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第4章 4/4

多細胞動物の体制の進化

 二胚葉動物の進化

 

  多細胞動物は、単細胞の原生生物から進化して来るわけだが、最も近縁な原生生物が襟鞭毛虫とされている。これは1本の鞭毛とその基部を囲む襟状の構造を持つ鞭毛虫の仲間で、これがボルボックスの様に群体を作る事で多細胞化して来たと考えられる(鞭毛虫起源説)。実際、最も原始的な後生動物と言われる海綿動物は、襟細胞という襟鞭毛虫にそっくりな細胞を持ち、その群体から進化して来た事を暗示している。しかし、海綿動物は他の動物とは体制が大きく異なり、多細胞動物が進化した直後の時代に他の後生動物(真正後生動物)と分かれたと考えられる。では我々に直接つながる、遠い祖先の最初の真正後生動物はどのように誕生したのだろうか。

 多細胞生物は、同じ形の細胞の集合体から体細胞と生殖細胞への細胞の分化によって誕生するわけだが、最初の立体化した多細胞生物は、恐らくボルボックスと同じ様に中空の球型をしていたものと思われる。それは、まだ体細胞の分化が進んでいない多細胞生物では、個々の細胞が周囲の海水と直接物質代謝を行い、酸素を取り込まなければならないからである。この原始的な多細胞動物は、次に海底に降り積もった豊富な有機物を利用する為に海底へ降り立ち、球型の体を平らに押しつぶして小型のホットケーキ状の形となり、海底を這う様に移動して有機物を摂取する様になった (4-12)。こうなるとホットケーキの脊と腹で細胞の機能分化が起こり、厚い腹部の細胞層は匍匐による移動と食物の収集を、薄い背面の細胞層は体の保護と浮遊を担当し、それぞれ種類の違う細胞で構成される様になる。そして、この多細胞動物はホットケーキの中央部分を持ち上げ、そこに出来た空間に消化酵素を放出して、食物の消化を行う消化腔として使い始めたのである。こうして外胚葉と内胚葉の分化が起り、二胚葉動物が誕生した。二胚葉というのはボディープランが外胚葉と内胚葉の2層に分かれている事で、外胚葉は祖先動物の背面の細胞層に由来し最終的には動物の皮膚や神経系となり、腹部の細胞層に由来する内胚葉は消化管の粘膜へと発達する。これまで知られている古代の動物のほとんどが、この二胚葉動物なのである。実は、ここで述べた二胚葉動物の祖先に良く似た生物が現在も生存している。それは海綿動物と共に側生動物を構成する、板状動物門という小さな門の一員で、二胚葉動物に分類されているセンモウヒラムシである。

  こうして誕生した二胚葉動物は、センモウヒラムシの特徴である中央部を持ち上げて消化の為の空間を作るという方法を一層推し進めて、二重壁の壺の様な形となり、常時分化した消化腔を持つ様に進化して行った。そして、この壺の口の周りに食物を捕える為の触手を持つ様になって誕生したのが、小さな原始的なクラゲであり、ヒドラ・イソギンチャクなどの腔腸動物の祖先である。腔腸動物の体は、総て消化腔を中心とした放射相称になっており、消化腔と外界との間の唯一の開口部である壺の口の部分は口と肛門の両方を兼ねている。この腔腸動物が生み出した単純な消化腔である腔腸は、消化の効率に革命をもたらす事になる。彼等は、触手を使って捕えた獲物を生きたまま腔腸に押し込み、まるごと消化してしまう。食物は腔腸内で次第に小片に分解され、一部は完全に消化されてアミノ酸や糖などの低分子となる。このように腔腸内で行われる消化を、原生生物の行う細胞内消化に対して細胞外消化と呼んでいる。腔腸内の内胚葉上皮が行う細胞外消化は、大量の栄養処理を可能にし、栄養摂取の効率を飛躍的に高める事になった。腔腸は原生生物の食胞に相当する器官だが、多数の細胞が集まって規模を大きくする事で、個々の細胞の何万倍もの食物を一度に処理できる様になったのである。そしてこの事が、一部の細胞に他の細胞を養う余裕を生み出す事になり、これがその後の進化に於ける体細胞の様々な分化を可能にして行くのである。(4-19) (4-20)

  実際、腔腸動物は多数の分化した体細胞から構成されており、これらの細胞が協力して統一的な行動を引き起こす。ポリプは、触手を動かして獲物を捕え、刺細胞の毒で麻痺させ、口や口柄を使って腔腸の中へ押し込む。腔腸の中では、腺細胞が消化液を分泌して食物を小片に分解し、消化筋細胞がこれを食胞内に取込んで完全に消化する。そして、消化されない部分は再び口から吐き出されるという具合である。また表皮の根元には、プロトニューロンと呼ばれる原始的な伝導性の細胞が作る網目状の神経系があり、体の様々な部分からの刺激を他の部分の細胞に伝えている。これは生物界に初めて出現した神経系で、触角・口・口柄・腔腸・傘など諸器官の細胞が互いに連携してその筋繊維を収縮させ、捕食や遊泳などの機能が果たせる様に全体を統合している。また腔腸動物は、体の隅々にまで栄養と酸素を供給する為の移送系も進化させた。例えば、近海で普通に見られるミズクラゲでは、食物や酸素を含んだ海水が口から腔腸(胃腔)に入ると消化酵素によって消化され、次に栄養分は胃から出て放射状に走る管系により体の各部に送られ、周辺の細胞に吸収される。そして未消化の残渣・代謝老廃物・二酸化炭素は、再び口の方に戻して体外に排出する。これは胃水管系と呼ばれる消化器官と循環器官を兼ねたごく原始的な仕組みで、その後の進化の中で消化器官と循環器官に分化して行く事になる。また腔腸の発明による消化革命は、腔腸動物の大きな特徴である多様性をも生みだす事になった。腔腸動物は、成体の形がポリプ型とクラゲ型の2種類あるというだけではなく、増殖法や生殖細胞の作り方、個体発生の様式など、様々な面で多様性を発揮している。これは飛躍的な発展の可能性を手にした彼等の、様々な試行錯誤の跡と見る事ができよう。

 

(注)真核生物が古細菌から分かれたのは約24億年前だが、11億年前には植物、つづいて菌類と動物が分岐する。最初の多細胞動物と考えられる海綿動物が真正後生動物と分かれるのは10〜9億年前。その後、腔腸動物を分岐した後、6〜7億年前には三胚葉動物のいっせい分岐が始まり、カンブリア爆発へとつながって行くのである。

 

 

 上皮構造の進化

 

