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第4章  地球の進化と生命

 


地球の不可逆的変化と生命進化

 進化の周期性と方向性

 

  生物の進化が、地球環境の周期変動に合わせて、大量絶滅と適応放散を繰返しながら進行して来た事を見た。生命は周期的に進化の加速期と停滞期を経験して来たわけである。しかし、40億年にも及ぶ生命進化の流れを振り返ると、そこには単なる周期変動ではない、方向性を持つ進化があった事が見て取れる。つまり進化の歴史の中には、最初の生命である原核細胞から複雑な細胞内構造を持った真核細胞へ、さらには真核細胞が多数集合し分業化した多細胞生物へという進化、また魚類から両生類・爬虫類そして哺乳類へという進化に見られる、より複雑なもの、より高度なものを生み出して行くという進化の様相がまぎれもなく存在するのである。

  では何故、進化はより優れたもの、より複雑で進歩したものを生み出すという方向性を持っている、あるいは持つ様に見えるのだろうか。これは進化が地球環境の周期的な変動によって引き起こされる、生態系の崩壊を含むその周期変動によって起こるというだけでは説明困難である。確かに生物自身が進化のメカニズムを持ち、進化のたびにその経験を遺伝情報として蓄えて行くならば、絶滅と適応放散を繰り返すだけで、ある程度の方向性を持つ進化をする事も可能かも知れない。しかし、ここにはさらに根本的な原因が存在しているのである。ここまで、地球環境は周期的に同じ様な変動を繰り返している事を見て来た。しかし実はそれだけではなく、地球は46億年前に小惑星の衝突によってどろどろに溶けた惑星として誕生して以来、大きな変化、それも周期的変動だけではない明らかな方向性を持った変化を経験して来ているのである。いうなれば地球自体が進化し、今日に至ったと言う事ができよう。そして生命の進化は、この地球の進化と深く結び付いて進んで来たのであり、その事が生命進化に一定の方向性を与える事になったと考えられるのである。

  この章では、地球がどのような方向性を持つ変化を経験し進化して来たのか、そして生命の進化と地球の進化がどのように絡み合いながら進行して来たのか、生物の初期進化に焦点を当てながら見て行く事にしよう。では、まず地球が長期的な視点から見ると、単なる周期変動だけではなく一定の方向性を持った変化をしている、つまり不可逆的な進化をしている事を示す例をいくつか見ておこう。

 

 

 地球の冷却

 

  地球の誕生以来の一貫した方向性を持つ変化として、まず第一に挙げられるのが地球の冷却である。地球は約46億年前、太陽の赤道面を回る直径10km程度の無数の微惑星が集まって形成されたと考えられている。この時、形成途中の原始地球の表面には微惑星が次々と衝突して大量の運動エネルギーが解放され、その熱によって地球表面はどろどろに溶けていた。つまり、地球は厚さ1000kmを超えるとも言われる、溶けたマグマの海に覆われた高温状態で誕生したのである。そして以後、地球は一貫して冷却して行く事になる。そして、この地球内部に蓄えられた熱の放出と、それによる内部温度の低下がその後の地球の進化史を規定する事になるのである。

 

(注) かって地球は、原始太陽系の塵が集積してできた冷たい地球から始まったとされていた。しかしアポロ計画で採取された月の石から、月の高地は4540億年前の斜長岩〜斜長岩質斑れい岩から成る事が分かり、誕生直後の月は深さ数百kmものマグマの海に覆われていた事が明らかとなった。斜長岩の厚さ60100kmの月地殻は、マグマオーシャンの冷却過程で重い輝石やかんらん岩が沈降、軽い斜長石は浮き上がって形成されたと言う。その結果、月より大きな重力エネルギーを持つ地球や他の惑星も当然、高温状態で誕生したと考えられる様になったのである。

 

  現在、地球が冷えつつあるのかどうかは、地球表面から出て行く熱と内部に蓄積される熱、つまり熱エネルギーの収支を見れば分かる。まず出て行く方では、実は地震や火山現象とは別にもっと大量の熱エネルギーが放出されている。地面を深く掘り進むと、地中の温度は徐々に上昇して行く。地球は内部ほど高温で、その為に地球内部から外に向かって常に熱が流出しているのである。これが地殻熱流量で、地球内部からの熱放出のほとんどを占め、地球全体では約420kW(キロワット)の熱が地表から宇宙空間に流れ出ている。

  一方、地球に入って来る熱で最大のものは太陽エネルギーで、その総量は180kWにもなり地殻熱流量に比べると桁違いに大きい。しかし、大気や海洋そして生物の活動に使われた太陽エネルギーは、最終的には赤外線として宇宙空間に放出されるため、大気を含めた地球の表層では、入って来る太陽エネルギーと出て行く熱エネルギーは平衡状態になっている。太陽エネルギーはほとんど地下には入り込まず、地球内部のエネルギー源とはなっていないのである。この事は、地中の温度が季節変化しない事にも表れている。地表のごく浅い部分を別にすると、井戸の水温が年中ほぼ一定の事からも分かる様に、ある程度より深い地中では温度は季節変化しない。つまり太陽エネルギーは、地球の内部活動にはほとんど影響を与えていないのである (2-41)。現在、地球内部のエネルギー源と考えられるのは、地殻とマントルにごく微量含まれる、ウラン235・ウラン238・トリウム232・カリウム40などの放射性元素の崩壊熱で、その発熱量は約200kWである。つまり、放射性元素の発熱量は地球表面から逃げ出す熱量の半分以下に過ぎず、現在、実際に熱を生んでいる発熱源は放射性元素以外に考えられない事から、地球は年々冷却しているという結論になる。また、10100億年の半減期(放射性元素が崩壊して半分になる時間)と、46億年の地球の年齢から考えると、地球の歴史の初め頃にはもっと多量の放射性元素が存在し、その発熱量もずっと大きかったはずで、太古代初期のマントルは現在より100200℃も高温であったと言う。つまり、地球は熱かった初期の状態から徐々に冷えながら、その熱を使って活動して来たと考えられるわけである。次に、この章と関係のある地球の初期進化について見て行く事にしよう。

 

 

 内核の成長

 

  さて、この地球の冷却に合わせて、地球内部でも一貫した方向性を持つ変化が起こっている。それが内核の成長である。地球の内部は岩石でできた地殻・マントルと、鉄で作られた中心部のコア(核)の2つに大きく分けられ、その構成物質も物性も大きく異なっている。コアは半径 3400 kmで地球半径 6370 kmの半分以上もあり、月の直径の 3500 kmに近い。コアはほとんどが鉄でできているが、これは微惑星の衝突により地球が誕生した当初、そこに含まれていた鉄分が衝突時の熱で融解し、岩石よりも重い鉄が中心部に降下して形成された為である。またこの鉄の落下は、その重力エネルギーの解放によって地球内部をさらに高温にする働きもした。こうして形成されたコアは、さらに内核と外核に分かれる。外核の主成分は鉄で10%ほど軽い物質が混じっているが、高温の為に極めてさらさらした液体となっており、1時間に1m程度のゆっくりした速度で流動している。地球内部の熱源である放射性元素は主に岩石に含まれ、コアにはほとんど存在しない為、エネルギー源として考えられるのは元々熱かったコアの初期の熱という事になる。つまり、高温で誕生したコアが徐々に冷えて行く過程で放出する熱エネルギーが、外核の流体運動を引き起こしているのである。そして、この流体運動が地球の磁場を生み出している。内核は半径1200 km程度の小さな球で、ほとんど純粋の固体の鉄からできている。コアは地球誕生時に鉄が中心部に沈降する事で形成されたわけだが、誕生した当時はコア全体が液体で内核はまだ存在していなかった。固体の鉄でできた内核は、コアが冷却するにつれて液体の中から固体が析出し中心部に沈むという形で、徐々に形成されて来たものなのである。こうして、コアは46億年間に300度ほど冷却した計算になると言う。そして、現在コア全体の約1/23を占める内核は、今後も地球の冷却に合わせて成長を続け、1000億年後にはコア全体が固体になってしまう。

 

 

 地球の自転速度の減少

 

