われる。その後、海水温が下がるとテトラエーテル脂質では硬すぎて都合が悪くなるが、古細菌の高度好塩菌やメタン細菌は、ジエーテルに留める事でこの問題に対応しようとする。その為、古細菌は今でもエーテル脂質のみを使っているのである。他方、海水温がさらに低下して行く中でエーテル脂質をあきらめ、エステル脂質の細胞膜を発明した細菌が現れる。それが真正細菌であった。真核生物は、細胞内共生した真正細菌からエステル脂質を作るのに必要な遺伝子を受け取ったものと思われる。その証拠に、今でも真核生物は炭化水素部分の構造が異なり量も少ないが、エーテル脂質も使っていると言う。
表4-8 生物のゲノムサイズ
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生物種 |
ゲノムサイズ(bp) |
遺伝子数 |
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細菌 |
マイコプラズマ シアノバクテリア 大腸菌 |
0.58×106 3.57×106 4.63×106 |
471 3168 4288 |
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古細菌 |
メタン生成菌 好熱性イオウ細菌 |
1.66×106 2.18×106 |
1708 2436 |
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真菌 |
出芽酵母 粘菌 |
13.4×106 70×106 |
6023 |
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植物 |
シロイヌナズナ トウモロコシ タマネギ |
70×106 2.9×109 150×109 |
26000 |
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無脊椎動物 |
線虫 ショウジョウバエ ウニ イカ |
97×106 180×106 800×106 4.5×109 |
18000 13600 |
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脊椎動物 |
アフリカツメガエル フグ ニワトリ マウス ヒト |
3.1×109 0.4×109 1.2×109 2.9×109 3.3×109 |
3万? 3〜4万 |
エステル脂質を進化させた真正細菌は、ペプチドグリカン(ムレイン)の細菌壁も作り出した。これは多糖鎖の縦糸の間をアミノ酸の連なったペプチドを横糸にして架橋し、網状・格子状に配列したもので、真正細菌が強い浸透圧に耐え独特の形を維持できるのは、驚くほど強くて弾力があるこの細菌壁のお陰なのである。細菌から生体を防御している酵素のリゾチームは、このペプチドグリカンを分解するが、それによって細胞壁を取り除かれた細胞(プロトプラスト)は、外部の溶媒の濃度が高い場合を除き通常は浸透圧によって膨潤し破裂してしまう。また、抗生物質のペニシリンが多くの細菌に致死作用を持つのは、ペプチドグリカンの合成を阻害する為である。リン脂質二重層の細胞膜は、タンパク質で補強されたとしてもその構造はもろく、物理的・化学的作用で簡単に破れたり破損する。その上、浸透圧による膨潤にはほとんど無抵抗である。深海底の熱水噴出口で誕生した原始細胞は、有機物の豊富なその周辺の海底で生活していたと思われる。それに対して、エステル脂質の細胞膜とペプチドグリカンの細胞壁を発明した真正細菌の祖先は、温度の下がり始めた海中に新たな生活の糧を、新たなエネルギー源、恐らく光合成に必要な太陽光を求めて泳ぎ出して行ったのだろう。もし自分の周りに十分な有機物やエネルギー源が存在するなら、わざわざエネルギーを使って動き回る必要はない。徐々に地球内部の温度が下がり、熱水噴出口の活動も衰えてきていのかも知れない。熱水の噴出する深海底で最初の生命の楽園を築いた原始細胞の周囲では、地球の冷却の進行と共にその生息環境は確実に変化しつつあったのである。
(注)分子系統樹から、最古の真正細菌は硫黄を使う好熱性・嫌気性の光合成細菌だった可能性が高い。真正細菌の多くは、一旦獲得した光合成能を後の進化の中で失ったらしいのである。
(注) 古細菌も一般に細胞壁を持つが、それは真正細菌のペプチドグリカンとは異なり、シュードムレイン・S-レイヤー・メタノコンドロイチン・シースなどバラエティーに富んでいる。恐らく真正細菌の祖先は、こうした多様な細胞壁を作り出した古細菌の1つから進化して来たのだろう。
他方、古細菌は熱く有機物や化学エネルギーの豊富な海底に居残る道を選び、超好熱菌だった原始細胞の原始的な性格を受け継ぐ事になったのだろう。そして、海底を離れて海水中に泳ぎ出していった真正細菌の中からシアノバクテリア(鞭毛はないが運動性を持つ)が進化し、海底に残った古細菌の中から原始真核細胞が進化して来る事になるのである。これまで進化は、新たに形成された競争相手のいない環境への適応放散によって起こる事を見て来た。真正細菌の進化も、地球の温度の低下と共に出現して来た低温の海水域の拡大という環境変化の中で、新しい環境に進出し適応するという形で行われたと考える事もできよう。古細菌と袂を分かって、この新天地に勇敢に出て行ったのが真正細菌の祖先だったわけである。真正細菌が海水中に泳ぎ出し世界を征服している間に、古細菌は自分達の生まれ故郷の海底の熱水中で生き続け、その環境に適応して行った。やがて古細菌の一部にも、その住み慣れた環境を飛び出し、他の生息場所へ移住するものも現れる。その中でも特に繁栄したグループがメタン細菌で、彼等はエーテル脂質の細胞膜を保持しながら、低温に適応する事に成功した。現在では、有機物が嫌気的に分解され、水素が発生する様な場所にはどこにでも生息し、動物の消化管や沼地の堆積物の中などでメタンを発生させている。他の古細菌の中には、高濃度の塩水中に適応したものもいる(高度好塩菌)。古細菌は現在でも、死海とグレートソルトレイクに生息する唯一の生物なのである。このような好塩性の古細菌の中で、光合成をするものが1種類だけ見つかっている。ハロバクテリアである。彼等は他の光合成生物とは異なり、クロロフィルではなく、動物の眼にある感光色素のロドプシンに近い、バクテリオロドプシンと呼ばれる紫色の物質を使って光を吸収している。この事は、光合成が古細菌と真正細菌で独立に進化した事を示している。
現在、発見されている最古の生物化石は、35億年前の熱水噴出口の周辺に生息していたと思われるバクテリアの化石であった。生命誕生当時の地球には分子状の酸素はなく、熱水が噴出する海底には大量の有機物が存在していたと考えられる。従って原始細胞は、自分の周りに豊富にある有機物を取り入れて嫌気的に代謝を行う、嫌気性従属栄養生物であったと思われる。ここでは彼等がどの様な代謝を行っていたかを考える前に、生体反応の基礎と成っている酸化と還元反応について見ておこう。
従属栄養生物は、細胞内に取り入れた有機分子(食物分子)を燃焼させる事によってエネルギーを得ている。有機分子中の炭素原子と水素原子は、それほど安定な状態にあるわけではない。そのため、糖やタンパク質中の炭素や水素が酸素と結合して、エネルギー的に最も安定な二酸化炭素(CO2)と水(H2O)に変わる時にエネルギーが放出され、細胞はそれを取り入れている。つまり細胞は、生体分子の酸化によってエネルギーを得ているのである。しかし、細胞内では燃焼のように直接有機分子を酸化するのではなく、酵素を使った多段階の反応を経て酸素を取込む様になっている。
酸化というのは、単に酸素原子を付加する反応ではなく、広義には原子から原子への電子の移動を意味している。この意味では電子の除去が酸化であり、逆に電子の付加が還元である。これは共有結合をした原子間で、局所的に電子が移動する場合にも同様に使われる。例えば、酸素・塩素・硫黄などの電気陰性度(原子の電子を引き付ける能力)の高い原子と炭素原子が共有結合すると、対等に電子を共有するのではなく、炭素側が電子を失い部分的に正電荷を帯びて酸化される事になる。反対に、水素と結合(C−H結合)した炭素原子は、電子を引き付けて相対的に電子を余分に持つ事になり、還元されたと言う。また多くの場合、分子が電子(e-)を受け取る際には、水溶液中に遊離しているプロトン(陽子、H+)も同時に取り込む為、全体としては水素原子が1つ付加した事になる。
A + e- + H+ → AH
従って、この様な水素化反応は還元であり、逆に脱水素化反応は酸化となる。つまり細胞での有機分子の燃焼とは、相対的に電子を多く含む還元された状態にある有機分子の炭素と水素原子が、電子を失って高度に酸化された二酸化炭素や水に変わる反応という事ができる。炭素や水素の持つ電子が酸素側に移動すると、これら総ての原子がエネルギー的に安定な状態になるのである。