  ところで、二胚葉動物が進化して来る為には、多細胞生物の進化にとって重要な細胞間の構造が生み出される必要があった。それが上皮構造である。その重要性は、海綿動物と腔腸動物を比較すると良く分かる。海綿動物は、壺状の主として海中でものに付着して生活する多細胞生物で、その外見は触手が無い点を除けば腔腸動物に良く似ている。しかし、体の組織は筋神経系まで発達させた腔腸動物とは大きく異なり、細胞の組織化の程度が低く、真に多細胞的な体制というよりは独立した細胞の集合体といった傾向が強い。例えば、食物の摂取と消化は、もっぱら襟細胞と呼ばれる鞭毛を持った細胞の食胞の活動、つまり個々の細胞レベルでの機能に負っている。また細胞同士の接着機構の発達が悪く、軽くしぼった程度でバラバラの細胞に解離してしまう。反対に、分離した細胞を自己集合させて海綿を再生する事も可能である。そして海綿動物の間では、別の個体同士が成長により広がり接触すると、そこで癒合して1つの個体の様になってしまう場合が良くあると言う。この現象も、細胞間の接着の弱さから来る、個体性の曖昧さに基づくと考えられる。その他、壺の口の部分(大孔)は排出専用であり、真の口は体壁にある無数の小孔である事。また、発生の過程で内外の両細胞層の逆転が起こる事など、腔腸動物以上の総ての多細胞動物(真正後生動物)とは著しく異なっている。この為、後生動物亜界の中に側生動物を設けてそこに分類している。このように、一見よく似た体を持つ海綿動物と腔腸動物が大きく異なるのは、腔腸動物が進化させた上皮構造によっている。

  腔腸動物の体を見ると、機能的に分化した約10種類の細胞が、互いにしっかりとシート状に結合しているのが分かる。これが上皮で、単層状に並んだ上皮細胞はその外側表面よりの位置でセプテート結合により互いに結び付つけられ、さらに細胞の底部は基底層と呼ばれるコラーゲンなどでできた細胞外マトリックスの薄くて丈夫な層に結合し、上皮を内側から裏打ちする事で機械的強度を生み出している。総ての無脊椎動物に見られる細胞間の結合のセプテート結合は、細胞の上部を鉢巻のように取り巻き、隣接する細胞を密着させている為、上皮を表面から眺めると細胞がパッチワーク状につながって多角形の石を敷き詰めた石畳の様になっている。こうして細胞が隙間なく結合して出来た上皮は、蔗糖(ブドウ糖と果糖が結合した二糖類)の様な低分子でも上皮細胞の隙間を通って漏れ出る事はできない。このため上皮で囲まれた空間は、外界とは異なる分子組成を維持する事が可能になった。「上皮はあたかも1枚の巨大な原形質膜の様に、体の内と外を仕切って生体の内部環境を作り出す」(4-20)。つまり、多細胞動物は上皮を獲得する事によって初めて、細胞の外の空間を体の内部空間として利用する事が可能になったのである。体の大部分が上皮でできた腔腸動物が、壺状の形をしてその内部空間(腔腸)に食物を閉じ込め、その中に消化液を分泌する事で細胞外消化ができる様になったのも、この上皮が進化したお陰だったのである。

 

(注)セプテート結合やコラーゲンは、海綿動物でも見られると言う。しかし真正後生動物になると、さらにギャップ結合と呼ばれる構造も新たに生じ、これによって2個の細胞を貫通する小孔が形成され、この狭い通路(直径1.5nm)を通って物質や電気的信号がやり取りされ、隣接細胞が協調して挙動する事が可能になった。また、動物の上皮に見られる細胞間結合としてはこれ以外に、隣接する細胞のアクチンフィラメントの束をつなぐ接着結合、隣接細胞の中間径フィラメントをつなぐデスモソーム結合、細胞内の中間径フィラメントを基底層につなぎ止めるヘミデスモソームなどが有る。

 

  上皮はこの他にも、多細胞動物の2つの新しい機能に存立基盤を提供する事になった。それは筋運動とそれを支配する神経系の出現である。腔腸動物の上皮細胞は、その基部(細胞内の基底層側)にアクトミオシンの微小繊維束を持ち、上皮細胞間の結合能力を利用して、この繊維束を細胞間で縦列につなぎ合わせて細長い収縮性の繊維(筋肉)を作り、外胚葉では体長に沿って、内胚葉ではこれと直角に配列している。ヒドラはこの筋肉を利用して触手を自由に動かし、大きな獲物を口から腔腸へ押し込むのである。また、このように筋肉を自由に動かす為には、個々の筋肉を統御する神経系が不可欠となる。「筋・神経系は、上皮の出現により腔腸動物に於いて初めて可能となった機能」(4-19) なのである。こうして誕生する事になった腔腸動物の網目状の神経系は、体の諸器官の動きを統合し、捕食や遊泳といった高度な機能を可能にした。この神経系による情報伝達システムは、他に類例のない真正後生動物の目立った特徴の1つである。

 

 

 三胚葉動物の進化

 

  最初の二胚葉動物であったホットケーキ状の放射相称の生物は、一方で海底での固着生活に適応した腔腸動物を生み出し、その中からやがてクラゲ型を発達させて海中で浮遊生活をするものも出現した。他方、本来の海底生活に留まり、有機物の豊富な海底の表面を這い回り、あるいはその中を掘り進んで食物を収集する生活形態に適応したものの中から、左右相称の動物が進化して来る事になる。それに合わせて、体の形もそれまでの放射相称の輪の様なものから、細長い形へと変化して行く。そして、左右相称の体制の出現と恐らく同時期に、中胚葉という3つ目の細胞層が祖先の二胚葉動物の腹部の細胞層、つまり内胚葉から発生し、内・外・中胚葉の3層からなるボディープランを持つ三胚葉動物が登場する。これによって内胚葉と外胚葉の間に、中胚葉性の間充織細胞の詰まった空間(間充織体腔、原体腔)、つまり体腔と呼ばれる三次元化した内部空間を持つ生物が誕生する事になる。そしてこの体腔の出現によって、その中に様々な内臓諸器官が独立し、発達して行く事が可能となったのである。

