第4章  地球の進化と生命

 


地球の不可逆的変化と生命進化

 進化の周期性と方向性

 

  生物の進化が、地球環境の周期変動に合わせて、大量絶滅と適応放散を繰返しながら進行して来た事を見た。生命は周期的に進化の加速期と停滞期を経験して来たわけである。しかし、40億年にも及ぶ生命進化の流れを振り返ると、そこには単なる周期変動ではない、方向性を持つ進化があった事が見て取れる。つまり進化の歴史の中には、最初の生命である原核細胞から複雑な細胞内構造を持った真核細胞へ、さらには真核細胞が多数集合し分業化した多細胞生物へという進化、また魚類から両生類・爬虫類そして哺乳類へという進化に見られる、より複雑なもの、より高度なものを生み出して行くという進化の様相がまぎれもなく存在するのである。

  では何故、進化はより優れたもの、より複雑で進歩したものを生み出すという方向性を持っている、あるいは持つ様に見えるのだろうか。これは進化が地球環境の周期的な変動によって引き起こされる、生態系の崩壊を含むその周期変動によって起こるというだけでは説明困難である。確かに生物自身が進化のメカニズムを持ち、進化のたびにその経験を遺伝情報として蓄えて行くならば、絶滅と適応放散を繰り返すだけで、ある程度の方向性を持つ進化をする事も可能かも知れない。しかし、ここにはさらに根本的な原因が存在しているのである。ここまで、地球環境は周期的に同じ様な変動を繰り返している事を見て来た。しかし実はそれだけではなく、地球は46億年前に小惑星の衝突によってどろどろに溶けた惑星として誕生して以来、大きな変化、それも周期的変動だけではない明らかな方向性を持った変化を経験して来ているのである。いうなれば地球自体が進化し、今日に至ったと言う事ができよう。そして生命の進化は、この地球の進化と深く結び付いて進んで来たのであり、その事が生命進化に一定の方向性を与える事になったと考えられるのである。

  この章では、地球がどのような方向性を持つ変化を経験し進化して来たのか、そして生命の進化と地球の進化がどのように絡み合いながら進行して来たのか、生物の初期進化に焦点を当てながら見て行く事にしよう。では、まず地球が長期的な視点から見ると、単なる周期変動だけではなく一定の方向性を持った変化をしている、つまり不可逆的な進化をしている事を示す例をいくつか見ておこう。

 

 

 地球の冷却

 

  地球の誕生以来の一貫した方向性を持つ変化として、まず第一に挙げられるのが地球の冷却である。地球は約46億年前、太陽の赤道面を回る直径10km程度の無数の微惑星が集まって形成されたと考えられている。この時、形成途中の原始地球の表面には微惑星が次々と衝突して大量の運動エネルギーが解放され、その熱によって地球表面はどろどろに溶けていた。つまり、地球は厚さ1000kmを超えるとも言われる、溶けたマグマの海に覆われた高温状態で誕生したのである。そして以後、地球は一貫して冷却して行く事になる。そして、この地球内部に蓄えられた熱の放出と、それによる内部温度の低下がその後の地球の進化史を規定する事になるのである。

 

(注) かって地球は、原始太陽系の塵が集積してできた冷たい地球から始まったとされていた。しかしアポロ計画で採取された月の石から、月の高地は4540億年前の斜長岩〜斜長岩質斑れい岩から成る事が分かり、誕生直後の月は深さ数百kmものマグマの海に覆われていた事が明らかとなった。斜長岩の厚さ60100kmの月地殻は、マグマオーシャンの冷却過程で重い輝石やかんらん岩が沈降、軽い斜長石は浮き上がって形成されたと言う。その結果、月より大きな重力エネルギーを持つ地球や他の惑星も当然、高温状態で誕生したと考えられる様になったのである。

 

  現在、地球が冷えつつあるのかどうかは、地球表面から出て行く熱と内部に蓄積される熱、つまり熱エネルギーの収支を見れば分かる。まず出て行く方では、実は地震や火山現象とは別にもっと大量の熱エネルギーが放出されている。地面を深く掘り進むと、地中の温度は徐々に上昇して行く。地球は内部ほど高温で、その為に地球内部から外に向かって常に熱が流出しているのである。これが地殻熱流量で、地球内部からの熱放出のほとんどを占め、地球全体では約420kW(キロワット)の熱が地表から宇宙空間に流れ出ている。

  一方、地球に入って来る熱で最大のものは太陽エネルギーで、その総量は180kWにもなり地殻熱流量に比べると桁違いに大きい。しかし、大気や海洋そして生物の活動に使われた太陽エネルギーは、最終的には赤外線として宇宙空間に放出されるため、大気を含めた地球の表層では、入って来る太陽エネルギーと出て行く熱エネルギーは平衡状態になっている。太陽エネルギーはほとんど地下には入り込まず、地球内部のエネルギー源とはなっていないのである。この事は、地中の温度が季節変化しない事にも表れている。地表のごく浅い部分を別にすると、井戸の水温が年中ほぼ一定の事からも分かる様に、ある程度より深い地中では温度は季節変化しない。つまり太陽エネルギーは、地球の内部活動にはほとんど影響を与えていないのである (2-41)。現在、地球内部のエネルギー源と考えられるのは、地殻とマントルにごく微量含まれる、ウラン235・ウラン238・トリウム232・カリウム40などの放射性元素の崩壊熱で、その発熱量は約200kWである。つまり、放射性元素の発熱量は地球表面から逃げ出す熱量の半分以下に過ぎず、現在、実際に熱を生んでいる発熱源は放射性元素以外に考えられない事から、地球は年々冷却しているという結論になる。また、10100億年の半減期(放射性元素が崩壊して半分になる時間)と、46億年の地球の年齢から考えると、地球の歴史の初め頃にはもっと多量の放射性元素が存在し、その発熱量もずっと大きかったはずで、太古代初期のマントルは現在より100200℃も高温であったと言う。つまり、地球は熱かった初期の状態から徐々に冷えながら、その熱を使って活動して来たと考えられるわけである。次に、この章と関係のある地球の初期進化について見て行く事にしよう。

 

 

 内核の成長

 

  さて、この地球の冷却に合わせて、地球内部でも一貫した方向性を持つ変化が起こっている。それが内核の成長である。地球の内部は岩石でできた地殻・マントルと、鉄で作られた中心部のコア(核)の2つに大きく分けられ、その構成物質も物性も大きく異なっている。コアは半径 3400 kmで地球半径 6370 kmの半分以上もあり、月の直径の 3500 kmに近い。コアはほとんどが鉄でできているが、これは微惑星の衝突により地球が誕生した当初、そこに含まれていた鉄分が衝突時の熱で融解し、岩石よりも重い鉄が中心部に降下して形成された為である。またこの鉄の落下は、その重力エネルギーの解放によって地球内部をさらに高温にする働きもした。こうして形成されたコアは、さらに内核と外核に分かれる。外核の主成分は鉄で10%ほど軽い物質が混じっているが、高温の為に極めてさらさらした液体となっており、1時間に1m程度のゆっくりした速度で流動している。地球内部の熱源である放射性元素は主に岩石に含まれ、コアにはほとんど存在しない為、エネルギー源として考えられるのは元々熱かったコアの初期の熱という事になる。つまり、高温で誕生したコアが徐々に冷えて行く過程で放出する熱エネルギーが、外核の流体運動を引き起こしているのである。そして、この流体運動が地球の磁場を生み出している。内核は半径1200 km程度の小さな球で、ほとんど純粋の固体の鉄からできている。コアは地球誕生時に鉄が中心部に沈降する事で形成されたわけだが、誕生した当時はコア全体が液体で内核はまだ存在していなかった。固体の鉄でできた内核は、コアが冷却するにつれて液体の中から固体が析出し中心部に沈むという形で、徐々に形成されて来たものなのである。こうして、コアは46億年間に300度ほど冷却した計算になると言う。そして、現在コア全体の約1/23を占める内核は、今後も地球の冷却に合わせて成長を続け、1000億年後にはコア全体が固体になってしまう。

 

 

 地球の自転速度の減少

 

  もう1つ、方向性を持った変化をして来たものに地球の自転がある。現在ほぼ24時間で自転しているが、地球はその誕生以来、今と同じ速度で回転し続けて来たわけではない。地球誕生の初期には、約6時間という非常に短い周期で自転していた事が分かっており、自転速度は46億年の歴史の中で徐々に減速して来たのである。その原因は月の潮汐力で、月は地球の周りをほぼ1ヶ月で回り、潮汐力を及ぼして海水を移動させ、また地球の固体部分をも変形させている。この潮汐力によって海水は月に向かう方向とその反対方向に膨らもうとするが、海水と海底面との間の摩擦によって、月に向いた海面ではなく少し遅れて最も膨らむ事になる。この摩擦が地球の自転を減速させているのである。逆に、その反作用として地球は月の公転運動を加速させ、その結果、月は徐々に地球から遠ざかっている。この自転速度の減速によって、地球の1日の長さは100年で1/1000秒ほど長くなり、月は1年で約2mほど地球から遠ざかる事になる。つまり、地球誕生時には地球の自転はもっと早く、月はもっと地球の近くを回っていたわけである。

 

 

 太陽定数の変化

 

  これは地球自身の変化ではないが、太陽の放射エネルギーも長期的には大きく変化して来た事が知られている。太陽エネルギーは地球が受け取るエネルギーのほとんどを占め、大気や海洋の活動、さらには生物の活動もこの太陽エネルギーが基になっている事は言うまでもない。従って、その変化は生物に大きな影響を与えてきたはずである。太陽の放射エネルギーは、地球に届く単位面積当たりの入射エネルギーで測定され、現在の平方 cm・分当たり1.961 カロリーと言う数値はほとんど不変に維持されており(太陽定数)、その変動幅はせいぜい0.1%までであると言う。ところが太陽系生成論によると、太陽系ができ始めた頃の太陽は現在より約30%も暗く、以後、地質時代の経過と共に徐々に明るさを増して来たと考えられている。そして太陽が主系列に入ってから、太陽定数は42.5億年前の1039 /2から現在の1367 /2に増加し、現在も1億年に約1%の割合で増加していると言う。つまり、42.5億年前には太陽放射エネルギーは現在の76%しかなかったわけで、太陽定数が1%変わると地表の平均気温は1〜2度変化するいう事からすると、24%もの変化は大変な事である。地球の誕生当初、太陽がこのように暗かったとすると、初期の地球は氷河で覆われた氷づけの世界だったという事にもなろう。しかし、初期の地球に氷河が存在しなかった事はほぼ間違いなく、この矛盾を「暗い太陽のパラドックス」と呼んでいる。現在では、この原因は大気組成の為で、初期の地球の大気が現在よりもはるかに多くの二酸化炭素を含み、その温室効果により太陽定数の低さを十分に補っていたと考えられている。

  この地質時代を通じた太陽の明るさの変化は、それ自体としては一貫した方向性を持つ変化であったが、大気の影響により地球環境に与えた影響としては、はっきりした方向性を持っていたかどうかは分からない。しかし、ここで幾つか例を挙げた様に、地球環境の中には単なる周期変動やランダムな変化ではない、時間の経過と共に方向性を持って変化する、様々な不可逆的変化がまぎれもなく存在する。地球自身のこのような方向性を持った変化が地球の進化を生み、且つまた生物の進化の方向づけに何等かの影響を与えてきた事は充分にあり得る事である。ここでは地球環境の変化が一定の方向性を持って進行しているという事、そしてそれが地球自身の進化と結び付いた必然的な過程である事を示す為に、主に地球の量的な変化に注目して述べてきた。しかし現実には、こうした方向性を持った量的変化に結び付いて様々な質的変化、例えば海の誕生や大陸の形成、強い地磁気の出現あるいは大気組成の変化等が生み出され、これら地球の進化に伴う地球環境の不可逆的変化と生物の進化が分かちがたく結び付き、互いに影響を及ぼし合いながら進行して来たのである。また、生物は地球環境の変化から大きな影響を受けて来たと同時に、生物自身が地球環境を作り変えてきた事も明らかな事実である。次に、生物の進化が地球の進化とどのように絡み合いながら進行して来たのか、それが良く表れている生物の初期進化の様子を段階をおって見て行く事にしよう。これまで生物の大進化は、大量絶滅後のがら空きになった生態系に、生き残った生物が適応放散する事によって集中的に起こる、あるいは地球環境の周期変動による生態系の崩壊と再構築の過程で起こると述べて来た。これは広く考えると、生物が競争相手となる先住者がいない新しい環境に進出する時に、進化は起こると言い替える事もできる。そして、この新たに進出した環境に適応する為に行われる体の改造が進化であるとも言えよう。このように捉えると、生命の初期進化と地球の進化との深い関係が見えて来る。つまり生命の初期進化に於いては、地球自身の進化に伴う地球環境の激変が生物に生息可能な全く新しい環境を生み出し、そこに生物が進出して新たな生態系を作り出す事によって、進化が進行して行ったと考えられるのである。こうして生物は海に誕生して後、河川・陸・空へとその生息域を拡大しながら進化して行った。つまり、生命進化の初期段階に於いては、生物の進化と地球の進化とが密接に結び付きダイナミックに進行して行ったのである。

 

 

生命誕生

 地球の誕生

 

  地球は約46億年前、原始太陽系の中で微惑星が衝突・集積して誕生した。微惑星の数は原始太陽系全体で10兆個、地球の軌道付近だけで約100億個も存在し、原始地球の直径が現在の半分ほどに達した頃には、1年間に平均1000個以上が落下していたと言う。微惑星は毎秒数kmから十数kmという高速で原始地球に衝突し、その瞬間そこに含まれていた水や二酸化炭素(CO2)は一瞬にして蒸発(衝突脱ガス)、こうして放出されたガスは原始地球が月程度の大きさに達した頃から地表を覆い始め、次第に濃さを増しながら原始大気を形成して行ったのである。この原始大気の80%は水蒸気で、残りは一酸化炭素(CO)から成っていたと考えられている(これは高温ではCOの方が安定な為で、COは次第に酸化されてCO2に変わって行った)。また、微惑星の衝突は莫大な運動エネルギーを解放し、大量の熱を発生させた。そして原始地球の濃密な大気、特に温室効果の強い水蒸気が熱の宇宙への放射を阻み、地表温度は次第に上昇して行き、遂には岩石が融け地表にマグマの海が形成される。この時、地表温度は1500K(ケルビン:絶対温度、273.15を引くと摂氏温度になる)にまで達したと考えられる。しかし、地球の直径が現在の80%程度になった頃から微惑星の衝突も減少し、地表温度は次第に下がり始めマグマの海も消滅して行く。当時、大気圧は200気圧を越えていたと思われるが、地表温度が200気圧下での水の臨界温度の650Kを下回ると、原始地球を包んでいた大量の水蒸気は一気に雨となって地球に降り注いだ。原始地球の水蒸気大気の量は約1021kgと見積もられるが、これは現在の海水の総量とほぼ一致する。恐らく300℃(摂氏)近くもある熱湯の雨が滝の様に降り注ぎ、原始地球に海が誕生したのである。海が出現した頃の地球は、地下にマグマの層とその表面に薄い原始地殻、さらにその上に150℃近くの熱湯の海が一面に広がり、それらを二酸化炭素の大気が包むという成層構造を形成していたと考えられる。

 

(注)大気中の希ガス(HeNe、Ar、Kr、Xe)の存在度が宇宙存在度に比べ著しく低い事から、地球の原始大気は原始太陽系星雲ガスをそのまま引き継いだものではなく、地球誕生後に内部からの脱ガスによって二次的に作られたと考えられている。

 

