第4章 4/4

多細胞動物の体制の進化

 二胚葉動物の進化

 

  多細胞動物は、単細胞の原生生物から進化して来るわけだが、最も近縁な原生生物が襟鞭毛虫とされている。これは1本の鞭毛とその基部を囲む襟状の構造を持つ鞭毛虫の仲間で、これがボルボックスの様に群体を作る事で多細胞化して来たと考えられる(鞭毛虫起源説)。実際、最も原始的な後生動物と言われる海綿動物は、襟細胞という襟鞭毛虫にそっくりな細胞を持ち、その群体から進化して来た事を暗示している。しかし、海綿動物は他の動物とは体制が大きく異なり、多細胞動物が進化した直後の時代に他の後生動物(真正後生動物)と分かれたと考えられる。では我々に直接つながる、遠い祖先の最初の真正後生動物はどのように誕生したのだろうか。

 多細胞生物は、同じ形の細胞の集合体から体細胞と生殖細胞への細胞の分化によって誕生するわけだが、最初の立体化した多細胞生物は、恐らくボルボックスと同じ様に中空の球型をしていたものと思われる。それは、まだ体細胞の分化が進んでいない多細胞生物では、個々の細胞が周囲の海水と直接物質代謝を行い、酸素を取り込まなければならないからである。この原始的な多細胞動物は、次に海底に降り積もった豊富な有機物を利用する為に海底へ降り立ち、球型の体を平らに押しつぶして小型のホットケーキ状の形となり、海底を這う様に移動して有機物を摂取する様になった (4-12)。こうなるとホットケーキの脊と腹で細胞の機能分化が起こり、厚い腹部の細胞層は匍匐による移動と食物の収集を、薄い背面の細胞層は体の保護と浮遊を担当し、それぞれ種類の違う細胞で構成される様になる。そして、この多細胞動物はホットケーキの中央部分を持ち上げ、そこに出来た空間に消化酵素を放出して、食物の消化を行う消化腔として使い始めたのである。こうして外胚葉と内胚葉の分化が起り、二胚葉動物が誕生した。二胚葉というのはボディープランが外胚葉と内胚葉の2層に分かれている事で、外胚葉は祖先動物の背面の細胞層に由来し最終的には動物の皮膚や神経系となり、腹部の細胞層に由来する内胚葉は消化管の粘膜へと発達する。これまで知られている古代の動物のほとんどが、この二胚葉動物なのである。実は、ここで述べた二胚葉動物の祖先に良く似た生物が現在も生存している。それは海綿動物と共に側生動物を構成する、板状動物門という小さな門の一員で、二胚葉動物に分類されているセンモウヒラムシである。

  こうして誕生した二胚葉動物は、センモウヒラムシの特徴である中央部を持ち上げて消化の為の空間を作るという方法を一層推し進めて、二重壁の壺の様な形となり、常時分化した消化腔を持つ様に進化して行った。そして、この壺の口の周りに食物を捕える為の触手を持つ様になって誕生したのが、小さな原始的なクラゲであり、ヒドラ・イソギンチャクなどの腔腸動物の祖先である。腔腸動物の体は、総て消化腔を中心とした放射相称になっており、消化腔と外界との間の唯一の開口部である壺の口の部分は口と肛門の両方を兼ねている。この腔腸動物が生み出した単純な消化腔である腔腸は、消化の効率に革命をもたらす事になる。彼等は、触手を使って捕えた獲物を生きたまま腔腸に押し込み、まるごと消化してしまう。食物は腔腸内で次第に小片に分解され、一部は完全に消化されてアミノ酸や糖などの低分子となる。このように腔腸内で行われる消化を、原生生物の行う細胞内消化に対して細胞外消化と呼んでいる。腔腸内の内胚葉上皮が行う細胞外消化は、大量の栄養処理を可能にし、栄養摂取の効率を飛躍的に高める事になった。腔腸は原生生物の食胞に相当する器官だが、多数の細胞が集まって規模を大きくする事で、個々の細胞の何万倍もの食物を一度に処理できる様になったのである。そしてこの事が、一部の細胞に他の細胞を養う余裕を生み出す事になり、これがその後の進化に於ける体細胞の様々な分化を可能にして行くのである。(4-19) (4-20)

  実際、腔腸動物は多数の分化した体細胞から構成されており、これらの細胞が協力して統一的な行動を引き起こす。ポリプは、触手を動かして獲物を捕え、刺細胞の毒で麻痺させ、口や口柄を使って腔腸の中へ押し込む。腔腸の中では、腺細胞が消化液を分泌して食物を小片に分解し、消化筋細胞がこれを食胞内に取込んで完全に消化する。そして、消化されない部分は再び口から吐き出されるという具合である。また表皮の根元には、プロトニューロンと呼ばれる原始的な伝導性の細胞が作る網目状の神経系があり、体の様々な部分からの刺激を他の部分の細胞に伝えている。これは生物界に初めて出現した神経系で、触角・口・口柄・腔腸・傘など諸器官の細胞が互いに連携してその筋繊維を収縮させ、捕食や遊泳などの機能が果たせる様に全体を統合している。また腔腸動物は、体の隅々にまで栄養と酸素を供給する為の移送系も進化させた。例えば、近海で普通に見られるミズクラゲでは、食物や酸素を含んだ海水が口から腔腸(胃腔)に入ると消化酵素によって消化され、次に栄養分は胃から出て放射状に走る管系により体の各部に送られ、周辺の細胞に吸収される。そして未消化の残渣・代謝老廃物・二酸化炭素は、再び口の方に戻して体外に排出する。これは胃水管系と呼ばれる消化器官と循環器官を兼ねたごく原始的な仕組みで、その後の進化の中で消化器官と循環器官に分化して行く事になる。また腔腸の発明による消化革命は、腔腸動物の大きな特徴である多様性をも生みだす事になった。腔腸動物は、成体の形がポリプ型とクラゲ型の2種類あるというだけではなく、増殖法や生殖細胞の作り方、個体発生の様式など、様々な面で多様性を発揮している。これは飛躍的な発展の可能性を手にした彼等の、様々な試行錯誤の跡と見る事ができよう。

 

(注)真核生物が古細菌から分かれたのは約24億年前だが、11億年前には植物、つづいて菌類と動物が分岐する。最初の多細胞動物と考えられる海綿動物が真正後生動物と分かれるのは10〜9億年前。その後、腔腸動物を分岐した後、6〜7億年前には三胚葉動物のいっせい分岐が始まり、カンブリア爆発へとつながって行くのである。

 

 

 上皮構造の進化

 

  ところで、二胚葉動物が進化して来る為には、多細胞生物の進化にとって重要な細胞間の構造が生み出される必要があった。それが上皮構造である。その重要性は、海綿動物と腔腸動物を比較すると良く分かる。海綿動物は、壺状の主として海中でものに付着して生活する多細胞生物で、その外見は触手が無い点を除けば腔腸動物に良く似ている。しかし、体の組織は筋神経系まで発達させた腔腸動物とは大きく異なり、細胞の組織化の程度が低く、真に多細胞的な体制というよりは独立した細胞の集合体といった傾向が強い。例えば、食物の摂取と消化は、もっぱら襟細胞と呼ばれる鞭毛を持った細胞の食胞の活動、つまり個々の細胞レベルでの機能に負っている。また細胞同士の接着機構の発達が悪く、軽くしぼった程度でバラバラの細胞に解離してしまう。反対に、分離した細胞を自己集合させて海綿を再生する事も可能である。そして海綿動物の間では、別の個体同士が成長により広がり接触すると、そこで癒合して1つの個体の様になってしまう場合が良くあると言う。この現象も、細胞間の接着の弱さから来る、個体性の曖昧さに基づくと考えられる。その他、壺の口の部分(大孔)は排出専用であり、真の口は体壁にある無数の小孔である事。また、発生の過程で内外の両細胞層の逆転が起こる事など、腔腸動物以上の総ての多細胞動物(真正後生動物)とは著しく異なっている。この為、後生動物亜界の中に側生動物を設けてそこに分類している。このように、一見よく似た体を持つ海綿動物と腔腸動物が大きく異なるのは、腔腸動物が進化させた上皮構造によっている。

  腔腸動物の体を見ると、機能的に分化した約10種類の細胞が、互いにしっかりとシート状に結合しているのが分かる。これが上皮で、単層状に並んだ上皮細胞はその外側表面よりの位置でセプテート結合により互いに結び付つけられ、さらに細胞の底部は基底層と呼ばれるコラーゲンなどでできた細胞外マトリックスの薄くて丈夫な層に結合し、上皮を内側から裏打ちする事で機械的強度を生み出している。総ての無脊椎動物に見られる細胞間の結合のセプテート結合は、細胞の上部を鉢巻のように取り巻き、隣接する細胞を密着させている為、上皮を表面から眺めると細胞がパッチワーク状につながって多角形の石を敷き詰めた石畳の様になっている。こうして細胞が隙間なく結合して出来た上皮は、蔗糖(ブドウ糖と果糖が結合した二糖類)の様な低分子でも上皮細胞の隙間を通って漏れ出る事はできない。このため上皮で囲まれた空間は、外界とは異なる分子組成を維持する事が可能になった。「上皮はあたかも1枚の巨大な原形質膜の様に、体の内と外を仕切って生体の内部環境を作り出す」(4-20)。つまり、多細胞動物は上皮を獲得する事によって初めて、細胞の外の空間を体の内部空間として利用する事が可能になったのである。体の大部分が上皮でできた腔腸動物が、壺状の形をしてその内部空間(腔腸)に食物を閉じ込め、その中に消化液を分泌する事で細胞外消化ができる様になったのも、この上皮が進化したお陰だったのである。

 

(注)セプテート結合やコラーゲンは、海綿動物でも見られると言う。しかし真正後生動物になると、さらにギャップ結合と呼ばれる構造も新たに生じ、これによって2個の細胞を貫通する小孔が形成され、この狭い通路(直径1.5nm)を通って物質や電気的信号がやり取りされ、隣接細胞が協調して挙動する事が可能になった。また、動物の上皮に見られる細胞間結合としてはこれ以外に、隣接する細胞のアクチンフィラメントの束をつなぐ接着結合、隣接細胞の中間径フィラメントをつなぐデスモソーム結合、細胞内の中間径フィラメントを基底層につなぎ止めるヘミデスモソームなどが有る。