では、有機分子の炭素や水素が酸化される事によって得られたエネルギーは、どのようにして蓄えられ、ATPが生成されるのだろうか。それには、電子の移動に関わる補酵素の特別なグループが関係している。補酵素というのは、酵素反応に於いて酵素と結合して反応基供与体となり、酵素活性の発現に重要な役割を果たす小さな分子の事で、ATPも種々のリン酸化反応でリン酸基供与体として働く補酵素の1つである。動物は補酵素をほとんど合成できない為、植物や微生物から摂取している。動物にとって不可欠な栄養素であるビタミンの多くは、これら補酵素の前駆体なのである。ここで問題にしているのは水素と電子を転移させる補酵素で、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)・ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸(NADP)・フラビンアデニンジヌクレオチド(FAD)の3種類である。これらはATPと化学的に相同で、窒素塩基のアデニンと2つのリボース糖、それに幾つかのリン酸(NADP+はNAD+よりリン酸が1つ多い)を含む。そして、NADP+とNAD+は窒素を含む環状化合物のニコチンアミド、FADはリボフラビンをそれぞれ化学的活性部分(活性基)として持っている。ニコチンアミドもリボフラビンも、ビタミンBの誘導体である。酵素が基質を酸化して電子やプロトンを奪うと、それらを補酵素に受け渡す。つまり基質が酸化される時、補酵素は基質が失った電子やプロトンを受け取り還元されるのである。そして還元された補酵素は、獲得した電子やプロトンを速やかに次の基質に渡し、今度はそれを還元する。即ち、補酵素は細胞の代謝にとって不可欠な還元力の運び手として働いているわけである。NAD+・NADP+・FADは酸化された状態のもので、これらが還元されるとNADH+H+・NADPH+H+・FADH2となる。還元型のNADとNADPは簡単にNADH・NADPHと書かれ、それぞれ2個の電子と1個のプロトンを受け入れ(2個目のプロトンは水性溶媒中では近くに漂っている)、FADH2は2個の電子と2個のプロトン、つまり2個の水素原子を受け入れている。酸化型のNADが還元型になり、次に基質を還元して再び酸化型に戻る一連の反応は次の様になる。
(基質A)+NAD+ → (酸化された基質A)+NADH+H+
酸化酵素
(基質B)+NADH+H+ → (還元された基質B)+NAD+
還元酵素
NAD・NADP・FADは、電子やプロトンを受け入れて還元されると、大きな自由エネルギーを得て他の物質を還元する非常に強い力を持つ。そして他の基質を還元する事で、そのエネルギーの一部を受け渡し、基質はエネルギーを得て反応ができる様になるのである。これらの補酵素は、葉緑体やミトコンドリアの電子伝達体として知られる膜結合タンパク質に電子を渡して還元する。伝達体の多くは、シトクロムと呼ばれる鉄を含んだ複合タンパク質で、膜を横切る様に並んで電子伝達系を形成している。電子伝達体は電子を受け取って還元されると、ポテンシャルエネルギー準位が高くなり、次の伝達体に電子を渡してこれを還元する。こうして、電子伝達系の要素は次々に酸化・還元を繰返して、エネルギーの豊富な電子を伝達体から伝達体へと運んで行く。電子は伝達体を移動するにつれ、次第に自由エネルギーを失い、最後に総て喪失した状態で電子伝達系から出て来る。そして、この時に放出されるエネルギーを用いてATPが合成されるのである。このように細胞内ではエネルギーの生成や伝達、そして様々な反応が酸化・還元によって行われているのである。
生物は、利用するエネルギー源の違いから光合成と化学合成に分けられる。光合成と言うのは、光のエネルギーによって得た還元力を用いてATPやNAD(P)Hを作るもので、化学合成は有機物や無機物を酸化し、その過程で放出されるエネルギーを用いてATP合成を行うものである。また、有機物を合成する際に利用する炭素源の違いから、無機物(CO2)を使う独立栄養と、有機物を炭素源する従属栄養に分けられる。この4つの組み合わせから、生物は光合成独立栄養・光合成従属栄養・化学合成独立栄養・化学合成従属栄養の4種類に分類でき、さらに各々は電子供与体が無機物か有機物かで細分される。
無機的に大量の有機物が合成されていたと考えられる、原始地球の熱水噴出口の周辺で誕生した原始細胞は、嫌気性の従属栄養生物だったと思われる。中央海嶺近辺の光の届かない深海底で生息していた彼等は、まわりに豊富に存在する有機物を嫌気的に代謝してエネルギーを得ていたはずである。現生の従属栄養生物は、グルコースを代謝の基本として、そこからATP合成に必要なエネルギーの大部分を引き出している。グルコース代謝には解糖と呼吸という2つの大きな経路があるが、その内、解糖系は呼吸と比べると極めて効率の悪い単純なエネルギー生産機構で、しかも呼吸代謝もその冒頭に解糖系を使っている事から見ても、最初に登場した代謝経路は解糖・発酵系であったと考えられる。これは酸素を必要としない嫌気的反応で、分子状の酸素が存在しなかった原始地球には相応しい代謝と言えよう。現在でも解糖・発酵は、沼・泥だらけの湖底・ワインやビールの桶・動物の内臓内など、嫌気的な環境に生息する多くの嫌気性従属栄養生物の重要なエネルギー獲得手段で、我々脊椎動物もある条件下では主要なエネルギー生産方法として利用している。このように非効率な過程が、これほど広範囲の生物に採用されている事実は、この代謝が非常に古くに確立されたものである事を示していると言えよう。
実は、解糖と呼吸・光合成では、そのATP合成のメカニズムが根本的に異なっている。解糖では、高エネルギーリン酸結合を持った中間体の基質分子から、直接ADPにリン酸が受け渡されATPが合成される(基質レベルのリン酸化反応)。これに対して呼吸や光合成では、電子伝達系を使って細胞の内外に大きなプロトン勾配をつくり、そこに蓄えられたポテンシャルエネルギーを使ってATPを合成するという、複雑な機構を採用しているのである(化学浸透性リン酸化)。こうした事から、代謝の進化に於いては、まず不効率だが簡単な解糖・発酵系が最初に誕生し、その後、電子伝達系の進化によって呼吸や光合成が生まれたと考えられるのである。では、原始細胞の行っていた代謝と思われる解糖・発酵について具体的に見ておこう。
解糖系では、グルコースからピルビン酸に至る10段階の反応が連続して起こり、エムデン・マイヤーホフ経路(EM経路)と呼ばれている。六炭糖(C6)のグルコースは、まず2分子のATPを使ってリン酸化してから、2分子の三炭糖(C3)に分割され(開裂)、以後、ピルビン酸に至るまで次々と酵素によって変換されて行く。このEM経路の中でグルコースが受ける反応は、順番に@リン酸化、A開裂、B酸化、C脱リン酸化、D脱水、E脱リン酸化とまとめる事ができ、この内、Bの酸化とDの脱水反応が最も生産的反応となっている。Bの酸化過程では、基質分子がリン酸化されると同時にNAD+が還元されて、エネルギー準位の非常に高いNADHが生成される。そして、この酸化反応と脱水反応の後のCとEの脱リン酸化反応によって、基質分子からADPに高エネルギーリン酸が渡され、ATPが合成されるのである(基質準位のリン酸化)。結局、解糖系では1分子のグルコースから、差し引き各2分子のATPとNADH、そして2分子のピルビン酸が生成される事になる。
(グルコース)+2NAD++2ATP+2Pi+4ADP →
2(ピルビン酸)+2NADH+2H++4ATP+2ADP
解糖系の最終産物である三炭のピルビン酸は、それ自体が高エネルギー分子で、元々グルコースが持つ自由エネルギーのほとんどを含み、呼吸代謝ではピルビン酸2分子から36個ものATPが合成される。しかし酸素のない嫌気的条件下では、それは発酵経路に回される。発酵には、脊椎動物や多くの細菌の行う乳酸発酵と、酵母がエタノールを生成する時のアルコール発酵という、最終生成物の異なる大きな2つの流れがあるが、どちらの経路でも解糖過程で生成されたNADHがピルビン酸を還元し、その際、発生するNAD+が解糖系で再利用される事で繰返し反応を継続できる様になっている。つまり、ATPの合成にはピルビン酸の乳酸への還元は必要ないが、この発酵過程がないとNADが還元型のNADHのままとなり、グルコースの分解がストップしてしまうのである。
(ピルビン酸)+NADH+H+ → (乳酸)+NAD+
(ピルビン酸)+NADH+H+ → (エタノール)+CO2+NAD+
このように、高エネルギー分子のピルビン酸を十分に活用しない解糖・発酵系は、極めて効率の悪いシステムで、後に登場する細胞呼吸が初めて、クレブス回路(クエン酸回路、TCA回路)によってピルビン酸からの大量のエネルギー引き出しに成功するのである。しかし、ここで注意してほしいのは、解糖系の様に原始的で不効率なシステムが、今日なお多くの生物によって使われているという事実である。我々脊椎動物も、普段は好気的呼吸でATPを合成しているが、全力疾走の様な激しい運動時には酸素の供給が間に合わず、解糖と乳酸発酵を使って一時的にATP要求に対応している。この為、激しい運動を続けると筋肉に乳酸が蓄積して疲労の原因となり、さらには筋肉痛を引き起こす。また、アルコール発酵をする酵母は好気的な代謝もでき、グルコースが乏しく酸素の豊富な環境下では好気的代謝を行い、グルコースを二酸化炭素と水に分解して効率的にATPを合成する。ところが、グルコースが豊富にある時には、酸素が充分にあっても単純な嫌気的代謝を行う。では何故、酵母は効率の高い好気的代謝を行う能力を持っているのに、効率の極めて低い嫌気的代謝を行うのだろうか。それはこの不効率な代謝を採用する事によって、酸素呼吸に必要とされるより複雑な酵素系の生産という、代謝上の高いコストを払わなくても済むからである。燃料となるグルコースが豊富にあれば、燃料の無駄使いとなる効率の悪い代謝の方が、酵母にとってはむしろ有利なのである。この事から類推しても、周りに豊富な有機物が存在する環境で誕生した原始細胞は、単純な解糖系を使ってエネルギーを得ていたと考えるのが妥当であろう。そして、周囲に食糧となる有機物が十分に存在する間は、他のより効率的な代謝は決して進化して来なかっただろう。有機物が減少し、それを得るのにコストが掛かる様になって初めて、解糖系に代わる新しい効率的な代謝方式が進化して来る事になるのである。それが、化学浸透性リン酸化を使った呼吸と光合成であった。次に、その巧妙な仕組みについて見て行く事にしよう。