  もう1つ、方向性を持った変化をして来たものに地球の自転がある。現在ほぼ24時間で自転しているが、地球はその誕生以来、今と同じ速度で回転し続けて来たわけではない。地球誕生の初期には、約6時間という非常に短い周期で自転していた事が分かっており、自転速度は46億年の歴史の中で徐々に減速して来たのである。その原因は月の潮汐力で、月は地球の周りをほぼ1ヶ月で回り、潮汐力を及ぼして海水を移動させ、また地球の固体部分をも変形させている。この潮汐力によって海水は月に向かう方向とその反対方向に膨らもうとするが、海水と海底面との間の摩擦によって、月に向いた海面ではなく少し遅れて最も膨らむ事になる。この摩擦が地球の自転を減速させているのである。逆に、その反作用として地球は月の公転運動を加速させ、その結果、月は徐々に地球から遠ざかっている。この自転速度の減速によって、地球の1日の長さは100年で1/1000秒ほど長くなり、月は1年で約2mほど地球から遠ざかる事になる。つまり、地球誕生時には地球の自転はもっと早く、月はもっと地球の近くを回っていたわけである。

 

 

 太陽定数の変化

 

  これは地球自身の変化ではないが、太陽の放射エネルギーも長期的には大きく変化して来た事が知られている。太陽エネルギーは地球が受け取るエネルギーのほとんどを占め、大気や海洋の活動、さらには生物の活動もこの太陽エネルギーが基になっている事は言うまでもない。従って、その変化は生物に大きな影響を与えてきたはずである。太陽の放射エネルギーは、地球に届く単位面積当たりの入射エネルギーで測定され、現在の平方 cm・分当たり1.961 カロリーと言う数値はほとんど不変に維持されており(太陽定数)、その変動幅はせいぜい0.1%までであると言う。ところが太陽系生成論によると、太陽系ができ始めた頃の太陽は現在より約30%も暗く、以後、地質時代の経過と共に徐々に明るさを増して来たと考えられている。そして太陽が主系列に入ってから、太陽定数は42.5億年前の1039 /2から現在の1367 /2に増加し、現在も1億年に約1%の割合で増加していると言う。つまり、42.5億年前には太陽放射エネルギーは現在の76%しかなかったわけで、太陽定数が1%変わると地表の平均気温は1〜2度変化するいう事からすると、24%もの変化は大変な事である。地球の誕生当初、太陽がこのように暗かったとすると、初期の地球は氷河で覆われた氷づけの世界だったという事にもなろう。しかし、初期の地球に氷河が存在しなかった事はほぼ間違いなく、この矛盾を「暗い太陽のパラドックス」と呼んでいる。現在では、この原因は大気組成の為で、初期の地球の大気が現在よりもはるかに多くの二酸化炭素を含み、その温室効果により太陽定数の低さを十分に補っていたと考えられている。

  この地質時代を通じた太陽の明るさの変化は、それ自体としては一貫した方向性を持つ変化であったが、大気の影響により地球環境に与えた影響としては、はっきりした方向性を持っていたかどうかは分からない。しかし、ここで幾つか例を挙げた様に、地球環境の中には単なる周期変動やランダムな変化ではない、時間の経過と共に方向性を持って変化する、様々な不可逆的変化がまぎれもなく存在する。地球自身のこのような方向性を持った変化が地球の進化を生み、且つまた生物の進化の方向づけに何等かの影響を与えてきた事は充分にあり得る事である。ここでは地球環境の変化が一定の方向性を持って進行しているという事、そしてそれが地球自身の進化と結び付いた必然的な過程である事を示す為に、主に地球の量的な変化に注目して述べてきた。しかし現実には、こうした方向性を持った量的変化に結び付いて様々な質的変化、例えば海の誕生や大陸の形成、強い地磁気の出現あるいは大気組成の変化等が生み出され、これら地球の進化に伴う地球環境の不可逆的変化と生物の進化が分かちがたく結び付き、互いに影響を及ぼし合いながら進行して来たのである。また、生物は地球環境の変化から大きな影響を受けて来たと同時に、生物自身が地球環境を作り変えてきた事も明らかな事実である。次に、生物の進化が地球の進化とどのように絡み合いながら進行して来たのか、それが良く表れている生物の初期進化の様子を段階をおって見て行く事にしよう。これまで生物の大進化は、大量絶滅後のがら空きになった生態系に、生き残った生物が適応放散する事によって集中的に起こる、あるいは地球環境の周期変動による生態系の崩壊と再構築の過程で起こると述べて来た。これは広く考えると、生物が競争相手となる先住者がいない新しい環境に進出する時に、進化は起こると言い替える事もできる。そして、この新たに進出した環境に適応する為に行われる体の改造が進化であるとも言えよう。このように捉えると、生命の初期進化と地球の進化との深い関係が見えて来る。つまり生命の初期進化に於いては、地球自身の進化に伴う地球環境の激変が生物に生息可能な全く新しい環境を生み出し、そこに生物が進出して新たな生態系を作り出す事によって、進化が進行して行ったと考えられるのである。こうして生物は海に誕生して後、河川・陸・空へとその生息域を拡大しながら進化して行った。つまり、生命進化の初期段階に於いては、生物の進化と地球の進化とが密接に結び付きダイナミックに進行して行ったのである。

 

 

生命誕生

 地球の誕生

 

  地球は約46億年前、原始太陽系の中で微惑星が衝突・集積して誕生した。微惑星の数は原始太陽系全体で10兆個、地球の軌道付近だけで約100億個も存在し、原始地球の直径が現在の半分ほどに達した頃には、1年間に平均1000個以上が落下していたと言う。微惑星は毎秒数kmから十数kmという高速で原始地球に衝突し、その瞬間そこに含まれていた水や二酸化炭素(CO2)は一瞬にして蒸発(衝突脱ガス)、こうして放出されたガスは原始地球が月程度の大きさに達した頃から地表を覆い始め、次第に濃さを増しながら原始大気を形成して行ったのである。この原始大気の80%は水蒸気で、残りは一酸化炭素(CO)から成っていたと考えられている(これは高温ではCOの方が安定な為で、COは次第に酸化されてCO2に変わって行った)。また、微惑星の衝突は莫大な運動エネルギーを解放し、大量の熱を発生させた。そして原始地球の濃密な大気、特に温室効果の強い水蒸気が熱の宇宙への放射を阻み、地表温度は次第に上昇して行き、遂には岩石が融け地表にマグマの海が形成される。この時、地表温度は1500K(ケルビン:絶対温度、273.15を引くと摂氏温度になる)にまで達したと考えられる。しかし、地球の直径が現在の80%程度になった頃から微惑星の衝突も減少し、地表温度は次第に下がり始めマグマの海も消滅して行く。当時、大気圧は200気圧を越えていたと思われるが、地表温度が200気圧下での水の臨界温度の650Kを下回ると、原始地球を包んでいた大量の水蒸気は一気に雨となって地球に降り注いだ。原始地球の水蒸気大気の量は約1021kgと見積もられるが、これは現在の海水の総量とほぼ一致する。恐らく300℃(摂氏)近くもある熱湯の雨が滝の様に降り注ぎ、原始地球に海が誕生したのである。海が出現した頃の地球は、地下にマグマの層とその表面に薄い原始地殻、さらにその上に150℃近くの熱湯の海が一面に広がり、それらを二酸化炭素の大気が包むという成層構造を形成していたと考えられる。

 

(注)大気中の希ガス(HeNe、Ar、Kr、Xe)の存在度が宇宙存在度に比べ著しく低い事から、地球の原始大気は原始太陽系星雲ガスをそのまま引き継いだものではなく、地球誕生後に内部からの脱ガスによって二次的に作られたと考えられている。

 

  今日、地球の大気は約78%の窒素と約21%の酸素とから成り、二酸化炭素はわずか0.035%しか含まれていない。しかし、現在の地表付近に残る炭素量から計算すると、海が誕生する以前の原始大気には、約60気圧の二酸化炭素が含まれていたと言う。ところが海が誕生すると二酸化炭素は海に溶けて炭酸イオンとなり、これが海水中のカルシウムやマグネシウムの陽イオンと化合して、石灰岩(炭酸カルシウム)などの炭酸塩鉱物を作り、海底に沈殿して大気中から除かれて行った。こうして、60気圧もあった二酸化炭素の大気も数気圧程度にまで減少したのである。(2-47)