 

  上皮はこの他にも、多細胞動物の2つの新しい機能に存立基盤を提供する事になった。それは筋運動とそれを支配する神経系の出現である。腔腸動物の上皮細胞は、その基部(細胞内の基底層側)にアクトミオシンの微小繊維束を持ち、上皮細胞間の結合能力を利用して、この繊維束を細胞間で縦列につなぎ合わせて細長い収縮性の繊維(筋肉)を作り、外胚葉では体長に沿って、内胚葉ではこれと直角に配列している。ヒドラはこの筋肉を利用して触手を自由に動かし、大きな獲物を口から腔腸へ押し込むのである。また、このように筋肉を自由に動かす為には、個々の筋肉を統御する神経系が不可欠となる。「筋・神経系は、上皮の出現により腔腸動物に於いて初めて可能となった機能」(4-19) なのである。こうして誕生する事になった腔腸動物の網目状の神経系は、体の諸器官の動きを統合し、捕食や遊泳といった高度な機能を可能にした。この神経系による情報伝達システムは、他に類例のない真正後生動物の目立った特徴の1つである。

 

 

 三胚葉動物の進化

 

  最初の二胚葉動物であったホットケーキ状の放射相称の生物は、一方で海底での固着生活に適応した腔腸動物を生み出し、その中からやがてクラゲ型を発達させて海中で浮遊生活をするものも出現した。他方、本来の海底生活に留まり、有機物の豊富な海底の表面を這い回り、あるいはその中を掘り進んで食物を収集する生活形態に適応したものの中から、左右相称の動物が進化して来る事になる。それに合わせて、体の形もそれまでの放射相称の輪の様なものから、細長い形へと変化して行く。そして、左右相称の体制の出現と恐らく同時期に、中胚葉という3つ目の細胞層が祖先の二胚葉動物の腹部の細胞層、つまり内胚葉から発生し、内・外・中胚葉の3層からなるボディープランを持つ三胚葉動物が登場する。これによって内胚葉と外胚葉の間に、中胚葉性の間充織細胞の詰まった空間(間充織体腔、原体腔)、つまり体腔と呼ばれる三次元化した内部空間を持つ生物が誕生する事になる。そしてこの体腔の出現によって、その中に様々な内臓諸器官が独立し、発達して行く事が可能となったのである。

  扁形動物は三胚葉動物の中でも原始的な仲間だが、腔腸動物と最も違っているのは、前後に長く背腹に偏平な体の中に様々な器官が左右対称に配置されている点である。三胚葉動物の登場によって間充織体腔が完成すると、その中に筋肉と神経が独立する様になった。腔腸動物では上皮細胞の細胞内器官に過ぎなかった筋肉(筋繊維束)が、扁形動物では独立の細胞として体腔内に入って筋組織を形成し、また偏平な網目でしかなかった神経系は、体腔内で束になって梯子型のネットワークを形成する。このような腹側の梯子型の集中神経系は、その後すべての前口動物に受け継がれて行く事になる。また淡水産の種では、体腔内の浸透圧を調節する為の排出器官も発達して来る。この器官は、繊毛を備えた細胞(炎細胞)が漉しとった水やアンモニアなどの老廃物を、体の左右を体長に沿って走る枝分かれした管の中に集め、体表の小孔から体外へ排出するのである。このような管系で先端の閉じたものが原腎管で、間充織体腔を持つ動物に共通して見られる。生殖器官も間充織体腔内に作られる代表的な器官である。腔腸動物では、卵子や精子は2枚の上皮を押し分けてその間に割り込む様に形成され、完成後は体壁を破って外に出ていた。それが扁形動物では、配偶子は定められた場所(卵巣・精巣)で作られ、専用の通路(輸卵管・輸精管)を通って体外に放出される様になったのである。

  このように様々な機能を体腔内の独立した器官として組織化する事は、体の機能を飛躍的に増大させる事になった。例えば筋肉。腔腸動物では筋収縮機能は上皮細胞の機能の一部として存在したに過ぎず、彼等はこれによって体を縮めて外敵から身を守り、触手を使って獲物を捕え口に運ぶ事ができた。固着生活をして、通りかかる餌を待つという生活形態の腔腸動物にとっては、それで充分であったろう。これに対して三胚葉動物になると、収縮機能に専門化した筋細胞を体腔内に独立させ、収縮力が増大しただけでなく、筋細胞を必要な場所に必要なだけ配置できる様になった。これによって三胚葉動物は海底を自由に移動し、活発に餌を探し回る事ができる様になったのである。こうして海底の表面を活発に這いまわり始めた動物は、次第に体の前方に感覚器と神経系を集中させ、左右相称の体を作り上げて行った。結局、海底や地中を這いまわる生活形態が、左右相称の体と内臓諸器官を分化させる体腔を持つ、三胚葉動物を生み出したという事ができよう。これ以後、出現する総ての動物がこのボディープランを採用し、現在、動物界の大半の種がこれに含まれるのである。

  10億年前以降の地層からは、ミミズの様な生物の這い跡の化石が見られる。6億年前のエディアカラでも、薄いシート状の生物化石と共にこうした生痕化石が多く残っていた。これは生まれたばかりの、左右相称の三胚葉動物が残したものと考えられる。そして古生代のカンブリア紀に入ると、これらの三胚葉動物が大適応放散を開始する。それがカンブリア大爆発であった。

 

 

 前口動物と後口動物

 

  腔腸動物を切り離した進化の主流は、海底を這いまわるのに適した左右相称の体制を模索する事になるのだが、その出発点で体作りの起点を前に置くか後ろに置くかを巡って、2大グループに分かれる事になる。体が放射相称から左右相称になり体形も細長い形に変化すると、消化腔も長く伸びて管となり、最初は片方しか開いていなかった口が後には両端が開いて口と肛門に分化する。こうして、食物の一定方向の輸送と段階的な消化が可能となったのである。またこのような変化と共に、体の前方に口と感覚器官を持つ頭部が出現し、口の周辺には神経細胞が集まり始めて脳の前兆の様なものが出来て来る。つまり左右相称の三胚葉動物は、口と肛門を分化させる事によって体の前後方向を決め、遂には脳まで生み出す事になったのである。この口と肛門の成立過程は、次の様に考える事ができる。普通、受精卵には1本の卵軸が備わっている。このため受精卵の分裂によって生じる胞胚は、この軸を中心とした放射相称形であり、串刺しにした球を考えれば良い。この球を軸に沿って一方から強く押し込み、壺状にしたのが腔腸動物の体である。この壺をさらに底に穴が開くまで押し込み、少し偏平にすれば左右相称の体制が出来上がる。こうして、球を貫いて通した管のどちらの端を口にし肛門にするかで、三胚葉動物は2つのグループに分かれる事になった。つまり、初めに口を作り後から肛門を開ける方法を選んだのが前口(旧口)動物で、この逆を採用したのが後口(新口)動物なのである。後口動物は半索動物・棘皮動物・脊索動物の3グループからなり、前口動物には環形動物・軟体動物・触手動物などと、節足動物や線虫類など脱皮を行う動物のグループが含まれる。

 

(注)ほとんどの動物で脳は消化管の入り口近くにあり、脊椎動物では口の直ぐ上、節足動物と軟体動物では食道を取り囲んでいる。また、口は食物と有害物を識別しなければならない点などを考えると、脳は消化管での食物の摂取をコントロールする必要から進化した可能性が高い。実際、脳と消化管の双方で発現し、その発達を制御する遺伝子が幾つか見つかっている。

 

  これは単に口と肛門のできる順序だけの問題ではなく、この両者では発生様式が大きく異なっている。まず受精卵の分裂(卵割)の様式が、前口動物ではらせん卵割という独特の不等分割で行われる。この卵割では分裂の際、紡錘が卵の主軸に対して平行ではなく規則的に傾斜する為、卵極から見ると紡錘の方向が卵の主軸を中心に渦巻の様に見えるのである。他方、後口動物の放射卵割では分裂面が卵軸を基準にして作られ、初期の縦の卵割では経割面が卵軸を通り、横の卵割(緯割面)は総て卵軸と垂直の位置をとる。そして、割球は卵軸に対して放射状に配列するのである。これ以外にも、前口動物と後口動物の発生様式の違いは様々な点に現れ、原腸の形成方法・体腔の成り立ち・幼生の型・神経系・体の支持機構などにまで及んでいる。前口動物は腹側に梯子型の神経系を持ち、クチクラの外骨格を発達させたのに対し、後口動物では脊側に集中型の神経系を作り、脊索や脊椎の内骨格を進化させた。そして両者はそれぞれ独自の進化をとげ、前口動物からは節足動物の昆虫類が生まれ、後口動物からは我々脊椎動物が進化して、今日の世界を2分する多細胞動物となっているのである。

  個体発生の過程は卵割の違いを基本として、進化の中でらせん法と放射法の2つの様式にまとめられて行くわけだが、海綿動物や腔腸動物の段階に於いてもこの2つの大きな流れが既に存在していた。それは内部まで細胞の詰まった中実の胚(中実胞胚:発生過程で一度も上皮を経験しない細胞が存在する)を作るか、あるいは中が中空の胚(中空胞胚:総ての細胞がまず上皮を経験する)を作るかの違いである。この内、中実の傾向を定式化したのがらせん法であり、中空の傾向を定式化したものが放射法であった。

 

 

 間充織体腔と上皮性体腔

 