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解糖系(EM経路)は原始生命の代謝経路と考えられているが、細菌の中にはさらに原始的なエントナー・ドゥドルフ経路(ED経路)によってグルコースを代謝するものも少なくない。このED経路では、1分子のグルコースから1分子のATPしか生成されず、2分子のATPが合成される解糖系よりもさらに効率が悪いのである。しかし古細菌、特に超好熱性古細菌はED経路さえ使わない。その代謝でもピルビン酸は生成されるが、そこ迄にATPは1分子も合成されず、その後アセチルCoA(アセチル補酵素A:代謝の異化・同化経路の中心的物質の1つ)を作り、酢酸ができる時に初めて2分子のATPが生成される。何故、ピルビン酸までにATPが合成されないかというと、超好熱性古細菌の代謝では最初にリン酸化が行われないからである。解糖系でもED経路でも、最初にATPを使ってグルコースにリン酸基を付け、リン酸化してから2分子の三炭糖に分割し、その後で新たにATPが合成される。つまり、事業を始める前に資本を投下する様に、解糖系では最初に2分子のATPを投資して4分子のATPを獲得し(差し引き2分子のATPが得られる)、ED経路では1分子のATPを投資して2分子のATP得ている。ところが、三炭糖やその誘導体のリン酸化合物は熱に弱く、超好熱菌の生息温度では不安定で使えずリン酸化できないのである。原始細胞が生まれた太古の海も100℃近い高温で、三炭のグリセルアルデヒド3-リン酸などは存在できなかったと思われる。従って代謝の進化の歴史は、最初に超好熱性古細菌の糖代謝経路から始まり、地球の温度の低下と共にまずED経路、次いで解糖系が進化して来たものと考えられる。(4-13)
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生物のエネルギー獲得の方法には、解糖・呼吸・光合成の3種類がある。そのうち最も原始的な代謝である解糖では、ADPが高エネルギーリン酸結合を持つ中間体の基質分子から、直接リン酸を受け取ってATPが合成される(基質レベルのリン酸化反応)。ところが、呼吸によるATP合成反応(酸化的リン酸化反応)と光合成のATP合成反応(光リン酸化反応)が、どの様な仕組みで起こるかについては長い間謎であった。以前にはミトコンドリアや葉緑体でも、基質レベルのリン酸化と同じ機構が働いていると考えられた事もあったが、今日では呼吸と光合成は全く異なった方法でATPの合成をしている事が分かっている。この細胞生物学が長年抱えていた問題を解決したのが、1961年に発表されたミッチェルの化学浸透説で、これによって生物のATP合成方法には基質レベルのリン酸化と化学浸透性リン酸化という、2つの全く異質な機構が存在する事が明らかになったのである。そして、この化学浸透性リン酸化の発明によって、生物のATP合成の効率は飛躍的に高まる事になる。今日、基質レベルのリン酸化反応で合成されるATP分子は、100万個に1個にも満たないと言う。化学浸透性リン酸化の機構なしには、我々のエネルギー需要を満たす事は不可能だし、植物が光合成する事も出来ないのである。
(注) 多くの独創的研究がそうである様に、この生体膜の化学浸透説も最初は完全に無視され、それが最終的に証明され受け入れられる迄には15年もの歳月を要している。
化学浸透性リン酸化は、まず細菌の細胞膜やミトコンドリア・葉緑体の膜に仕切られた両側に、大きなプロトン勾配(化学浸透勾配)を作り出す事から始まる。この勾配を作る為に莫大な数のプロトン(H+:水素イオン)が、膜で仕切られた領域に能動輸送で汲み出され、そして反対側にはそれに見合う量の水酸化物イオン(OH-)が残される。反対の電荷を帯びたイオンは、互いに強く引き付け合う為、プロトン勾配は極めて大きなポテンシャルエネルギーを蓄える事になる。このイオンの持つ莫大なポテンシャルエネルギーを、徐々に引き出す事でATPが合成される。つまり、化学浸透勾配の自由エネルギーを使って、ADPとPi(リン酸イオン)からATPを合成するのが化学浸透性リン酸化なのである。これはダムに蓄えられた水を徐々に放出する事で、水の持つポテンシャルエネルギーを電気エネルギーに変換して発電するのに似ている。ミトコンドリアの場合は化学物質、葉緑体は太陽光とその元になるエネルギー源は異なるが、この2つの細胞内小器官は同じ様な内膜構造を持ち、同じ化学浸透性リン酸化の機構によって大量のATPを生産しているのである。
化学浸透性リン酸化は、3つの構成要素から成り立っている。1つは、内と外を仕切るプロトンを透過させない袋状の膜。次に、プロトン勾配を利用してATPを合成するプロトン輸送型ATPアーゼ。この膜結合型のATP合成酵素は、細菌の分子系統樹の所でも取り上げた、ATPの加水分解によってプロトンを細胞の外に汲み出すプロトンポンプと同じものだが、この反応は可逆的で、反対にプロトンを勾配に沿って細胞内に汲み入れる事でATPを合成できるのである。もう1つが、プロトンを外に汲み出してプロトン勾配を作り出す電子伝達系である。つまり化学浸透性リン酸化は、膜と2種類のプロトンポンプから構成されている事になる。そして、電子伝達系が作り出したプロトン勾配を利用して、プロトン輸送型ATPアーゼがATPを合成するのである。
(注) 化学浸透性リン酸化を水力発電に例えたが、実は、ATP合成酵素も発電機のタービンの様に回転している事が分かっている。この酵素は多くのサブユニットから成る大型のタンパク質で、大きくミトコンドリア内膜を貫通するプロトンの輸送体部分(F0)、マトリックス側に突き出たドアのノブ状の触媒反応に関わるF1ATPアーゼ部分、両者の中心を貫く細い柄(γ)とに分けられる。そして輸送体部分をプロトンが通過すると、柄がα3β3構造の頭部の中で120度ずつスッテプで回転し、各ステップで1個のATP分子が合成されるのである。ATP1個当たり3個のプロトン通過が必要で、1秒間に30回転すると言う。
呼吸では、食物(炭水化物や脂肪)の酸化反応によって生み出されたエネルギーの大部分は、高エネルギー電子の形でNAD+やFADに渡され、強い還元力を持つNADHやFADH2として蓄えられる。次にこのNADHから、ミトコンドリアの内膜に埋め込まれた電子伝達系に高エネルギー電子が渡され、順序正しく次々と電子伝達体に受け渡される間に、プロトンポンプを駆動してプロトン勾配が形成されるのである。電子伝達系は3種類のプロトンポンプと、その間に電子の受け渡しをする電子伝達体から構成されている。ミトコンドリア内膜や葉緑体のチラコイド膜に埋め込まれた電子伝達体は、鉄や銅原子を結合したタンパク質やユビキノンと呼ばれる疎水性小分子で、電子伝達系に於ける電子授受の過程の大半は、電子を金属原子から金属原子へと受け渡す反応なのである。この金属原子にはタンパク質分子が固く結合して、その電子親和性を微妙に変化させている。呼吸鎖に於いては、電子伝達系を構成するタンパク質は3つの大きな膜結合型呼吸酵素複合体(NADH脱水素酵素複合体・シトクロムb-c1複合体・シトクロム酸化酵素複合体)を形成し、これらが電子伝達によって駆動されるプロトンポンプとなっている。そして、後にくる酵素複合体の方が電子との親和性が高い(酸化還元電位が高い)為、電子は電子伝達体を介して順序正しく呼吸酵素複合体を次々と伝達して行く事になる。こうして、NADHからミトコンドリアに渡された高エネルギー電子が、3つの酵素複合体を伝達される間にプロトンがミトコンドリア内膜と外膜の膜間部分に汲み出され、プロトン勾配が形成されるのである。そして電子は、電子伝達体の間を移動する間に徐々にエネルギーを失い、3番目のプロトンポンプを駆動した後、酸素(O2)へと渡され、酸素を還元して水(H2O)を生成する。我々が酸素を呼吸するのは、それがエネルギーを使い尽くした電子の最終受容体として、即ち、要らなくなった電子の捨て場として必要だからである。呼吸酵素複合体の中には電子1個につき1個のものや、あるいは2個のプロトンを汲み出すものもあり、3種類の酵素複合体でその分子機構はそれぞれ異なると思われるが、NADH脱水素酵素複合体とシトクロム酸化酵素複合体では、電子の移動がタンパク質のコンフォメーションを変化させ、それによってミトコンドリア内膜をはさんでプロトンが汲み出されると考えられている。
(注) 3つの酵素複合体間の電子の伝達は、脂質二重層中を拡散できるユビキノンとシトクロムcが複合体間を往復して電子を運んでいる(NADH脱水素酵素複合体 → ユビキノン → シトクロムb-c1複合体 → シトクロムc → シトクロム酸化酵素複合体)。また、シトクロム酸化酵素には電子の流入に応じて位置の変化するヒスチジン側鎖があり、プロトンはこの働きで汲み出されるらしい。
鉄や銅の金属原子を結合したタンパク質から出来ている電子伝達体は、プロトンポンプである呼吸酵素複合体に電子を運搬すると同時にその構成要素とも成り、後に来るものほど酸化還元電位が高く(電子との親和性が高く)なる様に配列されている。NADH脱水素酵素複合体では電子との親和性が比較的低い鉄-硫黄中心があり、シトクロムb-c1複合体とシトクロム酸化酵素複合体ではより高い酸化還元電位を持つシトクロムに結合したヘム基の鉄原子が使われ、さらにシトクロム酸化酵素複合体では銅原子も使われている。これら呼吸鎖を構成する電子伝達体の多くは、可視光線を吸収して酸化型と還元型で色が変化し、この為、その多くは吸収スペクトルの違いから機能が解明されるはるか以前に精製されていた。電子伝達系の骨格を形成する電子伝達体の中でも良く知られているシトクロムも、細菌・酵母・昆虫など様々な生物で迅速に酸化・還元を行う物質として1925年に発見され、吸収スペクトルの異なるシトクロムa・b・cの3種類に分類されている。シトクロムは、赤血球中の酸素を運搬する赤色色素のヘモグロビンと同じ仲間の、ヘム基を結合した一群の色素タンパクで、ヘム基中の鉄原子が二価と三価の間を変化し、酸化・還元を繰り返す事で電子伝達体から次の電子伝達体へと1個の電子を運搬する。ヘム基は、窒素原子1個と炭素原子4個から成るピロール核4個が、窒素原子を内側に向けて手を繋いで大きな環状構造を形成したポルフィリン環と、中央に配置するピロール核の4個の窒素原子に結合した1個の鉄原子から出来ている。種類の異なるシトクロムでは、ヘムの構造やタンパク質との結合様式が違う為、電子に対する親和性も異なっている。また、ポルフィリン環はヘモグロビンやクロロフィル(葉緑素)でも使われており、血液の赤色や植物の緑色は類似のポルフィリン環によるもので、シトクロムとヘモグロビンでは鉄、クロロフィルではマグネシウムがポルフィリン環に結合している。シトクロム以外の電子伝達体には、鉄-硫黄中心を持つ鉄-硫黄タンパク群と、脂質二重層中に溶解している疎水性小分子のユビキノンがあり、キノン類は1〜2個の電子を水素原子の形で運搬している。
