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細胞の中では常時様々な化学反応が起きており、それによって生命活動は担われている。例えば、食物の消化、呼吸とATP合成、筋肉の運動、さらには新陳代謝や成長も総て化学反応である。この化学反応なしには生命は一瞬たりとも生きて行く事ができない。このように生命活動を実際に支えている化学反応であるが、実は生体内の化学反応は、化学工場や実験室で行われる反応とは大きく異なっている。まず大きな違いは温度や圧力で、実験室や化学工場では化学反応の進行をはやめる為、バーナーやヒーターでフラスコや反応槽を加熱したり、高い圧力を掛ける事もよく行われる。さらに硫酸や苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)などの強い酸やアルカリを用いて、反応を進行させる事もよくある。しかし生物の体内では、温度は37℃程度、圧力は1気圧、pHも胃の中などの例外を除けば7付近の中性に近い、穏やかな環境の中で反応が進行しているのである。また生体内では、化学反応のほとんどが水の中で起こっているのも大きな特徴である。加水分解反応はともかく、多くの有機化合物の反応は水中では起こり難く、化学者が有機化合物の合成を行う場合、エーテルやアルコールなどの溶媒の中で行うのが普通なのである。ところが生物の体の約70%は水であり、化学反応も当然この水の中で行われている。さらに重要な事は、生物の体内では何百種類もの化学反応が同時に整然と進行しているという点である。しかもそれは直径0.01mm位の小さな細胞の中で、間違いなく行われているのである。このような事は人間にはとても真似ができない。このように低い温度の下、中性のpHの水中で、多数の合成反応を含む化学反応が同時に秩序だって進行している事が、生命体の際立った特徴なのである。(6-1) (6-2)
そしてそれを可能にしているのが、驚異的な能力をもつ特別な触媒の酵素である。触媒活性を持つ一部のRNA分子を除くと、酵素は総てタンパク質であり、生体内の化学反応のほとんどはこの酵素反応なのである。このように生命活動を化学反応の面から支えている酵素は、飛び抜けた触媒能力と基質特異性という2つの著しい特徴を持っている。まず酵素は、化学反応の速度を107〜1020倍も速める事ができる。107倍というのは1000万倍の事で、酵素なしでは1000万時間(約1000年)もかかる反応を、酵素は約1時間で進行させてしまうというわけである。また1020倍となると、同様に酵素があれば1時間で終わる反応が、酵素がないと1020時間(約1016年)もかかるという事になり、宇宙の年齢(約1010年)を考えると、これは酵素がなければ自然には起こり得ない反応という事ができよう。酵素の触媒作用で化学反応を起こす物質を基質と呼んでいるが、酵素は普通毎秒約1万個の基質分子に変化を起こす事ができる。速いものでは、カタラーゼの1分子は1秒間に9万個の加酸化水素分子を分解する。さらに、体の組織で発生した二酸化炭素を水と反応させて炭酸水素イオンに変え、血液に溶け込ませて運びやすくする酵素のカルボニックアンヒドラーゼの1分子は、1秒間に60万個の二酸化炭素分子と水分子を反応させると言う。
もう1つの目立った特徴である、酵素の基質特異性も非常に重要な性質である。酵素は特定の物質(基質)に限って作用し、特定の化学反応だけを進行させる性質を持っている。例えば、α-アミラーゼの基質はデンプンであり、アルコールデヒドロゲナーゼの基質はアルコールである。この酵素と基質との関係はカギとカギ穴の関係に例えられ、こうした酵素の基質特異性の為に、原則として1つの化学反応に対して、その反応だけを進行させる1つの酵素が存在する事になる。この結果、細胞には多種類の酵素が必要となり、例えば動物細胞では1000〜4000種類の酵素が存在するという。そしてこの酵素反応の特異性のお陰で、数百種類以上の化学反応を細胞内で同時に整然と行う事が可能なのである。このように、触媒として並外れた能力を持つ酵素の存在によって初めて、生体内での効率的で秩序だった化学反応が可能となっている。生命活動は、酵素によって支えられているのである。では、この酵素の驚くべき触媒能力は、どのようにして生まれるのだろうか。次にその仕組みについて見て行く事にしよう。
一部のRNA分子は触媒活性を持つ事が知られているが、このような少数の例外を除くと、すべての酵素はタンパク質である。タンパク質はアミノ酸が100個から数万個も連結して、ネックレスの様に1本の長い鎖状になったもので、そこで使われている20種類のアミノ酸の配列順序によって様々なタンパク質ができる。そして、アミノ酸が長く連結したポリペプチド鎖は複雑に折り畳まれて、そのアミノ酸配列によって決まる特定の立体構造をとる。この立体構造が、酵素の驚異的な触媒作用を生む元となっているのである。酵素は、熱・酸・アルカリ・濃い尿素の液などに弱い事が知られている。例えば、100℃のお湯の中に数分間浸けるだけで触媒作用は無くなってしまう。これは酵素のアミノ酸の鎖は切れないが、複雑に折り畳まれた立体構造が壊れてしまうからである。酵素などのタンパク質が生命活性を発揮するためには、ある特定の立体構造を形作っている事が不可欠なのである。熱・酸・アルカリ・尿素などによって、タンパク質の立体構造が変化する現象を変性と言い、生命活性を失う事を失活と呼んでいる。例えば、タマゴをゆでると卵白が固まってゆで卵になるが、これは卵白のタンパク質(卵白アルブミン)が変性を起こした為である。