  扁形動物は三胚葉動物の中でも原始的な仲間だが、腔腸動物と最も違っているのは、前後に長く背腹に偏平な体の中に様々な器官が左右対称に配置されている点である。三胚葉動物の登場によって間充織体腔が完成すると、その中に筋肉と神経が独立する様になった。腔腸動物では上皮細胞の細胞内器官に過ぎなかった筋肉(筋繊維束)が、扁形動物では独立の細胞として体腔内に入って筋組織を形成し、また偏平な網目でしかなかった神経系は、体腔内で束になって梯子型のネットワークを形成する。このような腹側の梯子型の集中神経系は、その後すべての前口動物に受け継がれて行く事になる。また淡水産の種では、体腔内の浸透圧を調節する為の排出器官も発達して来る。この器官は、繊毛を備えた細胞(炎細胞)が漉しとった水やアンモニアなどの老廃物を、体の左右を体長に沿って走る枝分かれした管の中に集め、体表の小孔から体外へ排出するのである。このような管系で先端の閉じたものが原腎管で、間充織体腔を持つ動物に共通して見られる。生殖器官も間充織体腔内に作られる代表的な器官である。腔腸動物では、卵子や精子は2枚の上皮を押し分けてその間に割り込む様に形成され、完成後は体壁を破って外に出ていた。それが扁形動物では、配偶子は定められた場所(卵巣・精巣)で作られ、専用の通路(輸卵管・輸精管)を通って体外に放出される様になったのである。

  このように様々な機能を体腔内の独立した器官として組織化する事は、体の機能を飛躍的に増大させる事になった。例えば筋肉。腔腸動物では筋収縮機能は上皮細胞の機能の一部として存在したに過ぎず、彼等はこれによって体を縮めて外敵から身を守り、触手を使って獲物を捕え口に運ぶ事ができた。固着生活をして、通りかかる餌を待つという生活形態の腔腸動物にとっては、それで充分であったろう。これに対して三胚葉動物になると、収縮機能に専門化した筋細胞を体腔内に独立させ、収縮力が増大しただけでなく、筋細胞を必要な場所に必要なだけ配置できる様になった。これによって三胚葉動物は海底を自由に移動し、活発に餌を探し回る事ができる様になったのである。こうして海底の表面を活発に這いまわり始めた動物は、次第に体の前方に感覚器と神経系を集中させ、左右相称の体を作り上げて行った。結局、海底や地中を這いまわる生活形態が、左右相称の体と内臓諸器官を分化させる体腔を持つ、三胚葉動物を生み出したという事ができよう。これ以後、出現する総ての動物がこのボディープランを採用し、現在、動物界の大半の種がこれに含まれるのである。

  10億年前以降の地層からは、ミミズの様な生物の這い跡の化石が見られる。6億年前のエディアカラでも、薄いシート状の生物化石と共にこうした生痕化石が多く残っていた。これは生まれたばかりの、左右相称の三胚葉動物が残したものと考えられる。そして古生代のカンブリア紀に入ると、これらの三胚葉動物が大適応放散を開始する。それがカンブリア大爆発であった。

 

 

 前口動物と後口動物

 

  腔腸動物を切り離した進化の主流は、海底を這いまわるのに適した左右相称の体制を模索する事になるのだが、その出発点で体作りの起点を前に置くか後ろに置くかを巡って、2大グループに分かれる事になる。体が放射相称から左右相称になり体形も細長い形に変化すると、消化腔も長く伸びて管となり、最初は片方しか開いていなかった口が後には両端が開いて口と肛門に分化する。こうして、食物の一定方向の輸送と段階的な消化が可能となったのである。またこのような変化と共に、体の前方に口と感覚器官を持つ頭部が出現し、口の周辺には神経細胞が集まり始めて脳の前兆の様なものが出来て来る。つまり左右相称の三胚葉動物は、口と肛門を分化させる事によって体の前後方向を決め、遂には脳まで生み出す事になったのである。この口と肛門の成立過程は、次の様に考える事ができる。普通、受精卵には1本の卵軸が備わっている。このため受精卵の分裂によって生じる胞胚は、この軸を中心とした放射相称形であり、串刺しにした球を考えれば良い。この球を軸に沿って一方から強く押し込み、壺状にしたのが腔腸動物の体である。この壺をさらに底に穴が開くまで押し込み、少し偏平にすれば左右相称の体制が出来上がる。こうして、球を貫いて通した管のどちらの端を口にし肛門にするかで、三胚葉動物は2つのグループに分かれる事になった。つまり、初めに口を作り後から肛門を開ける方法を選んだのが前口(旧口)動物で、この逆を採用したのが後口(新口)動物なのである。後口動物は半索動物・棘皮動物・脊索動物の3グループからなり、前口動物には環形動物・軟体動物・触手動物などと、節足動物や線虫類など脱皮を行う動物のグループが含まれる。

 

(注)ほとんどの動物で脳は消化管の入り口近くにあり、脊椎動物では口の直ぐ上、節足動物と軟体動物では食道を取り囲んでいる。また、口は食物と有害物を識別しなければならない点などを考えると、脳は消化管での食物の摂取をコントロールする必要から進化した可能性が高い。実際、脳と消化管の双方で発現し、その発達を制御する遺伝子が幾つか見つかっている。

 

  これは単に口と肛門のできる順序だけの問題ではなく、この両者では発生様式が大きく異なっている。まず受精卵の分裂(卵割)の様式が、前口動物ではらせん卵割という独特の不等分割で行われる。この卵割では分裂の際、紡錘が卵の主軸に対して平行ではなく規則的に傾斜する為、卵極から見ると紡錘の方向が卵の主軸を中心に渦巻の様に見えるのである。他方、後口動物の放射卵割では分裂面が卵軸を基準にして作られ、初期の縦の卵割では経割面が卵軸を通り、横の卵割(緯割面)は総て卵軸と垂直の位置をとる。そして、割球は卵軸に対して放射状に配列するのである。これ以外にも、前口動物と後口動物の発生様式の違いは様々な点に現れ、原腸の形成方法・体腔の成り立ち・幼生の型・神経系・体の支持機構などにまで及んでいる。前口動物は腹側に梯子型の神経系を持ち、クチクラの外骨格を発達させたのに対し、後口動物では脊側に集中型の神経系を作り、脊索や脊椎の内骨格を進化させた。そして両者はそれぞれ独自の進化をとげ、前口動物からは節足動物の昆虫類が生まれ、後口動物からは我々脊椎動物が進化して、今日の世界を2分する多細胞動物となっているのである。

  個体発生の過程は卵割の違いを基本として、進化の中でらせん法と放射法の2つの様式にまとめられて行くわけだが、海綿動物や腔腸動物の段階に於いてもこの2つの大きな流れが既に存在していた。それは内部まで細胞の詰まった中実の胚(中実胞胚:発生過程で一度も上皮を経験しない細胞が存在する)を作るか、あるいは中が中空の胚(中空胞胚:総ての細胞がまず上皮を経験する)を作るかの違いである。この内、中実の傾向を定式化したのがらせん法であり、中空の傾向を定式化したものが放射法であった。