今日、ほとんどの生物が持つ、プロトンポンプと電子伝達系はどのようにして進化して来たのだろうか。現在、大半の細菌は細胞膜を介したプロトン勾配を作り、ATPの合成だけではなく、鞭毛の回転運動や、Na+-H+アンチポート(2つの物質を逆方向に輸送)によるナトリウムイオン(Na+)の排出、そしてアミノ酸や糖類など栄養物質の細胞内への能動輸送にも使っている。生きた細胞は常に細胞内に高濃度のカリウムイオン(K+)を蓄積し、細胞外にNa+を排出しているが、このようなイオンバランスの維持は細胞内の代謝活性、特にタンパク質合成および細胞外部からの信号の応答に必須の条件になっている。細菌が様々な環境変動に対応して生きて行く為には、それに応じた細胞内イオン環境の制御が必要で、細菌にとってイオン輸送系は極めて重要な役割を果たしているのである。さらに通常、細菌の栄養素の輸送にもプロトン駆動力が使われ、1個から数個のH+と一緒に代謝物質が細胞内に運び込まれる(好塩細菌や好アルカリ性細菌ではNa+が使われる)。このようにプロトン駆動力は、細胞内環境の維持および物質代謝に不可欠のものなのである。従って、プロトン勾配を利用してATPを合成する好気性細菌ばかりでなく、電子伝達系を欠く嫌気性細菌でも、解糖系が作り出したATPを使って、プロトン輸送型ATPアーゼをATP合成の時とは逆向きに働かせてプロトンを汲み出し、プロトン駆動力を生み出している。このように偏性嫌気性細菌も含めてほとんどの細菌は、細胞膜を介したプロトン駆動力を維持しているのである。この事から進化の順序としては、まず最初に無機イオンや栄養素の輸送の為にATPで駆動されるプロトンポンプが出現し、その後で電子伝達によるプロトンポンプが進化して来たものと考えられる。そして、プロトンポンプと電子伝達系の進化については、次のようなシナリオを描く事ができるだろう。
最初の原始細胞は、周りに豊富に存在した有機物を解糖・発酵させてエネルギーを得ていたと思われる。ところが、これらの原始細胞の代謝活動それ自身が環境を変化させ、さらに新しい生化学反応経路を進化させざるを得ない状況に、自らを追い込む事になるのである。発酵細菌は、乳酸・蟻酸・酢酸・プロピオン酸・酪酸・コハク酸などの酸を大量に排出する。発酵では一般に、代謝の最終産物として有機酸(COOH基を持つ炭素化合物)が生成されるのである。こうした酸の排出は、原始細胞の生息環境のpHを低下させて行ったと考えられる。そして酸性化した水中で生きる原始細胞は、細胞の酸性化を防ぐ必要から、細胞外にプロトン(H+)を汲み出す膜貫通型のプロトンポンプを進化させる事になるのである。これらのプロトンポンプの中にはATPの加水分解のエネルギーで動くものがあり、それが今日のATP合成酵素の祖先となったのだろう。また、ATP駆動型プロトンポンプが出現した頃には、解糖・発酵できない有機酸が蓄積し、地球の冷却に伴う熱水噴出口の活動の衰退とも相俟って、地球化学的反応で無機的に生じていた解糖可能な有機物が乏しくなっていたと考えられる。エネルギー源が枯渇して来ると、ATPを消費せずにプロトンの排出ができる、新たなプロトンポンプが必要となる。こうして、酸化・還元電位の異なる分子間の電子伝達で生じるエネルギーを使い、細胞膜を介してプロトンを運搬する膜結合タンパクが進化して来る事になったのである。(1-15)
(注) 酸化・還元電位の差を利用した電子伝達系の進化は、それほど困難な事ではなかったはずである。水中で分子が還元される時は、電子と共に水からプロトン(H+)も同時に受け取る為、還元とは水素原子の付加に等しい。逆に酸化される時は、水素原子が電子とプロトンに分解され、電子はその受容体に、そしてプロトンは水に戻される。従って、電子伝達体が電子を受け取る時に膜の片側でプロトンを取り込み、電子を次の伝達体に渡す時に膜の反対側でプロトンを放出する様に電子伝達体を配置すれば良いのである。(4-15)
この2種類のプロトンポンプ、つまりATPの加水分解によるプロトンポンプと電子伝達によるプロトンポンプの発明は、解糖・発酵による効率の悪いATP合成を行っていた原始細胞に、革命的な進歩をもたらす事になる。この2種類のプロトンポンプが同一の細胞内に現れた時、酸性溶媒中に生きる原始細胞に劇的な変化が起こり、環境から大量のエネルギーを引き出す事に成功するのである。最初、2つのポンプは協力して動き、プロトン電位は急速に高くなって行く。しかし2種類のポンプの能力は異なる為、まず力の弱い方のポンプが停止、そして強い方のポンプが働き続ける内にプロトン電位が弱い方のポンプの限界点を越え、ポンプが逆方向に働き始めた。つまり、電子伝達系によって効率よく汲み出されたプロトンが、もう1つのポンプであるプロトン輸送型ATPアーゼを逆流する事によって、ATPの加水分解の逆反応が起こりATPが合成されたのである。効率の良い電子駆動のプロトンポンプが出現した結果、細胞内部のpH維持に要するよりも大量の酸化・還元エネルギーが利用可能となり、過剰にプロトンを汲み出して形成された大きな電気化学的勾配を利用して、ATPが合成できる様になったわけである。こうして2種類のプロトンポンプを獲得した原始細胞は、pHの調整とエネルギー問題の両方を一挙に解決して、再び急速な増殖を開始する事となる。
こうして電子伝達系を発明し、化学浸透性リン酸化という効率的なATP合成方法を最初に開発したのが古細菌の祖先であった。しかし、最初の化学浸透性リン酸化は酸素を使った好気的呼吸ではなく、嫌気的に有機物や無機物を酸化する嫌気的呼吸だったはずである。というのは分子状酸素が存在する様になるのは、シアノバクテリアが登場し光合成によって酸素を放出する様になって以後の事だからである。したがって、最初に出現したのは酸素を使わない嫌気呼吸の古細菌であったと考えられる。実は、当時の代謝を受け継いだ生き残りとも言うべき古細菌が、硫気孔や熱水噴出口で発見された嫌気性の超好熱菌なのである。彼等は、いずれも酸化剤(電子受容体)として酸素の代わりにイオウを使い、そして水素(電子)供与体が有機物か無機物かによって、有機物S呼吸とH2+S独立栄養に分かれる。有機物S呼吸というのは、イオウが通常の呼吸に於ける酸素の役割をするエネルギー獲得様式(化学合成有機物酸化)で、有機物を炭素源とする従属栄養である。一方、H2+S独立栄養は、電子受容体は同じくイオウであるが、水素(電子)供与体として有機物の代わりに気体水素を用いるもので(化学合成無機物酸化)、この場合は炭素源に無機物(CO2)を使うので独立栄養という事になる。そして、どちらも酸素を使っていないので嫌気性である。
このように、解糖・発酵の次に進化してくるのが嫌気呼吸と化学合成独立栄養であった。これは生命誕生の地である熱水噴出口周辺に棲んでいた、超好熱性の古細菌によって進化させられたものである。熱水噴出口では、マグマ中の鉄化合物と水蒸気が反応して水素が発生する為、ここでは二酸化炭素や硫化水素とともに水素が豊富に放出されている。熱水が噴出する太古の深海底では、この水素を使って二酸化炭素を還元し有機物を合成する独立栄養細菌と、それが作る有機物を利用する嫌気呼吸や発酵細菌が原始の生態系を形成していた事だろう。もしかしたら、熱水の周りの海底は厚いバクテリアマットで覆われていたかも知れない。
(注)分子系統樹によると最古の原核生物は、水素・硫黄・硫化水素からエネルギーを得ている好熱性化学合成細菌のAuifex-Hydrogenobacter群だという。同じく硫黄や硫化水素を利用する好熱性古細菌は、有機物もエネルギー源にできるが、彼らには有機物を分解する能力はないと言う。(2-50)
(注) 現在、火山と温泉地帯から放出される水素は年間200万トン、一酸化炭素は800万トンになると言う。
しかし、その後の代謝の進化、つまり酸素呼吸と光合成は海底の熱水噴出口の周辺から離れ、海中に泳ぎ出して行った真正細菌によって推し進められる事になる。このうち、先に進化してくるのが光合成の方である。有機物の豊富な熱水噴出口の周辺から有機物の少ない海洋中に進出して行った真正細菌にとって、自らの菌体を作る有機物を無機物から合成する事が不可欠だったのである。そして酸素呼吸の方は、光合成によって酸素が放出される様になって後に進化して来る事になる。
光合成に入る前に、独立栄養生物の進化について見ておこう。電子伝達系の進化により、細胞内のpHを中性に保ち、充分なエネルギーを確保する事が可能になったわけだが、もう1つ重大な問題が出現する。解糖・発酵に頼って生きていた原始細胞にとって、糖はエネルギー源であるだけではなく、細胞を形作る様々な分子の原材料でもあった。従って当初、豊富にあった発酵性栄養物質が乏しくなって来ると、その代わりとなる炭素源を見つける必要が生じて来たのである。即ち、従属栄養生物から、有機物を自ら合成する独立栄養生物への進化が必要となって来たわけである。
(注) 細胞の中では、解糖やクエン酸回路で作られる様々な中間体から、アミノ酸・ヌクレオチド・脂質、その他の細胞が必要とする有機小分子が合成される。