  では、海ができたのはいつ頃の事だろうか。実はグリーンランドのイスアで、日本の研究者によって世界最古の枕状溶岩が発見されている。これは玄武岩質マグマが水中に噴出し、急冷されて枕の様な形に固まったものである。従って3839億年前には、地球上に既に海が存在していた事になる。また、同じ場所からは海洋プレート層序とデュープレックス構造が発見され、38億年前にプレートテクトニクスが働いていた事も実証された。それまで、太古代(始生代)の地殻の平均温度は700800℃にも上り、地殻は剛体として振舞う事ができず、プレートテクトニクスは機能しないと考えられていたのである。太古代の地球は、漠然と考えられていたほど熱くはなかったわけである。ところで、世界最古の花崗岩は40億年前にさかのぼるが、地球上にはそれ以前の岩石は見つかっていない。これは地表がマグマの海となって融けていた為と考えられる。マグマ・オーシャンに覆われた高温の地球から、原始海洋が生まれるには1000年ほどで可能であると言う。1000℃を越える地表温度が急速に低下して、130℃程度の原始海洋が生まれたのである。これらの事から、原始海洋の誕生は40億年前頃と考えてよいだろう。

 

(注) 海洋プレートは中央海嶺で生まれるが、出来たばかりのプレートの上には何も堆積していない。しかし、プレートが長い時間をかけて海底を移動し、最後に海溝で沈みこむ迄の間に様々な堆積物がその上に堆積する事になる。まず最初に、深海堆積物のチャート(主に微細な石英粒からなる緻密で硬い堆積岩)が堆積し、陸地に近づくにつれ泥岩や砂岩が堆積する様になる。こうして、海洋プレートには中央海嶺から離れるに従って、下側から中央海嶺玄武岩・チャート・泥岩・砂岩の順で、地層の積み重なり(層序)が発達する事になる。これを海洋プレート層序と呼んでいる。そして、こうした地層構造を持つ海洋プレートが海溝に沈みこむ時に、これらの堆積物が次々と畳み込まれて陸側に付加して行く事で、1本のチャート層が上の方に何本かの層に分岐するという特徴的な地質構造が形成される。これがデュープレックス構造である。(2-42)

 

  原始海洋ができる前の地球は、金星に見られる様なプルーム・テクトニクスが支配していたと考えられる。そこでは、プルームが地表に現れる点(ホット・スポット)の周りに、同心円状に新しい地殻が形成され、それに対応した量の物質がコールド・スポットの周り、あるいは海溝からマントル内に沈み込んで行く(コールド・プルーム)。ところが、原始海洋が誕生すると地殻は急速に冷却されて粘性が高くなり、もはやホット・スポットの周りに同心円状に地殻を作れなくなる。代わって、新しい地殻は中央海嶺に沿って生まれ剛体として振舞う様になる。つまり、プレート・テクトニクスが機能し始めるのである。そして、含水鉱物を含んだ海洋プレートが海溝からマントル内に沈み込み融解する事で、花崗岩質のマグマが出来上がる。実は、花崗岩は地球独特の岩石で、海が形成されなかった他の惑星では地表は基本的に玄武岩質岩石からなり、花崗岩は存在しない。つまり、海洋が誕生して初めて花崗岩質の地殻の形成が可能になるのである。一旦、花崗岩質の地殻が形成されると、玄武岩より密度が小さい為にマントル内に沈み込む事がなく、地表に残された花崗岩が大陸へと成長して行く。こうして最初の大陸地殻が海溝に沿ってでき始めた。孤状列島の誕生である。また、この時代のプレートは現在よりずっと小さく、当時の地球には数百から1千の海洋的マイクロ・プレートが存在したと言う。太古代の地球は、海洋マイクロ・プレートと弧状列島の時代であった。

 

(注)現在、地球表面には約10枚のプレートが存在するが、1枚の大きさは約3000kmでマントルの厚さ2900kmにほぼ等しく、これはマントルの対流泡の規模を反映したものと考えられる。ところが太古代は地球の温度が高く、プレートは浅い所で花崗岩を生成して下部マントルまで沈み込む事ができず、上部マントル内で対流していた為、それに合わせて小さなマイクロ・プレートが多数存在していたのである。したがって超大陸が生まれるには、太古代の上部・下部マントルに分かれた2層対流が、全層のマントル対流に変わらなければならない事になる。

 

 さて、アポロ計画で採集した月の石から誕生直後の月の様子が明らかになり、この時代の地球の状態を考える上で貴重な手掛かりが得られる事になった。それによると、月には約38億年前にさかのぼる記録が残されており、それから30億年前頃までは非常に活発な火山活動があったが、それ以降、月は死の天体となって火山活動は全く起きていないと言う。38億年前より古い岩石が少ないのは、それ以前には月の表面が融けていた為で、つまり月は高温で起源し誕生直後はマグマオーシャンで覆われていたのである。また、月面のクレーターは隕石の衝突によって出来たものだが、その多い所と少ない所の分布と各地域の年代測定から隕石の落下率の年代変化を求めると、38億年前には月に非常に多くの巨大隕石が落下し、それ以降、隕石の落下率は急速に低下して行った事が分かると言う。月と極めて近距離にある誕生当時の地球も良く似た状況にあったはずで、月面に巨大隕石が大量に落下していた38億年前頃には、質量が月の約80倍もある地球には、さらに多くの隕石が落下していたと思われる。(2-42)

  以上の事から40億年前の地球は、誕生したばかりの100℃以上もある高温の原始海洋に覆われ、まだ巨大大陸の存在しない海面にはあちこち弧状列島が顔を出し、その上を数気圧の二酸化炭素の大気が覆うという状況だったと思われる。また隕石も頻繁に落下を続け、海底では至る所で火山が噴出していた。地球全体が大量の熱を持ち激しく活動していたのである。そして、40億年前のこのような地球環境の中で最初の生命が誕生する事になる。この事は生命を考える上で大変重要な意味を持っている。生命は従来考えられて来た様に、長い時間をかけて試行錯誤を繰返し、少しずつ変異を積み重ねて初めて誕生したといったものでは決してない。生命は地球に海が誕生するのとほぼ同時に、高分子が分解されずに存在できる温度にまで冷やされるやいなや、突然発生したのである (4-1)。それは途方もない時間を要した、偶然の連鎖によって生み出された奇跡的な偶発事件ではなかった。生命は、その発生が可能になるや否や急激に出現したのであり、地球に海や大陸が誕生したのと同程度に必然的な出来事だったのである。今述べた40億年前の地球は、我々の感覚からするととても生命が棲める様な環境とは思えない。このような隕石が降り注ぐ熱湯の海で、本当に生命が誕生したのだろうか。実は、これと良く似た環境が現在の地球上にも存在し、しかもそこには多くの生命が息づいている。それが20年ほど前に発見された深海底の熱水噴出口である。

 

最古の岩石

 

  現在、地球を作る元になった隕石の年代から、地球の誕生は46億年前と考えられている。岩石の年代は放射性同位元素を使って測定しているが、これはまだ40年ほどの歴史しかない。1960年代初めにロシアのコラ半島で35億年前の片麻岩が発見され、しばらく世界最古の岩石とされていた。1971年にはグリーンランドのイスアで38億年前の片麻岩が発見され、さらに1989年にはカナダから40億年前のアカスタ片麻岩が報告され、現在これが世界最古の岩石である(西オーストラリア、イルガンクラトンのナリアー片麻岩体中の砕屑性ジルコンの年代として42億年前の値も得られている)。これら最古の岩石は花崗岩質片麻岩で、地球史のごく初期に大陸地殻が形成されていた事を示している。世界各地の楯状地からは37〜36億年前の岩石が産出しており、この頃には恐らく萌芽的な大陸地殻(島弧的な地殻)があちこちに出来ていたと思われる。地球の歴史はこの40億年前という年代を境に、それ以前の46〜40億年前の冥王代、40〜25億年前の太古代(始生代)、25〜5.4億年前までの原生代、そして5.4億年前から現在までの顕生代に区分される。冥王代とは、地質学的記録の残っていない地球の暗黒時代という意味である。(2-22) (2-42)

原始大気の組成

 

  1950年代までは、地球表面が融ける様な高温の時代は地球には存在しなかったと思われていた為、原始大気はメタン・アンモニア・水素・水蒸気などで構成されていたと推定された。宇宙に存在する元素を多い順にあげると、水素・ヘリウム・酸素・炭素・窒素となる。このうち化合物を作らず軽い為に、初期に宇宙空間に逃げ出したと思われるヘリウムを除いて、酸素・炭素・窒素はそれぞれ最も大量に存在する水素と化合して、水(H2O)・メタン(CH4)・アンモニア(NH4)となって存在していたと考えたわけである。