  三胚葉動物は、その体腔の違いから分類される事がある。扁形動物のように、中胚葉性の間充織細胞と細胞外マトリックスの詰まった体腔を原体腔(間充織体腔)と呼び、我々脊椎動物に見られる様な、中胚葉性の薄い上皮で裏打ちされ体液で満たされた体腔を、真体腔(上皮性体腔)と呼んで区別しているのである。原体腔類は、さらに無体腔類と偽体腔類に分けられる。偽体腔類というのは、体表に硬いクチクラの層を分泌して外骨格とし、これを支えに間充織体腔の中に、体液だけで満たされた大きな隙間(偽体腔)を作った仲間である。無体腔類の扁形動物や紐形動物の体表は繊毛上皮で覆われ柔らかいが、同じ無体腔類でも触手を使ってプランクトンを捕まえる内肛動物では、体表の一部にクチクラを発達させて体の内部構造をこれに固定している。偽体腔類は、このクチクラを体表の全面に発達させて体の支持構造としたのである。間充織細胞を詰め込んで体を膨らませておく代わりに、硬い殻に体壁の様々な構造をくくりつけ、内部に体液だけを入れた空間を作れば、消化管や生殖器官などが体全体の動きから解放されて自由に運動出来る様になる。偽体腔類の発明したこの方法は、結局は大部分の前口動物の踏襲する所となり、やがて節足動物の外骨格として花開く事になるのである。ただ、偽体腔は間充織にできた隙間に過ぎず、無構造な空間であった。この空間を中胚葉性の上皮で囲み、きちんとした構造の真体腔に作り上げた前口動物の仲間が、節足動物・軟体動物・環形動物などが含まれる端細胞幹である。この仲間では中胚葉が、原腸の左右の体内に生じた端細胞からできる。

 

(注) rRNAの配列に基づく分子系統樹によると、前口動物の仲間は体腔とは関係なく、脱皮するかどうかによって2つのグループに大きく分けられると言う。つまり、節足動物・有爪動物・線形動物・動吻動物・鰓曳動物などの脱皮動物(エクジソゾア)と、脱皮しない軟体動物・扁形動物・紐形動物・環形動物・腕足動物などのロフォトロコ動物(ロフォトロコゾア)である。

 

4-13  動物門の分類

 

テキスト ボックス: 新 口 動 物                                     脊椎動物(魚・哺乳類・鳥)

                                     頭索動物(ナメクジウオ)

テキスト ボックス: 三 胚 葉 左 右 相 称 動 物                                     尾索動物(ホヤ)

                                     半索動物(ギボシムシ)

                                     棘皮動物(ウニ・ヒトデ)

テキスト ボックス: 脱皮動物テキスト ボックス: 冠輪動物                                     節足動物(昆虫・甲殻類)

テキスト ボックス: 後 口 動 物                                     有爪動物

                                     線形動物

                                     鰓曳動物

                                     環形動物(ヒル・多毛類)

                                     軟体動物(頭足類・腹足類)

                                     扁形動物

触手冠動物(腕足類・ホキムシ)

テキスト ボックス: 二胚葉                                     刺胞動物(クラゲ・サンゴ)

                                     海綿動物

                                                        立襟鞭毛虫

 

  このように前口動物では、原体腔にはじまり、真体腔が後に進化して来る形となっている。その上、我々高等動物は総て真体腔類である。しかし、だからと言って真体腔は原体腔から進化して来たと、簡単に言う事はできない。というのは、それが言えるのは前口動物の場合だけで、後口動物は初めから真体腔を持っていたからである。しかも前口動物では、せっかく進化させた真体腔も小さいままで、充分に発達させる事はなかった。前口動物の中で最も進化した仲間が節足動物であるが、彼等の主な体腔は間充織体腔であり、上皮性体腔の方は尿を排出する為の補助的な器官に矮小化してしまっている。そして陸に上がった昆虫類では、これも起源の違う排出器官(マルピーギ管)に取って代わられ、上皮性体腔は個体発生の一時期にちらっと姿を見せるだけで消えてしまう。結局、外骨格の発達によって上皮性体腔の存在意義がなくなってしまったのである。

  上皮性体腔と間充織体腔は、進化段階の違いというより、前口動物と後口動物との発生様式の違いを反映したものと考えた方が良いだろう。実は、同じ上皮性体腔と言っても、前口動物と後口動物では、その発生の仕方が全く異なっているのである。前口動物の上皮性体腔は、中胚葉細胞が間充織細胞の集団を作り、その中央にできた亀裂を次第に拡大させながら、周囲の細胞を上皮化してこれを取り囲むという方法で作られる(裂体腔型)。それに対し後口動物では、原腸から直接間充織細胞と上皮性体腔の原基を切り離すという方法で行われる。つまり後期原腸胚期に原腸の先が左右にふくれ、やがてそのふくれた部分がちぎれて、一対の上皮性体腔の原基が出来上がるのである。従って後口動物では、上皮性体腔が間充織体制をとばして作られるという形になっている。このような体腔形成法を腸体腔型と呼んでいる。

  では、裂体腔型と腸体腔型との違いはどこから来るのだろうか。実はこれは、らせん法と放射法という発生様式の違いに基づいている。らせん卵割と放射卵割の目立った相違点として、卵割の結果できる胞胚の形と、それに続く原腸形成の様式の違いがあった。放射型の卵割によって生じる胞胚は、中が空の中空胞胚であり、この段階で総ての細胞が上皮化される。ここで、それまで互いに接していただけの細胞間にセプテート結合が形成され、基底層も分泌されて胚は1枚の上皮として組織化されるのである。これによって卵割腔は、外界との自由な物質のやり取りを絶たれて胞胚腔として完成する。この中空胞胚からの原腸形成は、植物極(卵黄に富む極)付近の上皮が胞胚内に陥入するという、典型的な上皮的行動によって行われる。そして、中空胞胚からの上皮性体腔の形成も、当然の事として原腸から内胚葉の上皮がくびり取られるという形で起こるのである。これに対してらせん卵割では中空の胞胚は形成されず、一般的な原腸形成は、不等分割で作られた動物極側に小さな細胞(割球)が盛んに分裂を繰り返してシート状に薄く広がり、やがて植物極側の大きな割球をすっぽり包んでしまうという方法で行われ、放射卵割の陥入法に対して覆いかぶせ法と呼んでいる。結局、らせん卵割では、胞胚期の上皮形成は動物極側の細胞だけで行われ、覆いかぶせが終了して初めて上皮が完成する。この覆いかぶせ法の結果、らせん卵割で形成される胞胚は内部まで細胞の詰まった中実胞胚となり、その中には発生過程で一度も上皮を経験する事のない細胞が存在する事になる。そして、この中実胞胚の内部空間内に、消化管を作る内胚葉と間充織細胞になる中胚葉の細胞が分化して来る。こうして完成した体内空間には、既に間充織細胞と細胞外マトリックスが存在しており、胚は一挙に間充織体腔を完成させる事になるのである。従って、中実胞胚を経過するらせん法では、上皮性体腔を作る為には既にある間充織に裂け目を作り、それを拡大するという裂体腔型を採らざるを得ないのである。このように間充織体腔と上皮性体腔は、進化の段階が異なるというより、発生様式の違いを反映したものという側面が強い。そして上皮性体腔は、後口動物の進化の中で真の発展を見せる事になるのである。

  上皮性体腔の特徴は、容易に動物の体積を増大させる事ができる点にある。「動物は、上皮性体腔の薄い体腔上皮を支出するだけで、膨大な体積を手に入れる事ができる」(4-19)。我々脊椎動物が、巨大な体を獲得する事が可能になったのは、この上皮性体腔のお陰だったのである。また上皮性体腔は、内臓諸器官を思いのままに造形したり活用する為の自由な空間を提供する事になった。例えば、生殖巣はこの空間を利用して繁殖期にだけ膨大な体積に膨らむ事ができ、消化管の蠕動運動も上皮性体腔の存在なくしては有り得ない。心臓も体腔の中に吊るされる事によって、収縮のたびに周囲の器官を引きずる事なく、独自の拍動を続ける事ができるわけである。内臓諸器官は、この上皮性体腔の自由な空間を得て、それぞれの役割に適した位置・形態・大きさを採り、その機能をさらに複雑化・高度化させる事が可能になったのである。このように、後口動物では上皮性体腔が大いに発達を遂げるわけだが、同様に上皮性体腔を進化させた前口動物では、その後ほとんど発展する事なく却って進化と共に縮小して行く事になった。外骨格を発達させ、体を大きくするのではなく小さいままで繁栄しようとした彼等にとって、上皮性体腔はあまり必要ではなかったのである。これは内骨格の脊椎動物が、上皮性体腔を発達させて大型化して行ったのと好対照をなしている。外骨格は、一方では前口動物の前に大きな可能性を開きはしたが、他方では体のサイズに制約を加える事で、上皮性体腔の発展の道を閉ざしてしまう事になったのである。ともかく、三胚葉動物はその発生様式を巡って2つのグループに分かれ、内骨格と外骨格という異質な体制を進化させ、それぞれ独自に体腔と内臓諸器官を発達させて来たわけである。そして、前者を代表する脊椎動物と、後者を代表する節足動物とで、この地上を2分する繁栄を築き上げる事になるのである。

 

 

進化の方向性と地球環境の悪化

 太古代・原生代の地球の進化

 

 地球は46億年前、微惑星に集積によりどろどろに溶けた惑星をして誕生したわけであるが、以後、その内部温度の低下と共に段階的に進化を遂げて行く事になる。つまり、地球の進化史とは熱的冷却史であって、地球内部の熱エネルギーの減少による冷却がその進化を支配して来たのである。

 地球誕生後の最初の大きな変化は、40億年前頃の海の誕生とプレートテクトニクスの開始、そしてほぼ同時期に起こったと思われる生命誕生である。現在、我々が知る最古の岩石はこの時期のもので、これを境にマグマの海の広がった冥王代と海洋と島弧状地殻の出現した太古代に分けられる。

 次に大きな変化が起こったのは、地球史のほぼ中間に位置する、25億年前の太古代と原生代の境界の頃である。この時期を境に、地球の大気・海洋環境およびそのシステムは質的な変化をとげ、これまで見て来た様な大陸の合体・分裂といったテクトニクスが、地球の進化を支配する段階に入るのである。例えば、この頃を境に花崗岩類の組成に顕著な差が見られるが、これはマグマの生成様式が大きく変わった為と思われる。そして、大気と海洋の化学組成も大きく変化した。また、この境界前後で大量の縞状鉄鉱層が堆積し、分子状酸素の存在を示す赤色堆積岩も20億年前以降よく見られる様になる。超大陸が形成される様になるのもこの時期以降の事だし、真核生物の出現もこの頃の事だと考えられている。そして、生命の最初の爆発とも言うべき、シアノバクテリアの大繁殖が起こったのもこの時代である。

 