  今日、地球の大気は約78%の窒素と約21%の酸素とから成り、二酸化炭素はわずか0.035%しか含まれていない。しかし、現在の地表付近に残る炭素量から計算すると、海が誕生する以前の原始大気には、約60気圧の二酸化炭素が含まれていたと言う。ところが海が誕生すると二酸化炭素は海に溶けて炭酸イオンとなり、これが海水中のカルシウムやマグネシウムの陽イオンと化合して、石灰岩(炭酸カルシウム)などの炭酸塩鉱物を作り、海底に沈殿して大気中から除かれて行った。こうして、60気圧もあった二酸化炭素の大気も数気圧程度にまで減少したのである。(2-47)

  では、海ができたのはいつ頃の事だろうか。実はグリーンランドのイスアで、日本の研究者によって世界最古の枕状溶岩が発見されている。これは玄武岩質マグマが水中に噴出し、急冷されて枕の様な形に固まったものである。従って3839億年前には、地球上に既に海が存在していた事になる。また、同じ場所からは海洋プレート層序とデュープレックス構造が発見され、38億年前にプレートテクトニクスが働いていた事も実証された。それまで、太古代(始生代)の地殻の平均温度は700800℃にも上り、地殻は剛体として振舞う事ができず、プレートテクトニクスは機能しないと考えられていたのである。太古代の地球は、漠然と考えられていたほど熱くはなかったわけである。ところで、世界最古の花崗岩は40億年前にさかのぼるが、地球上にはそれ以前の岩石は見つかっていない。これは地表がマグマの海となって融けていた為と考えられる。マグマ・オーシャンに覆われた高温の地球から、原始海洋が生まれるには1000年ほどで可能であると言う。1000℃を越える地表温度が急速に低下して、130℃程度の原始海洋が生まれたのである。これらの事から、原始海洋の誕生は40億年前頃と考えてよいだろう。

 

(注) 海洋プレートは中央海嶺で生まれるが、出来たばかりのプレートの上には何も堆積していない。しかし、プレートが長い時間をかけて海底を移動し、最後に海溝で沈みこむ迄の間に様々な堆積物がその上に堆積する事になる。まず最初に、深海堆積物のチャート(主に微細な石英粒からなる緻密で硬い堆積岩)が堆積し、陸地に近づくにつれ泥岩や砂岩が堆積する様になる。こうして、海洋プレートには中央海嶺から離れるに従って、下側から中央海嶺玄武岩・チャート・泥岩・砂岩の順で、地層の積み重なり(層序)が発達する事になる。これを海洋プレート層序と呼んでいる。そして、こうした地層構造を持つ海洋プレートが海溝に沈みこむ時に、これらの堆積物が次々と畳み込まれて陸側に付加して行く事で、1本のチャート層が上の方に何本かの層に分岐するという特徴的な地質構造が形成される。これがデュープレックス構造である。(2-42)

 

  原始海洋ができる前の地球は、金星に見られる様なプルーム・テクトニクスが支配していたと考えられる。そこでは、プルームが地表に現れる点(ホット・スポット)の周りに、同心円状に新しい地殻が形成され、それに対応した量の物質がコールド・スポットの周り、あるいは海溝からマントル内に沈み込んで行く(コールド・プルーム)。ところが、原始海洋が誕生すると地殻は急速に冷却されて粘性が高くなり、もはやホット・スポットの周りに同心円状に地殻を作れなくなる。代わって、新しい地殻は中央海嶺に沿って生まれ剛体として振舞う様になる。つまり、プレート・テクトニクスが機能し始めるのである。そして、含水鉱物を含んだ海洋プレートが海溝からマントル内に沈み込み融解する事で、花崗岩質のマグマが出来上がる。実は、花崗岩は地球独特の岩石で、海が形成されなかった他の惑星では地表は基本的に玄武岩質岩石からなり、花崗岩は存在しない。つまり、海洋が誕生して初めて花崗岩質の地殻の形成が可能になるのである。一旦、花崗岩質の地殻が形成されると、玄武岩より密度が小さい為にマントル内に沈み込む事がなく、地表に残された花崗岩が大陸へと成長して行く。こうして最初の大陸地殻が海溝に沿ってでき始めた。孤状列島の誕生である。また、この時代のプレートは現在よりずっと小さく、当時の地球には数百から1千の海洋的マイクロ・プレートが存在したと言う。太古代の地球は、海洋マイクロ・プレートと弧状列島の時代であった。

 

(注)現在、地球表面には約10枚のプレートが存在するが、1枚の大きさは約3000kmでマントルの厚さ2900kmにほぼ等しく、これはマントルの対流泡の規模を反映したものと考えられる。ところが太古代は地球の温度が高く、プレートは浅い所で花崗岩を生成して下部マントルまで沈み込む事ができず、上部マントル内で対流していた為、それに合わせて小さなマイクロ・プレートが多数存在していたのである。したがって超大陸が生まれるには、太古代の上部・下部マントルに分かれた2層対流が、全層のマントル対流に変わらなければならない事になる。

 

 さて、アポロ計画で採集した月の石から誕生直後の月の様子が明らかになり、この時代の地球の状態を考える上で貴重な手掛かりが得られる事になった。それによると、月には約38億年前にさかのぼる記録が残されており、それから30億年前頃までは非常に活発な火山活動があったが、それ以降、月は死の天体となって火山活動は全く起きていないと言う。38億年前より古い岩石が少ないのは、それ以前には月の表面が融けていた為で、つまり月は高温で起源し誕生直後はマグマオーシャンで覆われていたのである。また、月面のクレーターは隕石の衝突によって出来たものだが、その多い所と少ない所の分布と各地域の年代測定から隕石の落下率の年代変化を求めると、38億年前には月に非常に多くの巨大隕石が落下し、それ以降、隕石の落下率は急速に低下して行った事が分かると言う。月と極めて近距離にある誕生当時の地球も良く似た状況にあったはずで、月面に巨大隕石が大量に落下していた38億年前頃には、質量が月の約80倍もある地球には、さらに多くの隕石が落下していたと思われる。(2-42)

  以上の事から40億年前の地球は、誕生したばかりの100℃以上もある高温の原始海洋に覆われ、まだ巨大大陸の存在しない海面にはあちこち弧状列島が顔を出し、その上を数気圧の二酸化炭素の大気が覆うという状況だったと思われる。また隕石も頻繁に落下を続け、海底では至る所で火山が噴出していた。地球全体が大量の熱を持ち激しく活動していたのである。そして、40億年前のこのような地球環境の中で最初の生命が誕生する事になる。この事は生命を考える上で大変重要な意味を持っている。生命は従来考えられて来た様に、長い時間をかけて試行錯誤を繰返し、少しずつ変異を積み重ねて初めて誕生したといったものでは決してない。生命は地球に海が誕生するのとほぼ同時に、高分子が分解されずに存在できる温度にまで冷やされるやいなや、突然発生したのである (4-1)。それは途方もない時間を要した、偶然の連鎖によって生み出された奇跡的な偶発事件ではなかった。生命は、その発生が可能になるや否や急激に出現したのであり、地球に海や大陸が誕生したのと同程度に必然的な出来事だったのである。今述べた40億年前の地球は、我々の感覚からするととても生命が棲める様な環境とは思えない。このような隕石が降り注ぐ熱湯の海で、本当に生命が誕生したのだろうか。実は、これと良く似た環境が現在の地球上にも存在し、しかもそこには多くの生命が息づいている。それが20年ほど前に発見された深海底の熱水噴出口である。

 

最古の岩石

 

  現在、地球を作る元になった隕石の年代から、地球の誕生は46億年前と考えられている。岩石の年代は放射性同位元素を使って測定しているが、これはまだ40年ほどの歴史しかない。1960年代初めにロシアのコラ半島で35億年前の片麻岩が発見され、しばらく世界最古の岩石とされていた。1971年にはグリーンランドのイスアで38億年前の片麻岩が発見され、さらに1989年にはカナダから40億年前のアカスタ片麻岩が報告され、現在これが世界最古の岩石である(西オーストラリア、イルガンクラトンのナリアー片麻岩体中の砕屑性ジルコンの年代として42億年前の値も得られている)。これら最古の岩石は花崗岩質片麻岩で、地球史のごく初期に大陸地殻が形成されていた事を示している。世界各地の楯状地からは37〜36億年前の岩石が産出しており、この頃には恐らく萌芽的な大陸地殻(島弧的な地殻)があちこちに出来ていたと思われる。地球の歴史はこの40億年前という年代を境に、それ以前の46〜40億年前の冥王代、40〜25億年前の太古代(始生代)、25〜5.4億年前までの原生代、そして5.4億年前から現在までの顕生代に区分される。冥王代とは、地質学的記録の残っていない地球の暗黒時代という意味である。(2-22) (2-42)

原始大気の組成

 

  1950年代までは、地球表面が融ける様な高温の時代は地球には存在しなかったと思われていた為、原始大気はメタン・アンモニア・水素・水蒸気などで構成されていたと推定された。宇宙に存在する元素を多い順にあげると、水素・ヘリウム・酸素・炭素・窒素となる。このうち化合物を作らず軽い為に、初期に宇宙空間に逃げ出したと思われるヘリウムを除いて、酸素・炭素・窒素はそれぞれ最も大量に存在する水素と化合して、水(H2O)・メタン(CH4)・アンモニア(NH4)となって存在していたと考えたわけである。

  しかし最近では月の石の研究から、原始地球が融けたマグマの海で覆われるほど高温になっていた事が分かり、そこではメタンやアンモニアは分解され、代わって二酸化炭素(CO2)・窒素ガス(N2)・水が、原始大気を構成していたと考えられる様になって来た。(4-2) (4-3) (4-4)

 

 

 熱水噴出口

 

  1977年、アメリカの深海調査艇アルビン号はガラパゴス諸島の北東320 km、深度2600mの深海底で、高温の熱水が噴出する熱水噴出口(ハイドロサーマルベンド)を発見した。しかも驚くべき事に、この太陽の光さえ届かない高温・高圧の極限環境に高密度の特異な生物群落が存在し、砂漠のオアシスの様に、暗黒の深海底で熱水噴出口の周りに特異な生態系を形作っていたのである。熱水噴出口は、中央海嶺の様な海洋プレートの湧き出し口、海底火山、火山列島の様な島孤の後ろ側にできる窪んだ海域(背孤海盆)などで発見されている。また日本付近にも存在し、那覇市の北北西130 kmの伊是名海穴、さらに北へ40 km行った伊平屋海嶺が知られており、ここからは200℃を越える熱水が噴出している。

  熱水噴出口は、地殻のすぐ下まで迫ったマグマ溜りの周辺に染み込んだ海水がマグマによって熱せられ、大量の金属イオンを含む高温・高圧の熱水となって海底から噴出したものである。熱水は上昇して来る時に周囲の玄武岩と反応して強い酸性となり、そしてケイ酸塩鉱物(地殻の主成分Si2と金属酸化物からなる塩)からは大量の金属イオンも溶かし出される。またここでは、熱水中に含まれる硫酸イオンが玄武岩中の二価の鉄イオンによって還元され、大量の硫化水素が発生している。熱水中の金属イオンはこの硫化水素と反応し、硫化物の形で上昇する通路の壁や噴出口付近に沈殿して行く。こうして噴出口の周りには析出した金属によって煙突構造(チムニー)が形成され、その先端から大量の金属イオンや硫化水素を含む熱水が黒煙の様に立ち上る事になる。これがブラック・スモーカーである。アルビン号によって発見された熱水噴出口の温度は350℃にも達し、その周囲の半径数百mに渡って水温2〜50℃の局所的な温水域、ホット・スポットができていた。そこに高密度の熱水生態系が形成されていたのである。ここでは、熱水中の硫化水素を酸化してエネルギーを取り出し炭素同化を行う、化学合成細菌のイオウ・バクテリアが一次生産者となり、このバクテリアを体内に大量に共生させた大型の二枚貝や管状のチューブ・ワーム、それらを餌にするエビやカニなどの甲殻類が多数生息している。この深海で最も繁栄しているチューブ・ワームは、口や肛門・消化管もなく、ただ硫化水素を鰓で取り込んで共生バクテリアに供給し、それが作り出すエネルギーや栄養素に依存して生活しているのである。その体内に共生するイオウ・バクテリアの量は体重の90%にもなると言う。

  オレゴン州立大学のJ.コーリスらは、このホット・スポットが太陽エネルギーとは無縁の環境下で、特異な生態系を成立させている点に注目して、深海底の熱水噴出口で生命は誕生したという仮説を発表した。以来、この熱水噴出口説は生命誕生の最も有力な候補の1つになっている。熱水噴出口の特徴は、第1に高温・高圧な事で、化学反応を進める為にはエネルギーが必要だが、ここには熱エネルギーがふんだんにある。岩の裂け目からしみ込んだ海水は、マグマの熱で急激に熱せられ様々な化学物質を取り込むが、マグマとの接触面を離れると今度は周囲の海水によって急速に冷却される。このため、高温で生成した物質は熱による分解を避ける事ができる。これは実験室で様々な分子を作る方法と同じで、熱水噴出口はいわば熱勾配のついた一種の流動性の反応炉となっているのである。第2の特徴は、メタン・水素・硫化水素・アンモニアなどの還元性ガスの濃度が極めて高く、周りの海水よりも還元的な環境になっている事である。一般的に、酸化的なガスからは有機物はできにくいが、還元的なガスからは容易に生成する事が分かっている。つまり熱水噴出口は、有機物のできやすい環境なのである。事実、紅海の熱水噴出口の海水から、アミノ酸のグリシンが周囲の海水よりも10倍も高い濃度で検出されている。これは、熱水噴出口の周辺で有機物が無生物的に合成されている可能性を示唆している。さらに第3の特徴は、鉄・マンガン・銅・亜鉛などの金属イオンの濃度が、通常の海水の1000倍以上と極めて高い事で、これらの金属イオンが熱水中での有機物合成反応に関わり、生命誕生に重要な役割を果たした可能性が考えられる。

 

(注) 鉄・銅・亜鉛・マンガン・コバルト・モリブデンなどの金属イオンの濃度を、100010万倍に高めた海水を人工的に作り、9種類のアミノ酸を加えて100300℃に熱して反応させると、マリグラヌール(海の粒子)と呼ばれる原始細胞を思わせる、薄い膜で覆われた中にアミノ酸の連結した高分子が入った0.3〜3μmの微小球体ができる。このマリグラヌールは、幾つかの球体がつながった連結構造をして発芽によって増殖すると言う。

 

  また生命誕生の熱水噴出口説は、化石の面からも裏付けられている。最古の生物化石は西オーストラリアのノースポール産のバクテリア化石であるが、この化石が出た母岩は非常に細かい石英(二酸化ケイ素)の粒子から成る、チャートと呼ばれる均質で緻密な堆積岩であった。普通、堆積岩に含まれる砂・岩石片など粒の粗い粒子は、陸域での侵食作用で作られ河川によって二次的に海に運ばれたものだが、チャートはこうした粗粒物質を全く含まず、それが陸から遠く離れた海洋中央部の深海底で堆積した事を示している。つまりノースポールのチャートは、太古代(始生代)前期に遠洋の深海底で堆積したものだったのである。さらに化石を産するチャート層は、広範囲に分布するが厚さはせいぜい50mで、その下層はいつも濃い緑色から肌色をした火成岩(玄武岩)の枕状溶岩になっている。これは粘性の低いマグマが地下から水中に噴出・固結してできた溶岩で、その厚さは800m以上に及び、それが大規模なマグマ活動の産物である事を示している。チャート層は、このような枕状溶岩の直上に堆積しているのである。さらに、この枕状溶岩には幅2m以下のチャートが脈状に多数貫いている。これを水平に堆積した層状チャートと区別してTチャートと呼んでいるが、両者とも希土類元素ユーロピウムの濃集が確認され、このような化学的特徴は、200300℃の熱水が海底から噴出する熱水噴出口周辺の環境で見られるものと言う。恐らく多数のTチャートは、かって熱水が玄武岩中を通過した時の通路だと考えられる。これらの事から、地球最古の生物化石は太古代前期の海洋中央部、それも中央海嶺軸部の熱水活動の活発な場所に生息していた可能性が高いのである。(2-21)