また、一度変性して立体構造が崩れたタンパク質も、その原因を除いてやると立体構造が再生する事がある。例えば、RNA分解酵素のリボヌクレアーゼを濃い尿素の溶液に入れ、さらに還元剤を加えると、タンパク質の鎖の間に架橋して立体構造を安定化させていたジスルフィド結合が切断され、折り畳まれていた立体構造は解けて酵素活性は失われてしまう。しかし、この変性し失活したリボヌクレアーゼをセロファンの袋の中に入れて透析し、尿素と還元剤を除き、ゆっくり空気を吹き込んで穏やかに酸化してやるとジスルフィド結合が再生し、それと共に酵素活性も回復して来ると言う。このように精製したタンパク質は、変性しても自力で正しく折り畳まれた本来の立体構造を、組み立て直す能力がある事が知られている。こうした事実から、タンパク質の立体構造は、そのアミノ酸配列順序によって決定されると考えられているのである。
タンパク質には、ケラチンやフィブロインの様に繊維状のものもあるが、酵素をはじめ多くのタンパク質分子は、複雑に折り畳まれて全体として球状になっている。例えば、リゾチームは直径が3nm(ナノメートル:100万分の1mm)、長さ約4.5nmのラグビーボールの様な形をしている。また、大きめの酵素は球状の塊(サブユニット)が何個か集まって出来ており、アルコールデヒドロゲナーゼの分子は4個のサブユニットから構成されている。そして、多くの酵素の立体構造には割れ目やくぼみ、あるいはポケットと呼ばれる構造部分があり、基質はこの割れ目にカギとカギ穴の様にスッポリとはまり込むのである。この部分が酵素の活性中心(活性部位)で、ここに基質が結合して、酵素と基質の複合体が形成される事が酵素反応の基礎となっている。タンパク質の立体構造は、アミノ酸の配列順序によって決まるわけだが、酵素ごとにこの割れ目に特定のアミノ酸配列が見つかっている。例えば、デンプンを分解するα-アミラーゼのアミノ酸配列を、ブタ・ネズミ・ハツカネズミ・ヒトで比べて見ると、少しずつ異なるが端から298〜301番目の配列が総てに共通で、NHDN(アスパラギン・ヒスチジン・アスパラギン酸・アスパラギン)となっている。さらに、コウジ菌の様に哺乳類からずっとかけ離れた生物のアミラーゼにも、全体としての違いは大きくなるが、このNHDN配列がそっくり存在すると言う。この事は、この配列がα-アミラーゼの機能に不可欠である事を示していると考えられる。また、基質特異性が少しだけ違う仲間同士の酵素にも、共通のアミノ酸配列が見つかっている。膵臓が分泌する消化酵素のトリプシン・キモトリプシン・エラスターゼは、タンパク質を加水分解するプロテアーゼで、タンパク質の鎖を切断する場所はそれぞれ異なるが良く似た機能を持つ仲間で、そのアミノ酸配列を比較すると共通のGDSG(グリシン・アスパラギン酸・セリン・グリシン)配列を持っていると言う。こうした事から、この配列はタンパク質の鎖を切断するという共通の機能に関っていると考えられるのである。このGDSG配列も、α-アミラーゼのNHDN配列も、酵素の活性中心の割れ目に位置している事が分かっている。
酵素反応は、基質が活性部位に正しく入り込む事から始まる。この時、活性部位の割れ目には、構造的に相補性を持つ決まった形の分子しかきちんと入り込む事ができない。この事が、触媒としての酵素の著しい特徴である、基質特異性を生み出しているのである。こうして基質が活性部位に正しく結合すると、触媒作用により化学反応が進行する。つまり、活性部位には基質の結合と触媒作用の2つの機能があるわけで、これに対応して活性部位は基質を認識して結合する部分と反応を触媒する2つの部分、即ち基質結合部位と触媒部位から構成されている。実際には、活性中心の中に基質結合部位と触媒部位とが並んで存在する事もあれば、触媒部位が結合部位の中に取込まれてその一部となっている場合もある。
さて基質と酵素は、分子の立体構造の相補性によって結合するわけだが、この立体構造は決して固定した一定不変のものではない。実際、基質が活性部位に結合すると、酵素分子の立体構造に変化が生じる事が多くの酵素で観察されている。この時、基質もその影響を受けて立体構造が歪み変形すると考えられ、これが酵素の触媒反応を可能にしているのである。この事からも分かる様に、実は酵素と基質の相補性は完全なものではない。もし、基質に完全に相補的な酵素があるとすると、基質はあまりにもしっかりと酵素の活性部位にはまり込んでしまう為、逆に基質を安定化し反応を妨げる事になろう。酵素は基質そのものに相補的なのではなく、その反応遷移状態に相補的なのである。一般に化学反応では、反応する物質の原子の組替えが連続的に起こるが、その際エネルギーが最大になる状態を通って生成物となる。逆に言うと、このエネルギー障壁を乗り越えなければ反応は起こらないのである。このエネルギー最大の不安定な原子配置、つまりエネルギー障壁の頂上に於ける原子配列を遷移状態と呼んでいる。これはまた活性化錯体と呼ばれる事もある。酵素反応に於いても、基質分子は形や電子分布の異なる幾つかの中間形態を経て最終の生成物となるが、その中で最も不安定な遷移状態にあるものの自由エネルギーが反応速度を決めている。そして酵素は、この遷移状態にある基質に対して高い親和性を示すのである。酵素反応で最初に形成される酵素・基質複合体(ES複合体)では、幾らかの弱い相互作用が働いているだけで、基質と酵素間の完全に相補的な結合は基質が遷移状態になって初めて形成される。この結合によって遷移状態が安定化され、わずかな自由エネルギー(結合エネルギー)が解放され、この結合エネルギーが反応の活性化エネルギーを低下させるのに使われるのである。つまり酵素は、遷移状態の基質と相補的に結合する事によって遷移状態を安定化し、活性化エネルギーを低下させて反応速度を飛躍的に高めているのである。酵素反応は、どんな人工触媒も及ばないほど反応速度が高い。この原因としては、触媒部位の近くで基質分子の濃度を局所的に高める事、そして反応に関る原子を正しい位置に保持する事などが考えられるが、最も重要なのは、酵素と基質との結合による結合エネルギーが直接触媒反応に寄与する点なのである。