  しかし最近では月の石の研究から、原始地球が融けたマグマの海で覆われるほど高温になっていた事が分かり、そこではメタンやアンモニアは分解され、代わって二酸化炭素(CO2)・窒素ガス(N2)・水が、原始大気を構成していたと考えられる様になって来た。(4-2) (4-3) (4-4)

 

 

 熱水噴出口

 

  1977年、アメリカの深海調査艇アルビン号はガラパゴス諸島の北東320 km、深度2600mの深海底で、高温の熱水が噴出する熱水噴出口(ハイドロサーマルベンド)を発見した。しかも驚くべき事に、この太陽の光さえ届かない高温・高圧の極限環境に高密度の特異な生物群落が存在し、砂漠のオアシスの様に、暗黒の深海底で熱水噴出口の周りに特異な生態系を形作っていたのである。熱水噴出口は、中央海嶺の様な海洋プレートの湧き出し口、海底火山、火山列島の様な島孤の後ろ側にできる窪んだ海域(背孤海盆)などで発見されている。また日本付近にも存在し、那覇市の北北西130 kmの伊是名海穴、さらに北へ40 km行った伊平屋海嶺が知られており、ここからは200℃を越える熱水が噴出している。

  熱水噴出口は、地殻のすぐ下まで迫ったマグマ溜りの周辺に染み込んだ海水がマグマによって熱せられ、大量の金属イオンを含む高温・高圧の熱水となって海底から噴出したものである。熱水は上昇して来る時に周囲の玄武岩と反応して強い酸性となり、そしてケイ酸塩鉱物(地殻の主成分Si2と金属酸化物からなる塩)からは大量の金属イオンも溶かし出される。またここでは、熱水中に含まれる硫酸イオンが玄武岩中の二価の鉄イオンによって還元され、大量の硫化水素が発生している。熱水中の金属イオンはこの硫化水素と反応し、硫化物の形で上昇する通路の壁や噴出口付近に沈殿して行く。こうして噴出口の周りには析出した金属によって煙突構造(チムニー)が形成され、その先端から大量の金属イオンや硫化水素を含む熱水が黒煙の様に立ち上る事になる。これがブラック・スモーカーである。アルビン号によって発見された熱水噴出口の温度は350℃にも達し、その周囲の半径数百mに渡って水温2〜50℃の局所的な温水域、ホット・スポットができていた。そこに高密度の熱水生態系が形成されていたのである。ここでは、熱水中の硫化水素を酸化してエネルギーを取り出し炭素同化を行う、化学合成細菌のイオウ・バクテリアが一次生産者となり、このバクテリアを体内に大量に共生させた大型の二枚貝や管状のチューブ・ワーム、それらを餌にするエビやカニなどの甲殻類が多数生息している。この深海で最も繁栄しているチューブ・ワームは、口や肛門・消化管もなく、ただ硫化水素を鰓で取り込んで共生バクテリアに供給し、それが作り出すエネルギーや栄養素に依存して生活しているのである。その体内に共生するイオウ・バクテリアの量は体重の90%にもなると言う。

  オレゴン州立大学のJ.コーリスらは、このホット・スポットが太陽エネルギーとは無縁の環境下で、特異な生態系を成立させている点に注目して、深海底の熱水噴出口で生命は誕生したという仮説を発表した。以来、この熱水噴出口説は生命誕生の最も有力な候補の1つになっている。熱水噴出口の特徴は、第1に高温・高圧な事で、化学反応を進める為にはエネルギーが必要だが、ここには熱エネルギーがふんだんにある。岩の裂け目からしみ込んだ海水は、マグマの熱で急激に熱せられ様々な化学物質を取り込むが、マグマとの接触面を離れると今度は周囲の海水によって急速に冷却される。このため、高温で生成した物質は熱による分解を避ける事ができる。これは実験室で様々な分子を作る方法と同じで、熱水噴出口はいわば熱勾配のついた一種の流動性の反応炉となっているのである。第2の特徴は、メタン・水素・硫化水素・アンモニアなどの還元性ガスの濃度が極めて高く、周りの海水よりも還元的な環境になっている事である。一般的に、酸化的なガスからは有機物はできにくいが、還元的なガスからは容易に生成する事が分かっている。つまり熱水噴出口は、有機物のできやすい環境なのである。事実、紅海の熱水噴出口の海水から、アミノ酸のグリシンが周囲の海水よりも10倍も高い濃度で検出されている。これは、熱水噴出口の周辺で有機物が無生物的に合成されている可能性を示唆している。さらに第3の特徴は、鉄・マンガン・銅・亜鉛などの金属イオンの濃度が、通常の海水の1000倍以上と極めて高い事で、これらの金属イオンが熱水中での有機物合成反応に関わり、生命誕生に重要な役割を果たした可能性が考えられる。

 

(注) 鉄・銅・亜鉛・マンガン・コバルト・モリブデンなどの金属イオンの濃度を、100010万倍に高めた海水を人工的に作り、9種類のアミノ酸を加えて100300℃に熱して反応させると、マリグラヌール(海の粒子)と呼ばれる原始細胞を思わせる、薄い膜で覆われた中にアミノ酸の連結した高分子が入った0.3〜3μmの微小球体ができる。このマリグラヌールは、幾つかの球体がつながった連結構造をして発芽によって増殖すると言う。

 

  また生命誕生の熱水噴出口説は、化石の面からも裏付けられている。最古の生物化石は西オーストラリアのノースポール産のバクテリア化石であるが、この化石が出た母岩は非常に細かい石英(二酸化ケイ素)の粒子から成る、チャートと呼ばれる均質で緻密な堆積岩であった。普通、堆積岩に含まれる砂・岩石片など粒の粗い粒子は、陸域での侵食作用で作られ河川によって二次的に海に運ばれたものだが、チャートはこうした粗粒物質を全く含まず、それが陸から遠く離れた海洋中央部の深海底で堆積した事を示している。つまりノースポールのチャートは、太古代(始生代)前期に遠洋の深海底で堆積したものだったのである。さらに化石を産するチャート層は、広範囲に分布するが厚さはせいぜい50mで、その下層はいつも濃い緑色から肌色をした火成岩(玄武岩)の枕状溶岩になっている。これは粘性の低いマグマが地下から水中に噴出・固結してできた溶岩で、その厚さは800m以上に及び、それが大規模なマグマ活動の産物である事を示している。チャート層は、このような枕状溶岩の直上に堆積しているのである。さらに、この枕状溶岩には幅2m以下のチャートが脈状に多数貫いている。これを水平に堆積した層状チャートと区別してTチャートと呼んでいるが、両者とも希土類元素ユーロピウムの濃集が確認され、このような化学的特徴は、200300℃の熱水が海底から噴出する熱水噴出口周辺の環境で見られるものと言う。恐らく多数のTチャートは、かって熱水が玄武岩中を通過した時の通路だと考えられる。これらの事から、地球最古の生物化石は太古代前期の海洋中央部、それも中央海嶺軸部の熱水活動の活発な場所に生息していた可能性が高いのである。(2-21)

  三菱化成生命科学研究所の柳川弘志らは熱水噴出口での化学進化を検証する為、同じ組成の模擬海水を作り、その中でメタンを加圧・加熱する実験を行った。模擬海水をガラス管に入れ、加圧釜の中にメタンと窒素の混合ガスを40気圧入れて325℃で6時間加熱し、圧力は深さ2000mの海底に相当する200気圧にまで達した。その結果、グリシンやアラニンなどの生体に不可欠のタンパク質アミノ酸を含む、様々なアミノ酸が生成したと言う。さらに今日では、様々な模擬原始地球環境にアミノ酸を入れて加熱・反応させると、膜を持つ細胞に似た構造(細胞様構造)が生成する事も知られている(ミクロスフェアやマリグラヌール)。熱水噴出口を真似て、グリシン・アラニン・バリン・アスパラギン酸を含む水溶液をガラス管に入れ、250℃、134気圧で6時間加熱すると、直径1.52.5μmの膜構造を持つ微小球が生成する。この微小球は、酸分解されにくく、ケイ素化合物を含む分子量約2000のペプチド性の高分子からできていると言う。このように熱水噴出口では種々の有機分子が生成され、様々な化学反応を経て、遂には細胞様構造まで作り出していると考えられるのである。

  ところが近年、深海の熱水噴出口の様な高温・高圧の特殊な環境でなくても、有機分子それもアミノ酸ばかりでなくタンパク質や糖までが、極めて容易に自然環境の中で現在も生成されている事が明らかになった。そしてこの有機分子生成のカギは、熱水噴出口でも大量に存在する硫化水素だったのである。

