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第4章 3/4

真核生物の出現

 真核細胞の誕生と食細胞化

 

  これまで真核細胞は、嫌気性の古細菌に好気性の真正細菌が細胞内共生して誕生したと述べて来た。しかし、実はそれだけでは真核細胞と原核細胞の違いを、総て説明する事はできない。例えば、複雑に発達した細胞内膜系(核膜もその一部)、細胞質全体に張り巡らされたタンパク繊維の網目構造の細胞骨格、複数の染色体の存在と有糸分裂、そして原核細胞の10倍(体積では1000倍以上)にもなる大きさなど、真核細胞に特有のこれらの性質は共生だけでは説明がつかないのである。恐らくこれらの特徴は、好気性の真正細菌が細胞内共生する以前から、原始真核細胞自身が進化させ持っていたものと思われる。ミトコンドリアや葉緑体など、共生説で説明できる真核細胞の特徴は、真核細胞と原核細胞を隔てる大きな差異の一部分に過ぎないのである。

  実はその事を裏付ける様に、従来好気性だと考えられて来た真核細胞の中に、動物の腸内など酸素の乏しい嫌気的環境下に棲み、ミトコンドリアを持たないものが存在する。重複鞭毛虫類と微胞子虫類である。重複鞭毛虫類(ディプロモナド)のランブル鞭毛虫(ギアルディア)は、ヒトと一部の動物に寄生し、様々な重度の感染症(ギアルディア症)を引き起こす洋なし形をした単細胞生物で、現在わかっている最古の真核生物の1つと考えられている。大きさは約1/40mm、体積は平均的な原核生物の1万倍以上にもなり、バクテリアと比べると巨大な細胞である。そして2つの核と、アクチンとチューブリンでできた細胞骨格を持ち、真核細胞に特徴的な微小管でできた4対の長い鞭毛(原核生物の鞭毛とは異なる)を波打たせて非常に良く動き回る。ところが、これまで真核細胞の特徴と考えられて来たミトコンドリアや葉緑体は持たず、小胞体やゴルジ体もない。これらの細胞内小器官は、ランブル鞭毛虫が寄生生活に適応する過程で失ったという可能性も存在するが、重複鞭毛虫類に次いで古い微胞子虫類も同様に共生による細胞内小器官を持っていない。またDNAの塩基配列から、他の真核生物と同程度に細菌にも近縁である事が分かっている。これらの事から、恐らくランブル鞭毛虫は20億年以上前、地球の大気中に酸素が現われる以前に、進化のごく早い段階で真核生物の太い幹から分岐したものと考えられる。つまり原始真核細胞は、ミトコンドリアや葉緑体となる共生体を獲得する以前に、嫌気的環境下で真核細胞の特徴である核と細胞内膜系、細胞骨格などを進化させていた可能性が高いのである。では、共生によらないとするならば、原始真核細胞はどの様にしてこれらの構造を進化させたのだろうか。

  この謎を解く鍵は、真核細胞だけに見られる目立った機能である食作用にある。真核細胞はエンドサイトーシス(飲食作用)によって細胞外の固体(ファゴサイトーシス:食作用)や液体(ピノサイトーシス:飲作用)を細胞内に取込む事ができる。実はこの食作用と、先に挙げた真核細胞の特徴との間には深い関係が存在する。即ち、原始真核細胞の祖先の古細菌が、他の細菌を飲み込んで食べる食細胞化したと考えると、真核細胞の多くの特徴をうまく説明できるのである。例えばサイズ、他の生物を捕食するにはサイズが大きい方が一般に有利である。事実、海生生物の食物連鎖を見ると、被食者に比べて捕食者の方が概して体が大きい。アメーバが細菌を飲み込むところを思い浮かべれば、サイズの持つ意味が分かるだろう。そして細胞のサイズを大きくする為には、細胞内膜系の発達が不可欠なのである。まず、細胞内部で起こる生合成反応の材料は、総て細胞膜と通して取り入れなければならない。従って、細胞のサイズは外界との物質交換、つまり栄養物の取り込みと老廃物の排出に利用できる細胞の表面積の大きさによって、制限される事になる。その為、滑らかな膜に囲まれた球状の細胞では、一定のサイズ以上には大きくなれない。体積は半径の3乗に比例して増加するのに対し、表面積は2乗にしか比例しない為、増加した体積に必要なだけ表面積が増えないからである。細胞のサイズをもっと大きくするには、その形を棒状や繊維状にしたり、膜を内側に折り込んだり外へ突出させるなどして、表面積を拡大する工夫が必要となる。また生体膜はそれ自身、多くの重要な反応の起こる場所でもある。膜の中やその表面では、様々な生化学反応が行われている。例えば、脂質代謝の大部分は膜に結合した酵素によって触媒されているし、呼吸や光合成では膜が不可欠なのは先に見たとおりである。このように、生体膜は細胞が生きて行く上で極めて重要な役割を果たしているわけで、細胞サイズの拡大の為には、体積増加に対応した膜面積を確保する事が不可欠なのである。ところが、真核細胞ではサイズが普通の細菌の1030倍、体積は100010000倍にもなり、膜を必要とする様々な細胞の必須機能を維持するには、細胞膜だけでは面積が小さ過ぎる。この問題の解決策として原始真核細胞が採った方法が、細胞内膜系を発達させる事だったのである。真核細胞の細胞膜は、膜に含まれるコレステロールの為、原核細胞のものに比べてはるかにしなやかになっている。真核細胞はこのしなやかな細胞膜を細胞内に引き込み、小胞体・ゴルジ体・核などの複雑な内膜系を発達させて行ったのである。そして、その膜を利用して細胞を区画化し、化学反応の効率を飛躍的に高める事にも成功する。こうして、真核細胞では細胞内膜系を高度に発達させた結果、細胞膜は全膜量のわずか5%程を占めるに過ぎないのである。

  食細胞というと、仮足を延ばして移動し細菌などを包み込んで食べる、アメーバや白血球が思い浮かぶ。しかし最初は、完全に飲み込んでしまうのではなく、単に食物となる細菌の体にぴったりと密着する事から始まったのかも知れない。真核細胞は真正細菌の様にペプチドグリカンの強固な細胞壁を持っていない(植物細胞の細胞壁はセルロースで細菌のものとは異なる)。細胞壁は細胞を守る防御服になっているわけだが、この強固な壁のおかげで細菌は食物を取り入れるのに、まず細胞の外側に消化酵素を分泌して食物を消化し、その後膜輸送を通じて栄養分を細胞内に取り入れるという細胞外消化を行わなければならない。しかし細胞壁を持たない真核細胞は、柔軟な細胞膜で食物となる細菌にぴったりとくっつき、相手の外形に沿って自分を変形させ、時には完全に相手を包み込む事もできる。単に密着するだけでも、細胞膜から分泌される消化酵素が細胞と獲物の細菌との間に閉じ込められ、効果的に働く様になったはずである。次はこの接触部が徐々に陥入し、その陥入が深くなると共に入り口部分が狭くなり、遂には両端がくっついて細胞内に閉じた小胞ができあがる。こうして、食物と消化酵素は外部から完全に分離された細胞内の小胞の中に閉じ込められ、消化される様になったのである。真正細菌の細胞外消化と比べて、真核細胞の獲得した食作用に伴う細胞内消化は、膜輸送では取込めなかったタンパク質やでんぷん、あるいはそれらの固まりなどを細胞内に取込む事を可能にし、また閉鎖された空間内での消化酵素の作用の効率化と相まって、飛躍的に大量の栄養処理を可能にした (4-19)。この細胞内消化の進化によって初めて、原核細胞の1000倍にもなる真核細胞の細胞質とその多彩な活動を養う事が可能となったのである。食作用を獲得した従属栄養の原始真核細胞は、細菌を飲み込んで食べる捕食者として進化の第一歩を印したのである。恐らく最初の原始真核細胞は、約25億年前頃から大繁殖を始めたシアノバクテリアの死骸が降り積もる海底で、固形の有機物を大量に処理するアメーバ様の食細胞として、嫌気性の古細菌の仲間から進化してきたと考えられる。その後、シアノバクテリアの発生する酸素によって海水中の酸素濃度が高まって来ると、先に酸素呼吸を進化させていた好気性真正細菌を細胞内に共生させ、効率的な呼吸代謝を一気に獲得する事に成功する。こうしてミトコンドリアを細胞内小器官として持つ好気性の真核細胞が誕生したのである。食作用を獲得して効率的な食物の摂取と消化を可能にし、さらには酸素呼吸によってそこから大量のエネルギーを引き出す事にも成功した原始の食細胞の真核細胞は、獲物を求めて自由に泳ぎ回る強力な捕食者として世界中を侵略して行く事になる。そして14億年前頃には、世界の海で繁栄する様になるのである。

 

(注)真正細菌のグラム陰性菌では、細胞膜と細胞壁のペプチドグリカンの間にペリプラズム間隙と呼ばれる隙間が有り、ここには消化酵素や代謝産物を細胞内に送る輸送タンパクが多く含まれ、活発に代謝が行われていると言う。グラム陽性菌ではこうした内膜と外膜の間の間隙はないが、細胞表層で代謝と消化が行われている。

(注)沿岸海域や湖沼では1mℓ(ミリリットル)当たり約100万個のバクテリアが生息し、数時間〜数日で分裂を繰り返しているが、人口爆発などは起きず生息密度は安定している。その原因は原生生物の鞭毛虫類などが強い捕食圧を加え、バクテリアが増殖した分だけ捕食されてしまう為と言う。

 