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エネルギーは、本質的にポテンシャル・エネルギー(自由エネルギー)と運動エネルギーに分けられる。ポテンシャル・エネルギーとは放出される前の蓄えられているエネルギーで、運動エネルギーとは運動状態にあるエネルギーの事である。例えば、ダムの上に蓄えられた水は大きなポテンシャル・エネルギーを持ち、その水がダムを通って低い所に落ちる時、そのポテンシャル・エネルギーは運動エネルギーに変換される。そして、この運動エネルギーが発電機を回して電気エネルギーに変わるわけである。
ところで化合物はそれぞれの分子型に応じて、化学結合の種類と数により定まる一定量のポテンシャル・エネルギーを持っている。従って化学反応で、生成物が反応物より小さなエネルギーしか持たない場合には、反応によって自由エネルギー(仕事に使う事のできるエネルギー)が放出される事になる(発エルゴン反応)。反対に、生成物の方が反応物より大きなエネルギーを持つ反応では、エネルギーの吸収が起こり(吸エルゴン反応)、この反応を起こす為には外部からエネルギーの補給が必要となる。つまり反応の際、生成した分子の自由エネルギーから元の分子の自由エネルギーを差し引いた自由エネルギー変化(G)が、大きな負の値を示すほどその反応は起こりやすい事になる。しかし、自由エネルギー変化が負の発エルゴン反応でも、ただそれだけで反応が速やかに進行するわけではない。反応物質から生成物ができる為には、この両者よりも自由エネルギーの高い遷移状態を通過しなければならない。これが反応を押しとどめるエネルギー障壁(活性化障壁)をなしており、化学反応が起こる為にはこの障壁を乗り越えなければならないのである。この活性化障壁を乗り越えるのに必要なエネルギーが活性化エネルギーである。例えば、水素(H2)と酸素(O2)が反応すると水(H2O)となるが、室温で水素ガスと酸素ガスを混ぜておいても反応は起こらない。室温程度の温度では、水素分子も酸素分子も、反応が起こるのに必要な活性化エネルギーを持っていないからである。しかし、この水素ガスと酸素ガスの混合物に火を近づけると爆発が起こる。これは、火のそばの水素分子と酸素分子が熱せられ、活性化エネルギー以上のエネルギーを持ったからである。一度、反応が起こると大量の反応熱が発生する為、周りの水素ガス分子と酸素ガス分子は加熱されて活性化し、反応が連鎖的・爆発的に進行するのである。またこの活性化障壁は、化学反応に障害を持ち込む事によって分子を安定化する働きもしている。もし活性化障壁が存在しないと、生体高分子などは速やかにエネルギーの低い簡単な分子に分解してしまう事だろう。
先にも述べた様に、酵素は基質の遷移状態と強固に結合する事によって遷移状態を安定化させる。これは遷移状態のエネルギーを低下させる事を意味し、こうして化学反応が起こる際のエネルギー障壁を低くする事により、化学反応を進行しやすくしているのである。つまり酵素は、基質の不安定な遷移状態の中間体と強固に結合する事で活性化障壁を低下させ、反応を触媒しているわけである。(3-14) (4-8) (6-2)
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酵素の触媒作用は、酵素と基質分子との立体構造を介した相互作用によって担われている事を見て来た。しかし、タンパク質の立体構造は固定した不変のものではなく、その形状(コンフォメーション)は柔軟で可逆的に変化し、またその事が生命活性に極めて重要な役割を果たしているのである。 タンパク質は、リガンド(機能タンパク質に特異的に結合する分子)と呼ばれる小型分子と結合する事によって、そのコンフォメーションを変化させる。例えば、糖代謝の初期段階でATP分子の末端リン酸基をグルコースに転移する反応を触媒している、ヘキソナーゼというほとんどの細胞に存在する酵素は、グルコースと結合するとATPに対する親和性が大幅に上昇し、その結果ATPがグルコースと隣り合った部位に結合してリン酸基転移反応が起こり、グルコース6・リン酸とADPが生成されるのである。ヘキソナーゼは2つのドメインから成っており、グルコースとATPの結合部位はこの2つのドメインに挟まれた溝にある。そして、そこにグルコースが結合すると変形して溝が狭まり、このコンフォメーション変化によって酵素のATPに対する親和性が50倍も増大するのである。ヘキソナーゼではATPとグルコースが隣り合った場所に結合したが、2つの結合部位が遠く離れている場合にも、一方のリガンドの結合が他方のリガンドの結合に大きな影響を与える事がある。このような作用をするタンパク質をアロステリック・タンパク、この現象をアロステリック効果と呼んでいる。
