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第7章            複雑系と相互作用

 


相互作用を無視してきた従来の科学

 要素還元主義

 

  前章で見た様に、複雑な生命を生み出し、その生命活動を可能にしているものこそ要素間の相互作用とそれによる自己組織化であった。つまり生命は、相互作用を抜きにしては語る事は出来ないのである。この相互作用というのは何も特別なものではない。宇宙に存在するものは総て、互いに相互作用し影響を及ぼし合っているのである。もし他の如何なる存在とも相互作用をしないものがあるとすると、それは我々の感覚器官とも相互作用しないわけだから、我々の感覚で認識される事はなく、当然どのような観測装置によっても観測される事はない。また、周囲にまったく影響を及ぼさないわけだから、それは存在しないのと全く同じ事である。つまり、他の存在と相互作用しないものなどこの世界には存在しない。この宇宙に存在するものは、多かれ少なかれ周囲の存在と相互作用し合っているのである。そして、この存在するものの本性とも言える相互作用によって要素間に自己組織化が起こり、秩序や構造が生み出される事になる。宇宙が大小様々な構造や秩序で満たされているのは、この相互作用によっているのである。

  このように相互作用は我々の周囲に普遍的に存在し、世界を形あるもの秩序あるものにしているわけだが、実は従来の科学はこの相互作用をずっと無視し続けて来たのである。そして、相互作用の無視の上に成り立っているのが、近代科学が金科玉条にして来た要素還元主義である。近代科学はこの要素還元主義によって、自然を単純な要素に分解する事で理解しようとして来た。相互作用を捨象すると、全体は単なる部分・構成要素の総和として捉える事ができる。つまり、全体を理解するにはまず単純な構成要素に分解し、それを個々に研究して最後にそれを寄せ集めれば良いという事になる。例えば、我々の住むこの物質世界を理解しようとすれば、物質をその構成要素の分子や原子さらには素粒子に分解し、これらの要素を個々に研究してその運動法則を明らかにすればよい。世界は、これら基本粒子の運動の総和として与えられるというわけである。あるいは、我々ヒトの脳の意識や記憶といった高度な機能も、脳を構成する1つ1つの神経細胞とその働きを研究する事で自ずと明らかになると考える。同様に生物学に於いても、生物や進化は、それを支える構成要素の遺伝子そしてDNAに還元する事で理解できるとする。このように近代科学は、世界を理解するのにまず素粒子や遺伝子といった基本粒子を見つけ出し、それらの個々の性質や機能を個別に研究して、その後これらを単に寄せ集め、あるいは足し合わせる事で全体を捉える事が出来ると考えて来たのである。

  ところが今まで見て来た様に、タンパク質はそれを構成する様々な分子や原子が相互作用し合う事で、生命活性を持つ独自の立体構造を形成し、高度な生命活動を可能にしているのであった。このような立体構造の形成は、タンパク質の構成要素である個々の原子を調べても解明する事はできない。炭素・水素・窒素といった原子自体は、タンパク質がどのような立体構造をとるかという情報は持っていないからである。それは個々の構成要素が決めている事ではなく、要素間つまり原子間の相互作用によって、原子間に結ばれる1つの関係、あるいは秩序として生み出されたものなのである。同じ事は遺伝についても言える。個々の遺伝子は、それぞれが1つのタンパク質のアミノ酸配列をコードしているに過ぎないのであって、1つ1つの遺伝子が独立して生命に必要な機能を持っているわけではない。遺伝子は1つだけでは何も出来ないのであって、他の遺伝子と作用し合い協調する事によって、初めて重要な役割を果たす事ができるのである。個々の遺伝子ではなく遺伝子間の相互作用、そのネットワークこそが生命を形作り、複雑な生命活動を可能にしているわけである。

 

(注) かって、量子力学の確立に貢献したニールス・ボーアも、構成要素の水素と酸素の性質からは「水らしさ」は予測できないと述べたと言う。

 

  また、脳の記憶の問題についても同様の事が言える。記憶が蓄えられているはずの大脳皮質の大部分が損傷しても、長期の記憶は失われない事が知られている。あるいは迷路を通り抜ける訓練をしたネズミの脳の一部を切除して、迷路の記憶の蓄えられた場所を突き止めようとしても成功しないと言う。これらの事は、記憶が脳の特定の場所、特定の神経細胞に蓄えられているのではなく、脳全体に分散して蓄えられている事を示唆している。記憶のこのような性質は、レーザー光線の干渉を利用して三次元情報をフィルムに記録する、ホログラフィーと似ている事が指摘されている。ホログラフィーでは、記録するのに使った同じ波長のレーザー光線をフィルムに当てると、元の三次元情報を引き出す事ができる。しかも面白い事に、フィルムの一部分にだけ光を当てても、多少ぼんやりとはするが三次元の全体像が得られるのである。脳はホログラム的に記憶を蓄えているという仮説では、脳が感覚器から入ってきた信号を波の形に変換し、その波が脳全体に干渉パターンを形成して、脳細胞のシナプスあるいは位相空間に記憶されると言う。記憶は孤立した個々のニューロン(神経細胞とそこから出る突起を合わせたもの、広義の神経細胞)の中に蓄えられているのではなく、脳全体の神経ネットワークの中に、ニューロン間の相互関係のパターンとして蓄えられていると考えられるのである。そうであれば、記憶さらには意識といった人間の脳の高度な働きは、個々のニューロンの機能を研究するだけでは決して理解できないであろう。

  要素還元主義は、相互作用の絡み合った複雑極まりない現実を、相互作用を捨象する事で極めて単純な要素、あるいは周囲と相互作用しない孤立系に還元し、世界が原子や素粒子といった基本粒子とその簡単な運動法則だけで説明できるとしてきた。またこうした考え方は、宇宙が定められた働きをする部品の集合からなる機械に過ぎないという、機械論的世界観を生み出す事にもなった。確かに、近代科学はこの要素還元主義によって目覚ましい発展を遂げ、20世紀初頭には量子力学と相対性理論を完成させ、物理学には「本質的な問題はもはや何も残っていない」とか「物理学の終焉は間近」とまで言われる様になったのである。ところが、生物学や経済学そして物理学に於いても、要素間の相互作用が重要な役割を果たしている分野では、要素還元主義的な近代科学は全く役に立たない事がはっきりして来る。ここでは相互作用によって構成要素間に一定の秩序が自己組織化され、これによって個々の要素からは想像もできない、新しい形態や機能が生み出されているのである。つまり相互作用が存在すると、全体は単なる部分の寄せ集め、総和ではなくなってしまうのである。このような所では、複雑な全体を理解する為に、次々とより小さなより単純な構成要素に分解して行くという要素還元主義では、何時までたっても全体を捉える事はできない。近代科学は、自然とは本来単純なものであって、幾つかの単純な基本法則に支配されていると考えてきた。それが我々の目に複雑なものと見えるのは、周囲からの様々な作用により攪乱される為であって、相互作用というのは本来単純な現象を攪乱して複雑化させる、環境からのノイズと見なされて来たのである。そのため、現象を攪乱し複雑化させている相互作用を捨象する事で、複雑な現象の奥に潜む単純な法則性を明らかに出来ると考え、また実際に多くの成果を上げて来たわけである。しかし、その一方で相互作用を無視する事は、複雑性という自然が本来持つ本性に目をつむる事にもなってしまった。彼等にとって自然はあくまで単純なものであって、それが複雑なものに見えるのは、単に環境からのノイズによる見せかけに過ぎないからである。近代科学は天体や素粒子の運動法則を明らかにし、宇宙の神秘を解き明かしたかに見えたが、実はそれが解明したのは相互作用が重要な働きをしない単純な系、あるいは相互作用を無視できる理想化された特殊な条件下で起こる現象だけであった。相互作用が重要な役割を果たしている我々の周囲で起こる日常的な現象、例えば風に舞う枯れ葉の運動とか、水の流れの作る渦や乱流、あるいは雲や植物の形態といった問題については全く説明ができない。つまり、従来の科学が説明できるのは例外的に単純な現象だけであって、我々の周りに溢れている複雑な現象には手も足も出ないのである。こうした中で要素間の相互作用に注目し、自然をあるがままの複雑なものとして捉えようとする流れが、20世紀後半になって出て来る事になる。これが複雑系という考え方である。複雑系は、生物学・経済学・物理学などの多分野にわたって科学革命を推し進め、今までの機械論的世界観や要素還元主義に代わる、新しい科学的世界観を創造しようとしている。21世紀の科学は、この複雑系の科学がリードする事になるだろうとも言われる。この複雑系を解くキーワードが相互作用なのである。

 

 

 決定論と確率論への2極化

 

  このように、世界の有り様を決定づけている相互作用を無視する事は、科学をゆがめその有効な適用範囲を限定する事になった。そして物理学に於いては、この相互作用の無視は2つの正反対の極端な自然観を生む。即ち、古典力学の決定論的世界観と、統計力学の確率論的世界観である。前者はニュートン力学の確立と共に登場して、天体の運動に代表される様な法則によって支配された完全な秩序を持つ機械論的世界像を提示し、後者は産業革命の必要性から発達した熱力学で数学的手段として使われた事に始まり、力学的決定論には馴染まない無秩序で不規則な現象に適用される様になって行った。その後、確率論的世界観は量子論として全面的に展開される事になる。こうして近代科学は、決定論的世界観と確率論的世界観という異質な自然観を持つ2派に分かれて、一方では激しく対立しつつ、他方では互いに補完しながら科学を発展させて来たのである。アインシュタインが量子力学に疑問を持ち続け、N.ボーアと激しい論争を繰り広げた事は有名である。彼は「神がサイコロ遊びをする」とは信じられない、そして自分は「完全な法則性と秩序の存在を信じている」として、生涯量子力学を受け入れる事はなかった。このアインシュタインと量子力学との対立も、決定論と確率論の対立という枠組みの中で捉える事もできるだろう。しかしこの対立する2つの世界観は、取り扱う対象に応じてうまく役割分担をする事で互いに補完し合っても来た。つまり、秩序だった単純な系を扱う時には決定論を、反対に無秩序でランダムな系には確率論を使うといった具合である。2極構造を持つ近代科学は、自然を見るのにこれら2種類の眼鏡のどちらか一方を使って来たわけである。しかし両極端は相接する。確率論でも対象間の相互作用は基本的に捨象しており、この2つの世界観はどちらも相互作用の無視という点では全く同類なのである。両者とも、自然をありのままの相互作用の絡み合った複雑なものとは見ていなかった。結局、近代科学は2つの色眼鏡を使い分け、自然をそれぞれの方向から、その1側面を見ていたに過ぎなかったわけである (7-1)。つまり、秩序の側面と無秩序の側面を。こうして近代科学は、秩序と無秩序が分かちがたく結び付いた自然を、ありのままのものとして見る事はなかったのである。

 

(注)一般相対性理論と量子力学は両立しない事が知られている。普通は2つの理論の適用領域が一方は星や宇宙、他方は原子・素粒子とそのサイズや質量が大きく異なる為、どちらか一方を使えば良く問題は起きない。ところがブラックホールとかビッグバンなど、サイズが極端に小さくかつ質量はたいへん大きいという極限状況で両理論を一緒に用いると、量子力学的確率が無限大になるという無意味な結果が出てくるのである。この現代物理学における大問題の1つである、一般相対性理論と量子力学の対立は、「超ひも理論」によって解決されると言う。従来、量子力学では素粒子を大きさのない点粒子として扱ってきたが、この理論では極めて小さな(プランク長ほど)輪ゴムに似た一次元の振動するひもと考える。そして、ひもの振動パターンの違いによって各粒子の質量と力荷が決まり、さらには力の粒子もひもの特定の共振パターンに関連している。つまり物質とすべての力が、微細なひもの振動として統一的に捉えられるのである。この為、ひも理論は万物の理論(TOETheory of Everything)とも呼ばれる。そして、ひもが点ではなく一定の空間的広がりを持つ事が、プランク長以下の短い距離で激しくなる空間のゆらぎ(量子的変動)をぼやかし、一般相対性理論と量子力学の衝突を解決すると言う。ただ、超ひも理論やこれを統合するM理論が有効な為には、10の空間次元と1つの時間次元、つまり合計11個の時空次元が必要とされている。(7-24) (プランク長:hG/c)1/2=1.616×10-33cm )

 

 

 力学的決定論

 

  相互作用の無視が、どのようにして力学的決定論を生み出す事になったのであろうか。決定論的世界観の誕生には、言うまでもなくニュートン力学が決定的な役割を果たしている。ニュートン力学は「万有引力の法則」と運動の3法則、つまり「慣性の法則」「運動の法則」「作用・反作用の法則」とから成り立っている。そして総ての物体の運動を、この単純な3法則から記述しようとするのである。特に、この内の第2法則がいわゆるニュートンの運動方程式で、それによると物体の加速度は加えられた力に比例し、物体の質量に反比例する。加速度は速度の時間的変化の割合であり、速度は位置の時間的変化の割合である為、運動方程式は2階の微分方程式として表わされる。そして物体に加わる力が決まると運動方程式から加速度が分かり、加速度が分かれば次の時刻の速度が分かり、さらに速度から各時刻に於ける物体の位置が分かる事になる。即ち、微分方程式で表わされた運動方程式を積分する事によって、時々刻々の運動の速度と位置を次々と求める事ができるのである。このニュートン力学が最も成功したのが、太陽の周りを回る惑星の運動の解析であった。これは天体観測からケプラーの発見した経験則に従う事が知られていたが、ニュートンは万有引力と力学の法則から、このケプラーの法則を導き出す事に成功したのである。こうして、太陽系は時計仕掛けの機械の様に運動している事が示された。ニュートン力学では、初期条件さえ定まれば、その後の運動は運動方程式によって100%決まってしまうのである。以来、ニュートン力学は天体の位置や軌道、日食や月食の日時、そして彗星の周期などの正確な予測に成功、そのあまりに完璧な成功は、人々の自然観や世界観に大きな影響を与え、機械論的・決定論的世界観を生み出して行く事になるのである。そしてニュートンからほぼ100年経った18世紀になると、自然は単純で合理的な決定論的法則に従って動いており、その法則を表わす方程式と初期値さえ分かれば、総ての現象の過去・現在・未来の状態を知る事ができるという、極端な決定論的世界観まで登場する事になる。18世紀フランスの代表的数学者であったラプラスが述べた、ラプラス的世界観である。彼によると自然を支配する法則を理解し、ある瞬間に於ける総ての物体の状態を知り、その膨大な情報を数学的に処理できる知性が存在するならば、その知性は宇宙に存在する天体から原子に至るまで、その過去・現在・未来に於ける総ての状態を知る事が出来るだろうと言う。この知性にとっては不確かなものは何ひとつなく、未来はその過去と同様に明白なのである。この仮想的な知性の事をラプラスの悪魔と呼んでいる。この極端な決定論的世界観によれば、宇宙誕生の瞬間にその後の総ての出来事が運命論的に決定される事になり、偶然の入り込む余地は全くなくなってしまう。

  しかし、こうした決定論的世界観を生み出すきっかけとなった天体の運動の分析には、実は巧妙なトリックが使われていた。ニュートンは惑星の軌道を計算するのに、まず太陽系から太陽と地球の2つの天体だけを取り出し、他の惑星からの引力の影響を無視したのである。太陽系に於いては大部分の質量が太陽に集中(太陽系の全質量の99.86%)している為、他の惑星との重力相互作用を無視しても大きな問題はないだろうというわけである。これを、天体が2個だけの場合の軌道を求める問題という意味で2体問題と呼んでいる。こうした他の惑星との相互作用を無視した2体問題では、運動方程式が積分可能で、解析的に解を導き出す事ができる。こうしてニュートンは2体問題の運動方程式を完全に解いて、ケプラーの法則を数学的に導き出す事に成功したのである。しかし太陽系には地球以外に、水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星と9つもの惑星が存在し、互いに重力相互作用をしながら運動しているのであって、この惑星間の相互作用を考慮に入れると状況は一変してしまう。それどころか、ニュートンが解いた2体問題にたった1つ惑星を加えるだけで、途端に運動方程式は解けなくなってしまうのである。この3体問題を詳しく研究し、力学と数学に新しい展開をもたらしたのが19世紀のフランスの数学者アンリ・ポアンカレで、3体問題を簡略化した制限3体問題に取り組んだ。これは3番目の天体の質量をゼロとして、他の2個の天体には影響を与えないが、その2個の天体からの影響は受けると仮定して、3番目の天体の運動を調べるというものであった。彼はこの制限3体問題を自ら開発したポアンカレ切断面法を用いて解析し、惑星の軌道が従来のニュートン力学的世界観の常識からは考えられないほど込み入った複雑なものとなり、3体問題では単純な唯一の解は存在しない事を明らかにしたのである。これは今日我々がカオスと呼んでいる、決定論的法則に支配されたシステム(系)に現れる、予測不能の不規則な現象の発見された最初のものであった。3体問題は一般に積分不能で解析的に解く事はできない。従って、ある天体の任意の時刻に於ける位置や運動量を、既知の関数を用いて明確に表わす事は一般には不可能なのである。我々はかって、太陽とそれを回る惑星の運動は完全に予測可能な秩序の典型であって、惑星は永遠に固定された軌道を時計仕掛けの様に正確に回っているものと考えて来た。しかし、実際には地球の軌道ですら長期的に見ると予測不能なのである。また地球に落ちて来る隕石は、火星と木星の軌道の間にある小惑星帯の小惑星の破片が太陽系内を漂った後、地球に衝突したものと考えられているが、こうした事が起こり得るのも木星との重力相互作用によって小惑星の軌道が不規則に乱され、次第に偏芯して遂には地球の軌道と交差する様になる結果なのである。つまり、太陽系自体が予測不能なカオス的振る舞いをしているのでなければ、隕石が地球に落ちて来る事も無いわけである。このカオス現象に最初に取り組んだポアンカレは、「単純さを目指す科学は幻想にすぎないかも知れない」と述べたと言われる。