  三菱化成生命科学研究所の柳川弘志らは熱水噴出口での化学進化を検証する為、同じ組成の模擬海水を作り、その中でメタンを加圧・加熱する実験を行った。模擬海水をガラス管に入れ、加圧釜の中にメタンと窒素の混合ガスを40気圧入れて325℃で6時間加熱し、圧力は深さ2000mの海底に相当する200気圧にまで達した。その結果、グリシンやアラニンなどの生体に不可欠のタンパク質アミノ酸を含む、様々なアミノ酸が生成したと言う。さらに今日では、様々な模擬原始地球環境にアミノ酸を入れて加熱・反応させると、膜を持つ細胞に似た構造(細胞様構造)が生成する事も知られている(ミクロスフェアやマリグラヌール)。熱水噴出口を真似て、グリシン・アラニン・バリン・アスパラギン酸を含む水溶液をガラス管に入れ、250℃、134気圧で6時間加熱すると、直径1.52.5μmの膜構造を持つ微小球が生成する。この微小球は、酸分解されにくく、ケイ素化合物を含む分子量約2000のペプチド性の高分子からできていると言う。このように熱水噴出口では種々の有機分子が生成され、様々な化学反応を経て、遂には細胞様構造まで作り出していると考えられるのである。

  ところが近年、深海の熱水噴出口の様な高温・高圧の特殊な環境でなくても、有機分子それもアミノ酸ばかりでなくタンパク質や糖までが、極めて容易に自然環境の中で現在も生成されている事が明らかになった。そしてこの有機分子生成のカギは、熱水噴出口でも大量に存在する硫化水素だったのである。

 

ミラーの実験

 

  生命が誕生するまでの化学進化に関しては、ミラーの実験があまりに有名である。シカゴ大学のハロルド・ユーリーは、原始大気が主に水素・メタン・アンモニアなどの成分からなる還元的なもので、このような大気中では有機化合物が比較的容易に生じると考えていた。1953年、彼の指導の下で当時大学院生のスタンレー・ミラーは、原始地球の大気を模した混合ガスに電気火花を通す実験を行い、実際に生命の素材となる種々の有機分子が合成される事を発見したのである。ミラーは2つの連結したフラスコを用意し、一方に水200 ml(ミリリットル)を、もう一方に原始地球の大気組成を模した混合ガス(水素・メタン・アンモニアを1:2:3の割合で混合)を入れ装置を密閉した。そして下の水の入ったフラスコを加熱し、混合ガスの入った上のフラスコには電極を入れ、1週間に渡って6万ボルトの電気火花を飛ばし続けた。ここでは混合気体は原始地球の大気を、水は海を、加熱して発生する水蒸気は火山活動を模していた。そして原始大気中の雷のエネルギーが、複雑な有機分子の合成に寄与すると推定したのである。1週間後、フラスコに入れておいた水は膿赤色になり、様々な有機分子が生成されている事が確認された。そこには、グリシン・アラニン・アスパラギン酸など、タンパク質を構成するアミノ酸の他、β-アラニン・乳酸・ギ酸などの有機物質が合成されていたのである。

  このような還元型の原始大気を想定したのは、大気が地球の誕生と同時に原始太陽系星雲の揮発性成分から作られたという説に基づいていた。しかし今日では、原始大気は二酸化炭素を主成分に、水蒸気・窒素・一酸化炭素などを含む酸化型のものと考えられている。そして酸化型の大気では、有機分子はほとんど生成しないのである。しかも、還元型大気でも放電実験による有機物の収量はごく低く、初期化学進化が原始海洋中で起こったとするなら、有機分子は細胞様構造にまとまる以前に大量の海水中で拡散してしまう事になる。ここから分子同士の反応で複雑化や重合が起こる為には、何等かの濃縮過程を考えなければならなくなるのである。

  以上の事から、熱水噴出口でアミノ酸をはじめとする有機分子が容易に作り出される事は、生命誕生を考える上で極めて重要な意味を持つといえよう。しかもこの場合は、熱水噴出口という空間的に限られた場所で有機物が生成される為、局所的に高濃度の有機分子が存在する事になり、特別な濃縮過程などを考え出す必要もない。そして、化学反応を推し進めて有機分子を重合させ、より複雑な分子を生み出すのに必要なエネルギーも、熱エネルギーの形で充分に供給されている。熱水噴出口は生命誕生を考えるには、願ってもない環境なのである。(4-3) (4-5) (4-6)

 

 

 汽水湖に於ける細胞様高分子の生成

 

  それは1986年、京都大学の藤永太一郎と海洋化学研究所の紀本岳志によって、日本最大の汽水湖である中ノ海の環境問題に関連した、水質成分の連続計測から偶然に発見された。汽水湖というのは海水と淡水が入り込む海に連なる湖で、そこでは比重差から湖底に海水が溜り、その上に河川水が乗って成層湖となったものである。中ノ海は、宍道湖から流れ込む淡水と日本海からの海水が、夏期はもとより冬期にも混じり合う事なく常時密度成層をなし、表層は溶存酸素濃度の高い酸化性の淡水に、底層は貧酸素の還元性の海水になっている。そして水質化学成分の観測の結果、この湖では深度6.5mの極貧酸素状態の湖底から大量に発生している硫化水素が、同様に湖底から発生するアンモニアを急速に消費している事実が明らかになったのである。深度6mの底泥の直上では全窒素の50%がアンモニア態で存在している。ところが奇妙な事に、深度5mでは全窒素量は変わらないがアンモニア態の窒素だけが激減するのである。通常、海洋や土壌中ではアンモニアはバクテリアによって分解され、硝酸塩や窒素ガス・亜酸化窒素などが生成されるが、これらの増加は観測されていない。そこで、底層水中の浮遊粒子を加水分解して分析を行うと、ちょうどアンモニア態窒素の減少に見合う量のアミノ酸濃度の増加が見出されたのである。また、同時に計測されたリン酸態リンの濃度の減少が見られない事から、このアミノ酸濃度の増加がイオウ細菌などによる生合成に基づくものでない事も明らかだった。つまり、ここではアンモニアからペプチドが無機的に合成されていたのである。

  これを証明する為に、実験室で炭酸(ホルムアルデヒドやギ酸を使っても同じ)とアンモニアの混合溶液に、常温・常圧下で硫化水素ガスを通気する実験が試みられた。すると驚くべき事に、それまで考えられた事もない反応によって、各種のアミノ酸構成を持つタンパク質(ポリペプチド)や糖(炭水化物)が生成されたのである。そして硫化水素の通気開始後わずか数時間で、タンパク質や糖は直径数μmの大きさの揃ったコロイド状粒子となって溶液の底に沈殿した。最初に、最も単純なアミノ酸のグリシン・モノマーが生成され、時間の経過と共にそのグリシンが重合してペプチドを作り、次第に溶解度を減少して乳白色の沈殿が溶液中に生成して行ったのである。しかも、この沈殿したコロイド粒子を顕微鏡で観察すると、溶液との界面で活発に物質交換をしている事が分かった。重合度の低いペプチドは溶解度が大きいため表面から離れ、重合度の大きい表面構造を持つ粒子の上に重合析出して行く、といった界面での代謝的反応が進行していたのである。こうして粒子は成長し、ある大きさに成長した所で溶解と析出が釣り合い、粒度の揃ったコロイド粒子が出来上がる。「このような物質代謝・成長の模様は、重合度が増加し、複雑多様な細胞が生成していくひとつの化学進化の過程と考えてさしつかえない」(藤永、紀本)(4-5) だろう。これこそ、かってオパーリンらが夢想した原細胞そのものの様に思われ、細胞様高分子と名付けられた。ここで起こっている反応は、基本的には炭酸が還元されて各種のアルデヒドが生成し、これにアンモニアが加わってさらに還元され、多様なペプチド類が合成されるというものであった。そして、この反応になくてはならない還元剤として硫化水素がかかわっていたのである。

  生命を形作る、炭水化物・脂質・タンパク質・核酸などの生体高分子はすべて炭素化合物で、炭素(C)に水素(H)・酸素(O)・窒素(N)が共有結合したものが、鎖状あるいは環状に連なり巨大分子を形成したものである。生命はこの巨大分子の骨組みとも言える炭素を、二酸化炭素(CO2)またはそれが水に溶けた炭酸(H2CO3)から得ている。つまり生物は、二酸化炭素に水素を付加し酸素を引き抜いて還元する事により、有機分子を合成しているのである。また生体高分子は、それを構成する分子が脱水縮合で多数結合する事により合成される。例えば、炭水化物の巨大分子である多糖類は、単糖類と呼ばれる均一な繰返し単位が脱水縮合して、鎖状にあるいは枝分かれしながら長くつながったものである。2分子の単糖が結合する時に1分子の水(H2O)が放出されて、単糖間に共有結合ができるのである(グリコシド結合)。タンパク質も同様に、20種類のアミノ酸が脱水縮合する事によって、1本の鎖状に長く連なったものである(ペプチド結合)。脂肪や油そして細胞膜を構成するリン脂質は、グリセロールと脂肪酸が脱水縮合して結合している(エステル結合)。また遺伝子の本体である核酸も、ヌクレオチドと呼ばれる繰返し単位が同様に脱水縮合してリン酸エステルを形成し(ホスホジエステル結合)、長く連なった多量体である。このように生体高分子を作るには、還元反応と脱水反応が不可欠なのである。ところが硫化水素(H2S)は、還元反応で酸素を引き抜いた時に生じる無水硫酸が脱水反応にも働く様で、還元反応と脱水反応を同時に起こす事ができる、生体高分子の合成には打って付けの還元剤なのである。このような2重の働きをする還元剤は、他には知られていない。つまり生命誕生のカギは、硫化水素にあったと言っても良いだろう。

  この硫化水素による反応は、単にタンパク質が合成されたというだけではなく、さらに重要な事実も含まれていた。実は、この反応でできたアミノ酸のほとんどが、生命が利用するL型のαアミノ酸だったのである。アミノ酸は、アミノ基(NH2)とカルボキシル基(COOH)の両方を持つ有機分子であるが、アミノ酸同士が結合する時には、アミノ基とカルボキシル基から1分子の水(H2O)が取れて脱水縮合する。こうして多数のアミノ酸がペプチド結合でつながり、長い鎖となったものがポリペプチド、つまりタンパク質である。このアミノ基とカルボキシル基は、どの位置にあってもかまわないはずである。しかし、不思議な事に生物が使うアミノ酸、即ちタンパク質を構成するアミノ酸は総て、同一の炭素原子(α炭素)にアミノ基とカルボキシル基の両方が付いていたαアミノ酸となっている。また、タンパク質に使われているアミノ酸はグリシンを除いて、すべてL型とD型という2種類の分子の立体構造が異なる光学異性体を持ち、自然界ではD型とL型の両方が入り交じっているのが普通であるが、生物の作るタンパク質はすべてL型アミノ酸のみからできているのである。ユーリー・ミラーの実験で得られたアラニンは、RとL型の混じったものであり、またαアミノ酸ではないβアラニンなど、タンパク質の構成成分ではないアミノ酸も多く生成していた。これは生命誕生を考える上で大きな難問の1つである。なぜ生物はL型アミノ酸だけを使っているのか。D型ではダメなのか。そもそも、如何にしてL型のみを自然界から選り分けたのか。実は、光学異性体は物理・化学的性質が同じで、その一方のみを選別するのは極めて難しいのである。ただ一度、L型アミノ酸を使った生物ができてしまうと、そのタンパク質でできた酵素は立体構造の違いによって、容易にD型を排除する事ができる様になる。つまり問題は、生命誕生の最初に何故L型が選択されたかという事である。生命誕生の秘密を解き明かそうとする仮説は、この難問に答えなければならないのである。しかし、汽水湖で起きている硫化水素の還元・脱水作用によるペプチド生成反応で作られるアミノ酸が、おもにL型のαアミノ酸だとするなら、この問題に答える必要はなくなる。生命は、特別な化合物を使って組み立てられたのではなく、周囲に大量に存在するありきたりの物質を使って自らを作り出して来た事が知られているからである。元素組成を見ても、生命は海水中や宇宙に多量に存在する元素を利用して作られている。特に、海水とは元素組成がよく似ており、含量の多い方から10位までの範囲で、人体にあって海水中にないのは17番目のリンのみである。これは生命が海の中で誕生したとする根拠にもなっている。このように特別な元素を選り分けるのではなく、周囲に豊富に存在する普通の物質を使って自分を組み立てるのが生命のやり方だとすると、生命がL型のαアミノ酸のみを使っているのは、生命誕生時にそれが周りに豊富にあったからと考えるのが自然であろう。この意味でも、硫化水素が豊富に存在する場所での生命誕生のシナリオが現実味を増す事になる。

 

(注)カルボキシル基の結合した炭素原子の隣の炭素にアミノ基が付いたものがβアミノ酸、そのまた隣に付くとγアミノ酸となる。

 

  ヒトが試験管内で行う反応では、特別な工夫をしない限りD型とL型が同じ割合で混ざった、ラセミ体と呼ばれる混合物ができてしまう。それに対して、生体反応は100%の不斉合成である。生物はL型のアミノ酸のみを用いD型は使っていない。反対に糖は主にD型で、特に核酸の構成成分のリボースはD型に限られている。生物の行う反応では、一般にD型とL型をはっきり区別して、そのどちらか一方のみを関らせており、それが生体反応の秩序の高さの基礎になっているのである。生物が光学活性体であるアミノ酸の一方のみを使っている結果、酵素は複雑だが一定の立体構造をとる事ができる。この酵素の立体構造こそ、生命現象の特徴である秩序ある反応の秘密であり、また光学異性体の一方だけに選別的に働く理由でもある。また、遺伝の物質的基礎となっている核酸の二重らせん構造も、構成成分の糖がD型に揃っているからこそ可能なのであって、もしD型とL型が混ざっていればこうした整然とした構造をとる事はできない。このように、光学異性体の一方のみを選別して使う事は、生命活動の基本的な条件であって、D型とL型とが混ざった状態では生命など元からあり得ないのである。

  こうして見て来ると、生命は硫化水素が絶えず発生している、還元性の高い所で誕生した可能性が極めて高い事が分かる。火山や温泉でよく経験する、あの卵の腐った様な鼻をつく硫化水素特有の臭気こそ、生命揺籃の香りだったのである。40億年前、生命が誕生した頃の地球環境を考えると、熱水噴出口こそそれにふさわしい場所という事になろう。当時は、今より地球の内部温度も高く、海底の至る所で大規模な熱水噴出口が口を開けていたと思われる。そして、海底からもうもうと噴き上げられる、硫化水素を大量に含んだ黒煙と熱水の中で最初の生命は生まれたのである。現在でも、硫化水素が発生している所は不思議と生命に溢れている。先にも見たように、熱水噴出口のある深海でもその周辺だけは、チューブワームやシロウリガイ・ムラサキガイそしてカニ・エビなどが群生し、海底に一大生態系を形成している。太陽光の全く届かない死の世界と思われた深海に、このように多くの生物が群生できるのは、食物が豊富に供給されているからに違いない。また、中ノ海や宍道湖の様な汽水湖の場合も同様で、湖底では還元バクテリアによって硫酸イオンが還元され硫化水素が発生しているが、その周辺は意外と多産的である。例えば、宍道湖では昔からシジミが湧き出ると言われ、獲っても獲っても尽きる事がないと言う。どちらの場合も、何故このように食糧が豊富なのだろうか。そのカギは硫化水素にある。汽水湖では多量のタンパク質を含む浮遊粒子が存在し、熱水噴出口でも周りの海水の10倍にもなる高濃度のグリシンが発見されている。硫化水素の発生している周辺では、無機的に合成された有機分子に溢れているのである。