実は酵素の活性調節に、このアロステリック効果がうまく利用されているのである。細胞内の様々な代謝反応の速度は、その要求の変化に即応して絶えず調節されている。それぞれの代謝経路では幾つかの酵素が順番に協力して働く酵素系を形成しているが、いずれの系でも少なくとも1つ、最も遅い反応を触媒する事で全体の反応速度を調節する酵素が存在し、シグナルに応じて触媒活性を増大させたり反対に減少させて、代謝反応速度をコントロールしているのである。多酵素反応系では、その経路の最初の酵素が調節酵素である事が多い。調節酵素には2種類あるが、その1つがアロステリック酵素で、シグナル分子の調節因子と可逆的・非共有結合的に結合する事でその活性が調節されている(もう1つは可逆的な共有結合性の修飾により調節をうける酵素)。アロステリック酵素は単純な酵素に比べると一般に大きく、ほとんどのものは2個以上のポリペプチド鎖から成り、それぞれの鎖が折り畳まれて球状構造を形成したサブユニットが集合して、大きな構造体(会合体)を作っている。そしてサブユニットは、総てが同じ場合も異なる場合もあるが、会合体の形成は酵素の活性調節と関係している事が多い。アロステリック酵素は一般に、基質の結合部位とは別に調節因子の結合部位(アロステリック部位)を必ず1つ以上持ち、酵素の活性部位が基質に特異的である様に、アロステリック部位の立体構造もまた調節因子に特異的で、複数の調節因子を持つ酵素はそれぞれの因子に特異的な結合部位を持つ事になる。このアロステリック部位に調節因子が結合すると酵素の立体構造が変化し、その結果、酵素の触媒作用が促進されたり阻害されるのである。多くのアロステリック酵素では、基質結合部位とアロステリック部位が異なるサブユニット上に存在し、こうした場合には触媒部位を持つサブユニットと調節部位を持つサブユニットを切り離すと、触媒ユニットは調節のきかない普通の酵素になってしまう。
調節が抑制的に働く場合の代表的な例にフィードバック阻害がある。これは一連の酵素反応に於いて、その最終生成物が細胞の必要を越えて生成された時、その生成物が最初の酵素の阻害剤として働くものである。従って最終生成物が充分に存在する時には、フィードバック阻害が働いてこの反応系列は動かない。ところが最終生成物が消費されて少なくなって来ると、最初の酵素の抑制が解かれ反応系列は再び動き出す事になるのである。逆に促進する例には、基質自身が酵素の調節因子となっている場合がある。この時には、基質が1つのサブユニットの基質結合部位に結合するとサブユニットの立体構造が変化し、さらにこの変化が隣のサブユニットにも影響を与えてその立体構造を変化させ、基質と結合しやすくさせるのである。その為、基質の濃度が低い所では酵素反応はなかなか進まないが、基質濃度が一定以上になると基質と酵素が急に結合し始め、反応速度が急激に大きくなる。つまり、この場合は基質の濃度がある限度を越えると、酵素反応のスイッチがONになるという調節機構として機能しているわけである。
興味深い例に、酸素を運搬する赤血球中のヘモグロビンがある。これは4個のサブユニットから成り、それぞれ1つずつヘムが結合している。酸素運搬体としてのヘモグロビンに要求されるのは、単に酸素と良く結合するという事だけではない。肺で酸素と結合したヘモグロビンは、酸素を必要とする末梢組織では反対に酸素を効果的に放出しなければならない。この相反する目的の為に、ヘモグロビンの酸素に対する親和性は、酸素分圧(混合気体全圧に占める酸素の寄与分)によって大きく変わる様になっている。つまり、酸素と結合していないヘモグロビンの酸素に対する親和性は低いが、1つの酸素分子がサブユニットに結合するとヘモグロビンのコンフォメーションが変化し、他のサブユニットの酸素親和性が飛躍的に高まる。こうして2個3個と酸素が結合するに従い、親和性は急激に高まって行くのである。最初の酸素分子が結合するだけで、ヘモグロビンの親和性は約500倍も増加すると言う。その為、酸素分圧の高い肺(約13 kPa)では、ヘモグロビンは速やかに酸素と結合してその95%が酸素で飽和するが、反対に酸素分圧の低い末梢組織の毛細血管(約1.5 kPa)では、酸素はヘモグロビンから放出される事になるのである。この時、ヘモグロビンは結合していた酸素の約1/3を放出し、酸素飽和度は64%にまで低下する。
大腸菌などの細菌では、タンパク質の活性調節は主に特定のタンパク質に結合してアロステリック効果を引き起こす、細胞内の小型分子によって行われている。しかし真核細胞では、主に可逆的なリン酸化反応によりタンパク質の活性調節を行っている。リン酸基1個は2個の負電荷を持つ為、これがタンパク質のアミノ酸側鎖に共有結合すると、正電荷を持つ他の側鎖の塊を引き付けるなどして、タンパク質のコンフォメーション変化を引き起こす。こうした変化がタンパク質の一部に起こると、さらに他の場所のコンフォメーションをも変化させる事になり、これによって離れている他のリガンド結合部位の活性を、アロステリックに調整する事が可能となるのである。このように、真核細胞ではタンパク質の活性調節にリン酸化反応が使われる結果、普通の哺乳類が持つ1万種のタンパク質の約1/3がリン酸化されていると言う。またリン酸基は、酵素のタンパクキナーゼによってATPからタンパク質に転移され、反対にその除去はタンパクホスファターゼにより行われている。そのため、真核細胞にはこの2種類の酵素が多数存在し、その大半は細胞内シグナル伝達に於いて中心的な役割を果たしている。またガン遺伝子の多くは、これらのリン酸付加反応に関る酵素タンパク質をコードするものだと言われる。