 

 

 間充織体腔と上皮性体腔

 

  三胚葉動物は、その体腔の違いから分類される事がある。扁形動物のように、中胚葉性の間充織細胞と細胞外マトリックスの詰まった体腔を原体腔(間充織体腔)と呼び、我々脊椎動物に見られる様な、中胚葉性の薄い上皮で裏打ちされ体液で満たされた体腔を、真体腔(上皮性体腔)と呼んで区別しているのである。原体腔類は、さらに無体腔類と偽体腔類に分けられる。偽体腔類というのは、体表に硬いクチクラの層を分泌して外骨格とし、これを支えに間充織体腔の中に、体液だけで満たされた大きな隙間(偽体腔)を作った仲間である。無体腔類の扁形動物や紐形動物の体表は繊毛上皮で覆われ柔らかいが、同じ無体腔類でも触手を使ってプランクトンを捕まえる内肛動物では、体表の一部にクチクラを発達させて体の内部構造をこれに固定している。偽体腔類は、このクチクラを体表の全面に発達させて体の支持構造としたのである。間充織細胞を詰め込んで体を膨らませておく代わりに、硬い殻に体壁の様々な構造をくくりつけ、内部に体液だけを入れた空間を作れば、消化管や生殖器官などが体全体の動きから解放されて自由に運動出来る様になる。偽体腔類の発明したこの方法は、結局は大部分の前口動物の踏襲する所となり、やがて節足動物の外骨格として花開く事になるのである。ただ、偽体腔は間充織にできた隙間に過ぎず、無構造な空間であった。この空間を中胚葉性の上皮で囲み、きちんとした構造の真体腔に作り上げた前口動物の仲間が、節足動物・軟体動物・環形動物などが含まれる端細胞幹である。この仲間では中胚葉が、原腸の左右の体内に生じた端細胞からできる。

 

(注) rRNAの配列に基づく分子系統樹によると、前口動物の仲間は体腔とは関係なく、脱皮するかどうかによって2つのグループに大きく分けられると言う。つまり、節足動物・有爪動物・線形動物・動吻動物・鰓曳動物などの脱皮動物(エクジソゾア)と、脱皮しない軟体動物・扁形動物・紐形動物・環形動物・腕足動物などのロフォトロコ動物(ロフォトロコゾア)である。

 

4-13  動物門の分類

 

テキスト ボックス: 新 口 動 物                                     脊椎動物(魚・哺乳類・鳥)

                                     頭索動物(ナメクジウオ)

テキスト ボックス: 三 胚 葉 左 右 相 称 動 物                                     尾索動物(ホヤ)

                                     半索動物(ギボシムシ)

                                     棘皮動物(ウニ・ヒトデ)

テキスト ボックス: 脱皮動物テキスト ボックス: 冠輪動物                                     節足動物(昆虫・甲殻類)

テキスト ボックス: 後 口 動 物                                     有爪動物

                                     線形動物

                                     鰓曳動物

                                     環形動物(ヒル・多毛類)

                                     軟体動物(頭足類・腹足類)

                                     扁形動物

触手冠動物(腕足類・ホキムシ)

テキスト ボックス: 二胚葉                                     刺胞動物(クラゲ・サンゴ)

                                     海綿動物

                                                        立襟鞭毛虫

 

  このように前口動物では、原体腔にはじまり、真体腔が後に進化して来る形となっている。その上、我々高等動物は総て真体腔類である。しかし、だからと言って真体腔は原体腔から進化して来たと、簡単に言う事はできない。というのは、それが言えるのは前口動物の場合だけで、後口動物は初めから真体腔を持っていたからである。しかも前口動物では、せっかく進化させた真体腔も小さいままで、充分に発達させる事はなかった。前口動物の中で最も進化した仲間が節足動物であるが、彼等の主な体腔は間充織体腔であり、上皮性体腔の方は尿を排出する為の補助的な器官に矮小化してしまっている。そして陸に上がった昆虫類では、これも起源の違う排出器官(マルピーギ管)に取って代わられ、上皮性体腔は個体発生の一時期にちらっと姿を見せるだけで消えてしまう。結局、外骨格の発達によって上皮性体腔の存在意義がなくなってしまったのである。

  上皮性体腔と間充織体腔は、進化段階の違いというより、前口動物と後口動物との発生様式の違いを反映したものと考えた方が良いだろう。実は、同じ上皮性体腔と言っても、前口動物と後口動物では、その発生の仕方が全く異なっているのである。前口動物の上皮性体腔は、中胚葉細胞が間充織細胞の集団を作り、その中央にできた亀裂を次第に拡大させながら、周囲の細胞を上皮化してこれを取り囲むという方法で作られる(裂体腔型)。それに対し後口動物では、原腸から直接間充織細胞と上皮性体腔の原基を切り離すという方法で行われる。つまり後期原腸胚期に原腸の先が左右にふくれ、やがてそのふくれた部分がちぎれて、一対の上皮性体腔の原基が出来上がるのである。従って後口動物では、上皮性体腔が間充織体制をとばして作られるという形になっている。このような体腔形成法を腸体腔型と呼んでいる。

  では、裂体腔型と腸体腔型との違いはどこから来るのだろうか。実はこれは、らせん法と放射法という発生様式の違いに基づいている。らせん卵割と放射卵割の目立った相違点として、卵割の結果できる胞胚の形と、それに続く原腸形成の様式の違いがあった。放射型の卵割によって生じる胞胚は、中が空の中空胞胚であり、この段階で総ての細胞が上皮化される。ここで、それまで互いに接していただけの細胞間にセプテート結合が形成され、基底層も分泌されて胚は1枚の上皮として組織化されるのである。これによって卵割腔は、外界との自由な物質のやり取りを絶たれて胞胚腔として完成する。この中空胞胚からの原腸形成は、植物極(卵黄に富む極)付近の上皮が胞胚内に陥入するという、典型的な上皮的行動によって行われる。そして、中空胞胚からの上皮性体腔の形成も、当然の事として原腸から内胚葉の上皮がくびり取られるという形で起こるのである。これに対してらせん卵割では中空の胞胚は形成されず、一般的な原腸形成は、不等分割で作られた動物極側に小さな細胞(割球)が盛んに分裂を繰り返してシート状に薄く広がり、やがて植物極側の大きな割球をすっぽり包んでしまうという方法で行われ、放射卵割の陥入法に対して覆いかぶせ法と呼んでいる。結局、らせん卵割では、胞胚期の上皮形成は動物極側の細胞だけで行われ、覆いかぶせが終了して初めて上皮が完成する。この覆いかぶせ法の結果、らせん卵割で形成される胞胚は内部まで細胞の詰まった中実胞胚となり、その中には発生過程で一度も上皮を経験する事のない細胞が存在する事になる。そして、この中実胞胚の内部空間内に、消化管を作る内胚葉と間充織細胞になる中胚葉の細胞が分化して来る。こうして完成した体内空間には、既に間充織細胞と細胞外マトリックスが存在しており、胚は一挙に間充織体腔を完成させる事になるのである。従って、中実胞胚を経過するらせん法では、上皮性体腔を作る為には既にある間充織に裂け目を作り、それを拡大するという裂体腔型を採らざるを得ないのである。このように間充織体腔と上皮性体腔は、進化の段階が異なるというより、発生様式の違いを反映したものという側面が強い。そして上皮性体腔は、後口動物の進化の中で真の発展を見せる事になるのである。