 

ミラーの実験

 

  生命が誕生するまでの化学進化に関しては、ミラーの実験があまりに有名である。シカゴ大学のハロルド・ユーリーは、原始大気が主に水素・メタン・アンモニアなどの成分からなる還元的なもので、このような大気中では有機化合物が比較的容易に生じると考えていた。1953年、彼の指導の下で当時大学院生のスタンレー・ミラーは、原始地球の大気を模した混合ガスに電気火花を通す実験を行い、実際に生命の素材となる種々の有機分子が合成される事を発見したのである。ミラーは2つの連結したフラスコを用意し、一方に水200 ml(ミリリットル)を、もう一方に原始地球の大気組成を模した混合ガス(水素・メタン・アンモニアを1:2:3の割合で混合)を入れ装置を密閉した。そして下の水の入ったフラスコを加熱し、混合ガスの入った上のフラスコには電極を入れ、1週間に渡って6万ボルトの電気火花を飛ばし続けた。ここでは混合気体は原始地球の大気を、水は海を、加熱して発生する水蒸気は火山活動を模していた。そして原始大気中の雷のエネルギーが、複雑な有機分子の合成に寄与すると推定したのである。1週間後、フラスコに入れておいた水は膿赤色になり、様々な有機分子が生成されている事が確認された。そこには、グリシン・アラニン・アスパラギン酸など、タンパク質を構成するアミノ酸の他、β-アラニン・乳酸・ギ酸などの有機物質が合成されていたのである。

  このような還元型の原始大気を想定したのは、大気が地球の誕生と同時に原始太陽系星雲の揮発性成分から作られたという説に基づいていた。しかし今日では、原始大気は二酸化炭素を主成分に、水蒸気・窒素・一酸化炭素などを含む酸化型のものと考えられている。そして酸化型の大気では、有機分子はほとんど生成しないのである。しかも、還元型大気でも放電実験による有機物の収量はごく低く、初期化学進化が原始海洋中で起こったとするなら、有機分子は細胞様構造にまとまる以前に大量の海水中で拡散してしまう事になる。ここから分子同士の反応で複雑化や重合が起こる為には、何等かの濃縮過程を考えなければならなくなるのである。

  以上の事から、熱水噴出口でアミノ酸をはじめとする有機分子が容易に作り出される事は、生命誕生を考える上で極めて重要な意味を持つといえよう。しかもこの場合は、熱水噴出口という空間的に限られた場所で有機物が生成される為、局所的に高濃度の有機分子が存在する事になり、特別な濃縮過程などを考え出す必要もない。そして、化学反応を推し進めて有機分子を重合させ、より複雑な分子を生み出すのに必要なエネルギーも、熱エネルギーの形で充分に供給されている。熱水噴出口は生命誕生を考えるには、願ってもない環境なのである。(4-3) (4-5) (4-6)

 

 

 汽水湖に於ける細胞様高分子の生成

 

  それは1986年、京都大学の藤永太一郎と海洋化学研究所の紀本岳志によって、日本最大の汽水湖である中ノ海の環境問題に関連した、水質成分の連続計測から偶然に発見された。汽水湖というのは海水と淡水が入り込む海に連なる湖で、そこでは比重差から湖底に海水が溜り、その上に河川水が乗って成層湖となったものである。中ノ海は、宍道湖から流れ込む淡水と日本海からの海水が、夏期はもとより冬期にも混じり合う事なく常時密度成層をなし、表層は溶存酸素濃度の高い酸化性の淡水に、底層は貧酸素の還元性の海水になっている。そして水質化学成分の観測の結果、この湖では深度6.5mの極貧酸素状態の湖底から大量に発生している硫化水素が、同様に湖底から発生するアンモニアを急速に消費している事実が明らかになったのである。深度6mの底泥の直上では全窒素の50%がアンモニア態で存在している。ところが奇妙な事に、深度5mでは全窒素量は変わらないがアンモニア態の窒素だけが激減するのである。通常、海洋や土壌中ではアンモニアはバクテリアによって分解され、硝酸塩や窒素ガス・亜酸化窒素などが生成されるが、これらの増加は観測されていない。そこで、底層水中の浮遊粒子を加水分解して分析を行うと、ちょうどアンモニア態窒素の減少に見合う量のアミノ酸濃度の増加が見出されたのである。また、同時に計測されたリン酸態リンの濃度の減少が見られない事から、このアミノ酸濃度の増加がイオウ細菌などによる生合成に基づくものでない事も明らかだった。つまり、ここではアンモニアからペプチドが無機的に合成されていたのである。

  これを証明する為に、実験室で炭酸(ホルムアルデヒドやギ酸を使っても同じ)とアンモニアの混合溶液に、常温・常圧下で硫化水素ガスを通気する実験が試みられた。すると驚くべき事に、それまで考えられた事もない反応によって、各種のアミノ酸構成を持つタンパク質(ポリペプチド)や糖(炭水化物)が生成されたのである。そして硫化水素の通気開始後わずか数時間で、タンパク質や糖は直径数μmの大きさの揃ったコロイド状粒子となって溶液の底に沈殿した。最初に、最も単純なアミノ酸のグリシン・モノマーが生成され、時間の経過と共にそのグリシンが重合してペプチドを作り、次第に溶解度を減少して乳白色の沈殿が溶液中に生成して行ったのである。しかも、この沈殿したコロイド粒子を顕微鏡で観察すると、溶液との界面で活発に物質交換をしている事が分かった。重合度の低いペプチドは溶解度が大きいため表面から離れ、重合度の大きい表面構造を持つ粒子の上に重合析出して行く、といった界面での代謝的反応が進行していたのである。こうして粒子は成長し、ある大きさに成長した所で溶解と析出が釣り合い、粒度の揃ったコロイド粒子が出来上がる。「このような物質代謝・成長の模様は、重合度が増加し、複雑多様な細胞が生成していくひとつの化学進化の過程と考えてさしつかえない」(藤永、紀本)(4-5) だろう。これこそ、かってオパーリンらが夢想した原細胞そのものの様に思われ、細胞様高分子と名付けられた。ここで起こっている反応は、基本的には炭酸が還元されて各種のアルデヒドが生成し、これにアンモニアが加わってさらに還元され、多様なペプチド類が合成されるというものであった。そして、この反応になくてはならない還元剤として硫化水素がかかわっていたのである。

  生命を形作る、炭水化物・脂質・タンパク質・核酸などの生体高分子はすべて炭素化合物で、炭素(C)に水素(H)・酸素(O)・窒素(N)が共有結合したものが、鎖状あるいは環状に連なり巨大分子を形成したものである。生命はこの巨大分子の骨組みとも言える炭素を、二酸化炭素(CO2)またはそれが水に溶けた炭酸(H2CO3)から得ている。つまり生物は、二酸化炭素に水素を付加し酸素を引き抜いて還元する事により、有機分子を合成しているのである。また生体高分子は、それを構成する分子が脱水縮合で多数結合する事により合成される。例えば、炭水化物の巨大分子である多糖類は、単糖類と呼ばれる均一な繰返し単位が脱水縮合して、鎖状にあるいは枝分かれしながら長くつながったものである。2分子の単糖が結合する時に1分子の水(H2O)が放出されて、単糖間に共有結合ができるのである(グリコシド結合)。タンパク質も同様に、20種類のアミノ酸が脱水縮合する事によって、1本の鎖状に長く連なったものである(ペプチド結合)。脂肪や油そして細胞膜を構成するリン脂質は、グリセロールと脂肪酸が脱水縮合して結合している(エステル結合)。また遺伝子の本体である核酸も、ヌクレオチドと呼ばれる繰返し単位が同様に脱水縮合してリン酸エステルを形成し(ホスホジエステル結合)、長く連なった多量体である。このように生体高分子を作るには、還元反応と脱水反応が不可欠なのである。ところが硫化水素(H2S)は、還元反応で酸素を引き抜いた時に生じる無水硫酸が脱水反応にも働く様で、還元反応と脱水反応を同時に起こす事ができる、生体高分子の合成には打って付けの還元剤なのである。このような2重の働きをする還元剤は、他には知られていない。つまり生命誕生のカギは、硫化水素にあったと言っても良いだろう。