  この様にして生まれた細胞の最初の胃、即ち食胞は、高等生物では摂取・分泌・消化・吸収・排出・濾過といった、各々の専門器官に分化した機能を総て兼ね備えていた。食作用によって生まれた食胞は、その膜に付着したリボソームから消化酵素を受け取る。このリボソームは細胞膜にあった時の仕事をそのまま引き継いだだけであるが、ただ以前の様に消化酵素を細胞の外に放出するのではなく、今度は胃(食胞)の内側に分泌する様になった。また細胞膜にあったプロトンポンプも、今度は胃の内側に向かう様になり、胃を酸性にして消化酵素が作用しやすい環境を作り出した。細胞膜にあったその他の輸送系は消化した物質を胃から細胞内に運び出し、別の輸送系は以前には細胞外に排出していた老廃物を今度は胃の中に運び、最後に食物を飲み込んだ時とは逆に食胞が再び細胞膜にくっつき、胃の未消化の内容物や老廃物を細胞外に排出する様になったのである(エキソサイトーシス)。この原始の胃は、リソソーム・エンドソーム・粗面小胞体を1つにまとめた様な働きをしていた。そしてその後の進化は、原始の胃が果たしていた様々な機能が次第に別々の部分へと分化し、細胞内の小胞の複雑なネットワークへと発達して行ったものである。

 

(注)リソソーム:消化酵素を膜で包み込んだ小器官。エンドソーム:エンドサイトーシスにより取込まれた物質を分解の為にリソソームへ運ぶ動物細胞にある小器官。粗面小胞体:膜表面にリボソームが付着した小胞体でタンパク質分泌機能を持つ細胞内に見られる。

 

 

 細胞骨格と真核細胞の進化

 

  真核細胞の食作用は、細胞骨格の働きによって行われている。アメーバや白血球が仮足を伸ばして移動し、あるいは獲物の細菌を取込もうとする時、その仮足にはアクチンフィラメントの高密度の網目構造が形成され、この仮足の先導端で細胞骨格タンパクのアクチンが連続的に重合する事により、細胞を一定方向に移動させている。つまり、細胞骨格の存在によって初めて、真核細胞に固有の複雑な動きが可能になっているのである。例えば、原生生物(単細胞真核生物)の繊毛虫類(ゾウリムシ、ツリガネムシの仲間)で肉食性のDidiniumu は、直径約150μmの球体で体を繊毛の房でできた2本の輪が取り巻き、その繊毛を同調運動させて水中を敏速に動き回っている。その前部には鼻の様な突起が1つあり、ゾウリムシなどの獲物に出会うと、鼻の部分からおびただしい数の小さな麻酔針を放って相手に取り付き、自ら中空のボールの様に裏返って、自分と同じくらいの大きさの獲物を飲み込んでしまう。ここで見られる、活発に繊毛を動かして泳ぎ、獲物を麻痺させて捕え、細胞膜を変形させて飲み込むという複雑な行動は、細胞のすぐ下にある細胞骨格によって支配されている。このような捕食性の行動や、その基盤となる細胞の体制は、真核生物に特有のものなのである。

 

(注) 繊毛は微小管でできた鞭毛と同じく真核細胞特有の細胞器官で、その基本構造も共通するが、繊毛の方が短く1つの細胞に多数存在し、全体が同調して波の様に動く。この2種類の運動器官は1つの細胞に同時に付いている事はなく、分類学的にも鞭毛虫類と繊毛虫類に区分されている。

 

  また、神経細胞がその神経軸索を伸ばしている成長端は糸状仮足と呼ばれるが、そこでもアクチンフィラメントが束になった微小突起がたくさん伸び出している。細胞骨格がなければ、神経細胞も軸索を伸ばして神経のネットワークを築く事ができないのである。さらに細胞骨格は、真核細胞が様々な複雑な形をとる事も可能にした。原核生物の細菌では、その外形はわずか3つの基本形から出来ているに過ぎない。即ち、桿菌(棒状)・球菌(球状)・スピリルム(らせん状)の3つで、それが単独か、連鎖状(連鎖菌)か、塊状(ブドウ状菌)になっているかの違いだけである。この原核生物の形の上での単純さと比較すると、単細胞の真核生物である原生生物の形態は、極めて多様性に富んでいる。彼等は驚くほど変化に富んだ形をしており、しかも複雑な行動を示す。その内部構造も複雑で、知覚毛・光受容器(眼点)・鞭毛・繊毛・偽足(仮足)・細胞口・食胞・収縮胞・刺針・筋肉様の収縮束など、多細胞生物と見紛う程に様々の分化した細胞器官を発達させている。原生生物は単細胞であるが、特に大型で活発なものは原生動物と呼ばれ、多細胞生物の様に複雑で多彩なのである。

  このように細胞骨格は食作用や細胞の運動、そして複雑な形や構造を生み出し、さらには細胞内膜系や他の細胞内構造を支持する事によって、細胞の大型化をも可能にした。また、真核細胞に特有の細胞分裂である有糸分裂では、細胞骨格の微小管でできた紡錘体が染色体を両極に引き寄せ、2つに分ける働きをしている。有糸分裂も細胞骨格があって初めて可能となったわけである。こうして見て来ると、真核生物の特徴のほとんどは細胞骨格と関連している事がわかる。つまり原核細胞から真核細胞への進化には、この細胞骨格の出現が不可欠だったのである。恐らく最初に細胞骨格を進化させた古細菌が、その後、食作用や細胞内膜系、有糸分裂などを発達させ、原始真核細胞へと進化して行ったのだろう。細胞内膜系は祖先の細胞膜から受け継いだものだが、細胞骨格は原核細胞から真核細胞への飛躍を可能にした、真に革新的変化だったのである。古細菌の中でも細胞共生の宿主に最も近いとされるテルモプラズマには、この細胞骨格が存在すると言われる。

 

(注) 細菌の細胞分裂時には、細胞膜内面の分裂部分にFtsZタンパク質が集合して分裂リング(Zリング)を形成し、このリングの収縮で細胞がくびれて2つに分裂する。このFtsZタンパク質は、古細菌も含めほとんどの原核生物に存在し、構造がチューブリンにそっくりな事からその祖先型だと思われる。ただ、真核生物の細胞質分裂ではアクチンとミオシンによって収縮リングが作られ、筋収縮と同じ原理で縮むと考えられている。そして、チューブリンの方は収縮リングとは直角に配置される紡錘体を形成して、染色体の分配に関与している。また、細菌もアクチンに似たFtsAタンパク質を持っている。

 

 

 核の誕生

 

  核の存在は原核細胞と真核細胞を区別する基準となっているが、この核はミトコンドリアや葉緑体の様に、他の生物の共生によって生じたものでない事ははっきりしている。核は核膜と呼ばれる2重の膜で囲まれているが、その外側の膜は小胞体と繋がっている。小胞体は、真核細胞の細胞質の大部分を占める網目状の膜構造で、タンパク質などの合成や修飾、輸送に関っている細胞内小器官である。つまり核膜は、小胞体と分かち難く結び付いた細胞内膜系の一部なのである。事実、有糸分裂に於いては前期(染色体が凝集し星状体が現れる)に核膜は消失(しない例も多い)するが、その時分断された核膜は電子顕微鏡で見ても小胞体と区別できないという。さらに驚くべき証拠もある。分解された核膜は、有糸分裂の最後に各娘細胞の染色体の周辺で自然発生的に再構築されるのだが、この核膜の再生は試験管の中でも可能なのである。方法はいたって簡単で、分裂している細胞の細胞液を少し取り、その中に裸のDNAの切れ端を1つ入れ(真核細胞以外のDNAでも良い)ATPを少々加えるだけで、驚いた事に2〜3時間の内にDNAの周囲に二重の膜とその裏打ちの核ラミナ、そして核膜にあいた小孔の核膜孔を持った、どこから見ても完璧な核膜が形成されるのである。その上、このミニ核の内部では、DNAがビーズを通した糸をぐるぐる巻き付ける様にしてミニ染色体まで作ってしまう。DNA・ATPそして核膜を構成する分子間の相互作用だけで、この奇跡の様な核の再生が起こるのである。この事からも分かる様に、核膜は小胞体と同じく細胞膜が内部化する事によって成立した、細胞内膜系の一部にほぼ間違いないのである。

  では、この細胞内膜系はどのようにして進化して来たのだろうか。それは細胞膜が、細胞表面から内側に引き込まれる事によって形成されたと考えられるわけだが、次の様な段階を経て進化して来たと思われる。まず最初に、細胞膜の一部分に特別な膜タンパクが集まって細胞膜上にパッチを作る事から始まる。現在でもこのようなパッチは、好塩菌のバクテリオロドプシンを含む紫膜や、光合成細菌のクロマトフォアなどに見られる。次に、光合成などの特殊機能を果たす膜の面積を増やす為に、これらのパッチが細胞内部へ陥入さらに複雑化したり、幾つかの光合成細菌で見られる様に陥入した部分が完全に細胞内部に取込まれ、膜で囲まれた閉じた小胞を形成する様になったのだろう。真核細胞の小器官がこのようにして誕生したとすると、その内部空間は起源から予想される様に細胞の外部に相当する事になる。そして、小胞体・ゴルジ体・エンドソーム・リソソーム・輸送小胞などについては、この事が当てはまる。これらの間では、輸送小胞が1つの器官から出て別の器官に融合するという形で、小器官の内部どうしが互いに連絡し合い、同時にそれは細胞外部とも連絡しているのである。これとは対照的に、ミトコンドリアや葉緑体など共生によって誕生した細胞小器官では、他の小器官との間に輸送小胞による連絡はなく、上記の小器官を結ぶ輸送系からも除外されている。これは2つのグループの、起源の違いを反映したものと言えよう。また、細菌ではリボソームが細胞膜の内側(細胞質側)に付着し、真核細胞では小胞体膜の外側(細胞質側)に付着している事も、小胞体の起源を細胞膜の内部化と考える事でうまく説明ができる。

 

(注) クロマトフォア:細胞膜が内側に陥入して極度に発達した細胞内膜構造で、光化学反応中心や電子伝達系を持つ。シアノバクテリアのチラコイド膜では細胞膜との結合は認められない。