(注) 太古代の地殻はトーナル岩〜花崗閃緑岩が多いのに対し、原生代にはKOに富む花崗岩が多くなっている。また、太古代のグリーンストーン帯の火山岩類はコマチアイトを含むが、原生代以後ではコマチアイトはほとんど見られないと言う。

 

 では、太古代と原生代の境界で何が起こったのだろうか。この地球進化の新段階を規定したのは、大陸の形成にあったように思われる。実は、地球史の前半の地層はほとんどが枕状溶岩・火山性岩・縞状鉄鉱層・チャート・珪質頁岩などで、厚い砕屑性の堆積岩はほとんど見られず、まとまった陸地の存在しない言わば水惑星の時代だったのである。そして、36億年前頃に最初の火山列島が誕生して小規模の花崗岩の陸地ができ、30億年前に最古の大陸である第一次ウル大陸が出現する。以後、3025億年前にかけて陸地が急成長し、8個の小大陸が形成されたと言う。この時期に現在の大陸地殻の約50%が生成されたのである。こうした大陸地殻の形成は、海や大気の組成に大きな影響を及ぼす事になる。海面上に顔を出した大陸は、海に風化・浸食による大陸地殻を供給する事になり、そこに含まれる陽イオンと海水中の二酸化炭素が結合し炭酸塩となり沈殿・除去されて、大気中の二酸化炭素濃度が急速に下がって行ったのである。この二酸化炭素濃度の減少は地球大気の進化が示す最も重要な特徴で、中生代に一時的に上昇するといった事はあったが、地球の進化を通じてほぼ一貫して減少して来たのである。

 

(注) 大気中の二酸化炭素分圧は、約5億年前の古生代前半と約2〜1億年前の中生代に高く、約3億年前の古生代後半と新生代に低くなっている。中生代に高かったのは、マントル・プルームの活動が活発で二酸化炭素の供給が増大した為である。一方、3億年前の石炭紀には、二酸化炭素濃度が急減すると同時に酸素濃度が急上昇している。これは当時、陸上で大繁栄を始めていた維菅束植物の作るリグニンやフミン誘導体がバクテリアの分解に強く、低湿地や浅海域に堆積して石炭となり大量の炭素が固定された為と考えられる。この石炭紀の高い酸素濃度は、巨大なトンボやヤスデなど節足動物の巨大化を生み出したとも言われる。また、上記の二酸化炭素濃度の低い時は、それぞれ氷河時代に当たっている。(3-20)

 

 また大陸物質の海洋への供給には、もう一つ重要な役割があった。それは、生物の生育に無くてはならない栄養塩の供給源となった事である。特にリン酸塩は生物にとって不可欠のものだが、太古代の海洋中には乏しかった。それは、陸地が少なく陸からの供給がなかった事に加えて、活発な熱水活動により噴出される金属元素の硫化物の粒子が、リン酸塩を吸着し除去する働きをしたからである。そして太古代末に大陸面積が増加し、陸地の風化・浸食によるリン酸塩を始めとする栄養塩が豊富に供給される様になる中で、地球始まって以来の生命の爆発とも言うべきシアノバクテリアの大繁殖が起こるのである。有機炭素と炭酸塩の同位体比から、35億年前頃には光合成が始まっていたと言われる。初期の地球を覆っていた、オレンジ色の厚い二酸化炭素の雲の間から漏れる太陽光を利用して、光合成を行っていたのであろう。そして太古代末には二酸化炭素濃度が減少し、その温室効果も低下して激しかった大気活動も穏やかなものに変わり、充分な栄養分と太陽光の下でシアノバクテリアの大繁栄が始まったのである。当時の繁栄の跡は、2725億年前に堆積したピルバラ地帯のハマスレー層群の厚い黒色頁岩に残っている。場所によっては50m以上にもなると言う厚さは、顕生代でも珍しいほどと言う。これは大繁殖した浮遊性シアノバクテリアが、酸素の希薄な嫌気性の海底に堆積して形成されたものであった。

 このシアノバクテリアの放出する酸素によって、25億年前頃を境に大気中の二酸化炭素濃度が減少、酸素濃度は増加して大気組成は大きく変わって行く事になる。その証拠が、太古代から現在初めにかけて見られる、縞状鉄鉱層の大規模な堆積と赤色堆積岩の出現である。縞状鉄鉱層は、海水中の二価の鉄イオン(Fe2+)が酸化されて酸化鉄となって沈殿し、シリカに富む層と縞状に互層して堆積したもので、酸素をほとんど含まず大量の鉄を溶解していた太古代の還元的な海洋が酸化的環境に変化した事を示している。この縞状鉄鉱層の堆積は、2520億年前がピークで、19億年前以降はほとんど認められないと言う。縞状鉄鉱層の成分は、海嶺の熱水プルームの成分と良く似ており、鉄はここから供給されていたと思われる。19億年前以降の堆積がないのは、海嶺での熱水活動の低下を意味しているのかも知れない。こうしてシアノバクテリアの放出した酸素によって鉄イオンが消費し尽くされると、海洋そして大気へと酸素が拡散し、それまでの嫌気的な地表環境が酸化的環境へと大きく変化して行ったのである。また赤色堆積岩層は、岩石の風化によりもたらされた鉄(水酸化鉄:Fe(OH))が酸化的環境で赤鉄鉱(Fe)に変わり、粘土鉱物のまわりに吸着したもので、大気中の酸素の存在を示している。この赤色堆積岩層は25億年前に出現するが、普通に見られる様になるのは20億年前からで、19億年前以降は縞状鉄鉱床にかわって広範に堆積する様になる。また、これと反対に19億年前以降に見られなくなるのが砕屑性ウラン鉱床や黄鉄鉱で、これらは酸化的環境では融解してしまう為に、それ以前が還元的環境だった事を示している。21億年前には真核生物が出現しているが、これも酸素濃度の上昇がその背景にあったと考えられる。

 

(注)縞状鉄鉱床は19億年以降も原生代後期に再び形成されているが、これらは氷河性堆積物を伴っており、以前のものと形成メカニズムが異なると思われる。スノーボールアース仮説によると、地球表面が凍結し、大気との接触を断たれ貧酸素環境になった海洋に海底熱水から放出された溶存鉄が蓄積、温暖化して氷が融けた時に、大気中の酸素により海水中に溶けていた大量の鉄が一気に酸化され縞状鉄鉱床が形成されたと言う。

(注) 太古代にはシアノバクテリアが安定な分子状窒素を固定していたが、原生代に入り酸素濃度が増えると窒素の酸化が進み、海洋に溶存する硝酸が増加して窒素固定能を持たない真核植物の出現が可能になったと言う。(3-20)

 

 さらに大気中の二酸化炭素濃度の減少には、地球規模での火成活動の衰えも作用していたと思われるが、それは温室効果を低下させる事で気温を下げる働きもした。その端的な表れが氷河時代の出現で、2422億年前には最初の地球規模のヒューロニアン氷河時代が訪れている(最古の氷河堆積物が28億年前にあるとも言う)。そして原生代末の9〜6億年前、古生代末の3億年前、新生代第四紀初めの1651万年前と、この時期以降地球は繰り返し氷河時代に見舞われて行く事になるのである。

 また太古代・原生代境界では、地球内部のマントル対流の様相も大きく変化したと考えられる。この境界を挟んだ27億年前と19億年前の2回に渡って、上部マントルと下部マントル物質が広範に入れ替わるマントル・オーバーターンと呼ばれる現象が起き、以後それまでの上部と下部マントルに分かれた2層対流が、今日の全マントル対流に変化した様なのである。19億年前以前に形成された大陸の下には、テクトスフェアと呼ばれる厚さ400km程の軽いマントルが張り付き、大陸と共に移動し分裂・合体を繰り返している。これは太古代にはマントルの温度が高く、海溝に沈み込んだプレートは直ぐに部分溶融して花崗岩マグマを生じる為に、残りのプレートは軽くなって浮き上がり、大陸の下に張り付いて酸化マグネシウム(MgO)に富んだテクトスフェアを形成したと考えられる。こうして、太古代にはプレートは660km深度まで沈み込む事ができず、マントル内の物質対流は上部と下部マントルとに分かれた2層対流となっていたのである。しかし、両者が長期間にわたって隔離されると、下部マントルが放射性元素の崩壊熱で次第に加熱される一方で、温度が低下し高密度となった上部マントルは一気に重力崩壊を起こし、下部マントルとの間で広範な物質の入れ替えが行われる。これがマントル・オーバーターンである。

 

(注)プレートの花崗岩成分は深さ110kmで相転移を起こし、より密度の高い鉱物に変わってプレートをより深く沈み込ませる錘の役を果たしている。したがって、110kmより浅い所でプレート表層の玄武岩が部分溶融して花崗岩マグマを放出してしまうと、プレートはマントル深部に沈み込む事ができなくなり、途中で浮き上がってしまう。これが大陸地殻底部に張り付いたテクトスフェアで、大陸の「浮き」の役目をはたしている。(2-40) (2-42)

 

 また、27億年前のマントル・オーバーターンでは、それに合わせて地磁気の強度の急増も起こっている。これは、この時発生したコールド・プルームが核表面の温度を急激に低下させ、安定密度成層をなしていた核内部の対流運動を活発にさせた為と考えられる。

 

(注) 地震波の速度から、核には鉄とニッケルだけではなく、酸素・珪素・硫黄・炭素などの軽元素が少量含まれている事が分かっている。こうした軽元素が鉄・ニッケルに溶け込む量は主に圧力に比例する為、まだ圧力の低かった初期の地球では核に溶け込んだ軽元素の量は少なく、地球の成長と共にその量は増大して行ったはずである。従って、核は中心ほど純粋な鉄・ニッケル合金からなり密度が高く重いという、安定した密度成層をなしていたと考えられる。しかし、こうした安定な核では強い対流運動は起こらず、強力な磁場も形成できないのである。

(注) 地磁気強度の急増については、核の慣性重力波と潮汐の周期が共鳴して振幅が大きくなり、核の安定成層が崩壊したという説もある。

 