  この硫化水素による反応は、単にタンパク質が合成されたというだけではなく、さらに重要な事実も含まれていた。実は、この反応でできたアミノ酸のほとんどが、生命が利用するL型のαアミノ酸だったのである。アミノ酸は、アミノ基(NH2)とカルボキシル基(COOH)の両方を持つ有機分子であるが、アミノ酸同士が結合する時には、アミノ基とカルボキシル基から1分子の水(H2O)が取れて脱水縮合する。こうして多数のアミノ酸がペプチド結合でつながり、長い鎖となったものがポリペプチド、つまりタンパク質である。このアミノ基とカルボキシル基は、どの位置にあってもかまわないはずである。しかし、不思議な事に生物が使うアミノ酸、即ちタンパク質を構成するアミノ酸は総て、同一の炭素原子(α炭素)にアミノ基とカルボキシル基の両方が付いていたαアミノ酸となっている。また、タンパク質に使われているアミノ酸はグリシンを除いて、すべてL型とD型という2種類の分子の立体構造が異なる光学異性体を持ち、自然界ではD型とL型の両方が入り交じっているのが普通であるが、生物の作るタンパク質はすべてL型アミノ酸のみからできているのである。ユーリー・ミラーの実験で得られたアラニンは、RとL型の混じったものであり、またαアミノ酸ではないβアラニンなど、タンパク質の構成成分ではないアミノ酸も多く生成していた。これは生命誕生を考える上で大きな難問の1つである。なぜ生物はL型アミノ酸だけを使っているのか。D型ではダメなのか。そもそも、如何にしてL型のみを自然界から選り分けたのか。実は、光学異性体は物理・化学的性質が同じで、その一方のみを選別するのは極めて難しいのである。ただ一度、L型アミノ酸を使った生物ができてしまうと、そのタンパク質でできた酵素は立体構造の違いによって、容易にD型を排除する事ができる様になる。つまり問題は、生命誕生の最初に何故L型が選択されたかという事である。生命誕生の秘密を解き明かそうとする仮説は、この難問に答えなければならないのである。しかし、汽水湖で起きている硫化水素の還元・脱水作用によるペプチド生成反応で作られるアミノ酸が、おもにL型のαアミノ酸だとするなら、この問題に答える必要はなくなる。生命は、特別な化合物を使って組み立てられたのではなく、周囲に大量に存在するありきたりの物質を使って自らを作り出して来た事が知られているからである。元素組成を見ても、生命は海水中や宇宙に多量に存在する元素を利用して作られている。特に、海水とは元素組成がよく似ており、含量の多い方から10位までの範囲で、人体にあって海水中にないのは17番目のリンのみである。これは生命が海の中で誕生したとする根拠にもなっている。このように特別な元素を選り分けるのではなく、周囲に豊富に存在する普通の物質を使って自分を組み立てるのが生命のやり方だとすると、生命がL型のαアミノ酸のみを使っているのは、生命誕生時にそれが周りに豊富にあったからと考えるのが自然であろう。この意味でも、硫化水素が豊富に存在する場所での生命誕生のシナリオが現実味を増す事になる。

 

(注)カルボキシル基の結合した炭素原子の隣の炭素にアミノ基が付いたものがβアミノ酸、そのまた隣に付くとγアミノ酸となる。

 

  ヒトが試験管内で行う反応では、特別な工夫をしない限りD型とL型が同じ割合で混ざった、ラセミ体と呼ばれる混合物ができてしまう。それに対して、生体反応は100%の不斉合成である。生物はL型のアミノ酸のみを用いD型は使っていない。反対に糖は主にD型で、特に核酸の構成成分のリボースはD型に限られている。生物の行う反応では、一般にD型とL型をはっきり区別して、そのどちらか一方のみを関らせており、それが生体反応の秩序の高さの基礎になっているのである。生物が光学活性体であるアミノ酸の一方のみを使っている結果、酵素は複雑だが一定の立体構造をとる事ができる。この酵素の立体構造こそ、生命現象の特徴である秩序ある反応の秘密であり、また光学異性体の一方だけに選別的に働く理由でもある。また、遺伝の物質的基礎となっている核酸の二重らせん構造も、構成成分の糖がD型に揃っているからこそ可能なのであって、もしD型とL型が混ざっていればこうした整然とした構造をとる事はできない。このように、光学異性体の一方のみを選別して使う事は、生命活動の基本的な条件であって、D型とL型とが混ざった状態では生命など元からあり得ないのである。

  こうして見て来ると、生命は硫化水素が絶えず発生している、還元性の高い所で誕生した可能性が極めて高い事が分かる。火山や温泉でよく経験する、あの卵の腐った様な鼻をつく硫化水素特有の臭気こそ、生命揺籃の香りだったのである。40億年前、生命が誕生した頃の地球環境を考えると、熱水噴出口こそそれにふさわしい場所という事になろう。当時は、今より地球の内部温度も高く、海底の至る所で大規模な熱水噴出口が口を開けていたと思われる。そして、海底からもうもうと噴き上げられる、硫化水素を大量に含んだ黒煙と熱水の中で最初の生命は生まれたのである。現在でも、硫化水素が発生している所は不思議と生命に溢れている。先にも見たように、熱水噴出口のある深海でもその周辺だけは、チューブワームやシロウリガイ・ムラサキガイそしてカニ・エビなどが群生し、海底に一大生態系を形成している。太陽光の全く届かない死の世界と思われた深海に、このように多くの生物が群生できるのは、食物が豊富に供給されているからに違いない。また、中ノ海や宍道湖の様な汽水湖の場合も同様で、湖底では還元バクテリアによって硫酸イオンが還元され硫化水素が発生しているが、その周辺は意外と多産的である。例えば、宍道湖では昔からシジミが湧き出ると言われ、獲っても獲っても尽きる事がないと言う。どちらの場合も、何故このように食糧が豊富なのだろうか。そのカギは硫化水素にある。汽水湖では多量のタンパク質を含む浮遊粒子が存在し、熱水噴出口でも周りの海水の10倍にもなる高濃度のグリシンが発見されている。硫化水素の発生している周辺では、無機的に合成された有機分子に溢れているのである。

 

光学異性体

 

  光は電磁波の一種で、互いに直交しながら進行方向に対して垂直に振動する、電場と磁場の波である。自然光では、この電場の振動方向があらゆる方向を向いた波が混ざっているが、偏光板を通すとある一方向に振動する光だけを取り出すことができる。そこで偏光面を揃えた2枚の偏光板を通して外を見ると視野は明るく見えるが、一方の偏光板を回転させて行くと視野は次第に暗くなり、2枚の偏光面が直交する所で真っ黒になってしまう。これはそれぞれの偏光板が通す事のできる光の振動面が直交するので、光が通らなくなるからである。この真っ暗になった2枚の偏光板の間に、光軸に垂直に切った水晶の結晶板を入れると視野が再び明るくなる。次に、偏光板を少しずつ回転して行くと、再び視野が暗くなる。これは偏光板の間に挿入した水晶板が、光の偏光面を回転させた結果で、このような性質を持つ物質が光学活性体である。そしてこの時、偏光板を右に回転させると再び真っ暗になるものを右旋性(D型)、逆に左に回すものを左旋性(L型)と呼んでいる。

  水晶には右旋性と左旋性の両方があり、結晶の外形が理想的なものではちょうど互いに鏡に映した関係になっている。こうした旋光性は水晶の様な固体ばかりではなく液体や溶液にも存在し、例えば、マツから得られるテレピン油、レモンの果皮から採れるレモン油、蔗糖の水溶液、樟脳のアルコール溶液などにも旋光性が認められる。分子が動き回っている液体状態でも旋光性が見られる事から、光学活性は分子の配列ではなく、分子そのものに原因がある事が分かる。

  パスツールは、ブドウ酒製造時にできる酒石酸には化学式や融点などの性質は全く同じで、旋光性だけが逆向きの2種類のものが存在し、それまでブドウ酸として知られていた化合物は、右旋性と左旋性の酒石酸が1対1の割合で混合したものである事を明らかにした。このように物理的・化学的性質は全く同じで、偏光された光に対してのみ異なる性質を示す異性体を光学異性体と呼んでいる。そして今世紀の初めには、光学異性体を持つ有機化合物は必ず不斉炭素を持つ事が分かり、旋光性は分子の立体構造の問題である事がはっきりしてきた。炭素原子は4つの原子または原子団と共有結合できるが、不斉炭素原子というのはこの4つの原子価にそれぞれ異なる原子(団)が四面体型に結合したもので、この場合、4つの原子をどのように動かしても重ならない2種類の原子の空間配置が存在する事になる。実物と鏡の中の像や右手と左手を重ね合わせる事が出来ない様に、こうした鏡像関係にある2組の原子配置が可能な分子をキラル分子、反対に空間的に一種類の配置しかできない分子をアキラル分子と呼んでいる。また現在では、光の旋光性そのものは波長に依存し絶対的なものではない事が分かり、グリセルアルデヒドを基準に、実際の旋光性とは無関係に立体構造に従ってD型・L型の区別をしている。(4-3) (4-7) (4-8)                   