(注) 近年、原始真核細胞の起源に関して、東京薬科大学の山岸明彦から興味深い仮説が出されている。それによると、好酸好熱性古細菌のテルモプラズマが多数融合して多核の巨大細胞が形成され、一挙にゲノムサイズの拡大と細胞内膜系を獲得し、それに好気性細菌やシアノバクテリアが共生して真核細胞が誕生したと言う。テルモプラズマは他の細菌と異なり固い細胞壁をもたず不定形で、融合した時に柔軟な細胞膜をそのまま小胞体膜にできるわけである。実際、自然界ではテルモプラズマが互いにくっつき合って、20μm程の大きさになる事があると言う。

 

  二重の膜構造を持つ核の誕生も、内膜系の進化の延長線上に考える事ができる。原核生物の細菌では、1本しかない環状染色体の一端が細胞膜の特定の部位に付着しているが、細菌の中にはこの1個のDNA分子が、メソソームと呼ばれる細胞の陥入部分に付着するものがある。このような陥入部がさらに広がって遂にはDNAを囲む膜にまで発達して行き、そして最後にこの包膜が細胞膜から完全に切り離され、二重の核膜で囲まれた核の区画が出来上がったのだろう。このような核の起源からすると核の内部は細胞質ゾルに相当する事になるが、事実、核膜には核膜孔複合体でできた核膜孔が存在し細胞質とつながっている。そして有糸分裂の際には核膜は消失し、核の内容物は細胞質ゾルと完全に混ざってしまうのである。反対に、二重になった核膜の間の空間は、小胞体などと同じく細胞の外部と等価であり、実際ここは小胞体内腔とつながっている。このように細胞内膜系の進化を考えれば、核や一重の膜を持つ細胞内小器官の構造を統一的にうまく説明できるのである。

  細胞内膜系の進化では、細胞のサイズの増大に対応して膜面積を拡大する必要から細胞膜の内部化が始まり、そして膜で仕切られた小器官を発達させる事で細胞活動を区画化し、生化学反応の効率を飛躍的に高める事にも成功する。これによって初めて、原核細胞に比べて1000倍以上も容積の大きい真核細胞が可能となったのであった。では、核の進化の理由やその原因は何だったのだろうか。実は、真核細胞と原核細胞との相違には、核の存在や有糸分裂といった形態や機構の眼に見える表面的なものだけではなく、もっと本質的な問題が存在する。それは細胞に含まれるDNA量の違いである。真核細胞には原核細胞の1000倍以上というケタはずれに大量のDNAが含まれており、この膨大なDNAを管理して行く為に、原核細胞にはない新しい構造や機構が必要とされたのである。真核細胞の祖先も原核細胞と同様に1つの環状DNAを持っていたとも考えられるが、恐らく、ごく初期の段階で複数の線状や環状DNAなど、様々なゲノム構成を持つの古細菌が分化していた可能性が高い。とにかくDNA量の増大と共に複数の線状DNAを持つ様になると、今度はこれらの細く長いDNAの糸が切れたり絡まったりするのを防ぐ必要から、様々な構造が進化して来る事になる。まずDNAは、DNA結合タンパクのヒストンと結合して、クロマチン(染色質)を形成する様になった。これによって、DNAの細い糸は折り畳まれて凝縮すると同時に切れ難くなった。染色体タンパクをはずされたDNAは、わずかな力で壊れてしまうのである。このヒストンは、真核細胞に特有の非常に大量に存在するタンパク質で、1つの細胞には各種ヒストンがそれぞれ約6000万分子も存在すると言う。また、1本のリング状のDNAしか持たない原核生物の細胞分裂(無糸分裂)では、複製されたDNAはそれぞれ1点で細胞膜に固定されており、それらが細胞質の分裂に合わせて2つの娘細胞に分かれるだけで遺伝子の伝達ができる。ところが複数のDNA断片を持つ真核細胞で、複製された多数のDNAを正確に2つの娘細胞に分配する為には、クロマチンがさらに高度に凝縮して取り扱いの容易な染色体を形成すると同時に、この染色体を間違いなく2組に分ける複雑な有糸分裂のメカニズムが必要となる。

  次にDNA量の増大が、いかに複雑な構造や機構の進化を要求したか見てみよう。分裂していない間期の細胞では、DNAはクロマチンに凝縮しているとはいえ、クロマチン自体が極めて細く絡まっているので染色体全体をはっきり見る事はできない。しかし有糸分裂の時には、クロマチンはさらに凝縮して分裂期の染色体を形成する。これが我々の良く知っている染色体で、こうなると光学顕微鏡でもはっきりとその姿を見る事ができる。このように、DNAが凝縮して小さくまとまる事によって初めて、有糸分裂に於いて大量のDNAを整然と2つの娘細胞に分配する事が可能となったのである。さらに有糸分裂をする真核細胞では、それぞれの染色体中にその複製と分離をつかさどる特定のタンパク質の結合部位となる、3種類の塩基配列が必要とされる。まず第1に複数のDNA複製起点である。原核細胞では複製の開始点は1つしかない。しかし、染色体の構造が複雑な真核細胞では、DNAの複製には染色体のもつれをほぐし酵素がDNAに作用しやすくする複雑な機構が必要で、この過程に原核細胞の20倍もの時間がかかり、この欠点を補う為に各染色体に複数の複製開始点が置かれているのである。その結果、DNAは多数の短い糸として同時に複製された後、一本に繋がれる。このようなメカニズムのおかげで、真核細胞の全ゲノムは約1時間で複製する事ができる。これは原核細胞の2倍少々に過ぎず、両者のDNA量の違いを考えれば驚くべき早さである(細菌の1/cmに対し、ヒトのDNAは約1.8mもある)。第2の特定塩基配列としてセントロメアがある。これは有糸分裂時に複製した2本の姉妹染色分体をつなぎ止め、この部分に形成される動原体というタンパク複合体を介して、紡錘体の微小管を付着させる働きをしている。これによって、有糸分裂の際に複製された染色体が正確に娘細胞に分配されるのである。例えば、このセントロメア部分を酵母細胞のプラスミドに挿入すると、細胞分裂時に複製されたプラスミドDNAが各娘細胞に1コピーずつ正確に分配されると言う。第3が、線状DNAの末端複製問題の解決に必要なテロメア配列で、各染色体の両末端にある。これらの塩基配列を持つ事によって初めて、染色体は正しく機能できるわけである。有糸分裂でもう1つ重要な役割をするのが2種類の細胞骨格構造である。1つは紡錘体を形成する微小管で、これにより複製された染色体は分裂中期に細胞を2分する赤道面に並び、後期に各娘染色体はそれぞれ結合した動原体微小管に引っ張られる様にして紡錘体極に向かって移動し、2つの娘細胞に分配されるのである。2つ目の重要な細胞骨格構造は、アクチンフィラメントとU型ミオシンで構成された収縮環である。これは細胞膜直下の紡錘体の軸に直角な面に、紡錘体にやや遅れて形成されるアクチンフィラメントのリングで、この収縮環が縮む事で細胞膜が内側に引っ張られ、細胞が2つにちぎられるのである。こうして1組の完全な染色体と、親細胞の半分の細胞質を受け継いだ2つの娘細胞が誕生する。このような細胞分裂の複雑な過程は真核細胞にしか見られないもので、細菌類には特殊な構造を持つ染色体や紡錘体の形成もなく、染色体は1つだけで特に凝縮する事もなく、複製されたのち細胞膜に結合したまま娘細胞に分配されるだけである。こうした染色体や有糸分裂に見られる複雑な構造やメカニズムは、膨大化したDNAを管理し、その正確な発現と遺伝を実現する為に真核細胞が進化させて来たものなのである。この複雑な機構によって初めて、真核細胞は正確な細胞分裂が可能となるわけで、染色体が分離する時の誤りは1/10程度に過ぎないという。

  このように複雑化した細胞分裂の仕組みと、大量の遺伝子の発現を効化的にコントロールする為には、複数の染色体が巨大化した細胞のあちこちに散らばっていたのではうまく行かないだろう。恐らくDNA量が増大し、ゲノムが複数の染色体に分割される様になった時、遺伝子の発現や複製を効率的に行う必要から、染色体全体を1ヶ所に集め膜で仕切って区画を作るようになったのであろう。こうして核は誕生したのである。元々、原核細胞の段階からDNAは細胞膜に結合していたわけで、この細胞膜が内部に陥入しDNAを包み込む事で、核の区画は容易に作られたはずである。真核細胞では、DNAは普段から核膜とそれを裏打ちする核ラミナ、そして核の内部に張り巡らされた立体的網目構造の核マトリックスに随所で固定されている。このような核の構造は、原核細胞に比べて格段に量の多くなったDNAをコントロールする為に、真核細胞が獲得したDNA管理システムと見る事ができよう。真核細胞に於ける細胞内膜系の進化が、細胞容積の劇的な増大に対応する膜の表面積増大の要求にこたえ、さらには細胞内の区画化によって生化学反応の効率を上げる必要から始まったのと同様に、核は原核細胞の1000倍以上にもなる大量のDNAを効率よく管理し機能させる必要から、細胞内膜系の一部として誕生したのである。ただし、この因果関係は逆方向にも働いたはずで、正確には細胞の巨大化と細胞内膜系の進化、そしてDNA量の増大と核の進化に於いても、それぞれが互いに影響を及ぼしながら進化して来たものと考えられる。つまり細胞容積の増大が細胞内膜系の進化を促すと同時に、細胞内膜系の発達が細胞のサイズの拡大を可能にする。同様に、DNA量の増大が核や有糸分裂の進化を促し、次にはこれらの機構の進化がさらなるDNAの増加を可能にするという具合に、互いにフィードバックが働いて、細胞サイズの増大と内膜系の発達に伴う複雑化、そしてDNA量の増加と核や有糸分裂の進化が急速に進行して行ったのだろう。

 

 

 原核生物と真核生物の2つの戦略

 