酵素の並外れた触媒作用が、基質とそれに相補的な酵素との、分子間の立体構造を介した相互作用によって生み出されるのを見て来た。ここで見られた生体内分子間の特異的反応が、カギとカギ穴の様に相補的な立体構造をした分子表面の相互作用によって媒介されているという事は、何も酵素反応だけに限った特殊なものではなく、細胞内で起こる生化学反応に広く見られるものである。前にも述べたが、普通1本鎖のRNAは、その内部に相補的な塩基配列が有るとそこで部分的に2本鎖が形成される結果、あちこちで折れ曲りループ構造を作る事になる。こうしてRNAは分子内の相補性によって、固有の複雑な立体構造を形成できるのである。そして、この立体構造を介して他のRNAやタンパク質と相互作用する事で、RNA分子は様々な生命活性を発揮しているわけである。これは、普通2本鎖で長いヒモ状の分子に過ぎないDNAが、遺伝情報を担うという以外、特別な活性を持たないのと好対照をなしている。
今日ではタンパク質だけではなく、RNA分子にも触媒活性を持つもの(リボザイム)が見つかっているが、それが可能なのはタンパク酵素と同様に複雑な立体構造を形成し、その表面で基質と結合して触媒作用を進める活性部位を持つ為と考えられる。つまり固有の立体構造を持つ事が、触媒活性を可能にしているわけである。一方、RNAの様に複雑な立体構造をとる事のできないDNAには、酵素活性を持つものは知られていない。また、遺伝暗号を翻訳するアダプターとして働くtRNAも、特徴的なクローバー葉形の二次構造と、それが折り畳まれたL字形の立体構造をしている。そして、1つのtRNAは特定のアミノ酸とだけ結合する事が、遺伝暗号の基礎となっていた。つまり、遺伝暗号のメカニズムもC4N説で説明した様に、tRNAとアミノ酸との相補的な立体構造を介した相互作用を利用している可能性が高いのである。
また同様の事は、リボソームの構成要素であるrRNAについても言える。リボソームは、mRNAとtRNAを正確に結合させてタンパク質を合成する球状の粒子で、大小2つのサブユニットから出来ている。各サブユニットはrRNAとタンパク質で構成されるが、触媒活性で中心的役割を果たしているのは、リボソームの重さの半分以上を占めるrRNAと考えられている。rRNAには3種類あるが総て1本鎖で、相補的塩基配列部分でヘアピン構造を作って折れ曲り、複雑な折り畳み構造をとっている。小サブユニットのrRNA分子は生物種によって大きさが異なるが、その折り畳み構造は高度に保存され、さらに大サブユニットのrRNAは異種の生物間でも高い相同性が見られると言う。他方、リボソームのもう1方の構成要素であるタンパク質では、そのアミノ酸配列は進化的にあまり保存されていないのである。このように、rRNAの折り畳みパターンが多くの種で高度に保存されている事は、その立体構造がリボソームの機能にとって重要な役割を果たしている事を示すものと言えよう。
DNAからRNAを転写する際の転写終結に於いても、RNAの立体構造が深く関係している。転写終結は、DNAのターミネーターと呼ばれる特定の塩基配列の所で起こる。ターミネーターはGとCの多い逆転反復配列になっており、これがRNAに転写されるとRNAはヘアピン構造を作り、そこでRNAポリメラーゼの動きを止める。そして、ヘアピン構造の後ろに続くU塩基の連続した領域で、RNAはDNAから離脱して転写は終結するのである(rU・dAのRNA・DNAハイブリッドは結合が極めて弱い)。また、このRNAのヘアピン構造は、転写の途中で起こる転写減衰(アテニュエーション)でも使われ、アミノ酸の欠乏状態をアミノアシルtRNAの量で感知し、転写を微調整する機構として働いている。
(注) トリプトファンオペロンでは、プロモーターのすぐ下流に終結シグナルのヘアピン構造が存在するが、これはもうひとつの大きなヘアピンループと重なっている為、この2つのヘアピン構造は同時には形成できない。リボソームは転写の開始と同時にその5´末端に結合し、ポリメラーゼに追いつくと大きいヘアピンのステム部分に結合する事でその形成を妨げ、その結果、終結ヘアピンが形成されて転写は停止する。ところが、トリプトファンが不足すると、終結シグナルの上流にある2個のトリプトファンを含む読み枠の所でリボソームが停止し、大きい方のヘアピンが形成されて転写は進行し、トリプタファン合成を促進する事になる。(1-12)
複雑な立体構造をとる事のないDNAも、タンパク質との相互作用に於いては、そのわずかな二重らせん構造の違いが大きな役割を果たしている。DNAの二重らせんが発見されて最初の20年間は、DNAの構造は総て同じで単調で均一ならせん構造をとると考えられていた。しかし実際には、DNAも塩基配列によって塩基対の傾斜や捻じれなど、局所的な不規則性を持っており、特定の塩基配列に結合する特異的DNA結合タンパクは、このわずかな立体構造の違いを識別しているのである。遺伝子スイッチをON・OFFする遺伝子調節タンパクが、特定のDNA塩基配列を識別して結合できるのは、そのタンパク質固有の立体構造の表面が、特定の塩基配列を持つ二重らせんの表面と高い相補性を持っている為で、一般に生体内で行われる分子識別では、2つの分子の表面同士が立体的に正確に適合する事が不可欠なのである。そのため、DNA・タンパク質間の分子識別に関与する多くのタンパク質は、DNAの大きい溝に結合する為の特別な構造を進化させて来た。それが、ヘリックス・ターン・ヘリックス・モチーフ、ジンク・フィンガー・モチーフ、ロイシン・ジッパー・モチーフ、ヘリックス・ループ・ヘリックス・モチーフなどのDNA結合構造モチーフなのである。特異的DNA結合タンパクの多くは、このDNA結合構造モチーフのどれか1つを持っている。