 

 

 軌道共鳴

 

  このように相互作用は、単純な決定論的法則に支配された完全な秩序を持つ決定論的系に、予測不能の複雑な不規則性を持ち込む。つまり、秩序の中に無秩序を作り出すのである。しかし、相互作用は無秩序を生み出すだけではなく、全く正反対の作用もする。即ち、無秩序の中に秩序を作り出すのである。

  これも天体の運動を例に見てみよう。太陽系を構成する天体は、それぞれが自由気ままに自分の軌道を回っているのではない。周囲の天体との重力相互作用によって、2つの天体の周期の比が簡単な整数比になっている場合が多いのである。このような共鳴現象は、太陽系全域に広がっており軌道共鳴と呼ばれている。例えば、木星の衛星で最も内側の軌道を回っているイオの公転周期は1.769日で、そのすぐ外側を回るエウロパの周期3.552日のほぼ半分になっている。この場合、両者は2:1の軌道-軌道共鳴にあると言う。この軌道共鳴の結果、イオはエウロパの重力による相互作用によってその軌道を細長く引き伸ばされている。そのためイオは、木星に接近しあるいは遠ざかる時に木星から巨大な潮汐力を受け、ボイジャーが観測した様な活発な火山活動が引き起こされているのである。さらにエウロパは、その隣の衛星ガニメデ(7.155日)と2:1の軌道共鳴関係にあり、この3つの衛星は複雑な天体配置を形作っている。土星系ではミマス(0.942日)とテティス(1.888日)、エンケラドス(1.370日)とディオーネ(2.737日)、そしてタイタン(15.945日)とヒペリオン(21.277日)が軌道共鳴の関係にある。ただ、天王星の衛星にはこうした共鳴対は存在しないと言う。惑星では、木星の公転周期11.856年と土星の29.424年がほぼ2:5の共鳴関係を示し、また天王星と海王星の83.747年と163.723年も1:2の整数比に近い。そして海王星と冥王星(248.02年)も、2:3の共鳴関係にある。こうした共鳴現象が起こるのは、2つの天体の周期の比が単純な整数比になると、同一の天体配置が周期的に何度も繰返される事になり、そこに一種のフィードバックが働いてその軌道共鳴状態を安定化、あるいは不安定化する為と考えられる。また衛星系に於いて共鳴が起こりやすい理由は、潮汐現象によると思われる。衛星の公転運動が惑星に潮汐を引き起こす事で両天体間で角運動量が交換され、その結果、衛星の軌道と惑星の自転が変化しやすいのである。そのため今日の衛星軌道は、初期のものとはかなり違ったものになっている。こうして衛星の公転周期は時と共に変わり、他の衛星との共鳴状態を形成する様になったのだろう。他方、惑星の場合には太陽に潮汐作用を及ぼす事になるが、衛星-惑星間に比べて距離がはるかに遠いのでたいした効果はない。このため惑星同士の軌道-軌道共鳴は起こりにくいと考えられる。また共鳴関係を作る2つの周期は、いずれもが公転周期である必要はない。太陽系の中でもう1つ良く見られる共鳴は、天体の自転周期とその公転周期が同様に単純な整数比になる自転-軌道共鳴である。例えば、水星の場合は3:2の自転-軌道共鳴(58.646日:87.892日)になっている。最も顕著な例が月で、1:1の自転-軌道共鳴にある為、地球に対して常に同じ面を向けているのである。太陽系の衛星の多くはこのような同期回転の状態にあるが、最初からそうであったのではなく、潮汐作用の影響で惑星の自転が徐々に遅れて行き、共鳴状態の所で落ち着いたわけである。

  もう1つ、軌道共鳴についての興味深い例を小惑星帯に見る事ができる。火星と木星の軌道の間にある小惑星帯には、4万個以上の小惑星が散在して太陽の周りを回っているが、実はこれらの小惑星の軌道は一様に分布しているのではない。惑星の公転周期は太陽からの平均距離によって決まるが、小惑星帯には木星と軌道共鳴する軌道位置、つまり小惑星と木星の公転周期が整数比となっている軌道位置に幾つかの明瞭な空隙、即ち小惑星のほとんど存在しない軌道領域が存在するのである。例えば、太陽からの距離が2.5天文単位(AUAstronomical Unit、太陽-地球間の平均距離、約1億5000kmを1とする)の3:1の共鳴軌道や、3.3天文単位の2:1の共鳴軌道には小惑星はなく、帯状の軌道の中にはっきりした隙間が形成されている。衛星系で共鳴状態の所に天体が存在しているのとは、反対になっているのである。このような小惑星の少ない隙間は、その発見者にちなんでカークウッド間隙と呼ばれている。今日この間隙は、太陽・木星そして1つの小惑星を含む3体問題として説明できる事が分かっている。コンピューターを使って運動方程式を数値積分し、小惑星の挙動を数百万年にわたって追跡した結果、木星と軌道共鳴する3:1の共鳴軌道には高度にカオス的な領域が存在し、これが観測されたカークウッド間隙の幅と一致する事が明らかになったのである。こうしたカオス的領域では予測不能な大きな変化が生じ得る為、小惑星の軌道は次第に偏芯して火星の軌道を横切り、遂には地球の軌道と交差する様になるのである (7-2)。公転周期が整数比になると、軌道を何回か回るうちに元と全く同じ天体配置に重なり、第3の天体から同じ影響を繰返し受ける事になる。その結果ある種のフィードバックが働き、小さな変動が大きな変動に増幅されて軌道が乱されてしまう。こうして共鳴軌道にある小惑星は、やがて他の惑星に衝突して散乱され、共鳴軌道から排除されてしまうのである。今日、地球に衝突する隕石の中でコンドライトと呼ばれるものは、この3:1の共鳴軌道に近い領域からやって来たものと考えられている。また土星の輪にも欠けた部分が存在するが、これも土星の内側の衛星と軌道共鳴する位置にある事が分かっている。

 

(注)カークウッドの間隙では31527321の共鳴軌道で小惑星がほとんど存在しなかったが、面白い事に、小惑星が集中している2.13.3AUのメインベルト(主小惑星帯)の外側では、反対に324311の共鳴軌道の所に小惑星の集中が見られる。

(注) 惑星の軌道に関しては、ボーデの法則と呼ばれる経験則も知られている。水星から海王星まで(小惑星群も含めて)順番に1から9の番号(n)をつけて横軸に並べ、天文単位で表した太陽までの距離(L)の対数を縦軸にグラフを描くとほぼ直線関係が成立する。これを式で表すと(L=L0αn-1)となる。また、木星の衛星についても類似の法則が成り立つと言う。ただ、この物理的意味はよく分っていない。

 

  このように相互作用は、決定論的な秩序の中に予測不能な不規則性、つまりカオスを持ち込む。しかしそれと同時に、作用し合う構成要素間に新たな秩序も生み出す。相互作用は秩序と無秩序、規則性と不規則性、必然と偶然といった互いに相反するものを生み出し、その事によって現実の世界を秩序と無秩序、必然と偶然の入り混じった極めて複雑なものにしているのである。カオスは決定論的システムに現れる不規則な振る舞いとされ、無秩序の側面が強調されているが、実はカオスも全く規則性のない無秩序なものというわけではない。カオスの中にも、決定論的な秩序とは異なるが、そこにも明らかに規則性は存在しているのである。次にその点について見て行く事にしよう。

 

 

カオスと相互作用

 非線形方程式への反復代入とカオス

 

  カオスというのは、決定論的法則に従うシステムに現れる、予測不能の複雑で不規則な振る舞いであった。では、どのような時にカオスは現れるのだろうか。カオスそして複雑系に共通する最大の特徴は、その系を支配する決定論的法則、つまり方程式が非線形だという事である。線形というのは定数を掛けて足し合わせるだけの計算で、入力と出力が比例関係にあるものを言い、この関係をグラフに描くと直線になる為、線形と呼んでいる。線形システムの大きな特徴は、重ね合わせの原理が成り立つ事である。例えば、入力がaの時出力はA、入力がbの時出力はBとすると、入力が(a+b)の時には出力は(A+B)となる。

                            (a+b) () ()

非線形とは線形以外の総ての場合で、一般に重ね合わせの原理は成立しない。また、線形計算では誤差が混入した場合にも、計算結果に現れる誤差は元の誤差に定数を掛けた程度にしかならないが、非線形ではわずかの誤差が途方もなく大きくなってしまう事がある。つまり非線形方程式では、ある変数のごくわずかな変動が他の変数に大きな影響を与える事があり、時には破局的な効果を及ぼすのである。あるいは非常に近い値から出発した2つの変数が、たちまち全く違う値をとる様にもなる。非線形のこのような性質がカオスを生み出し、またその性格を決めているのである。実際、非線形の決定論的法則の支配する多くのシステムで、ごく普通にカオス現象が見られる。そして、現実世界にあるシステムのほとんどは非線形なのである。

  数学的にカオスを生成する事は極めて容易で、非線形方程式をそれ自身に繰返し代入して行けばよい。ある数xを方程式に代入して計算し、出て来た答えを再びxとして方程式に代入する。この計算を繰り返すわけである。時間t+1に於ける状態が、時間tの状態によって完全に決定されるとすると

              t+1 = f(xt)

と表わす事ができる。fは関数を意味し、xt+1がxtの関数である事を示している。この方程式にxtを与えると、次の時間の状態xt+1が求められる。従って、こうして得られた結果を順次代入して行く事によって方程式を解く事ができる。このような数列を構成する項の間の関係を表す方程式を、漸化式と呼んでいる。

 

 

 ロジスティック写像

 

  次に、オーストラリア出身の数理生物学者のロバート・メイが研究した、簡単な例を挙げよう。それは動物の個体数の変動を記述する方程式で、問題を単純化する為に、夏の間だけ生きていて冬には卵を生んで死んでしまう様な昆虫を考える。そして卵が孵化して成虫になる割合は毎年同じで、成虫の数は前年の幼虫の数だけで決まるものとする。出生率をBとすると個体数Xは

              t+1 = BXt

と表わせる。この式は個体数が小さく餌と空間が十分にある時には良く成り立つが、現実には個体数が増えると餌は少なくなり、また排泄物で環境が汚染されて個体数の増加は止まる。そこで、これを補正する為に新たな項を導入する。その前に、計算を容易にする為に個体数を生息可能な最大個体数で割り、全体を1としてXが1と0の間で変動する様にしよう(正規化)。つまり、1は生息可能な最大個体数を表わす事になる。そして、個体数が生息可能な上限に近づくと繁殖率を低下させる効果を示す補正項として、(1−Xt)を付け加える。つまり、

                            t+1 BXt(1−Xt

となる。この補正項がなければ、ある年の個体数は前年の個体数に比例して決まる事になり線形の方程式だが、(1−Xt)を掛ける事により(X)2の項ができて非線形の効果が生じる。現在、この式はロジスティック写像と呼ばれ、出生率Bを適当に決めて、式の左辺の結果を繰返し右辺のXtに代入して計算する事で、方程式の解、つまりその生物の定常個体数がどうなるかを調べる事ができる。

  では出生率が変化すると、この個体数の方程式はどのような振る舞いを見せるのか。まず出生率Bが1より小さい場合、最初の個体数の如何にかかわらず個体数は次第に減少して行き、遂にはゼロになってしまう。つまり、この昆虫の群れは絶滅するわけである。Bが1より大きくなると、個体数Xは0と1の間の値をとる様になる。例えば、Bが1.5の場合は初期値の大小に関らず、個体数は次第に定常値の0.33(最大個体数の33%)に収束して行く。Bが2.5の場合、解は方程式の2つの項の大小関係が順次逆転するので、上下に振動しながら定常値0.6に収束する。ところがBを3.0迄高めると、今まで1つだった定常値が2つに分かれて、個体数はこの2つの安定値を交互に繰返し周期的に振動する様になるのである。これは、個体数が少ない年は十分な環境の下で成長したくさんの卵を産む事ができるが、出生率が高いと個体数が多くなり過ぎ餌の不足等で少しの卵しか産む事が出来なくなり、次の年には再び個体数が減少する。こうして、個体数は高い値と低い値を交互に振動する様になると考えられる。さらにBが大きくなり、3.4495を越えると2つだった安定値はさらに不安定になり、それぞれが2つずつに分かれて個体数は4つの安定値の間を振動する様になる。Bが3.56に達すると振動はまた不安定となり再び2分岐して合計8個の安定値が生じ、3.569になるとさらに倍に分岐して16個の安定値の間を振動する様になる。そして3.5699では、遂に安定値の数は無限大になってしまうのである。ただBが3.5699から3.7の間では、解の取り得る領域はまだ幾つかに分割されており、4つあるいは2つの領域を不規則に変動している。それが約3.7で、個体数は小さな値から1に近い値までほとんど連続的な値をとる事が可能になり、4.0になると個体数は0から1まで総ての値をとる様になる。こうして、Bの増加と共に個体数がランダムに変動し、予測不能なカオス領域が扇状に広がって行くのである。しかしカオス領域の中でも、時々ぽっかりと空いた窓の様に秩序が、つまり周期振動が顔を出す。例えば、Bが3.8のあたりでは3周期振動が現れ、再び個体数の変動が予測可能となる。しかしほんの少しBが増加すると、すぐにカオス領域に入ってしまうのである。このような、カオス領域の中に突如として現れる予測可能な周期変動を間欠性と呼んでいる。カオスの中には一定の秩序が忘れられた記憶の様に隠されていて、それが時々表に顔を出すのである。(7-3)

  それだけではない。ここで見たロジスティック写像は、Bの値の増大と共に周期が倍・倍となってカオスに至る周期倍分岐によるカオスであるが、この周期倍分岐の起こる点の間隔の比が一定になっているのである。しかも驚くべき事に、それはロジスティック写像だけの特徴ではなく、自分自身への代入を繰り返す様な体系であれば、どんな系でも同じ法則に従っていると言う。この周期倍分岐現象に見られる普遍定数4.6692016090は、その発見者の名をとってファイゲンバウム数と呼ばれている。(7-4)

  このようにカオスは、単純な決定論的な秩序とは明らかに異なるが、そこには一定の秩序が含まれているのである。それは秩序と無秩序、規則性と不規則性という、相矛盾したものの統一と見る事もできよう。(7-5)

 

 

 ローレンツ・モデル

 

  さてカオスの性質を考える為に、もう1つ例を挙げておこう。それは1961年、気象学者のエドワード・ローレンツによって発見された、気象モデルに現れたカオスである。これは、漸化式への反復代入によってカオスが生成する事を見出した最初の例であり、カオス研究の隆盛を生むきっかけともなった重要な研究であった。ただこの時代に先駆けた研究は、再発見される迄に10年もの歳月を要する事になるのであるが。

  ローレンツは大気の運動を記述する極めて簡略化した非線形モデルを作り、それをコンピューターにかけ大気の変化を計算しようとしていた。その大気モデルというは最初は12個の方程式からなる連立方程式だったが、後に簡略化して今では有名になった3変数の連立微分方程式モデルを作り上げた。それが以下に示すローレンツ・モデルである。

                            dxdt 10 10

                            dydt 28 xz

                            dzdt (−8/3) xy

はそれぞれ、流れの強さ、温度の水平方向と垂直方向の変わり方に対応している。この連立方程式は、流れと温度のずれの相互作用を積の形にしたxzxyという非線形項を持つ為、解析的に解く事はできず、コンピューターを使ってむりやり数値計算を行う。つまり時間変化を刻々入力し、各変数の任意の時刻に於ける値を計算する事により数値的に解くわけである。dxdydzdtをそれぞれX・Y・Z・Tと書き直し、両辺にTを掛けると