 

光学異性体

 

  光は電磁波の一種で、互いに直交しながら進行方向に対して垂直に振動する、電場と磁場の波である。自然光では、この電場の振動方向があらゆる方向を向いた波が混ざっているが、偏光板を通すとある一方向に振動する光だけを取り出すことができる。そこで偏光面を揃えた2枚の偏光板を通して外を見ると視野は明るく見えるが、一方の偏光板を回転させて行くと視野は次第に暗くなり、2枚の偏光面が直交する所で真っ黒になってしまう。これはそれぞれの偏光板が通す事のできる光の振動面が直交するので、光が通らなくなるからである。この真っ暗になった2枚の偏光板の間に、光軸に垂直に切った水晶の結晶板を入れると視野が再び明るくなる。次に、偏光板を少しずつ回転して行くと、再び視野が暗くなる。これは偏光板の間に挿入した水晶板が、光の偏光面を回転させた結果で、このような性質を持つ物質が光学活性体である。そしてこの時、偏光板を右に回転させると再び真っ暗になるものを右旋性(D型)、逆に左に回すものを左旋性(L型)と呼んでいる。

  水晶には右旋性と左旋性の両方があり、結晶の外形が理想的なものではちょうど互いに鏡に映した関係になっている。こうした旋光性は水晶の様な固体ばかりではなく液体や溶液にも存在し、例えば、マツから得られるテレピン油、レモンの果皮から採れるレモン油、蔗糖の水溶液、樟脳のアルコール溶液などにも旋光性が認められる。分子が動き回っている液体状態でも旋光性が見られる事から、光学活性は分子の配列ではなく、分子そのものに原因がある事が分かる。

  パスツールは、ブドウ酒製造時にできる酒石酸には化学式や融点などの性質は全く同じで、旋光性だけが逆向きの2種類のものが存在し、それまでブドウ酸として知られていた化合物は、右旋性と左旋性の酒石酸が1対1の割合で混合したものである事を明らかにした。このように物理的・化学的性質は全く同じで、偏光された光に対してのみ異なる性質を示す異性体を光学異性体と呼んでいる。そして今世紀の初めには、光学異性体を持つ有機化合物は必ず不斉炭素を持つ事が分かり、旋光性は分子の立体構造の問題である事がはっきりしてきた。炭素原子は4つの原子または原子団と共有結合できるが、不斉炭素原子というのはこの4つの原子価にそれぞれ異なる原子(団)が四面体型に結合したもので、この場合、4つの原子をどのように動かしても重ならない2種類の原子の空間配置が存在する事になる。実物と鏡の中の像や右手と左手を重ね合わせる事が出来ない様に、こうした鏡像関係にある2組の原子配置が可能な分子をキラル分子、反対に空間的に一種類の配置しかできない分子をアキラル分子と呼んでいる。また現在では、光の旋光性そのものは波長に依存し絶対的なものではない事が分かり、グリセルアルデヒドを基準に、実際の旋光性とは無関係に立体構造に従ってD型・L型の区別をしている。(4-3) (4-7) (4-8)                   

 

 

 生命はタンパク質合成から始まる

 

  ペプチドや糖など、生物を構成する生体分子が容易に無機的に合成される事。しかも、それらの分子が自然に集合して、外界との間で物質交換を行う原始細胞の様な細胞様高分子を形成する事を見て来た。これ自体たいへん驚くべき事であるが、ここで出来た細胞様高分子と本当の生物との間には、まだ大きな断絶が存在している。生命の特徴として、一般には自分と同じものを複製する能力をもつ事、つまり自己複製のための遺伝システムを持っている事があげられる。特に、今日の分子生物学や生態学における遺伝子中心主義的な考え方からは、すべては遺伝子が決定し遺伝子こそ生命の本質であるという捉え方がなされる。後で取り上げるRNAワールド説も、その流れの中から出て来たものと言えよう。こうした考え方からすると、生命とは遺伝システムを持つものという事になり、生命誕生は遺伝システムの成立に起源するという事にもなろう。しかし生命に不可欠の本質的特徴として、遺伝情報を子孫に伝えて自己複製するという以前に、もっと根本的に重要な問題が存在する。それは、生命は自分で必要なタンパク質を自在に合成できるという点である。この重要性は、先程の細胞様高分子と比較すると良くわかる。細胞様高分子は、まるで生きた細胞の様に、周囲の有機分子を大量に含んだ海水と盛んに物質交換を行っているが、それはランダムな反応によるもので、外界から独立して特定の有機分子を選択的に合成しているわけでは決してない。これでは生命活動の持つ高度な秩序や自律性は望むべくもない。細胞様高分子は見た目には生きた細胞のように見えようとも、それは周囲の環境からの独立性を持たない外界の一部に過ぎないのである。したがって、周囲の有機分子がなくなったり環境が変化すると、この細胞様高分子は反応の平衡状態のバランスが崩れ、すぐに崩壊してしまう事になろう。それに対して、真の生物は必要なタンパク質を体内で組織的に合成する事ができ、それによって環境から独立して自律的に存在できる様になった。そればかりではなく、特定の機能を持つタンパク質を選択的に合成する事によって、初めて生命特有の複雑で秩序の高い生体反応が可能となったのである。今日、地球が生命に溢れているのも、生物のこの能力のおかげである事は言うまでもない。つまりタンパク質の組織的な合成こそ、無生物から生物への飛躍のカギだったわけである。今まで生命誕生のカギと考えられてきた遺伝システムは、タンパク質合成システムができた後に、そこから2次的に進化してきたものと見る事ができよう。

  遺伝システムというと自己複製を目的とした、生命の機能の中でも何か特別で神秘的なものという感じがするかも知れない。特にダーウィン派進化論においては、他の生命活動とは独立した遺伝子の自律的な変化が進化を生む原動力となっているわけで、遺伝は他の生命活動から隔絶したもの、あるいは一方的にそれを支配するものとして特別な地位を与えられている。しかし実は、遺伝システムはタンパク質合成システムとは切っても切れない深い関係にあるのである。というよりは、むしろ両者は不可分の一体と言った方が良いかも知れない。タンパク質は、20種類のアミノ酸が1本の鎖の様に長くつながったものだが、遺伝子はこのアミノ酸配列をコードしたものなのである。つまり、1つ1つの遺伝子はタンパク質合成の情報を運んでいるわけで、この事からすると遺伝システムはタンパク質合成システムの一部と見る事もできる。また遺伝システムはDNAとRNAで構成されているわけだが、両者の間でははっきりした分業がなされており、タンパク質合成はRNAが、そして遺伝情報の伝達はDNAが担っている。そしてこの内、最初に誕生したのはRNAの方で、DNAは少し遅れて進化してきた事が今日では広く認められている。この事実も、先にRNAのタンパク質合成システムができあがり、後にDNAによる遺伝システムが進化してきた事を物語っていると言えよう。

  さらに、DNAというと遺伝情報を伝える遺伝子の本体という面のみが強調されているが、実はDNAはタンパク質合成の制御システムという側面も持っている。DNAは、RNAのタンパク質合成システムをコントロールする事によって、極めて複雑な生命活動を可能にしているのである。その重要性から言って、むしろこちらの方がDNAの機能のメインと言っても良いだろう。生物が環境の変化に応じて適切な反応ができるのも、DNAによるこのコントロールのおかげなのである。DNAシステムも恐らく最初は、RNAのタンパク質合成システムを制御するものとして進化してきたと考えられる。それが後に、遺伝システムとして利用される様になって行くわけである。

  つまり生命誕生に於いては、最初にRNAのタンパク質合成システムが出現し、その後、このタンパク質合成システムを高度にコントロールする必要から、DNAシステムが進化して来る事になったのであろう。そして、このタンパク質合成の制御システムを利用して、遺伝システムが完成する。いうなれば遺伝システムは、タンパク質合成システムの一部を遺伝に転用したものに過ぎないのである。

 

 

 ATPと核酸

 

  生体反応において、タンパク質と核酸が深い相互依存・協力関係にある事を示す例に、ATP(アデノシン三リン酸)がある。これはすべての細胞に共通のエネルギー源で、生物は光合成や呼吸で得たエネルギーを一度ATPの形で蓄え、必要に応じてそこからエネルギーを引き出して生体反応に利用している。この事から、ATPは細胞のエネルギー通貨とも呼ばれている。このATPの加水分解が、他の反応と共役してエネルギー的に起こりにくい反応を推進する事で、生命維持に不可欠の高度な生体反応を可能にしているのである。平均的なヒトの成人男子は、1日に約190kgものATPを消費すると言われるが、我々の体内にあるのはわずか50gほどに過ぎない。つまり、ATPは生体内の反応で絶間なく消費される一方で、同じ素早さで再生され、目まぐるしく回転しているのである。ATPがなければ生物は一時たりとも自己を維持する事はできない。生物はATPの存在によって初めて、様々な生体反応を自在に引き起こし、秩序だった高度な生命活動が可能となっているのである。

  このATPには、エネルギーの供給源としての役割だけではなく、もう1つ重要な働きがある。ATPは、生体内での高分子の合成に不可欠な脱水縮合剤としても機能しているのである。先にも述べた様に、生物を形作るタンパク質・糖・核酸などの高分子は、繰返し単位である単量体が幾つもつながってできている。そしてこの間の結合は脱水縮合で、1分子の水が取り除かれる事により形成され、反対に分解は1分子の水が加わる事で結合が解ける(加水分解)。つまり、生体高分子の合成には脱水反応が不可欠なのである。ところが当然の事ながら、脱水反応は水溶液中では起こらない。この問題を生体内で解決しているのがATPであり、ATPはあらゆる生物に普遍的な脱水縮合剤なのである。ATPは加水分解する時、大量のエネルギーを放出すると同時に必ず周りから水分子を取り込む。このため生合成反応の多くは、ATPの加水分解と直接共役する形で起こっているのである。

  このようにATPは生体内での反応、特にタンパク質等の高分子の合成反応には不可欠なものであるが、興味深い事にこのATPは核酸と深い関係にある。アデノシンは、DNAの遺伝情報を担う4種類の塩基の1つであるアデニンが、五炭糖のリボースと結合したものである。このアデノシンにリン酸分子1個が結合してアデノシン一リン酸(AMP)となるが、これはRNAの構成単位である4種類のヌクレオチドの1つである。AMPにもう1つリン酸が結合したものがアデノシン二リン酸(ADP)。さらにその末端にもう1つリン酸が結合したものが、アデノシン三リン酸(ATP)なのである。

  ATPの3つのリン酸を連結している2つの結合(ピロリン酸結合)は、典型的な縮合反応で水分子1個が取り除かれて形成される。逆に、水1分子が加わる事によって結合は解け、その時に多量のエネルギーを発生するのである。このATPのピロリン酸結合は高エネルギー結合と呼ばれ、この結合を作るには大量のエネルギーが必要で、生物はそれを細胞呼吸と光合成によって賄っている。反対に、加水分解で結合が開裂すると大量のエネルギーが放出されるわけである。実際、生体物質に見られる結合に必要なエネルギーは、ATPのピロリン酸結合のエネルギーよりも少なく(低エネルギー結合)、この事が生合成をはじめとする生体内での様々な反応が、ATPの加水分解と共役する形で引き起こされる事を可能にしているのである。

  つまり生体内反応は、ATPとタンパク酵素の協力の上に成り立っているのである。このようにATPは生命活動、特に高分子の生合成になくてはならないものであり、生命誕生の初めから存在していた事は間違いない。この生命と不可分とも言うべきATPが、核酸の構成要素からできているという事実は、核酸がタンパク質合成システムとして進化し、このタンパク質合成システムの成立によって生命が誕生したという考えと、符合するものと言えよう。また生命活動の基盤が、核酸とタンパク質との深い協力関係にある事も分かる。ATPと同じ様に、リボヌクレオチドをその構成要素として持つ活性型運搬体分子には、GTP・NAD・FAD・CoAなど主要な補酵素のほとんど総てが含まれている。

 

 

 遺伝子DNA

 

  さて議論を先に進める前に、遺伝子DNAとRNAについて簡単に復習しておこう。良く知られている様に、遺伝子の本体はDNAである。DNAは分子量が数百万以上にもなるテープ状の巨大高分子であるが、生体を担う巨大分子の総てがそうである様に、DNA(RNAも同じ)もヌクレオチドと呼ばれる繰返し単位が、結合(リン酸ジエステル結合)して長くつながったものである。ヌクレオチドは五炭糖のデオキシリボース、4種類の窒素塩基(塩基:水に溶けるとアルカリ性を示す化合物)、リン酸で構成されている。我々に馴染みの深いブドウ糖や果糖は六炭糖だが、デオキシリボースはそれより炭素が1つ少ない五炭糖で、分子結合の状態を示す為に炭素の片端から1′2′3′4′5′と番号を付けている。デオキシリボースの5′炭素にリン酸が結合し、1′炭素に塩基のどれか1つが結合したものがヌクレオチドで、このヌクレオチドの3′炭素に別のヌクレオチドのリン酸が結合する事で、次々と繋がって行く。こうして、ヌクレオチドが長くつながった反対向きの2本のテープが、同じ軸の周りに巻き付く様にして二重らせん構造を形成したものがDNAである。これはハシゴをらせん状にねじった様な形で、このハシゴの両側の柱に当たる部分がリン酸で結合された糖(デオキシリボース)から成り、この両側の糖から横に塩基が突き出し、中央で結び付いて(水素結合)ハシゴの階段部分を形成している。4種類の塩基の水素結合にはそれぞれ相手方が決まっており、アデニン(A)はチミン(T)と、グアニン(G)はシトシン(C)と連結して対を作る。この塩基の厳密な対形成が、遺伝子としてのDNAの正確な複製を可能にしているのである。対を作る塩基の相手は決まっているわけだから、DNAの片方さえあればもう一方は必然的に決まってしまう。そのため、DNAの2本のテープが解けて1本のテープとなると、それぞれが鋳型となって新しい2組のDNAを複製できるわけである。

 

(注) DNAの合成では、ポリヌクレオチド鎖の3´-ヒドロキシ(−OH)末端に高エネルギーを持つヌクレオシド三リン酸を付加し、そのリン酸結合の加水分解で放出されるエネルギーを利用して、ヌクレオチド単量体の5´末端のリン酸基との間で重合反応を起こし鎖を伸ばして行く。このため、DNA合成は5´→3´の方向に行われる事になる。

 

  DNAの遺伝情報は、この塩基配列の中に隠されている。遺伝暗号は塩基3個の配列が単位となっており(トリプレット暗号)、これをコドンと呼んでいる。4種類の塩基が3個並ぶわけだから、64通り(=43)の組み合わせが可能となる。このうち61通りがタンパク質を構成する20種類のアミノ酸をコードし、残りの3通りが暗号の終わりを示す終止コドンとなっている。つまり、1つの遺伝暗号は1つのアミノ酸をコードし、この遺伝暗号が長くつながった遺伝子は、特定のアミノ酸配列を指定している事になる。ヒトの体内には約15万種類ものタンパク質があると言われるが、これらは総て20種類のアミノ酸が鎖の様に長くつながって出来ている。即ち、遺伝子というのはタンパク質のアミノ酸配列をコードした、タンパク質合成のための設計図という事ができるのである。