 また、この2回のマントル・オーバーターンの時には、大陸地殻が急激に成長したとされる。そして、19億年前には6つの小大陸が衝突合体して、最初の超大陸ヌーナが形成されたと言われる(27億年前の地殻の急成長時にも超大陸ができたとも言うがはっきりしない)。そして、10億年前にはロディニア超大陸、3億年前にはパンゲア超大陸が形成されている。こうした超大陸の形成の背景には、2回のマントル・オーバーターンの後にマントル対流が1層の全マントル対流に変わり、太古代の乱流的なマントル・プルームが安定化し、複数のコールド・プルームが集合して1つの巨大なスーパー・コールド・プルームが形成された事があると思われる。こうして、海洋性島弧・海台など海洋テレーンの付加テクトニクスが支配的だった太古代に変わり、原生代以降は超大陸の形成・分裂を含む大陸の衝突・分裂のテクトニクスが地球表層の分化過程を支配し、その衝突・集合や造山運動に合わせて繰り返し氷河時代が訪れる様になったのである。

 

 

 地球の進化と一体化した生命進化

 

  これまで見て来て分かるのは、地球は誕生時のドロドロに溶けたマグマで覆われた状態から、海の誕生・大陸の形成・大陸の大移動と超大陸の形成・地球規模の火山噴火・氷河期の到来等、様々な大変動に見舞われて来たという事。そして生命進化は、この地球規模の大変動と深く結び付いて起こっているという事である。しかも、それは単に生命が地球環境の大変動から大きな影響を受けて来たというだけではなく、同時に生命自身が地球環境を大きく作り変え、あるいは作り出しても来たのである。

  そのいい例が地球の大気である。今日の地球大気は、窒素78%、酸素が21%も含まれている一方で、二酸化炭素は0.03%しか存在していない。しかしこの大気組成は、化学平衡から考えると極めて異常なものである。大気に21%も含まれる酸素は極めて反応性の高い元素で、放っておくと直に他の元素と反応して酸化物を作り、大気中から除去されてしまうはずである。また現在、大気中には酸素と共にメタンも存在するが、この2種類の気体は太陽光線を受けると反応して、化学的に安定な二酸化炭素と水に変わる。その反応速度からすると、現在大気中に存在するメタンの量を維持する為には、年間少なくとも10億トンのメタンが大気中に放出されなければならず、さらに酸素の補給にはメタンの2倍量の供給が必要であると言う。窒素が気体状態で大量に存在している事も不自然だ。地球環境下では、窒素は化学的に安定な硝酸イオンの形で、海の中に溶けていてしかるべきだからである。このように地球の大気は、化学的に極めて不安定な非平衡状態にある。化学的平衡というのは、特定方向の反応がエネルギー的に起こりやすいといった事がなく、釣り合って化学反応がどの方向にも進行しない状態の事である。化学的平衡状態の大気組成を考えると、その99%は二酸化炭素になってしまうと言う。これは太陽系の他の地球型惑星である火星や金星の大気組成に極めて近く(大きさが地球の半分以下の水星には大気を保持できるだけの重力がない)、これらの惑星では大気は化学的平衡状態にあるのである。これに対して、酸素と窒素を主成分とする化学的非平衡状態の大気は、太陽系の中でも地球だけのもので極めて特殊な現象である。これは生命の存在によって、つまり生命が光合成を行い、二酸化炭素を固定し、日々大量の酸素を大気中に放出して初めて達成された事なのである。

  このように地球の進化と生命進化は、深く関り合いながら一体となって進んで来たのである。地球環境の大変動は新しい環境に適応した新たな生物を生み出し、次にはその生物が地球環境を大きく変えて行くという連鎖が、地球と生物の一体となった進化を推し進めて来たと言えよう。生命は地球の進化と一体となり、地球環境そのものを作り変える事で、自分自身をも生み出して来たとも考えられる。生命の進化は、それだけで自立して存在するものではなく、地球の進化と一体となりそこに含まれる事で初めて可能となったわけである。生命進化、それはむしろ地球全体の進化という大きな流れの中に含まれる、その不可分の構成要素と考えた方が良いだろう。

 

 

 太陽系の進化

 

  このように考えると、進化するのはなにも生物や地球に限った事ではない。地球が含まれる太陽系自身も、誕生して後、一定の方向性を持った進化を経て今日に至っている。そして地球の進化は、太陽系の進化の一部分としてその中に含まれているわけである。太陽系は約46億年前、宇宙に漂っていた濃密で冷たいガスとチリの巨大な雲(星間分子雲)が、重力によって収縮する事で誕生した。この重力収縮によって、中心部の圧力と温度が上昇し約1000万度に達した時、水素の核融合反応が始まり太陽が生まれたのである。そして、太陽の周りを回転しながら収縮して円盤状になったガス雲は、次々と円盤からリングを分離し、それぞれのリングが凝縮して惑星を形作る。こうして地球は太陽系の進化の過程で誕生したのである。生まれたばかりの原始太陽は、現在の太陽に比べて大きさは100倍、明るさは600倍以上もあり、温度は低く赤く輝いていたと考えられる。その後、収縮しながら温度を上げ、一時非常に明るくなった後に激しく収縮、明るさも急激に小さくなって主系列星へと進化して行った。太陽が誕生して約1億年後の事である。そして、太陽が主系列星になってから現在に至る迄の間に、25%も明るさを増して来た事は先に見た通りである。太陽の中心部では水素が核融合反応を起こしてヘリウムに変わり、燃料の水素はどんどん消費され、燃えないヘリウムの芯が徐々に成長して行く。今から50億年後には、太陽の中心部では燃料の水素が欠乏する様になり、ヘリウムの芯は収縮を始める。すると中心部の温度と密度は非常に高くなり、約1億度を超えた所でそれまで燃えなかったヘリウムが核融合を始め、3つのヘリウム原子核から炭素原子核が生成される様になる。こうなると太陽の外層部は熱くなり、ガス圧を上げて膨張を始め、太陽は巨大な赤い星(赤色巨星)へと成長し、この時、地球は膨れあがった太陽の中に飲み込まれてしまうと考えられている。そして、中心部の炭素コアがヘリウムと核融合して酸素が生産される様になると、星は不安定化し外層部を吹き飛ばして、中心に高温・高密度の小さな白色矮星を持つ惑星状星雲となる。この白色矮星はやがてエネルギーを失い、黒色矮星となってその一生を終える。

  質量が太陽の8倍以上ある重い恒星の場合、熱核反応は炭素・酸素を越えて進み、鉄までの重い元素を次々と合成して行く。そして、鉄のコアが形成されると核合成は止まり、最後にはその膨大な重力を支えきれなくなり大爆発を起こして超新星となり、その後に中性子星やブラックホールを残す事になる。この時、鉄より重い元素が合成され、宇宙に撒き散らされると言う。実際、何百年も前に起こった超新星爆発の残骸から、ケイ素・鉄・カルシウムなどの元素が大きな塊を作ってガスの中に浮かんでいるのが観測されている。実は、我々の体を構成している炭素・酸素・窒素・硫黄などの元素は、太陽系ができる前、つまり50億年以上前に起こった超新星爆発や惑星状星雲により宇宙空間に放出された星屑に起源しているのである。どちらにしろ、総ての恒星はある時誕生してから成長を続け、その質量によって決まる発展・進化の過程を経て、最後には死を迎える事になる。これは一貫した方向性を持つ変化であり、不可逆的で必然的な過程なのである。

 

(注) 中性子星:超新星爆発の後に残される中性子でできた星で、質量は太陽の1.5倍ほどだが直径は10km程度と小さく、その密度はほとんど原子核と同じ約10t/cm3で、星自体が1つの巨大な原子核と見る事もできよう。また強い磁場を持って高速回転する中性子星は、南北の磁極方向に強力な電磁波を放出し、磁極と自転軸がずれていると灯台のサーチライトの様に宇宙を周期的(周期:数ミリ秒〜数秒)に照らす事になる。これがパルサーである。そして放射でエネルギーを失った中性子星は徐々に自転速度を落とし、最後には電磁波も止まり我々の視界から消えていく。このパルス周期は1年に1億分の1秒ほど伸びて行くが、これはセシウム原子時計より2桁も精度が高く、パルサーは宇宙一正確な時計となっている。また中性子星には限界質量が存在し、太陽より2〜3倍以上重いと星は自身の重力で潰れ、ブラックホールとなってしまう。

(注)超新星は観測されるスペクトルの違いから、水素スペクトルを含まないT型(SNT)と含むU型(SNU)に分類され、T型は進化の過程で水素の外層を失った近接連星系での爆発に対応する。また爆発機構からは、太陽の7〜8倍の質量をもつ星の炭素爆燃型超新星と、8倍以上の鉄のコアを持つ重い星の重力崩壊型超新星爆発に分けられ、中性子星やブラックホールが生まれるのは後者の爆発からである。(4-34)

(注) 現在、隕石の中から太陽系誕生以前の直径1μm以下という小さなチリ(プレソーラ粒子)が発見されている。これは、50億年以上前に惑星状星雲や超新星爆発によって宇宙に撒き散らされた星の残骸で、様々な元素を含むチリが見つかっている。しかも、これらは少なくとも30以上の恒星に起源し、我々の太陽系を形成した星のかけらは銀河系の様々な場所から集まって来たものだと言う。

 

 

 宇宙の進化

 

  このように総ての恒星がたどる進化の過程も、さらに大きく見ると、銀河系の進化の一部分である事は言うまでもない。さらに銀河系の進化は、宇宙全体の進化に含まれる事も明らかであろう。宇宙というと、いつまでも変わらない永久不変のもの。多くの星が生まれ、その一方で多くの星が死んで行くが、宇宙全体として見るとその様相は変わらないと考えられていた事もあった。しかし現在では、宇宙は激しく活動しダイナミックな変動に晒されている事がわかっている。

 