                            (−10 10)T

                            (−xz 28 )T

                            xy 8/3)T

となる。左辺は各座標値の変化分を表わす為、現在値のを上記の式に代入して計算し、元の数値に加える事によってT時間後のの値を求める事ができる。

  ローレンツは、この単純な気象モデルを毎日コンピューターで計算している内に、ちょっとした偶然からカオスを発見する事になる。ある日、彼は計算結果をチェックする為に再計算する事にした。その際、時間を節約するために先の計算で使った0.506127という数値の下3桁を切り捨て、0.506として入力したのである。たった、0.000127という1/1000程度の誤差では、大した影響はないと考えたわけである。実際、これ位の誤差はほんのそよ風の様なもので、天候全体に大きな影響を及ぼす前に、いつのまにか自然に消えて無くなってしまうに違いないのである。ところが、コーヒーを飲みに部屋から出て1時間ほどして帰って見ると、驚いた事にコンピューターは前とは全く異なる結果を打ち出していた。ほとんど同じ出発点を発したコンピューター上の天候は、次第に大きくずれて行き、遂には前とは全く異なるパターンを作り出していたのである。最初、彼は「また(コンピューターの)真空管が1本いかれた」と思ったと言う。だがすぐに原因がコンピューターの故障ではなく、初期値のほんのわずかな誤差にある事、それが非線形の方程式に繰返し代入された結果、天候全体を大きく変えるほどに増幅された事に気付いたのである。このように、初期値のごくわずかな違いが結果を大きく変えてしまう現象は初期値敏感性と呼ばれ、カオスの目立った特徴の1つになっている。ローレンツはこれをバタフライ効果と名付けた。北京で1匹の蝶が羽ばたくと、そのわずかな気流の乱れが、翌月にはニューヨークで嵐を引き起こすというわけである。このバタフライ効果を発見した時、彼は現実の天候が自分のコンピューター・モデルと同じ様な振る舞いをするなら、長期の天気予報は原理的に不可能である事を実感したと言う。

 

 

 ローレンツ・アトラクター

 

  ローレンツは、カオスとバタフライ効果を発見しただけではない。彼は、ただランダムに変化しているだけに見えるカオスの中に、驚くべき秩序が隠されている事も明らかにした。それは「でたらめさという仮面をかぶった秩序」(7-6) であった。

  その事を見る前に、位相空間とアトラクターについて説明しておこう。様々な方程式系での時間変化を視覚的にとらえるには、位相空間というものを考えると良い。変化する系の状態は幾つかの変数で決まる。そこで、その変数の数だけの次元を持つ仮想的な空間を考える。例えば変数が3つの場合は3次元の位相空間、それ以上の変数がある時は頭の中でそういう仮想空間を想像するわけである。そうすると、ある時点での系の状態はこの位相空間内の1点で表わす事ができる。そして、その時間的変化は位相空間内での点の軌跡で与えられるわけである。単純で規則的な運動をする系では、どの点から出発しようと時間経過につれて、その軌道は特定の曲線に収束して安定な定常状態に到達する。このように位相空間内で周囲の軌道を吸い寄せる様な領域の事を、引き付けるという意味でアトラクターと呼んでいる。つまり規則性を持つ方程式系では、アトラクターが存在しているわけである。これまでカオスが発見される迄は、3種類のアトラクターが知られていた。1つは時間が経っても変わらない静的解に対応して、軌跡が位相空間の1点に収束する点アトラクターである。2つ目は全く同じ周期運動を繰り返す系に於ける周期解で、その軌跡は1つの閉曲線上に収束する。これをリミットサイクルと呼んでいる。最後が、2つ以上の周期運動が合成された準周期運動で、このアトラクターはドーナツ状のトーラス(円環)となり、ドーナツの長軸に沿って大きく回る低い周波数と、ドーナツの表面を回る高い周波数の2種類の周波数から作られている。そして準周期運動の軌跡は、糸巻きに糸が巻き付く様に円環の周りに巻き付くのである。

  こうしたアトラクターが存在する事は、その方程式系が一定の定常状態を持つ事を意味しており、その運動が規則性と秩序を持っている証拠なのである。そしてローレンツは、自分が発見したカオスにも特殊なアトラクターが存在する事を発見したのである。ローレンツ・モデルは3個の変数を持つので、3次元の位相空間内に時間軌道として表す事ができる。今日では有名なそのアトラクターは、蝶が2枚の羽を広げた様な形をしており、ローレンツ・アトラクターと呼ばれている。羽はそれぞれほとんど平面で斜めに向かい合い、そして系の状態を表わす点は、2枚の羽の間をあちらからこちらへとランダムに移動する。それぞれの羽で流れを表わす変数の符号が正・負と異なる為、一方の羽から他方の羽へ軌道を移る事は、対流が逆転する事を意味している。これはローレンツ・モデルが、流れの速度と熱の移動が相互作用する様に作られている事による。熱い流体が上昇すると、冷たい流体に触れて熱を失い下降し始める。ところが上昇速度が速すぎると、最上部に達して下降を始めても十分に冷えていない為、後から上昇して来る流体を押しのけて再び上昇を始め、対流の逆転が起こる事を示すものと考えられる。(7-7)

  カオスがこのようにアトラクターを持つ事は、それが単に不規則で、でたらめな現象ではない事を物語っている。カオスの背後には、ある決定論的法則が存在するのであって、その法則性がアトラクターの微細な秩序構造を作り出しているのである。ただ、カオスの生み出すアトラクターは今までに知られていたものとは異なり、初期値に対する鋭敏な依存性という不安定性を内包した奇妙なアトラクターである事から、ストレンジ・アトラクターと呼ばれている。今では、様々な形をしたストレンジ・アトラクターが見つかっているが、これらに共通する特徴はその軌道がある決まった範囲を永久に動き続けるが、二度と同じ所は通らないという点である。もし、同じ所を通過すれば前と全く同じ状態になった事を意味し、その後は以前と同じ振る舞いを繰り返す事になる。しかし、そうなるとその系は単なる周期運動をするリミットサイクルという事になり、カオスではなくなってしまう。カオスは非常に複雑な非周期的現象であって、周期的ではない。従って、ローレンツ・アトラクターの蝶の羽の部分は、決して交わる事のない無数の非周期軌道から出来ているわけである。もう1つ、ストレンジ・アトラクターの典型的特徴は、そのどの部分を拡大しても部分が全体と同じ自己相似性を持つ無限の入れ子構造、つまりフラクタル構造をしているという点にある。カオスとフラクタルは、深く結び付いているのである。

 

 

 カオスと相互作用

 

  カオスとは、決定論的な系に現れる予測不能の不規則な振る舞いであって、決定論の厳格な秩序を崩し、そこに無秩序を持ち込むものであった。ところが、カオスはこのような無秩序という側面を持つ一方で、ストレンジ・アトラクターやファイゲンバウム数などに見られる様に、無秩序の仮面の背後に一定の秩序を隠し持っている。つまりカオスは、秩序と無秩序という相反する両側面を自己の内に持っているのである。これは従来、世界を決定論的世界と確率論的世界という相入れない性質を持つものに2分して来た、近代科学の世界観では捉えきれない異質な存在である。即ち、カオスというのは従来の科学の枠組みからはみ出たものという事ができるだろう。この違いは、カオス理論がこれまで近代科学が無視し続けて来た相互作用を、忌避するのではなく理論の中に取込もうとする所からきている。というより、相互作用こそがカオスを生み出していると言った方が良いだろう。近代科学は相互作用を無視する事で、世界を絶対的な法則・秩序の支配する領域と、ランダムな不規則性の支配する領域とに分割して別々に取り扱おうとして来た。しかし現実の世界は、秩序と無秩序、規則性と不規則性といった互いに相反するものが分かちがたく結び付き、混じり合ったものである。相互作用を捨象して来た近代科学は、ありのままの現実の世界から目を背けて来たと言う事もできよう。したがってカオス理論が、その相互作用を排除する事なく理論に取込む事によって、現実の世界と同様に秩序と無秩序が入り組み絡み合った複雑な現象を記述したのは、むしろ当然の事なのである。実際、今日では天体の運動からヒトの脳に至るまで、我々の周囲で起こる多くの現象にカオスが含まれている事が明らかになっている。

  ではここで、相互作用がどういう形でカオス理論の中に取込まれているのか見ておこう。先に見た様に、カオスは非線形の方程式に代入を繰り返す事で生成する。これは出力の一部を再び自分自身の入力に戻してやる事を意味しており、工学で言うフィードバックに相当する。つまりカオスは、非線形性にフィードバック効果を加える事で生まれるのである (7-3) (7-8)。単純な直線の線形方程式の解に比べて、非線形方程式のグラフは種々のあらゆる複雑な乱れを含んでいる。そして、極わずかな変数の変動が大きな影響を与えるという非線形方程式の性質が、カオスの不安定性・予測不能性・初期値敏感性を生み出しているのである。また、こうした乱れを産むその同じ非線形性が、他方ではカオスに独特の秩序を付与する事にもなっている。先に出た動物の個体数の変動式を考えても分かる様に、方程式が線形ならばいくら代入を繰り返しても、結果は数値が一方的に増大して無限大に発散するか、逆に一方的に小さくなってゼロになるか、あるいは特定の値に収束するしかない。カオスが複雑なアトラクターを生成できるのはその非線形性のお陰であり、非線形性こそカオスの複雑な振る舞いを生み出すマジック・ワードなのである。そして、我々の住む現実の世界はほとんどが非線形なのであって、この非線形性こそが世界を複雑なものにしているわけである。ところで相互作用とは互いに作用を及ぼし合うという事で、一方が作用を受けて変化すると、今度はその変化自体が相手に影響を与える。すると相手も変化し、その変化が再び作用として戻って来る。こうして、作用し合うものの間に無限に続くフィードバック・ループが形成される事になる。即ち、相互作用の本質はフィードバックにあり、それが相互作用を非線形なものにしているのである。従って、相互作用が存在するする所では、その非線形性とフィードバックによってカオスが生成される事になる。つまり、現実の世界では非線形相互作用がカオスを、秩序と予測不能な不規則性とを同時に生み出しているのである。

 

 

 非線形問題の線形近似

 

  自然現象の研究に、微分方程式を最初に導入したのはニュートンであった。これによって、速度の変化率(加速度)と力を結び付けたわけである。ニュートン力学の大成功により、それ以降、微分方程式は様々な分野で使われる様になって行った。そして多くの場合、自然現象は微分方程式で記述する事ができる。しかし、方程式を作るのとそれを解くのは全く別の事である。現実の現象はほとんどが非線形だが、それを記述する非線形微分方程式を解く事は、ほとんどの場合極めて困難なのである。そこで解けない非線形問題を、容易に解ける線形問題で近似するという安易な方法が採られる様になった。線形方程式の解を求める事は多くの場合それほど困難ではない。それは重ね合わせの原理が成り立つからで、線形の系では、微分方程式を満足する複数の解の和もまた元の微分方程式の解になる。そのため自然現象の線形解析では、現象を解析が容易な基本要素に分解し、各要素の時間発展を求めた後に、すべての要素を重ね合わせて現象全体を再現するのである。このような線形近似の常套化は、要素還元主義を助長する事になった。こうして近代科学は、現実のもつ非線形性から目を逸らせる様になって行くのである。そして同時に、これは現実の相互作用の絡み合った複雑な現象から、つまりありのままの現実から目を背ける事につながって行った。なぜなら要素間の相互作用によってカオスが生成し、非線形性が大きな役割を果たしている所では、重ね合わせの原理が使えず線形近似が通用しないからである。こうして近代科学は、線形近似が有効な単純な現象にだけ目を向けて行く事になる。そして複雑な現象は、単に環境からの確率的なノイズか、実験の不手際のせいという事で無視されたのである。

  ようやく非線形性に目が向けられる様になるのは、1970年代に入りコンピューターの発達によって、非線形方程式の複雑な振る舞いを解析できる様になってからの事である。この時になって初めて科学は、現実を複雑なものとしてありのままに見る事の重要性に、気付く事になったのである。

  実際、我々の様な部外者から見ると大変意外な事だが、物理法則の多くは近似則なのである。ニュートン力学が、速度が光速よりもずっと遅い時にのみ、近似的に成り立つ事を明らかにしたのはアインシュタインであったが、彼自身が発見したあの有名なE=mc2も巧みな近似計算によって導かれたものである。「物理法則を理解するためには、それらはすべてなんらかの近似であることがわからなければならない・・・・・・。簡単な概念というものは、どれも近似である」(7-9)

 

(注) 「線型系がなぜそれほど重要であるのかということについて若干述べておこう。答えは簡単である。それは解くことができるからである! したがって、たいていの場合、我々は線型の問題を解く。第二の理由は、物理の基本法則は線型である場合が多いということである。例えば、電気の法則に関するマクスウェル方程式は線型である。量子力学の偉大な法則は、我々の知るところでは線型である。これが、我々が線型方程式に多くの時間をかける理由である。・・・・・・線型方程式がでてくるもう一つの場合・・・・・・それは変位が小さいときには、多くの関数が線型に近似できるということである。」

             「非線型方程式を解くには、数値解法以外にはうまいものがないのがふつうである。・・・・・・数値解法はすべての方法のうちで最も強力であって、どんな問題でも解くことができる。我々が数学的解析を用いる事ができるのは、問題が簡単なときに限るのである。

数学的解析は一般にいわれているほど素晴らしいものではない。それはごく簡単な方程式しか解くことはできない。これに対して数値解法は、・・・・・・物理的に興味のあるどんな方程式をも取り扱うことができるのである」(7-9)。このため、非線形系に取り組むためにはコンピューターの発達が不可欠だったのである。

(注)物理学だけではなく、現実の中に法則性を求めようとする科学一般が、すべて現実の近似だと言うべきかも知れない。逆に、近似だからこそ、我々にとって利用価値があるとも言えよう。そうだとすれば、一部の物理学者が希求する究極理論などはあり得ない事になる。理論の精度は益々高くなっていくだろうが、それは何処まで行っても近似である事に変わりはないからである。我々は、どんなに緻密な理論でも一定の限界を持っており、その範囲内でしか有効でない事は、常に心に留めておいて良いだろう。

 

 

 フラクタル

 

  相互作用が重要な働きをしている所ではカオスが生成し、それがフラクタル構造を持つ事を見て来た。そして、このフラクタルはカオスと深い関係にあるというだけではなく、自然の作り出す構造の多くがフラクタル性を持つ事が、今日では明らかになっている。

  フラクタル(fractal)というのは、不規則を意味するラテン語(fractus)に由来し、自己相似性を有する複雑な図形の総称である。そこでは全体と同じ構造が、小さな部分に繰り返し現れるという独特の複雑な構造を持っている。しかしこのフラクタルは、簡単な規則を繰返し適用する事で容易に作り出す事ができるのである。例えば、コッホ曲線という入り組んだ複雑な図形は、極めて簡単な規則によって作られる。まず単位長の線分を3等分して真ん中の線分を削除し、その部分に同じ長さの線分で正三角形の2つの斜辺を作り、ツバの付いた三角帽子の様な基本図形を作る。そしてこの基本図形を繰返し、1つ1つの線分に反復代入する(置き換える)事によって、雪の結晶の様な複雑な図形が出来上がるのである。この操作を無限回繰返した極限の図形がコッホ曲線で、これは一部分をいくら拡大しても、元の図形と全く同じ形をしている。もう1つ例を挙げると、三角形の真ん中に逆三角形部分をくりぬくという操作を無限に繰返す事でも、自己相似性を持つ図形を作る事ができる。これはシルピンスキーのギャスケットと呼ばれるもので、この図形のどの部分を拡大しても全体と同じ形になっている。この様に、極めて複雑なフラクタル図形も簡単な規則によって作る事ができるのである。しかし、このままでは如何にも人工的に作られたパターンで、非現実的な数学的おもちゃにしか見えないかも知れない。ところが、これに少し工夫を加えるだけで、自然と極めて良く似たパターンや構造を作り出す事ができるのである。例えば、先程のコッホ曲線に確率的なランダム性を加えると、つまり三角形の突起をどちら側に作るかをランダムに変動させると、現実の海岸線と非常に良く似たパターンが生成される。このように、フラクタルをランダムさを持った統計的なものにまで拡張すると、自然の多くの複雑なパターンや構造をフラクタルで再現する事ができるのである。実際、海岸線の例を見ても分かる様に、自然の作る構造にはその一部分を拡大すると全体と同じような構造となる、統計的な自己相似になっている場合が多い。例えば、山や川、複雑に枝分かれした樹木、雲や稲妻のパターン、墨流しの文様、コンクリートのひび割れ、さらには宇宙の星の分布に至るまで、自然界にはフラクタル構造が溢れているのである。我々の「目に入る大自然のほとんどがフラクタル」(7-10)と言っても良いだろう。そのため、フラクタルの複雑さを表わす指標のフラクタル次元を実際のものと同じにして、自然が作り出した構造、山や樹木や雲などの形をコンピューター上で容易に模倣する事ができる。今日では、コンピューターの作り出す乱数に基づいて描かれたフラクタル曲面に陰影と色を付ける事で、本物と見間違うほどの自然の風景がコンピューター・グラフィックスで作られている。ここで本物の自然からの情報として使われているのは、フラクタル次元という1つの数字だけであり、あとは与えられたフラクタル次元を持つ曲面を作るプログラムに従って、大きな起伏や凹凸がランダムに自動的に作られ、自然の風景が描き出されるのである。そして別の乱数を使うと、コンピューターは全く別の風景を描き出す事になる。また、フラクタルが簡単な規則で複雑な構造を作り出せる事を利用して、画像情報を圧縮して通信する方法も開発されている。

 

7-1 シルピンスキーのギャスケット

 

 

 

 

 

 

 