  では、どうしてタンパク質合成の設計図に過ぎないDNAが、遺伝子として生物の自己複製に必要な情報を伝達する事ができるのか。それはタンパク質の高度に発達した特別な機能によっている。タンパク質分子はそれぞれ固有の立体構造を取っており、その立体構造を介した相互作用によって細胞内の様々な構造を作り上げると同時に、タンパク質酵素として生体内での様々な化学反応をコントロールしているのである。細胞内では、複雑な反応が効率的に秩序正しく起こっているが、これが可能なのは極めて特異性が高く効率的な触媒である酵素の働きによっている。酵素は特定の化学反応の速度だけを、10倍から1020倍にまで上昇させる事ができる。こうした酵素は、一部のRNA分子を除くと総てタンパク質から成り、タンパク質は生体の構成分子であると同時に、細胞内で起こる様々な生体反応のカギも握っているのである。遺伝子であるDNAの複製にも、このタンパク質酵素が不可欠で、タンパク質はその構造面と機能面を合わせて生命現象の実際上の担い手という事ができよう。遺伝子としてのDNAは、こうしたタンパク質を何時・何処で、どういう順序で合成するかを指示する事によって、環境の変化に合わせて生体反応を適切にコントロールすると同時に、卵細胞からの発生過程を制御して生物の自己複製を可能にしているのである。DNAには、建物や機械の設計図の様にその完成図が描かれているのではなく、それを作り上げる手順が書かれていると言っても良いだろう。あとはタンパク質間の相互作用によって、生物の構造が順を追って組み上げられて行くのである。この結果、本来はタンパク質合成の制御システムに過ぎないDNAが、遺伝子として機能する事ができるわけである。

 

 

 RNAとタンパク質合成システム

 

  遺伝システムは、遺伝情報を伝えるだけではなく、それ自身がタンパク質合成システムとなっている。あるいは、その一部と言った方がより正確かも知れない。遺伝情報を担うのがDNAだとすると、タンパク質合成を担っているのはRNAである。このDNAとRNAを合わせて核酸(細胞核にある酸性物質の意味)と呼んでいる。DNAもRNAもヌクレオチドが長くつながったものだが、その違いは

  @    糖の部分がDNAではデオキシリボース、RNAではリボースになっている。

   A    RNAでは塩基のチミン(T)の代わりにウラシル(U)が使われている。

  B DNAは規則正しい二重らせん構造をしているが、RNAはループと呼ばれる不規則な1本鎖の折りたたみ構造を作り、複雑な立体構造を取る事ができる。

 C  RNAは数千個、DNAは数百万個のヌクレオチドから成り、DNA分子の方がRNA分子よりもはるかに長い。

   D    DNAの方がRNAより化学的に安定している。

などの点がある。

  RNAの最も重要な機能がタンパク質の合成であるが、それに関連してRNAには3つの異なるグループが存在する。メッセンジャーRNA(mRNA)・転移RNA(tRNA:transfer RNA)・リボソームRNA(rRNA)の3種類で、総てDNAを鋳型として合成される(DNAの転写)。タンパク質の合成は、遺伝暗号の書かれたDNAの塩基配列をコピーしてmRNAを作る事、つまりDNAの転写から始まる。mRNAの合成はDNAの複製の場合と同様に、まずDNAの二重らせんが解けて1本鎖になり、そこに相補的な塩基を持つヌクレオチドが結合し、次々と付加して行く事によってRNA鎖が作られて行く。この合成反応を推進する酵素がRNAポリメラーゼである。しかし、こうして出来たRNA転写産物は、そのままではmRNAとして機能しない。それは真核生物の遺伝子が、一般に遺伝情報をコードしていないイントロンと呼ばれる介在配列を含むからで、RNA転写産物がmRNAとなる為にはこのイントロンを除去しなければならない。これがスプライシングで、そのためRNAは核内で次第に短くなり、最初に転写された5%程度しか細胞質に運ばれないと言う。こうして完成したmRNAは核から出て細胞質に移動し、そこでタンパク質合成が開始されるのである。ここで初めて、他の2種類のRNAが関係してくる。

 

(注) スプライシングは、イントロンの両端に存在する共通の保存配列(GU−AG、AU−AC)を、スプライソームと呼ばれるRNA(snRNA)とタンパク質の複合体が認識して行われる。イントロンは、5´末端のグアノシン残基と同じイントロン内の特定のアデノシン残基が結合して投げ縄構造の中間体を形成した後、切り出される。

 

  そのうちtRNAは、7090塩基長の小さなRNA分子で、各々特定のアミノ酸と結合してアミノアシルtRNAとなる。タンパク質を構成する20種類のアミノ酸には、それぞれ少なくとも1種類のtRNAが割り当てられているのである。そして、tRNAはこのアミノ酸結合部とは別の端に、アンチコドンと呼ばれるmRNA上のコドンと相補的な3塩基配列を持っている。これによってアミノ酸を結合したアミノアシルtRNAは、mRNAのコドンと対合して、mRNAの塩基配列に従ってアミノ酸を配列させる事ができる。つまりtRNAは、mRNAの塩基配列をタンパク質のアミノ酸配列に翻訳する、アダプターとして働いているのである。

  このtRNAとmRNAによるタンパク質合成反応を触媒しているのが、rRNAとタンパク質とから成る大きな複合体のリボソームである。細胞質には通常数百万個ものリボソームがあり、その構成要素のrRNAは細胞内に最も大量に存在するRNAで、大腸菌ではその80%を占めている。タンパク質の合成工場とも言うべきリボソームは、数種類のrRNAと50種類以上のタンパク質から構成され、その重さの半分以上を占めるrRNAが、触媒活性に中心的な役割を果たすと考えられている。このリボソームは、大サブユニットと小サブユニットが1つずつ結合してできており、真核生物でも原核生物でも構造と機能が極めて良く似ている。そして大サブユニットがペプチド結合の形成を触媒し、小サブユニットはmRNAとtRNAの結合に働いている。小サブユニットにはRNA分子の結合部位が3ヶ所存在し、その1つにmRNAが、他の2つにはtRNAが結合する。このtRNA結合部位の1つには、ポリペプチド鎖の伸長末端と結合したtRNAが結合し(P部位:peptidyl-tRNA-binding site)、もう1つにはアミノ酸を運んで来たtRNAが結合する(A部位:aminoacyl-tRNA-binding site)。小サブユニットに結合した2つのtRNAは、同様に小サブユニットに結合しているmRNAの隣り合ったコドンと相補的な塩基対を作って結合し、大サブユニットの触媒作用によって2つのtRNAが保持するポリペプチド鎖とアミノ酸との間でペプチド結合が形成され、ポリペプチド鎖にアミノ酸が1つ付加される事になる。次に、リボソームがmRNAに沿って1コドン分移動すると、P部位のtRNAは分離し、A部位にあったtRNAがP部位に移動して、A部位に再びアミノ酸を結合したtRNAが結合できる様になる。こうしてリボソームがmRNA上を3塩基ずつ移動して行く事で、ポリペプチド鎖に次々とアミノ酸が付加されタンパク質が合成されるのである。実際には、1つのmRNAに80塩基ほどの間隔で多くのリボソームが結合し(ポリリボソーム)、同時に翻訳を進めて行く。タンパク質合成工場としてのリボソームは極めて効率的で、真核細胞では1秒間に2個、細菌では1秒間に20個ものアミノ酸をポリペプチド鎖に付加し、こうしてタンパク質合成は平均2060秒という驚くべき短時間で完了する事になる。

 

(注) 大サブユニットにはA・P部位の他、ポリペプチド鎖を離したtRNAが結合するE部位も存在する。また翻訳時のエラーは、数万回に1回程度という。

(注)細菌の翻訳では、リボソームの小サブユニットが開始コドンの3〜10塩基上流の、シャイン・ダルガーノ配列と呼ばれるmRNAのコンセンサス配列に結合する事で始まるが、これは小サブユニット中の16rRNAの3´末端領域にある相補的配列と塩基対を形成する事で行われる。

 

  このように、タンパク質合成の実際はRNAによって担われている。しかし現在ほとんどの生物に於いて、タンパク質合成に必要な情報はDNAにより保持されており、DNAはこの情報のRNAへの転写をコントロールする事によって、タンパク質合成システム全体を制御している。つまりDNAは、RNAが実行するタンパク質合成システムの制御・管理部門として機能しているのである。今日の生物では、RNAによるタンパク質合成とDNAによる制御が結び付く事で、高度なタンパク質合成システムが形成されている。DNAは、タンパク質合成システムの構成要素の1つとしてその中に組み込まれ、文字どおりこのシステムの一部となっているのである。

 

 

 RNAワールド

 

  現代の生物学では、遺伝情報の流れはDNA→RNA→タンパク質と、一方通行であると考えられている。これはDNAの二重らせん構造の発見者の1人であるF.クリックによって、セントラル・ドグマと名付けられたものである。しかし最初の生命が誕生した頃には、遺伝情報もRNAによって担われていたとする考え方が今日では有力である。その理由は、まず第1にヌクレオチドを構成する五炭糖のリボースはホルムアルデヒドから合成できるが、DNAのデオキシリボースは無生物的には合成できない点が挙げられる。生物は、リボースの水酸基(−OH)を還元する事によってデオキシリボースを作っている。つまりDNAを構成するヌクレオチドは、RNAから生合成されているのである。一方、原始地球を模した化学進化実験で容易に生成するホルムアルデヒドは、元素組成(CH2O)がグルコース(CH2)6のそれと同じで、原理的にも五炭糖のリボースはホルムアルデヒドから合成が可能なのである。第2に、DNAよりもRNAの方が合成されやすい事がある。水溶液中で、無生物的にヌクレオチドを1個ずつつなげてオリゴヌクレオチドを作る縮合反応は、RNAの方がDNAよりもはるかに起こりやすいのである。これはリボースの2′位に水酸基がある事で、3′位の水酸基の反応性が高まる為と考えられている。第3に、RNAの複製は酵素と材料さえあれば進行するが、DNAの場合は、鋳型のポリヌクレオチド鎖にヌクレオチドを付加するだけでは合成を開始できない点である。DNAの複製には、それ以外にプライマー(導火線)と呼ばれる短鎖のRNAが必要なのである。RNA複製酵素とは異なり、DNA複製酵素(DNAポリメラーゼ)による反応では、DNA鎖を伸ばして行く際にヌクレオチドはデオキシリボースの自由な3′端に結合する為、1つ前のDNA鎖の3′端が必要となる。つまり、DNAの合成では元になるDNA鎖の先端があって初めて、その後に鎖を延ばして行く事ができるわけで、この元になる鎖がプライマーなのである。これはDNAでもRNAでも良く、細胞内ではDNAを鋳型にして酵素のプライマーゼによって、プライマーRNAが作られている(通常のRNAポリメラーゼは、プライマーRNAの合成には関与していない)。従って、DNA合成の開始点を識別するのはDNAポリメラーゼではなく、このプライマーゼという事になる。こうして作られたプライマーRNAの3′端を使って、そこからDNA鎖が延ばされて行く。要するに、DNAはRNAの助けがなければ、それだけでは複製できないのである。第4に、理論的には生命はDNAなしでも可能だが、RNAはそうは行かないという点である。生命にとって、タンパク質合成を実際に担っているRNAをなしで済ますわけには行かないが、遺伝情報の伝達というDNAの機能に関しては、RNAさえ複製可能ならばそれで事足りるわけである。

  これらの事から、進化の順序としてはRNAの方がDNAよりも先に出現したと考えられるのである。では、RNAとタンパク質との関係はどうだろうか。実は、これまで生命誕生を考える上で、ここには大きな問題が存在するとされて来た。前にも述べた様に、生体内の反応のほとんどはタンパク質によって担われている。しかも原始地球では、ポリペプチドは容易に無機的に生成したと考えられる。しかし、タンパク質には自己複製能力はないのである。現存する細胞内で、タンパク質が自己複製する系は知られていない。細菌・放線菌・カビ類によって生産される、アクチノマイシン・ブレオマイシン・デプシペプチド・ペニシリンなどのオリゴペプチド性(アミノ酸の数が数個から数十個の配列)の抗生物質は、mRNA・リボソーム系によらず、特異な酵素によって生産されていると言う。しかし正確な自己複製の為には、遺伝子であるDNAやRNAと、それと結び付いたタンパク質合成系が不可欠なのである。即ち、タンパク質に核酸が結び付く事によって初めて、完全な自己複製能力を持つ生命が誕生する事ができる。核酸によるタンパク質合成や遺伝のシステムを持たない細胞様高分子などは、単にランダムに分裂する、増殖性だけを持った細胞様の粒子に過ぎないのである。他方、核酸は自己複製に必要な遺伝情報を伝達する事ができるが、タンパク質の様な酵素活性は持っていない。生物が、核酸を合成する為には酵素としてのタンパク質を必要とするが、そのタンパク質を作るのに必要な情報は核酸が持っているのである。核酸とタンパク質のどちらが先に出現したのか、このニワトリが先か卵が先かという問題にも似た生命誕生のパラドックスは、近年タンパク質と同様に触媒機能を持つRNAが発見されて、新局面を迎える事となった。1981年に原生動物のテトラヒメナのrRNA前駆体で、タンパク質の関与なしにスプライシングが起こり、イントロンが切り出される反応が発見されたのである。このスプライシングは、RNAが自分自身で反応を行う事から自己スプライシングと呼ばれ、このように自分自身に作用するRNA触媒はリボザイムと名付けられた。

 

(注) 最初に発見されたリボザイムは、RNA単独でスプライシング反応を起こすイントロンで、真正細菌と真核生物のミトコンドリア・葉緑体のゲノムで見つかっている。こうした自己スプライシングイントロンはグループTとUに分類されるが、グループUイントロンでは核内mRNAのスプライシングと同様に、投げ縄構造の環状RNAを分離するという同形式の反応を使っている事から、このグループUイントロンがオルガネラから核に移行し、真核生物のスプライシングを行うスプライソームに進化したと考えられている。(4-9)

(注) 驚いた事に、この自己スプライシングはタンパク質でも見つかっている。RNA前駆体のエクソンとイントロンに対応して、タンパク質にもエクステインとインテインが有り、翻訳後インテイン自身の自己触媒によりインテインスプライシングが起こるのである。生命活動を実質的に担っているRNAとタンパク質が共にこの機能を持つという事は、活性分子にとってこの程度の事は朝飯前なのかも知れない。

 

 RNAはDNAと同様に、ヌクレオチドが鎖の様に長く繋がった構造をしている。そのため、1本の鎖を鋳型として相補的塩基対によって相補鎖を作る事で、自分自身を再生できる。つまりRNAもDNAと同様に、自己複製に極めて都合の良い分子特性を持っているのである。この遺伝情報の担体となり得る性質を持つRNAが、タンパク質と同じ触媒活性を持つという事になれば、先程の生命誕生のパラドックスは一気に解決してしまう。偶然に自己複製反応を触媒できるRNA分子が生まれると、この仮想的分子は遺伝情報と増殖機能の両方を持ち、それ自身原始生命と呼ばれるに相応しいものとなろう。こうして、生命は遺伝子と触媒の2つの働きをするRNAから始まったとする考え方が出て来たのである。

  生命誕生以前の原始地球では、有機物を分解するバクテリアも存在せず、合成された多種多様な有機物は分解される事なくどんどん蓄積して行ったと考えられる。その中には、RNAの構成成分であるヌクレオチドも混じっていた事だろう。これらのヌクレオチドはランダムに衝突を繰返し、徐々に大きな分子へと成長して行く。こうして合成された原始RNAの中に、偶然に自己複製能力を持つ分子が出現したのである。タンパク質とは異なり、正確な自己複製能力を持った原始RNA分子は、一度誕生すると急激にその数を増やして行った思われる。そして、複製時の誤りによって生じた変異RNA分子間で自然淘汰が働き、より効率的に自己複製できるRNA分子が選択され進化して行く事となる。こうして有機物の原始スープとなっていた原始の海に、RNA独自の世界が創り出されて行ったのである。これをRNAワールドと呼んでいる。