(注)宇宙には銀河が数千億個も存在するが、これらは激しく動き、衝突・合体を繰り返して来た事が明らかになっている。銀河には渦巻銀河や楕円銀河以外に、アンテナ銀河や車輪銀河など不思議な形をした特異銀河が知られているが、これらは銀河同士の衝突や合体によって生まれたと考えられている。また我々の銀河の直ぐそばには大マゼラン雲と小マゼラン雲という小さな銀河があるが、この2つの銀河と天の川銀河の間には、マゼラニックストリーム(マゼラン雲流)と呼ばれる中性水素原子ガスの帯が伸びてつながっており、過去に幾度かニアミスを起こした事を示している。この2つの銀河は将来、天の川銀河に衝突して吸収される運命にある。また、隣にある渦巻銀河のアンドロメダ銀河の中心部には銀河系のような暗黒星雲や星の形成領域がなく、しかも約5光年はなれて2つの中心核が存在する事が分っているが、これは数十億年前に質量の大きな伴銀河の1つが中心部に落下・合体した結果と考えられている。さらにアンドロメダ銀河自体も時速50100kmで銀河系に近づいており、数十億年後には我々の銀河系と衝突・合体して巨大な楕円銀河が生まれると言う。宇宙の銀河の80%は楕円銀河だが、こうして渦巻銀河が合体してできるらしい。実際、銀河の密集地帯に楕円銀河が多い事が知られている。そして銀河の衝突や接近が起こると、通常の渦巻き銀河における星形成の1001000倍という星の爆発的誕生(スターバースト)が発生して明るく輝く事になる。このような銀河間の重力相互作用の頻度は、平均的な銀河群で100億年に1回、銀河団の中心部では数十億年に1回以上あると言う。

 

 そして、この大宇宙も地球や太陽と同様に方向性を持った一貫した変化を日々重ねており、不可逆的な進化を続けている。それは誕生し成長し、そして最後には終末を迎える事になるのである。これは一方的で必然的な過程である。150億年前にビッグバンによって誕生した宇宙は、猛烈なスピードで膨張しながら様々な素粒子を生み、さらには銀河や恒星など宇宙の構造そのものをも作り出して来た。そして今なお、宇宙は猛烈なスピードで膨張を続けている。従って、今日の宇宙は昨日の宇宙よりも確実に大きく、反対に密度は低くなっているはずである。また、大宇宙では日々多くの恒星がその一生を終え、白色矮星や中性子星・ブラックホールとなっている。すると宇宙は年齢を重ねると共に、これも確実にブラックホールなどの死の天体の数が増大して行くはずである。そして、星間ガスが銀河内の物質循環から除外されて次第に減少する結果、新たな星の形成は止み銀河は年老いた星ばかりになって行く。さらに、宇宙の元素組成も日々変化している。ビッグバンの時に誕生した元素は、そのほとんどが水素とヘリウム(それぞれ73%と25%)だけで、それ以外のより重い原子核は、恒星内部の核融合反応と超新星爆発の時に生成される事が分かっている。つまり宇宙は日々休む事なく、軽い元素からより重い元素を合成しているわけで、この結果、宇宙の年齢と共に重い元素の占める割合が確実に上昇しているはずなのである。実際、120150億年前に誕生したと考えられる銀河系内の非常に古い星では、水素とヘリウム以外の元素がほとんど含まれおらず、太陽の1/1000に過ぎないと言う。このように大宇宙も、明確な方向性を持った不可逆的な変化を続けているわけで、明日の宇宙は今日の宇宙とは確実に異なっている。今過ぎ去って行く今日という時、そして今の宇宙は二度と再び戻る事はないのである。宇宙はこの不可逆的な進化を続ける事で、このまま無限に膨張を続けて行くか、あるいは今の膨張が収縮に転じて再びビッグバン以前の小さな点に戻るか、どちらにしろ現在ある宇宙の秩序・構造は崩壊し、確実にその終焉を迎える事になるのである。

 

(注)重い元素は恒星の内部で生成される為、銀河ができた頃には非常に少数の金属元素(天文学ではヘリウムより重い元素を指す)しか存在しなかった。そのため早くに生まれた星ほど金属元素の水素に対する割合が低く、逆に新しい星ほど割合が高くなる。従って、太陽系が形成された46億年以前につくられた星は太陽に比べて金属元素濃度が低く、例えば銀河の外縁部に存在する球状星団の中の古い星では、太陽の1/1001/1000の濃度しか持っていない。銀河円盤内の星では平均して太陽の半分程度、ハローの星では太陽の1/10程、反対に1000万年前にできた新しい星では、太陽の2倍の金属元素濃度を示す。また現在、星が形成されつつあるオリオン星雲でも2倍の濃度を持っていると言う (4-28)。ただ、銀河系の歴史の最初の10億年間に元素の爆発的な創造の時代があり、その為、古い星ほど含まれる重い元素の比率にバラつき大きいと言う。つまり、古い時代ほど銀河の中の元素の分布は不均一だったのである。(4-28)

 

  このように考えて来ると、進化というのは何も生物だけが持つ特殊な性向というものではない事が分かる。方向性のある変化を積み重ね、段階的に進化・発展して行くという事は、この世界の本性と言っても良いだろう。この世に存在するものは総て、この大宇宙をも巻き込んだ巨大な進化・発展の流れの中にのみ、その存在の時と場所を持つ事が出来るのである。宇宙が誕生し、その進化・発展の中で銀河系が生まれ、さらにその進化の中で太陽系が誕生して進化を始め、その中の一員として地球の誕生と進化があるわけである。地球上の生命進化も、宇宙の巨大な進化の流れの中でこそ、初めてその正確な位置付けを見出す事ができるだろう。

 

 

 地球環境の悪化と生命進化の方向性

 

  もし地球の進化がなければ、あるいは地球環境が時と共に方向性を持った変化をする事なく永久不変であったならば、生命の進化など起こり得なかったはずである。生命は誕生した当時のままの原始的な形態で、安楽な日々を送っていた事であろう。何故なら、環境に変化がなければ、なにも高いコストを払って複雑な生命システムを新たに作り出す必要など全くないからである。これは生きた化石と呼ばれる、何億年もその形態をほとんど変える事なく生きて来た生物、原核生物の様に何十億年という気の遠くなる様な長い期間、ほとんど変化せずに生存して来た生物が存在する事を見ても明らかであろう。しかし、地球環境が変化しないなどという事は全く有り得ない事である。まず、地球自身が太陽系の一惑星として誕生して以来、日々不可逆的な変化を積み重ねながら、その死に向かって進化を続けているわけで、当然地球の環境もその進化に合わせた方向性を持った環境変化を免れないはずだからである。さらに生物が地球上に存在する事自体が、地球環境に不可逆的な変化を引き起こしている事は、今まで見て来たとおりである。こうして地球環境は方向性を持った変化をし、その変化する環境の下で生きる生物も必然的に方向性のある進化を遂げる事になるわけである。

  生命誕生以後のその進化を見て分かる様に、生物は環境が変わり、今までの生活様式や形態では生きて行くのが困難になり、また新しい生息環境が生まれて別の生き方が可能になった時に、新たな機能や形態そして生活の方法を開発する事で進化して来た。そこにあるのは、不規則な変動を伴いながらも方向性を持って段階的に変化する地球環境と、次々と移り変わる環境に適応する為に自分自身を作り変え、新たな環境に積極的に進出して生息域を拡大しようとする生物の本性である。この両者が絡み合って、より複雑な生物へという進化の方向性が生み出されたのであり、無数の生物種を含む複雑で多様な生態系が作り出されて来たわけである。これは見方を変えると、生物にとってより困難な状況への地球環境の悪化、そして生存のより困難な環境への生物の進出が、生物により複雑な機能や形態の進化を強要したと捉える事もできよう。

  地球に誕生したばかりの生命は、周りの海中に大量に存在した有機物を細胞膜を通して取り入れ、解糖・発酵系という単純で不効率な代謝によって必要なエネルギーを得る事ができた。周囲には有り余る食糧がすぐ手の届く所にあったわけで、生まれたばかりの生命にとっては極めて恵まれた環境であった。しかし、その事自身が環境を変えて行く事になる。豊富に存在した有機物も生命自身の繁殖によって枯渇し、さらには発酵による有機酸の蓄積という環境汚染も進行して行った。こうした環境の悪化に直面した原始生命は、プロトンポンプを発明し、化学浸透性リン酸化という解糖に比べてはるかに複雑な代謝システムを進化させて、危機を乗り越えたのである。また最初の脊椎動物である魚の進化は、生命が誕生した海に比べるとより厳しい環境である、河川への進出によってなされた事は先に見たとおりである。生物の陸上への進出は、さらに困難なものであった。上陸した植物は、水中で生活する藻類と異なり、水分や無機栄養を根から取り入れるしかない。また、それを空中高く吸い上げて全身に配り、葉の光合成で生産した有機物を幹や根の下降させる為の通路の維管束を進化させねばならなかった。こうして、水分や養分を吸収し自分自身を固定する為の根、高い所に葉を配置し太陽光をより豊富に吸収する為の直立した茎が必要となり、根・茎・葉が分化し発達して行く事になったのである。また動物にとっても陸上は厳しい環境で、上陸の為には乾燥に耐える皮膚と、浮力の働かない陸上で体重を支える頑丈な骨格を必要とした。このように生物が陸上に進出する為には、様々の困難を克服し多くのコストを掛けて、自らを作り変えて行かなければならなかったのである。また、古生代末のペルム紀には哺乳類型爬虫類が繁栄していたが、これら哺乳類の祖先は、ペルム紀初めの寒冷気候への適応として恒温性を進化させたのであった。寒冷化という環境変化があったからこそ、エネルギー多消費型で体温調節の為に複雑なメカニズムを必要とする、恒温動物が進化する事になったわけである。中生代に繁栄した恐竜のような温暖な時代の生物と比べると、恒温動物は寒冷な厳しい環境に適応する為に、余計なコストを掛けているのである。

 

 

 乾燥化と植物の進化

 

 海藻が緑・赤・褐色など様々な色をしているのに対し、陸上の植物が緑色一色であるのは、水中で多様化した藻類の内のただ1つの仲間だけが上陸に成功した事による。つまり陸上植物は単系統であって、同一の祖先から枝分かれして進化して来たのである。現在、この祖先に最も近いのは緑色藻類の仲間のシャジクモ類で、恐らく、乾燥を繰り返すような浅い淡水環境で進化して来たと考えられている。上陸に際して彼等が直面した最大の問題は乾燥であった。まず、表皮細胞をろう状物質のクチクラで覆って水分の蒸発を抑え、次に生殖では卵と精子が造卵器と造精器という器の中で形成・保護される様になった(造卵器植物)。実は、藻類とは造卵器を持たない植物の事で、ただシャジクモ類では造卵器に良く似た生卵器という構造を進化させている。さらに、陸上植物は造卵器の中で受精卵に栄養を与え、分裂・発生させて胚を形成する様になった。この母体に依存して生活する幼い生物体である胚を生殖器官の中に作る事は、陸上植物の最も重要な特徴の1つである(有胚植物)。水中生活する藻類では受精卵は水中で発生するが、乾燥した陸上では胚を作って保護する事が不可欠だったのである。