  このような真核細胞の進化を見て来ると、先にも触れたが、真核細胞と原核細胞の間には2つの全く異なる基本戦略が存在していた事がわかる。原核生物の細菌は、原始細胞が持っていたと思われるイントロンを進化の過程で除去した事からも分かる様に、意味のない無駄なDNAを徹底して排除し、必要最小限のDNAで生きて行ける様に適応した生物である。そして必要となった遺伝子は、細菌間で融通し合う事で補う様になって行った。こうして無駄なものを省く事により、増殖スピードを最大限にまで高め、生物としての繁栄を獲得しようとしたのである。また細菌の小さなサイズでは、余分なDNAを持つだけの余裕がなかったとも言えよう。あるいは逆に、サイズを大きくする事なく小さいままで繁栄する為には、細胞分裂時に負担となる余分なDNAを排除し、増殖効率を最大限にまで高めるしか方法がなかったと言うべきかもしれない。とにかく細菌は、小さいサイズのままでDNAの無駄を徹底して省き、その増殖スピードを最大にする事を基本戦略にした生物なのである。

  他方、真核生物は細菌とは反対に、無駄とも思える程大量のDNAをどんどん抱え込んで行った生物と言う事ができる。一般に高等生物のゲノムには、大過剰のDNAが存在すると考えられている。以前から生物の1倍体ゲノム中のDNA量と、その生物の複雑さとの間には系統だった関連性のない事が知られていた(C値のパラドックス)。例えば、ヒトの細胞は大腸菌の700倍のDNAを持っているが、両生類や植物の中にはヒトの30倍ものDNAを持つものが存在する。そのうえ両生類では、種によってDNA量が100倍も違う事があるのである。また哺乳類ゲノムの内、タンパク質やRNAの合成と調節に関与しているDNAは、全体の2〜3%に過ぎないと言われている。真核生物の遺伝子には、イントロンと呼ばれる非コード配列が大量に含まれている事は先に述べた通りである。高等真核生物の遺伝子には、10万塩基対以上の長さのものがざらにあり、200万塩基対に達するものも存在する。ところが、300400個のアミノ酸が繋がった平均的なタンパク質をコードするには、約1000塩基対のDNAで充分であり、この余分の長さDNAのほとんどは非コード配列のイントロンなのである。大きな遺伝子は、コード配列のエキソンとイントロンが交互に並んだ長い糸であり、しかもそのほとんどがイントロンなのである。

  こうして見て来ると、なぜ真核生物は無駄なDNAをこうも大量に抱え込まなければならなかったのか、様々なDNAを大量に持つ事自体が、自己目的化していたのではないかとさえ思いたくなる。しかし逆に、これほど大量の意味のないDNAを抱え込んで、尚且つ真核生物が大繁栄している所を見れば、彼等にとって大量の無駄なDNAを持つ事はそれほど負担にはなっていないとも言えよう。あるいは、そのハンディキャップを上回る何等かの効用が存在するとも考えられる。とにかく、真核細胞がかくも大量のDNAを保持する事ができるのは、内膜系の発達により生化学反応の効率化に成功し巨大化したおかげである。余分なDNAを大量に持つ事は、いわば生産力を飛躍的に高める事に成功した、真核生物にのみ許される贅沢と言う事もできよう。これらの事から、真核生物は細菌とは反対に細胞のサイズを拡大し、できるだけ多くのDNAを持つ事を基本戦略にした生物と見る事ができる。細菌類に比べて、真核生物の驚くべき複雑さ多様さは、この基本戦略の延長線上に初めて可能になったのである。

  こうした遺伝子に関する両者の戦略の違いは、修飾制限系にも現れている。真正細菌はその遺伝子構成に無駄がない為、これを乱す可能性のある外来のDNA分子が細胞内に侵入した場合には、すぐにこれを分解する仕組みを進化させて来た。これが修飾制限系と呼ばれる、細菌の自己防衛システムである。その方法は、まず自分のDNAの所々にメチル基(−CH3)を結合させて目印を付け(修飾)、この目印を持たないDNAを切断する酵素を用意しておく。すると、ウイルスなどの外来の遺伝子が侵入しても目印がない為、この酵素によってすぐに分解される事になる。この切断酵素が制限酵素と呼ばれるもので、特定の塩基配列を識別してDNAを切断するDNAエンドヌクレアーゼである。修飾はその部位をメチル化する事により、制限酵素が作用できない様にしているのである。真正細菌の持つ制限酵素は、DNAを特定の塩基配列の所で切断するハサミとして、今日の遺伝子工学に無くてはならないものと成っており、現在では500種類以上の制限酵素が分離され多くが市販されている。ところが、真核細胞がそこから分かれたと考えられる古細菌では、修飾酵素もある事はあるが報告は少なく、市販されているものの中にもあまり見当たらず、古細菌の世界では修飾制限系はあまり発達していないようだと言う (4-13)。遺伝子の無駄を徹底して省き外来のDNAに閉鎖的な真正細菌に対し、古細菌の祖先は開放的で、外の遺伝子をどんどん取り入れる傾向があったのかも知れない。そして、この様な性格が真核細胞にまで受け継がれて行ったのだろう。こうして、異質なDNAあるいは無駄なDNAに対して寛大な性格を引き継いだ真核細胞は、大量のDNAをその細胞内に抱え込む事になり、それが真核生物の遺伝的多様性を飛躍的に拡大させる事になって行ったのである。

 

 

 真核細胞誕生のシナリオ

 

  これまで述べて来た事から、真核細胞の誕生について次の様なシナリオを描く事ができるだろう。真核細胞が誕生した頃の海では、深さに応じて層状に分かれた生態系ができていたと思われる。海の表層ではシアノバクテリアが大繁殖して、さんさんと降り注ぐ太陽光線を吸収して光合成をし、酸素を吐き出していた。そのすぐ下では嫌気性の光合成細菌の硫黄細菌が、硫化水素を水素源にして二酸化炭素を還元して光合成を行い、嫌気性の海底では硫酸還元菌が硫化水素を発生していた。そして表層でのシアノバクテリアの大繁殖は、この嫌気的な海底に大量の有機物を供給する事になる。大量の微生物の死骸が、海底にマリンスノーの様に降り積もったのである。こうして海底に大量の有機物が蓄積される様になると、今度はその新たな食物資源を積極的に利用しようとする生物が進化して来る事になる。

 

(注)現在でも、太陽光が当たる海洋の表層は光合成微生物の植物プランクトンが繁栄し、その下に消費者である従属栄養細菌の層、その後大洋底まで比較的生物の少ない層が有り、大洋底の沈降層で再び微生物(多くが嫌気性)の数が増加する。

 

  地球最初の生命は、熱水噴出口近くの硫化水素の噴き出す海底で誕生したと考えられるわけだが、その同じ海底で原始細胞の特徴を色濃く残した好熱性古細菌の仲間からその生物は出現する。分子状酸素の増加と共に進化してきた好気性の真正細菌や、当時としては最も進化していたシアノバクテリアなど、進化の進んだ生物達は酸素を豊富に含んだ海の表層を占めていた。それに対し、酸素の少ない嫌気性の海底では生命が誕生した頃そのままの環境が残されており、そこでは古臭い特徴をそのまま引きずって来た、言わば進化の停滞していた古細菌が棲んでいた。そのまさに進化の遅れた古細菌の仲間から、次の生命進化の飛躍が起こるのである。真正細菌は、細胞膜の外側に強固なペプチドグリカンの細胞壁を持っている。この細胞壁が浸透圧などから細胞を守っているわけだが、逆に細胞壁があるお陰で真正細菌はその形を自由に変える事はできない。しかし古細菌の仲間には、元々この固い細胞壁を持たないものが存在する。古細菌は、メタン細菌・高度好塩菌のグループ(ユーリアーキオータ界)と、好熱菌を中心としたグループ(クレンアーキオータ界)の2つに大きく分けられるが、このうちメタン細菌や高度好塩菌は球菌か桿菌のいずれかである事が多いのに対し、好熱菌の中には不規則な不定形で、規則的な形態を持たないものがいる。良い例が、6055℃の温泉に多く棲む高度好酸性好熱菌のテルモプラズマで、彼等はアメーバの様な柔らかい細胞膜を持ち、触手を伸ばして隣の細菌と盛んに接触し、仲間同士で次々と融合して行くと言う。原始真核細胞の祖先は、このテルモプラズマに近い柔らかい細胞膜を持つ古細菌の仲間だったと思われる。そして彼等が、細胞骨格を獲得した時がそもそもの始まりであった。この柔らかい細胞膜を持った原始真核細胞の祖先は、細胞骨格を発達させる事により、その柔らかい細胞膜を自由に操り変形させる事に成功する。これが食物の摂取・消化方法に革命をもたらす事になった。それまでは細胞外に消化液を分泌する事で食物を分解し吸収していた、つまり細胞外消化していたものが、まず初めは食物となる細菌に柔らかい細胞膜を使ってぴったりと密着し、そこに消化酵素を分泌する様になった。これだけでも消化酵素が周囲の海水に拡散する事を防ぎ、消化の効率は大きく上がったと思われるが、次にはさらに膜で完全に食物を包み込み、細胞内部で消化・吸収する細胞内消化を進化させる。こうして原始真核細胞の祖先は食細胞となった。つまり我々の遠い祖先である原始真核細胞は、アメーバ様の食細胞としてその第一歩を踏み出したのである。この食作用の獲得は、消化の効率を飛躍的に高めると共に、これまで直接吸収する事のできなかった大きな食物をも細胞内に取り込む事を可能にした。これはまさしく革命と言っていいほどの変化を生命にもたらす事になる。真正細菌の強固な細胞壁が外骨格だとすると、真核細胞の持つ細胞骨格は内骨格と捉える事もできよう。この内骨格としての細胞骨格の発達と、食細胞化による食物の摂取・消化効率の飛躍的向上によって、細胞の巨大化が可能となった。他の細菌を食べる肉食化した細胞にとって、体が大きい方が有利である。こうして細胞の巨大化が急速に進行して行ったと思われる。またこの過程で、膜面積の確保と巨大化した細胞内での生化学反応を効率化する必要から、細胞膜を内側に引き込み複雑な細胞内膜系を進化させて行く。細胞骨格は、細胞内膜系の形成と維持にも重要な役割を果たす事になるのである。