  生命誕生については、次の3つの可能性が考えられる。@ タンパク質が最初に作られた。A 核酸、特にRNAが先に作られた。B 核酸とタンパク質が同時に作られた。この内、Aが今日主流となりつつある。つまり、生命はRNAから始まったと考えるのである。まず最初に、自己複製能力を持つRNAが誕生してRNAワールドが出来上がり、その後、それにタンパク質ワールドが結び付いて今日の生命が生まれたとするのである。このRNAワールド説によると、生命は偶然に自己複製能力を持つ遺伝子が出現する事によって誕生したという事になる。つまり、生命は初めから遺伝子そのものとして誕生したわけで、遺伝子こそ生命の本質、あるいは生命そのものという事にもなろう。こうして、今日の生物学を席巻する遺伝子中心主義に凱歌があがる事になる。遺伝子こそ生命のすべてなのである。しかし、事実はそんなに単純なのだろうか。

 

 

 多機能分子RNA

 

 最初に発見されたリボザイムは、自己スプライシングするイントロン(グループTイントロンとグループUイントロン)だったが、その後自己切断能を持つハンマーヘッド型リボザイムやヘアピン型リボザイム・デルタ肝炎ウイルスリボザイム(HDVリボザイム)など様々な形態のものが見つかっている。ただ、これら天然のリボザイムは、ポリヌクレオチド鎖の切断と連結という機能しか持っていない。しかし、1990年に試験管内人工進化法(in vitro セレクション法またはSELEX)が開発されると、様々な触媒活性や分子認識能を持つRNA分子が人工的に作り出される様になって来た。これは、ランダムな配列を含むRNAプールの中から特定の機能を持つRNAを選別し、それをRT-PCR(逆転写PCR)によりDNAとして増幅、その後再び転写してRNAに戻すという操作を選択圧を加えながら繰り返す事で、RNAを試験管内で進化させるというものである。この結果、RNAやDNA鎖の切断と連結、鋳型を使ったRNA複製、RNAのアミノアシル化、tRNAから5´水酸基へのアミノ酸転移、自己リン酸化、ヌクレオチド合成、ペプチド結合形成など、実に多様な機能をもつリボザイムが得られている。また、触媒活性は持たないが、特定の分子を特異的に認識して結合する、アプタマーと呼ばれるRNA分子も多く選別されている。

 

(注) PCR(polymerase chain reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)というのは、プライマー間に挟まれたDNA領域を、試験管内で大量・迅速に増幅させる方法で、遺伝子工学に革命をもたらした技術である。RT-PCR(reverese transcription PCR)はこれをRNAに適用する為、PCRの前にRNAからcDNAを作成(逆転写)する変法。

(注) in vitro セレクション法は、様々な特性を持ったアプタマーやリボザイムを容易に生成できる事から、RNAの医薬品への応用が期待されている。

 

 さらにリボザイムの発見以降、RNAの研究が急速に進展する中で、従来考えられて来たのとは異なり、RNAが高い活性と多様な機能を持ち、生命反応においても極めて重要な役割を果している事が明らかになって来た。例えば、実際に細胞内で重要な働きをしている例としてrRNAが挙げられる。タンパク質合成を触媒するリボソームはrRNAとリボソームタンパクから成るが、後者が種によって大きく変化するのに対しrRNAは著しく保存性が高く、個々のドメインもあらゆる種に共通である事から、その機能はrRNAにより担われていると考えられている。実際、大サブユニットのリボソーム・タンパク質を除去しても、23rRNAの立体構造を崩さない様にすると、アミノ酸をつなぐ活性は失わないと言う。恐らく、最初はリボザイムとして誕生したものが、後にその効率や安定性を高める為に、タンパク質と複合体を形成する様になったと思われる。また、mRNAのスプライシングを触媒するスプライソームも、核内に局在する低分子のsnRNA(small nuclear RNA)とタンパク質との複合体で、snRNAはスプライス部位の認識等で重要な働きをしていると言う。このスプライシング機構が、最初に発見された自己スプライシングをするグループUイントロンと良く似ている事から、snRNAはこのリボザイムの各領域を独立した転写ユニットとして分離する事で進化して来たと考えられている。真核細胞の染色体末端にテロメア配列を付加するテロメラーゼも、RNAを内蔵した特殊な逆転写酵素で、そのRNA成分を鋳型に逆転写する事で繰り返し配列を伸張させている。またrRNAの合成と、細胞質から輸送されたタンパク質とを使ってリボソームのサブユニットを合成する核小体には、60200塩基長のsnoRNA(small nucleolar RNA)が多数存在し、核内タンパク質と複合体(snoRNP)を形成してrRNA前駆体の成熟や集合に関わっていると言う。tRNA前駆体の5´末端を加水分解して切断し、成熟tRNAを作成する酵素のリボヌクレアーゼP(RNaseP)も、タンパク質とRNAの複合体で、そのRNA成分(P RNA)が活性を担っている。変わった所では、真正細菌に含まれるtmRNAはtRNAとmRNAの両方の機能を持ち、終止コドンを欠く欠陥mRNAによって翻訳が停滞した時に、ペプチド伸張反応を強制的に終わらせリボソームをリサイクルする働きをしていると考えられている。さらに、真核生物から細菌まで存在するSRPRNAと総称される低分子RNAは、数種のタンパク質と結合してシグナル認識粒子(signal recognition particle)を形成し、リボソーム上で合成途中のタンパク質のN末端を認識し、そのタンパク質の膜輸送を行っていると言う。その他、遺伝情報を持たないRNAが発生・分化に関わっていたり、RNAの転写後プロセシングによりDNAの遺伝情報を書き換えるといった事まで行われている。RNAはタンパク質の合成をはじめ、重要な生命反応と分かちがたく結びついているのである。

 このように見てくると、タンパク質と共にRNAが生命反応に不可欠の分子である事が分かる。DNAと異なり、RNAはタンパク質と同様にその配列によって決まる固有の立体構造を取る事ができ、それがRNA分子に高い活性を付与している。この2種類の分子が良く似た活性や特性を持つ事が、その立体構造を介した相互作用を極めて緊密なものにし、その事が生命を可能にしているのである。つまり生命は、RNAとタンパク質との複雑な相互作用の上に生み出されたものなのである。

 

 

 RNAワールド説の問題点

 

  それでは、触媒機能を持つRNAから生命は始まったというRNAワールド仮説は正しいのだろうか。確かに、RNAワールド説はセントラル・ドグマに合致する事もあり(タンパク質よりRNAの方が先)、広く受け入れられる様になっている。ところがこの説には多くの問題点が存在する。第1に、原始地球の環境下ではアミノ酸やポリペプチドは容易に合成されるが、核酸の合成は困難な事である。確かに、1969年オーストラリアに落下したマーチソン隕石には、各種のアミノ酸と共に塩基も含まれていた。原始地球のシミュレーション実験でも、ヌクレオチドの塩基の合成は可能である。しかし、ヌクレオチドの糖成分の五炭糖を豊富に合成する事は困難で、各種の糖はホルムアルデヒドの熱重合などによって容易に生成するが、五炭糖だけが選択的に生成されにくく、わずかに得られた五炭糖も様々な異性体の混合物であると言う。さらにDNAのデオキシリボースが、無生物的には生成しない事は先に述べた通りである。同じ生体高分子といっても、核酸とタンパク質では状況が大きく異なっているのである。さらにヌクレオチドが合成されたとしても、原始スープの中でモノヌクレオチドが多数つながって、RNAが自然合成されたという証拠もない。リボザイムの様な触媒活性を持つポリヌクレオチドは、モノヌクレオチドが400個ほど繋がったものだが、現段階では試験管中で4050個繋がったオリゴヌクレオチドを合成できるだけである。原始地球を模した環境下で、長鎖のRNAを鋳型なしで合成する事は困難なのである。また現在、in vitro セレクション法を用いて、RNAを鋳型にしたRNAの合成活性を持つリボザイムが得られているが、まだ6残基を伸張できるだけだと言う。

 第2に、RNAはDNAと異なり化学的に不安定で、水溶液中では種々の金属イオンによって加水分解されやすいのである。これは細胞内でも同じで、タンパク質に翻訳される遺伝子はRNAポリメラーゼUによって転写されるが、こうして合成されたRNAの大部分は不安定で、核内ですぐに分解される事が知られている。合成されたRNAの半分以上は、スプライシングされる前のエキソンとイントロンの両方を含んだmRNA前駆体であるが、このほとんどは核内で迅速に分解される結果、それから作られるmRNAは細胞のRNA総量のごく一部を占めるに過ぎないのである。また、真核細胞と古細菌ではmRNAが核内で合成される時、DNAからの転写後にプロセッシングと呼ばれる一連の加工処理が行われ、その中で未成熟のRNAの両端にある構造体が付加される。mRNAの鎖が2030ヌクレオチドになると、その先端の5′末端に5′キャップと呼ばれる構造が付け加えられ、そして合成が完了すると今度は末尾の3′末端に、ポリAと呼ばれるアデニル酸が150200個繋がった構造体が付加されるが、これらの役割の1つはmRNAの安定化にあると考えられている。ポリAやキャップ構造を持たないmRNAは、細胞内で数分の内に分解されてしまうのである。また、細菌細胞のmRNAの多くは非常に不安定で、半減期約3分で合成されるしりから分解されて行くと言う。生物はこのRNAの不安定性を積極的に利用してもいる。mRNAの安定性の変化をうまく使って、遺伝子発現を調節しているのである。このようにRNAは化学的に不安定で分解されやすく、タンパク質などと複合体を形成しない限り、RNA単独では原始スープの中で安定して存続する事は難しいのである。

 第3に、RNAが触媒活性を持つとは言うものの、それが極めて限られたものであり、タンパク質酵素の活性とは比べ物にならない事である。酵素の活性のもとは立体構造にあるわけだが、RNAを構成する塩基は4種類しかなく、20種類ものアミノ酸側鎖を持つタンパク質酵素と比べると、その立体構造の多様性・柔軟性・安定性いずれにおいてもはるかに劣る。したがってtRNAなどの例外を除くと、ほとんどのRNAはタンパク質と複合体(RNP:ribonucleoprotein)を作って機能しており、リボザイムは複合体を形成する事で始めてその活性を十分に発揮できるのである。実際、タンパク質と結合していない裸のRNAの活性は非常に低い。しかも、細胞内で機能しているリボザイムのほとんどは、核酸が基質となる反応に関わっている。つまりリボザイムは、RNAの持つ相補的塩基配列を利用した核酸との安定・正確な結合や、鋳型としての機能を活かした酵素反応を受け持っているのである。特に現在のDNA生物では、RNAがDNAとタンパク質の仲立ちを行っている。タンパク質とRNAは、互いにその特性を活かしながら役割・機能を分担し、相互補完・相互依存関係を構築する事で生命活動を支えているわけである。

 最後に、原始地球の深海底で、RNAよりはるかに多く存在したと考えられるタンパク質と相互作用する事なく、RNAだけで生命を形作ったとは考え難い点である。先に見たように、RNAはタンパク質との相互作用に適した特性を持っているわけだから、あえてタンパク質を排除してRNAだけで初期の生命を形作らなければならない理由は何もない。むしろ、RNAが高い活性を持つ事自体が、その周囲に豊富に存在したであろうタンパク質との相互作用を必然・不可避なものにしたと思われる。RNAの主要な機能がタンパク合成である事を見ても、生命の本質がRNAとタンパク質の相互作用にある事は明らかであろう。したがって、生命はその誕生の最初から、RNAとタンパク質が相互作用する中で生まれて来たと考えるほうが合理的と思われる。

 ところで、生命反応がタンパク質とRNAの相互作用によって担われているという点を考慮すると、タンパク質とRNAの間の相互補完・相互依存関係の確立、あるいは両者間の相互依存ループの成立が、生命誕生のキーポイントだったと考えていいだろう。つまり、タンパク質合成系とRNA複製系が成立し、両者間でのタンパク酵素とRNAの融通・交換を通して相互創成・依存関係ができた時に、原始生命は誕生したのである。

  これらの事から、RNAワールド説の言うようにRNAのみで最初の生物が誕生したと考えるのは、極めて困難なのである。それでは、どのようにしてRNAは生成され、タンパク質合成システムが構築されて最初の生命が誕生したのだろうか。

 

 

 細胞様高分子内でのRNA合成

 

  原始地球の環境下では、ポリヌクレオチド(核酸)よりもポリペプチド(タンパク質)の方がはるかに生成しやすい事。そして、アミノ酸を様々な模擬原始地球環境に入れて反応させると、容易にタンパク質の膜を持つ細胞に似た構造(細胞様構造)が形成される事も分かっている。しかも、無生物的に合成されたポリペプチドでも、弱いながらも触媒活性を示すと言う。このように、圧倒的に高濃度のタンパク質やオリゴペプチドを含んでいたと思われる原始スープの中で、触媒能の点では格段に優れたタンパク質の関与を全く受けないで、RNAだけで独自に自己複製系が生まれたと考える事は、極めて非現実的と言わなければならない。遺伝子中心主義の偏見に捕われずに考えると、最も現実的なのは、核酸とタンパク質が最初から共存し、互いに影響を及ぼし合いながら相互作用する中で最初の生命が誕生したとするシナリオであろう。そして、無生物的には合成の困難なRNAは、タンパク質ワールドである閉鎖系の細胞様構造(始原細胞)の内部で、合成・蓄積が進んだと考えるのが合理的である。化学的に極めて不安定で合成の困難なリボースも、濃縮されたタンパク質の集合系である始原細胞内では、容易に合成・蓄積の可能な環境が整いやすかったと思われるからである (3-18)。事実、生きた細胞の中では、五炭糖が極めて容易に合成・蓄積される微環境が与えられている。このリボースに、原始地球環境下で容易に生成したと考えられる核酸塩基が結合してヌクレオシドができ、さらにそれにリン酸が結合してヌクレオチドが形成された。そして、このヌクレオチドが長く繋がってRNAが出来上がるのである。ただ、この間の結合は脱水反応の為、水溶液中では自然に起こる事はない。しかし、ヌクレオシドに水に溶けない疎水性のリン脂質を結合させて複合体(5′ホスファチジルヌクレオシド)を作ると、この複合体は水溶液中で自然に自己集合し、4050程のヌクレオチドが連結した、DNAやRNAに似た直線状や環状のらせん構造体を形成するという (4-4)。即ち、条件さえ整えば、低分子が自己組織化してRNAの様な高分子が生成されるのである。

  ここで使われた疎水性のリン脂質は、実は生物の細胞膜の主な構成要素でもある。リン脂質は両親媒性の分子で、親水性の頭部と疎水性の炭化水素鎖の尾部を持っている。この為、水中では疎水性の尾部を内側に包み込み、親水性の頭部が水に接する様にして集合する。この時、リン脂質分子の集合の仕方には2通りあり、1つは尾を内側に向けて球状のミセルを作る方法。もう1つは、同じく尾を内側に向けて2分子が向かい合い、脂質二重層のシートを作る方法である。このリン脂質二重層に、様々な種類のタンパク質が埋め込まれたものが細胞膜なのである。脂質膜の原料となる、脂肪酸・グリセリン・リン酸塩などは、初期の原始地球での化学進化で作られ、原始スープの中に存在していたと考えられる。これらの原料に縮合剤を混ぜて反応させるだけで、自己集合して脂質膜が形成される。これにタンパク質を加えると脂質膜の中に取り込まれ、直径5μm位までの安定な脂質・タンパク質膜の球体が出来上がる。そして、脂質膜に取り込ませるタンパク質の成分を変えると、物質の透過性など膜の機能も変化すると言う。このように原始スープの中では、化学進化とその結果生まれた高分子間の相互作用による自己組織化により、脂質二重層の生体膜が形成され、タンパク質を取り込んだ細胞様構造までもが自然に生まれていたと考えられるのである。