 こうして、オルドビス紀に上陸を果たした最初の陸上植物はゼニゴケの仲間だったと考えられているが、その後のコケ植物・シダ植物から裸子植物・被子植物へという植物の進化も、乾燥との闘いであり乾燥への適応の歴史であった。最初に上陸を果たしたコケ植物やシダ植物は胞子で繁殖する。散布された胞子はオスとメスの配偶体となり、それぞれ精子と卵子を作り鞭毛を持つ精子が雌性配偶体の造卵器まで水中を泳いで行って受精する。従って、彼等は水のない所では繁殖する事ができない。石炭紀に大森林を形成したリンボクなどの大型木性シダ植物は、大陸の沼沢地に繁茂したのであった。その後、陸上植物は配偶体を小型化し、やがて胞子体の中に包み込んで乾燥から保護する方向に進化して行った。デボン紀後期に登場した裸子植物では、雌性配偶体を胞子体内に抱え込んで保護し、さらに雄性配偶体は厳しい乾燥に耐えて何kmも飛んで行く花粉粒へと進化した。この花粉粒は、花粉管を形成して胞子体内に隠された雌性配偶体に精子を直接手渡す事で、受精に水分を必要としなくなったのである。そして最も重要な進化は種子の形成で、雌性配偶体は親である胞子体の中で育てられ、受精後そこで種子が作られる様になった。固く耐水性の外種皮で囲まれた裸子植物の種子も、花粉と同様に過酷な条件に耐え、何年も休眠した後にも充分に発芽する事ができる。この休眠も、裸子植物のより進化した球果綱とマオウ綱になって獲得されたもので(デボン紀・石炭紀の種子化石には胚が見つかっていない)、胚の成長と分化を中断した休眠中は寒さや乾燥にたいする抵抗力が強く、種子の散布に有利になっている。ペルム紀に入って全地球的な寒冷化と乾燥化が進むと、リンボク類・ロボク類・スフェノフィルム類などの巨大シダ植物は次々と絶滅して行き、石炭紀に多様化したシダ類も殆どが絶滅してしまう。一方、種子と花粉を進化させた裸子植物はこの古生代末の大絶滅を生き延び、古代の巨大なシダの森林が崩壊した後、空き地になった生態的地位に急激に適応放散をして行く。こうして、古生代に大繁栄をしたシダ植物に代わって、中生代は裸子植物の時代となるのである。このように進められて来た植物の乾燥対策の仕上げが、被子植物による子房形成で、後に種子となる胚珠が心皮で包まれ、その中で受精と発生が行われる様になったのである。被子植物は種子を果実で包んでいるが、それは子房が成熟したものである。この果実を得た事で、被子植物は哺乳類や鳥類との結び付きを強め、種子の散布をこれらの動物に負う様になって行く。被子植物は三畳紀に登場するが、大発展をするのは白亜紀後半になってからであった。そして次の新生代は、この被子植物の時代となるのである。

 

(注) 種子植物以外にも種子を作ろうとした植物が存在した。石炭紀のリンボク類とロボク類で、シダ植物はふつう同形胞子であるが彼等は異形胞子化を推し進め、リンボク類では機能的に種子植物の種子とほとんど変わらない段階にまで進化したと言う。種子植物では、異形胞子の大胞子嚢をテローム(二叉分枝を続ける茎部分)で包み、それが珠皮となって種子が完成するが、テローム構造をもたない小葉類では胞子嚢の下の胞子葉で大胞子嚢を包む構造になっている。

(注) 実は、胚珠の保護は被子植物だけの専売特許ではなく、古生代のシダ種子類以降の生殖器官の進化に見られる共通の傾向であった。イチョウの様な例外もあるが、グロッソプテリスの大胞子葉やソテツ類の球花、球果類の球果など、ペルム紀から三畳紀にかけて胚珠を様々な器官・方法で包み保護する事が始まり、なかには被子植物の心皮に良く似た構造を作ったものもあったと言う。こうした裸子植物の進化が示す一般的傾向の1つの帰結が被子植物の誕生であって、その点で被子植物は特殊化した裸子植物と言う事ができる。(4-29)

(注) 被子植物の心皮は、花に集まる昆虫からの保護を目的として進化したとも言われる。花粉の媒介を昆虫に頼るようになると、胚珠が損傷を受ける危険性も大きくなったわけである。(4-30)

(注)維管束植物の進化は次の4段階に分けられる。@デボン紀前期〜中期:リニア類やトリメロフィトン類などの原始的な群、Aデボン紀後期〜石炭紀:シダ植物、B三畳紀〜ジュラ紀:裸子植物、C白亜紀後期〜:被子植物。

(注)花の進化は次の様に考えられると言う。まず、1つの胞子から生れる雌雄同体の前葉体を持つシダ植物の中から、胞子の雌雄分化したもの(大胞子と小胞子)が出現する。次に、乾燥への適応として胞子を葉の裏側に付けたままそこに小さな水たまりを作り、そこで精子を泳がせて受精する方法が開発される。これによって、シダ植物は水辺を離れる事ができる様になったのである。雌の大胞子は茎の上部の葉(大胞子葉)に、小胞子はその下の葉(小胞子葉)に付き、雌の胞子は葉上で発芽しそのまま葉に寄生、雄の胞子(花粉)は風に運ばれるようになる。こうして胞子を包込んだ小胞子葉は雄しべとなり、大胞子葉は丸まって雌前葉体を包込み雌しべと子房が誕生する。雄の前葉体は花粉管を作り精子を卵に届けるようになり、泳ぐ必要の無くなった精子は鞭毛を失い精細胞(精核)となり、雌前葉体は退化して胚嚢となる。そして、花粉をはこぶ昆虫を呼ぶ必要から、下の葉が花弁に変化するのである。4-35

つまり、被子植物の花はシュート(茎葉)と相同な器官で、花被片(花弁・がく片)は昆虫などの誘引のために特殊化した普通葉が有限生長化した茎(花床)にらせん状に密生したもの、雄しべは小胞子葉が変形、雌しべは胚珠を保護する為に袋状になった大胞子葉(心皮)に当たる。そして花粉は雄性配偶体、子房の中の卵は大胞子が発芽した雌性配偶体に相当する。また花蜜は、植物が持つ代謝の老廃物を分泌する腺細胞が、その分泌液をなめに昆虫が訪花する様になって次第に糖分の比を高め、蜜腺に進化したものと言う。このような花が出現する第三紀始新世には、蜜を求めてチョウ類(鱗翅目)や双翅目昆虫が花を訪れ、後者からハナアブ類が生まれ、漸新世にはハナバチ類(膜翅目)も出現する。裸子植物の花は総て単性花で、雄しべと雌しべを持つ両性花は被子植物になって初めて現れるが、これも動物媒花の発達の中で花弁などの共通経費の節約の必要から進化したと考えられる。

 

  このように上陸を果たした植物の進化は、一貫して乾燥に耐える、乾燥した環境に適応するという方向で行われて来たわけであるが、実はこの植物の進化の節目節目で地球環境の変化、即ち気候の乾燥化が起こっているのである。陸上植物はこれまでに3つの大変革を経験して来た。1つは、水中から陸への上陸。2つ目は、森林の胞子で繁殖するシダ植物から種子で繁殖する裸子植物への交代。3つ目が、被子植物の爆発的進化である。この3大変革は、いずれも地質時代の上では乾燥気候の時代と密接に結び付いている (4-31)。植物の本格的な上陸は、シルル紀からデボン紀にかけての古赤色砂岩が堆積した時代に起こったし、第2の変革はペルム紀末から三畳紀初めにかけての新赤色砂岩、いわゆるロート・リーゲンデンの時代であった。この赤色砂岩は、砂漠のような乾燥地帯に堆積したと考えられる岩石である。そして第3の変革は白亜紀後半である。このように陸上植物の進化の背後には、乾燥化という地球環境の変化があったのである。またこの乾燥化の進展は、新生代に入って大草原の発達をもたらす事になる。白亜紀中期には、その頃まで繁茂していた裸子植物に代わって被子植物が優勢となり、そして中生代末には次第に乾燥化が進み、森林が狭まって草原となって行くのである。

  新生代に入るとその傾向はさらに進み、暁新世初期には砂漠の状態が出現する。新生代前半の古第3紀(暁新世・始新世・漸新世)は、寒暖の変化はあったものの全般的に現在より温暖・湿潤な気候が支配していた。しかし、新第3紀の中新世と鮮新世に入ると寒冷化が進み、冷温・乾燥した気候に変わる。こうした気候の変化の中で、それまでの森林地帯が急速に草原へと変わって行ったのである。新第3紀は世界的に大草原の発達した時代であった。草原では、降雨期には丈が数mもある草本に覆われるが、乾期には枯れた草で一面褐色の世界となる。そこではイネ科の植物が繁茂し、麦・米などの穀類の宝庫である。こうした大草原の発達は、大型の体と四肢を持つ草原生活に適応した有蹄類の急速な進化を促す事になった。そして、草食の有蹄類の大発展に合わせて、その捕食者である食肉類も著しく分化・発展する。また、シバピテクスやドリオピテクスなどの類人猿の祖先が現れたのもこの時期で、草原の発達と無関係ではなかった。大草原の発達した中新世は、有蹄類の発展を中心とする哺乳類の黄金時代だったのである。この気候の寒冷化と乾燥化は、次の鮮新世になると一層進行する。そして寒冷化は次の第4紀に持ち越され、大氷河時代へとつながって行くのである。気候の寒冷化と乾燥化、そして草原の発達は哺乳類の分化を促進し、現代型の動物が次々と登場する事になる。草原を走るのに適した1本指の現代型のウマ、草食に適した複雑な咀嚼面の大きな臼歯を持つゾウやウシなどである。こうした現代型の哺乳類が出現した第4紀には、人類そのものも登場する事になる。ヒト、それはかって森林で生活していたサルが、草原の拡大と共に森林を捨て、草原に進出しそこに適応して行ったサルの子孫なのである。