 


  このように、自然は至る所でフラクタル構造をとっているのであり、これは自然本来の性質と言う事もできよう。では何故、自然はフラクタルなのだろうか。それはフラクタルの複雑なパターンが、単純な規則を繰返し適用する事で作り出される事と関係している。これはカオスが、非線形方程式への反復代入によって生み出されたのと相通じるものである。実際、ローレンツ・アトラクターやロジスティック写像の周期倍分岐もフラクタル構造を持っていた。また、フラクタル理論の生みの親であるベノワ・マンデルブロは、フラクタル構造が純粋に数学的な代入操作の繰返しによって作り得る事を、実例をもって示している。それが「数学に登場した最も複雑な図形」と形容される、神秘的な美しさを持つマンデルブロ集合である。これは

                            n+1 n2 +C

という簡単な二次式に代入を繰り返す操作を、複素平面上でコンピューターを用いて計算したものである。ZとCを複素数、Z0=0を初期値として計算すると、Cの値によってZが無限大に発散する場合と、有限の領域に留まる場合が出て来る。この内、複素平面上の原点から有限の距離に留まるものの集合が、マンデルブロ集合なのである。コンピューター・グラフィックスでは、有限領域に留まるCは黒く、発散するCにはその速度に応じて色を付ける事で美しいパターンを描き出している。このように、カオスとフラクタルは同様の操作を繰り返す事によって生成されるわけで、両者は親類同士だと言う事ができる。あるいは、カオスとフラクタルは同じ世界を別の2つの側面から、つまりカオスは秩序と無秩序、フラクタルはそれが作り出すパターン・構造という方向から見たものという事もできよう。またカオスを生み出す反復代入の操作は、現実の世界に於ける要素間の相互作用に対応するものであった。この事は相互作用が、世界の秩序という面ではカオスを生成し、その構造面ではフラクタルを作り出しているという事を意味している。即ち、自然がフラクタル構造に満ちているのは、自然の本性とも言うべき相互作用が、コンピューター上での反復代入に相当する働きをして、フラクタルを生成しているからに他ならないのである。

  フラクタルでは大変複雑な構造も、非常に簡単な操作を繰り返すだけで作り出す事ができる。そして、ほんの少しパラメーターを変えるだけで全体の形が大きく変化する。この事は、フラクタル構造を持つ自然はほんの少しの情報だけで、複雑な形・構造を作り出している事を意味している。さらに生物はフラクタルを利用する事よって、わずかな遺伝情報から様々な複雑な形・構造を生み出せる事を暗示している。実際、生物の体には様々なフラクタル構造が存在している。樹木の枝の他、血管や肺の分岐、そして脳のしわや神経系など、生物の体は様々なフラクタル構造が織物の様に絡み合ってできているのである。こうして自然界に於いては要素間の相互作用が秩序を、そして非常に複雑なパターンや構造を生み出し、それによって世界を秩序と無秩序の入り交じった、そして複雑な形や構造に満ちたものにしているわけである。

 

フラクタル次元

 

  フラクタル図形の複雑さや込み入り具合を表わす指標として、フラクタル次元が使われている。まず次元の意味を考える為に、一次元・二次元・三次元の代表的図形である線分・正方形・立方体を例にとって見よう。これらの図形の各辺を二等分すると、線分では長さが半分の2つの線分が、正方形では辺の長さが半分の正方形が4つ、同様に立方体ではサイズが半分のものが8つ出来上がる。つまり各辺を半分にする事によって、元と相似な図形がそれぞれ2・4・8個得られるわけである。この数字と次元との関係、その計算方法を考えると、それぞれ次元の数だけ2を掛け合わせる事で求められるのが分かる。

                   線分  : 21 = 2

                   正方形 : 22 = 2 × 2 = 4

                   立方体 : 23 = 2 ×× 2 = 8

つまり、次元がDの図形の一辺を二等分すると、元と相似な図形が2D個できるのである。したがって、もし四次元図形があったとすると、その一辺を二等分すると元と相似な図形が16個(=24)生じる事になる。逆に、ある図形の一辺を二等分して元と相似な図形がN(2D)個得られたとすると、その図形の次元Dは対数を使って

                   D = log

で求められる事になる。これを一般化して、任意の自然数aを用いて各辺をa等分する場合を考えると、D次元図形では相似形がaD個できる事は明らかだろう。ここから「全体を1/aに縮小した相似図形、aD(N)個によって構成される図形の次元はDである」と定義する事ができる。これは対数を用いて表わすと、

                   D = logN = logN/loga

となる。この公式を使って、シルピンスキーのギャスケットの次元を求めて見よう。この図形の差し渡しを1/2にすると、全体が3つの相似な三角形から構成されている事が分かる。従って、このフラクタル図形の次元Dは、

                   D = log3 = 1.5849・・・・・・

という非整数の値になる。同様に、コッホ曲線の次元は1.2618・・・・となる。このように、非整数にまで拡張された次元がフラクタル次元なのである。(7-10)

 

 

非平衡系に於ける自己組織化現象

 複雑系の科学の成立

 

  数学上の技術的困難さから相互作用を無視して来た近代科学に対し、コンピューターの急速な発達という援軍を得て、非線形方程式の形で相互作用を理論の中心に取り入れたのが複雑系の科学であった。相互作用そのものをコンピューターを使ってシミュレートする事により、それが生み出す秩序やパターンを解析できるようになったわけである。こうして相互作用を捨象するのではなく、それ自体を理論の対象とする事により初めて、それまでの近代科学が引きずって来た力学的決定論や機械論といった非現実的な世界観と決別し、自然をあるがままの複雑な存在として捉える事が可能となって来たのである。この複雑系の科学は、1970年代に科学界を席巻した2つの理論、出自は異なるが内的には密接に関連した2つの流れの基礎の上に成立する。(7-1)

  複雑系を生み出す事になった2つの流れというのは、1つは今まで取り上げて来た非線形力学系から生まれたカオス理論であり、もう1つはイリヤ・プリゴジンの非平衡系熱力学の研究から生まれた自己組織化論である。カオスの最大の特徴は、決定論的系に現れる予測不能性であった。つまり、カオス理論は秩序の中に生まれる無秩序・混沌に注目したわけだが、それに対して自己組織化論の方は、反対に混沌の中から生まれる秩序に目を向けた理論と言う事ができる。いわばこの2つの理論は、現実を正反対の2つの方向から、つまり混沌と秩序の側面から見ているとも言えよう。しかし、無秩序であるはずのカオスの中にも独自の秩序が含まれていた様に、複雑系においては混沌と秩序は単に相対立し排除し合うものではなく、相互に複雑に絡み合って現実を構成している。これは近代科学が古典力学の決定論で秩序を、そして統計力学の確率論で混沌を扱うという具合に世界を秩序と混沌に2分し、それぞれ別々に捉えようとして来たのとは根本的に違っているのである。また非平衡系も、カオスと同様に非線形方程式によって表わされる。つまり、近代科学が線形化によって相互作用を捨象したのとは異なり、カオスも非平衡系の理論も現実を相互作用の絡み合った、ありのままの複雑なものとして扱おうとしている。カオスと非平衡系は、本質的な所で深く結び付いているわけである。

 

 

 非平衡系に出現する散逸構造

 

  プリゴジンによると、熱力学はその研究史の発展段階に対応する3つの大きな分野に分けられると言う (7-11)。第1は熱平衡の状態で、そこでは分子がランダムに動き回っているだけで全体としての変化はゼロである。第2は熱平衡にごく近い状態で、系内には小さな温度差が保たれているが、その差はわずかなため平衡状態の解に補正項を加える事で解く事ができる。つまり数学的には線形(一次)関数で表わす事ができるもの。そして第3がここで問題にしている非平衡系、つまり熱平衡から遠く離れた系である。

  非平衡系では、外界との間に大量のエネルギーや物質のやり取りが行われており、そのため系を構成する要素間に活発な相互作用が働き、状態を示す方程式が非線形になっている。そしてエネルギーや物質の流れがある臨界値を越えると、非線形な相互作用の結果、新しい構造や組織が自然発生的に生み出される。つまり平衡から遠く離れた系は、自己組織化して新しい秩序を作り出す能力を持っているのである。系を非平衡条件下に置く事は外界との相互作用に晒す事を意味しており、その事が系内部の相互作用を活発化させ、そこに新しい動的状態としての秩序・構造を自己組織化させる事になるのである。この非平衡・非線形開放系に於いて出現する構造は、エネルギーの絶えざる散逸によってのみ維持されるという目立った特徴を持つ事から、結晶などの平衡構造と区別する為に散逸構造と名付けられた。このような散逸構造の例としては、先に見たベルナール対流やベルーソフ・ジャボチンスキー反応の他、レーザー、ローソクの炎などがある。ローソクの炎が、爆発的に燃え上がったり消えてしまう事もなく一定の大きさと形を保つ事ができるのは、ロウや酸素の絶えざる流入と拡散に基づく、非線形な化学反応によって構造が維持されている為なのである。

  この散逸構造は、物理化学的現象だけではなく、生物界や社会現象にも広く見られると言う。例えば、アリの様な社会性昆虫が見せる集団的行動、粘菌アメーバが栄養不足になると集合して自己組織化し、ナメクジ様の偽変形体(グレックス)を形成して移動するのもそうである。深海底の熱水噴出口の周囲にできた生物群集の様な例外も存在するが、地球上の生物はすべて、基本的には太陽エネルギーをエネルギー源として生きている。即ち、生物は複雑な生態系を形成して、太陽からのエネルギーを光合成する植物から順々に受け渡して行く事によって生活しているわけである。したがって生物自体が、太陽エネルギーの流れの中に作り出された散逸構造と見る事もできよう。また我々の生活する都市なども、散逸構造の例と考えられている。このように自己組織化現象は、生物や流体、都市の成長、星の進化など至る所に存在している。そして自己組織化によって生み出された様々な構造が、我々の住む宇宙を現在の姿にしているのである。散逸構造は世界を形あるもの、秩序あるものにしているというだけではなく、もう1つ重要な意味を持っている。それは時間の非対称性さらには進化や発展に関連して、世界のあり方に重要な役割を果たしているのである。次に、時間の不可逆性の問題について触れながら、それについて見て行く事にしよう。

 

 

 時間の不可逆性

 

  ラプラスの決定論的世界観は、相互作用を無視した科学がいかに現実世界から遊離した結果を生むかの良い見本であった。そして、ここにもう1つ重要な例が存在する。それが時間の不可逆性の問題である。我々の日常生活に於いては、時間が逆戻りしない事は自明であろう。ところが驚くべき事に、この当り前の事が今まで物理学の世界では認められていなかったのである。ニュートン力学では、ある瞬間に於ける宇宙の総ての粒子の位置と速度がわかれば、その値をニュートン方程式に代入して解く事により、過去と未来はその瞬間に決まってしまう。しかし、この方程式からは時間の方向を決める事はできないのである。実は、決定論的世界観を生み出したニュートン力学の方程式は時間反転に関して不変なのであり、力学現象には時間の方向性が存在しない。つまり、ニュートン力学にとって時間は可逆なのである。例えば、太陽の周りを公転している惑星の運動や、多くの粒子がニュートン力学に従って運動しあちこちで衝突している様子を考えて見よう。これらの運動をビデオに撮影し、テープを逆回しにしてもニュートンの法則と矛盾する所はなく、それを見ても我々には時間の方向を知る事は出来ないのである。時間に方向性がないのはニュートン力学だけではない。「われわれの知る限りでは、すべての物理の基本法則は、ニュートンの運動の法則と同様に可逆である」(7-9)20世紀の理論物理学の2大革命を言われる、相対性理論も量子力学も同様に、方向性を持たない時間概念の上に構築されているのである。物理法則の超時間性を信じて疑わなかったアインシュタインは、「過去・現在そして未来などの区別は幻想でしかない」と述べている。彼にとって時間の不可逆性は、起こりそうもない初期条件によって作られた幻想に過ぎなかったのである (7-11)。今日でも、ワーム・ホールを光速で移動させる事でタイムマシーンを作る事ができると、真剣に考えている物理学者もいるほどである。

  では現実の世界では何故、時間を逆転させる事ができないのだろうか。それは、この世界で起こる現象は総て、その周囲の環境と複雑に相互作用し合っている為である。ニュートン力学が想定した様な、周囲と相互作用する事なくただ衝突を繰り返しているだけの粒子の世界では、速度を反転させると粒子はそれまでの軌跡を逆戻りし、時間は逆転する事になる。しかし現実には、すべて存在するものは周囲の環境と常に無限ともいえる様々な相互作用をしているのであって、他の存在から完全に孤立したものなど有り得ない。例えば、宇宙のはるかかなたに存在する1個の電子が作り出すわずかな重力ですら、地球の大気に影響を及ぼしているのである (7-12)。地球から100億光年離れた電子1個の重力の影響を考えると、重力は距離の2乗に反比例する為、その影響はほとんど無いに等しいが決してゼロにはならない。地球の大気中では分子が衝突を繰り返しているが、この電子1個分のわずかな重力変化によって、ぶつかるはずの分子同士の衝突が回避される迄に、何回の衝突が必要になるかを計算すると56回になると言う。時間にして1秒もかからない間に、宇宙の果てから届く電子1個の重力の影響が、地球大気の分子レベルの運動に確かに影響の痕跡を残す事になるのである。そして1分後には、ミリメートル・サイズの乱流の微細構造に変化が現れ、数時間から1日の間には雲の形が変化し、さらに2週間後には大気の変化は地球規模のものになると言う。このように、この世界ではニュートン力学が想定した様な、周囲と相互作用しない孤立系などは存在しないのであって、どのように小さな存在や現象であっても周囲の環境と、もっと言えば宇宙全体と複雑に相互作用し合っている。部分は常に全体と分かちがたく結び付いているのである。

 

(注)これまで太陽の様な恒星は、互いに何光年も離れてそれぞれ独立してその領域を支配している様に思われていた。しかし現在では、恒星間には様々な物質が飛交っている事が知られており、太陽系内のガスの98%もが太陽系の外から来たものだと言う。現在、太陽系はさそり座−ケンタウルス座の方向の若い星から放出された物質からなる局所星間雲の中を通過中で、がか座ベータ星や超新星ゲミンガなど幾つかの恒星系からもガスや塵が太陽系に向かって飛んできている。さらに銀河間でも、星間ガスの密度の高い領域がフィラメント状に広がり、多数の銀河を結んで宇宙全体に広がるクモの巣状の巨大ネットワークを形成していると言う。そして銀河からは、銀河空間に向かって宇宙風として重元素を含む物質が吹き出している。広大な宇宙においても、星や銀河は互いに相互作用しながら、全体と分かちがたく結びついて存在しているのである。

 

しかも、周囲の環境は常時ダイナミックに変動しているのであって、長い宇宙の歴史を通じても全く同じ条件というのは2度と起こり得ない。例えば、現象の起こる空間上の位置について考えて見よう。我々の日常生活で基準となる空間的位置は地球上のものだが、それは地球自身の自転と公転によって常に変化している。地球は太陽の周りを毎秒30kmの速さで回り、太陽系自体も銀河系の回転によって毎秒約250kmの速さで運動している。さらに天の川銀河自体が回転しながら移動している。うみへび座とケンタウルス座の方角にある巨大な引力源、グレート・アトラクターに引き寄せられて、約30億光年の広さに分布する周辺の銀河と共に、集団で毎秒約600kmの速さで流されているのである(銀河流動)。そのうえ宇宙全体が猛烈なスピードで膨張を続けている。このように宇宙空間自体が一定不変なものではなく、様々の複雑な動きをしながら常に変形・変化しているわけで、今この瞬間の位置や場所というのは、この時が過ぎ去れば2度と再び得られないものなのである。従って、粒子の速度を逆転させて時間を逆戻りさせようとしても、その時には周囲の環境は以前とは異なったものに変化しているわけで、環境と複雑に相互作用している系では、過去と同じ状態に戻す事など決して出来ない。もし過去と全く同じ状態に戻そうとすれば、その周囲の環境全体をも同時に過去に向かって変化させなければならない事になる。しかし相互作用が存在し、部分が全体と分かち難く結び付いている現実の世界では、これは宇宙全体を、そこに含まれる総ての素粒子の運動を元に戻せというに等しく、全く不可能な事なのである。

  また、時間の可逆性は世界観とも深く結び付いている。ニュートン力学の決定論的世界にあっては、今この瞬間の状態が完全に分かれば過去も未来も決定してしまう。つまり、現在と過去そして未来は1対1に対応しているのであって、こうした決定論的世界に於いては運動を逆転させる事ができれば、過去と全く同じ状態を容易に再現する事ができる。つまり時間の逆転が可能なわけである。SFに良く出て来るタイムマシーンの物語が、常に運命論的な歴史観で構成されている事からも分かる様に、時間の反転は決定論的世界にあって初めて可能なのである。しかしカオスの説明で述べた様に、決定論的な規則に支配されている系でも、その構成要素間に相互作用が働くとその系の運動は予測不能なものになってしまう。このような予測不能性の支配する世界では、現在の状態から未来を完全に予測する事ができないと同時に、現在の情報だけでは過去を正確に決定する事もできない。つまり過去を再現する事は原理的に不可能なのである。