 

(注)真正細菌でもマイコプラズマは細胞壁を持たず、真核生物に典型的なステロール類(原核生物にはほとんど見られない)で細胞膜を強化して、浸透圧による膨張・破裂に対応している。そのため強度は落ちるが、硬い細胞壁がないので分岐した線維状となったり形態が多様に変化する。

 

  一方、古細菌から先に分かれた真正細菌は、DNAの無駄を省き必要最小限のDNAで生きられる様に進化し、それによって最短時間で最大の増殖ができる様になって行った。その真正細菌の中で最も進化したのが、シアノバクテリアと言う事ができる。彼等の形状や種類は多様でゲノムサイズも大きい。他方、原始的な特徴を残した古細菌の中から、余分なDNAを抱えたまま食細胞化の道を進んで行ったものが原始真核細胞であった。しかし一旦、食細胞化して細胞が巨大化すると、無駄なDNAを持つ事はさほど負担ではなくなってしまった。そして、細胞の巨大化と複雑化によって必要な遺伝子の量も増大し、不要なDNAと相まって真核細胞は大量のDNAを抱え込む様になって行ったのである。ところが、この一見無駄とも思える大量のDNAの保持は、真核細胞に進化上の可能性を無限に押し広げる事になる。確かに真正細菌は、DNAの無駄をなくし増殖能力を最大にする事で原始の海で大繁栄をした。しかし、それと同時に進化の可能性を閉ざしてしまう事にもなった。彼等は今日でも繁栄を誇っているが、その進化自体は何十億年も前に停止したままである。それに対して、無駄なDNAという原始的な形質を持ち続けた原始真核細胞は、その無駄のおかげで無限の進化の可能性を手に入れる事になった。以後、真核生物は目覚ましい進化を遂げ、多様性を広げて行く事になる。進化の進んだものの方が、その進化自体によって以後の進化の可能性を摘み取られ、反対に進化の遅れていたものがその後の進化の可能性を手に入れるという皮肉な結果となったのである。こうして、原始真核細胞は大量のDNAを抱え込む様になって行ったわけだが、この膨大な量のDNAを効果的に管理し機能させる必要から、核および有糸分裂のメカニズムが進化して来る事になる。ここでも細胞骨格が不可欠の重要な役割を果たした事は先に見た通りである。

  こうして誕生した原始真核細胞に好気性の真正細菌が食作用で飲み込まれ、それが消化されずに細胞内に共生する事によってミトコンドリアが生まれ、また同様にしてシアノバクテリアが細胞内共生して葉緑体が誕生するのである。ところで、ランブル鞭毛虫はDNAの塩基配列の比較から、約20億年前に真核生物の太い幹から分岐したと考えられている。つまり20億年前には、既に原始真核細胞が存在していたという事になる。事実、北米のスペリオル湖(五大湖の1つ)南岸の21億年前の縞状鉄鉱層の中から、真核細胞らしい化石が発見されている。長さ9cm幅1mmのリボンがまるまった様な形のグリパニアで、この化石は中国やインドの11億年前の地層から既に発見されており、現生の真核藻類のアケタブラナに良く似ていると言う。このグリパニアがミトコンドリアを持っていたかどうかは不明だが、海底に棲む嫌気性の古細菌が食細胞化する事で誕生したと思われる原始真核細胞は、嫌気性の生物であったはずである。しかし、現存する真核生物は一部の例外を除きほとんどが好気性で、酸素呼吸をする内共生後の時代に誕生したものである。この謎は、海水中の酸素濃度の増加と関係している。分子状酸素はシアノバクテリアの光合成によって生み出されたわけだが、この酸素の増加は縞状鉄鉱層や赤色砂岩の地層の出現時期、および地層に含まれる三価と二価の鉄の比などから、原生代初期の20億年前頃から始まったと考えられている。特に海洋の鉄の多くが沈殿してしまい、縞状鉄鉱床の形成が終わる17億年前になると、生み出された酸素は海洋では消費されなくなり、大気中に急速に蓄積されて行く事になる。この様な酸素の急速な増加によって、嫌気的環境だった海底にまで酸素が拡散し、この時に嫌気性の原始真核細胞の多くが絶滅してしまったのだろう。その中で、好気性の真正細菌を細胞内共生させる事に成功したものだけが、酸素の脅威を克服し生き延びる事ができた。それが今日、繁栄を誇る真核生物の祖先である。しかし一旦、ミトコンドリアを得て酸素の脅威を克服した真核生物は、酸素呼吸により大量のエネルギーを生産する事が可能となり、以後急速に発展して行く事になる。そして次には、シアノバクテリアを共生させて光合成をする真核生物も登場する。19億年前以降の地層からは、アクリタークスと呼ばれる単細胞藻類の休眠期の胞子らしい微化石が多く産出する様になる。恐らく20億年前頃に相前後して、ミトコンドリアと葉緑体を共生によって獲得した真核細胞が出現したのであろう。また、先カンブリア時代の微化石の大きさを統計的に調べると、1514億年前にかけてそのサイズが急激に大きくなる事が知られている。この事は約15億年前頃から、真核生物が急速に繁栄し始めた事を物語っている。こうして真核生物の時代が始まるのである。

 

 

多細胞生物の進化

 ディプロイド細胞と多細胞化

 

  最初の真核細胞は、1倍体のハプロイド細胞として誕生したと考えられる。遺伝情報は1組あれば生きて行くのには充分で、それをわざわざ2組も持つ必要はないからである。現在でも原生生物の中には、有性生殖を行わず一生ハプロイド細胞のままで過ごす仲間も存在する。我々に馴染みの深い2倍体のディプロイド細胞は、その後の進化の過程で、性の誕生に関連して出現して来たものなのである。ディプロイド細胞は環境の変化等、何等かのきっかけで1倍体のハプロイド細胞が融合して誕生したと考えられる。その後、有糸分裂の変形によって減数分裂の方法が編み出され、融合により2倍体となった接合子は再び1倍体に戻る事ができる様になった。実際、今日でも多くの種類の生物で体細胞還元と言って、普通の有糸分裂の中期に対合に似た染色体のペアリングが起こり、染色体が半減してしまう事があると言う。こうして1倍体と2倍体を交互に繰り返す事で遺伝子の組み換えを行う、性のシステムが誕生するのである。有性生殖は1倍体細胞の接合による2倍体の創出と、減数分裂による1倍体への還元という2つの過程から成り立っている。こうした事が可能となったのは、多数の染色体を管理する核のシステムと有糸分裂の機構が、真核細胞によって確立されたからである。つまり有性生殖は、真核生物の登場によって初めて可能となった生殖システムなのである。

  この性のシステムによって出現したディプロイド細胞は、初めは1倍体の配偶子が接合し、後に減数分裂によって再び1倍体に戻るまでの一時期存在するだけのものであった。しかし、その後の進化の中で徐々に2倍体の期間が長くなり、遂には生活環のほとんどを占めるまでになって行く。そして逆に1倍体のハプロイド細胞、これは真核細胞誕生時の形態でありその本来の姿とも言う事ができるが、こちらの方は有性生殖の一時期にのみ配偶子(生殖細胞)として存在するだけのものに成ってしまった。同じ遺伝子を2組持つという、全く無駄な事をしている様に見える2倍体が生活環の進化の中で優勢になって来た事は、生物にとってその方が有利な面があった事を示している。それは変異を蓄える事により遺伝子の多様性を拡大させる事ができる点と、放射線や紫外線・化学物質等によりDNAに傷を受けた場合、つまり有害な突然変異が起こった時に遺伝子が2組あると、片方が機能しなくなっても残りの正常な遺伝子でカバーできる点にある。即ち、2倍体はDNAの障害に対して強い耐性を持っているのである。

  実は、この突然変異に対する耐性の点で、2倍体と多細胞化とは深い関係にある。原核生物である細菌の仲間にも、単細胞で単独生活するものばかりではなく、ぶどうの房状や鎖状、多核の糸状などの集合体を形成して集団生活するものが存在する。なかには糸状体を形成するシアノバクテリアの様に、窒素固定の為にヘテロシスト(異型細胞)と呼ばれる特別の細胞を持つ、細胞分化の始まったものまで存在する。しかし、一般に多細胞生物というと真核細胞によるものであり、真核生物の登場によって初めて多様な多細胞生物の世界が開かれるのである。しかも正確に言うと、真核細胞の中でも2倍体のディプロイド細胞である。確かに、1倍体のハプロイド細胞にも多細胞体を作るものがある。例えば、紅藻類のアサクサノリ、緑藻類のヒトエグサ、そして緑色植物のゼニゴケなどは有性生殖を行うが、普段はハプロイドの多細胞体を作って生活している。しかし、これらのハプロイドの多細胞体は、細胞壁を共有する事で細胞がシート状に配列しただけのもので細胞間の連絡構造もなく、ディプロイドの多細胞生物に比べると極めて単純なものである。また、多細胞生物に特徴的な細胞分化の能力についても、ディプロイドとハプロイドの多細胞体では大きな違いが存在する。細胞分化は生殖的細胞分化と栄養的細胞分化の2つに大きく分けられ、このうち生殖的細胞分化は原核細胞の段階から現れハプロイド細胞にも広く存在するが、栄養的細胞分化はディプロイド細胞以外ではほとんど見られないのである。アサクサノリやヒトエグサは体の隅々まで同じ色で、総ての細胞が葉緑体を持って独立に栄養活動を営み、細胞間に分化は見られない。ハプロイド細胞からなる栄養体の中で最も進化したゼニゴケの葉状体(配偶体)でも、体全体が緑色をしている。ところが、この葉状体の上に作られるディプロイドの小さな胞子体には、葉緑体を持たず必要な栄養を葉状体から得ているものが多く見られるのである。さらに、シダ類になるとこの胞子体が著しく発達し、体制が根・茎・葉にはっきりと分化して来る。このように、様々に分化した細胞から成る多細胞生物が進化して来る為には、ディプロイド細胞の出現を待たなければならなかった。今日、我々が目にする複雑に分化した多細胞生物は、総て2倍体のディプロイド細胞からできているのである。(4-20)