  上皮性体腔の特徴は、容易に動物の体積を増大させる事ができる点にある。「動物は、上皮性体腔の薄い体腔上皮を支出するだけで、膨大な体積を手に入れる事ができる」(4-19)。我々脊椎動物が、巨大な体を獲得する事が可能になったのは、この上皮性体腔のお陰だったのである。また上皮性体腔は、内臓諸器官を思いのままに造形したり活用する為の自由な空間を提供する事になった。例えば、生殖巣はこの空間を利用して繁殖期にだけ膨大な体積に膨らむ事ができ、消化管の蠕動運動も上皮性体腔の存在なくしては有り得ない。心臓も体腔の中に吊るされる事によって、収縮のたびに周囲の器官を引きずる事なく、独自の拍動を続ける事ができるわけである。内臓諸器官は、この上皮性体腔の自由な空間を得て、それぞれの役割に適した位置・形態・大きさを採り、その機能をさらに複雑化・高度化させる事が可能になったのである。このように、後口動物では上皮性体腔が大いに発達を遂げるわけだが、同様に上皮性体腔を進化させた前口動物では、その後ほとんど発展する事なく却って進化と共に縮小して行く事になった。外骨格を発達させ、体を大きくするのではなく小さいままで繁栄しようとした彼等にとって、上皮性体腔はあまり必要ではなかったのである。これは内骨格の脊椎動物が、上皮性体腔を発達させて大型化して行ったのと好対照をなしている。外骨格は、一方では前口動物の前に大きな可能性を開きはしたが、他方では体のサイズに制約を加える事で、上皮性体腔の発展の道を閉ざしてしまう事になったのである。ともかく、三胚葉動物はその発生様式を巡って2つのグループに分かれ、内骨格と外骨格という異質な体制を進化させ、それぞれ独自に体腔と内臓諸器官を発達させて来たわけである。そして、前者を代表する脊椎動物と、後者を代表する節足動物とで、この地上を2分する繁栄を築き上げる事になるのである。

 

 

進化の方向性と地球環境の悪化

 太古代・原生代の地球の進化

 

 地球は46億年前、微惑星に集積によりどろどろに溶けた惑星をして誕生したわけであるが、以後、その内部温度の低下と共に段階的に進化を遂げて行く事になる。つまり、地球の進化史とは熱的冷却史であって、地球内部の熱エネルギーの減少による冷却がその進化を支配して来たのである。

 地球誕生後の最初の大きな変化は、40億年前頃の海の誕生とプレートテクトニクスの開始、そしてほぼ同時期に起こったと思われる生命誕生である。現在、我々が知る最古の岩石はこの時期のもので、これを境にマグマの海の広がった冥王代と海洋と島弧状地殻の出現した太古代に分けられる。

 次に大きな変化が起こったのは、地球史のほぼ中間に位置する、25億年前の太古代と原生代の境界の頃である。この時期を境に、地球の大気・海洋環境およびそのシステムは質的な変化をとげ、これまで見て来た様な大陸の合体・分裂といったテクトニクスが、地球の進化を支配する段階に入るのである。例えば、この頃を境に花崗岩類の組成に顕著な差が見られるが、これはマグマの生成様式が大きく変わった為と思われる。そして、大気と海洋の化学組成も大きく変化した。また、この境界前後で大量の縞状鉄鉱層が堆積し、分子状酸素の存在を示す赤色堆積岩も20億年前以降よく見られる様になる。超大陸が形成される様になるのもこの時期以降の事だし、真核生物の出現もこの頃の事だと考えられている。そして、生命の最初の爆発とも言うべき、シアノバクテリアの大繁殖が起こったのもこの時代である。

 

(注) 太古代の地殻はトーナル岩〜花崗閃緑岩が多いのに対し、原生代にはKOに富む花崗岩が多くなっている。また、太古代のグリーンストーン帯の火山岩類はコマチアイトを含むが、原生代以後ではコマチアイトはほとんど見られないと言う。

 

 では、太古代と原生代の境界で何が起こったのだろうか。この地球進化の新段階を規定したのは、大陸の形成にあったように思われる。実は、地球史の前半の地層はほとんどが枕状溶岩・火山性岩・縞状鉄鉱層・チャート・珪質頁岩などで、厚い砕屑性の堆積岩はほとんど見られず、まとまった陸地の存在しない言わば水惑星の時代だったのである。そして、36億年前頃に最初の火山列島が誕生して小規模の花崗岩の陸地ができ、30億年前に最古の大陸である第一次ウル大陸が出現する。以後、3025億年前にかけて陸地が急成長し、8個の小大陸が形成されたと言う。この時期に現在の大陸地殻の約50%が生成されたのである。こうした大陸地殻の形成は、海や大気の組成に大きな影響を及ぼす事になる。海面上に顔を出した大陸は、海に風化・浸食による大陸地殻を供給する事になり、そこに含まれる陽イオンと海水中の二酸化炭素が結合し炭酸塩となり沈殿・除去されて、大気中の二酸化炭素濃度が急速に下がって行ったのである。この二酸化炭素濃度の減少は地球大気の進化が示す最も重要な特徴で、中生代に一時的に上昇するといった事はあったが、地球の進化を通じてほぼ一貫して減少して来たのである。

 