免疫応答では、B細胞が産生した抗体が、何百万種類もの異なる非自己抗原を区別して特異的に結合する。抗体は、アミノ酸がたった1つ違うだけのタンパク質を識別できると言われるが、この場合の分子識別も酵素と基質の特異的結合と同様に、分子の立体構造表面の相補性によっているのである。前にも述べた様に、最も単純な抗体はH鎖とL鎖2本ずつから構成されたY字形の分子で、その腕の先に2つの抗原結合部位を持っている。H鎖・L鎖とも、ドメインと呼ばれるコンパクトに折り畳まれた反復単位が、それぞれ4個と2個つながって出来ており、各ドメインは免疫グロブリン・フォールドと呼ばれる折り畳み構造によって、非常に良く似た立体構造をとっている。これは、2つの広がったタンパク質の層(βシート)が折り重なって平行に並び、1個の鎖内ジスルフィド結合によってつながれて筒状になったものである。さらに可変ドメインでは、そこから3つの超可変領域がそれぞれループ(超可変ループ)を作って突き出し、そしてH・L両鎖の可変ドメインの6つの超可変ループが、1つにまとまって抗原結合部位を形成している。その形は非常に多様で、裂け目や溝の様になっていたり、平たく表面が波打ち、あるいは突出したりして、このような立体構造に相補的な表面をもつ抗原がそこに結合するわけである。小さなリガンドほど深い穴に結合し、大きなリガンドは平たい表面に結合する。さらに結合部位は抗原が結合すると、結合をより確実なものにする為にその形を変えると言う。こうした様々な結合部位の立体構造は、アミノ酸側鎖の配列によって決まる、超可変ループのコンフォメーションによって決定されているのである。
多細胞生物では、各細胞の振る舞いを統合する為に、細胞間で連絡を取り合う精巧なシグナル伝達機構が進化しているが、ここでも分子間の立体構造を介した相互作用が重要な役割を果たしている。これは細胞外シグナル分子と、それと特異的に結合する受容体(レセプター)から構成されている。
ほとんどのシグナル分子は親水性で細胞膜を直接通過する事が出来ず、標的細胞の表面にある膜貫通型タンパクのレセプターに結合し、他方、小さなシグナル分子の多くは疎水性で(ステロイドホルモン・甲状腺ホルモン・レチノイド・ビタミンDなど)、直接細胞膜を通過して細胞質や核にあるレセプターに結合する。これらの結合は、分子間の立体構造の相補性によって特異的に行われ、シグナル分子が結合したレセプターは、そのコンフォメーションを変化させ活性化する。こうして活性化した細胞表面のレセプターは、シグナル伝達の連鎖反応を引き起こし、次々とシグナルを細胞表面から核へと受け渡して行くのである。一方、小さなシグナル分子が結合した細胞内レセプターは、直接特定の遺伝子の転写を調節する事になる。こうしてシグナル分子は、遺伝子発現パターンを変化させ、最終的に細胞の振る舞いを変化させるのである。
筋収縮にも、高分子のコンフォメーション変化が関係している。骨格筋にある細長い筋繊維は、たくさんの細胞が融合してできた大きな多核細胞で、その中を多くの筋原繊維が平行して走っている。この筋原繊維は、直径1〜2μmの円筒型で、長さ約2.2μmのサルコメアと呼ばれる収縮単位が長くつながって出来ている。そして各サルコメアの両端には、多数の細いアクチンフィラメントが付着して中央に向かって平行に伸び、サルコメアの中央には一部アクチンフィラメントと重なる形で、太いミオシンフィラメントが同様に規則正しく平行に並んでいる。筋肉が収縮するのは、ミオシンフィラメントがアクチンフィラメントの中に滑り込んで重なり、サルコメアが短縮する為で、この時、ミオシン分子の立体構造の変化が関っているのである。電子顕微鏡で見ると、ミオシンフィラメントからはたくさんの小さな腕が突き出し、隣のアクチンフィラメントに接触している事が分かる。これはミオシンの頭部で、ATPの加水分解と、次いで強く結合した分解産物(ADPとPi)が解離する過程で、アロステリックなコンフォメーション変化を起こし、ボートのオールを漕ぐ様な具合に動いてミオシン分子を一定方向に運動させるのである。各ミオシンフィラメントには、約300個ほどのミオシン頭部が存在し、それぞれ急激な収縮の間に毎秒約5回の運動を行う。この結果、ミオシンフィラメントとアクチンフィラメントは、15μm/秒程度の速さで滑り合い筋収縮が起こるのである。
アロステリック・タンパクには機械的な力を生み出すだけではなく、ATPの加水分解のエネルギーを使って特定のイオンを細胞から出し入れする、イオンポンプとして働くものもある。例えば、あらゆる動物細胞の細胞膜に存在するNa+-K+ATPアーゼはその重要な例で、ATPの加水分解によってコンフォメーションを変化させ、1サイクルごとに3個のナトリウムイオン(Na+)を細胞の外へ、2個のカリウムイオン(K+)を細胞内へと移動させる。ほとんどの細胞で、全エネルギーの30%以上がこのATP駆動ポンプで消費されていると言う。こうしてNa+-K+ATPアーゼがたえまなくイオンを運搬する事によって、細胞の内側は外側に比べてNa+濃度が低く、反対にK+濃度は高く保たれ、細胞膜を境に逆向きの2つのイオン勾配が作り出されているのである。このように細胞膜をはさんで作られたイオン勾配は、ダムに蓄えられた水の様にエネルギーを蓄える事ができる。細胞はこの蓄積されたエネルギーを使って、膜に結合した様々なアロステリック・タンパクにコンフォメーション変化を引き起こし、それによってこれらのタンパク質に有用な仕事をさせているのである。例えば、細胞膜内外に作られたNa+の大きな濃度勾配は、グルコースやアミノ酸を細胞内に輸送する、細胞膜結合性のタンパク・ポンプの駆動力となっている。Na+がその濃度勾配に従って流入するのと一緒に、グルコースやアミノ酸も細胞内に引き込まれるのである。また、ATPの加水分解によって駆動されるアロステリック・ポンプは、逆方向に働く事で、イオン勾配のエネルギーを使ってATPを合成する事もできる。実際、動物細胞が必要とするATPの大半は、膜結合性のアロステリック・タンパク複合体であるATP合成酵素が、ミトコンドリア内膜を挟んで作られるプロトン(H+)勾配に蓄えられたエネルギーを使って作り出しているのである(化学浸透性リン酸化)。