  まとめると、相互作用の存在が二重に時間を不可逆なものにしているという事ができる。一度ある出来事が起こると、それが原因となって周囲に無限ともいえる相互作用の連鎖を引き起こす。そして相互作用のネットワークが形成され、その影響は無限に広がって行く事になる。このため、ほんのわずかな変化が文字どおり宇宙全体に影響を及ぼし、複雑に絡み合った無数の微小な変化を引き起こす結果、一度起こった事は決して元に戻す事はできない。つまり時間を逆戻しする事はできないのである。こうして、宇宙全体に張り巡らされた相互作用の網の目が時間の逆転を不可能にすると同時に、相互作用は決定論的系に予測不能性を導入し、過去・現在・未来の1対1の対応を破る事によっても時間の不可逆性を生み出している。無数に存在する相互作用が、決定論的法則の支配する系に於いても未来を予測する事、そして過去を正確に確定する事を不可能にし、運動を逆転して過去の状態に戻す事を、つまり時間の反転を不可能にしているわけである。時間が対称で可逆的に見えるのは、周囲との相互作用を排除した特殊な想定、例えば宇宙に地球と太陽の2天体しか存在しないとしてその軌道を求めたり、実験で環境との相互作用をその攪乱要因として排除するなど、現実を極端に理想化・単純化した場合だけである。しかし当り前の事だが、存在するものはその周囲の環境と絶えず相互作用しているわけで、カオスに見られるバタフライ効果を考えると、それが如何に些細なものであっても無視する事はできない。つまり時間の可逆性は、相互作用を完全に捨象した、理想化された非現実的な世界の中でしかあり得ない幻想に過ぎないのである。

 

 

 時間の方向性・非対称性

 

  さて、相互作用が複雑に絡み合った現実の世界では、時間を逆戻しする事が不可能な事を示してきたわけだが、時間は単にあるいは消極的に逆転できないというだけではなく、時間は元々その流れに方向性を持っているという側面がある。より正確に言うと、非平衡状態にある系では時間は方向性を持って流れている。つまり時の流れは非対称なのである。その端的な例が進化である。誰も進化を逆戻しできるとは思わないだろう。では、そもそも時間とは何だろうか。この世界に存在するものは、流れる川の水から宇宙の星々に至る迄すべて常に運動し変化し続けている。こうした運動・変化の速さを比較し、客観的に認識する必要から時間という概念が生まれたと考えられる。ある運動の速さを示す為には、他の運動の速さと比較するしか方法がない。そこで時間の測定の為に、地球の自転や振り子などの規則的な周期運動が使われる事になったわけである。従って時間に方向性がある、時間は非対称で一方向にのみ流れるという事は、それが記述する元々の運動が方向性を持っている、非対称である事の裏返しなのである。

  先に熱力学は、質的に異なる3つの状態を対象にして来た事を述べたが、時間の方向性はこれと深く結び付いている。まず平衡状態を考えてみよう。周囲の環境との間でエネルギーや物質のやり取りのない、体積一定の系を孤立系と呼んでいるが、こうした孤立系では時間と共に自然にエネルギー的に安定な平衡状態に移行し、その状態で静止する。このような平衡状態にある系では、方向性のある変化は存在しない。従って、ここでは過去も未来も同等であって、どちらが未来の方向か時の流れ方向が分からない。つまり平衡状態にある孤立系では、時間は方向性を持たないのである。

  こうした平衡状態に対して他の2つの状態、つまり平衡に近い非平衡状態や平衡から遠く離れた非平衡状態では、その性格は異なるが時間は方向性を持っている。つまり、非平衡が時間の方向性を生み出しているのである。では、平衡に近い非平衡状態が作り出す時間の方向性から見てみよう。ニュートン力学とは異なり、時間の不可逆性と方向性を示す現象として、最初に注目されたのがこうした系であった。それは熱伝導と化学反応である。熱力学は19世紀初め、産業革命の只中にあったイギリスで蒸気機関の発明と共に誕生し、この熱機関のエンジン効率を最大限に高める必要から発展して行く事になる (7-13)。その結果、明らかになって来たのが不可逆的な熱損失の問題である。熱は熱い所から冷たい所へと一方的に流れる。そしてこの熱伝導によって、不均一な温度分布を持つ物体は徐々に温度分布を均等化し、遂には一様な温度になってしまう。これは明らかに不可逆な過程である。例えば、沸騰したやかんを室内に放置すると、次第に熱を周囲に放出して冷めて行く。しかし反対に、冷めたやかんの水が部屋の空気から熱を奪って再び100℃に沸騰する事は絶対にあり得ない。このように熱は熱い所から冷たい所へと逃げて行く結果、蒸気機関が熱の100%をピストンの駆動に使う事はできず、一部は周囲の空気を温める形で不可逆的に散逸される事になる。このため熱を完全に仕事に変換する事は不可能で、これを熱力学の第2法則と呼んでいるのである(第1法則はエネルギーの保存則)。後に、この散逸するエネルギーを表現するものとしてエントロピーの概念が導入され、第2法則はエントロピー増大の法則と呼ばれる様になった。これはエネルギーが分散する傾向を持つ事を示すもので、エントロピーは可逆過程では変化しないが、不可逆過程では常に増大する。従って、環境とのエントロピー交換のない孤立系では、エントロピーは一定値に留まるか、一方的に増大して熱力学的平衡点で最大値に達するかのどちらかなのである。ここでは増大するエントロピーが系の時間発展に対応し、その指針あるいは「時間の矢」となっている。つまり、エントロピーの増大が時間の方向を示しているわけである。

 

(注) 絶対温度Tの物体が準静的過程で(つまり可逆的に)微小熱量dQを受け取る時、エントロピーSは、dS=dQ/Tだけ増加すると定義する。ここで絶対温度Tの高温部分からTの低温部分に熱量Qが移る時、高温部のエントロピーはQ/減少し、低温部ではQ/増加する。結局、全体ではQ/−Q/>0だけエントロピーは増大する事になる。

 

 また熱は、系を構成する個々の粒子のランダムな運動によるものであるため、エントロピーは系の持つ無秩序性を表わす量としても解釈されて来た。では何故、熱力学では反応の方向性・不可逆性があるのだろうか。重要な点は、熱の伝導や散逸では無数の原子・分子が相互作用しているという事である。この相互作用によって原子間でエネルギーの交換が行われ、個々の原子のもつ熱エネルギーが均一化して行く。こうして熱い所から冷たい所へ熱エネルギーが散逸し、最後には温度分布が均一でエントロピーが最大となる平衡点に至るのである。つまり平衡点に近い非平衡状態では、エネルギー的に安定な平衡点がアトラクターとして反応を引き寄せ、その方向性を生み出しているわけである。同じ事は化学反応についても言える。化学反応では、系の自由エネルギーが減少する方向に反応が進行し、自由エネルギーが最小となる所で化学平衡状態に到達する。そして平衡に達する時に失われた自由エネルギーは、熱となるかエントロピーを増加させる事になる。化学反応も熱伝導と同じく、多数の原子が相互作用する事で起こる。こうして周囲との相互作用によってエネルギーを散逸し、自由エネルギーの最も低い平衡状態へと移って行くのである。ここで問題にしている平衡点に近い非平衡状態というのは、孤立系で平衡状態に向かう途上にある場合、または開放系に属しながらも相対的に孤立した系に於いて、同様に平衡点に向かって運動している系が考えられる。これらの系では、運動や反応が平衡点に向かう事によって、時間の方向性が与えられている。つまりエントロピー最大、あるいは自由エネルギー最小という平衡点に向かって反応が引き寄せられる事で、反応の方向性さらには時間の方向性が生み出されているのである。このように、反応を引き寄せるアトラクターとしての平衡状態が存在する事が、決定論的力学と大きく異なる点である (7-11)。力学では、初期条件が軌跡のすべてを決定する。逆に言えば、今の状態がわかれば過去を確定できる。つまり、過去と現在は1対1に対応しているわけである。しかし熱力学では、初期条件の違いに関らず、すべての非平衡状態は同一の平衡状態へと収束し時間発展する。ここでは現在ある平衡状態から、その系の初期条件を、つまり過去を決定する事はできない。即ち、過去と現在は1対1に対応していないのである。

  こうした反応のアトラクターを生み出しているのは、無数の原子・分子間の相互作用、その間のエネルギーのやり取りを通じたエネルギーの散逸である。それによって、すり鉢の中に投げ込まれたボールが最後にはその底に落ち着く様に、熱力学的ポテンシャルの最も低い所で平衡状態となるのである。しかし、いったん平衡状態に入ると、そこで安定して変化は止まってしまう。系は変化のない静止した状態となって、時間の方向性は失われるのである。このように、平衡点に近い非平衡系に見られる時間の方向性は、一時的な限られたものであると言う事ができよう。

 

エントロピーと自由エネルギー

 

  エントロピーの概念は熱機関に於ける不可逆な熱損失、エネルギーの散逸から導入されたわけだが、ボルツマンが確率論を取り入れる事によって原子論のレベルで解釈できる様になった。そして、エントロピーを無秩序さと関連づける事になったのである。それは、その状態を実現できる原子配位の場合の数の対数によって記述される。今、2つの等しい部屋に仕切られた箱にN個の粒子が入っているとして、粒子を2つの部屋に分配する種々の場合の数を考える。例えば、第1の部屋にN1個、第2の部屋にN2個の粒子を見出す確率を考えるわけである。N=8の場合、一方の部屋に8粒子全部入る場合の数は組み合わせの理論から1通りしかない。一方に7粒子、他方に1粒子入る場合は8通り。同様に6粒子では28通り、5粒子で56通り、そして最も多いのが2部屋に等分する場合で70通りとなる。任意の分配N1・N2の場合の数Wは

                   W = N!/(N1!・N2!)

で与えられる。この場合の数は、それぞれの分配の起こりやすさを表わしている。ボルツマンは、不可逆的なエントロピーの増大が分子的無秩序の増加の表現である事に気付き、この場合の数の対数をとる事で、エントロピーを定量的に表わす事に成功したのである。彼の墓碑銘にもなっている、その有名な方程式は

                   S = k logW

である。左辺のSはエントロピーを表わし、右辺の無秩序さと関係した量は、自然界に於けるエネルギー分散の程度を示している。比例定数kは、ボルツマン定数として知られている普遍定数で、k=1.381×10-23/K(ジュール/ケルビン)である。このボルツマンの方程式は、「不可逆な熱力学的変化が確率を増加させる方向の変化であり、アトラクター状態が最大確率に対応する巨視的状態である事を」示している。そして、外界とのエネルギーや物質のやり取りのない孤立系では、このエントロピーの増大が時間の方向を示す事になる。

  同様の時間の非対称性は、環境と相互作用する様な開放系にも拡張する事ができる。例えば、環境との熱交換によって温度や圧力が一定に保たれている閉じた系では、平衡はエントロピーの最大ではなく、エントロピーとも関係の深い自由エネルギーの最小によって決まる。つまり、自由エネルギーの減少が化学反応の方向を決めているのである。自由エネルギー(G)は、一定の温度と圧力の下で仕事をする事ができるエネルギー量を示しており、

                   G = H − TS

と表わす事ができる。つまり、自由エネルギーは2つの因子からできており、その1つがエンタルピー(H)で反応系の熱量を表わしている。これは反応物や生成物中の化学結合に含まれている結合エネルギーの総和で、化学反応で結合が切れたりする時には、エンタルピーの放出や吸収が行われる事になる。エンタルピーの全変化凾gは結合エネルギーの全変化に等しく、凾gが負(−)の時には反応によって熱が放出され、反対に凾gが正(+)の時には吸熱反応となる。自由エネルギーを構成するもう1つの因子がエントロピー(S)で、(T)は絶対温度(単位K)である。自由エネルギーの変化分凾fは、

                   G = H − T

と表わせる。温度と圧力が一定ならば凾fが負の時にのみ反応は自発的に進行し、平衡状態では凾f=0となる。さて反応の進行方向を決める、つまり時間の方向を決める基準として、凾r全体>0と凾f<0の2つが出て来たわけだが、この両者は密接に関係している。反応によって系から失われる熱(凾g<0)は外界に渡され、外界の分子運動を増加させる。つまりエントロピーを増大させる為、

                      = −T外界

となる。これを凾fの式に代入すると、

                      − T凾r

                            = −T外界 − T凾r

                            = −T全体

となる。つまり全体のエントロピー(S全体)を増加させる反応は、必ず自由エネルギーを減少させ、自発的に進行する事になるのである。(4-8) (7-11) (7-14) (7-15) (7-16)

 

 

 散逸構造と進化・発展

 

  平衡点に近い孤立系では、反応がポテンシャルの最も低い平衡点に向かう事によって、時間の方向性が生み出される事を見て来たが、実はこの平衡状態は我々の住んでいる世界ではむしろ稀で特殊な状態という事ができる。平衡状態では系はもはやどちらの方向にも変化せず、物質やエネルギーの流れは止まり、いわば時間の止まった死の世界である。こうした平衡状態は、外界との相互作用から切り離す事によって初めて安定して存在する事ができる。つまり平衡状態は、周囲と相互作用しない孤立系にあって初めて安定的に存在し得るのである。しかしこの宇宙には、外界からの影響を全く受けない孤立系などどこにも存在しない。したがって、この世界では平衡状態が生まれても、外界とのエネルギーや物質のやり取りを通じて直に壊れてしまい、一時的にしか存在できない。この宇宙では平衡状態から遠く離れ、外界との間でさかんに相互作用している非平衡開放系の方が一般的なのである。

  非平衡開放系では、外界からのエネルギーや物質の流入・流出によって常に変化しており、平衡状態の様に時が止まり、その方向性が失われるといった事はない。そして、この流れが系内の相互作用を活発化させると同時に、時間の方向性を与えているのである。またこの非平衡系は、非平衡の特徴である時間の方向性だけではなく、そのより高い段階とも言える進化・発展の現象をも生み出す事になる。前に見たように、こうした非平衡開放系では、外界からエネルギーや物質が流れ込む事によって散逸構造が形成される。結晶などの平衡構造は不活性で、環境との相互作用から分離しても安定して存在する事ができるが、細胞や都市などの散逸構造は外界との相互作用の中でこそ生きられる。それらは栄養分を引き出して来る外界と一体なのであって、環境から切り離すと死んでしまう (7-11)。つまり散逸構造は平衡構造とは異なり、エネルギーや物質の流れのある所でのみ存在し得るのである。ここで自己組織化される構造・秩序というのは、系の構成要素間に結ばれる一定の関係と見る事ができる。非平衡状態というのは周囲との間でさかんに相互作用をしている状態であって、外部から系内に流れ込んで来る大量のエネルギーや物質の流れが、系内の構成要素間の相互作用を活発化させ、それによって要素間に一定の秩序や構造が自己組織化されるのである。こうして形成された構造は、エネルギーや物質の流れによって作り出され維持されている為、この流れが変化したり、あるいはそれが蓄積されて系全体のバランスが崩れて来ると、ある臨界点を越えた時点でこの構造は容易に崩壊し、新たな構造と交替する事になる。つまり静的な平衡構造に比べて、散逸構造は極めて動的でダイナミックに変化するのである。言葉を変えて言えば、散逸構造というのは外界との相互作用に晒されている非平衡系がとる、1つの定常状態と見る事もできよう。そして、系を貫くこの流れによって生み出される一貫した変化によって、次々と新しい定常状態へと不連続に時間発展して行くのである。ここに時間の非対称性のより高度な段階が出現する。即ち、単なる時間の不可逆性や運動の方向性ではなく、形成された構造や秩序が方向性を持って生成と崩壊を繰返しながら、次々と新しい段階へと移行して行くという進化や発展である。進化・発展というのは、構造や秩序が段階的に質的に変化して行く事であるが、これは非平衡系が動的な散逸構造を作る事によって初めて可能となる。静的な平衡構造ではダイナミックな変化は生まれないし、秩序や構造そのものが生成されない世界では、単なる量的変化しか有り得ないからである。例えば、相互作用を捨象した決定論的な系を考えてみよう。ここでは、各構成要素は決定論的法則に支配されて運動しているが、その間に相互作用が働かない為、要素間に新しい秩序が生まれるという事がない。全体は何時まで経っても他と相互作用する事のない、独立した個々バラバラの要素の寄せ集めに過ぎず、2体問題での太陽と地球の様に永遠に同じ秩序が支配し続ける事になる。従って、こうした系では質的な変化はなく、秩序や構造の段階的変化で示される進化・発展など初めから有り様がないのである。