(注) 大気中の二酸化炭素分圧は、約5億年前の古生代前半と約2〜1億年前の中生代に高く、約3億年前の古生代後半と新生代に低くなっている。中生代に高かったのは、マントル・プルームの活動が活発で二酸化炭素の供給が増大した為である。一方、3億年前の石炭紀には、二酸化炭素濃度が急減すると同時に酸素濃度が急上昇している。これは当時、陸上で大繁栄を始めていた維菅束植物の作るリグニンやフミン誘導体がバクテリアの分解に強く、低湿地や浅海域に堆積して石炭となり大量の炭素が固定された為と考えられる。この石炭紀の高い酸素濃度は、巨大なトンボやヤスデなど節足動物の巨大化を生み出したとも言われる。また、上記の二酸化炭素濃度の低い時は、それぞれ氷河時代に当たっている。(3-20)

 

 また大陸物質の海洋への供給には、もう一つ重要な役割があった。それは、生物の生育に無くてはならない栄養塩の供給源となった事である。特にリン酸塩は生物にとって不可欠のものだが、太古代の海洋中には乏しかった。それは、陸地が少なく陸からの供給がなかった事に加えて、活発な熱水活動により噴出される金属元素の硫化物の粒子が、リン酸塩を吸着し除去する働きをしたからである。そして太古代末に大陸面積が増加し、陸地の風化・浸食によるリン酸塩を始めとする栄養塩が豊富に供給される様になる中で、地球始まって以来の生命の爆発とも言うべきシアノバクテリアの大繁殖が起こるのである。有機炭素と炭酸塩の同位体比から、35億年前頃には光合成が始まっていたと言われる。初期の地球を覆っていた、オレンジ色の厚い二酸化炭素の雲の間から漏れる太陽光を利用して、光合成を行っていたのであろう。そして太古代末には二酸化炭素濃度が減少し、その温室効果も低下して激しかった大気活動も穏やかなものに変わり、充分な栄養分と太陽光の下でシアノバクテリアの大繁栄が始まったのである。当時の繁栄の跡は、2725億年前に堆積したピルバラ地帯のハマスレー層群の厚い黒色頁岩に残っている。場所によっては50m以上にもなると言う厚さは、顕生代でも珍しいほどと言う。これは大繁殖した浮遊性シアノバクテリアが、酸素の希薄な嫌気性の海底に堆積して形成されたものであった。

 このシアノバクテリアの放出する酸素によって、25億年前頃を境に大気中の二酸化炭素濃度が減少、酸素濃度は増加して大気組成は大きく変わって行く事になる。その証拠が、太古代から現在初めにかけて見られる、縞状鉄鉱層の大規模な堆積と赤色堆積岩の出現である。縞状鉄鉱層は、海水中の二価の鉄イオン(Fe2+)が酸化されて酸化鉄となって沈殿し、シリカに富む層と縞状に互層して堆積したもので、酸素をほとんど含まず大量の鉄を溶解していた太古代の還元的な海洋が酸化的環境に変化した事を示している。この縞状鉄鉱層の堆積は、2520億年前がピークで、19億年前以降はほとんど認められないと言う。縞状鉄鉱層の成分は、海嶺の熱水プルームの成分と良く似ており、鉄はここから供給されていたと思われる。19億年前以降の堆積がないのは、海嶺での熱水活動の低下を意味しているのかも知れない。こうしてシアノバクテリアの放出した酸素によって鉄イオンが消費し尽くされると、海洋そして大気へと酸素が拡散し、それまでの嫌気的な地表環境が酸化的環境へと大きく変化して行ったのである。また赤色堆積岩層は、岩石の風化によりもたらされた鉄(水酸化鉄:Fe(OH))が酸化的環境で赤鉄鉱(Fe)に変わり、粘土鉱物のまわりに吸着したもので、大気中の酸素の存在を示している。この赤色堆積岩層は25億年前に出現するが、普通に見られる様になるのは20億年前からで、19億年前以降は縞状鉄鉱床にかわって広範に堆積する様になる。また、これと反対に19億年前以降に見られなくなるのが砕屑性ウラン鉱床や黄鉄鉱で、これらは酸化的環境では融解してしまう為に、それ以前が還元的環境だった事を示している。21億年前には真核生物が出現しているが、これも酸素濃度の上昇がその背景にあったと考えられる。

 

(注)縞状鉄鉱床は19億年以降も原生代後期に再び形成されているが、これらは氷河性堆積物を伴っており、以前のものと形成メカニズムが異なると思われる。スノーボールアース仮説によると、地球表面が凍結し、大気との接触を断たれ貧酸素環境になった海洋に海底熱水から放出された溶存鉄が蓄積、温暖化して氷が融けた時に、大気中の酸素により海水中に溶けていた大量の鉄が一気に酸化され縞状鉄鉱床が形成されたと言う。

(注) 太古代にはシアノバクテリアが安定な分子状窒素を固定していたが、原生代に入り酸素濃度が増えると窒素の酸化が進み、海洋に溶存する硝酸が増加して窒素固定能を持たない真核植物の出現が可能になったと言う。(3-20)

 

 さらに大気中の二酸化炭素濃度の減少には、地球規模での火成活動の衰えも作用していたと思われるが、それは温室効果を低下させる事で気温を下げる働きもした。その端的な表れが氷河時代の出現で、2422億年前には最初の地球規模のヒューロニアン氷河時代が訪れている(最古の氷河堆積物が28億年前にあるとも言う)。そして原生代末の9〜6億年前、古生代末の3億年前、新生代第四紀初めの1651万年前と、この時期以降地球は繰り返し氷河時代に見舞われて行く事になるのである。

 また太古代・原生代境界では、地球内部のマントル対流の様相も大きく変化したと考えられる。この境界を挟んだ27億年前と19億年前の2回に渡って、上部マントルと下部マントル物質が広範に入れ替わるマントル・オーバーターンと呼ばれる現象が起き、以後それまでの上部と下部マントルに分かれた2層対流が、今日の全マントル対流に変化した様なのである。19億年前以前に形成された大陸の下には、テクトスフェアと呼ばれる厚さ400km程の軽いマントルが張り付き、大陸と共に移動し分裂・合体を繰り返している。これは太古代にはマントルの温度が高く、海溝に沈み込んだプレートは直ぐに部分溶融して花崗岩マグマを生じる為に、残りのプレートは軽くなって浮き上がり、大陸の下に張り付いて酸化マグネシウム(MgO)に富んだテクトスフェアを形成したと考えられる。こうして、太古代にはプレートは660km深度まで沈み込む事ができず、マントル内の物質対流は上部と下部マントルとに分かれた2層対流となっていたのである。しかし、両者が長期間にわたって隔離されると、下部マントルが放射性元素の崩壊熱で次第に加熱される一方で、温度が低下し高密度となった上部マントルは一気に重力崩壊を起こし、下部マントルとの間で広範な物質の入れ替えが行われる。これがマントル・オーバーターンである。

 