 

 

 生命はタンパク質合成から始まる

 

  ペプチドや糖など、生物を構成する生体分子が容易に無機的に合成される事。しかも、それらの分子が自然に集合して、外界との間で物質交換を行う原始細胞の様な細胞様高分子を形成する事を見て来た。これ自体たいへん驚くべき事であるが、ここで出来た細胞様高分子と本当の生物との間には、まだ大きな断絶が存在している。生命の特徴として、一般には自分と同じものを複製する能力をもつ事、つまり自己複製のための遺伝システムを持っている事があげられる。特に、今日の分子生物学や生態学における遺伝子中心主義的な考え方からは、すべては遺伝子が決定し遺伝子こそ生命の本質であるという捉え方がなされる。後で取り上げるRNAワールド説も、その流れの中から出て来たものと言えよう。こうした考え方からすると、生命とは遺伝システムを持つものという事になり、生命誕生は遺伝システムの成立に起源するという事にもなろう。しかし生命に不可欠の本質的特徴として、遺伝情報を子孫に伝えて自己複製するという以前に、もっと根本的に重要な問題が存在する。それは、生命は自分で必要なタンパク質を自在に合成できるという点である。この重要性は、先程の細胞様高分子と比較すると良くわかる。細胞様高分子は、まるで生きた細胞の様に、周囲の有機分子を大量に含んだ海水と盛んに物質交換を行っているが、それはランダムな反応によるもので、外界から独立して特定の有機分子を選択的に合成しているわけでは決してない。これでは生命活動の持つ高度な秩序や自律性は望むべくもない。細胞様高分子は見た目には生きた細胞のように見えようとも、それは周囲の環境からの独立性を持たない外界の一部に過ぎないのである。したがって、周囲の有機分子がなくなったり環境が変化すると、この細胞様高分子は反応の平衡状態のバランスが崩れ、すぐに崩壊してしまう事になろう。それに対して、真の生物は必要なタンパク質を体内で組織的に合成する事ができ、それによって環境から独立して自律的に存在できる様になった。そればかりではなく、特定の機能を持つタンパク質を選択的に合成する事によって、初めて生命特有の複雑で秩序の高い生体反応が可能となったのである。今日、地球が生命に溢れているのも、生物のこの能力のおかげである事は言うまでもない。つまりタンパク質の組織的な合成こそ、無生物から生物への飛躍のカギだったわけである。今まで生命誕生のカギと考えられてきた遺伝システムは、タンパク質合成システムができた後に、そこから2次的に進化してきたものと見る事ができよう。

  遺伝システムというと自己複製を目的とした、生命の機能の中でも何か特別で神秘的なものという感じがするかも知れない。特にダーウィン派進化論においては、他の生命活動とは独立した遺伝子の自律的な変化が進化を生む原動力となっているわけで、遺伝は他の生命活動から隔絶したもの、あるいは一方的にそれを支配するものとして特別な地位を与えられている。しかし実は、遺伝システムはタンパク質合成システムとは切っても切れない深い関係にあるのである。というよりは、むしろ両者は不可分の一体と言った方が良いかも知れない。タンパク質は、20種類のアミノ酸が1本の鎖の様に長くつながったものだが、遺伝子はこのアミノ酸配列をコードしたものなのである。つまり、1つ1つの遺伝子はタンパク質合成の情報を運んでいるわけで、この事からすると遺伝システムはタンパク質合成システムの一部と見る事もできる。また遺伝システムはDNAとRNAで構成されているわけだが、両者の間でははっきりした分業がなされており、タンパク質合成はRNAが、そして遺伝情報の伝達はDNAが担っている。そしてこの内、最初に誕生したのはRNAの方で、DNAは少し遅れて進化してきた事が今日では広く認められている。この事実も、先にRNAのタンパク質合成システムができあがり、後にDNAによる遺伝システムが進化してきた事を物語っていると言えよう。

  さらに、DNAというと遺伝情報を伝える遺伝子の本体という面のみが強調されているが、実はDNAはタンパク質合成の制御システムという側面も持っている。DNAは、RNAのタンパク質合成システムをコントロールする事によって、極めて複雑な生命活動を可能にしているのである。その重要性から言って、むしろこちらの方がDNAの機能のメインと言っても良いだろう。生物が環境の変化に応じて適切な反応ができるのも、DNAによるこのコントロールのおかげなのである。DNAシステムも恐らく最初は、RNAのタンパク質合成システムを制御するものとして進化してきたと考えられる。それが後に、遺伝システムとして利用される様になって行くわけである。

  つまり生命誕生に於いては、最初にRNAのタンパク質合成システムが出現し、その後、このタンパク質合成システムを高度にコントロールする必要から、DNAシステムが進化して来る事になったのであろう。そして、このタンパク質合成の制御システムを利用して、遺伝システムが完成する。いうなれば遺伝システムは、タンパク質合成システムの一部を遺伝に転用したものに過ぎないのである。

 

 

 ATPと核酸

 

  生体反応において、タンパク質と核酸が深い相互依存・協力関係にある事を示す例に、ATP(アデノシン三リン酸)がある。これはすべての細胞に共通のエネルギー源で、生物は光合成や呼吸で得たエネルギーを一度ATPの形で蓄え、必要に応じてそこからエネルギーを引き出して生体反応に利用している。この事から、ATPは細胞のエネルギー通貨とも呼ばれている。このATPの加水分解が、他の反応と共役してエネルギー的に起こりにくい反応を推進する事で、生命維持に不可欠の高度な生体反応を可能にしているのである。平均的なヒトの成人男子は、1日に約190kgものATPを消費すると言われるが、我々の体内にあるのはわずか50gほどに過ぎない。つまり、ATPは生体内の反応で絶間なく消費される一方で、同じ素早さで再生され、目まぐるしく回転しているのである。ATPがなければ生物は一時たりとも自己を維持する事はできない。生物はATPの存在によって初めて、様々な生体反応を自在に引き起こし、秩序だった高度な生命活動が可能となっているのである。

  このATPには、エネルギーの供給源としての役割だけではなく、もう1つ重要な働きがある。ATPは、生体内での高分子の合成に不可欠な脱水縮合剤としても機能しているのである。先にも述べた様に、生物を形作るタンパク質・糖・核酸などの高分子は、繰返し単位である単量体が幾つもつながってできている。そしてこの間の結合は脱水縮合で、1分子の水が取り除かれる事により形成され、反対に分解は1分子の水が加わる事で結合が解ける(加水分解)。つまり、生体高分子の合成には脱水反応が不可欠なのである。ところが当然の事ながら、脱水反応は水溶液中では起こらない。この問題を生体内で解決しているのがATPであり、ATPはあらゆる生物に普遍的な脱水縮合剤なのである。ATPは加水分解する時、大量のエネルギーを放出すると同時に必ず周りから水分子を取り込む。このため生合成反応の多くは、ATPの加水分解と直接共役する形で起こっているのである。

  このようにATPは生体内での反応、特にタンパク質等の高分子の合成反応には不可欠なものであるが、興味深い事にこのATPは核酸と深い関係にある。アデノシンは、DNAの遺伝情報を担う4種類の塩基の1つであるアデニンが、五炭糖のリボースと結合したものである。このアデノシンにリン酸分子1個が結合してアデノシン一リン酸(AMP)となるが、これはRNAの構成単位である4種類のヌクレオチドの1つである。AMPにもう1つリン酸が結合したものがアデノシン二リン酸(ADP)。さらにその末端にもう1つリン酸が結合したものが、アデノシン三リン酸(ATP)なのである。

  ATPの3つのリン酸を連結している2つの結合(ピロリン酸結合)は、典型的な縮合反応で水分子1個が取り除かれて形成される。逆に、水1分子が加わる事によって結合は解け、その時に多量のエネルギーを発生するのである。このATPのピロリン酸結合は高エネルギー結合と呼ばれ、この結合を作るには大量のエネルギーが必要で、生物はそれを細胞呼吸と光合成によって賄っている。反対に、加水分解で結合が開裂すると大量のエネルギーが放出されるわけである。実際、生体物質に見られる結合に必要なエネルギーは、ATPのピロリン酸結合のエネルギーよりも少なく(低エネルギー結合)、この事が生合成をはじめとする生体内での様々な反応が、ATPの加水分解と共役する形で引き起こされる事を可能にしているのである。