  では、秩序や構造はどのようにして形成されるのだろうか。それは要素間の相互作用によって、互いに相手の運動や変化を規制し合う事によっている。つまり相互作用が存在すると、系の構成要素はそれぞれが勝手気ままに振る舞う事ができなくなり、要素間に一定の関係が形成される事になるのである。例えば、水の状態を考えてみよう。蒸気になった気体の水分子は、それぞれが自由勝手に動きまわっている。ところが温度が下がって液体の水さらには氷となると、水の分子は互いの動きを規制し合い、遂には結晶構造を作る事になる。氷の結晶では、水分子はもはや自由に動きまわる事はできないのである。良く似た事は生物でも見られる。バクテリアの様な単細胞生物では、個々の細胞は独立して自由に動きまわり、それぞれが勝手に細胞分裂をし増殖している(本当は細胞間の相互作用により完全に自由ではないが、多細胞生物に比べると1つ1つの細胞が独立している)。ところが細胞が多数集まって構成された多細胞生物では、細胞間の相互作用によって個々の細胞の行動や細胞分裂が規制され、単細胞生物の様に自由に振舞う事はできない。しかし、その事によって初めて多細胞生物の複雑な体の構造が作り上げられ、また個体としての秩序が維持できるわけである。こうして一旦新しい秩序や構造が形成されると、今度はそれが個々の構成要素の行動を規制する事になる。そのため、一度形成された秩序や構造は固定的な性格を持ち、変化を押しとどめ現在の秩序を維持しようとする傾向が生まれる。またそうした働きがあるからこそ、秩序や構造が一時的にしろ安定性を持ち得るわけである。

  そこで、現在の秩序を作り出している条件が変化すると、その変化した状態に相応しい新しい秩序・構造を作り出そうとする力と、今の秩序を維持しようとする傾向との綱引きとなる。そして変化がある臨界点に達すると、古い秩序・構造は一気に崩壊して新しい秩序・構造に取って代わられる事になる。つまり、一度出来上がった秩序・構造の固定的性格の為に、新しい秩序・構造が形成されるには今ある古い秩序が崩壊する必要があるのである。この結果、秩序の段階的移行としての進化・発展は、古い秩序・構造の崩壊と新しい秩序・構造の形成という形で不連続に起こるのである。あるいは、次の様に見る事もできよう。秩序や構造を作り出している、エネルギーや物質の流れとそれが生み出す変化は量的なもので連続的に変化して行く。それに対して秩序や構造というのは、一種の形式であって固定性を持っている為に、連続的に変化する事ができない。それが変化する時には、ある秩序から別の秩序へという様に、飛び飛びに不連続に移り変わって行かざるを得ないのである。つまり、一度出来上がった秩序や構造は環境の変化に柔軟に対応する事ができない。そのため、環境の量的・連続的な変化は今ある秩序・構造を不安定化させ、その量的変化が臨界点に達した時、古い秩序・構造は一気に崩壊し、変化した環境に相応しい新しい秩序・構造に取って代わられるのである。こうした事から、常に外界との相互作用に晒されている非平衡開放系が一般的なこの世界では、秩序や構造は容易に生成と崩壊を繰り返す事になる。この宇宙に存在する形あるもの秩序あるものは総て、常に生成・消滅を繰り返しているのであって、一定不変の秩序や構造などはどこにも存在しない。つまり非平衡開放系では「万物は流転する」のである。

  また進化や発展の現象は、決して生物だけに特有のものではない。例えば、地球は46億年前に微惑星の集積によって誕生して以来、段階的に発展・進化を遂げる事で今日の姿になって来た。同様に太陽の様な恒星、そして宇宙自身も進化を続けているのである。さらにこのような自然現象だけではなく、我々人間の社会や都市・政治形態・生産技術、そして知識や認識・思想なども段階的に発展・進化して行く。こうして見て来ると、進化・発展という現象は決して特殊なものではなく、我々の周囲に広く存在している事が分かろう。このように進化・発展の現象が普遍的に存在する理由は、この宇宙に満ちている非平衡状態が次々と古い秩序を壊し、新しい秩序や構造を生み出しているからに他ならないのである。

 

 

 進化・発展の方向性

 

  ただ、ここに1つ問題がある。それは進化・発展には、一定の方向性があるという点である。生物進化を見ても、何億年もの間変化せずに古い形質を保ったまま生き続けている、「生きた化石」と呼ばれる様な生物も存在するが、進化がますます複雑で高度な生物を生み出して来た事も紛れもない事実である。つまり、進化は一定の方向性を持って進展して来たわけだが、秩序や構造が方向性を持って次々と移り変わって行く理由は、その秩序を生み出しているエネルギーや物質の流れ、あるいはそれが生み出す変化が、長期的には一貫した方向性を持っている為と考えられる。では何故、エネルギーや物質の流れが一貫した方向性を持っているのだろうか。この流れというのは、進化しつつある系の外部から系内に流れ込む、あるいは系の内部から系外に流れ出すものである。つまり、これは系とその外部環境との間の相互作用として捉える事ができる。先に述べた様に、構成要素間に相互作用が働くとそこに一定の秩序・構造が形成される。こうして、今問題にしている系と外部環境との間に相互作用のネットワーク、一定の安定性を持った秩序が形成されると、構成要素である1つ1つの系と外部環境との間の相互作用は安定化し、長期に渡って一貫したエネルギーや物質の流れが維持される事になると考えられる。即ち、系の進化の方向を規定する外部からのこの流れの方向性は、今問題としている系をその1つの構成要素とする、よりスケールの大きな秩序・構造によって、言葉を変えて言えば、1段階レベルの高い階層によって規定されているという事になる。これらの秩序・構造もまた非平衡系に於ける散逸構造である事を考えると、進化の方向はよりレベルの高い階層の方向性を持った変化、つまり進化によって与えられていると言う事ができよう。繰返し述べている様に、相互作用が存在すると構成要素間に一定の秩序が形成される。一度こうした秩序・構造が形成されると、今度はそれが個々の構成要素の運動を逆に規制する事になり、相互作用し合う幾つもの系がまとまって1つの単位となり、全体が協調して運動する様になる。すると次には、こうした系全体が1つの構成単位として相互作用し合う事で、さらに上位の秩序・構造が形成される。そして、こうして出来た上位の秩序・構造も互いに相互作用し合う事によって、さらに上位の構造を作るという具合に続けて行く事により、自然は何層にもわたる階層構造を作り上げているのである。例えば宇宙の例で言うと、惑星と太陽から太陽系が形成され、このような恒星系が何千億も集まって銀河系を作り、3〜数十個の銀河が集まって銀河群、数百〜数千の銀河が数百〜数千万光年の範囲に集合して銀河団、さらに銀河団から1億光年以上の規模を持つ超銀河団が形成され、それが三次元的につながってグレートウォールとかボイドと呼ばれる大規模構造を持つ宇宙ができているといった具合である。しかし、下位の構成要素間の相互作用によって上位の階層構造が形成されるからと言って、この階層構造が時間的に下から順に形成されて行ったという事を、意味しているわけではない。これは、出来上がった相互作用のネットワークの有り様を述べているのであって、実際の階層構造の形成に於いては部分と全体の複雑に絡み合った相互作用によって、各階層が同時進行的に形成されて行ったと考えるほうが良いだろう。

  さて進化の方向性は、その系を含むより上位の階層の進化によって規定されており、しかもこの世界は何段階もの階層構造をとっているという事になると、ある系の進化の方向性は最終的には自然の階層構造の最上位に位置するもの、即ち宇宙の進化によって規定されているという事になろう。例えば、生物の進化は第4章で見たように、地球の進化と分かち難く結び付いている。もっと言えば、生物の進化は地球の進化の一部分、あるいはそれに含まれると言う事もできよう。従って生物進化の方向性は、地球自体の進化によって与えられているわけである。そして地球の進化自身は太陽系全体の進化の一部であり、さらに太陽系の進化は銀河系の進化の中に含まれ、銀河系の進化は宇宙全体の進化に含まれているという事になる。つまり、最終的には生物の進化は宇宙の進化に含まれ、それを構成するささやかな要素の1つとなっているのである。そしてその進化の方向性は、自然の階層構造を通じて最終的には宇宙の進化の方向性によって与えられている事になる。宇宙の進化は約150億年前のビッグバン以降、その一貫した膨張とそれに付随した現象によって支配されて来たと考える事ができる。こうした、宇宙の誕生以来のエネルギーや物質の流れの一貫した方向性を持つ変化が、宇宙の秩序や構造を形成し進化させて来たわけである。この事を考えると、生物進化の方向性は、宇宙の膨張とそれに伴う変化によって生み出されて来たと見る事ができよう。このように、宇宙に存在する非平衡開放系に広く見られる進化・発展の現象は、宇宙の方向性を持つ進化によってその方向性が規定されていると考える事ができるのである。

  それでは次に、生命をはじめ多くの進化現象の方向性を決めている宇宙の進化について、ビッグバン以降どのような一貫した方向性をもって進行して来たのか、見ておく事にしよう。

 

 

進化する宇宙

 膨張する宇宙

 

  今日、宇宙は膨張を続けている事が分かっているが、それを発見したのはハッブル宇宙望遠鏡の名前の由来ともなった、エドウィン・ハッブルである。1925年、彼はウィルソン山の2.5m鏡を用いて観測し、遠方の銀河からの光のスペクトルが総て赤方偏移を示す事を発見、これがドップラー効果によるとすると、これらの銀河は我々から高速で遠ざかっている事を意味していた。そして1929年には、遠方の18個の銀河までの距離とスペクトルの赤方偏移から、銀河の後退速度と距離との間におおざっぱな比例関係が有る事を見出した。つまり、遠くの銀河ほど速いスピードで我々から遠ざかりつつあるわけで、この発見が膨張宇宙論の正しさを示す決定的な証拠となったのである。この比例定数がハッブル定数(H0 v/R)で、現在100万光年につき毎秒1530km前後と考えられている。このように宇宙が膨張を続けているとすると、時間を逆にさかのぼると、過去には宇宙は極めて小さい領域に閉じ込められていた事になる。宇宙の膨張速度が一定であったとすると、任意の2つの銀河が現在の距離まで離れるのに要する時間は、その距離を相対速度で割る事で得られる。しかも、速度は現在の距離に比例するわけだから、こうして得られる時間はあらゆる銀河のペアで同じ事になる。つまり過去の同じ時刻に、すべての銀河が1点に集まっていたと考えられるわけである。この時間、つまり膨張を始めてからの宇宙の年齢はハッブル定数の逆数で与えられ、100万光年を毎秒1530kmで割った値の200100億年前となる。ただ実際の宇宙の年齢は、宇宙の膨張速度が一定だったわけではなく、重力の作用で徐々に遅くなって来たと考えられる為、ここで計算した特性膨張時間よりも短いと思われる。こうして宇宙はおおざっぱに約150億年前頃に、想像を絶する超高温・超高密度の状態から爆発的に膨張を開始し、その後膨張と共に冷え、今日見る様な銀河や恒星などの構造を作り出して来たと考えられる様になったのである。これがビッグバン宇宙論である。

 

(注)ハッブル定数は、最近のハッブル宇宙望遠鏡を使った測定によると、H072±8km/s/Mpcpc:パーセク、年周視差1秒に相当、3.08×1013km3.262光年)。そして宇宙の年齢は約120億年と言う。

 

 

 4つの力の分離

 

  では宇宙は、ビッグバンからどのようにして進化して来たのだろうか。量子論によると、自然界には4つの相互作用が存在すると言う。強い順に、

  @    強い相互作用:原子核中の陽子と中性子、そしてクォーク同士を結び付けている

  A    電磁気力

  B  弱い相互作用:放射性元素がβ崩壊する時に作用する力で、一般的にはニュートリノを巻き込む様な反応を引き起こす相互作用

  C    重力

の4つである。ところが宇宙開闢当初の超高温・高密度の状態では、これら4つの力は1つに統一されていた。それが宇宙の膨張によって温度が低下すると共に、まず重力が分離し、次いで強い力、最後に電磁気力と弱い力が分離して今日の4つの力になったと言う。例えば、重力は4つの力の中で最も弱いが、重力は距離の2乗に反比例する為、極めて短い距離では強い力の核力に匹敵する力となる。つまり10-33cmほどの間隔では、重力が他の3つの力とほとんど同じ大きさになるのである。この長さをプランク長(プランク・スケール)、そしてプランク長を光速で割った値の10-43秒をプランク時間と呼んでいる。宇宙の誕生からこのプランク時間だけ過ぎると、宇宙はほぼプランク長の大きさとなり、ここで重力が他の3力から分離する。この時の宇宙の温度は、1032K(ケルビン:絶対温度)というとてつもないものである。そして、10-35秒後には重力に続いて強い力が分離し、この時インフレーション理論によると宇宙の相転移が起こり、大量のエネルギーが解放されて、10-3510-32秒の間に宇宙は1050倍にも急膨張したと言う。しかし現在、確からしい事を言えるのは、電磁気力と弱い相互作用が分離した千億分の1秒(10-11秒)以後、温度にして1000兆度(1015K)以下の事である。

 

インフレーション理論

 

 重力を除く3つの力を、1つの統一された相互作用で記述しようというのが大統一理論(GUT)であるが、これには磁気モノポール(単独のNまたはS極の磁気をもつ粒子で、陽子の1016倍の質量がある)という仮説上の粒子が、初期の宇宙で途方もなく多量に生成されてしまうという理論上の問題点があった。このモノポールの過剰生成を避ける為に考え出されたのが、インフレーション理論である。強い力が分離して宇宙が相転移する時に、過冷(相転移前に温度が通常の相転移の温度よりずっと下がる)により相転移が遅れると、地平線距離が伸びてヒッグス場に整列する時間的余裕が生まれ、相転移直後のヒッグス場に起こるカオスの残存物としてのモノポールの生成が抑制される。この極端な過冷の結果、最低のエネルギー密度の対応する「真空」に対して「偽真空」と呼ばれる状態が生まれ、偽真空がつくるマイナスの圧力が強い斥力を及ぼす重力場を生み出し、この重力斥力によって宇宙は指数関数的に膨張した(10-37秒毎に宇宙は2倍の大きさになる)というのである。このインフレーションによって宇宙は想像を絶するほど引き伸ばされ、この理論が正しいとすると、宇宙全体の大きさは我々が観測できる宇宙の少なくとも1023倍にもなると言う。そればかりではない。偽の真空が崩壊する時、その中に無数の大小様々な泡が生まれ、光速で膨張を始める。そして、この泡の1つ1つがビッグバン過程をたどり、1個の宇宙に成長して行くと言う。こうして偽の真空は、無数の泡宇宙を生み出し続けるである(7-17)。我々の住む宇宙はこの泡の1つで、しかも観測できるのは、その泡の中の針の先ほどの領域に過ぎないというわけだ。ところで今日の宇宙論では、科学とSFの境は何処にある事になっているのだろうか。

 

 

 宇宙を満たす光の輻射

 

  最初に、光と物質の関係について見ておこう。実は、宇宙はこの光と物質によって構成されているのである。太陽を見ても分かる様に、高温の物質は熱放射によってエネルギーを周囲に放出している。この熱放射の実体は電磁波であって、光はその一種なのである。宇宙は膨張を続けている為、それが完全な熱平衡の状態にあった事はないが、個々の粒子が散乱・吸収する割合が宇宙膨張よりもずっと急速であった初期には、宇宙はほとんど完全な熱平衡にある1つの状態から次の状態へと進化して行ったと考える事ができる。つまり開闢当時の宇宙では、物質と輻射が平衡状態にあったと考えられるのである (7-18)。このような輻射は温度だけに依存し、波長に対してある定まったエネルギー分布(プランク分布)を示す黒体輻射となる。黒体というのは、受けた輻射を完全に吸収する理想の物体の事で、またその温度で最大量のエネルギーを放射する理想的な輻射体でもある。こうして、輻射と物質が熱平衡状態にあった最初の数十万年間は、宇宙は物質的内容物と等しい温度を持つ黒体輻射で満たされていたと考えられる。そして実は、この宇宙創世期に宇宙を満たしていた輻射が今もなお残っており、それが現在観測される3K(正確には2.73K)の宇宙背景放射なのである。この背景放射は宇宙のどの方向からも均等な強度で降り注いでおり、ビッグバン理論の直接的な物証と考えられている。

  マックス・プランクは黒体輻射の研究から、輻射エネルギーの吸収・放出が塊として、つまり量子として起こるという作用量子仮説を唱え、これが量子論を誕生させるきっかけとなった。そして、数年後にはアインシュタインが輻射自身も量子となっている事、つまり電磁波という波であるはずの光が粒子としての性質も合わせ持つ事を示した。これがフォトン(光子)である。アインシュタインの法則によるとフォトンのエネルギーは波長に逆比例する。例えば、波長1cmのフォトンのエネルギーは0.000124電子ボルト(eV)で、波長が短くなるとそれに逆比例してエネルギーは増大する。1電子ボルトというのは、1個の電子が1ボルトの電位差を移動した時に得るエネルギーで、1.60207×10-19Jに相当する。また、黒体輻射の典型的なフォトンのエネルギーは温度に比例する為、その波長は温度に逆比例する事になる。例えば温度1Kの場合、黒体輻射の典型的な波長は 0.29cmで、温度が高くなると波長はそれに逆比例して短くなるのである。ところで、黒体輻射におけるフォトン間の平均距離はおおざっぱに典型的なフォトンの波長に等しい為、フォトン間の平均距離も温度に逆比例する。また、一定体積中の粒子の数はそれらの平均距離の3乗に逆比例するから、黒体輻射に於いて与えられた体積中のフォトンの数は温度の3乗に比例する事になる。そして、フォトンの平均エネルギーは温度に比例するわけだから、フォトンの数にその平均エネルギーを掛けて求められる黒体輻射1リットル当たりのエネルギー、つまりエネルギー密度は温度の4乗に比例する事になる。