このように見て来ると、生命活動のあらゆる場面で、高分子の立体構造を介した相互作用が関っている事がわかる。生命を構成する高分子がそれぞれ独自の立体構造をとり、その立体構造を介して互いに相互作用し、またその結果として立体構造を変化させる。こうした形の相互作用は生命活動一般に広く見られる現象で、これなくしては初めから生命など有り得ないのである。思い切って言うならば、生命とは高分子の立体構造を介した相互作用の総体であると言っても良いだろう。
こうして見て来ると、生命活性は高分子の立体構造によって担われている事が分かる。生物にとってタンパク質が正確な立体構造をとる事の重要性は、タンパク質が正しく折り畳まれる様に助け、ガイドとして働く特別のタンパク質が存在する事にも現れている。これは分子シャペロン(付き添い、お目付の意味)と呼ばれるもので、新たに合成されたタンパク質の折り畳みや、それらが集まって大型の構造を作る時、そのガイドとして機能している。代表的な分子シャペロンには、Hsp70とHsp60の2つのファミリーがある。Hsp70は、合成されたばかりのタンパク質がリボソームから解離する前に、7つくらいの疎水性アミノ酸からなる短い鎖に結合し、タンパク質が正しく折り畳まれる様に助けている。一方、Hsp60の方は大きな樽型の構造をとり、誤って折り畳まれたタンパク質をその中に収容して、再度折り畳みを試みる環境を提供している。どちらの場合も、分子シャペロンはATPの加水分解サイクルに伴ってタンパク質と結合・解離を繰返し、言わばタンパク質のマッサージを行っていると考えられる。折り畳みが不完全なタンパク質では疎水性の領域が露出しており、分子シャペロンはこの疎水性領域に結合してそこをマッサージし、誤って折り畳まれたタンパク質が、もう一度異なる折り畳み方を試みられる様にしているのである。これらの分子シャペロンは、細胞が高温(例えば42℃)に短時間さらされた時に急激に合成される事から、熱ショックタンパク質(Hsp:heat-shock protein)とも呼ばれる。これは高温によるタンパク質の変性を防ぐ為に、シャペロンの合成が増大する結果起こる反応と思われる。
また真核細胞は、分子シャペロンの助けにもかかわらず誤って折り畳まれたタンパク質ができあがると、それに目印を付けてタンパク分解装置に送るという複雑巧妙な機構も進化させた。変性したり折り畳み損ねたタンパク質や異常アミノ酸を含むタンパク質は、ユビキチン化酵素によって識別され、その標的タンパク質中のリシン残基に目印として小型タンパク質のユビキチンが付加される。このユビキチンと共有結合したタンパク質は、細胞全体に多数存在する円筒形の大型タンパク質複合体であるプロテアソームに送られ、その円筒内の複数のタンパク質分解酵素によって分解され、短いペプチドとなって放出されるのである。
このように細胞は、タンパク質の正しい立体構造を保つ為に、たいへん複雑なシステムを構築しているのである。タンパク質の正確な立体構造が、生物にとっていかに重要であるかが分かるだろう。
このように、細胞内で行われる様々な反応では、生体を構成する高分子の立体構造が、極めて重要な役割を果たしている。では何故、分子の立体構造がそれほど重要なのか、また、その立体構造はどのようにして生み出されているのだろうか。それを理解する為には、生体高分子を構成する原子間の相互作用について知らなければならない。
原子間の相互作用は、極めて強い結合である共有結合と、弱い化学的相互作用の非共有結合の2種類に大別する事ができる。タンパク質などの生体高分子は、多くの原子が共有結合する事により出来上がったものである。一方、弱い相互作用は単独では2つの原子を結び付けるほどの強さはないが、それが幾つか組合わさる事によって巨大分子を結び付けたり、あるいは異なる分子間だけではなく共有結合で結び付いた同じ分子内の原子間で働いて、どの原子が互いに隣接するかを決め、ポリペプチドやポリヌクレオチドなどの柔軟な高分子の立体構造を決定する働きをしている。つまり生体高分子に固有の立体構造を与え、そしてその間の相互作用を担っているのが、この弱い相互作用なのである。このような弱い化学的相互作用には、水素結合・イオン結合・ファンデルワールス相互作用・疎水相互作用(疎水結合)がある。これらは二次結合とも呼ばれ、共有結合と比べると非常に弱い結合である。例えば、共有結合を壊すには50〜200 kcal/molのエネルギーが必要(結合エネルギー)となるが、水素結合とイオン結合では3〜7kcal/mol、一番弱いファンデルワールス結合ではわずか1〜2kcal/molに過ぎない。これは室温25℃の熱運動エネルギー、0.6 kcal/molよりわずかに大きいだけである。熱運動エネルギーの値には大きな幅がある為、生理的温度に於いても、弱い相互作用中の最も強い結合でも壊してしまう様なエネルギーを持つ分子も存在する事になる。そのため生理的温度では、弱い結合は恒常的にできたり壊れたりを繰り返しているのである。弱い結合の平均寿命は1秒の何分の1かに過ぎない。従って、弱い相互作用が力を発揮する為には、単独ではなく幾つかの相互作用が組合わさって、複数の弱い結合が形成されなければならない。しかも、弱い結合は短距離にある時だけ有効である。こうした事情の結果、弱い結合力が有効に作用する為には、相互作用し合う分子の表面が接近している事、つまり一方の表面の突き出た基(または正電荷)が他方の窪み(または負電荷)とカギとカギ穴の様にピッタリと合う事が必要となる。細胞内で行われる様々な反応で、分子の立体構造および立体構造を介した相互作用が重要な意味を持つのは、このような弱い相互作用の特性の為だったのである。また生命反応の多くが、容易に切断される不安定な弱い結合に依存しているからこそ、多くの変化に富む生命現象が可能なのだとも言う事ができよう。では次に、それぞれの化学結合について見て行く事にしよう。