  では何故、真核細胞それも2倍体でなければ多細胞化が困難だったのだろうか。1つ考えられるのはDNA量の増大である。我々多細胞生物の体は、分化した何種類もの細胞が寄り集まって構成されている。最も下等な多細胞生物のカイメン動物でも5〜6種類、ヒトでは約250種類もの分化した細胞から成ると言う。その中には、神経細胞・筋肉細胞・骨細胞・内分泌細胞など非常に異なった細胞もあるわけだが、実はこれらの細胞はすべて遺伝的には全く同じなのである。つまり、個々の細胞は全く同じ遺伝情報のセットを持っている。ではどうして、これらの細胞はこんなにも違っているのか。それは、それぞれの細胞で発現している遺伝子が異なる為である。逆に言うと、多細胞生物の分化した細胞では、持っている遺伝子のごく一部しか使っていないという事になる。多細胞生物の細胞では、生まれてから死ぬまで一度も発現しない様な遺伝子も存在するのである。また、ヒトの場合は60兆個ともいわれる大量の細胞が集まって1つの個体を構成しているわけだが、最初は1個の受精卵であり、それが細胞分裂を繰り返し様々に分化して多細胞の個体を作り上げる。こうした複雑な発生過程をコントロールする為には、大量の遺伝情報が必要となる事は言うまでもない。こうして多細胞生物では、単細胞生物に比べて大量のDNAが必要となったと考えられる。事実、多細胞生物のDNA量は単細胞の原生生物に比べて多く、多細胞化とその体制の進化のなかで、DNAの量的・質的な進化も着実に起こっていたのである。ところが、ここで厄介な問題が出て来る。当然ながら、ゲノムにランダムに起こる突然変異はDNA量に比例して増加する。従って、複雑で多量の遺伝情報を持つ生物ほど、有害な突然変異に悩まされる事になるのである。例えば、平均的な突然変異率は1遺伝子座当たり配偶子10万個に対して1個と考えられる為、3〜4万個の遺伝子を持つとされるヒトでは、3人に1人は新しく生じた突然変異を1個持っている計算になる。この問題の解決策が、染色体の2倍体化だったのである。1倍体の生物では、1つの遺伝子に突然変異が起こるとすぐに表現型に表れてしまう。ところが2倍体の生物では、2組ある遺伝子の一方だけの突然変異では異常は現れず、それが表現型に表れるには両方に突然変異が起こらなければならない。1遺伝子座に於ける突然変異率が1/105105)とすると、1倍体では有害な変異が表現型に表れる確率は1遺伝子座当たり105となる。しかし2倍体の場合は、ペアの遺伝子の両方に同時に突然変異が起こる必要がある為、その確率は105×1051010と極めて低いものとなってしまう。1倍体が2倍体になるだけで、つまり染色体を1組余計に持つだけで、有害な突然変異に対して圧倒的に耐性が強くなり影響を受け難くなるのである。今まで知られている劣性遺伝病の頻度から計算すると、ヒトは平均して約7個の重篤な遺伝病の劣性対立遺伝子を持っているという。それでも我々が正常に生活できるのは、ヒトが2倍体でもう1組の正常な遺伝子を持っているからである。原核生物で多細胞化が進展しなかったのは、それに必要なだけのDNA量を保持する事ができなかったからであった。真核細胞の登場はこの問題を解決するが、DNA量の増大は有害な突然変異の増加という新たな問題を引き起こす事になる。この問題を解決したのが、染色体を倍加したディプロイド細胞であった。このディプロイド細胞の出現によって初めて、複雑な多細胞生物の進化が可能となったのである。

 

(注) 表現型に影響する変異は次の2種類に分けられる。1つはタンパク質活性が低下したり欠損する機能喪失変異で、ヘテロ接合の場合は残りの正常遺伝子が代償するため劣性となる。もう一つの機能獲得変異では異常機能を持つタンパク質が合成され、数は多くないが調節領域の変異のことが多い為、重大な影響を及ぼし通常は優性である。

 

  2倍体は有性生殖によって生み出されたわけだが、性の誕生自体はここで問題にした、有害な突然変異に対する対応として進化したものではないだろう。それは先にも述べた様に、2倍体が初めから生活環の中で優勢だったのではなく、進化の中で徐々にその地位を向上させて行った事を見れば明らかであろう。別の原因で成立した性のメカニズムよって出現したディプロイド細胞が、後に突然変異に対して有効な事が分かり、多細胞化の進展の過程でその特徴が利用されたと考えるのが良いように思われる。

 

 

 真核生物の多細胞化

 

  原生代の初期に誕生した真核生物は、異なる進化の方向を目指す2つのグループに分かれて行く。1つは単細胞のままで細胞レベルの分化を徹底して推し進めて行った、原生生物の仲間である。彼等は体制こそ単細胞であるが、その細胞自体は多細胞生物界よりも多様な進化を遂げて行った。これは多細胞生物では体が複雑化して行く中で、細胞の構造自体は逆に分化が進まず、機能的にはむしろ単純化の傾向が見られるのと好対照をなしている。原生生物は一つの細胞の中に核やミトコンドリアなどの他、収縮胞(浸透圧調節)・鼓動胞(呼吸運動)・鞭毛や繊毛(行動)・口および食胞(食物摂取と消化)・細胞肛門(排出)・神経(情報伝達)・眼点(視覚)など、多細胞生物と見紛うほどに多様な細胞器官を進化させて来たのである。特に繊毛虫類の進化は著しく、ゾウリムシに代表される様に細胞全体が多数の繊毛に覆われ、細胞も巨大で長径が2mmに達するものもいる。細胞のDNA量も腔腸動物に匹敵するほど多いと言う。

  もう1つのグループが、多細胞化を推し進める事で複雑化して行った多細胞生物である。細胞が2分裂や出芽によって増殖して行く時、娘細胞が母細胞から離れず互いに繋がって行くと、細胞の多数集まった集合体が出来上がる。これを群体(コロニー)と呼んでいる。群体には、細胞外に分泌された粘着性物質によって各細胞がくっついただけのものから、細胞間の孔を通して原形質連絡ができ、栄養供給や刺激反応に於いて全体が有機的に結び付いたものまで、様々な段階が存在している。また群体には、細胞間の分化の認められないものも含まれる。一般に多細胞生物は、分化した細胞が多数集合して1つの個体を形成した生物と理解されているが、群体と明確な一線を画するのは困難な様である。

  では何故、彼等は多細胞化して行ったのか。多細胞化する事にどんなメリットがあったのだろうか。ここでは植物の多細胞化から見て行く事にしよう。真核細胞から最初の多細胞生物が誕生したのは、海の中であった事は言うまでもない。生命40億年の歴史の中で、生命が陸上に進出して来たのはオルドビス紀(約5〜4億4000万年前)の事で、植物ではゼニゴケに似たコケ植物の胞子化石がアフリカのリビアから、そして動物ではムカデ様の生物がつけたらしい生痕化石が、アフリカ東部の陸域で堆積した地層から発見されている。つまり、多細胞生物が上陸したのはまだ最近の事で、生命はその歴史のほとんどの期間を海の中で過ごして来たのである。じつは今日でも、植物の分類群のほとんどは水中で生活する藻類で占められている。そして陸上に進出した植物は、コケ植物と維管束植物の2つの分類群に過ぎない。我々が植物というと思い浮かべる陸上の高等植物は、今日多種多様に分化し、地球上の光合成生産の大半を担うまでに繁栄しているが、系統上はたった1つの分類群に属しているのである。ところが水中では植物の多細胞化はあまり進まなかった。水中で光合成をする水性植物は、その分類群の大部分が単細胞なのである。一般に海藻と呼ばれる群体化あるいは多細胞化をした水性植物は、テングサの仲間の紅藻類、コンブの仲間の褐色藻類、ワカメの仲間の緑藻類の一部、そして淡水藻のシャジクモの仲間の車軸藻類に過ぎない。また、植物の多細胞化はまず糸状化から始まり、平面化そして立体化へと進んで行くが、水性植物のほとんどは平面化どまりで、細胞の分化も進まず総ての細胞が周囲の水と直接物質交換を行っている。スギナに似た多細胞化で立体化まで進んだ車軸藻類でも細胞の分化は進まず、個々の細胞が外界の水と直接物質交換をして特別な移送系は発達していない。植物界で本格的な立体化が始まるのは、陸上に進出して後の事なのである (3-18)。上陸した植物は、それまでの水中生活とは異なり、水分や無機養分を地中からしか取り入れられない。その為、陸上植物は専門の器官である根を進化させ、さらに根が吸い上げた養分を全身に配り(木部、道管)、あるいは葉の光合成で生産された有機物を幹や根に戻す(師部、師管)為の通路である維管束をも生み出す事となった。そして陸上では、太陽を求めて上へ伸び上がる体を支える茎(幹)も必要となる。こうして陸上に進出した植物は根・茎・葉を進化させ、それに合わせて細胞分化が進展して行ったのである。