  宇宙の誕生から30万年間ほどは、自由な電子によってフォトンが散乱され、物質と輻射の間で熱平衡の状態が維持されていたと考えられる。しかし宇宙が膨張して冷え、約3000Kに達すると電子は原子核に捕えられて原子を形成、それまでの物質と輻射の熱平衡は崩れ、その後、輻射は物質との接触を絶たれて自由に膨張を続ける事になったのである。この時、温度3000Kでの典型的なフォトンの波長は約1μmで、フォトン間の距離もそれとほぼ同じだったと思われる。それ以来、個々のフォトンは創られる事も破壊される事もなく、フォトン間の平均距離は宇宙の大きさに比例して増大して行ったのである。それと同時に宇宙論的赤方偏移の効果により、宇宙の膨張につれて光の波長も引き伸ばされ、個々のフォトンの波長も宇宙の大きさに比例して増大して行った。こうしてフォトン間の距離は、黒体輻射と同様に典型的な波長の間隔を保ったまま拡大して来たのである。その為、宇宙を満たす輻射はもはや物質と熱平衡にはないが、プランクの黒体輻射の公式によって記述する事ができる。つまり、宇宙の膨張は典型的なフォトンの波長を増大させて来たが、黒体輻射の温度は波長に逆比例する為、宇宙の大きさに逆比例して輻射の温度も下がって行ったと考えられる。今日、我々が観測する宇宙背景放射は約3Kの温度に対応するので、物質と輻射が熱平衡の状態にあった3000Kの時から、宇宙は1000倍だけ膨張した事になる。この宇宙背景放射は銀河が形成されるはるか以前、ビッグバンによって宇宙が誕生してから約30万年後の姿を今に伝える、我々が観測できる最古の宇宙からの信号なのである。

  さて、単位体積中に含まれるフォトンの数は典型的な波長の3乗に逆比例し、従って温度の3乗に比例する事は先に述べた。1Kの温度では1リットル中に、20282.9個のフォトンが存在するので、3Kの背景輻射では1リットルにつき約55万個のフォトンを含む事になる。一方、現在の宇宙に於ける原子核を構成する粒子(陽子と中性子)の密度は、1000リットルにつき6〜0.03個の間である為、宇宙には核子1個につき1億〜200億個のフォトンが存在する計算になる。宇宙の温度が3000K以下に下がって以降は、背景輻射のフォトンや粒子が新たに生成・破壊される事もなく、これらの存在比は一定に保たれて来たと考えられる。ここでは、おおざっぱに核子1個につき10億個のフォトンがあったものとしよう。(7-18)

 

 

 熱平衡にあった物質と光

 

  次に、宇宙のもう1つの構成要素である物質の方に目を向けよう。質量を持たないフォトンに対し、質量を持つ粒子で構成されているのが物質である。そして、質量はエネルギーと等価である事がアインシュタインによって明らかにされ、この両者の関係は特殊相対性理論の有名な公式、E=mc2で与えられる。核分裂や核融合反応で解放される膨大なエネルギーは、原子核の質量の一部がエネルギーに変換されたもので、エネルギーと質量は相互に転換が可能なのである。

  このため温度の極めて高かった宇宙の創世期には、フォトン相互の衝突によって、純粋のエネルギーから大量の物質粒子が生成していたと考えられる。こうした粒子の生成では、粒子と反粒子が対で生成される。反粒子というのは質量とスピンは同じで電荷が反対の粒子の事で、例えば電子には電荷がプラス(+)の陽電子がある様に、総ての素粒子は反粒子を持つと考えられている。そして粒子と反粒子が衝突すると2つの粒子は対消滅し、質量に含まれていたエネルギーは純粋な輻射、つまりフォトンとして放出される。2個のフォトンが衝突して質量(m)の粒子2個を生成する為には、それぞれのフォトンのエネルギーが少なくとも各粒子の静止エネルギー(mc2)に等しくなければならない。フォトンのエネルギーがより大きければ反応は一層促進され、余ったエネルギーは物質粒子の運動エネルギーに変わる。また、輻射場に於けるフォトンの特徴的なエネルギーは、輻射の温度にボルツマン定数を掛ける事で得られる。例えば、ボルツマン定数は絶対温度1度につき0.00008617電子ボルトだから、3000Kの温度では0.26電子ボルトになる。従って、フォトン同士の衝突によって質量(m)の物質粒子が生成する為には、輻射の温度が静止エネルギー(mc2)をボルツマン定数で割った値より高くなければいけない事になる。つまり物質粒子が輻射エネルギーから生成される為には、その質量によって決まるしきい温度があり、輻射の温度がそれ以上に高くなくてはならないのである。例えば電子や陽電子の場合、その質量に含まれる静止エネルギーは0.511003×106電子ボルトで、フォトンがこの莫大なエネルギーを持つ様になるしきい温度は、これをボルツマン定数で割った約 60億度(6×109K)となる。

 

7-2 素粒子の静止エネルギーとしきい温度

 

素粒子

記号

電荷

反粒子

質量(MeV:100万電子ボルト)

しきい温度

10億K)

平均寿命

(秒)

ゲージボゾン

 

フォトン

γ

γ

0

0

安定

グルーオン

0

0

 

Wボゾン

+1

80220

930950

5.07×10-10

Zボゾン

0

0

91187

1058222

4.24×10-10

 

 

 
レプトン

ニュートリノ

νe

νe

0.0000051

 

安定

νμ

νμ

0.27

 

安定

ντ

 

ντ

31

 

安定

電子

-

−1

0.5110

5.930

安定

ミュー粒子

μ-

−1

μ

105.658

1226.2

2.20×10-6

 

 

 

 

 

 
クォーク

アップ

2/3

28

23.2192.84

 

ダウン

1/3

515

58.02174.07

 

ストレンジ

1/3

100300

1160.53481.5

 

チャーム

2/3

10001600

1160518568

 

ボトム

1/3

41004500

4758052222

 

トップ

2/3

176000

2042474

 

 

 
ハドロン

パイ中間子

π0

π0

134.976

1566.4

8.4×10-17

π+

+1

π-

139.570

1619.7

2.60×10-8

陽子

+1

938.272

10889

安定

中性子

939.566

10904

887

 

 ところで、宇宙の温度がこれより高い時にはフォトン同士の衝突により対生成される結果、非常に多数の電子と陽電子が存在していたはずで、これは他の質量の異なる粒子についても同じ事が言える。熱平衡の状態では、毎秒対生成される粒子と対消滅する粒子の数は等しい。従って、初期の宇宙に於ける高温・高密度の熱平衡の条件下では、しきい温度が現実の温度より低い粒子の数は、フォトンの数にほぼ等しかったはずである。もしフォトンよりも粒子の数が多ければ、粒子は生成するよりも早く対消滅して減少し、逆に少なければ壊れるより早く生成して粒子の数が増えるからである。そのため、60億度というしきい温度より高い温度では電子と陽電子はフォトンとほぼ同数存在し、その時の宇宙は主としてフォトン・電子・陽電子からできていたと考えられる。粒子のしきい温度は質量が大きいほど高い。したがって宇宙誕生のもっと高温の時には、電子よりも質量の大きい粒子も高エネルギーのフォトンによって対生成され、大量に存在していたはずである。しかし、温度がしきい温度を下回ると生成は止み、これらの粒子は対消滅してフォトンに変わって行く。こうして宇宙の膨張と共に温度が低下するにしたがい、大量に存在していた物質粒子は質量の大きいものから順に消えて行ったのである。このため、宇宙の初期進化は様々な粒子のしきい温度を境にして、幾つかの段階をおって進行して来たと見る事ができる。

 

 

 ハドロン期

 

  次に、その段階的な進化を具体的に見て行こう。先にも述べた様に、宇宙の誕生から百億分の1秒(10-10秒)後、温度が1000兆度(1015K)の時、電磁気力と弱い相互作用が分離する。これは弱い相互作用を媒介するウィークボゾン(W粒子やZ粒子で電子の10万倍もの質量を持つ)が、1000兆度以下の温度では自由に生成されず、電磁気力を媒介するフォトンと分かれる為であると言う。さて、1000兆度という超高温の下では陽子や中性子なども分解して、その構成要素である基本粒子のクォークに壊れてしまう。

  物質を構成する素粒子は、大きくレプトン(軽い粒子)とハドロン(強い粒子)の2種類に分けられる。レプトンは電子やニュートリノの軽い素粒子の仲間で、ハドロンは陽子や中性子など強い相互作用をする重い粒子の仲間である。このうち、レプトンはそれ以上分ける事のできない基本粒子であるが、ハドロンは幾つかのクォークが結合してできた複合粒子で、陽子や中性子などのバリオン(重い粒子)は3個のクォークから成り、中間子(メソン)は2個のクォークから出来ている。つまり、レプトンとクォークが基本粒子であって、他の物質粒子はこの二種類の素粒子から構成されているのである。

  この為、ごく初期の宇宙は生成消滅を繰り返す、フォトン・レプトン・反レプトン・クォーク・反クォークからできていたと考えられる。1億分の1秒(10-8秒)が経過し、宇宙の温度が100兆度(1014K)にまで低下すると、クォーク同士が結合して陽子・中性子・パイオンなどのハドロンが形成される。一旦、クォークがこれらの複合粒子の中に閉じ込められると、もはや単独では出て来る事ができなくなる。このクォークの閉じ込めによるハドロンの生成は温度が1兆度に下がるまで続き、この時期をハドロン期と呼んでいる。この時期の宇宙は、陽子・中性子それにもっと軽いパイオンなどのハドロンと反ハドロン、レプトンと反レプトン、それにフォトンから構成され、そして陽子や中性子より重いハドロンはさらに崩壊して陽子と中性子になる。ところが温度が10兆度以下になると、フォトンによる陽子と中性子の生成もできなくなり、両者は反粒子と対消滅して宇宙の主な構成要素からは消えてしまうのである。

 

 

 レプトン期

 

  1万分の1秒後、温度が1兆度にまで下がるとハドロンは対消滅して除かれ、宇宙の進化は次のレプトン期に入る。この時期の宇宙は、おびただしい数のレプトンと反レプトン、そしてフォトンから構成されている。この状態は宇宙開闢から1秒後、温度が100億度に下がるまで続く。この期間中、しきい温度の高い重いレプトンから順に煮えたぎる宇宙のスープから対消滅によって除かれて行き、重いレプトンは次第に軽いレプトン、即ち電子へと崩壊して行くのである。この時、それぞれのレプトンに対応するニュートリノが放出される事になる。ニュートリノは、極めてわずかの質量しか持たず電気的にも中性で、他の粒子とほとんど相互作用をしない幽霊の様な粒子である。例えば、太陽はその中心部の原子核反応で、陽子が中性子に変わる際に生成されるニュートリノを大量に放出し、我々はこの太陽からの膨大な数のニュートリノを昼夜をわかたず毎秒浴び続けている(夜は地球の裏側から貫通して来る)。しかし、ニュートリノは我々の体を貫通して素通りして行くだけなので、それを全く感知できないのである(毎秒100兆個も体を貫通している)。このように相互作用が異常に弱いため、この時期レプトンの崩壊によって放出された膨大な数のニュートリノ群は、その後現在に至る迄ほとんど他の物質と相互作用しないまま、宇宙空間を飛び回っているものと思われる。ニュートリノと反ニュートリノの作用はあまりにも弱い為、その多くが対消滅を免れた可能性があり、その場合にはニュートリノと反ニュートリノが、現在でもフォトンと同程度の数が存在するはずなのである。(7-18)

 

(注) 1998年、神岡鉱山の地下1000mにある世界最大のニュートリノ観測装置スーパーカミオカンデで、ニュートリノが質量を持つ事が確認された。

 

  またレプトン期には、陽子と中性子の存在比が決まる事になる。宇宙の温度が、陽子と中性子のしきい温度である10兆度(1013K)より高い時期には、フォトンとほぼ同数のおびただしい数の粒子と反粒子が存在していた。しかし、温度がしきい温度以下に下がると反粒子はすべて対応する粒子と対消滅してしまい、宇宙にはごくわずかな余分となった粒子だけが残り、それによって今日我々が知る粒子でできた物質世界が形成されたのである。現在、宇宙マイクロ波背景放射中の10億個のフォトンに対して1個の粒子が存在する事から、この時の対消滅を逃れて残った粒子は10億分の1という事になる。

 

(注) 大統一理論によると、非常な高温だった大統一時代には、バリオン数が保存される必然性はないと言う。そのため、陽子が反陽子に対してわずかに多く生成され(バリオン生成)、それが対消滅後に物質粒子でできた宇宙を生み出したというわけである。もう1つの考え方は、宇宙は物質と反物質を完全に等量含んでいるとするもので、宇宙の温度が核子のしきい温度以下に下がる以前に、宇宙が反物質より物質の方がわずかに余分な領域と、反対に物質よりも反物質が少し多い領域へと、幾つかに分かれたと考える。そして、温度が下がり粒子と反粒子が対消滅した後、純粋に物質だけの領域と逆に反物質だけで構成された領域へと、宇宙が分離したと言うのである。しかし、地球に届く宇宙線は実質的にすべて物質であり、また物質と反物質の領域に分かれたとするなら、両者の接するところで対消滅による特徴的なガンマ線が放射されるはずであるが、その形跡はない。宇宙の何処かにかなりの量の反物質が存在するという兆候は、これまでのところ観測されていないのである。(7-18)

 

  こうしてレプトン期には、10億個のフォトンあるいは電子・ニュートリノについて、約1個の陽子あるいは中性子という割合でごく少数の粒子が存在していた。この少数の陽子や中性子は、それよりはるかに多く存在していた電子・陽電子などと衝突すると、急速に陽子から中性子へ、あるいは反対に中性子から陽子へと転換する事になる。

              反ニュートリノ 陽子         中性子 陽電子

              ニュートリノ 中性子       ⇔  陽子    電子

ニュートリノと反ニュートリノ、そして電子と陽電子はほとんど厳密に同数存在していた為、高温の下では陽子から中性子への転換と中性子から陽子への転換速度は同じ位で、そのため初めは陽子と中性子はほぼ同数存在していたと思われる。しかし、温度が下がるにつれて、陽子よりわずかに重い中性子が陽子に転換する反応の方が起こりやすくなり、両者の存在比は徐々に陽子の方に傾いて来る。そして宇宙が誕生して1秒後には、陽子と中性子の存在比は76%と24%になったと考えられる。この存在比が、初期の宇宙で合成される元素の構成を決める事になるのである。

  さらに温度が電子・陽電子のしきい温度の約 60億度を下回ると、電子と陽電子も対消滅によって急速に姿を消して行く。その結果、宇宙の主成分はフォトン・ニュートリノ・反ニュートリノとなるのである。

 

 

 原子核の形成

 

  さて温度の低下と共に原子核の形成が始まるが、安定なヘリウム原子核の形成の為には、さらに温度が低下しなければならない。宇宙は急速な膨張を続けているので、原子核は一連の速い2粒子反応として形成される。まず、陽子と中性子が衝突して重水素核(H2:重い水素の原子核)ができ、次にこの重水素核に中性子か陽子が衝突してヘリウム3(He3)または三重水素(H3)を生成する。最後にヘリウム3に中性子が衝突するか三重水素に陽子が衝突して、あるいは重水素核同士が衝突する事で、ヘリウム原子核(He4)が形成されるのである。ヘリウム原子核は安定で100億度の温度でも壊れる事はないが、三重水素とヘリウム3はずっと結合が弱い。特に重水素は弱く、100億度という高温では形成されるやいなや壊れてしまい、もっと重い原子核が形成される事はない。このため、原子核が劇的に形成され始めるのは宇宙誕生から3〜4分後、重水素核が安定して存在し得る約9億度にまで温度が下がってからの事で、この時、宇宙に残っていた中性子のほとんど総てがヘリウム原子核の中に取込まれてしまう。

  しかし、ヘリウムより重い原子核はあまり形成されない。それは5個あるいは8個の核子を持つ安定した原子核が存在しないからで、そのためより重い安定な原子核を作るには、3つの粒子が同時に衝突する必要があったのである (7-19)。さて、この時迄に陽子と中性子の存在比は、中性子の崩壊(中性子は単独では不安定で、約15分で電子とニュートリノを放出して陽子に崩壊する)により87%と13%になっている。そして原子核形成によって、実質的にすべての中性子がヘリウム原子核の中に閉じ込められる結果、ヘリウムの質量での存在比は単に中性子の2倍の約26%となる。これが、その後の宇宙のヘリウムと水素の存在量を決める事になったのである。現在も恒星の内部ではヘリウムが生成されているが、その量は宇宙全体の存在量に比べると極めて小さい。今日、我々が目にするヘリウムのほとんどは、この時期に作られたものなのである。このように、理論的に求められたヘリウムと水素の存在比が現実と一致する事は、ビッグバン理論の正しさを証明する証拠の一つと考えられている。この後、宇宙は30万年間ただ膨張し冷却を続けて行く事になる。