当時、炭素源としては二酸化炭素が大量に存在していたが、それを還元して炭水化物の様な有機化合物を合成するには、強力な電子供与体を必要とする。つまり、NADHやNADPHなどの電子供与体が高エネルギー電子を供給してこそ、二酸化炭素から糖を合成できるのである。生命進化の初期には、このような強力な還元剤は、発酵の産物として多量に供給されていたと考えられる。しかし、解糖・発酵に使える有機物が減少し、解糖に代わって電子伝達系を使った化学浸透性リン酸化によるATP合成が主流となると、NADHなどの還元剤の充分な供給は望めなくなって来たのである。恐らく最初の強力な電子供与体は、細胞膜を介して形成された電気化学的プロトン勾配を使って、NADH脱水素酵素に似た膜結合酵素複合体に電子を逆流させて作られたものと思われる。事実、この種の機構は現存するある種の細菌の嫌気的代謝経路中に残っていると言う。電子伝達系を進化させた原始生命にとって、これは決して難しい事ではなかったはずである。
また二酸化炭素の固定には、化学合成生物でも光合成生物でも還元的TCAサイクルか還元的ペントースリン酸回路(カルビン回路)が使われている。ところが、還元的TCAサイクルはほとんどクエン酸回路を逆回転させたものであるし、還元的ペントースリン酸回路は、解糖・発酵時代に既に存在していたペントースリン酸回路(RNAのリボースやNAD(P)Hを生産する代謝)を逆行させたものである。解糖では、まず六炭糖(C6)のグルコースが2つに分裂して三炭(C3)のグリセルアルデヒド3-リン酸となり、これがピルビン酸(C3)となる間にATPが合成される。そして次に、ピルビン酸からアルコール発酵や乳酸発酵、あるいは呼吸代謝(クエン酸回路)へと枝分かれして続いて行く。このグリセルアルデヒド3-リン酸からピルビン酸に至るC3代謝は、多くの細胞代謝に共通して含まれ進化的に古いものと考えられるが、ペントースリン酸回路もこのC3代謝を含む起源の古いものの1つなのである。このように二酸化炭素の同化の代謝系は、実質的には解糖・発酵時代に既に存在したか、電子伝達系とほぼ同時期に成立していたと思われるもので、独立栄養生物が進化して来る為の鍵は、電子伝達系の進化にあったと言う事ができよう。恐らく独立栄養は、電子伝達系を使った嫌気呼吸と相前後して登場して来たものと考えられる。意外な感じもするが、独立栄養は生命進化の極めて早い段階で確立していたのである。実際、カルビン回路に不可欠の酵素のルビスコが、古細菌・真正細菌どちらの超好熱菌からも見つかっている。ここで注意してほしいのは、化学合成独立栄養といった複雑な代謝系が、極めて短期間で成立している事である。分子系統樹からの推定によると、古細菌と真正細菌が分岐したのは38億年前頃と言う。とすれば、原始地球に海が誕生した40億年前から38億年前までの2億年間に、化学合成の代謝が進化した事になる。生命は誕生してまだ間のない頃に、この快挙をやってのけたのである。
(注) ルビスコ(リブロースビスリン酸カルボキシラーゼ):カルビン回路の最初の反応で、五単糖のリブロース1、5-ビスリン酸と二酸化炭素・水を反応させ、2分子の3-ホスホグリセリン酸を作る酵素。ただ反応が極めて遅く炭素固定には大量に必要で、葉緑体の全タンパク質の50%以上を占め、地球上に最も多く存在するタンパク質と言われる。
電子伝達系の成立が鍵になる点は光合成についても同じで、これさえ出来上がれば、光合成の完成まではあとほんの小さな一歩に過ぎなかった。光合成は、光のエネルギーを使ってNADPHを合成する光合成電子伝達反応(明反応)と、NADPHを使った炭素固定反応(暗反応)に大きく分けられるが、後者は化学合成細菌が既に進化させていたわけで、後は電子伝達系のわずかな改造だけで良かった。即ち、電子伝達体のポルフィリン環に結合した鉄原子がマグネシウム原子に置き代わる事で、太陽エネルギーを吸収する緑の色素、クロロフィル(葉緑素)が誕生するのである。つまり、赤色のシトクロムが緑のクロロフィルに変わったわけである。太陽エネルギーを吸収すると、クロロフィル分子の電子の1つが静止レベルからより高いエネルギーレベルへと変位する。こうして光エネルギーによって励起された高エネルギー電子は、電子伝達系の中を落下して行きエネルギーを放出する。この時のエネルギーを利用してプロトン勾配を作ってATPを合成し、同時にNADP+を還元してNADPHを生成、このATPとNADPHを使って二酸化炭素を還元し、ブドウ糖(グルコース)が合成されるのである。
6CO2+12NADPH+12H++18ATP+n(H2O)
→ C6H12O6+12NADP++18ADP+18Pi
このように、電子伝達系のささやかな改善によって登場した光合成であるが、このささやかな一歩は世界を大きく変える事になる。
ところで現在、電子伝達系を持つ独立栄養の細菌は、必要なATPと還元力の総てを鉄・アンモニア・亜硝酸・硫黄化合物などの無機化合物の酸化から得、そして最終の電子受容体を酸素ではなくイオウや硫酸・硝酸にする事で嫌気的成長を行っている。独立栄養生物には、化学合成生物と光合成生物が存在するが、先に登場したのは進化的にずっと単純な化学合成生物の方で、最初の独立栄養生物は無酸素時代に出現したH2+S独立栄養の高度好熱性イオウ依存古細菌、その後、硫酸塩還元菌やメタン細菌などが進化して来る。彼等はいずれも分子状水素を電子供与体とし、イオウや硫酸をその受容体とする電子の授受の中で、ATPやNAD(P)H合成の為のエネルギーを得ているのである。これらの嫌気的化学合成生物は、地球の大気が酸素に汚染される前には大いに発展し、生態分布を広げていたと思われる。しかし、還元型無機物を酸化する際に発生するエネルギーは、太陽エネルギーと比較するとずっと小さく、そのため化学合成生物はすぐ後に登場する光合成生物に取って代わられる事になった。そして、なにより化学合成のエネルギー基質が還元型無機物である点が、今日の様な酸化型の地球環境(大気の酸素濃度は21%もある)には適さない。このため化学合成生物界は細菌類のみに限られ、一般にはその存在すら気付かれないほど劣勢で、深海底や湖沼底あるいは土壌中で細々と生きているのが現状なのである。
(注) 化学合成菌と光合成細菌の利用可能エネルギーを比べると、現在の熱水噴出口近くの熱流量は最高でも1W/m2で、生命誕生当時でも10W/m2程度であったと思われるが、太陽エネルギーは約300W/m2にもなる。(4-16)
光合成生物は、そのメカニズムの違いから全く異なる2つのグループに分けられる。1つは我々の周りの植物や多くの光合成細菌に見られるもので、クロロフィルと電子伝達系によってプロトン勾配を形成し、二酸化炭素の固定に必要な還元力を作り出しているもの。もう1つは、古細菌の仲間の高度好塩菌ハロバクテリアが行っている光合成で、クロロフィルではなく紫色のバクテリオロドプシンを使って光エネルギーを吸収する。この種の細菌は、好気的条件下では赤色だが、酸素不足になると紫色を呈する様になる。これは細胞膜の中に、紫色の色素タンパクを含んだ紫膜と呼ばれる斑点が形成される為で、それが光エネルギーを化学的エネルギーに変換するのである。この紫色の色素タンパクがバクテリオロドプシンで、そこに結合したビタミンAの誘導体であるレチナールが光を吸収している。さらに特徴的なのは、このバクテリオロドプシンはクロロフィルとは異なり、電子伝達系を使わずに直接プロトンを細胞外に汲み出し、プロトン勾配を作り出している点である。バクテリオロドプシンは、光エネルギーによって直接コンフォメーション変化を起こし、プロトンを汲み出す。つまり、クロロフィルが光を原動力とする電子ポンプなのに対し、バクテリオロドプシンは光を原動力とするプロトンポンプなのである。また、バクテリオロドプシンに最も近い物質は動物の眼にある紫色の感光色素のロドプシンで、この名前はギリシア語のバラと視覚からきていると言う。ただ、眼の中では網膜の光を感じる光センサーとして使われている。
(注) バクテリオロドプシン分子は、らせん状のポリペプチド鎖(αヘリックス)が7回細胞膜を貫通して中央に細い通路を作っている。その一つに結合したレチナールは光を吸収すると分子の形を変え、脂質二重層に埋め込まれたタンパク質の立体構造をわずかに変化させる。その結果、レチナールのH+が通路を通って細菌外へ運ばれ、ついでレチナールは細胞内から別のH+を取り込んで元の構造に戻り、同じ過程を繰り返す。
さて、我々に馴染みの深いクロロフィルを使った光合成は、さらに2つのグループに分けられる。植物やシアノバクテリアの様に酸素を発生するタイプと、硫黄細菌など他の光合成細菌に見られる酸素を発生しない光合成である。植物と硫黄細菌の光合成を化学式で表わすと次の様になる。
[ 植物とシアノバクテリアの光合成 ]
CO2+2H2O → (CH2O)+O2+H2O
(炭水化物)
[ 硫黄細菌の光合成 ]
CO2+2H2S → (CH2O)+2S+H2O
この2式をまとめると、光合成は次の一般式で表わせる。
CO2+2H2A → (CH2O)+2A+H2O
普通の緑色植物ではAは酸素原子(O)であるから、光合成の結果酸素が放出される。一方、硫黄細菌ではAが硫黄原子(S)となる為、光合成によって硫黄が析出する事になる。この一般式から光合成に於ける二酸化炭素(CO2)の固定には、水(H2O)または硫化水素(H2S)分子中の水素(H)が使われている事、そして植物の光合成の結果発生する酸素は、二酸化炭素ではなく水に由来する事も分かる。
光合成では二酸化炭素の還元によってブドウ糖(グルコース)が生成されるわけだが、他方、水から酸素が発生したり硫化水素から硫黄が生じるのは、二酸化炭素による水や硫化水素の酸化と見る事ができる。従って、光合成とは光によって駆動される酸化・還元反応であると言う事ができよう。また植物による光合成では、クロロフィルに光が当たれば、一方に二酸化炭素を還元する強力な還元剤が生成すると同時に、他方では水を酸化する強力な酸化剤も生成する。光合成細菌の場合は、この酸化力は水を酸化できるほど強くはないが、それでも硫黄細菌は硫化水素を硫黄に酸化し、硫黄をさらに硫酸に酸化する事ができる。これらの事から、光合成とは光による還元力と酸化力の分離であると言う事も可能である。また、酸化・還元反応は原子間での電子の移動を意味する事から、光合成とは光による電荷の分離であるという定義もできよう。