  このように、水中では植物の多細胞化はほとんど進展しなかった。これは水中で生活する植物にとって、多細胞化はあまりメリットがなかった為と思われる。水中で光合成をして生活している植物にとって必要なものは太陽光と栄養塩類であるが、充分な光を得るには海の表層に浮遊していれば良いし、細胞膜を通した栄養分の吸収の為には細胞の表面積を大きくすれば良い。そしてこれらの要件を満たす為には、小さな単細胞でいる方が有利だったのである。この事は多細胞化した藻類の形態にも現れている。多細胞とはいえ藻類の構造は簡単で、細胞の分化はあまり見られないが、その中でも顕著なものに付着根がある。これは海藻が流されない様に浅海底に貼り付き固定させる為の器官で、その他、水面に浮く為の浮き袋である気胞や気嚢、そして原始的な生殖器官などが藻類の細胞分化の主な例である。これらの事は、水性植物の多細胞化が太陽光の充分に届く海の表層や浅海に留まるという必要を満たす範囲内で、進展した事を示していると言えよう。こうした事から、水性植物では陸上植物に見られる様な、細胞の分化や複雑な器官が進化しなかったのである。

 

(注) 多細胞化を進展させ海中の覇者となった褐藻が陸に上がれなかった一方で、藻類のうち唯一上陸を果し、陸上植物の祖先となったのが緑藻類であるが、その理由は彼等が陸上に最も近い性質の光を利用していた事による。緑藻は海の浅い部分、褐藻はやや深い所、紅藻は最深部と生育深度を分けているが、それに応じて光合成に利用する光の波長も異なる。水中では光の波長の長い部分から順に吸収される為、光合成に有効な赤色部は浅い所に棲む緑藻類にしか利用できない。緑藻が緑色なのは、その補色の赤色光を吸収する為である。一方、深い所にいる褐藻では黄色・緑色・青色の光を、紅藻では緑色から黄色の光を使っている。つまり、褐藻や紅藻は陸上とは違った条件の光を用いているのである。また藻類の配偶子接合は、水中に放出された卵に精子が来て行われるが、緑藻の仲間には生卵器で卵を保護するものも現れる。例えばサヤミドロ属では、卵は一度も生卵器を出る事なく、精子は小さな穴から生卵器に入って中の卵と受精し、受精卵はそのまま細胞壁に包まれ保護されて過ごすと言う。卵の保護の面でも、緑藻は上陸に適していたのである。(4-21)

 

 

 多細胞生物の進化と肉食

 

  このような植物とは対照的に、動物は海の中で多細胞化をどんどん推し進め、多様な多細胞生物を生み出して行った。次に動物の多細胞化について見てみる事にしよう。食細胞として誕生した真核細胞は、ミトコンドリアと葉緑体を得て生息域を急速に拡大して行った。先カンブリア時代の微化石のサイズが1514億年前にかけて急激に大きくなるのは、真核生物の急速な繁栄を示すものと考えられる。こうして単細胞の真核生物が大量に繁殖する様になると、今度はこれを食糧源とする生物が進化して来る事となる。それが最初の多細胞動物なのである。海中に浮かぶ小さなプランクトンを効率よく摂食するには、1匹ずつ捕まえるのではなく海水と一緒に飲み込み、海水から濾し取って食べる方がずっと有利であろう。しかし、こうした濾過摂食をするには、食物となるプランクトンよりも体がずっと大きくなければならない。そのため多細胞の従属栄養生物が進化して来るのである。しかし、最初に多細胞動物が登場し、多様な種を生み出して繁栄するのは海底での事であった。海の表層で大繁殖した植物プランクトンは、死ぬとマリンスノーとなって海底に降り積もる。このため海底の表面は、ずば抜けて有機物の多い場所になっているのである。この豊富な有機物資源を利用する為、海底に降り積もったプランクトンの死骸を堆積物と一緒に飲み込み摂食する、堆積物食者が最初に進化して来る事になる。彼等は生きたプランクトンを利用するより、はるかに容易に大量の有機物を摂取する事ができた。こうして海底の泥の上を這い回る底生生物が、先カンブリア時代末の浅海底で繁栄する様になるのである。

  最初の真核多細胞生物が出現するのは約10億年前の事で、現在、確認されている最古の多細胞生物の化石は、カナダの原生代中期(12.59.5億年前)の地層から発見された紅藻に似た藻類化石である。また東シベリアの10〜9億年前の泥岩からは、細胞壁の残る植物(藻類)化石が見つかっている。これらの中には、細胞間の物質交換システムのかなり進化したものまで含まれると言う。こうした化石と合わせて、真核細胞の膜組織を特徴づけるバイオマーカー(生物指標化合物:化学的に安定な炭化水素の分子化石)の産出頻度と多様性が、13億年前頃から急増する事も知られている。これも10億年前頃の生物界での大きな変化、つまり多細胞生物の多様化と個体数の増加を示すものと言えよう。これら原生代中期の化石のほとんどは藻類や真菌類(カビの仲間)のものだが、10億年前以降の地層からは小さな動物の這い跡の化石が見られる様になる。そして、中国安徽省で発見された9億年前の線虫類様の化石が最古の多細胞動物(後生動物)とされている。原生代を通して我が世の春を謳歌して来たストロマトライトは、8億年前頃からその多様性と産出頻度を減らし、アクリタークスもこの頃に急激に衰退して行く。これは当時の海の中で、多細胞生物の登場と共に生態系が再編され、新たな生態系が生まれつつあった事を示しているのかも知れない。

  原生代末のヴェンディア紀(約6.25.5億年前)になると、多様な多細胞生物が出現し、多細胞生物の生態系が形づくられる様になる。その当時の不思議な生物化石が、オーストラリア南部エディアカラヒルズの浅海〜潮間帯の堆積物から最初に発見されたエディアカラ動物群で、オーストラリア中西部・南西アフリカ・イングランド・スウェーデン北西部・ウクライナ・モスクワ北東域・北シベリア・イラン・インド・中国・ニューファンドランド西部・アメリカ東部など世界各地から産出している。この時代の特徴は、それまでのフィラメント状のものに加えて、薄くペラペラなシート状の生物が繁栄していた事であった。エディアカラ動物群の化石は、いずれも肉眼で見える大きさで中には体長が1mを越す巨大なものまでいたが、どれもクラゲの様に薄く柔らかい体の生物で、木の葉の様な形のものや三つ巴の模様を持つものなどもいた。しかしその大きさに反して、エディアカラ動物には体を支える骨格や口・肛門をはじめ体内器官の痕跡が全く認められず、その多くは運動能力のない底生生物で、現生生物中に対応する仲間も見当たらない。動物なのか植物か、あるいはどのように生活していたのか全く謎の生物群なのである。実際、エディアカラの化石には死ぬ前に動いた痕跡がまったく認められず、動物にしては動きがなさすぎると言う。エディアカラ動物を、現生の生物群やその祖先に当てはめようという試みは、環形動物や刺胞動物など一部の少数例を除いて成功していない。彼等は、肺や腸そして心臓などの循環器官系を進化させる事なく、表面積を増して体のサイズを大きくする事に成功した生物で、従来の生物とは異なった系統の生物群と考えられるのである(ベンドビオンタ、ベンドゾア界とも呼ばれる)。そして、シート状の表面積の大きな体制は、体内に大量の光合成藻類や化学合成細菌などを共生させる為のもので、エディアカラ動物はそれらの微生物に生活の場を提供する宿主であった可能性も指摘されている。またエアマットの様に体を仕切るのは、粘菌や大型有孔虫など巨大化した単細胞生物が体形の保持のために良く用いる方法で、彼等も単細胞生物であった可能性も有ると言う。この不思議な生物群がヴェンディア紀末に絶滅した後、顕生代に入ってカンブリア紀最初のトモティ期に、トモティ動物群と呼ばれる硬い殻を持つ最古の動物が出現する。これは大きさがわずか1〜5mmの、管状・トゲ状・キャップ状・カップ状・板状など様々な形状をした微小化石(有殻微小化石動物群:SSF)で、今日ではそれが体長数cmにもなる蠕虫状動物の体の一部を覆う硬質部品であった事が分かっている。その一つ、中国で発見されたミクロディクチオンは全長8cm10対の脚のような細い付属肢を持ち、その脚と胴体の結合部分の真上にリン酸塩の蓋が左右対ではめ込まれていた。またグリーンランドで発見されたハルキエリアは全長7cmの蠕虫状で、平たく縦長の胴体は多くの形の異なる骨片(多いものでは2000個以上)で覆われ、前後両端には良く目立つ殻が付いていた。その後、次のアトダバニ期には三葉虫やシャミセンガイの仲間の腕足動物、アーケオキアタ類(古杯類)など体骨格の発達した生物が出現、バージェス動物群に代表される多細胞生物の大適応放散、カンブリア爆発へと続いて行くのである。エディアカラで見つかる生物化石は30種程度であるが、カンブリア紀にはそれらと類縁関係のない1万種近い生物が一挙に出現する事になる。

 

(注)後生動物に見られる硬組織の起源はトモティ動物群に始まるわけだが、生物がカルシウムイオンを体内に取り込む時には、リン酸塩鉱物(リン灰石)と炭酸塩鉱物(方解石・アラレ石)を作る場合の2種類があり、このうち最初に現れたのは前者の方でトモティ動物群では23がリン酸塩鉱物になっている。ところが、次のアトダバニ期以降は炭酸塩殻生物が多数を占める様になり、カンブリア紀初期に硬組織を構成する鉱物の交代が起こっていたのである。これは当時の海洋環境と関係し、先カンブリア時代後期の氷河作用と地殻変動により、深海から湧昇してきたリン酸塩に富む水塊が広域にリン酸塩を堆積させ、トモティ期の浅海底に棲む生物にリン灰石殻の形成を促した為と考えられる。(2-48)

(注)アーケオキアタ類(古杯類):三葉虫が大繁栄する以前のカンブリア紀前期に繁栄した最初の有殻生物で、直径1025mm、高さ80150mmのコップ状の炭酸カルシウムの殻を持ち、暖かい浅海で群生して礁を作っていた。

 