  このように大草原の発達は生物の進化に大きな影響を与えたわけだが、この大草原が出現したのは新生代に入ってからの事で、地球の歴史から見るとごく最近の出来事である。実は、草原を形作る草本性植物は、植物の進化の中でも最も後に現れた仲間で、進化的に最も進んだ植物と言う事もできる。落葉樹は厳しい冬の間、葉を落として休眠状態の芽で過ごす。この方が、寒い冬の間も葉を付けている常緑樹より低温障害を受け難く、エネルギー効率の面からいっても有利なのである。生きている細胞は、冬の間も生存の為に代謝を行いエネルギーを消費しているわけで、「冬でも葉を落とさず風や低温に耐えている針葉樹の大木は、効率の悪い生き方をしている」(4-32) と言う事ができよう。この冬に葉を落とすという落葉樹の対策を、さらに推し進め徹底したのが一年生の草本性植物なのである。彼等は、冬の低温にさらされる地上部を枯らす事で被害を受ける部分を全くなくしてしまい、根だけであるいは種子の状態で大地に埋もれて春を待つという究極の戦略を編み出した。これによって、地上部を寒い冬にさらす木本性植物よりも、はるかに生命維持の安全性が高まったのである。植物の中には、セコイヤメスギや屋久杉の様に何百年、何千年と生き続ける巨大な樹木も存在するが、植物の世界では彼等はむしろ時代遅れの植物と言える。高さが何十mにもなる巨木よりも、可愛い一年生の草花の方が新しく地上に現れた植物であり、進化した高等な植物なのである。また草は寒さや乾燥など、より厳しい環境に適応した植物と言う事ができる。従って、新生代になって大草原が発達したという事は、地球環境がそれだけ生物にとって厳しいものになった、悪化した事を示しているとも言えよう。

 

 

 生長遅滞原則

 

  浅間一男によると、地球環境の悪化は植物の生長遅滞となって現れていると言う (4-33)。植物に生じた進化を振り返って見ると、その最大の特徴は小型化である。石炭紀に2030mの大木に生長し、大森林を作っていたヒカゲノカズラ類の鱗木(小葉系)は、時代と共に小型化して現在では20cm程度の草となり、同じく石炭紀に20mにも生長して林を形成していたトクサ類のロボク(有節系)も、現在では1mほどの草となって生き残こっている。シダ類(大葉系)も古生代には20mにも達する大木であったが、その名残は現在わずかに熱帯地方に残されているに過ぎず、温帯では大部分が1m位の草に小型化してしまっている。これらの胞子で繁殖するシダ植物に生じた著しい小型化は、古生代から新生代にかけて冬の気温が低下し、気温の年較差が漸増したと考えると矛盾なく説明がつくと言う。確かに、繁殖方法を胞子から種子に変えた裸子植物は、小型化する事なく現在でも古生代そのままの大型植物として存在するが、葉の大きさを比較すればやはり小型化が起きているのである。

  環境の悪化は、植物の葉形の変化にも現れている。中国山西省の太原炭田には、石炭紀から三畳紀まで約8000万年にわたる連続した地層が見られ、そこに産出する植物化石の葉の形態の進化を見ると、植物の生長遅滞による変化が良く分かると言う。エンプレクトプテリス系では、最初3回羽状複葉だった葉形が隣接するセグメント(小羽片)が癒合する事で、2回羽状複葉そして1回羽状複葉へと進化し、最後には単葉のものが出現する。それと同時に葉のサイズも小さくなり、最初は畳半分ぐらいの大きさだったものが、単葉のものでは半紙ぐらいにまで著しく小型化した。現在の桜の葉も、セグメントが癒合してできた癒合葉で、その先祖はシダの葉の様な羽状複葉であった。こうした葉形の進化は、環境の悪化による生長の遅滞を考えるとうまく説明できると言う。ここで見られる、羽状複葉から単葉へという葉形の変化は、実は植物の個体発生の過程と正反対になっているのである。個体発生では、単葉状態の芽生えから始まって1回羽状複葉となり、さらに2回羽状複葉、3回羽状複葉へと生長して植物が形成される。したがって、環境の悪化等によって植物の生長が途中で止まる様な事になると、2回羽状複葉や1回羽状複葉、さらには単葉の植物が誕生する事が考えられる。つまり、環境の変化によって個体発生が延びたり短くなったりする事で、葉形の進化が引き起こされると考えられるのである。太原炭田でみられた葉形の進化は、環境が悪化して植物の生長が抑制され遅滞した結果、幼形成熟(ネオテニー)的変化が生じた事を示していると言えよう。このような、環境の悪化による植物の葉形の進化に見られる規則性を、「生長遅滞の原則」と呼んでいるのである。葉形の変わり方には、ここで見たセグメントの癒合による場合の他、セグメントの拡大による場合もある。癒合の場合は、隣接するセグメントが癒合する事で複葉の回数を、3回→2回→1回→単葉と減らして行ったわけだが、拡大の場合は1個のセグメントのみが生長する事で、同様に複葉の回数を減らして行く。この拡大による場合も、環境の悪化により植物の生長が遅滞する結果生じる現象で、セグメントそのものは大型になるが、1枚の葉として見た時には小型になっている。植物の葉形は、常に環境と密接に関連しながら規則的に進化して来たのである。

  生長遅滞の原則すべてに共通する事は小型化であり、これらの葉形変化は葉が小型化する場合に生じた現象である。環境が悪化した為の変化であれば、それも当然であろう。しかし反対に、環境が良い方に変わって生長が促進された場合には、そのままの形で大型化し、葉形そのものは変化しない事が多いと言う。葉形が大きく変化するのは、環境が悪化して小型化する場合なのである。植物の形態変化に見られる生長遅滞の原則は、古生代だけではなく中生代・新生代に於いても適合する。逆に、生長促進による進化の例は見出す事ができないと言う。植物の形態変化が、古生代から現在まで総て生長遅滞の原則が当てはまるものばかりであるという事は、地球環境の変化が植物の生長を抑制し遅滞させる変化、つまり環境の悪化であった事を暗示している。

  浅間によると、それは冬の気温の低下と、それに伴う気温の年較差の増大であると言う。地質時代を見ると、その大部分は温暖でかつ気温の年較差も小さい気候であった。古生代末のゴンドワナ氷河時代を除くと、多少の波はあったものの常に温暖で、夏・冬の差がなかったのである。地球の気候は、古生代の気候帯も四季も明瞭ではない一年中温暖な時代から、冬の気温が徐々に低下すると共に、気候帯および四季の明瞭な現在の気候へと変化して来たのである。気温の低下が生物に与える影響という点では、平均気温よりも冬の気温の低下の方が大きいと考えられる。即ち、植物の生長を遅滞させるのは、冬の低温なのである。冬のない温暖・湿潤な気候だった古生代には、繁殖するのも胞子で充分であった。古生代にシダ植物が大森林を作り得たのは、このような穏やかな気候のお陰だったのである。しかし、気温の年較差が拡大し環境が厳しくなれば、胞子よりも種子の方が繁殖には有利となる。その結果、古生代末には乾燥した地域で種子植物が進化して来る。それが針葉樹類とシダ種子類である。中生代には、これら針葉樹類とシダ種子類から生じたベネチテス類・ソテツ類が発展する事になる。しかし、さらに環境が厳しくなれば、種子植物の中でも胚珠が裸のままの裸子植物よりも、心皮で包まれ保護された被子植物の方がより有利であろう。こうして新生代には、裸子植物から進化した被子植物が大発展を遂げるのである。新生代に入っても、第3紀の初期から中期にかけては木本の被子植物が主体であったが、気候が厳しくなるにつれ草本が進出し、大草原が発達する様になる。これらの変化は、年較差漸増の古気候の変遷を仮定するとうまく説明ができるわけである。実際、中生代初めにはわずかしかなかった樹木の年輪が、中期以降になると明瞭に現れる様になる。中生代後期には本当の冬が現れ、新生代に入るとこの傾向はますます強くなって行く。そして、気温の低下が最高となった第4紀には氷河時代に突入する事になるのである。また年較差漸増の古気候の変遷に伴い、植物の生長期間が古生代の12ヶ月から中生代の9ヶ月、新生代の6ヶ月と減じ、第4紀には4ヶ月ぐらいにまで減少したと言う。このような短い生育期間に芽を出し、生長・受精して種子を作る事ができるのは草本だけである。新生代後期の草本の大発展は、年較差漸増による生育期間の短縮によってもたらされた現象とも言えるのである。年較差漸増の古気候の変遷は、夏と冬の気温差が徐々に拡大し、生物にとって生息環境がますます厳しいものに変化して行った事を意味している。しかし、こうした環境悪化の進行は、同時に次々とより厳しい環境に適応した生物が進化して来る事をも意味していた。古気候の変化は、次第に環境を悪化させる事でより厳しい環境に適応した高度な植物を次々と生み出し、シダ植物から裸子植物・被子植物へと植物を進化・向上させる事になったわけである。他方、シダ植物の様に環境の悪化にもかかわらずその繁殖方法を変えなかったものは、時代と共に小型化し退行して行かざるを得なかった。

  浅間によると、進化の要因としては気温の年較差の漸増が最も重要なもので、中でも冬の気温の低下が生物に強い影響を与え、それに乾燥気候が作用した時にはその影響が倍化されたと言う。このような古気候に於ける年較差の漸増は、大気中の二酸化炭素濃度の減少によって説明できるかも知れない。ともかく以上見て来た事から、生物の方向性を持った進化は、地球環境が地質時代を通じて生物の生存にとって厳しいものに徐々に変化してきた事と、深く結び付いているのが分かる。つまり、地球環境の悪化が生物により複雑な機能や形態を要求したのである。このことからも生物の進化が、惑星としての地球そのものの進化と不可分のものである事が分かろう。そこには、変化の不可逆性と共に、その必然性が存在している。それは宇宙全体を方向性を持って推し進める、巨大な進化の流れの中に分かちがたく組み込まれているのである。