緑色植物とシアノバクテリアの光合成では、水を酸化する為の酸化力と二酸化炭素を還元する為の還元力の両方が生じるわけだが、それぞれ別の光化学系によって受け持たれている。還元力を生成するのが光化学系T、酸化力の生成は光化学系Uである。葉緑体やシアノバクテリアの内側には、チラコイドと呼ばれる袋状の膜構造が発達し(葉緑体ではチラコイドが幾つも円盤状に積み重なってグラナを形成)、そのチラコイド膜に2種類の光化学系と電子伝達系やプロトンポンプが埋め込まれている。吸収された光のエネルギーは、1分子のクロロフィルaとそれに結合したタンパク質から成る反応中心で化学エネルギーに変換され、他の色素群(補助色素)は光を集めて反応中心に光エネルギーを送り込む役目(集光性アンテナ)を果たしている。光化学系Tの反応中心クロロフィルaは、700ナノメータ(nm:10−9m)の波長の光を最も良く吸収する為P700、光化学系Uの反応中心は 680nm付近の光を吸収する事からP680と呼ばれている。同じクロロフィルaから2種類の反応中心が生じるのは、クロロフィルに結合するタンパク質の違いによる。光化学系UのP680反応中心クロロフィルa分子に光が当たると、電子はその光量子のエネルギーを吸収して高いエネルギー状態に励起され軌道を変える。こうして活性化された電子は反応中心のクロロフィルaを離れて電子伝達系に渡され、伝達体から伝達体へと移動する間にプロトンポンプを駆動してプロトンをチラコイド内腔に汲み上げ、最終的に光化学系Tに入る。光化学系TのP700に入った電子は、そこで再び光エネルギーを吸収して励起され、最も高いエネルギー準位に達し第2の電子伝達系へ入って行く。ここではプロトンを汲み上げる事はせず、電子のエネルギーはNADP+の還元の為だけに使われる。つまり、最終段階で2個の電子はチラコイドの外側領域(ストロマ)に存在するNADP+に渡され(この時ストロマから2つのプロトンが引き寄せられる)、これを還元して生成したNADPHが二酸化炭素を還元するのである。
(注)クロロフィルb、カロテノイド、キサントフィルなどの補助色素は、吸収できる波長域を広げると共に、クロロフィルaの損傷防止の機能も持っている。
電子の流れはP680反応中心の電子の放出から始まるわけだが、光により励起されたP680は、NADPを還元できるほど強い還元力は生じない。しかし、電子を失ったP680+は強い酸化力を獲得し、不足した電子を水から奪って酸化、プロトンと酸素に分解するのである。そして、自らは元の還元型クロロフィルaに戻る。
H2O → 2e- + 2H+ + 1/2 O2
2Chla+ + 2e- → 2Chla
(酸化型クロロフィルa) (還元型クロロフィルa)
この時放出されるプロトンはチラコイド内腔に直接投げ込まれ、プロトン勾配の形成に役立っている。また酸素原子は2個が結合して、酸素分子(O2)として大気中に放出される。これが地球上の好気性生物が呼吸する、酸素の供給源に成っているわけである。つまり、緑色植物の光合成では水を電子の供給源として、水1分子の酸化・分解から2個の電子が電子伝達系に供給され、一連の過程でプロトン勾配を形成する4個のプロトン(2個はプロトンポンプで汲み上げられ、2個は投げ込まれる)と、高エネルギーのNADPH1分子が得られる事になる。そして酸素1/2分子が放出されるのである。
ポルフィリン分子の中央に結合した鉄原子が、マグネシウム原子に置き代わる事によってクロロフィルが生まれるわけだが、このクロロフィルの出現は真正細菌が古細菌から分かれた後の事であったと思われる。というのも、古細菌の中にはクロロフィルを持つものがいないからである。しかしクロロフィルの出現が即、シアノバクテリアの誕生に結び付くわけではない。先に見たようにシアノバクテリアは、光合成生物の中でも光化学系TとUという2つの光化学系を持つ、高度に進化した生物である。恐らく、最初に登場したクロロフィルを持つ光合成生物は、片方の光化学系しか持たない光合成細菌であったろう。それは今日の硫黄細菌の様に、嫌気的条件下で硫化水素によって二酸化炭素を還元し、酸素の代わりに硫黄を菌体内または外に析出していたと思われる。
実は、シアノバクテリアを除く光合成細菌は1種類の光化学系しか持たないのだが、その中にはおよそ2タイプの光化学系が知られている。第1は緑色硫黄細菌のもので、このタイプの細胞では細胞膜の内側に接着する様に形成された、クロロゾームと呼ばれる米粒状の構造物の中に光補集系が収納されて、細胞膜にある反応中心バクテリオクロロフィルaに接続している。そして、光によって励起された反応中心バクテリオクロロフィルaの酸化還元電位が充分低い為、NAD+の還元がスムーズに行われNADHが生成される。こうした点で、この種の光化学系は高等植物の光化学系Tに似ている。この時、反応中心の酸化側では硫化水素や他の硫黄化合物が酸化されるが、これらの硫化物の酸化還元電位はNAD+より幾分高く、NAD+の還元は酸化還元電位に逆らって行われる事になり、その為に必要なエネルギーが光で供給されるわけである。第2のタイプの光化学系は紅色細菌類のもので、反応中心は光補集系に囲まれ、細胞膜が内側にくびれて生じた細胞内膜系に配置されている。また、バクテリオクロロフィルaの酸化還元電位が高い為、直接NAD+を還元する事はできない。このタイプの光化学系は植物の光化学系Uに近いと考えられるが、バクテリオクロロフィルaの酸化還元電位は水を酸化して酸素を発生させるほど高くもない。従って、紅色細菌の光化学系の主たる役割は光に依存するATP生産、つまり光リン酸化に有ると言う事ができよう。
最初に現れた光合成生物は1種類の光化学系しか持たず、還元剤のNAD(P)Hを作るのに必要な水素を硫化水素から得て、酸素は発生しなかった。ところが、次に太陽エネルギー利用の上で大きな革新が起こる。1つの細胞の中で、TとUの2種類の光化学系を結合させたものが出現するのである。恐らく、別タイプの光化学系を持つ緑色硫黄細菌と紅色細菌との間で、遺伝子の伝達が行われたものと思われる (4-17)。ここでも細菌間の協力によって、大きな進化が起こった可能性が高いのである。こうして2種類の光化学系を持つ生物、シアノバクテリアが誕生した。この広範囲に分布する微生物には結合して多細胞の鎖を形成するものがあり、それが原始的な海藻(藻類)に似ている事からかってはラン藻と呼ばれていたが、本当の藻類は真核生物であり、今日では混乱を避ける為にシアノバクテリアと呼んでいる。この2種類の光化学系を持つシアノバクテリアの登場は、地球生命の歴史に革命をもたらす事になる。光化学系TとUを連結する事で、二酸化炭素を還元する為の水素源をそれまでの硫化水素から水に切り換える事が可能となり、その結果、光合成の廃棄物として大量の酸素が発生する様になったのである。また、硫化水素の発生する場所は限られている為、1種類の光化学系しか持たない光合成細菌では生態的分布を広げる事が困難だった。しかし、地球上に無尽蔵に存在する水を水素源にする事に成功したシアノバクテリアは、水の惑星の中で爆発的に分布を広げる事になる。二酸化炭素・水・太陽光線さえあれば、どこででも生きて行けるシアノバクテリアは、二酸化炭素や水といった地球の構成要素を有機物に変え、大量の酸素を大気中に供給して来たのである。彼等は地球上に登場してから27億年にも渡って生き続け、しかもその構造は当時とほとんど変わっていないと言う。そして今日でも、海水・真水を問わず地球上の至る所に繁殖し、彼等の仲間は150属1500種にも及ぶ。この意味でシアノバクテリアは、生命史上最も成功した生物と言う事ができよう。そして、この生命進化の大傑作であるシアノバクテリアの光合成は、そのまま高等植物にまで伝えられて来たのである(植物の葉緑体はかって原始真核細胞に共生したシアノバクテリアの子孫)。
どぶ川や湖沼の嫌気的環境に有機物と硫酸イオン(SO42-)が存在すると、硫酸還元菌が繁殖して硫化水素(H2S)を発生させる。このような環境では、グルコースは乳酸菌による乳酸発酵で乳酸となり、硫酸還元菌はその乳酸を硫酸によって酢酸に酸化しながら生育する。この時、硫酸イオンが硫化水素に還元されるのである。
2CH3CH(OH)COOH + H2SO4
(乳酸) (硫酸)
→ 2CH3COOH + 2CO2 + 2H2O + H2S
(酢酸) (硫化水素)
このように嫌気的条件下で硫化水素が発生し適当な光が差し込む場所では、光合成細菌の硫黄細菌が繁殖し、この硫化水素を使って二酸化炭素を還元し酸素の代わりに硫黄を析出する。時には、硫黄細菌が湖面でマット状に盛り上がり、天然の硫黄鉱床を形成すると言う。この硫黄細菌が旺盛に繁殖する湖沼では、水面下、数m〜十数mに赤色の紅色硫黄細菌の群落の層が形成され、湖や沼があたかも二重底の様になり、水深によって3層に分かれた生態系が出来上がる。湖水の表面では、シアノバクテリア・藻類・好気性細菌などが繁殖し、彼等の死骸は沈んで湖底に有機物を供給する。一方、湖底ではこの豊富な有機物を餌として多くの微生物が繁殖し、そのため酸素不足の状態になっている。この嫌気的条件下で乳酸菌や硫酸還元菌が繁殖して硫化水素を発生させ、そして表層の酸素の豊富な層と嫌気的な湖底との間に、硫化水素を消費する(紅色)硫黄細菌の層が形成されるのである。
(注) こうした嫌気的環境は、逆説的だが好気的細菌の作用で生み出される。好気的細菌は、徹底的に酸素を消費し尽す能力を持っている。このため、海や湖底に水草や藻の残骸が沈んで溜まると、初めは好気的細菌がその植物遺体の有機物を分解して行くが、その過程で酸素を消費し尽くし、遂には全く酸素のない状態になってしまうのである。(4-18)