  原生代末のエディアカラ動物群と、バージェス動物群に代表されるカンブリア紀の生物では、その種類の多さだけではなく行動や形態にも大きな違いが存在する。実はエディアカラでは、はっきりした捕食動物の化石が1つも発見されていないのである。海底に這い跡を残す多細胞動物が現れたのは原生代後期、約10億年前頃であった。エディアカラでも多くの生痕化石が残されているが、そのほとんどは堆積物の表面を這い回った生物のもので、現在の様な堆積物中を深く掘り進むタイプの生物は先カンブリア時代を通してほとんど知られていない。ところが古生代に入ると、海底面から10cm以上深く掘り下げられた生痕化石が、世界中から頻出する様になるのである。恐らく、ミミズの様に泥の中を掘り進みながら海底の堆積物を食べて有機物を得る生物が、古生代に入って急激に現われたものと思われる。最近では、この様な生痕化石の出現をもって顕生代の始まりとされる事も多い。しかも、こうした生痕化石は古生代に入った直後の同時期に世界的規模で、掘り込む深さを一気に海底面下10cm以上にまで増大させていると言う。これは大型の肉食動物が出現し、その攻撃を逃れる為に泥の中深く潜りこむ様になったのではないかと推測されている。エディアカラの砂岩層に軟体部をもつ化石が保存されたのは、1つには当時の酸素濃度が低く死体の分解がゆっくり進んだ事と、海底の砂地に潜って生活する生物がおらず、化石を含む地層が乱される事が少なかった為と思われる。またカンブリア紀には、三葉虫や貝の様に硬い殻で身を包んだ生物が多数現れるが、これも捕食者から身を守る為の進化と考えられている。実際、ヴェンディア紀とカンブリア紀の境界付近から産出する、1cmにも満たない小型の有殻生物化石の硬い殻の表面には、しばしば他の生物によってあけられたと思われる孔が認められると言う。またカンブリア紀の三葉虫化石の中には、捕食動物によって食いちぎられた様な傷跡を持つものも発見されている。しかも傷の周囲が盛り上がり治癒の跡も見られる。ところがエディアカラの時代には、体が柔らかい組織でできた軟体性の生物がほとんどで、しかも生存中に傷つけられた化石は1つもないと言う。これらの事は、原生代末のエディアカラの時代には、まだ多細胞動物を捕食する肉食動物が出現していなかった事を示すものと考えられている。エディアカラの生物達は捕食される心配もなく、海底に横たわり、あるいは波にゆられて平和に暮らしていたのだろう。そして、肉食の捕食者が初めて登場するのはカンブリア紀に入ってからの事である。凶暴な捕食者のいない平和な楽園、「エディアカラの園」は原生代の終わりと共に終焉し、顕生代は肉食の多細胞動物の出現によって幕が開けられたのである。

 

(注)炭酸カルシウムの骨格には、体液の酸性度の上昇を抑えるという生化学的な役割もある。例えば、潮干帯に生息する多くの有殻軟体動物は、エラ呼吸できない干潮時には代謝を酸素呼吸から発酵に切り替えるが、この時できる乳酸による酸性症から生体を守る為に石灰殻を溶出して体液を中和すると言う。また、動物の消化管内に寄生する線虫類は、周囲の酸性度が高くなると体内に蓄えた炭酸塩の微粒子(方解石)を使って体液の中和を図る。

(注)エディアカラ動物群が繁栄していた当時、海底はシアノバクテリアのマットで広く覆われていたと言う。これを食べる動物が出現してマットが破壊された形跡がないのである。そしてエディアカラ動物群のような軟体性動物の印象が残されたのは、微妙な堅さを持つこのマットで海底が覆われていた為とも言われる。

 

 こうしてカンブリア紀には、バージェス動物群のアノマロカリスの様な体長60cmもある巨大な捕食動物が、海中を自由に泳ぎ回る様になった。そして、この肉食の捕食動物の進化によって、今日に通じる複雑な生態系が完成する事になるのである。例えば、バージェス頁岩の奇妙な動物達は豊富な生態的地位を棲み分け、複雑な群集構造を形成していた事が分かっている。バージェス動物群は、119140種(全属の37%は節足動物)からなり、その生息場所から海底と海中に棲む2つのグループに大きく分けられる。圧倒的多数を占めていたのが底生種と海底近くで生活する種で、彼等は水深90m未満の浅海底で生活していたと考えられている。節足動物のマルレラの様に砂や泥の上を歩き回ったり、鰓曳虫類のオットイアの様に海底に穴を掘って隠れ棲むものもいた。もう1つのグループは、アミスクウィアやオドントグリフスの様に、淀んだ海底から離れた海中を遊泳しながら生活していた少数の生物である。また、バージェス動物群を摂食様式で分けると、次の4つのグループに分類する事ができると言う。

  @    堆積物を摘まみ取って食べる動物

                        (大半が節足動物、全個体数の60%、全属の2530%)

  A    堆積物を濾過して食べる動物

                        (大半は硬組織を持つ軟体動物、全個体数の1%、全属の5%)

  B    懸濁物食者

                        (大半が海綿類で水層から食物を直接取込む、全個体数の30%、全属の45%)

  C    肉食者と死肉食者

(大半が節足動物、全個体数の10%、全属の20%)

このように、バージェス動物は様々な生態的地位を巧みに棲み分け、その後の地質時代の世界とも良く似た複雑な生態系を形成していたのである。

  以上をまとめると、多細胞生物は約10億年前の海の中で登場するが、植物と動物で異なる道を歩む事になった。植物の場合、多細胞化は海の中ではあまり進まず、本格的な細胞分化を伴った多細胞植物が進化して来るのは、4億5000万年前に陸上に進出して後の事である。 一方、動物は海中で多細胞化を急速に押し進めて行った。まず、植物プランクトンの繁栄によって海底に降り積もった有機物を、堆積物と共に濾過摂食する多細胞動物が最初に誕生する。彼等は原生代後期に出現し、海底に様々な這い跡の生痕化石を残す事になった。また原生代末には、体内に光合成藻類や光合成細菌を共生させていたのではないかと考えられる、不思議なシート状のエディアカラ動物群も出現する。そして5億4500万年前の顕生代に入ると、今度はこれらの多細胞動物を捕食する肉食の大型動物が進化して来る事になる。つまり、食物連鎖の頂点に立つ捕食者は古生代に入って初めて登場するのであり、これによって海の中に植物プランクトンを基礎とする食物連鎖のピラミッドが完成し、複雑で多様性に富む生態系が誕生するのである。こうして、古生代には今日的な生態系が形成されて生物の多様性が一気に拡大し、肉眼で見える大型の多細胞動物が大量に出現する事になった。即ち、最初の多細胞生物の大適応放散であるカンブリア爆発が起こるのである。この時には1万種にも及ぶ大量の種が一度に出現し、生物界の多様性が一挙に拡大したわけだが、この原因の1つは捕食者の出現にあった。捕食者の存在が特定の種による生態系の独占を制限し、他の種のために空間を開放する事により、種の多様性を増大させる事は先に見た通りである。捕食動物の出現によって、様々な種が相互作用し合う複雑な生態系が作り出され、多様な多細胞生物が進化して来る事になったわけである。

  ところで、有能な捕食者となるには2つの条件を満たす必要がある。1つは獲物の位置を正確に捉える為の優れた感覚器と、そこからの情報を素早く処理する脳、つまり精巧な神経系の発達である。もう1つは、獲物を捕える為の俊敏な運動能力で、この為には高性能な筋肉組織とそれを支える呼吸・循環系の充実が不可欠であろう。さらに硬い殻を持つ獲物に対しては、強力なアゴや殻を溶かす化学物質の分泌器官などが必要となる。これらは酸素呼吸能力の発達に大きく依存している。複雑な機能を持つ大型動物が古生代に入ると同時に急激に出現した背景には、原生代末期に於ける海水中の溶存酸素量の増加があったと推測されるのである。(2-21)

 

 

 性と生殖の統一

 

  先にも述べた様に、性と生殖は本来別のものであり分離する事が可能である。性とは遺伝子組換えの為のメカニズムであり、生殖は新しい個体を作り出す事で、両者の目的は初めから異なっているのである。性を伴わない無性生殖は分裂によって増殖する生物に特徴的なもので、アメーバの分裂、あるいはヒドラの出芽による群体形成などでは、遺伝子の組換えは起こらず親と全く同じ遺伝子セットが子に伝えられる。逆に生殖を伴わない性も、単細胞生物ではありふれた事である。バクテリアは、ある個体から別の個体へ性繊毛を介して遺伝子を送る事ができるが、この遺伝子伝達は生殖とは関係がない。原生生物も生殖とは無関係に遺伝子の組換えを行う事ができる。例えば、ゾウリムシでは性は接合によって行われるが、増殖は分裂により無性的に行われている。ゾウリムシは大・小2種類の核を持つが、接合すると代謝をコントロールしている大核は消失し、小核は減数分裂と通常の分裂を行って8個の半数体の小核を作り、このうち7つは消失、残った1つの小核が再び分裂して静止小核と移動小核を形成する。2匹のゾウリムシが接合すると、移動小核は接着した囲口部に出来た細胞質の連絡を通って相手の細胞内に入り、静止小核と合体(受精)して各細胞内に2倍体の新しい核を作る。この合一した小核がさらに分裂して大核と小核を再生し、そして接合を完了した2個体のゾウリムシは分離する。ここでは生殖は起こらず、ただ性があるだけである。

  このように性と生殖は本来、別個のものであるが、有性生殖ではこの両者が結び付き一体化する事になる。この有性生殖は、複数の染色体を管理する核のシステムと、有糸分裂のメカニズムを進化させた真核生物の登場によって初めて可能になったもので、単細胞の真核生物である原生生物の段階からその萌芽形態が観察される。しかし、有性生殖が普遍的に見られる様になるのは、多細胞生物になってからである。多細胞生物の生殖では、1