(注)プレートの花崗岩成分は深さ110kmで相転移を起こし、より密度の高い鉱物に変わってプレートをより深く沈み込ませる錘の役を果たしている。したがって、110kmより浅い所でプレート表層の玄武岩が部分溶融して花崗岩マグマを放出してしまうと、プレートはマントル深部に沈み込む事ができなくなり、途中で浮き上がってしまう。これが大陸地殻底部に張り付いたテクトスフェアで、大陸の「浮き」の役目をはたしている。(2-40) (2-42)

 

 また、27億年前のマントル・オーバーターンでは、それに合わせて地磁気の強度の急増も起こっている。これは、この時発生したコールド・プルームが核表面の温度を急激に低下させ、安定密度成層をなしていた核内部の対流運動を活発にさせた為と考えられる。

 

(注) 地震波の速度から、核には鉄とニッケルだけではなく、酸素・珪素・硫黄・炭素などの軽元素が少量含まれている事が分かっている。こうした軽元素が鉄・ニッケルに溶け込む量は主に圧力に比例する為、まだ圧力の低かった初期の地球では核に溶け込んだ軽元素の量は少なく、地球の成長と共にその量は増大して行ったはずである。従って、核は中心ほど純粋な鉄・ニッケル合金からなり密度が高く重いという、安定した密度成層をなしていたと考えられる。しかし、こうした安定な核では強い対流運動は起こらず、強力な磁場も形成できないのである。

(注) 地磁気強度の急増については、核の慣性重力波と潮汐の周期が共鳴して振幅が大きくなり、核の安定成層が崩壊したという説もある。

 

 また、この2回のマントル・オーバーターンの時には、大陸地殻が急激に成長したとされる。そして、19億年前には6つの小大陸が衝突合体して、最初の超大陸ヌーナが形成されたと言われる(27億年前の地殻の急成長時にも超大陸ができたとも言うがはっきりしない)。そして、10億年前にはロディニア超大陸、3億年前にはパンゲア超大陸が形成されている。こうした超大陸の形成の背景には、2回のマントル・オーバーターンの後にマントル対流が1層の全マントル対流に変わり、太古代の乱流的なマントル・プルームが安定化し、複数のコールド・プルームが集合して1つの巨大なスーパー・コールド・プルームが形成された事があると思われる。こうして、海洋性島弧・海台など海洋テレーンの付加テクトニクスが支配的だった太古代に変わり、原生代以降は超大陸の形成・分裂を含む大陸の衝突・分裂のテクトニクスが地球表層の分化過程を支配し、その衝突・集合や造山運動に合わせて繰り返し氷河時代が訪れる様になったのである。

 

 

 地球の進化と一体化した生命進化

 

  これまで見て来て分かるのは、地球は誕生時のドロドロに溶けたマグマで覆われた状態から、海の誕生・大陸の形成・大陸の大移動と超大陸の形成・地球規模の火山噴火・氷河期の到来等、様々な大変動に見舞われて来たという事。そして生命進化は、この地球規模の大変動と深く結び付いて起こっているという事である。しかも、それは単に生命が地球環境の大変動から大きな影響を受けて来たというだけではなく、同時に生命自身が地球環境を大きく作り変え、あるいは作り出しても来たのである。

  そのいい例が地球の大気である。今日の地球大気は、窒素78%、酸素が21%も含まれている一方で、二酸化炭素は0.03%しか存在していない。しかしこの大気組成は、化学平衡から考えると極めて異常なものである。大気に21%も含まれる酸素は極めて反応性の高い元素で、放っておくと直に他の元素と反応して酸化物を作り、大気中から除去されてしまうはずである。また現在、大気中には酸素と共にメタンも存在するが、この2種類の気体は太陽光線を受けると反応して、化学的に安定な二酸化炭素と水に変わる。その反応速度からすると、現在大気中に存在するメタンの量を維持する為には、年間少なくとも10億トンのメタンが大気中に放出されなければならず、さらに酸素の補給にはメタンの2倍量の供給が必要であると言う。窒素が気体状態で大量に存在している事も不自然だ。地球環境下では、窒素は化学的に安定な硝酸イオンの形で、海の中に溶けていてしかるべきだからである。このように地球の大気は、化学的に極めて不安定な非平衡状態にある。化学的平衡というのは、特定方向の反応がエネルギー的に起こりやすいといった事がなく、釣り合って化学反応がどの方向にも進行しない状態の事である。化学的平衡状態の大気組成を考えると、その99%は二酸化炭素になってしまうと言う。これは太陽系の他の地球型惑星である火星や金星の大気組成に極めて近く(大きさが地球の半分以下の水星には大気を保持できるだけの重力がない)、これらの惑星では大気は化学的平衡状態にあるのである。これに対して、酸素と窒素を主成分とする化学的非平衡状態の大気は、太陽系の中でも地球だけのもので極めて特殊な現象である。これは生命の存在によって、つまり生命が光合成を行い、二酸化炭素を固定し、日々大量の酸素を大気中に放出して初めて達成された事なのである。

  このように地球の進化と生命進化は、深く関り合いながら一体となって進んで来たのである。地球環境の大変動は新しい環境に適応した新たな生物を生み出し、次にはその生物が地球環境を大きく変えて行くという連鎖が、地球と生物の一体となった進化を推し進めて来たと言えよう。生命は地球の進化と一体となり、地球環境そのものを作り変える事で、自分自身をも生み出して来たとも考えられる。生命の進化は、それだけで自立して存在するものではなく、地球の進化と一体となりそこに含まれる事で初めて可能となったわけである。生命進化、それはむしろ地球全体の進化という大きな流れの中に含まれる、その不可分の構成要素と考えた方が良いだろう。

 

 

 太陽系の進化

 