これと同じ様な生態系が、シアノバクテリアが登場したばかりの原始の海にも存在していたと考えられる。まず、誕生したばかりのシアノバクテリアは、太陽光が良く届き、光合成に最も好都合な海の表面を占領する。そして、そのすぐ下に嫌気性の光合成細菌である硫黄細菌の層が形成される。これは光化学系にクロロフィルaを持つシアノバクテリアに対し、酸素に弱いバクテリオクロロフィルaを使う硫黄細菌は、シアノバクテリアの発生する酸素を避けなければならない為である。さらに、硫黄細菌は光合成に硫化水素を必要とする事が、海表面を占拠したシアノバクテリアのすぐ下に張り付く様に生育しているもう1つの理由である。この硫黄細菌の層から海底までは嫌気的環境で、海底には海表面からシアノバクテリアをはじめとする微生物の死骸が降り積もり、それを餌にする嫌気性の発酵細菌や硫酸還元菌が繁殖して硫化水素を発生させている。そして海底で発生した硫化水素が、第2層の硫黄細菌の光合成で使われるのである。また硫黄細菌の光合成によって生成した硫黄は、シアノバクテリアの放出した酸素と結合して硫酸となり、海底の硫酸還元菌に使われて硫化水素に還元される事になる。こうして細菌の間に、見事な原始の生態系が出来上がっていたのである。地球の生命は、その歴史の極初期の段階からこのような生態系を形成し、互いに助け合い補い合って生きて来たのである。
(注) シアノバクテリアと光合成細菌では、光合成に利用する光も微妙に異なり、前者は緑色植物と同様に赤色光(660〜680nm)を、後者は近赤外光(750〜850nm)を使っている。太陽光は、まず海面近くの酸素発生型光合成生物のクロロフィルa(葉緑素)により吸収され、残った近赤外光を光合成細菌のバクテリオクロロフィルa(暗青色)が利用するという様に、巧妙な棲み分けが行われているのである。
(注)西オーストラリア、チャイナマン・クリークのチャート中から発見された35億年前の最古の微生物化石には、棒形・球形・繊維状と様々な大きさと形の細胞が含まれていた。これは当時すでに多様な微生物の社会・生態系が存在していた事を示唆している。
この原始の生態系の存在を示すものとして、西オーストラリアのハマースレー渓谷のブラックシェール(黒色頁岩)がある。これは25億年前、太古の海で大繁殖をしていたシアノバクテリアの死骸がマリンスノーの様に降り積もり、ヘドロの様になった海底で形成された石油を含む黒い岩である。このブラックシェールにはキラキラと黄金色に光る斑点がたくさん存在するが、これは生物が作り出した黄鉄鉱で、海表面でシアノバクテリアが大繁栄をしていた当時、海底では硫酸還元菌が盛んに活動していた事を示している。硫酸還元菌は乳酸や水素を用いて、硫酸イオンを硫化水素に還元して生育する。こうして生成された硫化水素(H2S)が、海中に溶け込んでいた鉄分(Fe)と反応して黄鉄鉱(FeS)を作ったのである。従って、このブラックシェールが形成された頃には、海表面ではシアノバクテリアが大繁殖して酸素を放出し、海底では嫌気的環境下で硫酸還元菌が生息していた事になる。
太古の海で形成された、シアノバクテリアを中心とする細菌達の生態系は、今日でも生き続けている。それはスペインのバルセロナ港に見られる様な、デルタ地帯のヘドロの中である。厚さ数cmのヘドロのマットはその断面を見ると、表面から緑色の層・ピンク色の層、そして真っ黒な層と、はっきり3層に分かれている。一番上の緑の層がシアノバクテリアで、それが出す酸素によって鉄が酸化され茶色く錆色をした場所が周囲に点在している。緑と黒の層に挟まれたピンク色の部分は、硫化水素を使って光合成をする硫黄細菌の層。そして一番下の黒い層が、硫化水素を発生する硫酸還元菌である。デルタ地帯のヘドロに足を突っ込むと、温泉で嗅ぐ硫黄の匂いが立ちこめる。ここにはハマースレー渓谷と共通して、硫化水素の匂いと赤茶けた鉄の錆色が存在している。このヘドロの中には、20億年以上も前の地球の生態系が今なお生き続けているのである。
(注)生きたストロマトライトの表面には紙1枚ほどの厚さのシアノバクテリアの膜があり光合成を行っているが、その直ぐ下の層には発酵細菌など別の種類の細菌が住みつき小さな生態系を形作っていると言う。
水から水素を得る事に成功したシアノバクテリアは、生息場所の制約から開放され、世界中にその分布を広げて行った。そして、太陽光の良く当たる海面で大繁殖をする。この地球最初の人口爆発とも言うべき当時の大繁殖の跡は、ハマースレー渓谷一面に厚く積もったブラックシェールとして残っている。そしてシアノバクテリアは、大量の酸素を放出して地球環境を大きく変えて行った。この酸素の増大は、世界各地に残る縞状鉄鉱層(BIF)と呼ばれる大鉱床を形成する事になる。これは海水中に溶けていた2価の鉄が、シアノバクテリアの放出する酸素によって酸化・沈殿して形成されたものである。この縞状鉄鉱層が堆積したのは35〜6億年前と長期に渡るが、そのピークは原生代初めの25〜20億年前の事である。この事から、25億年前頃からシアノバクテリアの大繁殖が始まったと考えられる。そしてこの背景には、地球自身の重要な変化が関っていた。それは大陸の出現に伴う海洋組成の変化である。
誕生直後の原始地球は、マグマオーシャンで覆われて表面温度が1700℃にもなり、海水は存在せず数百気圧の水蒸気の大気が地表を覆っていた。しかし、地表が冷えてマグマオーシャンの表層が固まって来ると、この大量の水蒸気は雨となって地表に降り注ぎ、約40億年前には原始海洋が誕生したと考えられる。こうして水蒸気成分が大気から抜けると、原始大気の主成分は二酸化炭素と一酸化炭素となった。また原始海洋の誕生は、当初は60気圧もあった大気中の二酸化炭素を、海に溶け込ませる事によって数気圧ぐらいにまで急速に減少させる事になる。そして海に溶け込んだ二酸化炭素は、岩石の浸食によって放出されるマグネシウムやカルシウムウムなどの陽イオンと反応し、炭酸カルシウム(石灰石CaCO3)や炭酸マグネシウムといった炭酸塩鉱物となって、沈殿・堆積して行った。実際、イスアや西オーストラリアのピルバラ地域など、中央海嶺の熱水変性作用を受けた場所で炭酸塩鉱物が大量に出現している。当時の中央海嶺の熱水は、現在の100〜1000倍の二酸化炭素濃度を持っていたと言う。こうして形成された炭酸塩鉱物は、プレートの沈み込みによって地球内部に潜り込み、そこで二酸化炭素とケイ酸塩岩石に分解され、二酸化炭素は火山ガスとして再び大気中に放出される。この様に、二酸化炭素は大気中から海水中へ溶け込み、次に堆積物となって地中に取込まれ、再び火山ガスとして大気中に放出されるという循環を繰り返しているのである。大陸が形成されると、二酸化炭素と結合する陽イオンが陸から大量に供給される様になり、また大気・海・海洋底の間で成り立っていた二酸化炭素の循環サイクルに、大陸への付加という新しい要因が加わる事になる。大陸地殻を構成する花崗岩は、中央海嶺での熱水変性作用によって加水された玄武岩質海洋地殻が(こうして含水鉱物となると溶融温度が著しく低下する)、海溝から約30〜50kmの深さに沈み込んで溶融し、二酸化ケイ素(SiO2)に富む酸性のマグマとなって地表に上昇して出来たものである。つまり、花崗岩の形成は海洋の誕生によって初めて可能となるわけで、花崗岩質大陸地殻は太古代になって初めて地上に出現するのである。現在に比べると、太古代の初めの大陸地殻総量は著しく少なかったが、地球内部が高温であった為に沈み込むプレートが若く大陸地殻の生産は急速に進み、現在の大陸地殻の50%近くが太古代にできたと言われている。大陸地殻は、プレートの沈み込み帯での火山活動を通じて作られるが、こうした造山帯が互いに衝突・融合を繰り返して小さな大陸を作って行った。そして19億年前頃には、それまでの二層対流に代わって現在と同じ全マントル対流が始まり、かなり大きな大陸も出来て来る。また、冥王代から太古代初期にかけてのマントル対流は乱流的だったが、27億年前以降急速に冷却が進みプルーム数の減少と大型化が起こり、19億年前には巨大な単一の下降プルーム、つまりスーパーコールドプルームが誕生したと考えられる。そして、このスーパーコールドプルームに引き寄せられるかたちで大陸が集合し、19億年前に最初の超大陸が出現する事になるのである。
この様にして大陸が形成されて来ると、二酸化炭素の一部は炭酸塩岩石として固定され、大気中の二酸化炭素は急速に減少して行く事になる。実際、現在の地球では、全炭素の約90%が堆積岩中に石灰岩や有機炭素として大陸に貯蔵され、海底火山活動で循環する炭素は全体の10%に過ぎないと言う。この結果、原始大気は残された窒素を主成分とするものになって行ったのである。さらに、河川を通じて海洋に運び込まれる陸地の浸食物質の中には、生物の生育に不可欠の栄養塩類も豊富に含まれていた。実は、地球史の前半の海には、リン酸塩を始めとするこうした栄養塩類が欠乏していたのである。シアノバクテリアは、充分な栄養と太陽光の降り注ぐ太古代末の浅海の中で、地球始まって以来の生命の大爆発とも言うべき大繁殖をする事になる。その跡が、27〜25億年前に堆積したハマスレーの膨大な黒色頁岩だったわけである。27億年前以降は、世界各地で大規模なストロマトライトの露頭が発見されており、シアノバクテリアの急激な繁殖が始まった事が知られているが、ちょうどこの時には29〜27億年前にかけての氷河期が終わり、また27億年前にはそれまで衰えつつあった火成活動が再び活発化し、大規模な火山活動と大陸地殻の急激な成長が起こった時期でもあった。この温暖化と大陸地殻の成長による海岸域の拡大が、シアノバクテリアの大繁殖を後押ししたであろう。また、27億年前の火成活動では地球磁場の強度が急増し、地球を取り巻くバンアレン帯が形成されて、宇宙からの高エネルギー粒子が遮蔽される様になった事も、シアノバクテリアの浅海への進出を可能したと言われる。そして、このシアノバクテリアの大繁殖は、大量の酸素の放出を通じて地球の大気組成を劇的に変化させる事になる。25億年前頃を境に二酸化炭素濃度は減少し、反対に酸素濃度が急激に上昇して行く事になる。これによって地球の表層環境は、それまでの酸素の存在しない還元的なものから酸化的環境に大きく変化して行ったのである。