  原始の海では、こうしたリン脂質二重層の生体膜でタンパク質を内に包み込んだ細胞様構造が、無数に生成していたものと思われる。その閉鎖的なタンパク質ワールドの中でヌクレオシドが生成され、それがリン脂質の膜の表面に結合しながら次々と連結する事で、RNAが合成されて行ったのではないだろうか。現在、生物のタンパク質合成には3種類のRNAが関っている。このように何種類もの分子が分業して1つの複雑な合成反応を起こす為には、これらの分子が原始スープの様な開放系の中に分散していては困難である。それは細胞様構造の様な小さな空間に、必要な分子が閉じ込められて初めて可能となろう。この事からも、原始スープの中で生成された細胞様構造のタンパク質ワールドの中で、RNAが合成され機能する様になったと考える方が合理的と思われる。そして細胞様構造の内部で、タンパク質とRNAの相互作用によって、タンパク質合成システムが形作られて行く事になるのである。

 

 

 遺伝暗号の起源

 

  こうして原始地球の化学進化の中で、タンパク質・核酸・脂質膜が生成され、さらにはこれらの高分子が自己集合して細胞様構造までもが作り出される事となった。あとは核酸の塩基配列をいかにしてタンパク質のアミノ酸配列に変換するか、つまりタンパク質合成システムの構築である。その中でも最大の難問は、遺伝暗号の誕生であろう。次にこの点について見て行こう。

  mRNAの塩基配列をタンパク質のアミノ酸配列に変換する、アダプターの役割を果たしているのがtRNAである事は先にも述べた。このtRNAには、それぞれ決まったアミノ酸が結合する。mRNAの塩基配列は、塩基3つが1セット(コドン)となってアミノ酸を指定し、それに同じく3つの塩基が1セットになったtRNAのアンチコドンが対合する事によって、mRNAの塩基配列がアミノ酸配列に置き換えられるのである。つまり、この遺伝暗号システムの鍵は、特定のアンチコドンを持ったtRNAに特定のアミノ酸が結合する事にある。タンパク質合成の過程で、どのアミノ酸を結合させるかを決めるのはtRNA分子であり、タンパク質合成の正確さは、アミノ酸をそれに対応する特定のtRNAに結合させる機構の精度にかかっているのである。この結合反応を触媒しているのはアミノアシルtRNA合成酵素で、各アミノ酸ごとに1種ずつ異なる合成酵素が存在する。RNAのコドン・アンチコドンの3個の塩基配列(トリプレット)と、20種類のアミノ酸との対応関係が遺伝コードで、この遺伝暗号が生物のタンパク質合成システムそして遺伝システムの基礎となっている。遺伝コードの誕生によって初めて生命は可能になったと言っても過言ではない。遺伝コードはミトコンドリアなどに見られる一部の例外を除くと、バクテリアから高等生物に至るまで、地球上の総ての生物に共通である事が分かっており、文字どおり生命共通の基盤となっているのである。

  このように驚くべき普遍性を持ち、生命活動の基盤となっている、わずか塩基3文字からなる遺伝暗号はどのようにして生まれたのだろうか。この遺伝コードの起源については、大きく分けて2種類の仮説が存在する。偶然凍結説と立体化学説である。偶然凍結説はF.クリックによって提唱された説で、RNAからアミノ酸への翻訳システムができる時、遺伝コードとアミノ酸との対応関係がある時偶然に決定され、それがそのまま固定されたとする説である。しかし全生物に共通のシステム、それもかなり複雑なシステムが何の必然性もなく単に1回限りの偶然によって誕生し、以後変化する事なく固定されたと考えるのはかなり困難な様に思われる。もう1つの立体化学説は、tRNAとアミノ酸との分子間の立体構造的な相互作用によって、遺伝コードが形成されたとするものである。アミノ酸配列と核酸塩基配列との対応関係を分子の立体構造から探ろうとする試みは、遺伝コードが解明される以前からなされていた。例えば、理論物理学者のガモフ(宇宙のビッグバン仮説の提唱者としても知られる)は、ワトソンとクリックの二重らせんモデルが出された直後の1953年に、DNAの2本鎖間の穴に対応するアミノ酸が入り込み重合するという仮説を提出している。この簡単なモデルは今日では否定されているが、以来、tRNAのアンチコドン部分とアミノ酸との間の相関関係を見出す試みが、繰返しなされて来たのである。

 

4-2  遺伝暗号(コード)表                                                         

第1文字

第 2 文 字

第3文字

Phe

Phe

Leu

Leu

Ser

Ser

Ser

Ser

Tyr

Tyr

終止

終止

Cys

Cys

終止

Trp

Leu

Leu

Leu

Leu

Pro

Pro

Pro

Pro

His

His

Gln

Gln

Arg

Arg

Arg

Arg

Ile

Ile

Ile

Met

Thr

Thr

Thr

Thr

Asn

Asn

Lys

Lys

Ser

Ser

Arg

Arg

Val

Val

Val

Val

Ala

Ala

Ala

Ala

Asp

Asp

Glu

Glu

Gly

Gly

Gly

Gly

(アミノ酸の略号) Ala アラニン・Arg アルギニン・Asn アスパラギン・Asp アスパラギン酸・

   Cys システイン・Glu グルタミン酸・Gln グルタミン・Gly グリシン・His ヒスチジン・Ile

   イソロイシン・Leu ロイシン・Lys リシン・Met メチオニン・Phe フェニルアラニン・Pro

   プロリン・Ser セリン・Thr トレオニン・Trp トリプトファン・Tyr チロシン・Val バリン

 

テキスト ボックス: ACC4-7 tRNAの平面構造

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注) 非普遍暗号はミトコンドリアの他、マイコプラズマや繊毛虫でも発見されている。しかし、こうした普遍コードからの逸脱には一定のパターンが存在し、それが偶然ランダムに決まったものではない事を示している。例えば、終止コドンのUGAが変化する時はトリプトファンになっているし、AUAのイソロイシンはメチオニンに変化している。

 

  近年、この立体化学説に関して、宇宙科学研究所の清水幹夫からC4Nモデルと名付けられた画期的な仮説が提出された。前にも述べた様に、RNAはその1本鎖のあちこちで相補的塩基対を形成して、いくつものループを作って折れ曲り、独特の立体構造を作り上げている。tRNAも3つのループを持ち、特徴的なL字型の立体構造(三次構造)をとっており、これを平面に広げると、3枚の葉を持つクローバー葉型の平面構造(二次構造)になる事が分かっている(tRNAは1本鎖の為、一筆書のクローバーになる)。このクローバーの中央の葉(アンチコドンループ)の先端にアンチコドンが有り、ここでmRNAのコドンと対合し、そしてアンチコドンと反対側のクローバー葉の柄(アクセプターステム)の先端に当たる、tRNAの3′末端にアミノ酸が結合する。この3′末端の手前の3塩基は総てのtRNAに共通でCCAとなっているが、その1つ前の塩基はアミノ酸ごとに決まっていて、識別塩基(ディスクリミネーター)と呼ばれている。tRNAが縦に折れ曲がると、この識別塩基とアンチコドンの塩基間で水素結合が形成され、4つの塩基の間にポケットの様な空間が出来上がる。このポケットに、アンチコドンに対応するアミノ酸がちょうどはまり込むというのがC4N説である。清水は分子模型を組み立てている時に、この関係を見つけたと言う。C4Nというのは、4つのヌクレオチドから出来た複合体(complex of four nucleotides)の意味である。このC4N説によると、tRNAと特定のアミノ酸との直接的接触を無理なく説明できると同時に、様々な問題にも答える事ができると言う。まず、現在アミノ酸は300種類以上が知られているが、細菌から動物・植物に至るまでタンパク質にはこの内の同じ20種類のアミノ酸だけが使われており、生命進化を巡る謎の1つであったが、これがうまく説明できる。C4Nが作るポケットの大きさはこの20種類のアミノ酸にはちょうどいいが、それ以外のアミノ酸ではうまくはまらないのである。しかも、C4Nには生物が使っているL型アミノ酸だけがはまり込むと言う。また、RNAを構成するヌクレオチド間の結合は3′−5′の繰返しになっているが、2′−5′では塩基の位置がC4Nを作り難い。そしてアミノ酸をコードせず、タンパク質合成の停止信号となっているナンセンス・コドンに対応するアンチコドンでは、C4Nの穴が小さすぎてどのアミノ酸も入り込めない。さらに、コドンは第1・第2文字が重要で、第3文字は融通が利くといった塩基の組み合わせの特徴(ゆらぎ)や、1つのアミノ酸に複数の対応するコドンがある事なども、C4Nとアミノ酸の立体構造からうまく説明できると言う。このようにC4N説によると、遺伝暗号の起源を高分子間の立体構造を介した相互作用の結果として、特別な仮定を設ける必要もなく自然に無理なく説明できるのである。(4-10) (4-11)

 

(注) DとTループ中のヌクレオチドが塩基対を形成して、tRNAをL字構造に折りたたんでいる。

(注) アミノアシルtRNA合成酵素は、tRNAとは強く相互作用するが、アミノ酸との相互作用はそれほど強くないと言う。この酵素はtRNAとアミノ酸との結合の誤りを少なくし、また誤りの修正反応の為に後に進化して来たのだろう。

(注) コドン認識のゆらぎが生じるのは、tRNAのループ上にあるアンチコドンがわずかに湾曲している為、コドンの3番目とアンチコドンの1番目のヌクレオチドとの間で非標準的塩基対が形成される事による。また、こうしたゆらぎはtRNAの節約に役立っていると言う。(1-12)

 

 

 タンパク質合成システムの成立

 

  これまでの所を踏まえて、タンパク質合成システムの成立そして生命誕生に関して、次の様なシナリオを描く事ができるだろう。

  まず、原始スープの中でタンパク質や塩基・リン脂質などが化学進化によって合成され、これらの高分子が自己集合する事で、リン脂質二重層の細胞膜を持った細胞様構造が無数に誕生した。この閉ざされたタンパク質ワールドの内部で、リボースそしてヌクレオチドが合成され、それがリン脂質の膜の表面で次々に連結して、様々なRNAの断片が合成されて行ったと考えられる。その中にC4N構造をとるRNAが出現し、特定のアミノ酸と結合する様になる。こうしてアミノ酸とRNAとの立体構造を介した相互作用の中で、遺伝暗号が誕生するのである。最初の原始的なtRNAは縦軸の部分、即ちクローバー葉型の主葉柄のアクセプターステムと真ん中の葉のアンチコドンループだけを持った、簡単なものだったと思われる。それが中央で折れ曲り、アンチコドン部位に識別塩基が近づき、C4Nの形になったのだろう。そして、その後の進化の中で部分的に重複しては長くなり、現在の様なクローバー葉型のtRNAに進化して行ったと考えられる。例えば、ヒトやウシのミトコンドリアのセリンtRNAでは、全体に通常のtRNAより小さく簡略化されていて、Dループ(クローバー葉型モデルの5´末端側の葉)がないという。この生まれたばかりの原始tRNAにとって、アミノ酸と結合できる事は大きな利点となったはずである。何故なら、末端にアミノ酸が繋がったRNAは、よりコンパクトな形に折り畳まれ分解され難くなったからである (4-12)

  こうして様々なRNAが生まれて来ると、RNA分子の複製も始まった。RNAが複製に好都合な構造をしている事は先にも触れたとおりである。1本のRNAが鋳型となり、その一部と相補的な塩基配列を持つ小さなポリヌクレオチドがまず結合し、それがプライマー(導火線)として働いて、その先に次々にヌクレオチドが結合してRNA鎖が伸びて行くという様にして、最初のコピーが作られたのであろう。無生物的に合成されたポリペプチドでも、弱いながらも触媒活性を示す事が知られている。RNAの複製にも、このような原始の触媒が関っていた事が充分考えられる。アミノ酸と結合する事で、安定して存在できる様になった原始tRNAは、RNAの複製開始によってその優位性を発揮し、急速に数を殖やして行ったと思われる。こうしてアミノ酸と結合したアミノアシルtRNAが、細胞様構造の内部で増加して行く事になる。

  すると、アミノアシルtRNA同士の偶然の衝突によってアミノ酸が結合し、ペプチドが合成されるという反応も起こる様になる。このペプチド合成はまもなく現在の生物が行っている様に、mRNAにtRNAが相補的塩基対を作って結合して行われる事となった。偶然の衝突を待つよりもmRNA上に隣り合って並んだ方が、はるかに効率的にペプチド合成ができるからである。そして、この合成反応を触媒する原始rRNAも出現し、徐々に効率的なものに進化して行ったと考えられる。こうして、mRNAの指定するアミノ酸配列を持つ、特定のタンパク質の合成が始まったのである。それまでも、細胞様構造の内部でポリペプチドの合成反応は起こっていたと思われるが、それは偶然に左右されたランダムは反応で、言って見れば何ができるか分からない代物であった。

  こうして、特定のアミノ酸配列を持つタンパク質が正確に繰返し合成できる様になると、有用な機能を持ち細胞の存続に役立つポリペプチドを合成できる原始細胞は、正確な複製を繰り返して急速にその数を増し、優れたタンパク質情報を持つmRNAが蓄積されて行く事になった。このように生命誕生の初期には、原始スープに無数に存在した細胞様構造の中で様々な試行錯誤が行われ、徐々に生命反応の効率化が進行したものと思われる。この時代には、わずかな必然性と共に多くの偶然性が作用していたのである。

 

 

 DNAシステムの成立

 

  次はいよいよDNAの登場である。原始細胞内に蓄積された、有用なタンパク質情報を持つmRNAからの逆転写によって、DNAが合成されるのである。

  ウイルスにはRNAウイルスも存在するが、現在すべての生物はDNAを遺伝物質としている。この事は、現生生物界の始祖がDNA生物であった事を強く示唆している。DNAよりもRNAの方が先に合成された事は間違いないが、生命誕生のごく初期の段階でDNAが作られ、タンパク質合成の情報を保持する遺伝物質としての地位を確立したものと思われる。では何故、RNAではなくDNAでなければならなかったのか。まず、RNA分子の化学的不安定さが問題点として挙げられる。RNAは水中で温度やpH(ペーハー:水素イオン濃度)が高かったり、ある種の金属が存在すると容易に分解してしまう。RNAは情報を保持するという点では、充分な物質ではないのである。それに対して、二重らせん構造を持つDNAは化学的に極めて安定で、細胞周期の複製期を除いて大きな化学的変化を起こす事は知られていない。またRNAやタンパク質、特にmRNAの様に代謝回転によって激しく分子交代する事もない。紫外線の照射に対しても、1本鎖のRNAよりも2本鎖のDNAの方がダメージは少ない。その上、DNAはその2本鎖構造を利用して、損傷を受けてもそれを除去する様々な修復機能をも進化させて来た。さらに重要な点は、複製の精度がDNAの方が桁違いに高い事である。RNAでは複製の誤差率が2〜3万分の1であるのに対し、DNAの場合は10億分の1に過ぎない。このように極めて低い誤差率が可能となったのは、DNAが複製時の誤りを除去する校正機構を進化させて来たからである。RNAレプリカーゼが修復機能を持たないのに対し、DNAポリメラーゼは自分自身が作り出した誤りを取り除く、自己修正機能を持っているのである。複製可能な巨大分子を構成する単位ブロックの数は、その複製過程の誤差率の逆数より小さくなければならないという法則がある。そうでないと、分子の持つ情報は複製の繰返しによって回復不能なまでに失われてしまうからである。初期の粗雑なRNA複製の誤差率は、恐らくヌクレオチド70100個に付き1個程度で、従って最初のRNA遺伝子の最大長は70100塩基程度だったと推定できる。これは合成されるペプチドでいうと、アミノ酸2030個という事になる。しかし、こうした短いペプチドでも酵素の様な触媒作用を示し得る事が分かっている。最初の生命は、このような単純なものから始まったのだろう。ところが現在、哺乳類は3×109塩基対(bpbase pair)という途方もない巨大なゲノムを持っている。これは109塩基対に1個というDNA複製の精度と対応している(複製装置自体の精度は107だが、修復によって109まで高められる)。つまり、膨大な遺伝情報を持つ複雑な生物が出現するには、遺伝物質を2本鎖のDNAに変えて、複製の精度を飛躍的に高める事が不可欠だったのである。