共有結合は、ボーアの原子モデルで考えると分かりやすい。それによると原子は、その重さのほとんどを占める中心の原子核と、その周りを回る電子から構成されている。原子核はプラス(+)の電荷を持つ陽子と電気的に中性の中性子から成り、一方、電子はマイナス(−)の電荷を持ち陽子と同数ある為、原子全体としては電気的に中性となっている。電子は原子核周囲の飛び飛びの軌道(内側から順にK殻・L殻・M殻・N殻・O殻・P殻)を回っているが、各軌道に入り得る電子の数は決まっており、その最大数は内側の軌道から番号(n)を付けると2n2個となる。そして外側の軌道ほど位置エネルギーが高く、普通電子は内側の軌道から順に詰められて行く(築き上げの原理)。こうして、一番外側の殻(最外殻)に入っている電子の数は原子ごとに異なり、この最外殻の電子数がそれぞれの原子の化学的性質を決める事になる。というのは、この最外殻の電子が原子間の化学結合に関っているからである。原子を陽子の数(原子番号)の順に並べると、周期的に化学的性質の良く似た元素が現れる。これを元素の周期律と呼んでいるが、その原因は原子の最外殻の電子数が周期的に1から8まで変化して行く事にある。そして、最外殻電子数が8個(最外殻がK殻の場合は2個)の時、原子は化学的に最も安定するのである。例えば、希ガスのヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドンは不活性で、他の原子と結合せず単独で安定である(単原子分子)。逆に、希ガス以外の原子は他の原子と接触すると結合して、なるべく電子殻の構造を安定な希ガスの状態に近づけようとする。つまり他の原子と結合して、最外殻電子数が8となる様にしようとするのである。これをオクテット(Octet)則と呼んでいる(Octaは8を表わす接頭詞)。その方法の1つが共有結合で、複数の原子間で電子を共有する事によって最外殻電子数を8にするのである。
表6-4 希ガスの電子配置
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元素名 |
化学式 |
K殻 |
L殻 |
M殻 |
N殻 |
0殻 |
P殻 |
沸点(℃) |
|
ヘリウム ネオン アルゴン クリプトン キセノン ラドン |
He Ne Ar Kr Xe Rn |
2 2 2 2 2 2 |
8 8 8 8 8 |
8 18 18 18 |
8 18 32 |
8 18 |
8 |
-269 -246 -186 -152 -108 -62 |
(注) 各軌道に入り得る電子の数は、n=1のK殻では2×12=2で2個、同様にしてn=2のL殻では8個、n=3のM殻では18個となる。ところが、M殻に8個の電子を持つアルゴンの次のカリウムでは、M殻が一杯にならない内に外側のN殻に電子が入っていく。つまり原子番号が19以上では、築き上げの原理が当てはまらないのである。これはボーアのモデルの限界を示している。(6-3)
共有結合を考える場合、元素記号の周りに正方形の枠を想定して、各辺に最外殻電子を1つずつ点で表示すると良い。1つの辺には2個しか入れない様にして電子を置いて行くと、総ての辺が2個ずつの電子で埋まった時、最外殻電子数はちょうど8になる。例えば、生体系の分子のほとんどは、水素・炭素・窒素・リン・酸素・イオウの6種類の元素から成り立っているが、これを最外殻電子と共に表現すると次の様になる。
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水素 |
炭素 |
窒素 |
リン |
酸素 |
イオウ |
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・ H |
・ ・C・ ・ |
・・ ・N・ ・ |
・・ ・P・ ・ |
・・ ・O・ ・・ |
・・ ・S・ ・・ |
これらの原子は他の原子と共有結合する傾向があり、単独で存在する事はほとんどなく、特定の数の共有結合を他の原子との間で形成している。共有結合によって最外殻電子数を8にするには、4つの辺すべてで電子が2個ずつ対になる様にすれば良い。初めから2個対になったものは孤立電子対と呼ばれ、結合には関係しない。共有結合に関わるのは対になっていない電子で、これがちょうど結合する時の手に相当する。従って窒素の様に最外殻電子数が5のものは、結合するための手を3本持つという事になる。この結合手を原子価と呼び、共有結合を考える時には、この原子価が過不足なく結び付く様にすれば分子が出来上がるのである。例えば、外殻に電子が1個しかない水素原子は原子価が1で共有結合を1個だけ形成できる。
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(電子式) |
(構造式) |
(分子式) |
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H:H |
H−H |
H2 |