 

 

 宇宙の晴れ上がり

 

  30万年後、宇宙が3000度にまで冷えると、それまで自由に飛び回っていた電子は原子核に捕えられ、安定な水素とヘリウム原子が形成される。こうして原子が形成され自由な電子が失われると、フォトンと陽子・電子との相互作用は止み、宇宙は輻射に対して透明になる。これを「宇宙の晴れ上がり」と呼んでいる。これによって輻射の圧力が無効となり、物質は初めて重力によって凝縮し、星や銀河を形成する事が可能になった。星や銀河が形成される為には、重力が物質と輻射の圧力に打ち勝つ必要があったのである。重力は物質の塊の大きさに応じて増大するが、圧力は大きさには関係ない。従って、与えられた密度と圧力の下では重力によって凝縮できる最小の質量が存在し、これをジーンズ質量と呼んでいる。電子が捕獲されて原子が形成される直前、約3000Kの温度では輻射の圧力が強大な為、ジーンズ質量は極めて大きく、大きな銀河の質量の100万倍もあったと考えられている。それが、原子が形成され宇宙が晴れ上がって輻射の圧力がなくなると、有効な圧力は10億の因子で小さくなり(物質や輻射の圧力は、粒子やフォトンの数に比例する)、圧力の3/2乗に比例するジーンズ質量は銀河質量の100万分の1程度にまで縮小したのである。

 

 

        銀河の形成

 

 銀河の形成が始まるのは、さらに10億年後の事でこの間は暗黒時代と呼ばれ良く分かっていない。現在、ハッブル宇宙望遠鏡を使って100億光年といった遠い深宇宙(ディープ・スペース)を観測すると、遠くに行くにほど我々の見なれた渦巻銀河や楕円銀河といった大きな銀河はなくなり、整った形のない小さな銀河ばかりになると言う。恐らく、100億年以上も前の誕生したばかりの銀河は形も不規則な小さなものばかりで、当時のまだ狭かった宇宙空間にはこうした多数の小さい銀河がひしめき合い、頻繁に衝突・合体を繰り返して大きな銀河に成長して行ったのだろう。数十〜百数十億光年という宇宙の最遠部には、クェーサー(恒星状天体)と呼ばれる超高温度(100万度以上)で普通の銀河の100倍以上も明るい天体が存在し、猛烈なスピードで我々から遠ざかっている(速いものでは光速の94%にもなる)。これは激しく活動する巨大ブラックホールを持つ銀河の中心核で、銀河の頻繁な衝突が新たなガスを供給する事でブラックホールの活動を活発化させているらしい。現在、約7000個のクェーサーが発見されているが、10050億年前には生まれたばかりの銀河が頻繁に衝突を繰り返し、多くのクェーサーが存在していたと思われる。

 実はブラックホールは、銀河の形成にも重要な役割を果たしていると考えられる様になって来た。普通、ブラックホールは質量が太陽の40倍以上ある重い星が熱核反応の後に重力崩壊を起こして誕生するが、それ以外にほとんどの銀河の中心には、太陽の数百万倍〜30億倍というとてつもない質量を持つ巨大ブラックホールが存在すると考えられている。その形成メカニズムは、まず銀河の衝突などにより爆発的な星形成が起こり、密に詰まった星団の中で重い星が中心部に集まり合体して太陽の100倍以上もの質量を持つ星が誕生する。こうした大質量星は寿命が極めて短く直ぐに崩壊してブラックホールとなり、周囲の星を飲み込みながら成長して、太陽質量の数百倍もあるブラックホールが銀河内にたくさん生まれる事になる。こうして誕生した中質量ブラックホールはその星団ごと銀河中心に向かって沈んで行き、集合・合体して銀河中心の巨大ブラックホールへと成長するのである。そしてこの時、ブラックホールに飲み込まれなかった星団中の軽い星は弾き飛ばされ、渦巻銀河の中心部の膨らみ(バルジ)が形成されたと考えられる。(7-22)

 

(注)クェーサーは莫大なエネルギーを放出しているが、これは周囲の星やガスが銀河中心の巨大ブラックホールに落ち込む時に開放される重力エネルギーが、光に変換されたものである。ブラックホールの周りには降り積もるガスが回転する円盤(降着円盤)を作り、徐々に内側に落ちていくが、この時開放される重力エネルギーの一部は円盤の回転を速める事に、そして約半分は粘性摩擦によるガスの加熱に使われ、この熱が電磁波として外に放出されるのである。(7-23)

(注)星団:数十〜数百万の星が重力的に集合したもの。もともとすべての星は星団として誕生する。星団には、散開星団・球状星団・アソシエーション(星の群落)があり、銀河はこうした星団と星間物質から構成されている。

 

 宇宙進化の3段階

 

  これまでの宇宙の進化を見ると、質的に異なる3つの段階、あるいは時代に大きく分ける事ができる (7-18)。まず、初期の高温・高密度の宇宙では光の輻射と物質・反物質が熱平衡の状態にあり、フォトン同士の衝突によって粒子と反粒子が対生成されると同時に、同じ割合で粒子と反粒子が衝突しフォトンを放出して対消滅するという反応を繰返していた。こうした熱平衡の条件下では、しきい温度が宇宙の温度より低い粒子の数は、フォトンの数とほぼ等しかったと考えられる。つまり初期の宇宙は、フォトンと同じ位の莫大な数の粒子・反粒子で満たされていたわけである。

  それが宇宙の膨張により温度が低下するにつれて、しきい温度の高い粒子から、つまり重い粒子から順に輻射からの対生成が不可能となり、粒子と反粒子の対消滅によって宇宙から消えて行った。そして宇宙開闢から数秒後には電子のしきい温度の60億度も下まわり、電子の生成も停止して、これらも対消滅して消えてしまうのである。こうして、それまで宇宙を満たしていた莫大な数の粒子・反粒子は、ニュートリノを除いてほとんど消滅し、宇宙にわずかに残った物質粒子はフォトンの10億分の1程度にまで激減してしまう。以後フォトンの衝突によって、つまり純粋なエネルギーから物質粒子が生成される事はなくなり、宇宙は莫大な数のフォトンで満たされる事になった。この宇宙からの物質・反物質の消滅は、宇宙のほとんどのエネルギーが輻射、即ち光の形をとった輻射優勢の時代を生み出したのである。

  このように宇宙の物質に含まれるエネルギーよりも、輻射のエネルギーの方が大きい輻射の時代は、フォトンの平均エネルギーが核子の静止エネルギーの10億分の1、約1電子ボルトよりも小さくなる迄、つまり宇宙の温度が約4000Kに下がるまで続く。そして、この温度を境に輻射優勢の時代から現在の様な、宇宙のほとんどのエネルギーが核子の質量にあるという物質優勢の時代へと移り変わって行くのである。また、これとほぼ同時期に、約3000Kで宇宙の内容物が輻射に対して透明になる宇宙の晴れ上がりが起こり、以後、重力収縮により宇宙の様々な物質構造が形成されて行く事になる。こうしたビッグバン過程は、大量の粒子が対消滅してフォトンに変わる過程と見る事もできる。ここでは膨大な質量が最初の数秒間で輻射に転換して失われ、重力に代わり輻射圧が世界を支配する輻射優勢の時代を現出したのであった。その力関係が逆転するのが宇宙の温度が3000Kにまで下がった30万年後の原子核の形成と宇宙の晴れ上がりの時である。以後、宇宙のシミの様にわずかに残っていた物質が生み出す重力によって、今日我々が見る事のできる宇宙の様々な物質構造・秩序が作り出されて行く、重力優勢・物質優勢の時代になるのである。

  このように宇宙は、その誕生以来はっきりした方向性を持って、段階的に進化して来たと言う事ができる。この進化の方向性を規定しているのが、宇宙の膨張とそれに伴う温度の低下という一貫した変化であった。宇宙の膨張につれてフォトンの波長が引き延ばされる事により、初期宇宙に於ける輻射の莫大なエネルギーは失われて行った。これはフォトンの持つ莫大なエネルギーが、宇宙空間を押し広げる為に使われたと見る事もできよう。こうしてエネルギーを失って行ったフォトンに代わって、質量の中にエネルギーを閉じ込めた物質が宇宙の主役として現れる事になるのである。主として輻射でできた宇宙にあっては、ほんのわずかに残った汚染物に過ぎなかった物質が、物質優勢の時代に入って星や銀河を形成し、さらには宇宙の生み出した物質秩序の頂点とも言うべき生命が誕生する事になるわけである。

 

 

 進化する宇宙の今後の展望

 

  さて、今後の宇宙の進化はどうなるのだろうか。宇宙は当分の間は膨張を続けるが、その後の事については2つの可能性が考えられている。それは、宇宙の密度が臨界値(5×10-30/cm)よりも大きいか小さいかによって異なる。もし、密度が臨界値よりも小さいとすると、宇宙は無限であり今後も永久に膨張を続ける事になる。そして宇宙誕生の1014年後には、すべての恒星は燃やせるだけの軽い元素を燃やし尽くし、鉄の限界に突き当たって核融合反応は終結する。こうして宇宙には、黒色矮星・中性子星・ブラックホールなどの熱核反応を終えた星の燃え殻だけが残される事になる。また輻射とニュートリノの宇宙背景は、宇宙の拡大に反比例して温度が下がり続ける。1018年後までには、銀河を構成する恒星は銀河からはじき出されるか、銀河の核にある巨大ブラックホールに飲み込まれて銀河の構造自体が崩壊する。1027年後には、銀河団を構成するすべての銀河も1つの超銀河ブラックホールに溶け込み、そして宇宙に浮かぶこれらの巨大ブラックホールは互いに猛烈なスピードで離れて行く。しかし10100年もすると、これらの超銀河ブラックホールさえもホーキング過程によって蒸発し、宇宙から形あるものすべてが消え去ってしまう。そして大統一理論が正しいならば、1033年までには陽子すら崩壊して、すべての粒子がレプトンに変わってしまうと言う。こうして宇宙には何兆光年も離れ離れになった粒子と電磁波しか残らない事になる。しかし宇宙がどんなに空虚になっても、ハイゼンベルグの不確定性原理が生み出す真空のゆらぎによって、微視的レベルでは瞬間的な粒子と反粒子の対生成と対消滅が繰り返され、真空には絶え間ない活動が渦巻いているはずである。

 

(注) 不確定性原理:これは電子の様な小さい粒子では、同時にその位置と運動量を正確に決める事はできないというもので、位置の不確定さ(凾)と運動量の不確定さ(凾吹jの積はプランク定数より小さくできないという関係に表わされる。

(凾)×(凾吹j>2π  (:プランク定数=6.6×10-34ジュール・秒)

またこの関係はエネルギーの不確定さ(凾d)と時間の不確定さ(凾s)との間にも成り立ち

(凾d)×(凾s)>2π

従って、10-21秒といった極めて短時間ではエネルギーの不確定さが増大し、電子と陽電子などの粒子と反粒子のペアが真空から出現し、一瞬後には対消滅する事が可能となる。

この不確定性原理は、対象となる物体に影響を与えずには測定ができないという事実に起因し、全ての測定はエネルギーの交換を含むが、それによって発生する最小の乱れの可能性を定量化している。

 

  反対に、宇宙の密度が臨界値よりも大きいと、宇宙は有限で今の膨張は何時かは止まり、次には逆に加速度的な収縮に転じる事になる。もし宇宙の密度が臨界値の2倍であるとすると、宇宙はこれからさらに500億年の間膨張を続け、その後収縮に転じると言う。最大に膨張した宇宙は、現在の大きさの2倍となり、マイクロ波背景の温度は1/2となる。収縮はそれまでの膨張過程とまさに逆に進み、フォトンとニュートリノの宇宙背景の温度は膨張の時とは反対に上昇して行く。そして、500億年後には宇宙は再び現在と同じ大きさとなり、さらに100億年後には先に見たビッグバンの過程を逆にたどり、密度が無限大の特異状態に近づき宇宙は再び一点に潰れてしまうのである。これをビッグバン対してビッグクランチと呼んでいる。一点に潰れてしまった宇宙は、一種の跳ね返りによって再び膨張を始めるかも知れない。そうすると、全世界はもう一度初めからやり直す事になろう。そして膨張は再び遅くなって止まり、再び収縮を始めて宇宙のすべての構造、すべての原子も壊されて一点に潰れてしまう。こうして宇宙は、膨張と収縮を永遠に繰り返しているのかも知れない(脈動宇宙)。

  とにかく宇宙が今後一方的に膨張を続けるのか、それとも収縮に転じて永久に振動を続けるのか、どちらにしても重要な事は宇宙の進化が何百億年というタイムスケールで、明確な方向性を持って進んで行くという事である。

 

(注)これまで宇宙の膨張は重力の影響で徐々に減速していると考えられていたが、1998年、超新星の観測から現在の宇宙の膨張がすさまじい勢いで加速している事が明らかにされた。4070億年前頃から加速膨張が始まったらしい。そして膨張を加速させている斥力は「真空のエネルギー」で、これはアインシュタインの宇宙定数に対応すると言う。従って、脈動宇宙の可能性は残念ながら低くなったと言える。

 

 

 非平衡系としての宇宙

 

  かって熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)から、宇宙のエネルギーは一定でそのエントロピーは増大を続け、最終的には宇宙はエントロピー最大の熱的死に到達すると考えられた事もあった。しかし今日では、これは宇宙を体積不変の孤立系とした事による誤りである事が分かっている。先に見た様に、現在の宇宙は不断に膨張を続けているのであって、宇宙は孤立系ではないのである。宇宙はその膨張によって、宇宙を満たす輻射のエントロピーを下げ、宇宙の温度を低下させ続けている。実際、現在の宇宙のエントロピーは信じがたい程小さく、宇宙は完全な熱平衡という熱的死からは益々遠ざかっている7-20。これは見方を変えると、宇宙空間を拡大する為に輻射のエネルギーが使われているとも言え、宇宙は不断に空間を拡大する事によって、宇宙全体が非平衡系となっているのである。つまり今日の宇宙が非平衡状態にあるのは、熱的死という平衡状態に向けて運動する途上にある為ではなく、宇宙は本質的に非平衡系なのであって、膨張を続ける限り宇宙は永遠に進化し続ける事になる。

  平衡状態にある孤立系では、構造は存在しても変化のない、いわば死んだ状態で時間の方向性は存在しない。それに対して、常に外界と相互作用しエネルギーと物質のやり取りをしている非平衡開放系では、系を貫くこれらの流れが系の構成要素間の相互作用を活発化させ、この流れに依存する一時的な定常状態として一定の秩序・構造が作り出される。そして、一貫した方向性を持つ外界との相互作用は、時間の経過と共に系全体の量的なバランスを崩し、それによって作り出された秩序そのものを崩壊させる。こうして非平衡開放系では、時間と共に次々と新しい秩序・構造が生み出されては崩壊を繰り返すという事になる。つまり非平衡開放系では、時間と共に秩序・構造が段階的に方向性を持って移行するという、進化や発展が起こるのである。それ自体が非平衡開放系になっている宇宙は、その構成部分も特殊な場合を除き非平衡開放系からできている。例えば、星も平衡点に向かって運動している孤立系ではなく、エネルギーと物質を周囲に放射し続けて進化して行く非平衡開放系である。このように、非平衡開放系で満たされた宇宙では、進化・発展という現象が至る所で見られる事になる。存在するものの本性とも言うべき相互作用が秩序・構造を生み、この宇宙の本性である非平衡状態がその秩序・構造の段階的な進化・発展を生み出しているのである。即ち秩序や構造が形成され、それが時間と共に進化・発展するという事は決して特殊な現象ではなく、この宇宙の本性あるいは世界のあり方と言う事が出来よう。そして、この進化・発展に方向性を与えているのが方向性を持ったエネルギーや物質の流れであり、これは最終的には宇宙自体の進化によって、別の言い方をすれば宇宙の膨張によって規定されているのである。

 

7-3 宇宙の進化

時間(秒)

温度(K)

 

宇宙の構成要素

プランク時代

10−43

1032

プランク時間

重力の分離

 

大統一の時代

10−35

10−36〜10−34

1028

強い力の分離

インフレーション

フォトン・

クォーク・

レプトン

とその反粒子

電弱統一の時代

10−10

1015

電磁気力と弱い力の分離

ハドロン期

10−8

1014

ハドロン(陽子・中性子など)の形成

フォトン・

ハドロン・

レプトンとその反粒子

 

1013

陽子・中性子の対消滅

10−4

1012

ハドロンの対消滅

レプトン期

1010

レプトンの崩壊とニュートリノの放出

フォトン・レプトン・

ニュートリノとその反粒子

 

6×109

電子・陽電子の対消滅

元素合成

3〜4分後

9×108

ヘリウム原子核の形成

フォトン

ニュートリノ

反ニュートリノ

物質優勢の時代

 

4000

輻射から物質優勢へ

30万年後

3000

宇宙の晴れ上がり(原子の形成)

10億年後

 

銀河の形成

 

 


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