(注) 丸山によると、27億年前の火成活動はマントルオーバーターンという上部マントルと下部マントルの入れ替えが起きたもので、低温の上部マントルの崩落が核の表層を冷却し、その結果、液体核に発生した激しい対流が強力な磁場を誕生させたと言う。同様のマントルオーバーターンは19億年前にも発生し、どちらも40億年前以降最大規模の火成活動で、その直前には火成活動も衰え氷河が発達していたらしい。
原生代初めに起こったシアノバクテリアの大繁殖は、この様な地球自身の進化と密接に関連していたのである。また、これは当初、熱水噴出口の化学エネルギーに依存して誕生した生命が、太陽からのエネルギーにそのエネルギー源を転換した事をも意味する。以後、生命は降り注ぐ太陽の莫大なエネルギーを利用する事によって、地球上に巨大な生命圏を築き上げて行く事になるのである。
25億年前頃から、シアノバクテリアの光合成によって蓄積され始めた酸素は、地球の生命に大きな影響を及ぼす事になる。我々は酸素がなければ生きて行けない。しかし、生物にとって酸素は本来極めて毒性の高い有害物質で、生体分子を無差別に酸化して変化させ、また生命の行う代謝過程で、遊離水酸基・超酸化物(スーパーオキシド)のイオン・過酸化水素などの反応しやすい化学種に変換し、DNAや脂質二重層などを破壊する。だから、嫌気性細菌などは酸素に触れるとすぐに死んでしまう。その為、それまで嫌気的環境で生活して来た原始地球の生物達は、原生代以降の酸素濃度の急上昇に対して、何等かの防御策を進化させる必要に迫られた。そして酸化防止剤や遊離基捕捉剤、超酸化物のイオンを不活性化するスーパーオキシドジムスターゼや、過酸化水素を分解するカタラーゼなどの保護酵素を合成する様になるのである。しかし有害物質であった酸素は、他方で生物に大きな進化の可能性を開く事にもなる。即ち、酸素の持つ強力な腐蝕作用を逆に利用する事で、食物の有機物質から大量のエネルギーを引き出す事が可能になったのである。シアノバクテリアの光合成により有機化合物と酸素が豊富に存在する様になると、電子伝達系はNADHから酸素に電子を運ぶ様に適応し、光合成細菌の中から好気的代謝(酸素呼吸)を行うものが進化して来る事になる。その結果、従来の嫌気的代謝の解糖・発酵では、1分子のグルコースから2分子のATPしか得られなかったものが、酸素呼吸では38分子ものATPが生成される様になったのである。この言わばエネルギー革命が、その後の従属栄養生物の大発展を可能にする。酸素呼吸の進化がなければ、今日の真核生物の大繁栄も有り得なかったのである。
呼吸代謝は3つの部分から構成されている。まず最初がEM経路(エムデン・マイヤーホフ経路)で、これは解糖系をそのまま使って、グルコースを2分子のピルビン酸にまで分解している。こうしてできたピルビン酸は、次にクエン酸回路(クレブス回路、TCA回路)に入るが、真核生物では以後の反応はミトコンドリアの迷路の様な内部で行われる。このクエン酸回路は、ピルビン酸→クエン酸→イソクエン酸→α・ケトグルタル酸→グルタミン酸(クエン酸回路の右半分)のいわゆるグルタミン酸発酵と、ピルビン酸→オキサロ酢酸→リンゴ酸→フマル酸→コハク酸(同左半分)→プロピオン酸のいわゆるプロピオン酸発酵の、2種類の発酵経路が結合してできている。また、プロピオン酸菌は嫌気性であるが完全なクエン酸回路を持っており、こうした事からクエン酸回路は解糖・発酵時代の産物と考えられる。
(注)解糖経路の産物であるピルビン酸は、クエン酸回路に入る前に1分子のCO2を除去し、補酵素Aを付加してアセチル−CoAに変換される。クエン酸回路は、この炭素2個を持つアセチル基がCO2とH2Oに酸化されて行く一連の過程と見る事ができる。
クエン酸回路を通過した2分子のピルビン酸からは、2分子のATP・8分子のNADH・2分子のFADH2が得られる。解糖系で得られるATP 2分子とNADH 2分子を加えると、元のグルコース1分子から合計ATP 4分子・NADH 10分子・FADH2 2分子が得られる計算になる。そして、クエン酸回路で還元されたNADHとFADH2は、電子伝達系である呼吸鎖に電子を渡し、3つのプロトンポンプを駆動してプロトンを汲み出す。こうしてできたプロトン勾配を利用した化学浸透性リン酸化によって、大量のATPが合成されるのである。呼吸によるATP生産の90%が、この呼吸鎖から得られる事になる。NADH 1分子はプロトン6個を、FADH2 1分子はプロトン4個を汲み出す。そして、プロトン2個が勾配にしたがって逆流する事で、ATP 1分子が生成されるのである。プロトンを汲み出してエネルギーを失った電子は酸素と結合し、さらに酸素は2つのプロトンを得て水を生成する。
ところで、このATPの大量生産の鍵となる呼吸鎖は、無酸素時代に進化した光合成の光化学系そのものである。つまり呼吸鎖は、先に進化していた光合成代謝から借用して来たものだったのである。事実、現存する紅色光合成細菌の多くは、電子伝達系に驚くほどわずかな再編成を行うだけで、光や酸素の条件に従って光合成と呼吸を切り換える事ができると言う。また今日、絶対好気性細菌で従来光合成細菌とは考えられていなかった細菌から、バクテリオクロロフィルを持つものが見つかっている。これはかって光合成細菌であったものが、光合成の能力を失い普通の好気性細菌に退化したものと考えられる。また、現存する光合成細菌と光合成をしない好気性細菌のあるものとが、遺伝的に非常に近い事も分かっている。恐らく、嫌気性の紅色光合成細菌が光合成活性を失い、好気性細菌に進化して来た事はほぼ間違いないのである。シアノバクテリアによる光合成の結果、地球上に酸素と有機物が蓄積して来ると、大腸菌の祖先を含む一部の光合成細菌は光エネルギーだけで生育する能力を失い、完全に呼吸に依存する様になって行った。こうして好気性従属栄養生物が誕生したのである。そして、この好気性従属栄養の真正細菌が、嫌気性の古細菌に細胞内共生する事で真核細胞が誕生するわけである。
ここで代謝の進化についてまとめておこう。深海底の熱水噴出口の近くで誕生した最初の生命は、その周囲に豊富に存在していた有機物を嫌気的に酸化する、解糖・発酵によってエネルギーを得ていたと考えられる。しかし原始細胞によって有機物が消費され、代謝の老廃物として有機酸が蓄積される様になると、酸による環境汚染から身を守る必要からプロトンポンプと電子伝達系が進化してくる事になる。そしてこの両者を獲得した細胞は、解糖・発酵に代わる全く新しいエネルギー生産方法、化学浸透性リン酸化を開発するのである。それが古細菌の祖先であった。熱水噴出口の周辺に棲む彼等は、近くに豊富に存在するイオウを酸素の代わりに使って嫌気呼吸をする様になったのである。その中には、分子状水素を電子供与体として化学合成する独立栄養細菌もいた。こうした彼等の生き残りが、今なお熱水噴出口の周辺に棲む高度好熱性イオウ依存古細菌である。さらに古細菌の中には、バクテリオロドプシンを使って独特の光合成をする、ハロバクテリアなども進化してくる事になる。
しかし次の段階の、酸素発生型の光合成と好気呼吸の進化は、真正細菌によって担われる事になる。それは熱水噴出口周辺の海底に留まった古細菌とは異なり、新たなエネルギー源を求めて海中に泳ぎ出して行った細菌の仲間であった。まず最初に現れたのは、酸素を発生しない光合成をする光合成細菌である。彼等の仲間には、異なる光化学系を持つ2種類のものが存在し、後にこの2種類の光化学系が1つの細胞の中で合体する事で、酸素発生型の光合成をするシアノバクテリアが誕生する。この生命進化の傑作とも言えるシアノバクテリアの出現は、その後の世界を大きく変える事になる。水と二酸化炭素から有機物を合成するシアノバクテリアは、原始地球の中で爆発的に分布域を広げ、大量の有機物と酸素を作り出して行ったのである。すると今度はこの有機物を電子供与体、酸素を電子受容体とする酸素呼吸が進化してくる。この好気性細菌は、海表面で繁殖するシアノバクテリアの層のすぐ下に張り付き、その放出する酸素に晒されながら光合成をしていた紅色細菌から進化してきたと考えられる。彼等は、シアノバクテリアの作り出す大量の有機物と酸素から呼吸によってエネルギーを引き出す道を選び、光合成活性を失って行った。こうして好気性従属栄養生物が誕生するのである。
原始地球の海の中には、その表層で太陽の光を受けて光合成をし盛んに酸素を放出するシアノバクテリアと、酸素呼吸をする好気性の細菌とが繁殖する真正細菌を中心とする生態系と、海底の熱水噴出口周辺の嫌気的環境での古細菌の局所的な生態系との、2種類の生態系が存在する事になった。後者が地球内部からのエネルギーに依存していたのに対し、前者は太陽エネルギーをエネルギー源とする生態系であった。そして、地球の冷却と大気組成の変化という地球自身の進化の流れの中で、次第に生命活動の中心は、太陽エネルギーに基礎を置くシアノバクテリアを中核とする生態系の方に移行し、古細菌の方は特殊な環境に押し込められる様になって行くのである。ところが次の進化は、この進化の主流から外れた古細菌の中から起こる事になる。この嫌気性の古細菌に、好気性の真正細菌が細胞内共生する事によって真核細胞が誕生するのである。これは酸素量の増大と共に追い詰められて行った古細菌の起死回生の策でもあった。こうして誕生した真核細胞は、以後、真正細菌と世界を二分する生物界を形成し、原核生物にはない複雑な多細胞生物をも進化させて行く事になるのである。