  つまり生体内反応は、ATPとタンパク酵素の協力の上に成り立っているのである。このようにATPは生命活動、特に高分子の生合成になくてはならないものであり、生命誕生の初めから存在していた事は間違いない。この生命と不可分とも言うべきATPが、核酸の構成要素からできているという事実は、核酸がタンパク質合成システムとして進化し、このタンパク質合成システムの成立によって生命が誕生したという考えと、符合するものと言えよう。また生命活動の基盤が、核酸とタンパク質との深い協力関係にある事も分かる。ATPと同じ様に、リボヌクレオチドをその構成要素として持つ活性型運搬体分子には、GTP・NAD・FAD・CoAなど主要な補酵素のほとんど総てが含まれている。

 

 

 遺伝子DNA

 

  さて議論を先に進める前に、遺伝子DNAとRNAについて簡単に復習しておこう。良く知られている様に、遺伝子の本体はDNAである。DNAは分子量が数百万以上にもなるテープ状の巨大高分子であるが、生体を担う巨大分子の総てがそうである様に、DNA(RNAも同じ)もヌクレオチドと呼ばれる繰返し単位が、結合(リン酸ジエステル結合)して長くつながったものである。ヌクレオチドは五炭糖のデオキシリボース、4種類の窒素塩基(塩基:水に溶けるとアルカリ性を示す化合物)、リン酸で構成されている。我々に馴染みの深いブドウ糖や果糖は六炭糖だが、デオキシリボースはそれより炭素が1つ少ない五炭糖で、分子結合の状態を示す為に炭素の片端から1′2′3′4′5′と番号を付けている。デオキシリボースの5′炭素にリン酸が結合し、1′炭素に塩基のどれか1つが結合したものがヌクレオチドで、このヌクレオチドの3′炭素に別のヌクレオチドのリン酸が結合する事で、次々と繋がって行く。こうして、ヌクレオチドが長くつながった反対向きの2本のテープが、同じ軸の周りに巻き付く様にして二重らせん構造を形成したものがDNAである。これはハシゴをらせん状にねじった様な形で、このハシゴの両側の柱に当たる部分がリン酸で結合された糖(デオキシリボース)から成り、この両側の糖から横に塩基が突き出し、中央で結び付いて(水素結合)ハシゴの階段部分を形成している。4種類の塩基の水素結合にはそれぞれ相手方が決まっており、アデニン(A)はチミン(T)と、グアニン(G)はシトシン(C)と連結して対を作る。この塩基の厳密な対形成が、遺伝子としてのDNAの正確な複製を可能にしているのである。対を作る塩基の相手は決まっているわけだから、DNAの片方さえあればもう一方は必然的に決まってしまう。そのため、DNAの2本のテープが解けて1本のテープとなると、それぞれが鋳型となって新しい2組のDNAを複製できるわけである。

 

(注) DNAの合成では、ポリヌクレオチド鎖の3´-ヒドロキシ(−OH)末端に高エネルギーを持つヌクレオシド三リン酸を付加し、そのリン酸結合の加水分解で放出されるエネルギーを利用して、ヌクレオチド単量体の5´末端のリン酸基との間で重合反応を起こし鎖を伸ばして行く。このため、DNA合成は5´→3´の方向に行われる事になる。

 

  DNAの遺伝情報は、この塩基配列の中に隠されている。遺伝暗号は塩基3個の配列が単位となっており(トリプレット暗号)、これをコドンと呼んでいる。4種類の塩基が3個並ぶわけだから、64通り(=43)の組み合わせが可能となる。このうち61通りがタンパク質を構成する20種類のアミノ酸をコードし、残りの3通りが暗号の終わりを示す終止コドンとなっている。つまり、1つの遺伝暗号は1つのアミノ酸をコードし、この遺伝暗号が長くつながった遺伝子は、特定のアミノ酸配列を指定している事になる。ヒトの体内には約15万種類ものタンパク質があると言われるが、これらは総て20種類のアミノ酸が鎖の様に長くつながって出来ている。即ち、遺伝子というのはタンパク質のアミノ酸配列をコードした、タンパク質合成のための設計図という事ができるのである。

  では、どうしてタンパク質合成の設計図に過ぎないDNAが、遺伝子として生物の自己複製に必要な情報を伝達する事ができるのか。それはタンパク質の高度に発達した特別な機能によっている。タンパク質分子はそれぞれ固有の立体構造を取っており、その立体構造を介した相互作用によって細胞内の様々な構造を作り上げると同時に、タンパク質酵素として生体内での様々な化学反応をコントロールしているのである。細胞内では、複雑な反応が効率的に秩序正しく起こっているが、これが可能なのは極めて特異性が高く効率的な触媒である酵素の働きによっている。酵素は特定の化学反応の速度だけを、10倍から1020倍にまで上昇させる事ができる。こうした酵素は、一部のRNA分子を除くと総てタンパク質から成り、タンパク質は生体の構成分子であると同時に、細胞内で起こる様々な生体反応のカギも握っているのである。遺伝子であるDNAの複製にも、このタンパク質酵素が不可欠で、タンパク質はその構造面と機能面を合わせて生命現象の実際上の担い手という事ができよう。遺伝子としてのDNAは、こうしたタンパク質を何時・何処で、どういう順序で合成するかを指示する事によって、環境の変化に合わせて生体反応を適切にコントロールすると同時に、卵細胞からの発生過程を制御して生物の自己複製を可能にしているのである。DNAには、建物や機械の設計図の様にその完成図が描かれているのではなく、それを作り上げる手順が書かれていると言っても良いだろう。あとはタンパク質間の相互作用によって、生物の構造が順を追って組み上げられて行くのである。この結果、本来はタンパク質合成の制御システムに過ぎないDNAが、遺伝子として機能する事ができるわけである。

 

 

 RNAとタンパク質合成システム

 

  遺伝システムは、遺伝情報を伝えるだけではなく、それ自身がタンパク質合成システムとなっている。あるいは、その一部と言った方がより正確かも知れない。遺伝情報を担うのがDNAだとすると、タンパク質合成を担っているのはRNAである。このDNAとRNAを合わせて核酸(細胞核にある酸性物質の意味)と呼んでいる。DNAもRNAもヌクレオチドが長くつながったものだが、その違いは

  @    糖の部分がDNAではデオキシリボース、RNAではリボースになっている。

   A    RNAでは塩基のチミン(T)の代わりにウラシル(U)が使われている。

  B DNAは規則正しい二重らせん構造をしているが、RNAはループと呼ばれる不規則な1本鎖の折りたたみ構造を作り、複雑な立体構造を取る事ができる。

 C  RNAは数千個、DNAは数百万個のヌクレオチドから成り、DNA分子の方がRNA分子よりもはるかに長い。

   D    DNAの方がRNAより化学的に安定している。

などの点がある。

  RNAの最も重要な機能がタンパク質の合成であるが、それに関連してRNAには3つの異なるグループが存在する。メッセンジャーRNA(mRNA)・転移RNA(tRNA:transfer RNA)・リボソームRNA(rRNA)の3種類で、総てDNAを鋳型として合成される(DNAの転写)。タンパク質の合成は、遺伝暗号の書かれたDNAの塩基配列をコピーしてmRNAを作る事、つまりDNAの転写から始まる。mRNAの合成はDNAの複製の場合と同様に、まずDNAの二重らせんが解けて1本鎖になり、そこに相補的な塩基を持つヌクレオチドが結合し、次々と付加して行く事によってRNA鎖が作られて行く。この合成反応を推進する酵素がRNAポリメラーゼである。しかし、こうして出来たRNA転写産物は、そのままではmRNAとして機能しない。それは真核生物の遺伝子が、一般に遺伝情報をコードしていないイントロンと呼ばれる介在配列を含むからで、RNA転写産物がmRNAとなる為にはこのイントロンを除去しなければならない。これがスプライシングで、そのためRNAは核内で次第に短くなり、最初に転写された5%程度しか細胞質に運ばれないと言う。こうして完成したmRNAは核から出て細胞質に移動し、そこでタンパク質合成が開始されるのである。ここで初めて、他の2種類のRNAが関係してくる。