 

(注)DNAポリメラーゼは、5´→3´方向の重合活性と同時に3´→5´方向のヌクレアーゼ(核酸分解)活性を持ち、DNA鎖の3´末端に新たに付加されたヌクレオチドが正常な塩基対を形成しない場合は、それを取り除き合成をやり直す機能を持っている。これによって大腸菌では、ゲノム複製時のエラー率が107から10101011に大きく改善している。しかしこの校正機構の為に、正しく対合した3´末端ヌクレオチドがない一本鎖の鋳型からはDNA合成を開始できないという事に、つまりDNA複製ではプライマーRNAが3´末端に結合している事が不可欠となったのである。

 

  では、どの様にしてDNAの合成が始まったのか。前に述べた様に、DNAを構成するデオキシリボヌクレオチドは無生物的にはほとんど生成しない。現生の生物は、リボヌクレオチドの2′水酸基を還元してデオキシリボヌクレオチドを生合成している。これを触媒しているのが、リボヌクレオチド二リン酸還元酵素である。まずこの酵素が出現してデオキシリボヌクレオチドを合成し、次にRNAからDNAを逆転写してコピーできる複製酵素が現れたと考えられる。通常の転写とは反対に、RNAからの逆転写を触媒するこの酵素(逆転写酵素)は、現在も生物界に存在している。直鎖状の1本鎖RNAを染色体に持つ小型ウイルスのレトロウイルスは、宿主細胞に感染するとこの逆転写酵素を使って、ウイルスRNAを鋳型にして2本鎖DNAを合成するのである。逆転写酵素によるDNA合成は、まずウイルスRNAのプライマー結合部位にtRNAの3′末端が結合し、それがプライマーとなって、その3′末端にデオキシリボヌクレオチドが付加して行く事で進行する。ウイルスRNAを鋳型にして1本鎖DNAが合成されると、RNA部分は逆転写酵素の作用で分解され、最後にこの1本鎖DNAを鋳型にもう片方の鎖も合成されて2本鎖DNAが完成する。こうして合成されたDNAは宿主細胞の染色体の中に組み込まれた後に発現し、今度は宿主の転写機構を使って、DNAからRNAを転写して新しいウイルスRNAを作り出すのである。この逆転写酵素は、最初はレトロウイルスに特有のものと考えられていたが、現在ではウイルス以外にも自然界に広く存在し、その遺伝情報は種々の生物のDNAに存在する事が確認されている。

  こうして、DNAがRNAからの逆転写で合成される様になると、mRNAが持っていた有用なタンパク質合成情報が、安定したDNAの形でどんどん蓄積されて行ったと思われる。DNAが合成される以前には、RNAの化学的不安定さと複製精度の低さから、いくら有用な情報でも長く保持する事は困難だったのである。DNAによって情報が安全に保存される様になると、後はDNAの複製機構とDNAからRNAへの転写機構によって、DNA→RNA→タンパク質というタンパク質合成システムが完成すれば、原始生命が誕生する事になる。このDNAシステムの登場には、3つの酵素が関っていた。まず最初に、RNAを鋳型にしてDNAを合成する逆転写酵素。次にDNAに保存された情報を、RNAに転写して取り出すRNAポリメラーゼ(転写酵素)。3つ目が、DNAを鋳型にして新しいDNAを複製するDNAポリメラーゼである。しかし最初は、この3つの機能はすべて同一の酵素、即ちRNAの複製を触媒するRNAレプリカーゼによって実行されたらしい (4-12)。これら4種類の酵素の関与する反応の基質と鋳型はかなり類似していたので、未完成の酵素はそれらを区別する事なく反応を触媒できたのである。しかし、タンパク質合成情報の保存場所としてのDNAの利用が固まって来ると、反応に関る酵素はだんだんと特殊化・専門化し、最終的には各反応を1つずつ専門の酵素が受け持つ様になって行った。それが上記の4つの酵素である。しかし、DNAシステムが確立すると、RNAを鋳型として利用する2つの酵素はその役割を終え、さらには事態を混乱させるだけの有害な余計者となって行った。原始細胞にとっては、DNA→RNA→タンパク質と情報の流れを統一し、指令系統を明確にして複写をDNAからだけに限定する方が都合が良かったのである。このためRNAレプリカーゼと逆転写酵素は排除されて、ある種のウイルスを除き大方の生物界から姿を消してしまう事になった。現在、逆転写酵素の遺伝情報が、バクテリアからヒトに至る広範囲の生物のDNAから見つかっているが、これは原始生命が誕生した当時のなごりなのである。

 

 

 DNA制御システムの遺伝への転用

 

  DNAシステムが確立し、DNA→RNA→タンパク質という情報の流れが定まると、ここに大きな可能性が開けて来る。つまり、DNAのmRNAへの転写をコントロールする事によって、タンパク質合成システム全体をDNAが制御する事が可能になったのである。DNAは単なるタンパク質合成情報の保存場所から、その制御システムへと進化して行く。そして、このDNAによる制御の成立が、生命を周囲の自然物から決定的に飛躍させる事になる。生命を無機物から分ける複雑で秩序だった反応や構造は、DNAの制御システムによって初めて可能となったのである。こうして、RNAによるタンパク質合成システムとDNA制御システムが結び付いて生命は確立し、地球上にその確固たる第一歩を記す事になる。

  後に残された問題は遺伝だけである。しかし、DNAの制御システムまで完成させた原始生命にとってそれは容易な事だったに違いない。何故なら、遺伝そして自己複製の為には、単にこのDNA制御システムの1セットを、細胞分裂時に子孫となる細胞に渡すだけで良かったからである。誕生して間もない初期の生命は、恐らく幾つものRNAやDNAを、その細胞内に整理されない状態で持っていたものと思われれる。そして細胞分裂に於いては、これらの核酸が細胞質と一緒に2つの娘細胞に分配される事で遺伝が行われたであろう。その後、DNAは1つの環状染色体に整理・統合され、細胞分裂ではこのDNAが複製され、正確に2つの娘細胞に分配するメカニズムが進化して行ったと考えられる。そしてそれが真核細胞では、有糸分裂という極めて高度な様式にまで高められた。こうして原始生命は、タンパク質合成システムの一部として進化して来たその制御システムを転用する事で、遺伝メカニズムを作り上げて行ったのである。

 

 

 高分子間の相互作用と生命の必然性

 

  原始地球ではアミノ酸やペプチドが無機的に合成され、これらの有機分子は自然に自己集合して細胞様構造を構築し、生きた細胞の代謝にも似た外界との物質交換まで行っていた。これはタンパク質をはじめとする、高分子間の相互作用による自己組織化によって生み出された構造であって、その物質としての性質が作り出したものと言う事もできる。実際、タンパク質は生物の体を形作る構造体であると同時に、生体内で行われる数千種類にも登る化学反応を触媒する酵素として、文字どおり生命活動を担っている物質である。タンパク質は本来その性質として、生命活性を持っているのである。しかし、様々なタンパク質とリン脂質の生体膜を持つ細胞様構造でも、まだ決して生命ではない。それが生命となるには、生命活動を担う多種類のタンパク質を必要に応じて正確に合成できなければならない。つまり、生命誕生には単にタンパク質を合成するだけではなく、それを正確にコントロールする事によって無数とも言える化学反応に秩序を与え、統一性のある生体反応を可能にする組織的なタンパク質合成システムが必要なのである。細胞様構造を構成する様々な高分子の混合物に秩序を与え、複雑な生命活動を可能にする、このタンパク質合成システムを作り上げていったのがRNA・DNAの核酸であった。つまり生命活性をもつタンパク質に、核酸によって構成されるタンパク質合成システムが結び付き、その生命活性を秩序づける事によって初めて生命が誕生したのである。

  核酸の中でも最初に出現したRNAは、その1本鎖の中に相補的な塩基配列があるとその部分で鎖が折れ曲り、対合して2本鎖を形成する。こうして1本鎖のあちこちでヘアピン様のループ構造を作り、全体が複雑な立体構造をとる事ができるのである。これは2本鎖のDNAが、1本の棒の様になるか、両端が繋がって環になるしか出来ないのと大きく異なっている。RNAは、分子内の相補性によって固有の立体構造をとり、その立体構造を介してRNA同士、または同様に固有の立体構造を持つタンパク質との間で、複雑な相互作用をする事ができるのである。tRNAが特定のアミノ酸と結合できるのも、この立体構造のお陰であった。実は、有機高分子が特有の立体構造を持つという事が、生命活性の基盤となっている。タンパク質は、多数のアミノ酸が1本の鎖の様に長く繋がったものだが、このアミノ酸間の相互作用によって固有の立体構造をとる。この立体構造が、タンパク質の酵素活性を生み出しているのである。

  確かに、生命進化の初期段階では、多くの偶然が作用していた事は間違いない。しかし進化の中で、特定のアミノ酸に結合する特定の塩基配列を持つtRNAが出現して来た事は、全くの偶然ではない。そこには立体構造を介した、高分子間の相互作用が存在していたのであり、一定の必然性が作用していたのである。遺伝暗号、そしてRNAによるタンパク質合成システム、さらにはDNAの制御システムを持つ生命の誕生も決して偶然の産物ではない。それは、原始スープの中に溶け込んでいたタンパク質をはじめとする様々な分子間の相互作用の中から、物質自身の自己組織化によって、一定の必然性を持って生まれて来たものなのである。

 

 

 錯綜した遺伝システム

 

 リボザイムの発見から始まったRNA研究の結果、RNAが極めて多彩な機能を持ち、重要な働きをしている事が明らかになった。特に、遺伝システムにおいても、単にDNAの情報をタンパク質に変換するだけの、あるいはDNAの指令通りに動くだけの機械的な歯車ではない事が分かって来た。ここでは、RNAの方から積極的に遺伝子DNAに修飾・修正を加えて、1つのDNAから様々な情報を引き出し、あるいは全く違った情報を新しく作り出してもいるのである。即ち、遺伝システムはセントラルドグマが示す様な整然とした中央集権的なものではなく、DNA・RNA・タンパク質が複雑に絡み合い、錯綜したシステムとなっているのである。例えば、選択的スプライシングでは隣り合ったエキソンが連結されるのではなく、特定のエキソンが除外されたり異なるスプライス部位が使われる事で、1つの遺伝子から転写されたmRNA前駆体から複数の異なる種類のmRNAが生成される。つまり、1個の遺伝子から機能的に異なる様々なタンパク質が合成される事になる。この選択的スプライシングは多くの遺伝子で確認されており、免疫や発生・分化の主要な過程、遺伝子の発現調節に関与しているものもあると言う。さらにRNAエディティングでは、転写後のRNAに塩基の挿入や欠失・置換が行われ、元のDNAにはない新たなアミノ酸配列を持つタンパク質が作り出されている。しかもトリパノソーマなどでは、これによってmRNA配列の半分以上が変化してしまうと言う。RNAエディティングは、ウイルス・葉緑体・ミトコンドリア・高等動物の核など広範な生物で発見され、生物界に一般的なRNA転写後の成熟過程の1つと考えられる様になっている。また、翻訳段階でもリコーディングと言って、翻訳フレームシフトや終止コドンの読み替えなどによって、単一の遺伝子からリコーディング効率に応じて複数のタンパク質を合成する事が行われている。これも、原核・真核生物およびウイルスと広範な生物で見られる。

 こうして見て来ると、遺伝システムというのは明白な目的を持って、合理的・意図的に設計されたものと言うより、DNA・RNA・タンパク質間の複雑に絡まり合った相互作用の寄せ集め、ごった煮の様なものである事が分かる。DNAの遺伝情報から正確にタンパク質を合成し、情報を間違いなく子孫に伝えて行くのが生命であると言うなら、セントラルドグマの示す様にDNAが情報を一元管理し、中央集権的にRNA・タンパク質に伝達する様にした方がずっとすっきりするし、理に叶っている様に思える。ところが生命は、不必要なまでに複雑・錯綜したシステムを作り上げ、我々の頭を悩まそうと企んでいるかの様でさえある。またこうした事は、生命がDNAに偶然起こる突然変異によって進化して行くとする単純・稚拙な理論とは無縁な、複雑極まりないシステムである事も示している。ここではDNAが一方的に総てを決定するのではなく、DNAとRNAとの複雑に絡み合った相互作用を通して初めて遺伝子は機能し得るのである。

 これは遺伝システムに限った事ではなく、同様の事は細胞内のシグナル伝達系においても見られる。多細胞生物が出現すると、シグナル分子を介した細胞間の情報伝達システムが進化して来る。このシグナル分子は、ステロイドホルモンや甲状腺ホルモンの様に、小さく疎水性で細胞膜を透過して細胞内の遺伝子調節タンパクや酵素を直接活性化するものと、大型で親水性が高く細胞膜を透過できない分子に分けられるが、ほとんどは後者で標的細胞の細胞膜に有る受容体に結合して情報を伝達する。この細胞表面受容体は、イオンチャンネル連結型受容体・Gタンパク連結型受容体・酵素連結型受容体の3ファミリーに大別でき、この内、イオンチャンネル連結型受容体は神経系でシナプスを介した高速伝達に使われ、イオンチャンネルの開閉を通して化学シグナルを電気シグナルに変換している。Gタンパク連結型受容体は、脊椎動物の目にある光受容体や鼻の臭覚受容体など細胞表面受容体の最大ファミリーで、GTP結合タンパク質の一種のGタンパク質を介してイオンチャンネルを調節したり、膜結合酵素(アデニル酸シクラーゼ、ホスホリパーゼC)を活性化し細胞内シグナル分子を生産させて情報を伝達させる。酵素連結型受容体では、細胞内ドメインの酵素活性をオンにして自らリン酸化し、次々と細胞内シグナル分子を活性化させて行く。この酵素連結型受容体を介したシグナル伝達(Rasが活性化するリン酸化反応系)の異常が、ガンの主要原因となっている。ところで、この2種類の受容体のシグナル伝達系は作用機構に似たところが多く、Gタンパク連結型受容体は環状AMPを介する系、酵素連結型受容体はRasを介する系を持つが、他に両者はホスホリパーゼCを活性化して小胞体のCa2+チャンネルを開く系を共用している。そして、どの系も結局はタンパクキナーゼ(リン酸化酵素)を活性化して標的タンパクや遺伝子調節タンパクのリン酸化を行うので、どの系を使って調節しても同じはずで、もっとすっきりとした単純なシステムで十分な様に思える。しかし実際には、これらの伝達系に含まれるタンパクキナーゼが他のシグナル伝達系の成分も合わせてリン酸化する為、系の間で混線が起こり、最終的には相互に調節し合う複雑に絡み合った連絡網を形成する事になる。こうして調節系は相互に影響を及ぼし合っているのである。哺乳類の細胞には1000種類以上のタンパクキナーゼが有ると言うから、このシグナル伝達系がいかに複雑かが分かろう。

 では何故、生命はこのような無駄とも思える複雑な機構を採用しているのだろうか。実は、ここには生命システムの持つ本質的な側面が垣間見えている。即ち、生命は最初に一貫した設計図があって合理的・合目的に作られたものではなく、様々な活性をもつ分子が寄り集まり相互作用する中で、高度な秩序が創出されて来たという事である。つまり、複雑に錯綜した相互依存関係を通して高度な秩序を生み出すという事こそが生命の営みであって、複雑に絡み合った相互作用自体が生命そのものなのである。