  このように考えると、進化するのはなにも生物や地球に限った事ではない。地球が含まれる太陽系自身も、誕生して後、一定の方向性を持った進化を経て今日に至っている。そして地球の進化は、太陽系の進化の一部分としてその中に含まれているわけである。太陽系は約46億年前、宇宙に漂っていた濃密で冷たいガスとチリの巨大な雲(星間分子雲)が、重力によって収縮する事で誕生した。この重力収縮によって、中心部の圧力と温度が上昇し約1000万度に達した時、水素の核融合反応が始まり太陽が生まれたのである。そして、太陽の周りを回転しながら収縮して円盤状になったガス雲は、次々と円盤からリングを分離し、それぞれのリングが凝縮して惑星を形作る。こうして地球は太陽系の進化の過程で誕生したのである。生まれたばかりの原始太陽は、現在の太陽に比べて大きさは100倍、明るさは600倍以上もあり、温度は低く赤く輝いていたと考えられる。その後、収縮しながら温度を上げ、一時非常に明るくなった後に激しく収縮、明るさも急激に小さくなって主系列星へと進化して行った。太陽が誕生して約1億年後の事である。そして、太陽が主系列星になってから現在に至る迄の間に、25%も明るさを増して来た事は先に見た通りである。太陽の中心部では水素が核融合反応を起こしてヘリウムに変わり、燃料の水素はどんどん消費され、燃えないヘリウムの芯が徐々に成長して行く。今から50億年後には、太陽の中心部では燃料の水素が欠乏する様になり、ヘリウムの芯は収縮を始める。すると中心部の温度と密度は非常に高くなり、約1億度を超えた所でそれまで燃えなかったヘリウムが核融合を始め、3つのヘリウム原子核から炭素原子核が生成される様になる。こうなると太陽の外層部は熱くなり、ガス圧を上げて膨張を始め、太陽は巨大な赤い星(赤色巨星)へと成長し、この時、地球は膨れあがった太陽の中に飲み込まれてしまうと考えられている。そして、中心部の炭素コアがヘリウムと核融合して酸素が生産される様になると、星は不安定化し外層部を吹き飛ばして、中心に高温・高密度の小さな白色矮星を持つ惑星状星雲となる。この白色矮星はやがてエネルギーを失い、黒色矮星となってその一生を終える。

  質量が太陽の8倍以上ある重い恒星の場合、熱核反応は炭素・酸素を越えて進み、鉄までの重い元素を次々と合成して行く。そして、鉄のコアが形成されると核合成は止まり、最後にはその膨大な重力を支えきれなくなり大爆発を起こして超新星となり、その後に中性子星やブラックホールを残す事になる。この時、鉄より重い元素が合成され、宇宙に撒き散らされると言う。実際、何百年も前に起こった超新星爆発の残骸から、ケイ素・鉄・カルシウムなどの元素が大きな塊を作ってガスの中に浮かんでいるのが観測されている。実は、我々の体を構成している炭素・酸素・窒素・硫黄などの元素は、太陽系ができる前、つまり50億年以上前に起こった超新星爆発や惑星状星雲により宇宙空間に放出された星屑に起源しているのである。どちらにしろ、総ての恒星はある時誕生してから成長を続け、その質量によって決まる発展・進化の過程を経て、最後には死を迎える事になる。これは一貫した方向性を持つ変化であり、不可逆的で必然的な過程なのである。

 

(注) 中性子星:超新星爆発の後に残される中性子でできた星で、質量は太陽の1.5倍ほどだが直径は10km程度と小さく、その密度はほとんど原子核と同じ約10t/cm3で、星自体が1つの巨大な原子核と見る事もできよう。また強い磁場を持って高速回転する中性子星は、南北の磁極方向に強力な電磁波を放出し、磁極と自転軸がずれていると灯台のサーチライトの様に宇宙を周期的(周期:数ミリ秒〜数秒)に照らす事になる。これがパルサーである。そして放射でエネルギーを失った中性子星は徐々に自転速度を落とし、最後には電磁波も止まり我々の視界から消えていく。このパルス周期は1年に1億分の1秒ほど伸びて行くが、これはセシウム原子時計より2桁も精度が高く、パルサーは宇宙一正確な時計となっている。また中性子星には限界質量が存在し、太陽より2〜3倍以上重いと星は自身の重力で潰れ、ブラックホールとなってしまう。

(注)超新星は観測されるスペクトルの違いから、水素スペクトルを含まないT型(SNT)と含むU型(SNU)に分類され、T型は進化の過程で水素の外層を失った近接連星系での爆発に対応する。また爆発機構からは、太陽の7〜8倍の質量をもつ星の炭素爆燃型超新星と、8倍以上の鉄のコアを持つ重い星の重力崩壊型超新星爆発に分けられ、中性子星やブラックホールが生まれるのは後者の爆発からである。(4-34)

(注) 現在、隕石の中から太陽系誕生以前の直径1μm以下という小さなチリ(プレソーラ粒子)が発見されている。これは、50億年以上前に惑星状星雲や超新星爆発によって宇宙に撒き散らされた星の残骸で、様々な元素を含むチリが見つかっている。しかも、これらは少なくとも30以上の恒星に起源し、我々の太陽系を形成した星のかけらは銀河系の様々な場所から集まって来たものだと言う。

 

 

 宇宙の進化

 

  このように総ての恒星がたどる進化の過程も、さらに大きく見ると、銀河系の進化の一部分である事は言うまでもない。さらに銀河系の進化は、宇宙全体の進化に含まれる事も明らかであろう。宇宙というと、いつまでも変わらない永久不変のもの。多くの星が生まれ、その一方で多くの星が死んで行くが、宇宙全体として見るとその様相は変わらないと考えられていた事もあった。しかし現在では、宇宙は激しく活動しダイナミックな変動に晒されている事がわかっている。

 

(注)宇宙には銀河が数千億個も存在するが、これらは激しく動き、衝突・合体を繰り返して来た事が明らかになっている。銀河には渦巻銀河や楕円銀河以外に、アンテナ銀河や車輪銀河など不思議な形をした特異銀河が知られているが、これらは銀河同士の衝突や合体によって生まれたと考えられている。また我々の銀河の直ぐそばには大マゼラン雲と小マゼラン雲という小さな銀河があるが、この2つの銀河と天の川銀河の間には、マゼラニックストリーム(マゼラン雲流)と呼ばれる中性水素原子ガスの帯が伸びてつながっており、過去に幾度かニアミスを起こした事を示している。この2つの銀河は将来、天の川銀河に衝突して吸収される運命にある。また、隣にある渦巻銀河のアンドロメダ銀河の中心部には銀河系のような暗黒星雲や星の形成領域がなく、しかも約5光年はなれて2つの中心核が存在する事が分っているが、これは数十億年前に質量の大きな伴銀河の1つが中心部に落下・合体した結果と考えられている。さらにアンドロメダ銀河自体も時速50100kmで銀河系に近づいており、数十億年後には我々の銀河系と衝突・合体して巨大な楕円銀河が生まれると言う。宇宙の銀河の80%は楕円銀河だが、こうして渦巻銀河が合体してできるらしい。実際、銀河の密集地帯に楕円銀河が多い事が知られている。そして銀河の衝突や接近が起こると、通常の渦巻き銀河における星形成の1001000倍という星の爆発的誕生(スターバースト)が発生して明るく輝く事になる。このような銀河間の重力相互作用の頻度は、平均的な銀河群で100